はてなキーワード: 帝王切開とは
そもそも、女子中学生は「最も繁殖にむいているであろう年齢」ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%94%A3
10代という低年齢母による出産は、早産や早産に伴う出産時低体重などのリスクが高い発生率を示す。10代の少女の多くは、ホルモンバランスが整っておらず、母体としての発育が不十分な場合が多い。
10代の母の発達不十分の骨盤が出産時に母体、子供ともに危険を及ぼす医学的に示唆されている。そのため出産は帝王切開によって行われる場合が多い。発展途上国などにおいて十分な医療を受けられない場合、それは乳児の死亡、または母体死亡へ繋がりえる。
女子中学生を妊娠させる男は未成年だろうと成人だろうと許せない。
女性が成人ロリコンに嫌悪感を持つのは、精神的・知的に成熟しているべき大人が自分のエゴで「母体死亡」に繋がるような危険な出産をさせたがっているように見えるからだと思う。
未成年が未成年に欲情するのは「近くに居させられてるからしょうがない」「若いから若年出産の危険性を理解できていなくてもしょうがない」みたいな理由で寛容になりがちなのかもね。
他読んでもまともに調べてるのか?どこソースだ?っつー記事だなあ。
日本円換算で年収300万円以下の貧乏在米日本人だけど、年間保険料は40万くらいだよ。
これでPPO(自分で病院を選べるし、いきなり専門医にかかれる。安い保険だと選べない&家庭医の紹介無いと専門医にかかれない)だ。
同じ保険の知り合いがこの間出産したけど、自己負担額は日本より安い程度で無痛分娩まで付いてた(但し48時間で退院させられたが)
医学的必要性が無くても妊婦の好みで帝王切開にする事も出来るらしい。
まあ日本より高いっちゃ高いけどね。
会社によって負担額が違うらしいから、特別高い(会社が負担してくれない)所だと100万くらいするのかな?
でもそういう人ならもっと安い保険入るよねえ。メディケイドだかメディケアだかの公的保険もあるしね。その辺はよく知らないけど。
描写は適当すぎるが無菌状態で帝王切開で取り出すのは事実。残りはでたらめだな。
マウス用の人工乳はあるし、そもそも現在では無菌の里親マウスに育てさせればいいので
なんでわざわざマウスの消化管を通って汚染されまくった乳なんぞを飲まさないといけないのか。
無菌マウスという生き物が売られている。
体の外も、中も、無菌だそうだ。
作り方を聞いたら驚いた。
まず、妊娠していて生まれる直前のネズミのお腹を割き、子宮を取り出す。
消毒薬が満ちた筒の向こう側にその風船があるというイメージだ。筒の中を通れば子宮の外側の微生物は完全に死滅する。
風船の外側から風船を押すと、腕が風船越しに風船内部のモノを触れるようになっている。
風船越しに手を突っ込み、素早く子宮をメスやハサミで切り開き、胎児を取り出し、心臓マッサージをする。
うまくいけば、呼吸が始まる。
そこが第一の難関。
で、次に第二の難関。
聞いてみたら、なんんと驚きのソリューション。
で、十数匹の乳飲みマウスの胃袋を裂けばマウスの乳を大量ゲット。
で、それを適切な方法で滅菌して、無菌充填して、さっきの無菌空気のつまった風船に入れる。
そんな手間隙の塊のような方法で授乳して育て続ける。
離乳さえしてしまえば、餌を滅菌するのは簡単なので育てるのは楽。
とはいえ、帝王切開で分娩日より早く産ませると、たかだか二十日しか妊娠期間のないマウスにとってはかなりの早産で、虚弱だったりして育ちが悪いことがしばしば。
そんなこんなで、皮膚にも呼気にも、口の中にもウンコの中にも菌もウイルスもいない動物が出来上がるんだってさ。
すごくないか?
