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2017-03-18

誰が一番悪いんだろーね

年の離れた弟がいる。

弟はよちよち歩きが出来たころから、家の窓から靴下で脱走して行方くらませていた。

遊びに行って、家に帰ったらパトカーが何台も停まっていて、母親が涙を流しながら弟を抱え、巡りさんと話していたのを覚えている。

あ~~~~またアイツいなくなったんだな~~~~~とボンヤリしていたら、母親からギっと睨みつけられて、怒鳴られた。

何で、弟を探しに行かなかったの?!弟がかわいくないの?!あんた、おねえちゃんなんでしょう?!こんな小さい弟が死んじゃったらどうするの!!

みたいなことを散々怒鳴られた。まだ小さかった弟は、母親の腕の中でヘラヘラ笑っていた。そしたら母親はまた泣きながら

○○(弟の名前)どうして急にどっかに行っちゃうの~~ママとっても心配したんだからね~~~~~~~~

正直馬鹿かと思った。弟が窓から脱走するのは弟を寝かしつけようとして先に寝ちゃって窓にカギをかけなかった母親が原因ではないかと思っていたから。

まぁ私親になった事ないからわかんないけど、これ読んでるお母さん、気分悪くしたらごめんなさい。


それから一年くらいしてから、弟は悪戯するようになった。

物を壊す、隠す、大体そんな感じのやつ。で、私だけが怒られる。なんでや。

母親曰く

あんたがちゃんとしてないから。

ちゃんと模範的お姉ちゃんではないから、弟が悪さをする。

から弟に非はない。お前が悪い。お前のせいでこうなった。と怒られた。

今思えば弟も怒れや!!!って思う話なんだけど、私は本気で「私がちゃんとすれば弟はよくなるんだ~~!成程~~~!!」と思っていた。アホか。

から頑張った。学校はいつもいい成績だった。

元気よく挨拶をして、常に笑っているようにして、困っている人を見たら助けた。

弟の悪戯はよくなるどころか悪くなっていたけれど、それでも私だけが怒られた。弟の目の前で怒鳴られた。

父親暴力的で、博識な男だった。

普段は何もしないけど怒るとき10歳だろうが5歳だろうが男も女も子供年寄り容赦なくぶん殴る人だった。

私がテストで満点を取っても、そんなのは当たり前だ、と言い捨ててそれ以外の点数をとった時は俺の時そんな点数は取らなかったのにと言われた。

弟がある日、父親のものを隠した。本人はちょっとした遊び心だったのかもしれない。

それを父が許すわけがなかった。弟がどれだけ泣いてもわめいても叫んでも、父親の拳は止まらなかった。

私ははやく謝ればいいのにと思ったけど(口出ししたら私も殴られる気がして口にできなかった)弟は絶対に謝らなかった。

母親が泣きながら父親の足に縋りついて許してやってくれと叫ぶのをみながら、地獄みたいだな、と思った。

今思えばこの頃から弟は誰に対しても何に対しても、ごめんなさい、が言えない子供だったのかもしれない。

小学校高学年になって、私はクラスで虐められるようになった。理由は「塾に行ってないくせに100点とったから」だった。

無視されたし、私の触ったものはばい菌が付くと言われたし、クラスの面倒ごとは私の仕事になった。

帰りの会でよくある「今日あった嫌なこと」にはしょっちゅう私の名前が出てくるようになった。掃除をサボったとか、そんな内容だった。サボってないんだけどね。

クラスのみんなの前で怒られて、謝るように言われた。

だんだん学校に行くと腹を下すようになって、あだ名がゲリ子になる直前に私は学校に行かなくなった。そのころにはもう友達

自分の部屋にあった観葉植物ボールしかなかった。で、また私は怒られた。

何で学校に行かないんだ。いじめられたくらいで学校に行かないなんてどうかしてる。学校に行け。行ってやりかえしてこい。

わかる人はわかるかもしれないんだけど、行きたくなかった。やりかえすことも倍返しされそうでできなかった。

担任はうちのクラスに虐めなんかありません!って言うし、校長教頭は虐められるのはお子さんに原因があるんでしょう?といって取り合ってくれなかった。

このころに私は、発達障害の診断を受けた。母親からまた怒鳴られた。

発達障害人間は人を殺す。きっとお前も犯罪者になると言われた。(この頃発達障害者殺人事件を起こしていた)

同時に私の事を頻繁に殴るようになった。殴り続けて手が痛い、といって棒や雑誌や孫の手なんかでビシバシやってきた。

父方の遺伝で私が発達障害だったこともあってか、母親ますます弟を可愛がるようになった。そのころ私は父親似、弟は母親似だったから。

の子は私と同じまともな子だ。私たちは健常者同士仲良くやっていく。って。

それから父親は私と一緒に寝るようになった。布団の中で服を脱がされた。体中触られたし、舐められた。

今思えば狂ってるとしか言いようがないけど、当時は殴られないから良いやとしか思ってなかった。父親と一緒にいれば殴られないから。

痛くないならそれでいいって本気で思ってた。

で、まぁ普通に父親からも痛い思いをさせられた。本番を実行しようとした。しようとしたって言うのは曖昧なんだけど、覚えてない。

直前まではなんとか思い出せるけどそこから先の記憶がプッツリなくなってる。私は自分処女なのかそうでないのかもわからない。

気付いたら、今住んでる町にいた。

父親単身赴任になったと聞かされた時、ほっとした気分とまた殴られるんじゃないか不安になった気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。

今度は弟が学校に行かなくなった。理由は「姉ちゃんが学校行ってなかったから」だった。この頃私は普通に学校に行っていた。

成績は悪かったけど、丈夫だったか休みほとんどなかった。

母親は私を殴るのをやめてくれたけど、今度は殺しにかかってきた。多分本気じゃなかったとは思う。

包丁も持って家じゅう追っかけまわされたり、寝込みを襲われて首を絞められたりした。いつもいつも「あんたのせいだ。あんたのせいで私の人生はめちゃくちゃだ。この悪魔

って言われた。どっちが悪魔だよ。流石に殺されちゃたまんないから応戦するけど、そのたびに母親は金切り声をあげて「助けて!娘に殺される!」ってどっかに行ってた。

一生帰って来るなよって気持ちと、私のせいでお母さんを苦しめてしまった!って罪悪感がグルグル頭の中を回っている間に母親が帰ってきた。すごい、聖母みたいな笑みを浮かべて。

私の事を抱きしめながら、涙を浮かべながら「ごめんね、ごめんね、ほんとはあんたの事、世界で一番大事なのよ」って囁かれた。チョロすぎて悲しくなるんだけど私も泣きながら

「お母さん!悪い子でごめんなさい!!」って抱き付いていた。タイムマシンが完成したら真っ先にこの時代に行っててめーら馬っっっっ鹿じゃねーの?!ってチェーンソー振り回したい。

そんな折弟が金を盗んだ。私の財布から、私の月の小遣い全部。弟が自分でボロを出したので確定した。メチャクチャ怒った。

そんなことは泥棒のすることだ。私の弟は泥棒だったのかと怒っていたら母親が泣きながら、そんなこと言わないで、と言ってきた。

実の姉から泥棒呼ばわりしたら、あの子がどんなに悲しむか。お金はお母さんが返すから、それで許してやってくれ、と言い出して来たので耳を疑った。

金を盗んだことに変わりはないしそれで許されると弟が勘違いたらこから先弟が大人になってトラブルが起きた時、タダじゃすまされないと言っても、母親は聞かなかった。

謝るならお母さんが謝るから、弟を許してくれと土下座までした。目の前が真っ暗になった。

弟は一切謝らなくなっていた。私の金を盗もうと、窓を割ろうと、何をしても私が怒れば即座に自室に篭って出てこなかった。

そのたびに母が私に謝るという奇妙な家になっていた。

他にもエピソードは山ほどあるんだけど指も精神もそろそろ限界です。現在の事だけ書きます

一番狂ってるのは、フツーに全員この家に住んでるってことです。

私は大学に行かせてもらえました。前の仕事を辞めて求職中です。お母さんに似てきたね、とよく言われます

父親は戻ってきました。別の部屋で寝てます求職している私を馬鹿にしながら生きているようです。仕事はちゃんとしてます

弟は見た目が父親に似てきました。私に怒られたからといって一週間学校を休んだりしています。将来はアニメ関係仕事に就きたいと言っています。無理でしょう。

母親は日に日に私が父親に似てきて気持ちが悪い、悪魔め、毎日地獄だ、と言ってきます

周りの人からはうちは幸せな家庭と言われています。たしかにかつてはそうでした。

からきっと私もこの家を捨てきれないのでしょう。良い仕事が見つかればこの家を出ていけるかもしれません。

私には何もありません。特別可愛いとか、頭がいいとか、そういうのでもないです。

私はただの悪魔かも知れませんが悪魔だって地獄はきっとあるのでしょう。今がそうです。

私が家族に思い切って昔の話をすると、しらを切っているのか本気で忘れたのか、そんなことは無かったと言われます。すべて私の妄想だと言われます

誰が悪かったのでしょうか。誰を恨めば良かったのでしょうか。憎むのは悪い事だと言われて育ったけれども、恨む方がまともなのではないでしょうか。

私が覚えているうちに不特定多数の誰かに聞いてほしくて書きました。

聞いてくれて、読んでくれてありがとうございました。

あと、最後に一つ。

嘘でもいいから心の中で、私の家族を悪く言ってください。

2016-08-29

高畑裕太容疑者逮捕を受け

苦しい発達障害の現状を伝えようと思う

彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手ADHDの気があると思っているかである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。

ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしか自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。

私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思いますADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事ものライブチケットパリお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドパスポート駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。

要するに細かいことが出来ずミスを多発する。

人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからわずにいられない衝動に駆られる。何の呪い

話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。

先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。

自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。

しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業ストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系会社ADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたもの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズ拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミス無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。

私が言いたいのは発達障害からって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。

発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。

いや、絶対に昔からいた。

クラスに一人はやばい認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。

ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害

ねえ、そう思ったら多すぎませんか。

なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれから人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物遅刻はしないように気を使っている。

発達障害は往々にして鬱

高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。

これってすごいこと、私は母親教育は失敗に終わっていないと思う。

発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的性格もあってまわりから規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。

ハメられやす

私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストクリアするもの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。

なぜ障害が生まれるか

障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったか相手不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝可能性は否定できない。

また、高齢出産の影響も強い。卵子タイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性社会進出医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子劣化します。男性生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれ可能性高いです。イケメン隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。

ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカル対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活マネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。

2016-07-13

帰りの会』ってまだ通用するの?

