はてなキーワード: コミュニティとは
日常的に英語から直訳された日本語の文章に触れている人々は、そのような文章の持つ特徴的な様式を真似ることができるかもしれません。私は英語話者ではありませんが、それらの様式を用いて書かれた文章をどこか奇妙に感じると同時に、魅力的にも感じます。しかしながら、不運にも、どのようにすればそのような文章を書くことができるのかについて語る人を私は見たことがありません。そこで、私はこれまでの経験から英語から直訳された日本語の文章が持つ特徴を思い出し、それらを箇条書きにしました(それらの特徴は絶対的なものではないことに注意してください:ソフトウェアによる翻訳の精度やあなたが普段話すコミュニティなどによって左右されるでしょう)。
(1)文頭の副詞。驚くべきことに、普段用いられる日本語では文頭に副詞が挿入されることは多くありません。
(2)指示語の多用。「そのような」、「これらの」、などこれらの指示語はあまり使用されません。特に「これらの」など複数のものを指示する語は日常的には殆どお目にかかることはないでしょう。
(3)コロンおよびセミコロンの使用。日本語の文でこれらの記号が使われることはまずありません;私もこれらの意味を正確に理解していません。
(4)長い主語。膨大な修飾句を伴う名詞を主語として用いた文章を日本語の日常会話で用いることは稀です。
(5)体言止め。大きな、しかし細いゴシック体で表示された簡潔なキャッチコピー。
(6)主語の非省略。あなたは「あなた」と頻繁に書かれた文章を日本ではあまり見ないでしょう。
(7)主語の過剰な省略。(6)と合わせてダブル-バインドされます。
私がしたいことは翻訳の精度の低さをあざ笑うことや「奇妙でない」日本語を称揚することではありません。むしろ、他愛もない話の種の共有、そして裏を返せば日本語を他の言語に翻訳する時も同様の奇妙さと魅力が生じているかもしれないこと、しかしいかなる重要な問題も生じていないことの示唆が私の目的です。上述の7点を覚えていても(覚えていなかったとしても)、あなたの言語活動が楽しいものになることを願っています。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
こういう、ちょっと文芸的なレトリックを少しでも入れた記事を書いたときの反応なんだよな。
このタイトルを見て、本文を眺めて、ラストの〆までをサラッと目でなぞれば、「ああ、このタイトルの「有害な」は制限用法か非制限用法かと謎かけをして、最後に答え合わせをしてるんだな」くらい一瞬で理解して欲しいんだけど、その程度のよくある遊びも気づけない、気づけないほど文章を全体的に把握する訓練ができてないのがここで読書家ぶってインテリぶってるアホどもなんだよな。
そういうの相手に、ついつい自然にこういう文章を書いちゃうから、失望だけがたまる。
これも毒親がいけなかったのか、毒親にプラスして環境ガチャを外しまくったのがいけなかったのか、
どちらにもまったく問題は無くて、生まれ持った元増田の知能の問題なのか・・・
まずは下記の2点の解決だと思うんですけど、
いちばんの問題は『自分以外の何か』になろうとしていることだと思うんですよね
いろいろ否定されて・いろいろな事情に拘束されて、自信をなくした陽キャDQN(キョロ充)は、
なぜかオタクコミュニティに混ざろうとしたり、自分は○○が好きなオタクと自称を始めたりするけど、
陽キャDQNは陽キャDQN、これは生まれついての性質で、自信無くした程度じゃあ変わりやせんのです
オタク気質も生まれついての性質で元増田はオタク気質では無いってだけです
性質が外向いている人は、いわゆるオタク趣味って言われるコミュニティに居場所はないし、
無理矢理そういうコミュニティにいてもまったく楽しめないから、自分が楽しめそうな外向き趣味(みんなでウェイウェイする)を探しましょうね
いま40から50代の奴らってば、ちょうど迫害を経験してから市民権を得だした世代だから
60代から上で生き残ったやつは、気合が違うのね、面構えが違うんだ
虐められたり、就職できなかったり、そういうのをオタクという枠に逃げ込むことでごまかしてたやつが多いの
それも自覚的にやってるなら救いはある、次の居場所を見つけるだけだ
でも、その自覚がなく、自分をオタクだと勘違いしちゃってるやつはキツイんだよ
そういう奴らがな
年取って、居場所として機能しなくなったオタクに愚痴りだすのよ
やれコンテンツを楽しめなくなっただの
やれジャンルに人が居なくなっただの
うるせぇんだよ
黙って消えろよ
コンテンツが楽しめないんじゃねぇよ、そのコンテンツのコミュニティに居場所を作れないからツマラナイの
