はてなキーワード: 地元とは
ネットや賃貸情報誌に載ってる物件は、架空の物件ではないけど客寄せ物件て感じで
実際不動産屋まで行ってみると埋まってたり内見できなかったりすることもあったよ。
ネットの下調べに時間かけるよりは、実際に現地へ行って、周辺を確認しながら駅前の不動産を回る方が早いと思う。
条件提示すると、わんさかってほどではないけど雑誌で紹介してない物件をいろいろ紹介してくれる。
不動産屋によってマンション系とか一戸建て系とか得意分野もあって、ある店で良い物件がなくても他にはある場合もある。
あと詳しいこと忘れたけど、確か不動産業を営むための資格みたいなのがあって、
その更新回数が多いほど老舗なんだけど、そういう古くから地元で商売してるとこの方が物件も多くて付き合いやすかった。
新しくて大きいところはノルマが厳しいのか、内見なしで決断を急かされたり、しつこく手付け金の支払いを勧められたり、
ちょっと強引な感じのとこが多かったな。
店構えだけで判断せず、複数の不動産屋をチェックしてみると良いと思う。
家選びは大変だけど、頑張ってね!
ありがとう そうだね
ニートになってそういうふうに考えられるようになって今は地元の大学の農学部にでも言ってそういう仕事をしたいと思ってるよ
学生時代の人間関係が耐えられなかったのは勉強が出来る=偏差値が高い学校を目指してるやつとか、コミュニケーション能力が高い=就活でいい所を目指してたり内定を得てたりしてるやつ
(http://anond.hatelabo.jp/20120206103920)の続きです。
東京都自殺相談ダイヤルは自殺未遂者の周囲の人間に対して何の助けにもならない事がよくわかり、
次は警視庁総合相談センター(http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/soudan/sougou/sougou.htm)に電話をかけた。
ここでようやく事態の重大さに気づいてもらえたものの、結局のところ所轄の警察署の生活相談課に相談してほしいとのこと。
いつまでたらいまわしにすれば気が済むんだよ、もう見捨てるぞ!おい!という気持ちを無理やり抑え込み地元警察署の生活相談課に電話。
すると「まず相手の親に助けを求めろ」との事。
とっくに相談してるのに何もしない、自殺未遂をしたと話しても相手の親は様子も見に来ないと伝えると
「相手を傷つけるか、自分を傷つけるかしないと警察は動けない」と言われる。
傷ついてからじゃ遅いだろう、もうロープに首をかけるところまでいってるんだよ!と言うと
「それなら警察でも保護できる。ただ、一度警察署まで来て事情をもう一度説明してください。
きちんと書面を作らないといけないので」
この国は自殺者を減らそうなんて本気で考えてないんだね、ニッコリ。
■追記
その通り。本人のスペックがいくら高くても、採用自体がもうまったく全然ないとか、都道府県によっては数年間そういう状態が続いたりしてた。
…にも関わらず、地元の教育大学の定員が変わるわけではないしね。どうしろ、と。講師世代は本当に報われない。
最近は、若干採用が回復しつつある(団塊世代の退職により)。で、過去からのいきさつや不況のお陰で採用試験の受験者のスペックはいろいろ高くなってる。まあ、優秀な人が教員になってくれるのはいいが、いざ採用されて現場に行ったとき、「ちょっと上の頼れる先輩」世代が全くいない。20代の上はいきなり40代後半とか、そういうレベルになるので、今度は
・基本スペックが違うので、話が合わない
・そのせいで職場のコミュニケーション不足も含め、意識の共有が難しい
・経験や指導技術の継承しなきゃいけないけど、うまく伝わらない
・「ガリガリ仕事したいが指導力低い若者」と「指導力高いが家庭妻子にリソース割く必要からガリガリ仕事したくない中堅」ギャップ
意外と知らない人がいるので書いておくと
「朝起会」ってのがあります。「実践倫理宏正会」って団体の入り口みたいな感じね。
全国に1300カ所以上に拠点があり、会員数も50万人くらいだという話です。
深入りしなければそんなに悪い団体ではないです。
というより、田舎にいけばわかりますが、ゆるい宗教をベースにした共同体というのは基本です。
宗教と全く無縁なのは、三大都市圏とあと福岡くらいだと思います。
田舎というのは下手をすると家庭や親族内で閉鎖的なしきたりを作ってしまうため、
むしろ、こういう宗教が、親族以外の付き合いを担保することで、なんとか人々をガラパゴス化するのを留めてきたという経緯もあります。
最近むしろ、田舎町でこの宗教の存在感が急速に薄れていることで
20代から30代で親になる人達の道徳観が急速に低下していると問題になってるくらい。
ちょっと迷惑な会員がいるけれど、それは団体そのものが悪いってわけじゃないしね。
「朝起きは何となくいいものなんだ」「ビジネス書でもさんざん進めてるし」と、
知らぬ間にこの朝起き会やら、あと幸福の科学の関連団体に入っちゃってることが私の身の回りで立て続けに起こりました。
彼らは彼らで、特に団体の活動にのめり込んだり、とかいうことはないみたいなのですが、
なんとなく断りづらくて会報を毎月とったり、身内の人に会報を配るみたいなことはやってるようです。
早朝のボランティアなども、自分の意思に反して、付き合いで参加するようなことが多く、あまり楽しくないとも言ってました。
どうも、みんな朝起き関係の活動がきっかけのようなんですね。
繰り返しになりますが、私は別に朝起き会とか実践倫理宏正会が悪いというつもりはありません。
ただ、知らないでなんとなく入っちゃったら、お互いにとって不孝なことになるので、知らない人は気をつけてねって言いたいだけ
今地元にいる。明日からまた東京に行って、生活を改めて始めなきゃいけない。うまくできるか不安だ。人が苦手でしょうがないもんで。
嫌いな人が苦手だけど、好きな人は大好きでその人との関係に依存して生きることになるのが
怖いんだよー。
そのためには、慕ってくれる人を増やすのがいいのかな?
仕事も探さなきゃ
勉強もしなきゃ
尊敬される人になって
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。
『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。
もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。
イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことをずらずらと書いているのだ。
その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。
結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。
ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。
80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。
もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。
日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったとか。
ところが、1982年、大きな転機がやってくる。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。
日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端である。
生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。
「アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」
というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。
街の誰に尋ねても、何もわからなかった。
しかし彼はあきらめない。
「この地方を舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」
図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。
欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。
……だが、読み終えた彼はがっかりした。
実は原作には、最後にネロが天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。
ただただ暗いだけの作品なのだ。
原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。
(この原作と日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)
もしかしたら、それがヒントになるのかも?
彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。
その結果……感動したのだった。
情熱は、いよいよ膨らむ。
一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。
当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。
だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。
ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。
そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像が、ホボケン情報センターの前に立てられた。
除幕式にはアントワープ州知事、市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。
ネロとパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。
ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。
その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。
フランダースの犬はベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。
ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。
その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。
研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性の石井ヨシエと結婚した。
彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せに暮らしている。
……はずだった。
なぜなのか?
コルテールが日本人の妻をもらい、日本とベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。
ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語のサイトでは何一つその理由が分からないのだ。
英語のサイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。
仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語のサイトを日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。
その結果、驚くべきことがわかった。
コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。
だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。
もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。
異国の地にやってきて、海外でしか味わえない自由を満喫したい日本人女性。
彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー人男性。
だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。
二人の間はギクシャクし始める。
その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。
「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」
秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。
「彼は変わり者だからね。我慢さ」
愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。
ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。
二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。
口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。
だが、そのときヨシエは豹変した。
日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事を発見したコルテールを怒鳴りつけたという。
「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」
彼女の口は、悪かった。
その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。
何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。
彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。
しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。
それは、最後のお願いとして、彼女と日本を一緒に旅行することだった。
二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。
……これ、男にありがち。
男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」
他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。
日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。
それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。
それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。
そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。
彼女は、職場のベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかにコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。
……こと、ここにいたっては、どうしようもない。
その時の衝撃は、彼の行動が示している。
コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。
リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。
けど、それを両親は危険だと言って許してはくれなかった。
成人式に、行きたくなかった。
中学は遠い町の私立中学だったので、地元に知り合いはほぼいない。
そんな中での、成人式参加は、辛いことが予想された。行きたくなかった。
振袖を買って貰えることは、有難いことだと分かってる。
けど、地元の成人式に、着付けメイク代の○万円を払ってまで行くべきか?
1度ならずとも、何度も何度も、写真屋さんで写真撮影しなくてもいいんじゃない?