会社の終礼に向かうとき帰りの会に行きますかー」

っておっさん連中に言ったら思いのほか受けが良くて和気藹々としてたんだが、

これは全国共通なの?

2015-11-15

FBの、プロフィール写真トリコロールにするあれ

こういう精神テロリストの連中をますます逆上させるんだろ。

ケンカ売られて買うのはいいが、買い方が薄汚い。

小学校帰りの会で、ケンカ相手の男子生徒を憎むあまり「○○君はいけないと思います」つって直接関わってないクラスメイトを強引に自分サイドに引き込もうとする頭の足りないブスみたいだ。

んで引き込まれる人々のまた滑稽なこと。

テロはいかんよ。許しちゃいけない。

それならテロやめろやという画像でよい。

甚大なダメージをくらったフランスを応援したいという気持ちもそれ自体はいい。

プロフィール写真国旗を重ねるというその発想が気持ち悪いのよ。

国旗掲揚とは愛国心ひとつの発露であり自らの国民としてのアイデンティティを示すものだ。

震災以降の、頑張ろう日本日の丸掲揚の数々は、そういった動機によるものだと理解している。

お前はフランス人なのか。親兄弟フランス人がいるのか。フランス人友達がいるのか。

あるいはフランス旅行したときにその風土国民性に魅せられ、なにがしかシンパシーを感じているのか。

それならまだわかる。

友人に、フランスに短期留学を繰り返し、学んできたことを仕事全面的に活かしている人がいる。

彼女トリコロールには、わたしはいいねを押した。

しかしそれ以外のやつら。

おまえら、ただ流行りに乗っかりたいだけだろ。

あるいはテロに対抗してるつもりになっていいことしてる気分になりたいだけだろ。

テロに対抗したいなら、テロやめろやという声明を出せ。

フランスを応援したいなら、フランスを応援しますという声明を出せ。

お前のアイデンティティフランスにはないだろう。

軽々しくプロフィール写真にそんな加工を許すな。

以下は予想される反論への予防線

・わたしはネトウヨではないし排他的愛国主義者でもない。

ただ顔写真三色になってる大部分のやつらの軽薄さが気にくわないだけだ。

プロフィール写真にそこまでのアイデンティティを込めている人間ばかりではないのでは、とお思いのあなた

上にも書いたが、トリコロールを重ねているやつらのプロフィール写真は、例外なく、自分顔写真のアップです。

2015-07-09

いじめられる方責任はない、は本当か。

いじめはたしかに悪い事だけど、存在するだけで、周りの調和を乱す人っている。

そういう人に、どのように対処したらいいのだろうか。

 

例えば、昔、転校生がやってきた。小学4年生くらいだったと思う。

  

見た目はごく普通女の子だったが、たったひとつちょっと変なことをする女の子だった。

 

ものすごく鼻くそをほじくるのだ。それも、すごい勢いで。

そして、それを食べるのだ。

 

衝撃的だった。あまりにも悪びれないでそれをやるので、みんなどうしていいかわからなかった。

 

彼女にとってはそれは別に普通のことのようだった。

 

 

この場合、たしかに大人の対応としては「人前で鼻くそをほじってはいけません」と本人に注意することが必要になるんだと思う。

 

でも、小学4年生。そんな社会的技術をもっていない。

 

とりあえず、陰で「あの転校生鼻くそ食ってるwww」って話題になる。

 

で、当然、みんな気持ち悪いから距離をとる。

 

調子のいい男子が本人に聞こえるような声量で「鼻くそ」とか言い出す。笑いが起きる。教室に張り詰めた緊張がほぐれる。

 

ここでその女子生徒が、ようやく違和感を感じ始める。

 

先生相談する。

 

先生帰りの会で「いじめはよくありません」「いじめ犯罪です」という。

 

 

しかし、その女子ものすごい勢いで鼻をほじっているとき教室に張り詰めたあの緊張感。

 

そして、その緊張した雰囲気を破ってくれた、調子のいい男子の「鼻くそ」の一言

   

 

こういう場合どうしたらいいの。誰が悪いの。

2015-01-27

小学校のころ教師含めクラスぐるみいじめられた

小学校低学年までそれなりに幸せ生活してたがいじめ徴候はあった。それは俺のだらしない生活態度が原因ではあるのだけれど。その時は意識していなかったが金持ちの子供で、周囲の子供の親より俺の親の年齢が高く感覚が違っていた、両親共コミュ障でそれを受け継いでいた、等々理由はあるだろうがとにかく今自分で考えてみてもいじめられる要素が大量にあったと思う。それといじめ善悪はまったく別で単純にいじめ犯罪と思うけど。一言で言うと天真爛漫で傍若無人なガキだったんだと思う。

小学校五年生の時。クラスわけで中年女教師になった。そいつがもう大変でヒトラーのような教師だった。それまで軽度のからかい友達同士での喧嘩などがあってもそこまで深刻化することはなかったが、彼女クラスになってからはそれが原因なのか毎日吊るし上げをくらった。集団をまとめるための生贄にされた。毎日帰りの会で1~2時間立たされ罵倒言葉を浴び、クラスメイトたちに嘲笑され、腰巾着女子クラスメイト三人に毎日粗を探された。一緒にいじめを受けた多動気味O君は一年で根を上げて転校していった。そりゃあ、毎日のようにビンタを張られて一人だけ黒板に机の前部分を付けさせられて隔離されて授業を受けさせられれば転校したくもなるだろう。六年生の次の年からはO君と仲が良かった俺が本格的にいじめられることとなった。

六年生になったがまるでこの世の地獄だった。クラスメイト男子から暴力をふるわれたのにいつのまにか俺が立たされ、罵倒言葉を浴びせられた。そのころにはもう辛すぎて現実逃避が上手くなっていた。今でもオレンジ色の夕日に照らされ、泣きながら立たされていたことを思い出す。それがとても綺麗だった。そのうち小学校低学年に時を戻したいと思うようになり、実際に巻き戻った夢を見た。過去に戻った俺は高学年の頭を持っているのでクラスをあっと言わせるのだ。現実自分と強くてニューゲームをした俺、どっちが本当に自分なのかわからなくなった。というかどうにかして現実から逃げたかったんだろう。小学生の俺、可哀そうに。そういえば毎日のように些細なことで泣いていたと思う。

その後も家出したりなんなりありやっと卒業した。やっと開放されたと思った。だが現実は甘くなく、俺は学校生活が完全にトラウマになっていた。2年間かけて自尊心を根っこからカチ折られて、極度の人間不信精神不安定になった。中学高校で計5回程家出し、結局高校中退した。もちろん精神科のお世話にもなっている。

今、こうして当時のことを振り返っているのは、やっとその時のことに向き合うだけの心の余裕が出来たからだ。それまでは思い出そうとすると動悸がして苦しくなりどうしても思い出せなかったからだ。あれから約20年がたち、愛する家族にも恵まれて、やっと向き合えた。

今、思い出してみればいじめ当事者たる教師やクラスメイトも哀れな人間だったのだと思う。

ちなみに親はまったく気付かず、俺も言わなかった。もし話していても頭の固い親を説得するだけの知恵はなかったから結局同じだっただろう。

とにかくそういう時代だった。

いじめはなくならないだろうが社会意識を変えることは出来ると思う。

もし今、いじめられている子がいるのならば思うのだけれど、出来れば死なないで欲しいと思う。人生めちゃくちゃになっても諦めなければなんとかなる。

俺はあまり出来なかったから強くは言えないのだけれど、出来なかったからこそ諦めないで欲しい。

2014-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20140707205627

まったくもってその通りだと思う。

不思議なことに、この会社に来て帰りの会光景を思い出したんだ。

今度は私からあんな記憶忘れてやる。

ありがとう

2014-07-07

意味のない反省

私が小学2年生の時だ。

帰りのホームルームを「帰りの会」と呼んでいた。

担任のNが提案した。

「これから毎日帰りの会で『今日反省』をすることにしましょう」

今日反省』とは一日を振り返り、文字通反省することだ。

活発な生徒は率先して手を挙げる。

今日僕は、図工の後片づけがビリでした」

斎藤君が理科時間ふざけてました」

毎日毎日ネガティブ情報を曝け出す。

ある日担任Nは

「良い行いをみつけるのも、『反省』ですよ」

と言ったが、相手は小学2年生である

反省』すなわち、悪さを暴き『シュンとする』ことこそが反省なのである

それがキッカケかどうかはわからないが、

私は常に反省をしてきた。

些細なことをみつけては内省する。

反省すべき事柄は忘れてはならない。

自分ダメ人間だと責めるのが終着点だ。

誤ちをおかさないよう、誤ちをおかさないよう

怯えながら生きて大人になった。

誤ちとは、物を盗んだり人を傷つけたりする犯罪のことではない。

メモを丁寧にとるとか、尊敬語を間違わぬよう使うとか、

切手をまっすぐに貼るとか、

そういうことである

社会人になると、仕事ミスを極端に恐れた。

ミスをすると取り返しのつかないことになる!!

