はてなキーワード: 出張とは
3年前に娘が産まれてから、俺は育メンになった。1か月の育休後、それまで出張も残業も多い部署で働いていたが、子育ての時間を確保するために、ゆるい部署に異動させてもらった。毎日保育園の送り迎えに行き、帰宅後は夕飯を作り(作り置きを温めるだけだが)、娘を風呂に入れ、寝かしつけをしている。
残業代がなくなり年収は下がったし、仕事のやりがいも前ほどではないが、その代わり、日々成長していく娘の側にいられる。お陰で娘もパパ大好きっ子になった。とても幸福だった。
しかし、大きな問題が発生してしまった。娘が妻になつかなくなっているのだ。娘と遊んでいるときに妻が来ると「ママ来ないで」、抱っこはパパでないとダメ、「パパ好き~」といったあとに妻が「ママは?」と聞くと「…(無視)」。言葉と行動の端々から、妻を阻害するような態度が見れる。妻は、そんな娘の無邪気なリアクションに傷ついている。
妻は、大手上場会社勤務。将来の幹部候補としてバリバリ仕事をしている。子育てをしながらも、キャリアを志向していた。俺も妻も、二人でバリバリ仕事しながら子育てをするのは無理だと考えていた。お互いの両親も地方におり、頼れない。家庭円満のためには、きっとどちらかが仕事をセーブしなければならない。夫婦で話し合い、俺が仕事をセーブすることにしたのだった。
特に産後、妻が精神的に不安定だったことも、俺の育メンぶりを加速させた。休日は妻に休息時間を与えるために娘を公園に連れ出し、三人で外食すれば娘は必ず俺の横に座らせて、俺が食事の介助をした。「ママに全部丸投げして自分だけのんきに飯を食う男」と見られたくないという変な意地もあったのだが。平日も妻は忙しく、家族で夕飯を食べたら即仕事。勿論、妻は育児放棄していた訳ではない。毎日愛情をもって接し、可愛がっていた。ただ、一緒に過ごす時間が、パパのほうがママよりも2倍くらい長かっただけだ。
かくして、稀代のパパっ子が誕生してしまった。妻は、もう娘がかわいいと思えないそうだ。思いつめた表情でぽつりとつぶやいた妻を見て、俺は自分のしてきたことが正しかったのか、悩んでしまった。好きだった仕事を半ば諦め、妻に全力で気を遣いながら、娘とたっぷり時間を過ごしてきた。その決断、行動は、本当に正しかったのかな、と。もう少しバランスを取って、妻にも育児をお願いすればよかったんだと思う。
もうすぐ、第二子の男の子が産まれてくる。妻は、娘はもう諦めて、産まれてくる息子にかけるそうだ。ママからそんな風に思われる娘が不憫でならない一方、当の娘は「パパさえいればなんでもいい」という顔をしている。この前、妻が一週間の出張に出た際も、何事もなかったかのような安定した一週間を過ごした。
息子が産まれてきて、どうなるかは全く分からない。娘がママに冷たいのも一時的かも知れないし、分からない。周りに相談できる相手もいない。5年後、10年後、幸せな家庭を築けるのか。俺は悩んでいる。
パチンコで勝った。
これを丸々支払いに使えば俺の首の皮は繋がる。
だけど先月の給料日3日後からずっとずっとひもじい思いして、急な結婚式への参加や交通費後払いの出張をでっちあげて親に電話でアピールしてやっと実家から引っ張った虎の子の金でようやく大勝ちしたんだ
これを全部支払いに使ったら、また給料日までひもじい生活が続くし親から金引っ張った意味ない。
だから決めた。
今日はこれからテリアをカートン買いしてデリヘル呼んで銭湯とサウナ行って回らない寿司食ってビールも日本酒も飲む。
フリーで入ってたまたま見つけたお気に入りの子も今日は出勤してるし、天気も良いから店で飲んでフラフラーっと歩きながら部屋まで帰るのにちょうど良いんだ。
支払いで残った金でもやしとテリア一箱だけ買って家でチマチマ米炊いて残った豚こま切れともやし炒めるなんて想像しただけで寂しい。
