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2012-02-10

今はまだ夢物語

掃除は今でも好きではありません。

でも、上手になればいいのです。

美しく清潔に暮らす快適さを知ってしまった今、私にとっての掃除は、心豊かに暮らすための大切な「儀式」になりました。

忙しい毎日に行う儀式ですから、できるだけお金時間も労力もかけたくない。そのコツさえ手に入れれば、

手間暇かけずにパーフェクトに、部屋はきれいに見えます

合理的な掃除とは、まさにこのこと。

ドイツ掃除の原点は、シンプルクリーンな家。

ここから、すべての快適で心温まる暮らしが始まるのです。




これこそが、まさにドイツ人の好きなGemutlichkeit(心地のいいこと)の世界です





私は、ドイツ人時間も労力もかけない上手な掃除テクニックを私なりに手に入れてから

あれだけ苦痛だった掃除が楽しくなりました。


ドイツ人のように、いつもきれいな住まい空間キープするための掃除ですから、汚れがたまらないのです。


この方法と感動を一人でも多くの皆さまに、ぜひお伝えしたい!


そんな思いを抱き続けています


簡単で、時間がかからない楽しいドイツスーパー掃除テクニックで、あなたの家がそこそこきれいで、

快適な安らぎの空間へと生まれ変わりますように。



それを願って、本書を書きました。

2012-02-01

結局生きてる

自殺した人にありがちなサインというものがある

例えば

腕を切るとか

死にたいと云うとか

身辺整理し始めるとか

遺書書き始めるとか

自殺念慮を抱くとか

自殺企図を示すとか

じゃあ逆に

踏みとどまっている人もそれらをやれば自殺をするだろうか

儀式・形式が先で、前後関係が逆転しているだろうか

そうでないと思う

ただ、経路が違うだけかも知れない

まともな人なら、自分の体を傷つけたり自殺の計画を立てたりはしない

痛いのは嫌だし、死ぬのは嫌だし、周りから心配されるのも嫌だから

自殺が出来るようになりたいからという理由で、形から入る人間

その時点で十分自殺の可能性があるのだ

そうしたサイン自分から行うのは、サインであると同時に自分を追い詰めようとしているからだろう

2012-01-26

たぶん境界性人格障害の人に付きまとわれた話

私も悪いところがあるので、決して相手だけ悪かったとはいいません。

…が、一方的に悪者扱いされて、でも周囲に「反論したりしたら泥沼だよ」と言われて我慢した分のうっぷんをここで晴らさせてください。

まり面白いものではないのかもしれないので、気分悪くなりたくない方、あと時間のない方(長いっす)は回れ右、でw

最初出会いは、ネット上でした。

私は、恥ずかしながら小説を書いたりするのですが、ある小説コンテンツ上で公開した小説に「すごい面白かったです。漫画化していいですか?」と書き込みしてきたのがその相手でした。

ほかにも面白かった、というコメントはあったのですが、実際に絵がうまい人に、漫画化までしてもらえる、というので、私は舞い上がりました。

彼は、自分境遇とその主人公が似ていると言っていて、かなりのスピードで、実際に漫画を描いてくれました(でも、完璧主義らしくて気に入らないところがあったとか言って消されて結局見てませんが。。。)

なので、私も資料探しなんかに協力していたのですが、そのうちにいろいろ話がもりあがり、ほぼ毎日メールをするようになりました。

ところがあるとき、突然彼が登録していたSNSアバター女性のようなものに変えたので、その意図を問うたら、謎を解いたうえで自分に会いに来い、と言ってきたのですが、いろいろ問い詰めているうちに結局性同一障害で、体は女なのだ、と告白してきました。

そして今まで話をしていた内容のほとんども嘘だ、と。

それでも私は仲良くなった相手だし、その時はまだ常識のある人物のように感じられたので、いろいろと嘘をつかれていたことを全部水に流して、そのあとも付き合いを続けていくことにしまた。

けれどおかしくなってきたのはそのあとです。

ちょうど去年の今頃くらいからでしょうか。

彼の作っていたSNS上のサークルに参加したのですが、メールでやり取りしていた時とは違い、気に入らないことがあると雑談版に書き込み、その後とにかく攻撃的なメール携帯にしてきて、ぼこぼこにされたのです。

そのあまりの内容に、私が泣きながら電話をして謝って仲直りをして、を繰り返していました。

はっきり言って今思えばその内容も、矛盾だらけだったし、「それ私悪くないじゃん」的な内容や、彼が勝手事実を捻じ曲げて発言していたり、自分が言ったことを責任転嫁していた部分も多かったのですが、人格否定するような言葉の羅列に打ちのめされてしまって反論もできずにいたんです。

そのため、もう縁を切ろう、と毎回思いました。ですが、相手は自分を信じていろいろさらけ出してくれたのだし、それを突き放すのはいけない、と我慢して電話をしてつなぎをつけていました。

そうして、ほぼ月一で、ほとんど喧嘩、というより人格否定のオンパレードメールが来きて、それに私が電話して謝って、の儀式が続いていたある日、突然『忙しいから』と彼がサークルを脱退しました。

その直前にサークルメンバーへのバッシングを書き連ねていた彼は、新たにサークルを立ち上げる宣言をしていましたが、それらのコメントも全部消したうえで突然の脱退……

管理人は直前に私に委譲されていましたが、実質上の管理者の脱退でサークルは混乱しました。

私は真意を確かめるべく、何度も電話しました。

けれどつながってすぐぶち、と切られる始末。

メールも送ったら「アドレスが不明です」といったエラーメールが返ってきて、ほんの一昨日送った時には通じたメールアドレス変更されて通じなくなっていたのです。

加え、SNSでは私はブラックリストに入れられて彼のプロフも見れない状態となり、完全に連絡が取れなくなってしまいました。

しかも彼は別のサークルを立ち上げ、そこで楽しく新しいメンバーと活動を始めただけでなく、ブラリしてない旧サークルの一部のメンバーだけそこに誘ったり、していて、私もブラリされたほかの子も「ああ、切り捨てられたんだな、と実感していました」

そんな扱いをされてはもうしかたない、と、私を含めたサークルメンバーは、見切りをつけて自分たちで新しいサークルを立ち上げよう、と動き始めたのです――が、その矢先です。

大体1か月くらいたったころですかね。

突然例の相手からメールが来ました。

それも、恐ろしく普通の感じで。

ちょっとしかたから全部シャットアウトしてたんだ、うん。携帯壊れたからここに連絡くれ」

と番号付のメールが来ました。

ガチャ切り、アドレス変更、理由のわからブラックリスト入り、突然のサークル脱退。

しかも、新しいサークルに誘われなかったという事実

それで、かなり頭に来ていた私は、完全に無視していたのですが、そうしたら私の小説を上げていたHPブログ、ヤフブロ、どころかアメーバピグメッセージも送ってきたうえ、私のピグライフの庭にまで出没し、私の名前のわかるところすべてにコメントをしてきました。