ミスなくクリアすれば良いのか?NOだ。

ビジネスマンたるものタイピングは一分で何文字以上の速さで打たなくては。

ホチキスの位置と角度を等しく…

生きるとは、なんと辛いものだろうと思った。

しかである、先輩も上司ホチキスなんぞ見ちゃいなかった。

社内システムがメインで、エクセルほとんど使えない先輩。

提出した書類に誤りがあったって

上司は先輩を叱っても、必ず解決方法と再発防止策を提出させる。

先方に詫び、それでおしまい

引きずったらミスミスを重ねるので、決して引きずらない。

私の見たことのない生き方だった。

ミスをしても明日がある。今の会社で教わった。

反省をしなさい」とアラを探しては萎縮させるだけの2年生の帰りの会

より良い未来を築くための提案会という趣旨だったのかもしれないが

ほのかなモラハラ臭かなとも思う。

2014-06-12

小学生の頃、自分が在籍したクラスが何度か学級崩壊した。

小学生の頃、自分が在籍したクラスが何度か学級崩壊した。


大学卒業したての若い女性教師は、子供

腕を鋏で傷つけられて、来なくなった。

昔は問題児のいたクラスを立て直したらしい

ベテラン男性教師はノイローゼ学校に来なくなった。


少子化の流れを受けて、同学年はおらず1クラスだけ。

人数は40人ほど。田舎の小さな町の小学校だった。

中学卒業までほぼメンバーは変わらない閉鎖的な近い将来が分かりきっていた。


怪獣が何匹もいた。

授業中に座って話を聞けなくて歩き回る子(今思えば多動性だったかもしれない)。

先生質問に意地の悪い野次を飛ばし続ける子。

入学してすぐ、「問題児が多いクラス認定」をされた。

授業妨害は当たり前だった。算数割合の授業がほぼすっぽぬけてたから塾に行った。

そのころ、ニュース教育の元の暴力タブー化されたことを盛んに報道していて、

口で言ってもわからない子がいても、簡単に子供を叩けなくなった。

子供たちも、それが切り札に成り得ることを十分知っていた。

「殴ってみろよ、クビにしてやるわ」と問題児たちは口を揃えて先生に言ってた。


何人かの問題児以外のその他大勢は、クラス日常にだんまりだった。

そういうのをとめる子は誰一人としていなかった。

私も含めてクラスの中心人物の「ガキ大将」にいじわるされるのが、

当時はとてつもない恐怖だった。



ガキ大将といっても、恰幅のいいジャ●アン的な感じじゃない。

ハーフで眉目秀麗男子だった。武道を習ってた。傍若無人だった。

母親が異国の人で日本語がほぼしゃべれず、子供に対して過干渉。

父親がは日本人で異常に厳しく直情的で、同じく過干渉。

過保護で厳しい親の前では従順

そのストレス学校で発散している、というのがクラスの子供達の中での共通認識だった。



あるときPTA会議?があった。私も母親についていった。

クラス問題児の親はほぼ来ていなかった。

あの人たちはいつも仕事で忙しいからと、母が言った。


問題のある子とそうでない子を分けてクラス編成し直してほしいという声が上がった。


その場に数人いた私達子供らにとってはすごく嬉しかった。念願だった。

そんな夢みたいな話があるのか?大人ってすごいと思った。

誰かがお母さんにお願いしたのかな?でも、これで、帰りの会が長引くのも、全校集会で怒られるのも、

算数事業を妨害されるのも、いついじわるされるかこわかった毎日もみんな終わるんだ!と思った。

子供たちだけ別室に移されたときも、皆同じく高揚していた。泣いてる子もいた。やっと開放されると思った。


耳を疑ったのはすぐのことだった。

「他の子供たち(問題児以外)はみんなで支えあっていきたいって、仲間だってきっと思ってる!

そんな子供達の思いを踏みにじるんですか!個性を除外して、認めてあげれない学校なんですか!!」

この一言を言いはなったお母さん、泣いてた。なんで泣いてんだよと思った。

あんたの息子、問題児いじめられてるって知らなかったのかな?



結局その一言で、淡い夢は終わって、わんふぉーおーるおーるふぉーわんという語呂がよくて気味が悪い

学級目標が設定された。ぎせいになれってことなんだと思った。

小学校卒業間近、タイムカプセルを埋めたいと皆で担任教師にお願いした。

「あんたたち卒業間近まで先生のこと苦しめるの」と言われた。

みんな(問題児除く)で、学校の裏山にグミの木を植えた。


中学にいっても、問題児たちは相変わらずだった。先生たちは一生懸命だった。

先生問題児たちは卒業式とき抱き合って泣いてた。

先生は、その子たちにつきっきりだったしね。悲しいよね。手のかかる子ほどかわいいよね。

学校生活の主役は間違いなく彼らだった。さっさとみんなでカラオケにいった。


ガキ大将高校いじめられたと聞いた。

でもいまは少し太って地元平和や愛を歌うラッパーになったらしい。ピースフルだね。

取り巻き問題児たちも、今はどっかで働いて、いまだにみんなでつるんでるらしい。こりないね


あのときクラスが分かれてたら(たぶん無理なのはわかるけど)

どうなってたんだろうと、最近橋本さんの提案をニュースでみて思う。


それなりにまじめに生徒やってる子の人権無視されてきたんだし別にいいじゃん。

問題児をとめない周りの子が一番悪いという持論を展開する大人も一定数いるし)

それでも反対する人がいるのは、世の中の不条理さに慣れておく訓練を、

学生のうちにしときなさいってことなのかな。きびし~!

世界ひとつだけの●、何度も何度も歌わせたくせに~!

もう学級目標も、やられたらやり返せ甘えるな。とかにすりゃいいのに。


あのグミの木どうなったんだろ。

2014-04-24

教師も私たちと同じ人間だ、と初めて理解した時のこと

もう20年近い昔の話なので、詳細は覚えていないのだが、「同じ人間だ」と理解したということだけは非常に深く印象に残っている。

私は田舎のんびりした町で生まれ育った。中学1年生のころまで、先生は難しいことを知っている立派な人だと思っていた。担任先生のことは、若いイケメン先生も渋いオジサン先生も肝っ玉系おばちゃん先生も、だいたい大好きになった。

中学2年生の時の担任は、新任の女教師だった。何がそんなに嫌だったのかはもう忘れてしまったが、ヒステリック理屈に合わない(と子供心に思うような)ことを言ったり説教したりしてくるので、私や友達はその先生のことが嫌いになった。陰で先生の悪口を言ったり、説教に反論して帰りの会を泥沼化させたりしたこともあった。

そんなふうにして中学2年生の1年間は過ぎ去った。だが残念なことに、3年生になってクラス替えが行われても私の担任は変わらなかった。一緒に悪口を言っていた友達は別のクラスになった。私は落胆した。

転機は修学旅行の夜に訪れた。旅館の部屋の床に布団が敷き詰められ、友達と枕を投げながらガールズトークを繰り広げる。やがて消灯の時間になるが、まだまだ話は尽きていない。明かりを消してひそひそ声で盛り上がる部屋に、担任が入ってきた。怒られる、と思ったが、そうではなかった。先生私たちの話に加わって、一緒になって別のクラス女生徒の悪口で盛り上がっていた。それを聞いて私は初めて、彼女私たちと同じ人間だ、10歳も年の違わないただの小娘にすぎないのだ、ということを理解した。

生徒と一緒になって他の生徒の陰口を言うなど、教師としてあるまじき行為、かもしれない。だがこの経験は私にとって良い方向に作用した。

彼女が同じ人間であることを理解したら、彼女理屈に合わない言動も少しは許容出来るようになった。いままで先生という存在完璧を求めすぎていたのだ。この一件以来、彼女と私の関係もいくぶん良好なものになった。おかげで卒業まで穏やかに過ごすことができた。