今週は仕事も大変だったし、それを乗り越えた自分への天の慈悲だ。
それでも金が残る。
支払いには足りないけど、これを種にして明日もう一回勝てば支払いも滞らない。
勝ち確の土日。
田舎なんて人口のすべてが知り合いの知り合いの知り合いくらいで収まる社会だぞ
田舎で痴漢があるとすれば、旅の恥はかき捨てという感じで行うよそ者が殆ど
バレなければやるだろうが、基本バレるからやらない、そう言っているだけだ
PJ炎上につき、4月22日から全GW返上してなんとか昨日戦先方に納品して検収も終わって今日から稼働。
やっと休めると思ったら、上司から「この土日は万が一の緊急対応に備えて自宅待機ね❤」って言われてガチ凹みしている。
弊社における自宅待機とは9~20時の間、トイレ休憩と食事休憩以外、
スーツで自宅待機(緊急のWebミーティング/客先出張対応)であり外出は禁止である。
と言うか、そもそもGWの出社も、管理職が命令するけど管理職は預かり知らない自主出勤扱いで、
出勤扱いにはならないんだけどね。HAHAHA。
あー、電車停めてぇ。バラバラの肉塊になってウキウキ幸せ家族連れにぶちまけられて大怪我とトラウマを刻み込みたい。
みんな不幸になれー。
男性に対して冷たい態度とるの申し訳ないと思ってるけどこっちもメンタルしんどいんだ
道聞かれても路線聞かれても手助けを求められても男性だったら全部私にはわかりませんできませんと言って代わりに分かりそうな人、力のありそうな人を呼んでる
学生時代までは素直にわかることであれば教えたり、助けたりしてたんだけど、善意に漬け込む痴漢?が多い
道聞かれてあっち方面でそこの道曲がって……と、その人から目を離して方向指して、その人に目線戻したら下半身露出してたり(距離も近い)
出張で来てて地理感なくてご飯食べれるところないですか?と聞かれて駅向こうにお店たくさんありますよ〜と答えたら、実は知ってるんです、ごはん一緒に食べませんか?とか(高校の制服着てる)
乗り換えの路線分からなくて○○線はどこから乗れますか?って聞かれて教えたら、あなたがさっき○○線に乗ってたの見てました。最寄り駅どこですか?とか
足悪くて階段登れないので肩貸してくれませんか?と言われて肩貸したら胸揉まれてびっくりしてるうちに走って逃げられたり
普通に痴漢とか迷惑行為も嫌なんだけど、親切心を踏みにじられるのも辛い。
未だに声かけられること多く、人呼びますねとか言うとじゃあいいですとどこか行く人も結構いるし、呼んできてくれるとありがたいですといって本当に困ってた人もいる。
いい子いないかなってずっと調べてたのね
出張先で入ってみたのよ
実際入ったら想像より可愛くて対人の印象も良くて調べたかいあったなぁなんて思ってたんだけど
話してる途中にポロッと「お客さんからあまり良いように思われてないから…」なんて言い出したのよ
掘ってみると掲示板で書かれてたちょっとした愚痴で僕からすると気にするようなことでも無かった
「そんなことないよ」だの「それはむしろ良いところだと思う」だの言ったんだけど…掲示板のことは触れずに
その掲示板は普段からギスギスしてるけど、その子のことに関しては95%ぐらい褒められてて
唯一と言ってもいい批判がその内容だった
それなのにえらく気にしてる様子だった
風俗に限った話じゃないけどネットの声ってちょっとの批判でエグく刺さるんだなぁって
改めて思いました。
あのCMの意図は「あれらの楽器や道具がすべてあの薄いiPadに詰まってますよ」というものなわけで、
つまりAppleが言いたいのは「iPadには価値のあるもの(=楽器や道具)がたくさん入ってます」でしょ。
理由は主に2つ。