で、いよいよこの話のオチだ。
おそらく同じ手法で。
(それ以上に「従来なら死産となっていた低体重児が医療の進歩により生き残れるようになった」と言う方が大きそうだが)
それが報道されないのは「医師叩きより妊婦叩きの方が文句言われる可能性がない&読者にウケる」と言うマスコミの事情だろうけど
そもそも機械じゃないんだから「太りすぎず痩せすぎず適正な体重で納まるよう管理」と言うのは現実には難しいし、
http://anond.hatelabo.jp/20100909210333 だけど、
ここだけ、突っ込みいれておく。
自然分娩だろうが、無痛分娩だろうが、亡くなられる時は亡くなられます。
むしろ、わざわざ硬膜外麻酔を施術するほうが、リスクは高くなるかと。
どのみち、産道が狭すぎるとか、出産が困難であれば、帝王切開に切り替えるだけです。
麻酔のメリットとして、患者が騒がないとか、暴れないとかはあると思いますが。
反応が穏やかだと、問題の兆候を見逃しやすくなりそうで、怖いですよね。
上記のインタビューからは、
とは読み取る事が出来ませんでしたし、
と笑っておられるように、皮肉として使われているものでしょうから、それを無痛分娩の対として使われるのはいかがと。
吉村医院では自然分娩に拘っているとは受け取れますが、「激痛だから価値がある」と受け取るのは行き過ぎかと。
出産前からのケアですとか、充実した医療スタッフ、水中出産施設の整備もあるなど、自然分娩に関しては素晴らしい施設だと思いますし、実績としての帝王切開率の低さではないかと。
倒錯した価値観で運営されている医院であれば、ここまで充実した設備・スタッフにはならないのではないかと思いますが。
無痛分娩も帝王切開も、施術です。
http://anond.hatelabo.jp/20100909210333
トピ主です。
http://blog.livedoor.jp/sunclinic/archives/340480.html
>吉村正先生にお話しをうかがい、今、多くなっている『無痛分娩』についてお尋ねすると、
>いのちを産み出すのに、痛みもなしに産もうなんて間違っとる!」
>と喝!!
>「激痛だけど、産んだ後は、みんないい顔しとるよ」
>「自然に産むということは、その子のすべてを受け容れるということ
>と本当に女性に対して深い愛情をもっておられる素敵な先生です
「激痛分娩」というワードは、別に酒井順子が言い出したワードでなく
小生が今回のスレ立てた際の造語であるが、実は小生よりも前に「大家」吉村正センセが
使っておられるのであった。
造語主の吉村センセは「激痛だから価値がある」という倒錯した価値観をお持ちのようで。
だからあえて「激痛」と表現したのだろう。
小生そして酒井順子も唾棄している「訳判らない精神論」でないか?
>無痛分娩の対義語は、自然分娩なんだけどな
これだけだと嫌味に思えないのだが。実際は声の調子や表情で増田氏はそう感じたのかもしれない。
ところで背の低い彼氏は背の低い彼女の良いパートナーとなると思うよ。
というのも、うちのカミさんが長男を生んだとき、初産ということもあって少し難産だった。病院の先生方もいろいろと対処してくれて明け方未明に出産できた。
そのときうちの横の控え室で半日以上待機している妊婦さんがいた。うちの分娩が終わって退室するときに先生が「帝王切開するか」って話していたのできっと自然分娩でなかったと思う。
何が言いたいかわかったと思うが、その分娩に苦しんでいた夫婦は奥さんが背の低い方(150cmくらい)で、旦那は180cmを越える方だったんだ。
背の高さに差があるカップルってのも、それなりに悩みはあるものだよ。気にしないほうがよいと思うよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E9%87%8E%E7%97%85%E9%99%A2%E7%94%A3%E7%A7%91%E5%8C%BB%E9%80%AE%E6%8D%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6
癒着した胎盤をはがすために、問題となったK医師は、手だけではがすのが無理だったためクーパーというはさみを使って胎盤をはがしたと裁判で認定されている。
クーパーについてはこちら→http://or-nurse.seesaa.net/article/16049277.html
しかしこのクーパーの使い方について、K医師の供述は、裁判に入る前はクーパーの刃で胎盤を切ったと供述していたのを、法廷では胎盤をはがすためにクーパーの背を使ったと変更している。
また、胎盤の癒着の状態についても、裁判前には、子宮摘出にふみきらなければならないような(重度の)癒着の仕方をしていたと供述していたのが、胎盤の剥離を最後まで行ってから止血を行えばよいような(軽度の)癒着であったと、供述を変えている。
→検察は、K医師の当初の供述に全面的に依拠していたため、これを否定されて手も足も出なくなってしまった。