2014-03-27

動物トイレ

保育園では、トイレ時間が決められていました。

朝会のあと、給食のあとお昼寝の前、お昼寝のあと、その三回だけ。

園児数十人が廊下まで一列に並べられ、トイレの中で男の子は小便器に、女の子は個室へ別れていきました。

それ以外の時間尿意を催したとして、先生にそれを告げて集団を離れることは、僕にとって、とても考えられない課題でした。

幸い、その周期に馴染むことができていたためか、おもらしをした記憶はありません。


お昼寝の時間には、しばしばおねしょをする子がいました。

それを見ながら、あれは恥ずかしいことなのだと覚えました。

幸い、僕におねしょ癖はなかったため、それについては多数派の目をしていました。

皆と違うということが、どれほど目立ち、恥ずかしいことなのかということを知りました。

ただ、僕にも皆と違うある特徴があって、自分普通ではないということは自覚していました。



小学校に入って、休み時間には自由にトイレに行って良いことを知りました。

しかし、授業時間中に、先生にそれを告げて行くということは、もちろんできないことでした。

今まではトイレ時間を決められていたせいか、自分尿意の間隔、その時間感覚が僕にはよくわかっていませんでした。

帰りの会で、全員で「さようなら」と挨拶をした瞬間、ついに限界が来て漏らしてしまったことがあります

学校でお漏らしをしたのは、小学一年生の時、その一度限りです。

普通の子ではなかったため元々目をつけられていた僕ですから、床の掃除をさせられた後、長いあいだ、教務机をはさんで居残らされました。

理由を訊かれていたのか、反省を促したかったのか、内容はよく覚えていません。

ただ、自分感覚がわからず、授業中に行くこともできない子供だったため、僕にとっては仕方のないことだったのです。

何を話すわけにもいかず、ただ先生の気持ちが収まるのを待つほかありませんでした。


それからというもの、僕は排尿の間隔を決めました。

時間。この呪縛は今も続いています

外出をする時はいつもそれが頭にあります

それを越えるととても不安になります



中学校に入り、基本的なことは変わりませんでした。

事件が起きたのは二年生のときです。

休み。僕が堂々とせずに排尿しようとしたのを面白く思ったのでしょうか。

いつも僕に何かしらちょっかいをかけていた二人が、ジャージズボンを下ろそうとする、

出て行ったと見せかけて素早く戻ってきては陰部を見ようとする、などの行動を繰り返し始めました。

その騒ぎは遊びのように他の男子にも伝染し、数の暴力となって僕の排尿時間を奪いました。

それは昼休み中続き、五時間目をなんとか乗り切り事なきを得たと記憶しています

一人、止めようとしてくれた男子がいたように思いますが、いつだって少ない声は何も変えられないのです。

おそらく、それはいじめなどではないのでしょう。

彼らからすれば、全ては「ノリ」なのです。「空気」なのです。「遊び」なのです。

こちらから見れば、どんな罪が適用されるのかはわかりませんが、限りなく犯罪に近い迷惑行為です。

逮捕が可能になる14歳という年齢の直前の時期ですから、その線引きを恨むしかありませんでした。

当時の担任はそういったことに敏感な先生で、すぐに対応をとってくれました。

主犯格の二人と面会し謝罪をされる場を設けられました。

余程恵まれた人生を送ってきた人でなければ、このことにほぼなんの意味もないことは、わかるでしょう。

彼らが謝罪の心を持っていようとなかろうと、僕が彼らを心から許そうと許すまいと、何も変わらないのです。

もちろん、今となっては彼ら個人に対して強い怒りなどの執着はありません。

起こってしまったこと以外は、どうでもよいことなのです。


その影響がもたらしたものなのか、確証はありませんが、

それからの僕は、公共の場で排尿することがひどく苦手になってしまいました。

小便器に対面しチャックを下ろしても、同じトイレの中に人がいると、なかなか尿が尿道を伝わってこようとしないのです。

後ろになど並ばれては、とてもではないですがそのプレッシャー尋常でなく辛いです

時間の長さが不審に思われることが嫌で、排尿を終えたふりをして、出直したことも度々あります

そのストレスを避けるため、個室に入ることもありましたが、やはり学校などのお互いを知られている可能性のある場所では使えない手段です。

自動車学校などはとても嫌でした。

普通学校と違い教官も同じトイレを使うので、集団で、おじさん特有のあのノリで後ろに並ばれると、とても厄介です。


お蔭様で、学生ではなくなった今ではそういったストレスを感じることもなくなり、その感覚を忘れつつあります


同時に、いじめ便宜上日本特有のこの表現を使う)という感覚を忘れかけていた自分警鐘を鳴らしました。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。

結局、当事者しかからない、根本的には解決できない問題ですが、

歴史は繰り返してほしくないと、心より思っております



国民というものは知らず知らずのうちに、道路のように均されています

秀でたものは利用し、しかし真に優れたものは頭を打たれ、平らにされ、

ひどく劣り凹んだ部分があると埋め立てられようとします。地盤ことなど微塵も考えずに。


年齢と住所だけで区別され、管理され、数十もの個体を密閉空間に放り込むことは、果たして効率以外に何の利点があるのでしょうか。

このように書くと、やはり人間とは動物ではありませんか?


私達はいつも、心を殺して生きています

2014-02-02

女系育児系・夫婦系のエントリへのブコメ

 それぞれのブコメには賛同できたり、真っ向から「それはちゃうやろ…」と思ったり、新しい考え方に驚かされたり、オシャレすぎる発想にドン引きしたり、興味深い。

 興味深いが、男女系育児系・夫婦系のエントリへのブコメって、見ていると段々小学生中高学年の「男は損だ、女は損だ」を良い年した大人が相変わらずやってるだけに見えてくる事がある。

 男性がなかなかできない妻への寄り添い方 http://papalabo.com/2014/02/01/post-4784/ 最近で言えばこちらのエントリエントリじゃなくエントリにつくブコメの話。

 別に良い年した大人がネット上で泥団子合戦をするのが悪いとか言いたいわけじゃない。俺も泥団子投げるし。現実でやったら友達減るだろうし異性も寄ってこない。ネットでくらい好き放題言えばいい。

 ただ、ブコメを見てると小学校帰りの会が長引く時のアレみたいな気分になって、口の中に砂が入ってジャリジャリする感覚を思い出す。

2013-09-03

このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。

更新履歴


目次(長くて途中で切れてしまったので分割しました)



本文ここから

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1773671.html



これなんだが。

俺はこの記事を読んで、こんなネット教育はまったく論外だしとんでもないやり方だと思った。

ところがはてブコメントを見ると、約半数が賛成しててびっくりした。あまりにも意外だったので、ぜひ賛成している人たちの考えを聞いてみたいと思い、この増田エントリーを書いている。



はてなブックマークの現状》

まずはどんな具合に約半数が「賛成」なのか現状をざっとまとめる。

現状といいつつトップ10コメントだけだが、はてブページは 2013/9/3 12:40 時点でこんな感じ。順番もはてブページの通り。

賛成か反対かは俺の独断で分けてみた。

一部のユーザが大量スターしてるため(見たところ賛成派、反対派ともに各1名かな)、スター数と順番の関係おかしなことになってたりするが、大多数のユーザは1スター、たまに2スター3スターといった感じなので、状況としては、賛成・反対でまっぷたつと言っていいのではないかと思う。



《賛成コメントに対する俺の意見

あらためて賛成コメントを抜き出してみると、「この程度の」「体験させる」「経験しといた方が良い」「一つの試みとしてあり」といった言葉からコメントした人やスターをつけた人が、この授業での経験を軽くて大したことじゃないものと考えていることがわかる。同様に「試行錯誤」や「体験」「経験」「試み」といった言葉からは、やり直しのきくものだとも捉えているのだろう。



ほんとうにそうだろうか。「誹謗中傷したら実名さらされちゃう経験」って軽いものだろうか。その後の学校生活にたいした影響を及ぼさない経験

そうじゃないだろう。自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分名前付きで相手に伝わってしまうのだ。そうやって損ねた友人関係は簡単にやり直し修復がきくものだろうか?

大人でも大変なことなのに、学校世界のすべてというような子どもにとっていかに重大なことか。

誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコスト子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。

反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。



教師が実名ボタンを押す頃合いをちゃんと見てるからそこまで大変なことにはならないはず、とか、ネットでの失敗は結果が取り返しがつかないからこの程度の体験をさせることは必要、とか、そもそも誹謗中傷のような負の感情をもっている本人が悪いか自業自得だ、とか、そういう反論を受けるだろうか。

大変なことになるかならないか属人的な要素が強すぎて、授業手法として一般化するには危険すぎるし、ネットでの失敗が取り返しがつかないことを伝えるという使命があるにしても、それと子ども学校生活を引き換えにしてよいものではない。自業自得論については敢えてコメントすることもないだろう。



「この授業で伝えたいことは『誹謗中傷してはいけない』ではなくて『ネット匿名だと思って調子に乗っているとひどい目に会う』ということだから、この手法で問題ない」

この意見は賛成する理由として少しは有望な気もするが、やはり子どもに負わせるコストが過大だという反論を覆すには至らないのではないか



《まとめ》

当り前だが、俺はものごとには色んな意見があってしかるべきだと思っている。問題が複雑であればあるほど、正誤を判断するのは難しいし、そもそも何が正しく何が間違っているか確かなことは誰にもわからないことだってたくさんある。

消費税増税タイミングTPPの参加可否、移民受け入れ問題、原発再稼働か電気代値上げか、解雇規制緩和か派遣労働の拡大か、きのこの山たけのこの里・・・

こういった複雑な問題は人によって意見が違うのは当然だし、さまざまな意見がぶつかりながら社会的コンセンサスを形成していけばよいと思う。



今回記事で紹介されたネット教育はどうか。

繰り返すが色んな意見はあるだろうとは思う。この授業のやり方にしたって一部の教育関係者が考えつくこととしては想定の範囲内かもしれない。考えついたことを実際に提案し、なんちゃら会議に諮り、そこで働くべきブレーキ機能が働かず実現に至ってしまった。今回の授業はおおかたそんな経緯かな?・・・そう思っていた。

それがたまたまメディアの目にとまり報道されたが、きっと世論でもはてブでも盛大な批判を浴びて、このような授業は二度と行われないに違いない。そんなことを考えながらはてブコメントを開いてみたわけだが、予想は大幅に裏切られ、約半数が賛成を表明していた。



俺が驚いたのはこのような授業が行われたことそのものではなくて、はてブの約半数の人間が賛成を表明していたことだ。

ごくごく少数ならば「えーーありえねーー」で済ますこともできるが半数だと理由を知りたくなる。こんな授業が当り前のように全国の小中学校で行われるような世の中にはなって欲しくないし、自分の子どもをそんな学校に通わせたくないからだ。

からブコメ書いた人でもスターつけた人でもそれ以外の人でも構わない。

上の反対意見を見てもなお賛成なのか、俺が書いたことに対してどういう反論が成り立つのか、読んだ人、どうかよろしくお願いします。



2013/9/3 18:15ごろ ブコメ等への返信を追加



id:salvatore8 「反対のトップは賛成意見

反対のトップid:nakex1氏のコメントことですね。このコメントは「全員に公開して相互不信のタネをまいてしまうのはやり方が雑」と書いており、この授業のポイントである実名を公開すること」には明確にノーと言っており、俺の意見と近いという点で「反対」に分類しました。もっとも賛成反対は便宜上のものなので、異論があるのは理解します。



id:ktasaka 「誰に対するどういう方向の批判なのか不明。教師の学級経営がここまで信頼されていないものなの?自分でも簡単にできると思ってる?」

→わかりにくくてすみません。この授業手法の是非を「子どもに負わせるコストが過大だ」という俺の批判意見を読んでもらった上で、あらためて問いたいということです。教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキー方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。



id:mizunons 「この人は、いったいどういうパーソナリティ傾向の人が「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」と想定しているんだろう。その想定と、この懸案内容は一致していて妥当なんだろうか。」