振袖に○○万円も出すなら、本当は、日常生活での服に使いたかった。
普段、いつも同じ服を着て大学に行く私は、惨めな思いをしているけど、
それを両親は知らないのでしょうね。見えないのでしょうね。言って伝えてるのに。
結局、成人式では、誰とも喋らずに終わった。すぐに帰って、振袖を脱いで、メイクを落として、ジャージを着た。
でも、意見を通すためには、両親を説得しなければならない。
いくら言っても、両親の考えは変わらない。
頑張れなくなってしまった。「そこまでして、叶えたいことじゃないし」と。
諦めてる、そういう家なんだから仕方がない、って。
それでも、出来る範囲で楽しもう、って。
私自信、自殺願望を小学生時代から持ち合わせていた立場としては、子供なんて生みたくない。
生まれてくる子供が可哀相だ。私は、生まれてきてよかったなんて思ったことは一度もない。
けれど、両親は「結婚しろ」という。
結局、何をしてても、楽しめない。
何だか、もう、頑張れないなぁ。
「もう仕方ない諦めよう」って思いながら、時々泣けてくるのは、
本当は、頑張りたいからなんだろうな。
出会ったばかりの頃は、ただ毎日が楽しくて、それだけでよかった。
くだらない事でいつまでも時間を潰して、今こうなっていることなんて夢想だにしなかった。
そんな青臭いガキだった僕らが、今は一個人から一つの家族を作る段階に入っている。
それを聞いて、素直に祝福する気持ちと、どこか歪んだ寂しい気持ちが入り乱れた。
後者については、子供がおもちゃを独占できなくて泣くような、理不尽で幼稚なものだと思う。
結婚して家庭を作り、子供を育てるというのは僕らからある程度の距離を置くことになる。
そのことで「ずっとあると思っていたこのメンバー、空間」に対する
相対的な優先順位が下がるということを、未だ結婚の予定もない僕が僻んでいる。
まだまだ自分自身が子供のうちは自分が結婚したり、子育てしたりっていうのは
具体性に欠ける話だと改めて実感した。
初めてリーダーを任されたプロジェクトが成功したことで、私は会社を辞める事を考え始めた。
もちろん、以前のように仕事が辛くて辞めたいと思ったわけではなく、
全力で仕事をした結果、私ができることはやり尽くしたと思ったからだった。
医療のSEは激務で、女が長く続けていけるような仕事ではなかった。
こんな生活を続けていたら、いつか体を壊すだろうと思っていた。
どうしても一人暮らしがしたくて、わざわざ東京の大学を受けた。
就職する時地元に戻ろうかと思っていたけれど、まだ少し東京に未練があって
でも地元を離れて時間が経ち、帰りたいという気持ちが強くなっていた。
そんな思いもあり、転職活動を始めた。
活動を始めて1ヶ月、あっさり内定をもらった。
東京の会社ではあったものの、タイミング的に新年度を新しい会社で迎える事ができ、
また、思ってもない程の好待遇。仕事の内容も興味があり、それまでの経験も十分に生かせるものだった。
でも、どうしても会社を辞めるという決心がつかなかった。
5年間勤めた会社。そう簡単に辞められるわけもない。
でも、それだけではなかった。
それを見る事で、彼がそこにいるような、見守られているような気がしていた。
それらをもう見る事ができなくなる。
そう思うと、辞めるという決断がどうしてもできなかった。
最初に内定をもらった会社は辞退し、その後も悩みつつ転職活動は続けた。
これで地元に帰れる。妹や友達にも相談し、その会社に入社しようとほぼ決めた。
そして会社を辞める事で、彼のことにけじめをつけようと思った。
彼の事を忘れたいと思った事は一度もなかった。
でも、どこかでけじめをつけなければいけないということはいつも考えていた。
業界最大手であるその会社の内定をもらえるとは、正直思っていなかった。
その会社が、中途はほぼ契約社員でしか採らない事を知っていたので、
更に悩む事になった。
仕事内容や待遇など総合的に考えると、最後に内定をもらった東京の会社が良いのは分かっていた。
でも、地元に帰りたいという気持ちも強かった。どちらかに決める事ができず、悩み続けた。
回答期限を何度も延ばしてもらった。
最終的には、東京の会社から、希望があれば数年以内に地元への転勤も可能という話を聞いて、入社を決めた。
会社に未練が全くないわけではなかった。