ちなみに、K医師の供述のうち、どちらが正しいかについては、剥離された胎盤を見ればわかることであるが、胎盤は破棄されてしまっており、確かめる術はない。
子宮を摘出するのではなく、胎盤の剥離を最後までおこなってから子宮の収縮を利用するなどして止血する方法では、ある程度出血することは想定の範囲内であった。
しかも、本件における被害者は、帝王切開経験のある前置胎盤であったことから、大量出血の可能性を医師、看護師、助産師が感じていた(その証拠に、K医師自身もあらかじめ他の複数の医師に途中で止血のため人手が必要になり応援をたのむかも、と伝えている。しかし実際に当日応援を要請することはなかった)。
一方、事件の舞台となった病院は、血液センターから50kmほど離れていた。
このことから、手術前に助産師が血液センターにもっと近い病院に転院させてはどうか、と進言している。しかしK医師は「大丈夫」といってこれを退けている(仮に輸血用の血液を大量に準備し、余らせてしまうとそれは廃棄しなくてはならず無駄になってしまう)。
結局、手術中に準備していた輸血用血液では足りず、患者は1時間20分~1時間半ほど輸血ができないままであった(被害者が亡くなるまでの出血量は20,000リットル以上)。
http://anond.hatelabo.jp/20090907045544
私も帝王切開で生まれた。私までに4回流産したんだそうだ。私を産むとき母は7カ月も入院していたそうで「おじいちゃんがやってきては『この怠け者、退院してこい』と罵っていったけど、私はあなたを無事に産みたくてがんばった」って話を何度もした。いや、それだけなら、私にとっては美談なんだけど「だから、あなたは私の物だ」と私に取りついて放さない。気まぐれに叩くし、なんか気分の悪いことがあれば私のせいだし。
母が私にしたいことは「罪悪感を持たせて私を操ること」それだけだ。愛情なんかカケラもないんだ。そう気がついて初めて母から自由になれた。
どんなに頑張っても、母は私に愛情を持つことはない。「愛情を持つ」なんてことは彼女には出来ないんだ。可哀相な人だと思った。
でも、私は母を愛してる。他者の幸せを願うことが自分の幸せになるということがどんなに素晴らしいことなのかわかって欲しいと思う。でも、ダメなんだ。本人が依存を断ち切ろうと思わない限り、回りの人間に出来ることは限られている。
元増田は「母親」という名前の大きな赤ちゃんを抱えているんだから、結婚して子供を産むなんてことは出来るわけないんだ。こんな手のかかる子供がいるのに、さらに手のかかる子供なんか欲しいわけがない。
でも「母親が赤ちゃん」って状態は、けっして通常の流れではなく、元増田に不当な負担を強いていると思う。
増田に書き込んだことを、そのまま、お母さんにぶつけてごらんよ。
嫌われたっていいじゃないか。元増田がお母さんのことを好きならば、それでいいじゃないか。
相手に見返りを求めると苦しいよ。
母に、いい歳なんだから、結婚して沢山子供を産んで女として幸せになって欲しい、と言うようなことを言われまして。結婚出産=幸せという感覚にかなり違和感があるんだけども、それはとりあえずおいといて。
「自分が生きていて楽しくて幸せ、と思えないのに、今存在していない命をこの世につれてくるような無責任なことをしたくない。ママ、生きることはこんなにつらいのに、どうして僕を産んだの?って子供に言われたら、私には、ごめんねとしか言えない。」と答えたら、「お母さんは三十路ちゃん(私)に幸せになってもらいたいだけなんだけどなあ」と。お母さん、お母さんが私の幸せを願っていることは、多分うそではないんだと思う。でも、だからこそ、私は幸せになるということに抵抗があるのです。
最初の子供だった私は多大な期待を背負っていたのだと思う。未熟児で逆子で生まれた私は、生まれる前から母にとって、「悪い子」で「反逆児」であったらしい。逆子のために帝王切開で私を産んだ母は、「あんたのせいで私の体は傷物になった」とお風呂に入るたびに私に訴えた。幼稚園の頃、「赤ちゃんは、お母さんのおなかを食い破って、マムシみたいに生まれて来るんだよ」といって先生を仰天させたことがある。でも、それが母の私に植え付けた、血まみれの「私」の誕生のイメージだったので、先生は大人なのにそんなことも知らないのかなと不思議に思っていた。母にとって、私は蛇の子だったんだね。
体が小さく、育児書どおりに育たない私は母にとっていつも「できそこない」だった。「私がこんなに頑張っているのに、どうしてこの子はご飯をたべないんだろう。」って。今で言う育児ノイローゼってやつかな。あんたなんか殺して、私も死んでやる!とたびたび言われた。生真面目で完ぺき主義の母には、規格外の私が耐え難い失敗作に見えたんだね。顎関節症の私には、ご飯を食べることは一仕事で、いつも一番最後まで夕食をモグモグやっていると、「グズのあんたのせいで台所が片付かないよ」としかられ、私はますます食事が嫌いになっていった。