小学生くらいの年代であれば「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」のは誰にでも起こりうることではないでしょうか。どのようなパーソナリティの子どもであれ、人を傷つける発言をしてしまうことはあるでしょうし(記事にも5分ほどで誹謗中傷が増え始めたと書かれています)、そうやって言われたことに傷つくこともあるでしょう。それが原因で当人同士の、あるいは友人まで巻き込んだ人間関係が壊れてしまうこともあるでしょう。もちろん全員がそうだという話ではありません。一般的に起こりうることとして想定可能な事態だと俺は考えてます



Twitter @coneko 「匿名チャット実名表示授業への意見。締めに「自分の子どもをそんな学校に通わせたくない」と言っているんだけど、こういう状況になっても悪口を書かないような子供を育てる、という気にはならないのかな。」

→ここは誤解されているようなので補足します。俺も3人の子の親として、自分の子匿名であれ実名であれ、事実であれ妄想であれ、悪口を安易に外に吐き出すような子になって欲しくないと思ってます。嫌いとか気に入らないという感情のものは人として誰しも持ちうるもので悪いことではないけれども、それを外向けに表現するには配慮が必要だという、当り前のことを当り前に学んで育って欲しいと思ってます。この授業で問題なのは、そういうことを率先して教えるべき立場の大人が、チャットで実際に誹謗中傷が増えてきたのを確認してから実名ボタンを押し「ほーらみろ悪口なんてめったに書くもんじゃないぞ」という、俺から見れば最悪の方法で教えようとしているという点です。親としてなすべきこととは別に、こんな授業がまかり通ってしかも賛同を得ている事実に、俺は驚きを感じています



2013/9/4 00:00ごろ ブコメ等への返信を追加。それ以降に面白そうなブコメついたのでまた来ますすみません



なんか全レスに近いかたちになってきた。暇だなー俺。まあ誰に迷惑かける話でもないし「なげーよ」という批判には「ああなげーよ!」で返したいと思いますレスしてないブコメについては基本同意だったり、レス必要としないブコメだったり・・・そんな感じです。同意してくれてるブコメにこそうんうんと頷いてレスしたいんだけど気持ちだけにしておきます



トラバ「賛成: HNの相手に悪口いうことあっても名前だしていわないだろ」

http://anond.hatelabo.jp/20130903210843

ブコメトラバありがとう。そうだね。チャット上のやりとりまですべて匿名ならば少しはリスクは減ると思う。ちなみにどういったルール、どういった運用でやっているか予測であれこれ書いてもしかたないと思ったので、実はい岐阜聖徳学園大学附属小学校に問合せてる。まあ匿名ダイアリーの記事ごときで回答が得られるとは思ってないけどね(問合せは実名でやったよ)。



id:uduki_45 「万が一のシミュレーションにもなるし、何より問題を表面化させることが大事だと思う いじめに関しては手遅れになってから解決なんてまず無理な話なんだし」

誹謗中傷シミュレーションではないよ。そして、いじめの表面化の大切さについてはネット教育とはまた別の議論だよ。



id:kanjin30203小学生くらいの人間関係って陰口言っててもちゃんとゴメンナサイすれば大概元に戻る。中学生以上にやらせるのは確かに危なそうと思うけどね。先生技量に大きく左右されるから全国でやるべきとは思わない。」

→「大概元に戻る」のが本当だとしても、この授業を実施する積極的な理由にはならないよね。



id:rx7502 「授業の手法にこだわってるけど、そんな小手先ではなくて、主眼が達成できているかや主眼が発達段階を鑑みて適切なのかで、授業を見るべき。成長させる上で、失敗させることも大切。」

→うーん、その失敗の重大さ、取り返しのつかなさを問題にしてるんだけどな。それからもうひとつは失敗のさせ方。友達との喧嘩トラブルを通して子どもは人付き合いを学んでいくものだけど、だからといって大人が意図的喧嘩トラブルを発生させようとするのは無しでしょう。実名さらされてさ。自分がそういう目にあったらと思うと俺は笑えないよ。



id:akikan2 「少し関連記事を探せば、「特定のテーマ上で、特定の個人を誹謗中傷しないルール」で授業が行われたことが分かる。大して調べずに匿名ブログで物事を語る大人を産まないためにもこの授業は必要なのでは。」

→これかな。情報ありがとうhttp://www.j-cast.com/2013/09/03182883.html?p=all ここには「特定の個人攻撃につながるものではありません」とはっきり書いてるね。いっぽうで日経記事には「5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた」と書いてあり、両者の記事は互いに矛盾してるよね。あなたは、なぜJ-CASTの記事が正しくて日経の記事が間違っていると判断したのだろうか。J-CASTの方が新しいから?でもこれは日経記事への反響をうけて教頭インタビューに答えたものだよね。日経の記事は第三者である記者が授業を取材した事実が書かれており、J-CASTニュース当事者である教頭コメントを紹介しているという点で、両者の言い分が矛盾しているならどちらを信じるかという問題だな。俺なら、第三者の日経の方に若干重きをおきつつ、予断ははさまずに態度保留するけどな。少なくとも後者を無条件に信じるのは少々危ういと思う。あとさ、具体的なテーマを与えるとなぜ特定の個人攻撃につながらないと言い切れるのか。俺にはなんの因果関係も感じられないよ。



id:QJV97FCr 「て言うか、あなたが何でこの授業に反対なのか書いてないよね」

→上記本文からコピペします。これが俺の反対理由→【「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコスト子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。】



id:tonapa 「多分に囮捜査的な手法だが、悪口はダメと理解していて当然の小六児童の間ですら、実際に「匿名前提の誹謗中傷が起きた」時点で意義ある授業だと思う。机上の知識だけで感情や悪意を抑え込める子供は意外と少ないよ。」

→その囮捜査は本職の警察ですら是非が問われてる(というか禁止されてなかった?)というのに、「机上の知識だけだと効果が少ないから」という理由だけで、その囮捜査子どもしかけるとは、それこそ問題では?



id:blue1st 「この人の論点とはちょっとズレるけど、「バレる可能性があるからダメだよ」的な方向での啓蒙果たして正しいのかな、と疑問には思った。」

コンビニ店長も同じ主旨のコメントしてたね。その通りだと思う。



id:kotetsu306 「"自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分名前付きで相手に伝わってしまう" ←「陰口たたいてたら『帰りの会』で晒し挙げ」なんて何十年も前からあるけど…?」

→ならやってOKということにはならないし、それを「大人が後出しで」やるのがどうなんって話よ。まったく別の問題です。



id:alph29 「そりゃベストではないけど、ただ「インターネットで人の悪口を書いてはいけません」と言う授業よりは(どうして駄目かを理解するためには)ベターだとは思うよ」

ベターかな。どうだろう。そうは思えない理由は本文に書いたつもり。そこに同意してもらえないなら仕方ないな。俺の思い込みが強すぎる面もあるのかもしれない。実際にはそんな心配することじゃねーだろ、こんなんで壊れる人間関係なんてないよ・・・てことかな。



id:kain397 「例えば、生徒全員に対して個人面談を行うみたいな指導方法もアリだと思う」

→多いにありだよ。ただ学校にいる教師だけでは時間がとても・・・という話になって、結局は教育予算の話になる。この記事では私立小学校の話だけど、それでも予算ありきで動くのは変わらないし、なによりこの問題は最終的には私立公立関係なく、すべての子どもに共通する問題だからね。



ちょっと脱線するけど、現状では教育カリキュラムネット社会対応したものにないというのは、親として俺が日々痛感していることで、それ抜きにしても、親が子どもネットとの接触、エログロとの接触やゾーニングについて積極的に動かなければいけないと思ってる。だってさ、ファミコンしかなかった時代と、スマホタブレットで隠れていくらでもSNSエログロに接触できる時代とは、気を配らなきゃいけないレベルがまったく違うんだよ。小学低学年の娘に見せたくないコンテンツがいっぱいある。大げさな話じゃなくてさ、仮に積極的に見ようと思わなくたってスマホウェブ閲覧すると下の方にアンアン言ってる広告がすぐ出てるよね。



もうここまで書いちゃうと何書いても嫌われるパターンかもな。俺ネットリテラシーなさすぎ。ごめんなさい。



id:fiiguy 載せたでー!