最後は、その気持ちを半ば強引に断ち切った。
会社の寮に住んでいた私は、辞めるとなれば当然引っ越さなければいけなかった。
就職する時に、寮に入らない荷物を実家に送っていたため、まずはそれを取りに行こうと思った。
車を持っている友達に頼んで一緒に行ってもらおう、と思いつき、例の男友達を思い出した。
以前から、私が引っ越す時は手伝ってね、と言っていた。これもある意味引越しだ。
金曜の夜に出発して、西宮へ向かった。
大好きな街。やっぱり帰りたいという気持ちが出てきてしまい、東京の会社を選んだ事を少し後悔した。
帰ってくるのが数年遅くなっただけ。あと少し、東京でやりたい仕事頑張って、必ず戻ってくる。
自分にそう言い聞かせた。
その日は一緒にホテルに泊まった。
こいつ一応彼女いるのにいいのかよ。。とは思ったが、お互い全く異性という認識がなく、
一晩一緒に過ごしたところでどうこうなるなんて考えられなかった。
その日は広いベッドで、くっついて寝た。
5年間友達でいて、しょっちゅう一緒に遊びに行ってはいたけれど、あんなに近付いたのは初めてだった。
体温がものすごく気持ちよくて、離れたいとは思わなかった。
帰りの高速で、「私たち恋人同士にはなれないけど、夫婦にだったらなれそうだよねー」
という話をした。昔から、私たちはよく似ていた。食べ物の好みは見事に一致していたし、
何故か同じタイミングで同じことを考えていたり、相手が考えている事が分かったりする事が多かった。
「でも実際結婚したとして、結婚10年目ぐらいの熟年カップルからのスタートだよねー」
「新婚の初々しさなんてきっと皆無だよねー」なんて話をしていた。
あり得ない事だけど、もし本当になったら、きっと幸せだろうなあ、と思っていた。
無事帰宅し、疲れて寝ていたら、その友達から「彼女と別れた」という報告の電話があった。
車の中で「別れるかも」という話はしていたが、まさか本当に別れるとは思わなかった。
そして彼女の愚痴でも聞かされるのかと思ったら、何故か私たち結婚したらどうなるかなぁという話をしていた。
まさかそんなことあり得ない、とお互い分かっていたはずだったけど、そんな話をしているのは楽しかった。
彼を亡くした後、誰も好きにならないと決めていたわけではないけれど、実際誰も好きになる事はなかった。
今後も、誰も好きになることはないのかもしれないな、と思っていた。
そもそも結婚と恋愛は別物だ、と思っていたから、恋愛を飛ばして結婚だけできるなら、それもありだなぁと思った。
夜は沖縄料理屋で飲み、さてこれからどうする?という話になり、どっかのホテルで飲もうということになった。
帰る心配をしなくて済むからいくらでも飲める、という考えからだった。
飲みながらDVDを見た。見終わってベッドに入ると、彼は突然
「結婚しよう。舞といつか生まれてくる子供を、一生愛せる自信あるよ」と言った。
まさか本当にそんな事言われるとは思わなかった。信じられなかった。でも嬉しかった。
この人と一生一緒にいたいと、本気で思った。
そして彼は「んじゃーまぁ、一応付き合っとく?」と言った。
フェイスブックやっていたら、たまたま中学時代の同級生を発見してしまった。中学時代の友だちなんか殆ど連絡が途絶えていて
当時の記憶が蘇ってきて変な気分になった。もう10年以上経ってる。
その人は地元に居てサークルのようなものをやっていて、そこでやってるメンバーも4~5人
知ってる同級生だった。あっという間に「うわー」となり、眩暈がしてきてしまった。
というのはその中にAというのがいて、当時ペッティグをし合ったそういう深い仲で、時々あのA今何してるんだろ
と2~3年くらいにいちど忘れた頃に頭をよぎる。
Aは当然老けていた。
Aはサークルに入って何かするようなキャラじゃなかったから驚いたし、地元を離れてるか、
そうじゃなくても中学時代の友だちと一緒につるんでる事が何より意外だった。
Aの現状を知ってしまった今どうやって複雑な感情を処理するか悩んでいる。
A一人だけならそんなに難しくないのだけど、上述のように同級生とネットワーク化してるので
こちらの弱みを握られているというか、立場が劣位に感じられて、この現状を打破したい。
仮にそいつをA男としよう。A男は中学で知り合った時から全くもてず、社会人になるまで一度も彼女ができなかったんだ。