バッシングもあれば、すがるようなコメントもあり、日と時間コロコロと内容の変わるメッセージコメントがずらずらとならんだのです。

私はペンネームをそのままハンドルネームにしていたので、簡単に追跡できる状態だったとはいえ、ほとんどストーカー状態で付きまとわれ、しかも彼自身の開設したブログで「あいつの書いている小説は俺の盗作だ」とか「サークル世界観も似たようなの知ってるしな。パクリと言われないといいけど」といったバッシングには、精神的に参ってきてしまいました。

そこで、サークルで関係したメンバー全員で文面を考え、彼がよくメンバーにやっていたように「返信不要」とつけた一方的なメールを送り、絶縁状を叩きつけたのですが、そうしたら今度はトーンの変わったメールが全員に送られてきたのです。

「このたびは迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一言電話で直接お詫びをさせてください。それができなければ自分存在する価値がないため、今日中に自殺します」

そんなメールを送られて、ビビッてしまいました。

いや、こけおどしと分かっていたんです。仲間には放っておけ、という人もいました。

でも、自分のせいで死なれるなんていやだ、と思い仕方なく電話しました。

ですが、そこでまた、さらに恐ろしいことを言われたんです。

「いや、実は一回会った時(一回リアで会ってたんです)からマジで好きで、どうしてもつなぎ取りたくて、でもやり方がわからなかったからあんなやり方したんだ」

――正直、馬鹿じゃないの、と思いましたよ。

たとえどんな理由だとしても、一生懸命書いた小説盗作扱いされ、世界観馬鹿にされ、それで好きと言われて「本当に???」と喜ぶ女がどこにいよう。

その時はとりあえず、すでにリスカしたとかいう相手を刺激しないように、と温和な感じで話をしましたが、もう話をする気ないことは伝えていました。

でも、私の中にはぐるぐると「盗作」「パクリ」という言葉が渦巻いていました。

時間もかけ、創意工夫を凝らして書いたものをそういわれるのがショックで、それに正直、相手のことはもうどうでもいいと思っていたし『ネット絶ちする』と言っていた言葉を試す意味で、ブログにこの落ち込みを書いていました。

すると、ネット断ちしたはずの相手からブログコメントが。

「お前、ブログに書くな言うたやろ。それに、今思えば俺だけが悪いわけじゃないし、手打ちするなら今まで、俺が更けてるとか、描いてる絵は老け顔が多いとか言ってきた件についてそっちが謝ってこい」

とのこと。

古い喧嘩の内容を蒸し返して…というなら、まあブログに書いた私も私なので納得がいく。

でも、自分が老け顔だ、とか絵が老け顔が多い、と最初に言ったのは自分なのに、それをその場のノリでいじっただけの私が悪いことになっていて、それを謝ってこいという。(逆に何かで私がいじられたことも多々あった)

しかも、前の件って一方的に縁を切ってたのは自分なのに、古い昔の件があるから私が悪いっておかしいでしょ。

あと、

「謝ったら許してやっていい」

という上から目線意味が分からない。

あの時は私が「許してやる」はずの立場なのに、なぜ下から私が「許してもら」いに行かねばならないのか。

「俺は精神的に普通じゃないんだから、変な行動をするかもしれないって言ってあっただろ」

と、自分暴走することまで正当化する。

それらがあまりにばかばしかったし、周りみんなから無視するようにアドバイスされていたので、数分おきに入っていた着歴もブログコメントも全部無視していたら、

「もうお互いのことは忘れよう」

とか

「どんだけ内面子供やねん」

みたいな内容のメールが来て、それを最後に連絡は途絶えました。

ようやく連絡が途切れてほっとしているものの、おかげで2作ほど盗作扱いされた小説はあげられなくなりましたし、もやもやしたものが私の中に残りました。

そうしてしばらくもやもやしていたのですが、ふとした拍子に「ボーダー」という存在を知り、ああ、全くあてはまるな、と思ったのです。

来歴の嘘をつき、相手の同情を誘う。

きつい言葉を叩きつけ、激怒するくせに、少しするところりと機嫌が変わって普通に接してくる。

逆にきつい言葉を言われたり、無視されたりすると、自分存在自体を否定するような言葉を言って消えようとする。

何かあると自殺をほのめかす。

自分が悪かったことを捻じ曲げ、相手のせいにする。

などなど。

でも、今境界性人格障害について知ったのちは縁をきれて本当に良かったな、と思っています

自分が神の世界を作りたい」

なんていう考えの人間のそばにいられはしないし、そんな人が支配するサークルではやっていけませんからね。

物理的距離がものすごいあったのもよかったです。

疲弊はしましたがネットストーキングで済んでますから

彼曰く、私は悲劇のヒロインらしいですが、別に同情なんてほしいと思ってません。

ただ腹が立つので吐き出す場がほしいだけです(笑)

そして私の場合、吐き出すのに一番いい方法が文章を書く、というだけです。

これ見つかってまたメール面倒ですが、その時はその時です。

これからはそれらしき人がいたら、距離を置こう、と心から思います。。。

2011-12-29

自殺率が高い理由について考察

絶滅の森 〜アマゾン最後の民シクリン〜という番組でこういうシーンがあった

ある男「娘と結婚したい」

娘の父親「成人の儀式を受ければ認めてやる」

(翌日)

部族長らしき男「男として認められたければ、痛みに耐えろ!」

(踊りののち、スズメバチの巣へと向かっていく。男の母親儀式最中自分の体をナイフで傷つけていた)

シクリンという部族では痛みに耐えられない男は男でないという暗黙のメッセージが漂っている

日本でも、ぐちを言う男は嫌われ、ぐちを言いたくなる状況でも言わないように我慢してないと、女から恋人対象の男として見られることはない

男は男として認められたければ、どんな時も我慢して耐えるしかない

でも、我慢には限界がある

臨界点を超えれば自殺するかプッツン切れる以外に道はない

現実的に考えてみると、プッツン切れることは社会的に非常にまずい

下手すれば警察沙汰だ

それを避けるには自殺するかない

一部の国を除き、男性自殺率が高いのは自殺する以外に手段が限られていることが原因なのかもしれない

男性自殺率を下げるには我慢しないと男性として認められないという状況を変えるほかない

だが、フェミニストたちは男性の声を上げるだけで抹殺しようとする

それ以外の女たちも我慢しない男は男として認めない

頼るべくは周囲の男たち以外に道はないのだが、恋愛したければ、我慢しないといけない状況ある以上、頼りになりそうにない

未来永劫、男性自殺率を低下させることは無理なのかもしれない

2011-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20111205150702

馬鹿じゃねぇのか。

そういう就活って儀式をやってるだけの紋切り型学生は、マイナビリクナビで採れるって、どっちの記事も言ってるべ。

お前は何と闘ってるんだ。

2011-12-01

日常系は現実離れしてるのか・・・

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20111129-OYT8T00833.htm

日常マンガ」が人気…現実離れのステキ空間

現実日常の方がむしろ非日常的な時代日常マンガの読者は、そんな“現実日常から離れてひとときの癒やしを求めているのかもしれない。あらゐさんはこうコメントしている。「現実でも夢でもない、そんなステキ空間があるのが漫画だと思っております

いや、「日常」はそうかもしれんけど、他のってそんなに現実離れしてるか?