もと陸上選手の母に似ず、運動神経の良くない私は更に母の不興を買い、運動会のたびに「母を辱める」自分が情けなくて泣きたかった。小学2年生の運動会で、母に「あんたが一番背が低いのに、足が一番太い。どうして?」と聞かれて、答えられるはずもなく。お小遣いをためて買った、「足やせ」の本を母に発見され、「そんなもの効くわけない、お金を無駄遣いした」と怒られるのが中学生のとき。高校に入ってからは、一向に育たない胸をみて、「パットなしブラで外歩いて恥ずかしくないの?」と言われ返答に窮し、結局パット入りのブラジャーを大量購入。自分が「恥ずかしい外見」なんだということにショックを受けたのをよく憶えてる。
こんなことが積み重なって、私は痩せ気味で背の低いコンプレックスの塊へと成長し今に至るわけです。
私は幸せになりたい。でも、私が幸せになることで母が幸せになるのが許せないのだと思う。いつまでも子供な自分に自己嫌悪。いい歳なんだから、過去のことは過去のことで割り切ってしまえばいい。新しい自分として生きていけばいい、と自分の人生のことを考えているところです。生きることが楽しくはないし、長生きしたいとも思わないけれど、私は不幸ではない。
でもね、おかあさん、わたしはあなたのことがだいすきです。
どうか、わたしのことをきらいにならないで。
追記:こんな泣きながら書いたエントリにブクマやコメありがとうございます。自分が親離れできていない子供である自覚は、上にも書いてあるように、たっぷりあります。そういう自分に困っております。ねじれてるよね。
そして、元増田は、幸せ=結婚出産とは思っていないので、幸せになりたい=ハッピーになりたい、とそのまま捉えていただければ。今後出産する計画は今のところありませんし、婚約者とも「今存在しない命」をつくるよりも、「すでに存在して親を必要としている命」を養子縁組することはどうだろう、と言う話をしています。
人間がちっちぇ話につきましては、確かに元増田は大変小柄ですが、人間の器はそれ以上にびっくりするぐらい小さいです。文章がうまいと言ってくださった方、褒めるのが本意ではなかったかもしれないですが、ありがとうございます。嬉しかったです。ひらがな部分は、母を批判することに対する罪悪感の現れかなと今読みなおして思いました。それから、ブクマにありましたリンク先の方は私ではありません。モノカキではありませんが読書は好きです。
プレシオスの鎖。私の幸せを見つけるために、鎖を解く方法を探したいと思います。
2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。
先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。
父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。
アル中気味の父親は家庭では尊敬されていなかった。妹や弟から馬鹿にされても父親は特にプライドがないのかいつも笑ってごまかしていた。
弟は難産だった。母親は医者に出産するとあなたは死ぬから子供は堕ろすようにといわれたそうだ。母親は子供を産んで死ぬのは親の本望だといって無理矢理に弟を産んだ。帝王切開だった。
どちらかは死ぬはずだった母と弟はともに生き残った。
母親が占い師にいわれたそうだが、弟の運命は僕を助けることだそうだ。
なので、ぼくはいつか弟は僕を助けてくれるんだろうとなんとなく昔から信じていた。
人付き合いが苦手な僕と違って、弟は社交的だった。中学時代から彼女はいたし、友達も多かった。
そんなにレベルの高い大学にはいけなかったが、楽しそうに生きていた。
僕は社会人になって27歳のときに勤めていた会社が倒産してヘッドハントとかされなかったのでやむなく仲間を集めて会社をつくった。
何年かして会社もなんとか軌道にのったあたりで弟が相談をしてきた。弟は大学を卒業した後、デジタルハリウッドにいってCGを勉強したらしい。友達と一緒に大阪の大手ゲーム会社の下請けの仕事をしたいんだという。ただ、仕事を貰えると決まった訳じゃなくて、まず、タダで仕事をして、能力を認められたら、きちんと発注してくれるらしいので、そしたら、弟の友達は会社をつくるという。で、弟はそこで働きたいそうだ。すごいチャンスだと思うと弟は熱心に説明した。
ちょうど、その数ヶ月前のことだが、ある別の大手ゲーム会社の重役に挨拶にいったことがある。そのときにこれからなにをしたいんだと尋ねられた。僕はネットゲームのシステム開発会社として日本一の会社になりたいと答えた。それってようするに下請けだろ、と目の前の重役にいわれた。下請けというと、つまりゴミだ、おまえはゴミになりたいのか、と重ねて尋ねられた。もっと目標を高くもて、コンテンツの世界は自分でコンテンツをつくらないと一人前じゃないと説教された。
そのことがすごく頭に残っていたので、僕も弟に同じことをいった。お前が掴もうとしているのはゴミになる大チャンスだ、と責めた。しかもゴミの一番下っ端になりたいのかと問い詰めた。
結局、弟は夢をあきらめて上京した。