もともと楽しんでたのはコンテンツじゃねぇんだよ
お前はオタクじゃなかったんだよ
単に人付き合いをしたかっただけなの
2000年代とかすげぇ多かったんだぜ、そういう奴
実際兼ねてる場合もあるし兼ねてない場合もあるんだけど、一緒くたにされてた理由もあるんだよ
なんならゲームやアニメが好きじゃなくてオタク趣味なんか何もなくても昔はよくオタク扱いされたりしてたよ
オタクに冴えない見た目の奴が多かったり社会性がなかったりオタク作品自体がキモがられてたから、そのカテゴリーに無理やり冴えない奴をぶち込まれて出来上がったたのが今で言うオタクな訳
俺がゲーム仲間とオフ会した時、比較的プレイ歴浅いメンバーのプレイミス弄りをネチネチ繰り返すことで笑いを取ろうとしてた嫌なオタクがいて皆やんわり話題変えるとかしてお茶濁してたけど「お前さっきから人の嫌がる事ばっか言ってて腹立つな、気悪いから黙っといて」ってハッキリ注意してくれたメンバーがいて、結局そのオフ会後その嫌なオタクはコミュニティ抜けたんだけど、結果その後何回かオフ会した時も嫌なオタクが抜けた事で基本和気藹々としてて空気良かったよ
そういうコミュニケーション能力が欠けた陰キャオタク男、ひとたび群れるとみんな陽キャみたいに振る舞おうと必死になるんだけど、陽キャからいじめられたり嘲笑されたり馬鹿にされて恥をかいた経験しかないまま陽キャのコミュニケーションをイメージだけで真似て陽キャになり切ろうとした結果、他人が嫌がる言動で周りを不快にさせる無神経で失礼なだけの化け物に超進化するんだよね。
他人を弄るにしても手加減も分かってないし引き際や空気を読むスキルも無いから鬱陶しくて空気を不味くさせる。そこにとりあえず一緒になってワイワイするのが陽キャらしいと思ってる奴がその先陣切った痛い奴のノリに乗っかる。発端の陰キャがウケたと思い込んで同じ言動をさらに繰り返す。これが続いた結果、陽キャになり切ろうとしたハズが一部の陰キャが気持ち悪くて盛り上がってるのを周りのまともな人達が冷めた目で見る普段属しているコミュニティでの自分たちと何も変わらない構図が出来上がるんだよね。
つるむメリット無いし縁切っていいと思うよ。
女性コミュニティの同調圧力があるから(中略)女性漫画家は女性向け漫画(中略)のルッキズム、差別性については何も述べようとしない。
ってほんとかな。
「ほんとは問題だと気づいてるが、女性コミュニティの同調圧力のため何も言えない」
ってのは買いかぶりすぎだと思う。
別に女性だけじゃなく人間全体の話として、道徳的な感性がまだそのレベルに至ってないというか。
例えば道端で暴力を振るわれてる人が居たら、加害者が誰であろが、被害者が誰であろうが、止めるべきだと感じるだろう。
これは「“どんな理由であれ”暴力は良くない」という感性が備わっているから。
残念ながらその域に達してないと思う。
例えばルッキズムや差別の「被害者」が女性なら傷つきや怒り、そういったネガティブな感情が生じるが、男性だと生じない、そういった人はザラに居ると思う。
あらゆる人が、殆ど日常的に、ルッキズム、差別に基づく振る舞いをしていると言えてしまう。
あらゆる人がルッキズムや差別性の「被害者」となる世の中で、「優先的に守られるべき属性」は決められている。
更に、これは男性にとっては辛いことなのだが、「ルッキズムや差別性」を批判する人が、「男性はマジョリティなので同じようにルールが適用されることはない」と主張するケースが度々見られる。
新学年なので、新しい人間関係(友人関係)を作りたくなった。いつも同じ人間関係(友人数人)なので、飽きてきたというのがその理由。
将棋で近所の町道場に常連で通ってて、そこの常連さんたちとは結構仲がいいのだけど、年齢の差もあり「友人」という感じはしない。「棋友」ではあるが。
読書会も数年ほど(コロナ以前)通ったことがあるのだが、そこでなぜか友人になることはできなかった。本の話題をみんなで議論してそれはそれで楽しかったのだけど、月1の開催だからか、深い友人関係になることはできなかった。毎回読書会テーブルがシャッフルされちゃうし。
気の合う友人を作るのに、なにかいい方法やコミュニティとかないでしょうか?賢明なるはてなー諸氏のお知恵を拝借したい次第です。
友人の友人のつてをたどる、という方法も頭に浮かんだのだけど、友人みな「ほかに友人がいない」ので、それは現実的でない。
「ジモティー」というサイトで近場の人を募集しようか、とも思ったのだけど、近場というだけで趣味嗜好の特に合わないひとだと、友人にはなれない気がする。ちなみにジモティーで「将棋仲間募集!」してみたのだが、誰からも返事はなかった…。
>年齢くらいかけ 忘れてた。30代後半。年齢だけは立派なおとなです