その2はこちら → http://anond.hatelabo.jp/20130904124430

2013-06-07

小学生の頃、先生が「勉強する理由」を教えてくれた

小学生の頃、帰りの会で、毎日先生一言何か言うコーナーがあった。

ある日、先生は「ぼくたちが勉強する理由」を教えてくれた。

それをずっと意識して生きて来て、今年30になり、

良かったと思うので、ここに書きたい。

先生はこのように言った。

-------------------

いいですか、みなさん。

これから先、君たちはもっと勉強していくことになります

勉強がつらいときもあるでしょう。

しかし、これから君たちは、あと70年も生きます

勉強というのは、その70年を楽しむためにするのです。

学校勉強が役に立たない、という大人は、

役立てるための努力をしていないのです。

どうか惑わされないでください。

例えば、みなさんの好きな、ダウンタウン松本人志

松っちゃんテレビで、「いい国作ろう鎌倉幕府」に関するギャグを言ったとします。

面白かったら、観客はドッと笑います

だけどもし、みなさんが、鎌倉幕府を知らなかったら。

そのギャグ全然面白くないかもしれません。

例えば、料理をするとします。

パスタを茹でる時、お湯を沸騰させないといけません。

だけどもし、君たちが、お湯の沸騰を知らなかったら、パスタさえ茹でられないのです。

例えば、海外旅行に生きます

そしてそこで遺跡美術館に行くとします。

みなさんが歴史の知識があれば、その場所は興味深く、物凄く楽しい場所です。

知らなければ全然楽しくありません。

例えば、話題になっている小説

それを読みたいと思ったら、基礎的な小説の読み方を知らないといけません。

算数は、これからどんどん難しくなります

ただ、色々な公式を覚え、基礎を積み上げれば、必ず解ける問題です。

この、「基礎を積み上げれば必ず解ける問題」は、

大人になってから、よく遭遇します。

これを論理力と言いますが、大人になって考え事をするとき必要な力です。

是非覚えておいてください。

去年は、阪神大震災がありました。

地震はどうして起こるのか。

人間はどうして死ぬのか。

どうしたら防げるのか。

何が必要だったのか。

身近なニュースを読み説くには、これから君たちがする勉強重要です。

世の中や物事の仕組みが分かれば、楽しめることが増えます

これから人生、あと70年あります

どうかその70年を楽しんでください。

楽しむために、たくさん勉強してください。

2012-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20121121101533

あれじゃ世の中がよくはならないだろ

はてなブックマーク小学校帰りの会でイイこと言おうとするメガネ君集団

メガネ君に何かを変える力は無い

パターン反応してるだけで想像力も新しいビジョンも無いか

2012-08-09

おもしろくない話

から全然おもしろくない話をします。

小学校低学年の頃、ボクらのクラスは小さい生き物を学校で飼ってもいいことになっていて、ボクも教室の後ろの棚の上にビンを置いてザリガニを飼ってたんですが、ある日学校に行くと何故かザリガニが消えていてちょっとした騒ぎになったことがありました。ザリガニがひとりでに消えるわけがないので誰かがどっかに持っていったのでしょうが、そんなことをするメリットもないのでよくわかんねえなあと思っていました。そしてその日の帰りの会の議題としてその件がのぼったのですが、何故か世論クラスのみんな)は一人の男子犯人扱いしだしました。ヨツツジくんという男の子でした。なぜヨツツジくんがみんなからそんなに責められているのかさっぱりわからなくて、ボクはぽかんとしていました。だってボクはヨツツジくんと仲が悪かったわけでもないし、なによりも一人放課後に残ってザリガニを連れ出すなんて目撃されるリスクを犯してまでやるような楽しいことじゃないと思ったのです。世論ますますヒートアップしヨツツジくんはザリガニを校庭にある池に逃がしたという疑いがかけられていました。ヨツツジくんはなぜか黙っていました。収集がつかなくなった頃、先生がヨツツジくんに「やったのか」と聞きました。するとヨツツジくんは小さな声で「はい」と言いました。彼は放課後にこっそりボクのザリガニを池に流したそうです。ボクにはさっぱり意味が分かりませんでした。そして急に怖くなりました。ヨツツジくんが犯人であるということよりも、なぜみんながヨツツジくんを犯人だとほとんど断定できたのか、そして犯行の状況まで知っていたのかということのほうがよっぽど恐怖でした。なにかボクの知らない情報網がどこかにあったのか、今になっては分かりません。ヨツツジくんはボク「ごめんなさい」と言って帰りの会は終わりました。ヨツツジくんになんでそんなことをしたのか尋ねると「ザリガニがかわいそうだったから」と言われました。そこにも違和感がありました。ヨツツジくんはどちらかというと生き物に対して残虐で、猫を放り投げてみたり、蜂を素足で踏んづけて得意がってみたり(それを食べてた)というようなキャラクターでした。そんなヨツツジくんから「かわいそうだった」なんて理由を聞いてもどこか気持ちの悪いものがありました。あの空間自分の知らない世界に紛れ込んだような非日常で、いま思い出しても怖くなります

いじめと友人

小学校の頃いわゆるいじめにあってた。

別に今となってはどっちが悪いと言うつもりはない。

ただこんなこと吐き出す場所なんてなかったからここに。

原因はといえば

年々視力が衰えているというのに常に裸眼であり、メガネというものの用途、便利さを知らずに過ごしていた。そのため常に細目だった。

それが人には睨んでるような人相に見えるらしく、帰りの会では大体つるし上げられる。

なんか自分の見ている世界はみんなにも同じように見えているんだろうとか思ってたよ。バカだな。

文字が読めないどころか他人の顔を認識するのにもかなり接近しなきゃいけなかったというのに。

あとは身なりが変。寝癖ついたままの髪に親が言うがまま買った似合ってもない服。

これもきっと一因。

そして気付けばいじられキャラ

笑い取ってればなんか面白いじゃないかと。

具体的にどう笑いを取ってたかは思い出せないが、それなりに笑われてたんだろう。

それがコイツには何やっても良いんだという風潮を作り出してしまったわけなんですが。

そんなこんなで無視暴力だとか。大津に比べればそりゃ屁でもないほど軽かったんだろうと思う。

比較するのも烏滸がましいんだけど、一番傷ついたのはこれ。

A「お前友達いると思ってる?」

俺「え。居るよ。B君とか」

A「お前に友達なんかいねーよバーカ」

B君に聞くのは怖かったから聞けてない。今でも。

子供って容赦ないね。加減を知らないね。よくこんな残酷言葉を軽々と吐けるなと。本人目の前にしててこれかー。

陰口もそりゃ相当吐かれてただろうが、目の前で言われるとダメージすごいのよね。

で、確か授業の中で作文をみんなの前で発表するようなことがあり、

その中で誰かが告発したのかな。

それで割と大事になったんだと思う。

クラス全員残され1時間説教。その後一部謝りに来たよ。いじめいじめ認識していなかったんでいいよと許したさ。

とりあえずしばらく収まった。

でも進級したら再発。結局中学まで合わせて6年間ほどか。

なげーな。ながい。

いじめられてるって親に言いたくないんだよね。

まして先生に言えば親にいくのは目に見えてるんだし。

子供からは言えないんだ。そこに気付いてあげて。教師。

大津仙台の二の舞にしないで。腐った教師になんてならないで。


後は蛇足

そんなこんなで地元の奴らが集まる成人式やら行かなかった。

自分にも幸いそれなりに仲のよかった奴らはできたのだが、大学の時にそいつらと発足した地元バレーサークル

なんだろな。そいつらと一緒にやってても地元にいるとどうも過去の柵がとれない。

気付くと一人になってて話し相手なんぞ居ないし。

話せるけれど無理矢理こっちが話してるような感じになって。それって友達か?

俺の存在価値なんて所詮数合わせじゃないか

そして皆が就職やらでほぼ活動休止。連絡さえ取っていない。

やっぱ俺にゃ友達なんていなかった。これから出来る気もしない。

Aの言った事が正しいとかそんなんじゃないが、元々が友達出来る柄なんかじゃなかったのかもなあ。

友達っつーのはなんだ。

2012-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20120613025714

自分小学校時代いじめられていたのを思い出した。

定番の○○菌ってやつ。

自分が触ったものには○○菌がついているから、だれも触らない。

席替えで横になった女子は本当に嫌がる。席は少し離れている。

フォークダンスは手を握っているフリ。終わった瞬間に結構な距離を置かれる。

なんだか、こっちが悪い気がしてくる。

マジメな話、自殺毎日考えていた。



学校では日記先生に提出するんだけど、ある日に親友がそれを見かねて書いてくれたらしい。

で、帰りの会でその日記先生に読まされ、自分号泣

その友達号泣いじめに加わっていた多数のクラスメイト達も号泣

「許してね」「悪かった」と口々に謝ってくれていた。

そんな中、やっぱり「我関せず」とばかりに帰る奴もいて、そいつらとは疎遠のままだった。

表立っていじめるようなことはしないけど、あからさまに無視をされている状態。

謝罪された奴らとは仲直りしたけど、やはり何か違う。距離を置かれているというか、心は許されていない感じ。



そんな中、親の仕事の都合で転校する。

転校先の学校では、いままでの自分は知られていないから皆が普通に扱ってくれている事がすごく嬉しい。

やっと自分が生まれ変われた気がしていた。


しかし、どこの学校にもいじめというものはあるもの。やはり、別のクラス児童が同じようにいじめられていた。

いじめに加担しないといじめられる。心が痛みつつも、積極的にいじめに加担しないまでも良くて無視



そんな小学生時代

2012-03-21

国立(こくりつ)大教育学部付属中というところ

私の4組はオタク集団だった。

政治オタク5人、読書家7人、変態ホモ5人、アスペ多数・・・


逆に1組は優等生集団。

先生のいうことを守る真面目君ばかり。


3組は小学校いじめ不登校になった生徒ばかり。


これらは入学時の面接で振り分けられる。



クラスごとで違うのは生徒だけではなかった。

1組の担任J先生は朝の会と帰りの会で3年間怒鳴り続けた。

帰りの会ふつうは15分のところをオーバーして20分、ときには30分と説教は続いた。

1組の生徒はいつも部活に遅れてきた。

「またJ先生が切れてた」と笑いながら。



ただこのJ先生、根は温厚な先生なのだ

J先生は私たちの国語の教科担任でもあるのだが、授業のとき一度も怒ったことは無い。



まりJ先生は「切れる担任役」だったわけだ。

ときどき生徒にこう漏らした。

自分は大変な中学に来てしまった」と。

(ちなみに上の学年も下の学年も、やっぱり1組の担任は切れる先生だったよ。)




授業のやり方もいろいろだった。

1年のとき理科を教えたS先生は、とても熱心な先生だった。

授業の初めにいつも問いを出し、生徒に考えさせ議論させ、実験で確かめる。

レポートも毎回書かせて、いちいち赤線で直して返した。



それが2年になったら同じS先生が不真面目になった。

授業の前半は雑談でつぶれ、後半は「みんな寝てていいよ」。

みんな不思議がったが、つまりは「怠慢先生役」に変わったのだ。



英語のE先生は、熱心な先生だった。

しかテスト返却のとき、うちのクラスの平均点は低かった。

先生は1時間愚痴った。

「どうしてこんなに悪いかなあ・・・。このクラスはちゃんと教えたはずなのに。」



“このクラスは”???????