あと現実じゃない日常ってどういうこと?東方ってこと?

なんかの記事で、東方のコンセプトは現実から失われたもの日常として取り込む異空間みたいなもんだというのを読んだことがある。異質なもの日常に取り込む儀式だけ神主ZUN)が代行して行い、日常化された異質を二次創作者が楽しむという構図があるみたいなやつなんだけどけど、どこいったか忘れた。誰か探してけれ。

その記事書いたヒトが、「日常」とか日常ものアニメをどうとらえてるか知りたい。

2011-11-20

[][]2

主殿 とのも

佩刀 はかせ 儀式用の太刀

旨寝・熟寝 うまい 

田螺 たにし

桔梗 ききょう

身を窶す・俏す やつす

徒・徒士 かち かちざむらい

中る あたる

鐚銭 びたせん 粗悪な銭

側女 そばめ 

床机 しょうぎ 腰掛

規矩 きく 規則

帷幄 いあく 帷はたれまく、幄はひきまく。昔陣営に幕をめぐらしたことから本陣、本営。

恙 つつが 病気

手負い猪 ておいじし 傷ついた猪

脇息 きょうそく 

俤・面影 おもかげ 

鳥が啄ばむ ついばむ

馬が嘶く いななく

袂別 べいべつ たもとをわかつ

苛斂誅求 かれんちゅうきゅう 租税などを厳しく取り立てること

2011-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20110721091830

4か月経った。

あれから部屋に溜まった物を少しずつ処分している。

面倒臭がりなのでなかなか片付かない。

全部空っぽにするにはどれだけ時間がかかるんだろう。

1年ぐらいあれば終わるんだろうか。

ダルい

あいいや。

終わらせるための儀式だと思えばね。

明日は何を捨てようか。

2011-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20111014104524

そもそも論?で言えば

結婚式宗教儀式

披露宴は双方の両親が、息子娘を披露する場

だった訳で

 

それが形骸化して続いているってだけでしょ

2011-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20111001000456

自分がずっと思っていたことを文章にしてもらったみたいにすっきりした

オリンピック選手スポーツと関係ないビジネス向けの成功論の本を出させたり、CMに出演させたり

ある分野で偉大な業績を上げた人を祭り上げてその経済効果で金を巻き上げる恒例儀式日本はいつも存在していた気がする

自称クリエイターマスコミ業界サラリーマンたちは祭り上げた人を利用するだけ利用して彼らが血を吐きながら努力して築き上げたもの台無しにする

ナデシコJAPANだってそうだ。あの人達女子サッカーそのもののために努力し続けたんだろうに、

マスコミ彼女らをサッカーと関係ない場所でアイドルみたいに祭り上げてブームを起こし、経済効果が得られなくなれば捨てるだろう。

サラリーマンたちにとって、それが彼女らに良い結果を及ぼすか悪い結果を及ぼすかは関係ない。

時に、道徳的に考えて祭り上げる対象がいい人間か悪い人間かすら関係ない(松本智津夫佐川一政がそうであったように)

金が生まれそうだからやるだけのことであって…

テレビ雑誌を見ながらこんな事を書き込む僕も天の邪鬼なんだろうが

こんなグロテスクな世の中にうんざりする

2011-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20110930163455

放射能汚染に対する不安

「知りたいけど、分からないこと。」が目の前にある。

http://www-pub.iaea.org/books/IAEABooks/7382/Environmental-Consequences-of-the-Chernobyl-Accident-and-their-Remediation-Twenty-Years-of-Experience-Report-of-the-UN-Chernobyl-Forum-Expert-Group-Environment-

20余年の研究成果が無料で手に入るにもかかわらず、まだ足りないと。

民衆が解決策1でも2でもなく、解決策3「儀式的な行為不安を解消」を望んでるのなら、そんなの政府が率先してやることだろうが。

むしろ、その必要性についても上記のレポートには書いてあるんだがね。

2011-09-20

「ある瞑想法と出会って人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ

精神の状態を改善したい人は絶対に読んでほしい。

1年くらい前までは頭の中が欝っぽい考えでグルグルに回ってても「それでも働かないと生きていけないし」などと言いながら過ごして

まだ20代なんだけど、若いながらも死にそうになっていた。親類が死んだこととかも関係して精神が滅入ってたのもある。

元々病みやすい部類には入っていたのかもしれない。

よく病んだとか言ってたし。今だったら10代の娘とかでも、「ちょー欝なんだけどー」だなんだの言ってない?

金と気力を消耗する方法なんかやれたもんじゃねぇ!

そういう悩みから解放されたい一心で、例えばカウンセリングに行ったりとか、まぁ各種様々な方法を探しまくった。

自己啓発とかそんなんに頼ろうが、もう身体が辛くてどうあがいても生産性が上がらなかった。だから直接的に効く方法を探しまくった。

でも効果がそもそもなかったり、一過性であったり、副作用があったり、なにぶん辛いことが多かった。

「金と時間と気力を消耗する」ものばかりだったわけだ。んな方法が続くわけない。

「ヴィパッサナー冥想」って知ってる?

薬に頼ったって、金足りねーし、それも一過性ものだった。

しかしたら体質でどうにもならないもんなのかと思っていた時に出会ったのが今回ご紹介する「ヴィパッサナー瞑想」。

最近テレビなんかでも出ているときがあるので知っている人がいるかもしれない。

それなりに有名になってきたのだ。この記事を読んでからでいいんで、googleで「ヴィパッサナー瞑想」で検索してください。

頭の中のガラクタをなくしたい…

俺が絶対的に要望としてもっていたのは

 1.金がかからず、高い質

 2.気力がいらない


精神の悩みでいうと

 1.胸のつまり(なぜつまるのか、よくわからんが、呼吸するのが辛かった。生きるのがむなしかった。)

 2.心の疲れ(潤いがない。乾きまくり人間にとって優しさが大事とはよく聞いていたけど、なぜかそれを心でよく感じていた。イライラがしんどかった)

 3.頭ん中グルグル回る悪い想像(これは今思うとこれに振り回されていたんだなという感じで、重くて、辛かった。)


の3つ。今思うと、よく↑で仕事していたと思うわ。過去自分を振り返って、自分自分尊敬もするが、もっと早くヴィパッサナー瞑想を探せよ!という気持ちにもなる。

どんな瞑想法なの?

「ヴィパッサナー瞑想」は、簡単に言うと今という瞬間に完全に注意を集中するメソッド。俺が最初に読んだのは「意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 」という本だった。

アマゾンの評価も高かったので、買ったのだが、この本が今思うと当たりだった。

開発者ブッダさん自身のむなしさから抜け出すために作られたエピソードとかが載っていて、意欲をかき立ててくれる。(DVDがついてないのが、惜しいけど。)

瞑想法自体はとにかく簡単だった。何しろ一番始めに乗っていたのが歩くままやる瞑想法だったから。

さらに「イライラが止まる」やら「頭の中のガラクタがなくなる」やらの効果が書いてあった。

「本当に歩くだけの瞑想法でこんな効果あんのかよ!?」と思いながら、本を読みながら部屋の中を歩いて、「歩く瞑想」をやったのだった…

歩く瞑想!!!!!!!!!!!!心が静まったあああああ!!!!!