何年かして僕の会社の取引先のひとつに弟は就職した。僕は縁故とかはあまり弟のためによくないと思っていたので、1年間勉強して、他の会社に移れといった。
しかし、2年たっても3年たっても弟は同じ会社にいた。
すくなくとも僕の前では、弟は仕事についてはあんまり自信がなさそうに見えた。でもプライベートでは友達も多く面倒見もよかったらしい。
ある日、弟に相談をされた。鬱病の友達がいて、頼られていて、ずっと相談にのっていた。1週間以上も家に泊まったこともあったらしい。ずっと話をきいていてあげたら、元気になったといって自宅にかえっていったんだが、すぐにその夜に、また、相談にのってほしいと電話があったので、いいかげんにしてくれと思って断ったそうだ。そうしたら、結局、友達じゃなかったんだね。これまでありがとう、恨んでないから、といわれて電話を切られたそうだ。その友達はその晩に自殺した。弟は自分のせいで友達は死んだと責任を感じているようだった。
僕はこれは笑い飛ばしたほうがいいと思って、たいしたことじゃないじゃん、しょうがないといって、あまりとりあわないことにした。
弟は不満げだったが、僕はこういうのは思い詰めるのはよくない、と思った。
そんな相談されたことも忘れたある日、僕は弟が勤めている会社の取締役と話をしていた。弟は結構会社では戦力として活躍しているそうだった。ただ、勘違いをする癖があって、ある時、社内で弟が、僕は一番重要な取引先の代表取締役の弟なんだから、それを生かして自分にしかできない調整をやるのが自分の使命だ、とか言い出したことがあるらしい。そのときは勘違いするな、生意気なことをいうな、と散々説教したそうだ。しばらくそんなことはいわなかったらしいが、おととい、また、飲み会のときに、ぼくがいなくなったら、みんな困りますよね、とか言い出したらしい。最近、仕事ができるようになったからといって、また、生意気なことをいいはじめたと、みんなでよってたかって虐めたそうだ。一人前になったのなら、最初の予定どおりに独立するなり、別の会社に転職すればいい。
おとといは遅くまでのみすぎたせいか、昨日から、弟は連絡もなしに会社を休んでいた。今日もきていないらしい。
弟は父親は嫌いだったが、母親は大好きでしょっちゅう母親とは会っていたし、頻繁に連絡をとっていた。
その夜、母親が弟といっこうに連絡がつかないことを怪しんで騒ぎはじめた。弟のマンションは僕のマンションのすぐ近くだったが、いったことがなかった。夜中だったので、どのマンションかどうしてもわからず管理人のひともいなかったので、その夜は諦めた。
ふてくされて部屋にひきこもっているんだったら、明日でも一緒だし、そうじゃなかったら、たぶん、もう…、おそい、となんとなく予感した。
翌日、会社の会議にでていたら、弟の自宅にいった母親から携帯に電話があった。会議中だったが、電話にでた。携帯電話からは、僕の名前を絶叫する母親の声がきこえた。
弟のマンションの部屋には鍵がかかっていなかった。見つけて欲しかったのだろう。弟の死体は母親が浴室で発見した。
弟の死因は死亡診断書によると心筋梗塞だ。もともと心臓が弱かったから寿命だったに違いない。
弟とはほとんど話をしたことがなかった。僕は弟のプライベートはまったくしらない。部屋には僕の知らない弟の趣味のものがあふれていた。母親はいろいろ知っているようだった。
母親も弟から友達の自殺の話を何度も相談されていたらしい。不幸にはなりたくない、でも幸せになるのもいやだ。弟はそういっていたそうだ。
台所に楽天の箱があり、中身を見ると練炭だった。期日指定配達で、ちょうど弟が死んだ3日前に届けられていた。
調べてはいないが、一年前に死んだ友達の命日なんだろうと思う。
弟が死んだ夜は東京に台風がきていて記録的な暴風雨がふきあれていた。その日の昼間には、権利者団体との和解後、暴騰をつづけていた僕の会社の株価が、その月に三度目となるストップ高を記録していた。
弟は服を着たままiPodだけもって浴室にはいった。窓とドアに目張りして明かりを消した浴室の中で、弟はなにを考えながら死を待っていたのか。コブクロからはじまっていた最後のプレイリストは、いったいどの曲まで聴いたところで、弟は息絶えたのか。
葬式は身内だけでやるつもりで、まわりに連絡はしなかったが、弟の勤務先にはそうもいかず、ぼくの素性をしった葬儀屋の薦める最低限の告別式は、ずいぶんと派手になった。弟は来週から出向する予定だった会社の副社長が通夜にも告別式にもきてくれた。嬉しかった。
弟の死で僕の家族の生活は一変した。結束は強くなったと思う。父親ははじめて酒をやめた。そのつぎの正月とゴールデンウィークにもひさびさに家族が集まって海外旅行にいった。
父親と母親は弟の死を弔うために四国八十八寺のお遍路参りをはじめた。乗り物は使わずに歩いてまわった。さすがに一度にまわるのは老人の足には無理で、2泊3日の旅をなんども繰り返した。徳島県からはじめて高知県の最後の難所の足摺岬をまわったところで、父親は何をおもったのか、帰りに高野山によった。