ってことは、不真面目に教えたクラスもあったってことだよね。



まり「ちゃんと教えたクラス」と「不真面目に教えたクラス」とで有意な差が出ないと、文×省に提出するレポートが上手く書けないってことなんだよね。



社会のH先生テスト返却の時、うちのクラスの平均点が学年平均より20点近くも高かったのに、不機嫌だった。

怠慢役のH先生は、テストの出来が良くては困るのだ。

でもしゃあない。

だってうちのクラスの面々は、先生がちゃんと教えないので不安になって、みんな塾に通うようになったので、テストでいい点数を取ったのだから





結局。

付属中って生徒を使った実験校なわけ。

「真面目な生徒」を「切れる先生」が教えたらどうなるか??

同じ先生が「ちゃんと教える」のと「不真面目に教える」のとで学力に差が出るか??

かいうことをデータとって調べてるってわけ。

先生も「自分の子供は絶対ここには入れたくない」と言ってた。

2012-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20120217113001

さっきより若干マシになりましたが

幼稚園の年少さんが年長さんになったぐらいです

まだ小学校では「きちんとおもったことをせつめいしよう」って指導されるレヴェル

精神を病んでいることがわかっている人間に対して、

作業所に行け」なんていう煽りを入れてしまう最低

・彼は精神を病んでるのとは違うけど障害者です

はい、おれは「作業所へ行け」と言いました




で、なんでそれが煽りでなんで最低なんですか?

って聞いてるのさっきから

同じこと何回言われりゃまともな主張ができるんだ?




「たろう君はゆうこちゃんをけとばしました、

 けられたゆうこちゃんはいたかったとおもいます

 だからたろう君はだめだとおもいまーす」

みたいな

小学校帰りの会レベル

さいっていレベルの説明を求めてるだけだよ俺は

お前がそれ出来てないか

2011-07-02

秋葉萌え店界隈のツイッターとかとか

ミスコンの運営とか昔やったことあるんだけど、ミスコンって結局はプロダクションから女の子連れてくるので、ブログ書かせるのにも金が掛かる。

記事1本ウン千円とか。

もちろん、金払って書いてもらってるから、それなりのクオリティは求めるし、書いた内容もチェックした上で掲載してる。

芸能プロダクションとかモデル事務所所属してる子の公式ブログなんかもそうで、もちろんお金までは発生しないだろうけど、当然公式アカウントなんだから書ける内容も制限されてて、事務所がチェックしてるのが当たり前。

最近ツイッターやってる子も多いと思うけど、大抵こんな感じで運営されてると思う。


ひるがえって、昨今の秋葉界隈の、萌え店なんかで働いてるお店の子ツイッターとかなんだけど、

この辺の線引き、あまり適当なんだよね。ものすごく危なっかしい。

お店の公式アカウントじゃないのにお店の名前を書いている

普通、店に所属してる店員のツイッターアカウントだって明確にするなら、

たとえばリフレマーメイドミサキちゃんだったら@mermaid_misaki だったりするのが普通だし、そういうのを店が用意するのが普通だし、店のサイトからリンクされているのが普通

それが公式アカウントだよね。

でも、萌え店で働いてる子のアカウントってこうじゃないのが多い。個人に作らせて個人に勝手につぶやかせてるのに、お店の名前プロフィールに書かせて客とやりとりさせてる。

彼女らにとっては、店からもらったアカウントじゃなく、自分で作ったアカウントなんだから、そりゃプライベートなこと、ギリギリのラインまで書きたくなるのは当然だわな。

迷惑な客に傷ついたらそう書くだろうし、店の中で凹む事があったら、思わず書いてしまう子だっていてもしょうがないと思う。だっての子自分で作ったアカウントなんだもん。

要は制服の支給と同じようなもんでしょ?仕事垢は仕事と割り切らせてそっちで無難につぶやかせて客とやり取りさせればいいんだし、個人のプライベートな垢は、客とは交換しないってのを最低減の約束事にする。んで店側は一切関知しないってスタンス運用すればいいのに、おかしな話だわな。

お店が彼女らのつぶやきをチェックしていない

まるで何書いても構わない、って言われてるかのような感じで、フリーダムに書いてる子もいたりするよね。

まず、店の名前を出してツイッターさせてるなら、当たり前の話だけど、その子らのつぶやきは、毎朝毎晩、店側がチェックすべきだよね。

所属の店員のアカウントリスト化して定期的にプリントアウトでもすれば済むだけの話なんだし。


この辺の線引きをおろそかにしてると、例えばA子を前々からよく思ってないB子なんかが、A子がつぶやいたお店のマイナスイメージツイート抽出したりして、マネージャーに出したりして、『A子ちゃんって店の名前出してこんなことばっかりつぶやいてますけど大丈夫なんですか?』とかね、言っちゃったりしかねない。んで店側は普段から彼女らのツイートをチェックもしてないから、一方的にB子の言うことを信じちゃったりしてA子が罰せられちゃったりする。ちょっと待てよと。それってそもそもルールもなく野放しにしてた店側の問題じゃね?って話。これでA子が辞めでもした日にはね、自分の店は店員同士が足の引っ張り合いをしてるマヌケな店ですよー、なんて、自分から言っちゃってるようなものだよね。

しまいには、"お互いのつぶやきをお互いがチェックして、おかしいなとおもったのはマネージャーまで報告してください"とかさ、まさかとは思うけどそんなルールで運営してる店とかないよな?どこの小学生帰りの会だよって話だぞ?そんなもんはマネージャー自分でチェックしろやって話だ。


なにかがあってからでは遅いんだから、こういうの、特に秋葉系萌え店界隈の方々、今一度考え直して運営した方がいいですよ?

2010-07-13

無邪気って怖い

中学生の頃、私も友人も真面目で、性的な事は何一つ知らなかったし

勿論、おちんちんが勃つ事だって知らなかった。


私と友人は隣のクラスの友人と一緒に部活に行くため

その子がいるクラス帰りの会が終わるまで

その様子を教室の後ろの窓から覗いていた。

その時、女子中学生2人は学級委員帰りの会の司会をしていた

佐藤君の股間の膨らみに気付く。


「ねぇねぇ、佐藤くんの股間膨らんでない?」

「なんでだろ?すんごい膨らんでるよ!」


そして凝視する女子中学生2人。


佐藤君は顔を真っ赤にしながら帰りの会を続ける。


佐藤くんの顔、真っ赤なんだけど」

「見て見て、すごい膨らんでる!!」

「ハハハハハハハハ!!」


なんて可哀想な事をしたんだろう。

何かのはずみで勃起した佐藤君の股間を笑って指を差し

顔を真っ赤にして完全にフル勃起佐藤君。


タイムマシンがあったなら

江戸時代に行って歴史を満喫するでもなく

大学入試ミスる前に自分自身に忠告しに行くでもなく

佐藤君に謝りにいくべきだと思っている。

2010-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20100427125613

同感

無駄を排除したり税金を吸う寄生虫をいぶりだしたりするのは大事なことだけど

れんほうを初めとする仕分け人がどうにも賢そうには見えない



いや、賢そうは賢そうなんだけど

小学校帰りの会レベルの賢さって言うか

2009-10-11

正論暴力閾値みたいなもの

一人が間違ったことを言った時に、2〜3人がそれを諌めたら、4人目は出てこないことが多い気がする。

4人目が出てくると、さすがにもういいだろ、みたいな感じで、かえって4人目が諌められることがある。

4人目が1〜3人目と同じ指摘を繰返してる場合に限らず、たとえ新たな視点からであっても、美しくない物として諌められる。

(心ない4人目が諌められなかった場合、堰を切ったように、残った人々も寄ってたかって諌め始めることが多い気がする。小学生の「帰りの会」で一人の悪童を吊るし上げる時の、アレ。)


論理的な指摘・反論は善である」という思想は、弁証法を前提にしている。

複数の正義(仮)が対峙している時に一方の正義(仮)を相手に叩き付けて良いのは、叩き付けられた相手が(再)反論することによる公正な競争から、よりもっともらしい正義に近付くことができるからだ。

もし相手に自分正義(仮)を一方的に押し付けられる状況があれば、その時はこの弁証法の前提を欠き、「論理的な指摘・反論」(=正義(仮))は悪となる。


ところが、(再)反論には労力がかかる。

敵の正義の量がキャパシティを超えると、敵の正義それぞれが各個撃破可能であっても、物量に負けて敵の正義を打ち砕くことができなくなる。

逆に言えば、すでにキャパシティを超える我らが正義に晒された敵正義に対しては、ノーリスクで自正義をぶつけることができる。

(吊るし上げによって、生意気クラスメートを泣かせることができる。男子も含めクラス全体で一致して、頭が良くて強気なヤツを泣き崩れさせるのは、実に気持ちいい。)


であれば、キャパを超えるだけの量の正義に晒された敵にさらに自正義を主張することは、相手に自分正義(仮)を一方的に押し付ける行為であり、悪である。

だから、「4人目」は悪として諌められる。

しかし「4人目」の閾値突破して吊るし上げ状況になれば、圧倒的多数は故に自分達が悪であることは顕在化しないから、快楽をほしいままにできる。


で、まぁそれはいいんだけど。

はてブって、ブコメに対するコメントをすこぶる付けづらい構造になってるから、「4人目を諌める」作用が働きにくい気がする。

この歳になると「帰りの会」なんて無いから、久々に童心に戻れる大変気持ちいいシステムだ。

2008-12-17

my nature is ...