  「左足から歩くならば、左足に神経を集中させ、「左足」とこころの中で言葉で確認し、同じく「あげます」と実況しながら左足を上げ、

   「運びます」と実況しながら左足を運び、「おろします」と実況しながら左足を降ろす。同様に右足も、足の感覚を丁寧に感じながら、ゆっくり歩く。

   このように実況中継を絶やすことなく歩くことを続ける。」

というのがやり方。実に簡単。

で、これがめちゃくちゃ頭の中でうずまく妄想を止めるのによかった!

寝る前に座る瞑想法も試してみたのだが、同じようにからだの感覚こころ感覚を、実況し続けたのだが、いつもはなかなか寝れないのにそのまま寝ちゃっていたのだ。

そして爆睡。ほんとは寝ちゃだめなんだけど。

寝起きの力

子供の頃なんて毎日爆睡だったけど、大人になってからは、そういう感覚ってなかった。それが1日にして蘇った。

朝起きたとき「え?……あぁあの瞑想して寝てしまったのか」という感じでぽかんとしていた記憶がある。

で、いつもだったら起きたくないなぁ、あれやらなきゃなってふとんの中でグズグズ妄想が頭ん中を回るんだけど、それに気づく。

あぁ、いつもこの頭の中を回るガラクタに惑わされていたんだって気づく。

そこから脱出したとき快感は凄い!

精神学者名越康文も朝の自動思考について仏教を例に説明している。http://igs-kankan.com/article/2011/08/000476/


1日にして「ヴィパッサナー瞑想法すっげえええええええ」となったのだった。

ヴィパッサナー瞑想法の経過、1週間、3ヶ月、1年

んでその後は、買った本に乗ってある奴を徹底的にやった。歩きながら瞑想するのは体と心が同調されていい。

とにかく気力がいらないという点がよかった。つまり、今に集中しろ、現在に気づけ、観察しろ、ただ知れってことだから

まり、"Don't think, Feel!!!"というブルース・リーが説く状態に持っていくということ。

1週間くらいしたら、こころの状態がすこぶる良くなっていた。身体が新しくなった感じがして、呼吸するのが気持ちよかった。

心の疲れはちょっと残り続けていたのだが、3ヶ月くらいやってたら、気付いた時には「あれ、心がなんか静まってる」となってあの重い感覚は7割方消えていた。

怒りも静めることができるようにもなった。

で、今ちょうど1年くらい経ったんだけど、すこぶる調子が良い。歩くのが楽、呼吸するのが楽、良く笑うようになった。このヴィパッサナー瞑想法との出会いが間違いなく自分を変えた。

心の調子がよくなると、体の調子が変わるのは確か。「なんか悟り開いたみたいだな」とよく人から言われます。前までは悟り開いてなかったのかもしれない。

ヴィパッサナー瞑想法どこで知るの?

俺のオススメスマナサーラ長老小池龍之介。まあ前者の方が俺は好きかな。

大抵この2人が今の瞑想入門の売れっ子って感じ。(他にも色んな入り口があるってことね)

是非、オススメなので、ヴィパッサナー瞑想法知って下さい。大きい本屋にいくと、ヴィパッサナー瞑想コーナーがあったりします。店員さんに聞くといいです


ちなみに日本テーラワーダ仏教協会というところに載っていました。無料で見れますhttp://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

ヴィパッサナー瞑想法作った人どんな人

余談だけど、このヴィパッサナー瞑想法を開発したブッダさんという人は、凄まじく天才なんだそうだ。

若いときは、王国王子として生まれて恵まれた生活を送ってたんだけど、生きることのむなしさを感じて、出家して、悟りを開く(笑)

で、仏教っていうの教えるんだけど、それは神やら儀式やら主義じゃなくて、内なる現実ありのままに観察することによって、その本質を理解しろよって言ったんだ。

話が、本当かどうかはこの際どうでもいい(俺は本当だと思うけど)。ヴィパッサナー瞑想法が効果あるのは間違いないのだから

ヴィパッサナー瞑想法を拡散してくれ。

匿名ダイアリーは巨大ブログだと誰かが言っていた。是非、ヴィパッサナー瞑想法を拡散してほしい。

ちなみに仏教団体(色んな怪しい人達いるから気をつけてね)の回しもんじゃありません。とにかく良いものには広まってほしいと思う一心です

勝手な言い草だけど「ヴィパッサナー瞑想法合わない」なんて言う奴は、この世にいないと思う。万人向けに作ってあるから

というか、西洋人でも瞑想を生活に組み込んでいる人がいるのに、日本人が正しいやり方を知らずに実践していないのはマジでもったいないと思う。

(合わないとか言う人はやり方が間違っていると思われ。でも、マジで病んでるって奴は精神科行った方がいい。)

ヴィパッサナー瞑想法、マジおすすめ人生変わるわ。

http://anond.hatelabo.jp/20110918100006

2011-09-19

自分は基本的に仏教を信奉するけど、輪廻転生を信じていない。

百歩譲って人が輪廻転生するとしても、お盆迎え火送り火なんて全く信じない。

先祖の霊をお迎えするなんて、輪廻転生の発想に沿わないではないか

生まれ変わったはずの人間の霊が、なぜお盆我が家に帰ってくるのだ?



また、同様の理由で、墓参りの習慣も謎だ。

その墓には誰もいやしない。物質としての故人は世界に溶け込んでなくなってしまった。

そこにあるのは火葬されて焼け残ったいくばくかの骨と灰だけだ。

そして、仮に輪廻転生があったとしたら、故人はどこかで別の人生

(ま、人として生まれ変わっている保証はないが…)を歩んでいる。

(自分場合墓参りとは、お世話になりましたという意味で故人に祈りを捧げる儀式であり、

それ以上でも以下でもない。)



というわけで、

お盆だのなんだのの日本仏教行事無意味に思え、面倒くさくさえ感じるのであります

現世に生きている他の人間との関係上、一応、お付き合いとして参加するというのが、

自分の今のスタンスなのでした。

2011-09-17

別にどこにも行かなくていい

http://anond.hatelabo.jp/20110916231838

私が18歳から21歳だったころ、彼は21歳から24歳だった。他人の話にチャチャを入れるのが得意で、他人の話の揚げ足を取っては、私を笑わせてくれた。でも、そんな性格じゃ、誰からも引き上げてはもらえない。だんだん、生活が追い詰められていって、私は捨てるように逃げてきた。