あとでわかったが、お遍路を全部まわったら、高野山に報告にいくものらしい。徳島、高知を終わったわけだから、ちょうど半分のところで最後のゴールにいってしまったことになる。母親はせっかちな父親らしいと笑っていた。
足に疲労がたまったのだろう、東京にもどってきた母親が駅で転倒して、足首を骨折した。
母親が入院したので、父親は僕が両親用に買った高層マンションの最上階の部屋でひとりで生活することになった。父親は入院している母親にぐちをこぼしていたらしい。早く退院してほしい、あの家はひとりだと広すぎるんや、弟の幽霊が現れて、こわいんや。
父親はやめていた酒をまた飲み始めていた。
ある日、母親から携帯に電話があって、父親が連絡つかないから家を見にいってほしいといわれた。またかと思った。
家の扉に鍵はかかっておらず、家中を探すと、父親は浴室で溺れていた。鼻まで水に浸かっていたので生きていないことはすぐにわかった。
父親は酔っぱらって溺れたのだろう。ちょっとだけ苦しそうな表情をしていたが、幸せそうな顔だ、と母親に告げたが、けっして遺体をみようとはしなかった。
きっと弟の死を発見したときの光景が目に焼き付いていて、そんな思い出を増やしたくないのだろう。僕も父親の死体を見つけたときの記憶はあまりにも強烈で、きっと死ぬまで忘れることはできないと思う。
父親が死んだのを発見した翌日には、JCBホールで会社の大きな発表会があった。父親の葬儀はその翌日になったので、やることもそんなにはなかったから発表会の現場には行った。葬儀屋も一年前と同じで、僕も葬儀屋も慣れていた。
葬儀が終わってから、僕はいつものさぼり癖が出てきて、会社へはほとんどいかなくなり、ずっと母親と一緒に暮らした。
なんのために会社をつくってがんばってきたんだろうと僕は思う。
会社をつくるときの資本金は親が出した。僕は貯金は1円もなかったからだ。後で聴くと、それは妹の結婚資金だった。米国の親会社が倒産したときには、倒産した親会社の持ち分を減らして独立した日本の会社にするために増資をした。僕が買い増した株の代金は、父親の退職金だった。父親は某大手スーパーの子会社で経理をやっていて、定年まであと2年あったが、父親の退職金が必要だったので辞めてもらった。僕の会社には経理の経験者もいなかったので経理もやってほしかったというのもある。
父親が30年以上勤務して、最後に得た退職金は、僕の会社の3ヶ月分の運転資金となって消えた。
僕の人生の中で後悔している最悪の決断は会社をつくったことだ。僕は人生最大のギャンブルを家族と両親の人生そのものに等しいお金を賭けて勝負した。本当は賭けていいようなお金ではなかった。本当はやっていけないギャンブルだった。
結局のところ、僕の会社は数年後に上場を果たしたから、賭けには勝ったことになるのだろう。だからといって卑怯なギャンブルの罪が消えるわけではない。起業した時に、結果的に成功するまでの道筋は、僕にはまったく読めていなかった。
会社をつくってまもなく僕は自分の判断の間違いに気づいた。生まれてこのかた好きなことしかやらず、努力なんてしなかった僕は、なにかを成し遂げるためではなく、会社をつぶさないためだけに睡眠時間も削って働いた。
自分ひとりのことだったら、どこかで投げ出して逃げていたと思う。でも、僕が失敗したあとの両親の悲惨な老後を考えるとできなかった。会社をつくったときに万が一失敗したときにだれにも迷惑がかからないように相棒と一緒に生命保険を掛けた。最初、1億円で翌年は2億円に増やした。日本では会社が大きくなればなるほど、借金やリスクも増えていく仕組みになっている。勝負に勝っても、そのままダブルアップで賭けつづけることを強制されているギャンブルのようなものだ。2億円あっても全然、会社を整理するには全然足らない規模に成長したため、上場できるか、できなければ、いずれ一家で破滅するか、そういうゲームになった。
上場の準備を進める中で、父親は仕事を外された。創業者の近親者が経理をやっているのはまずいと証券会社に指摘されたからだ。定年間際まで勤めた会社を辞めて息子の会社を手伝い資金まで提供した父親は息子の会社で居場所を失った。父親が勤めていた某大手スーパーは、いくつかの同族企業が合併してできた企業で派閥争いが絶えなかった。どこの派閥にも属さない父親はずいぶんと嫌な思いをたくさんしてきたようだ。ずっと傍流で冷や飯ぐらいだったサラリーマン人生の最後で、父親はやっと息子の会社で念願だったろう主流派の一員に加わることができた。それも長くはつづかなかったわけだ。
後ろ盾のいないサラリーマン人生で父親はきっと言い訳ばっかりさせられていたのだと思う。父親の話には論理的に一貫しておらず何を説明しているのか要領を得ないところがあった。能力的にもいまの会社にはふさわしくないと僕は判断し、父親を切ることに同意した。
父親はよっぽど仕事をしたかったのだと思う。やるべき仕事がなくなっても、一所懸命、自分でデータを集めてつくった会社の資金繰り表や損益計算書を僕のところにもってきては、会社の問題点を指摘しようとした。
僕は、もうそんなことはしなくていいと、父親がつくった資料もろくろく見ないで突き返した。