1つは教員不足は給料の問題だからベアすりゃ解決するだろう、という安直すぎる理論が通った事。
これにより問題が再浮上ないし更なる話題を呼んだなら、またベアすりゃいいだろという流れになる可能性は大きい。
記憶力だけ良い馬鹿が権力握りたさにお金で解決したがるのはいつの世も同じで、加えて奨学金免除までやろうという始末。
調整額制定から改正まで半世紀近く掛ったが、元の調整額には当時の残業時間から逆算という根拠があった。
しかし今回は大した根拠も無い安易な改正であり、そのような前例を作ってしまったまま現状維持を貫こうものなら、次のベアはそれほど時間は掛からないだろう。
X(旧ツイッター)でもあまり見られなくなった教師のバトンタグ。
しかし教員の現状を嘆く声が少なくなったかというと、そんなことはない。
むしろ加速してるといっても過言ではない。
実際、校長すら授業に駆り出されるなんて話は10年前にはほとんど無かった。
もちろん担任出張と臨採有給が被ったり等の一時的な人手不足で、校長が自主学習を1、2限だけ見るというのは当時でも稀にあった。
だが校長が教鞭を取るなんて話はホントごく最近になってのこと。
教師を辞めてから聞いた話なので具体的には知らないが、もし本当に校長が教鞭を取っているのなら今の教職現場は異常中の異常事態だ。
話は少し逸れたが、教職のブラックな状況が細かいところまで表沙汰になってきたということ。
法整備に関する記事さえ出てきたのはようやくかという感じもするが、とにもかくにも良い動きだ。
今後も教員不足の根本的問題が解決しない限り、話題が一旦落ち着くことはあっても消えることなく何度も浮上するだろう。
そんな中、国はどこまで教員不足問題を金と権力で押さえつけらるのか?
教員不足関連の公での議論はまだまだ浅い部分しか行われていないが、徐々に核心へと掘り進められている。
国は踏ん張って金を差し出し続けるのか、音を上げて権利の一部を教員ないし公務員に返還するのか。
何にしても今後が楽しみである。
昔は、横浜市民が崎陽軒のシウマイを食べていないってのは間違ってないかと。
あの商品は駅弁でシウマイ弁当を売り始めたところ大当たりしたところからメジャーになったはず。
(東京から大阪方面に新幹線で出張にいくお父さん方が初期の顧客だったはず)
そもそも、1980年代、横浜市民の生活圏内には崎陽軒のシウマイを購入できるようなお店はなかった。
シウマイを買う機会そのものがなかったはずだ(少なくも、小中学生の自分にとっては)
■家にシウマイがやってきた日
JRや京急の横浜駅。たしかホームあたりに崎陽軒のちっさなお店が次々にでき始めたのだ。
すると、横浜駅に立ち寄った横浜市民が家庭で食べるためにお土産として崎陽軒のシウマイを買うようになった。
当時、母親が横浜駅周辺にある取引先に向かったときには、大抵、お土産にシウマイを買ってきてくれるようになったのを憶えている。旅行に行くときの駅弁やよそから来た観光客向けのお土産という、ハレの日の食べ物のイメージがあったので、それが突然我が家に持ち込まれることにちょっとした驚きがあった。
崎陽軒の出店施策は当たったらしく、それ以降、出店ペースはどんどん加速していった。
それに伴い、崎陽軒のシウマイは生活圏内で買える食べ物、日常の食べ物になっていったように私には見える。
1990年以降、横浜市民は崎陽軒のシウマイを食べるようになったのだ。
■その他
横浜市民はサンマーメン食べないよ(たまの外食で食べたくなるようなものでもないでしょ)
横浜市民は家系ラーメン食べるよ(多分、シウマイよりこちらの方がずっと「ソウルフード」って感じだよ)
横浜市民は鳩サブレー食べるよ(鎌倉に遊びに行った人が買ってきたり、鳩サブレー工場で訳あり品が安く売っていたりと、食べる機会が多いよ)