それから25年間、きれいさっぱり忘れてたんだよ。そんな男のことは。

努力が得意できっちり社会的責任を果たす男性結婚して、子供2人産んで育てて、なんだか私も平凡な人生って奴を手に入れたなと思ってた。そんなとき同窓会があって、彼はそのとき、来なかったんだけど、なんだか、やっぱり経済的につまづいてるらしくて、つらそうで、メールアドレスを教えてもらって、ときどき連絡を取っていたりして。一度会おうかとなって、会えばやっぱり好きだなと思って、でも、私には夫がいるし、そのまますれ違っていくはずだった。彼と会った直後の、夫の健康診断で、夫が末期癌であることが発覚。パニクる私を彼はメール電話で支えてくれて、私は5カ月間、絶望を噛みしめながら、でも、狂わず(たぶん、周りは狂ったと思ったらしい)。夫の49日が終わってから、彼とよりを戻した。

25年前に別れたときは、お互いに、かなり酷い言葉をぶつけあったから、最初儀式が「お互いに謝ること」だったり。

彼は性格が変わってなくて、私は笑わせてもらえるんだけど、やっぱり、生活には向いていないので、今はなんだか、私のヒモ状態だ。ときどき(より戻して良かったんかなあ)と思わなくてもないけど、無意識の底にまで、彼へ未練が染み込んでたんならしゃーないなと思うことにしている。

忘れられないなら忘れなければいい。進めないなら進まなくていい。1秒ごとにババアになるのは、世界中人間が同じ条件なんだから気にしなくていい。でも、出来ることなら、1秒ごとに、いろんなことから自由になったほうが、人生は楽しかろうとは思うね。

2011-09-08

猫の感じ

http://anond.hatelabo.jp/20110908093243を可能な限り段落を再現してエキサイト先生翻訳して頂きました!



長い間、私は暗箱にいます

私が箱の外部で聞いた誰かのコメントによれば、劇薬を含んでいる小さなボトルは、この箱に位置します。ボトルは完全に密閉されますが、ハンマーボトルの近くに配置します。また、彼らは、ハンマーがある時に倒れるだろうと言いました。

いつになるかは「ある時間です?私は知りません。このまさに瞬間に?あるいは遠い将来?恐らく、それは既に来ました(私はそれに関して考えたくありません)。誰もハンマーに影響することができません。独立事象として、それは、見込みで50%倒れるでしょう。見込みはちょうど50%です。ひょっとしたら、ボトルは壊されるかもしれないしあるいはだろう。自分に関して、死者、あるいは、生きている。

私は言わなければなりません、状況はどれくらい恐ろしいですか。

私は、猛烈な憤慨を持たないようにはすることができません。私の人生(私のための最も重要な問題)は、私から完全に離れており、単純な図、FIFTY PERCENTに単独で依存します!あまりに恐ろしい。

さらに、私は、それは完全に不合理であると思います(そして)。私は、ちょうど50%で見込みを維持する多くの方法で束縛されます

視覚。箱は、任意の光から完全に保護されます。それは、ボトル装置を見つけるおよび破壊することから私を回避するためにあります。完全な暗さ。私は完全な暗さにいます。したがって、今、私は、自分アウトラインさえ見ることができません。恐らく、それは奇妙に思えます。暗さは私に私の体自体の存在について疑問を抱かせます

聴覚の知覚。恐らく、私が上に言及した理由から、完全な遮音は使用されます。私は、私自身の音声さえ聞くことができません。私はメカニズムを知りません。まず第1に、私は、何も見ることができないとともに、どのようにそれを調査することができますか。したがって、これは恐らく推測だけです、私の鼓膜はこの箱の中の包囲の前に破損されました、あるいは、ある特別の資料は箱の壁に使用されます

とにかく、光と音の保護であまりによい暗箱では、ちょうど用語が示すように、私の視覚的・聴覚の知覚は死んでいます

たかも一層の確認が必要かのように、私を極度に圧迫する巨大な疲労は私のための別の拘束物です。それらは努力から私を回避するために私にある種類の筋弛緩剤を与えたように見えます。私が同じ姿勢から変わることができないとともに、私の触覚はほとんど麻痺しています

光はありません。音はありません。匂いと味は信頼性が低い。触覚は不調にあります。私は操り人形に似ています。すべての五感は私のコントロールが不足しています。あまり残酷です。完全な拘束物。それらが睡眠薬を与えていた場合、私は望みます。私は、外傷のない苦悩にいると思います。私の生活(私の存在(自体))は完全に無視されます。そのような屈辱は私の正気を維持します。そのような屈辱けができます

自分の生および死をコントロールする権利は完全に奪われます。私はそのような状況を嫌います。私の生活の連続性の中核決定要素は完全に依存します、で、単独で、で、純粋な見込み。誰からでも完全に遠方に、意志があります。私は再びそれを嫌います。私はそれを嫌います!

なぜ私は、そのような箱で囲まれなければなりませんか。そのような途方もない箱では、なぜ私は、そのような完全な拘束物を備えた、生命不安および死にいなければなりませんか。

不合理です残酷です

私は孤独です。私は、中身がなく、水平に感じていますか。すすり泣かないようにすることが困難です?番号私の孤独はるかに深い。私は空間の海でいます。私は一人です。完全に孤独です。孤児として、私はこの無限の暗さに向けられました。私は絶対零度の中で震動しています

この箱に展望はありません。暗さだけがここにあります。私はボトルハンマーを感じることができません。私は壁、底および天井をまた感じることができません。それらはそこにあるに違いありません。しかし、私の五感がすべて奪われます。何もないように、私は感じます。それらのものがいくつかの意味を持っている一方。

正直に話して、私は、箱にいるかどうかそれほど分かりません。私は、私の姿が存在すると確信します。私は考えています。私は空想しています。それは証拠である、私の独自性を示すこと、呼ばれる、自我あるいは意識、あるいは心、固体ですしかし、独自性はありますか、本当に箱で囲まれる?それが別のスペースで浮かんでいることはありえますか。私はそのような疑問を除去することができません。

恐らく、私がここでであるものは、宇宙に結局浮かんでいるか、あるいはマリアナ海溝の底に横になっています。あるいは恐らくキラウエア火山の穴から下降して行くこと。

私には、箱(私を囲んで)がどのようにか知る方法がありません。私の感覚はすべて死んでいます。私は、ここに、箱の内部があるかどうか判断することができません。

私は、本当に生きているように、それに加えて、確かではありません。私には、そんな単純なものを確認する方法がありません。恐らく、50%の見込みは私を越えて既に通過しました。恐らく、私は既に死んでいます。私はまだ、恐らく生きています。浅くて、筋弛緩剤を注入された、呼吸する、弱い心臓の鼓動。あるいはそれらのすべての停止(単に去る肉大型丸薬)。

私は私自身の身体をコントロールする任意の能力を奪われます。誰が私の心が重大な活動を継続する身体に存在すると言うことができますか。五感は完全な暗さで毒されました。それらは感覚器として機能することができません。私は、真実を知る見込みがありません。恐らく、どんな推測も一人で作り上げられます。私を包む状況および自分独自性は恐らくプログラムされた回転プレーのコンポーネントです

私の存在に関して、私は振る舞いを決定することができません。私は、それを認めることを嫌いますしかし、私は変動の最中です

私は、誰かが私を見つけることができたらと思います。私は、誰かが箱を開くことができ私がいかがか言うことができた、らと思い、私がどういう人か決めることができました。私の内側にそうするのに十分な力はありません。私ができるのは孤独の中で震動し続けることです

もし神ならば、私は言うことができるでしょう「そこにさせる、軽い。」私は、それが不可能なことを知っていますしかし、私は、私がそのように言うことができたならばどれくらい素晴らしいだろうか思わざるをえません。

私自身の自由意志!それは、自分を取り巻くすべての変動を固定することができました!