消したようなのでバックアップしておく。

http://anond.hatelabo.jp/20081216205541

僕の周りにいる人間はみんな馬鹿でして、ああこいつなんて頭が悪いんだと思ったことは数知れず、いや、数はどうでもよいのですが、僕が人を見下すことにかけてずば抜けた才能を持ち合わせているのかについて多少書いておこうかと。

小学校に入学したときから卒業するまで、ずっと「今学期先生クラスみんなの前で名指しで何回褒められたか」を数えることを欠かしませんでした。授業中積極的に手を上げた、1回、進んでクラス委員を引き受けた、1回、今学期は12回だったので前より減ってしまったな、とこのような調子でした。クラスみんなの前でというのが大切な条件であり、例えば班を組んでいる中で褒められたものは数に含めません。どのように振舞えば先生に褒められるか考え、意図した行動で褒められればよしやったという気分になりました。3年生と4年生のときには、帰りの会でその日のクラスメイト善行を褒め非のある行いを諌める制度がありまして、そこでもできるだけ僕の名前が出るよう、音楽時間には楽譜の読めないクラスメイトのために楽譜カタカナのド・レ・ミを振ってやったり、給食係の後片付けを手伝ったり、分度器を2セット持ってきて忘れたクラスメイトに貸し与えたりと、さまざまな恩を振りまいていました。恩のパターンを増やしてできるだけクラスメイトが僕を褒めやすくするよう気をつけ、また適度に僕もクラスメイトのよかったところを褒め、褒められてばかりの状況にしないよう気をつけました。おかげで先生の僕に対する心証はすこぶるよろしく、三者面談ではクラスの中心になってよく頑張っていると必ず褒められ、毎学期の通信簿も上々の出来でした。いや、さすがに小学生の僕でも意図してここまで厭らしく点数稼ぎを行っていたわけではなく、どのような振る舞いをすればよく見られるのかということを意識しないまでも身体に染み付け、そう振舞うように僕は自律していたのでありました。

僕が勉強しなくてもよい成績を取れることに気がついたのは中学生の時分でありまして、テスト前に1週間くらい勉強すれば普段はなにもしなくても簡単に高順位が取れる、勉強時間では周りの生徒より少なかったかもしれません。そのころは親や先生や友人にちやほやされて気をよくしていたものですが、高校に入ってからは同じやり方で学年トップが取れるようになりまして、周りの皆様は僕のことをさらに頭がよいとみなすようになったものですから、すっかり天狗になってしまい、それと同時に頭がよいことは僕のアイデンティティであり触れえざる自尊心のよりどころとなりました。これで周りの人間普通に接することができれば僕は普通秀才君になれたのですが、元より卑しい性根の持ち主ですから、必死に勉強して自分より成績の劣る生徒を見下すことに快楽を覚えるようになって、それでもその卑しい性根を表面に出さなければまったく問題のないことなのですけれど、そんなことできるわけもなく、勉強の話になるとどうしても自分を売りたくなってしまいます。河合塾模試で全国20位くらいになったときが絶頂期でした。教壇の前で先生から模試結果と図書券をもらった日には、一日中にこにこと気色の悪い笑みを浮かべ、友人が僕に模試の話題を振ることをまだかまだかと期待していたのでした。そんなことをしながら僕は自尊心をさらに肥大化させるのですが、臆病な自尊心尊大羞恥心といったところでしょうか、恥をかかされることを極度に恐れ、周りもそれは察していたようで何か壊れやすいガラス細工の置物のように僕を扱うようになりました。

それなりによい成績を維持し続けることができたので、大学も難関と呼ばれるところに合格し晴れて入学、さあ知の世界とやらにはどんな人間が集まるのかと期待していたものの、1年くらいたつと、あれっ、どうも違う、こいつらは自分と同じくらいの学力のはずなのにどうにも頭が悪いらしいと感じるようになりまして、そうなるとさあ持ち前の腐った性根の出番だ、友人との会話にちょっと難しい言い回しを使ってみたり、アーレントだとかフーコーだとか少しかじっただけの知識をべらべら披露してみたり、そうすると友人は僕のことを頭がいいと尊敬するようになるので、僕の悪癖は余計に拍車がかかるのでした。小難しい言い方をするやつは頭がいいと見せかけたいだけで本当は馬鹿だなんてよく言われますが、これは案外あたっているような気がします。

大学生はみなTOEICを受けるというので僕も受けてみところ、1回目は何も対策を採らずに740点くらい、世間では皆様が730点を突破するのに必死こいているのに僕は易々と通過してしまい、2回目は3日勉強して830点くらい、何だ簡単ではないか、TOEICが難しいといっている連中馬鹿ではないのかなどと今でも思っているのですが、とにかく程ほどの得点が取れたのでTOEICには飽きてしまいました。TOEIC830点なんて何のことはない、実はTOEICで流れてくる英語が聞き取れるだけで、普通英語英会話教室の教師のようにゆっくり話してもらわないと聞き取れませんし、会話などできるわけもなく、外国人教官に質問するときはあらかじめ質問文と対応を考えておいてそれをそのまま述べるという情けない有様でした。それでいてリスニングスピーキングの特訓をして英語力をつけようともしないのです。なぜならばれて恥をかく心配がほとんどないから。己が羞恥心それだけが汚されないために勉強してきた人間なのです。そのような恐れがなければ当然努力するはずもありません。

僕の怠惰性格はとうとう大学へ通うことすら妨げるようになりました。と、ここで疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。「大学へ行かないで引きこもるのは恥ではないのか?」そこは舌先三寸、まず「自殺したい」と言って心療内科にかかって抗鬱剤などを処方してもらい、家族教官に「鬱になった。医者に薬を出してもらった」などと言えば、大概は「無理をしてはいけない、しばらく休むといい」と心配してもらえます。最近はこのように鬱でもないのに医者にかかって「自分は鬱だ」と言い訳をする人が増えているらしいのですが、自分の両親は落ち込んだ表情と声色を使って「鬱で死にたくなった」と言っておけば簡単に信じ込むことは心得ておりましたので、当初の見込みどおりに鬱を装い実家帰省、こうして日本にまた一人のニート誕生したのでありました。いや、人を騙すのは簡単だ、両親が二人とも馬鹿でよかったと、そんなことをたまに考えることがあります。

未だに僕の邪悪な性根、穢れた精神は誰にも知られておらず、嫌味なやつと思われることはあってもここまで腐りきっていることは誰も想像できないでしょう。裏表のある人なんてのはかわいいもので、外見は変哲もない人間、中を見たら中はダニゴキブリ、ハエ、蟲、蟲、蟲、糞便、尿、吐瀉物、血液、汚泥、悪臭、ありとあらゆる汚物が満ち満ちており、誰も想像しえぬほどの穢れた、醜く、忌まわしき、獣の、ああ、言葉では言い尽くせないほどの本性を僕が隠し持っていると考えるだけでも、気持ち悪い、殺したい、殺したい、殺したい、なんとかしないと。

鏡で自分の顔をずっと見つめていると段々おかしな気分になってきて、鏡に写っているのは本当に自分の顔なのか、実はそうでもないような気がしてきて、そんなはずはないのだけれど、物理法則は絶対のはずなのだけれど、頭の中が掻き回される感触、ぐるぐる、ああ気持ち悪い、見ていると吐き気がする。

少し落ち着きました。ついでにネット上での活動も懺悔ついでに書いておきましょう。一丁前にウェブサイトブログも運営しておりまして、そこでもまた例のごとく、どこかで聞きかじった知識をつぎはぎしてさも自分で考え出した理論であるかのように雄弁を、そうネット上では雄弁をもって披露していました。それらしいことが書いてあるので馬鹿がどんどんブクマしてくる、まともな人が見れば「これはひどいタグをつけるところでしょうが、若干のアカデミズムをちらつかせておけば文盲を引き付けることは十分容易いのです。「こいつら本格的に馬鹿だなあ、これでネットリテラシーとか言ってたりするのかなあ(笑)」などと思いながら、一方では人がたくさんいる掲示板を首尾よく荒らす方策などを練っていたり、はてなにいくつかアカウントをつくって気に入らない記事にネガコメ攻勢をかけるなど、裏ではネットの荒れ模様を作り出すことに労力を費やしていました。2ちゃんねるで6年くらい続いていたスレッド糞スレ化することに成功したときは快感でした。FAQに載っているような質問をパターンを変えてしつこく繰り返す、自分で投稿した質問に対して「テンプレ読め、ぼけ」などの煽りを入れるとたいてい誰かが加わってくれます。自作自演と見破られないように手を変えながら同じことを、徐々に間隔を詰めて繰り返し、返答の煽り具合も過激にしてゆけば、次第に通常の質問でも荒れ出しついに人がいなくなってしまうという手法でした。かなりたくさんの人数を操作できたので非常に満足しました。よもやあの○○さんがこんなことをしているとは思わないだろう、あはははは。

ネットは僕の本性を活かすには恰好の舞台でありました。リアルな僕の存在を知られる可能性は警察沙汰にならなければ限りなく0に近いので、僕は本性に従った行動をほぼ無制約に起こすことができ、それは大変素晴らしい所でした。甘美。エクスタシー。こんな馬鹿げた駄文匿名でなければ流すことはできないわけでありまして。

人間はみな、かくも恐ろしき二面性を持ち合わせているのでしょうか。僕はいつからか自分の本性に薄々感づいていましたが、自分内面を覗いてみたついさっきはっきりそれを自覚したため、言葉にして綴ってみたら気持ちの悪い感覚が離れず、自分の身体の中はどうなっているのだろうか、本当に筋肉があって臓器があって人間の身体なのだろうか、皮膚を切ってみたら肉は少し見えたけれどバラバラにしないと本当のことはわかりそうにないので、しかし自分でバラバラにして自分の目で中を見るような器用な技は持っておらず、諦めるしかないのかなあ。考えれば考えるほど、螺旋階段を下りるように、闇の底へ、もう戻れない、何もないのか、いつまで続くんだこれは。

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