1年、2年たつと諦めて、会社にもあまりこなくなった。暇をつくるのが怖いのかのように隙間無くカレンダーを母親との旅行の予定で埋めた。
会社にあまりこなくなってからも母親には仕事への未練を話していたらしい。息子のために自分は会社に必要だから、また仕事をしようと思うと定期的に言い出す父親を、そのたびに母親は、もうやめなさい、と諫めていたそうだ。
お金の心配はせんでようなったけど、あんまり幸せにはなれんなあと、ことあるごとに父親は愚痴をこぼしていたらしい。
弟と父が死んで、母親と暮らすようになって、そういう話を何度も僕はきいた。
僕は両親の人生を担保にしてゲームをして、そして勝った。勝利の証しとして得た報酬はそういう現実だったらしい。
何のために生きているのか、何のために頑張って仕事をしているのか、自分自身のことだけでいえば、死ぬまでのたんなる暇つぶしだ。別になにか世の中を変えようとか、大きなことをしたいという使命感なんてない。ただ、僕のまわりにいる好きなひとたちが、僕を必要としてくれているから、自分ができる芸を精一杯見せているにすぎない。
僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。
でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった。
僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。僕もだらしない父親が嫌いだったが、同じ部分は僕にもあり、父親と同じ人生を生きていたらやはり同じようになっただろう。弟も同じで頭の回転も似たようなもんだった。弟も「自分と兄は得意なものが違う。勉強は兄よりもできないがプライベートでは自分のほうが上だ」と高校の時ぐらいからいっていた。僕もそのとおりだと思う。そもそも人間なんて環境がつくるものだ。本来の素質に意味ある優劣なんてさほどない。
でも、現実の世界では、僕は弟の相談は上から目線で笑い飛ばし、父親の仕事は奪った。
弟のことはあまりにも知らなすぎた。何を考えて、何が好きだったのか、何をしたかったのか。
本当に死ぬしかなかったのか。たとえ時計の針をもどせても、なにをすればよかったのかまったく想像はつかない。
人付き合いは弟のほうがよっぽどうまかった。死を選んだ人間が最後の相談相手として選んだほど弟は信頼されていた。過去にもどれたとしても僕が弟に与えてやれるとしたら、仕事のアドバイスとお金だけだ。弟はブランド品が好きだったし、きっと僕なんかよりも贅沢なお金の使い方はしっていただろう。人間がダメになると母親は僕が弟や妹にお金を渡すことは許さなかったが、金まみれにしてダメ人間になっても生きていてくれるのならそのほうがよかった。そんな貧しい後悔しか僕には思いつかない。
母親は命をかけて弟を産んだ。占い師は、将来、兄を助けるのが弟の運命だと予言した。弟の存在は僕にとってなんだったのか。補佐してくれるんじゃなかったのか。
弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。
父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。
弟が死んだとき、親戚は、このことはあまり話さない方がいいと助言してくれた。話すべきことじゃないといわれた。
でも、たんなる感傷にすぎないのかもしれないが、僕のことをしっていてくれたり、僕の仕事を評価してくれているひとには父と弟のことを話したいと思った。そうして、このエントリをいま書いている。
死なんてものは世の中にありふれている。僕にとって特別なふたつの死も他人には関係のないはなしだ。
父と弟の話を書いても、ネットの中に埋もれて、僕のまわりのひとすら見つけられないのはさみしい。そう思って2ヶ月ほど前にブログをはじめた。僕に少しでも関心をもってもらえそうな話なんて、あたりまえだが仕事しかない。そもそも仕事の話以外に自分にはとりえもなければ、価値もない。弟のいうとうりだ。父親の納骨で区切りをつけてこのエントリをあげるつもりだったが、ブログに予定外の反響があったことや、僕自身のためらいもあって、それから1ヶ月以上たってしまった。
結局、いろいろ手垢のついてしまったブログに書くのも違うと思って増田にしました。
僕の仕事に興味があってブログを見に来ていたみなさん、最後にこんな文章を読ませてしまってすみません。でも、これが僕が聞いてもらいたかった話です。
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
医療崩壊の基本的な知識と経緯は大体知っている人向けの細かい補足。
墨田江東地区はそもそも総合病院が墨東病院しかない医療過疎地域。今に始まった話では無い。
初期臨床研修制度始まって、都心の医師人口は増えている。それでも、充足するにはほど遠いのはあるけれど。
君らが住んでる東京の真ん中の方は安心です。文京区に至っては大学病院4個あるし。
・墨東の産婦人科って?