同時に、切望は影を生産します。箱が開かれるなら、私は見つかり観察されましょう。その結果、私の姿は決定されるでしょう。実を言えば、私は決定を心配しているという事実から視線をそらすことができません。

一人で生きているか死んでいるかどうか判断することができませんが、私は死を恐れています。残念ながら、私は死者として決定します。私は受理することができません。まだ、私は感じることができません。私は特定の現象として死を想像することができません。恐らく、そのため、私は死を恐れています

いいえ、それは私に制限されるべきではありません。高潔なキング。致命的な殺害者。規則的な人々。すべての同じ。恐らく、悪い疾病の年上の人々あるいは患者は、十分に真実の死に近いある想像を持つことができました。しかし、それでも、死の特定の経験を知ることができません。

結局、死は圧倒する重要性を備えた最終仕向地です時間意識は絶対的な不可逆性を持っています。死にはさらに変更することができない完全無欠さがあります。それが儀式の通過点あるいは顕著な印象的な出来事でも。

私自身、ここの私の心はそうです、そのときは消えられるだろう、どれ、私がいかがかが決定されます。それらが生ぬるい水(私はその中で温度を感じることができない)から奪う場合、私は、大気に身をさらさないようにはすることができません。

私はそのような不可逆変化を恐れています。それは死の決定に制限されていません。さらに、非常に心配しているので、私は生きていて決定されます

自分現在存在は、無限ポイント上に立っている小さく小さな幻覚に似ています。それほど大きくない。それほど小さくない。それほど長くない。それほど短くない。拡張はありません。収縮はありません。ユニークな単一のポイントで立っていること。それは数学上正確です。私は、自分同一性に関する混乱があるそのようなポイントでとどまるゴーストのようなものです

ポイントは同時(ある位置で既存でない)に座標の飛行機ですべての位置で存在します。ある出来事が生じれば、その瞬間においては、それは、すべての地空(あたかも私の招待がバスから降りるかのように、出来事がその中で生じた)中の単一のポイントに私を集中させるでしょう。関係なしで。ポイントと私がものだったとしても。

幻覚(それはそのようなポイントでとどまった)は、等しい程度に対して、実際で霧のように消されているの可能性を持っています

さて、私はすべての配当通過時間の中で既存です。そして、私はすべての自然を持っています。同時に、私は孤独からそれを受けています、私はすべての自然から離れています。私は、誰かが私を見つけることができることを望みます。同時に、私は非常に心配しています、私はどこにいてそれ、私はその瞬間にいかがでしょうか。

私は原因と結果の法則から解放されました。私は常に永久に決定しません。

2011-08-19

なぜムラに住んでいると無神経なものいいになってしまうのか

同調圧力って言葉ではしょっちゅう使うけどどういう意味だろう。

まずWikipediaで調べてみた。

職場などある特定の集団において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。

多数決ではなく、全会一致を求められる場面で発生する。

少数意見を有する者に対して強制的に態度変容を強制する手段はさまざまな方法がある。

少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な強制

・多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、少数意見を有する者に対するネガティブ・キャンペーンを行い風評被害を与える

・「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する

意見の根拠を問い質す

同調圧力をかけた集団から社会的排除を行うなど


専門的には「斉一性の原理」という方が良いようだ。

ある特定の集団が集団の内部において異論や反論などの存在を許容せずにある特定の方向に進んでいく事.

多数決で意思決定を行う場では起こらず、全会一致で意思決定を行う状況で発生する。

斉一性の原理が働く場では、必ず「自薦の用心棒」が現れる。



同調圧力が極まった状態のことを「沈黙の螺旋」というらしい。

少数派だと自覚している人は、多数派からの反対や孤立を恐れて自分意見を表に出しづらくなることを示している。

その結果、少数意見は、その存在自体がより一層に隠蔽されていくと云う悪循環が生ずる。



これに服従の心理とか監獄実験のアレとかもまじってくるのかなー。やだなー。



斉一性の原理」や「沈黙の螺旋」を抑えるための方法も考えられている。

・「自薦の用心棒」の活躍を止めるためには、反論の動機も根拠も客観的であるとの姿勢を貫かなければならない。

・「沈黙の螺旋」を克服する一つの方法は、議論の中で「悪魔代弁者」(多数派にあえて反対する者)を用意することである。このような立場をあえて設定する

などが挙げられている。




以下余談。

個人的には同調圧力は2つの方向に働いているような気がする。

1つは少数者を排除する方向。これはわかりやすい。

でももう1つあると思う。

多数者にできるだけ過激な言動を取らせる方向が。

そして、どちらかというと、いじめってコッチの方向の圧力が問題じゃないかと思う。





斉一性の原理が働いている時、たぶん、やってる本人たちもおかしいとは思ってる。

おかしいと思ってるから、余計に安心したがる。

から「何があっても許し合おうね」みたいな雰囲気ができる。

で、それを確認する儀式が行われる。

簡単に言うと、「通常時だったら反社会的な、非道徳的な行為」をやらせる。

「この場での多数側に賛同することはとても重要から、そのためだったら悪いことをしても許される」となる。

そうやってるうちに、だんだん善悪感覚が鈍ってくる。常識的に考えることができなくなる。

そこまでしないと「集団がひとつ意見に集約される状態」ってのはできないんだろう。




私の親はとにかく無神経なものいいが目立つ人だった。

子供である私に対してだけならともかく、PTAや近所の人との会話でもいつも無神経な言動ばかりだった。

そのせいか、近所の親や学校の親でも悪評が立ち、地区子供会でも学校でもよくいじめられた。

そのことを報告しても「あんな常識のない奴らが何をいおうが俺には関係ない」と放置された。

どうしてこんなに無神経なことを言って、しかもそのことをおかしいとおもえないんだろう。

どうしていつも周りと摩擦を起こし続けているのに自分が正しいと信じて疑わないんだろう。

田舎育ち、団塊どまんなか、社畜人生、そういったものが両親の人生にどう影響を与えてるんだろう。

そう思ったら、両親の態度も、いろんな同調圧力の結果なのかもしれない、と思えてきた。



村全体が、ろくに目的もなく一致団結するためには、こういう歪んだ方法が必要なんかもシレンけど。

なんというかほんと気持ち悪いです

2011-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20110813103143

風習に「非科学的だ!」とか言ってどうすんの?