仮にB子とするよ。B子は身長が低く、華奢な体つきをしていた。
そして小顔で目が大きくパッチリしており、黒目が大きく、鼻も口も整っていて、色白美肌だった。19歳の女子大生だけど童顔で、女子高生か、どうかすると女子中学生に見えるくらいだった。
比べるとAKBが色あせて見えるくらい可愛かったんだ。本当にアイドル級という感じ。
髪はきれいな黒髪で、服装は地味でおとなしい感じ。しかも趣味は読書だという。
当然処女で、彼氏もA男が初彼氏。A男はB子をとても大切にしていて、キスより先は一切していないと言っていた。
A男に紹介されたときは本当にびっくりしたね。
なんでこんな可愛い子がコイツと付き合ってんだ?って。
A男は別に金持ちなわけじゃないし、顔だってよくない。しかもキモオタ趣味まで持っているヤツなんだ。
しかもB子はオタクじゃないのに、A男のオタ趣味を理解して付き合っているという。
本当にいい彼女ゲットしたな!と冷やかしてやったよ。
それから2週間くらい経ったとき、地元の道を歩いていたら、道路の反対側をB子が自転車で走っているところを見かけたんだ。
そうしたらB子のほうも僕に気付いて目が合い、B子がこっちに何か言おうとしたのか、会釈でもしようとしているような様子を見せたんだ。
その瞬間B子が自転車ごと転倒し、車道に転げ落ちたB子の頭を大型トラックが轢いたんだ。
一瞬のことで、何が起きたのか理解できなかったよ。
B子の後ろを歩いていたおばさんが、鋭い悲鳴をあげた。
僕は、なんだか混乱してしまって、B子がどうなってしまったのかそれ以上見ないようにして、そのまま早足で駅に向かって電車に乗り、用事を済ませて普通に家に帰ってしまった。
翌日、A男から、B子が死んだという電話が来た。「濡れたマンホールでタイヤが滑り、転んだところにトラックが来てはねられてしまった」という話だった。A男は泣いていた。
頭を轢かれて…という話はされなかった。でも僕は見てしまった。B子の頭だけが轢かれてしまうところを。
形を留めているどころか服を着たままのきれいな身体と、赤黒くなった道路が、何度もフラッシュバックする。
あれから僕はただでさえ二次元オタク傾向があったのに、三次元を一切受け付けなくなってしまった。かわいいなと思う子はたくさん居るけど、そう思った瞬間にB子の死体がフラッシュバックして、全く恋愛感情や性的興奮がわかないんだ。
こんなこと誰にもいえないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20111225130024
なんか、誤解させているようで、ごめんよ。
有志のボランティアが企画、スポンサー見つけて開催までこぎつける。その過程に図書館を巻き込む、ってならまだ実現が見込めるよ。今なら老人向けサークルやグループホームなどに声をかけるのも面白いかもしれない。
そうそう、そういうこと。
「図書館」で稀覯本を保存することが出来ないのなら、稀覯本をボランティアが集めて、一部を保存し、残りは売り払うという形で、保存するための私設図書館を維持できないかなあと思った次第。
「缶ジュースのプルトップを集めると車椅子が寄付できる」ってデマを信じて、たくさん集まったことがあったんだ。
案外、人は「他人の役に立つちょっとしたこと」に積極的に動くもんなんだよ。
だから、全国の老人会とかに「地元の図書館等で処分している稀覯本がございましたら、送ってください」と頼んでおいたら、真面目に取り組んでくれる人も見つかると思うんだよ。
一番の問題は儲かるのか? じゃなくて、「儲けることだけが目的の詐欺なんじゃないか?」と疑われて、協力が得られないことだと思う。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
昔の話なんで、今は変わっているかもしれない。
医療系は偏差値が高いし金がかかるというのが大きかったと思う。
公立だったので家が金持ちの子ばかりではないし、地方なので都会の一流進学校ほど成績が良い子だらけな訳でもなく
一部に東大や旧帝医学部行くような子も居たものの、全体としては国公立より私立に行く方が多い程度の中堅進学校だった。
で、金の問題で私立なら地元しか駄目、と言われている子も多かった(実際進学実績見ても、私立は殆どが地元の大学)