壊滅的。でも、これは東京全体の問題じゃなく都立病院の待遇の悪さの問題。
ここは日本医大が派遣に来てたときは確か常勤7人位+後期研修医(3-5年目)2-4人で廻してたはず。あまりの仕事の待遇の悪さで日医が2年前に撤退したのが運の尽き。他の大学にも当たったけど派遣に出してくれそうな所は無くて今は部長クラス2人+後期専修医1人と言う未確認情報。これでも、平日2人当直だと3日にいっぺん家に帰れれば良い方だし、その間全く寝られない恐れもある。産科縮小したはずだから、夜のお産でずっと起きてるって事も無いだろうけど、ここら辺は不明。
・当直してたのは研修医?
これは都立が初期研修を終えた後の研修システムを「後期研修」と言ったり「シニアレジデント」と言ったり「専修医」と言ったり用語が安定しない。
一般的に「研修医」と言ったら最初の二年間の研修をしているヒヨっこの事を指す。
研修医も産婦人科廻るけど、1ヶ月とかだけだし、電話応対なんて出来る訳無いから当直してたのは「後期研修医」。一応、専門を産婦人科にして1-2年研修した後の医者だろうからそれなりの判断力はあると思われる。
ドロッポして開業した「医療系ブロガー(笑)」はここら辺のシステムが良く分かってなくて見当外れな指摘をしている人がいるから注意。
・ERって?
ERと今回の事件は全く別問題。ERは1次-2次救急の診療及び振り分けをするところ。イメージとしては「夜間にお腹が痛くてどうしようもない」「喘息発作でタクシーで来院」「転んで骨折った」「吐血してフラフラして救急車呼んだ」「睡眠薬服薬して救急車で運ばれてきた」辺りが守備範囲。この辺りをERで見てERで返す。吐血とかは入院しなきゃいけないから内科の当直医を呼んでぶっ込む。
ERは各内科外科系の下っぱとか研修医がローテーションしながら当直。内科系2人、外科系2人とか。今回みたいにあらかじめ産婦人科領域って分かっている患者については専門家が見ないとどうしようもないからERは全くタッチしない。
「若い女性で凄くお腹痛がっているけど原因となりうる所見が無い」とかだと一応婦人科疾患を否定しなければいけないから産婦人科の当直が呼ばれて1回専門的診察をお願いすると言う場合がある。
逆に言えば、ERみたいなのがあるからどうでも良い腹痛に産婦人科の専門性がすり減らされているとの見方も出来る。まぁ妊娠反応陽性でも出ないと文化的に産婦人科医呼ばないけどね。
・脳出血妊産婦を救うのは大変?
大変。でも、総合病院なら普通はリソースがちゃんとある(外野としての意見ね、実際診療に携わる先生は大変だろうけど)
麻酔科が脊椎麻酔かけて帝王切開して、その後全身麻酔に移行して頭の手術して、ベイビーはNICUへ(でも、今回の場合は出産間近だったとの事でリスクは少ない)、産婦はICUへ。
それぞれの処置は定型通り。1+1の負担がせいぜい2.5位になってるだけで、決して10とかになる訳じゃない。
都内の総合病院は麻酔科も脳外科も産婦人科も当直してる。あるとすれば偶発的にICU、NICUが埋まってる場合で万床って場合が良くある。
産婦人科の場合はオペ入っちゃうと身動き取れなくて病棟で何かあった時大変だから1人当直の時はオペになると分かっている妊婦を取らないとの選択は正解。
・脳出血について
国内の症例検討を元に考えると搬送がどうあれ救命しえなかった可能性が高い。http://obgy.typepad.jp/blog/2007/09/post_bc04.html
原文は全く読んでないし海外の文献も探してないから信じるかどうかはご勝手に。人に文句言ったりdisったりする人はちゃんと原典を当たりましょう。
一般的に後遺症残さずに助かる脳出血は硬膜外、硬膜下、くも膜下とかで脳内出血の場合は場所によっては出血した時点でアウト。ましてや妊婦は凝固線溶系が崩れてるのでハイリスク。
・今回の事件について?
中の人はみんな上の事分かってどうしよっかって考えてる。
実際の権限を持ってる東京都の上の事務がどれくらいまで分かってるかは不明。
石原は全く理解してない。
マスコミは論外。
医者とか墨東叩いている人達は相手にしても時間の無駄なので無視。
はてな村の人達は比較的同情的だけど、上に書いてある細かなニュアンスとか分からずに定型的な医療崩壊ネタに結びつけてるからどうぞ勝手に騒いでくださいって所。
・最後に
亡くなった方の御冥福をお祈りします。