そういうのは「賢いつもりのだだのアホ」だと思うよ




竹の炭に多少の発ガン性があっても

それを飲むことにその土地土俗の風習では価値を見出せてるわけだろ




「お前ら宗教儀式で食い物じゃないもの飲むんだから

 セシウムだってガタガタ言わずに飲め!」

なんて

言ってるほうが頭悪い野蛮人だよ

ほぼ全レス返し「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終

まず、人は特性として自分の好きなものに向かっていく。

好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する

…いやごめん、それは憶測かもしれん。




でも高確率で人は好きなもの自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。

わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、

苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。

自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。




ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。




金がほしいし、

恋人がほしいし、

仕事したくないし、

気ぃ遣うの疲れたし、

時間がほしいし、

休みたいし、

あのボケナス脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、

あー遠いなー 幸せって。




からまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。

ストレスばっかりたまっていく。




もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、

要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。

建設的でないからそんなことを言うのはやめろ、

(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。




ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分幸せだと周りも幸せになるということを知っている。

その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。




更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。

糾弾されるのはネクラネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。

しか悲惨なことにその説はだいたいあってる。

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

人はだいたいどんな環境でもある程度慣れてしまうのだ)。




それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。

なんていうか、ネガティブになるしかないって状況だ。

仕事場や学校たまるストレス愚痴として発散するのと似ている。




みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。

世の中の理不尽ネガティブさを無視することができないのだ。

「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。

ネガティブ発言禁止令が施行されたらきっと狂うだろう。




あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?




まったくストレスなく人生を送れる人なんていない。

友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?




そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。

ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。

できればwin-winの関係がいい。




もうちょい考えを深めてみよう。

論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。




  • ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。
  • そうでない人たちはなんでネガティブな発言を許せないのかということ。



ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである




実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、




ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。




環境改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、

世界だんだん美しくなっていくように見える。




しかし、それは世界が変わったのではない。

自分しか変わってない

世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、

もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。




ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。




世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。




できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。

言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。




しかしもう一つの疑問が残っている。




なんで、人はネガティブな発言を忌み嫌ってしまうのか?

人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、

たぶんね。




しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくはない。

人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?

そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。

人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。




ニューギニアの島では弔いの儀式として食人文化があった気がする。

今はない?

かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?

まあなんでもいいけど、食人の習慣があったのは確実である




それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである

アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、

またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。

前者の場合は夫の子であり、後者場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。

この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。




日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、

ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。




「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」




ある事象価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合

特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見しかないのかも。




あれ?ちょっとまてよ…。

ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?




んで、

今その理由を書いたよねえ。世界はいろんな価値観を持った人がいて、

それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。

「みんなちがってみんないい」論法




でもちょっとまって。

ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。

そして、そうでない人はネガティブな発言を嫌悪している。




バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」




そうなのだ。

ネガティブな発言というのはポジティブ感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである

ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。




これはなんともバカバカしい話だ。

自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから




ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、

その前提が成り立つことを許してもらえるなら、

自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」

ってことになる。

そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。

ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。




このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。

しか嫌悪する感情は否定されないことになる。

わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!

○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!




というわけで




これでみんなハッピー?かな?

間違ってるかなあこれ?

2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎




ここまで読んでくれてありがとうございました。




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追記









現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います

正直、賛同してくれる意見も多くて助かりますが、

どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです

考え方としてまだ稚拙で詰めの甘い部分もあるかと思いますが、

慎重に言葉を紡いでいきたいと思います






お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの


ぼくはたぶんネガティブなんだと思いますポジティブそうに見える書き方になっていますが、

ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです

せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。






何か発言しよう、と思うとネガティブなことしか思いつけない病


そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。

殺したくないんです






増田みたいな奴は正直生きてる価値無いし死ねばいいと思うよクソが。安全地帯にいる奴は気楽でいいですね。


ごめんなさい。生きててすいません。

生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています

ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。

よかったらぼくのブログを読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/






新人の頃、意識的なマイナス思考仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方


建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。

未来という不確定性を検証するための思考はプラスマイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。

ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考封殺したくない。

ぼくは人の発するマイナス思考にすごく救われています






あとでよむ


お願いします。






そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。


ネガティブなことを言いたい人って実はあんまりいないのかも。

誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。






これに関して自分は結論がまだない


ぼくもたくさんの意見をいただいて、

これで終わりにすべきではないと思いました。






ネガティブであれポジティブであれその発言を自分感情だけで否定するよりまず相手の気持ちを考えれば少しは寄り添えるだろう


そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います

問題は、双方にその余裕があるのかということです

個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います

もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。






結論は俺も同じ考え。


ありがとう

現状が少しでもラクになればいいんです

死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。

ぼくはどうせなら後者のほうがいい。







わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)


ぼくはそれを咎めません。咎められません。

あなたはもっとあなたらしく生きてほしいのです






とりあえず、うっかり口にしたネガティブ発言に対してネガ感情をぶつけてくるポジティビストは怖いなあと思う


怖いです。ほんとに怖いです

でも彼らを嫌いになれないのです

ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、

その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて

ゲスなことを考えてしまます。なんでこんなことに…。






【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。


どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて

まずは一緒に泣きたいんです孤独はとてもつらい。






バーローww


ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。

でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。






ここでコメントしてる人達同士は仲良くなれなさそう


クズ人間を集めて、ユートピアを作りたい。

クズでもYESと言いたい。






注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい


カウンターできません。

ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです

ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では

バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。

ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、

それもぼくにはわからないのです






ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから


ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。

 「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。






暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率キャラってやつなのかしら


そうだと思います

ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、

それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います






ネガティブな発言をしている人間ネガティブ志向解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。


これはたしかにそうだと思いますネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディ昇華する人はいると思います

(その喩えが適切かどうかはわかりません)。






読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。


人間失格にある


(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)


という言葉が印象に残っています

自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。

ぼくはそれをどうにかしたい。






何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。


甘えたいです。ごめんなさい。

ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。

自分ウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。






皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。


例えば、学校デブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、

ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。

乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。

メンタルの弱い人に救済を。






嫌いな曲集めて聴く行為はたまにする。訓練と寛容のために。普段聴かないジャンルにもかじっておくぐらいの気持ちで


あなたは素晴らしい人だと思いますあなたのような人が救いになるんじゃないかと思います






出家するべき


徒然草を読んでから、山に草庵を建てて暮らしたいと考えて

今も思っています






ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね


誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまます

その気持ちがわからないけど、否定したくないです






間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。


長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。

それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。

何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。






前にポジティブシンキングだかの企業倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。


解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。

ぼくは今よりもう少し寛容な社会を望みます

そしてぼくはポジティブではないと思います。たぶん。






何を言っても気に入らなければネガチブだの暗い明るいに結びつけたがる人のそばにはいたくないなあとは思った。


そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。

しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、

ぼくはこのケンカをやめさせたい。






言ってもいいんじゃないかと思う。だってにんげんだもn…(ry


ぼくもそう思います

もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、

根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。

から、やっぱり「それでいい」ということにしたい。






ぼくはもっともっと慎重になりたい。

間違ったことをしたくない。だから

賛同する意見も非難する意見も助かります




ありがとうございます

2011-08-11

いきなり恋人を作ろうとせず、まず異性の友達を作ること

こういう人ってたいてい、異性を恋人候補と他人のどちらかにしか分類できないんだよね。

異性の知人や友人という枠を持っていない。だから恋人ができないんだよ。

同性と同じような話を普通にするが恋人ではない、そういう関係の異性をたくさん持つようにすること。

誰が相手でも、自分が喜ぶことを優先せず、相手が喜ぶことはなにかを考えよう。

誰にでもモテる必要はありません。普通でいいんです普通で。

そしてその普通自分マッチする人を探していくものなんだよ。

それから告白は確認の儀式です。のるかそるかの告白は絶対してはいけない。相手に対しても失礼です

同じものを見て、同じように笑い合えるような人が見つかるといいね

http://anond.hatelabo.jp/20110811033545

2011-07-06

大臣 認証式って

内閣発足時や内閣改造、単発で大臣が交代した時など、認証式なるものが執り行なわれる。

テレビでもたまに見るあれだ。天皇陛下より認証書を受け取る儀式のこと。


いつも思うのだが、わざわざ天皇陛下が執り行なう必要は無いんじゃないかと。

大臣が交代するのが日常的なものなっちゃって、特に辞め方が馬鹿馬鹿しい理由ばかり。

それに天皇陛下のお体を配慮せずに夜中に行うこともあったりして、失礼千万


いくら国事行為はいえ、天皇陛下ご本人である必要は無いということ。

憲法にも代理を立てることが出来る旨、明記されているので、愛子様で十分じゃねぇのかと。

愛子様で十分と言うと、愛子様に失礼なのだが、あえてそう言わせていただく。


愛子様が画用紙にクレヨンで書いた認証書を手渡す。受け取る側は膝まついて受け取ったら土下座してお礼を述べる。


ついでに「おじちゃん、すぐ辞めたらメっっ!!ょ」と釘をさしてもらう。


寝る時間なので夜8時までに認証式を終了するようにしなければダメ。お勉強している時間帯もダメ

どうよ?

2011-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20110617022238

米国では小中学校では卒業式ないほうが普通のはず。まあFirst grade~Twelfth gradeだしな

あと、イギリス英語ではgraduation大学卒業。たぶんヨーロッパに高校以下の終わりにけじめが必要という文化はないと思われる

日本では国レベルカリキュラム儀式をやることになってしまってるけどな

まあ個人的には課程終了が公的試験で認定されることのほうが重要な気がするね

課程終了が公的試験で認定されるようになれば卒業式も自ずと不要になりそうな気がする

http://anond.hatelabo.jp/20110617021404

横だが、全体としては何らかのけじめは必要だと思うぞ。実際アメリカには少なくとも卒業式(ってかパーティに近いが)はある。儀式パーティかを問題にするのであれば、それは文化論に属する問題であって、参加者の大半が儀式をやめてパーティにしよう、と思ったらパーティにするのもありだろうよ。

今年3月卒業式が中止になった大学がいっぱいあって、俺は卒業できなかったからどっちでも変わらなかったけど、みんなやっぱりなんか落着かない感じだったよ。

2011-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20110531070105

好きだけどな-そのテンプレ

猿夢みたいにわけがからいまま怖い目に遭うパターンだと、楽しむところが「どんな怖い目に遭うか」っていうとこしかない

これに対してそのテンプレでは、「どんな怖い目に遭うか」「どんな儀式呪いを解くか」「呪いの背景には何があったか」等いろいろ楽しむことがあるし、「呪いの背景は実はこれだったんですよ」っていう謎解き的なおもしろさもある

テンプレ怪談

今年も怪談の季節がやってきた

 

某所でこの呼称を見て感銘を受けたので

非常に端的に特徴を表現していると思う

俺はそれまでは「僕の考えた最強の恐い話」とか呼んでたんだけどこっちのほうがいい

 

ネットで怖い話集めようぜとか言うと必ず出てくるひとつステレオタイプな話の類型

匿名型なため作者は不明だが同一の作者を疑わせるほど起承転結がほぼ同じ

例えば八尺様・姦姦蛇螺・邪視コトリバコヤマノケ・リョウメンスクナなど

 

特徴的な部分としては

・ある日悪霊妖怪、祟神と出会い死ぬかもしくは発狂するような強力で確実な呪いを受ける

・そのような非常に危険存在であるのに筆者及びその仲間は地元でも誰もその存在を知らない

カタカナ意味不明漢字名前を持つこの話以外ではほぼ聞いたことがない名称存在

・大体が呪いを受けた後長老存在が出てきて大騒ぎを始める

・その呪いを避けるために聞いたこともないような特徴的で手順の多い儀式を要求される

・その呪ってくる存在の来歴を事細かに説明してくれる存在が出てくる

・設定としては初めて聞かされた話のはずだが細かい部分までよく覚えている

・全体的に呪う存在の由来やそれを払う儀式の説明が事細かで非常に冗長

 

民俗学的には派生として各地に似たような話があるのは当然だと言う人がいるかもしれないが

経験した「筆者」の体験まで似通っているのは不自然である

個人的には怪談はつくり話でも怖がって楽しめれば一向にかまわないと思っているが

怖がらせようというよりも自分の設定を聞いてほしいというような自己顕示欲を感じるためこの手の話が嫌いだ

まぁ稲川淳二が嫌いでしょうがないという人もいるので好き好きなのかもしれないが

こういう話を書く人読んで面白いと思う人間はどういう人間なのだろう

例えるならリング自分の体験した話として語られるような違和感がある

 

はじめに同一人物が疑われると書いたがそうでないならばこの系統の話が好きなフォロワーがそれなりにいることになる

時系列を調べればうけた話があってそれをリスペクトしたフォロワーがいるというだけかもしれないが・・・

2011-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20110523121033

どうしても歌うこと自体が許容できないというなら

起立して口パク、これでいい筈だ。

やる気の無い学生国歌校歌も全部こうしてるわけで、

何故見習えないのか。




(ついでに、消極的に歌うことすら不可、というの自体も変な話だが。

 歌に神通力があるとか、異教の儀式に加わると魂が汚れるとか、汚れは永遠に落ちないとか、

 そういうのは宗教の教義ならあるだろうし、イスラム教徒礼拝を受けさせるのは暴挙だが、 

 進歩的な左翼思想にそのような宗教性や迷信は無いはずだ。左翼にとって歌は歌でしかないだろう。)

からぼんやり感じてるんだけど

サヨの人達ってほんとはもっと迫害してほしいんだと思う。

自分個人の思想にも国が介入してきて、必死に戦うシチュエーションを夢に見てる。

でも実際は国も他人もそこまで彼等サヨに興味持ってくれないか

君が代反対」にしてもなんにしても、

一番問答無用邪魔になるとこ、ウザいとこ、不特定多数の迷惑になるとこを選んで叫ぶ。

「こら、やめろー」って言ってもらえるから

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