はてなキーワード: おkとは
「受け手が、問題の行為を等価と評価する」という大前提で比喩の話をするなら、
「賽の河原で石を積む(夫は必ず崩す)」ではなくて、
「なんらかの贅沢を行う(夫は大金をかせでくる)」でも良いでしょ。
贅沢する意味が分からないんですよ、でも意味が分からないけど贅沢すると夫が喜ぶ。
「で、つまり君は相手の笑顔が見れるなら、毎日贅沢を繰り返すのを厭わないってことでおk?」って書いたらどう見えるかって話。
ところで確認だけど、料理をレシピ通りに作ることを、小石を積んで崩してに例えたとき、何が料理で、なにがレシピ通り、なの?
料理は、「小石、積む、崩す」のどこまで?
「レシピ通り」を「小石を積んで崩して」の全部と定義してるなら、それは「そういう設定の人」だよね。
レシピ通りに作ることが「小石を積んで崩して」に匹敵する無意味な苦行と感じる人。
前にも言ったけど、そういう人はそうなんじゃね?
それは、「そういう人だと設定された人」なんで、反論の余地がないよね?
好きな女の子がいるとして、その子のFBとかtwitterは当然チェックしてる前提で、その子と会話してアピールする機会があることが事前に分かってるとしたら、振るネタぐらいは、せめて決めてから行かないか?
…まあ、とりあえず定番の質問は
「実際に働いておられる方の視点からみて、貴社の一番の魅力は何でしょうか?」
「私は本当に貴社で働きたいのですが(…と笑顔で言って軽く笑いを取ったあとで)、貴社で働く際に求められる、一番重要な資質は何でしょうか?」
とか。あとは、向こうの説明に漏れオチがあれば、ていねいにそれについて聞くとかか。
うまい、か、鋭い、か、面白い!、か、やる気ある、か、その辺をアピールできれば、充分じゃないか。もちろん、本気で質問ないなら質問不要。ニコニコした顔で相手を見てればおk。
・積ん読本がだいぶ減った。
・休日の読書を考える。積ん読本はよむのに土日まるまる潰れたりする。しかもストレスがたまるが、本屋で買ってきた本であれば1日で4冊読める。
読みたい気持が一番高まっているときに読んでるから精神的にも満足度が高い。積ん読本は義務感でダラダラ読んでストレスがたまり、得られるものも少ない。
・人にもよると思うが私は読んでない本が部屋に存在するとそれだけでイラッとする。
自分のフローから考えて、処理できそうな分を明らかに越えたストックを持ってはいけないと偉い人も言ってた。
積んでいいのは読み終わった本だけ。買ってから2週間以上たって読まなかった本はリストを作って売るか電子書籍化して保存したい。
今のところ電子書籍は読まない本を視界から消す or 読んだ本で、何度も手にとって読み返す程ではないがたまに引用したくなるようなやつを保存するため。
読んだことない本をいきなり電子書籍で得られてもまず買わない。でも歌うクジラは良かった。作品としては微妙だったけど体験する価値あり。
・そもそもAmazonで買うときは動機が「他人のススメ」で一時的に盛り上がってるから、という場合が多い。
2~3日間を開けて熱が冷めた頃には他人からの影響は消えており、かなり残念な結果になる。
書評ブログで紹介されている本こそ自分で本屋に足を運んでほんとに読みたいかどうか確認すべき。
・特に小説はどれだけ全体として良い話でも、文体や走り出しなど最初の10ページの食いつきが悪いとすぐ積ん読化する。
自分が読みたい本以外は買うべきではない。無理して読むのはネットの向こうの他人じゃなく尊敬する人か親しい友人が強くすすめてくれた本だけでいい。
・Amazonで買えば値段的にはお得かもしれないが、私みたいに旬が短い人間には本屋メインのほうがいい。
積ん読にしたら安く買ってもただのゴミに金払ってるようなもんだし結局損してる。ちゃんと読む本だけ買えばいい。
あと金がそんなにあるわけではないけれど、読書に関してはやはり金より時間や心の盛り上がりの方が大事だと思う。
金ケチってマケプレで買うくらいなら図書館で借りてしまったほうがいい。
・ビジネス書の8割以上は、Amazonじゃなくて本屋で立ち読みすれば買わなくてもおkな本ばかり。
読んでも欲しいのは数ページだけだったりして買うのもったいないとか思う。その程度なら暗記してしまえばよろし。
たまに、引用してブログで紹介したいと思うページとかあると悔しいけど買わざるを得ないけどすごいムカつく。
個人的にビジネス書は1ページ50円とか1章200円とかで部分的にお持ち帰りできる売り方をしてくれないかな。
iphoneのGhost Trickみたいに1章50円とかで8つくらいに分ければ値下がり防げると思う。今の1冊85円みたいな売り方は長期的に誰も得しない。
ビジネス書は精神のエロ本だと思うので、今までエロがメディアの進化を促してきたようにビジネス書が電子出版を支えるきっかけになってほしい。
Amazonのお薦めつながりは、似たような本ばっかりだからおや?って思う作品に出会うことは少ない。
「入門編」あたりだと関連本探す能力もないし、どれがいいかなと比較する際に他人の意見も役に立つが
ある程度自信がついてきた分野なら本屋で自分が判断したほうが正解が多い。
・本屋にも不満がないわけではない。Amazonのようなリンクする感覚がないのは辛い。
目当ての本がなかなか見つからないのもAmazon慣れしているとかなりストレス。
松丸本舗ってのがすごいらしい。一度いってみたい。
・もちろんこれは私の意見であって、他の人が同じようにやるべきだとは思わないし、どうせ言ってもやらないだろう。
・・・要するに衛生条件と動機づけ条件をわけろってことでおk?
「人間はネズミではない」という、当たり前の事実が忘れられるとするなら、よくありません。
「動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である」ということです。
例えば、子供に勉強をしてもらいたければ「知りたい!」という動機づけをすることが必要なわけです。
ところが、勉強を「させる」ために、しばしば用いられるのは、誰かに勝ちたいとか、褒められたいとか、ご褒美をもらいたいといった手段としての動機づけです。
この背後にある問題を考えるため、以下、本書の記述をピックアップしてみます。
・アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、
アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供しているのではないかということである。(p25)
・ごく幼い子供たちにはコントロールをもって対することも必要なときがあろうかと思う。
最低の基準として、例えば三歳児がよちよちと表の通りに出て行こうとするのを見過ごすわけにはいくまい。
しかしコントロールに頼る前に、それほど強圧的でなくもっと相手を尊重した世話の焼きかたはできないかどうか、しっかりと確認すべきではある。(p49)
・報酬と罰とは基本的に同じようなものである。現代の社会心理学の創始者であるカート・ルーインが言うように、
両方とも「そのときの自然の場面からは生まれないような行動」を引き出そうとするときに使われる。
さらに、長期間にわたって見るとどちらもまったく同じ様相を示すことが分かる。
つまり、こちらの望むような行動を続けさせるためにはやがて賭けるものを上げ、報酬なり罰なりをどんどん増やしていかなければならないのである。(p74)
・親が子供に、ずっとおとなしくしていれば日曜日にサーカスに連れて行ってやると言ったとする。
土曜日に子供が親の気に入らないことをした場合、親がよく使うせりふは、「そんなことをしているとあしたのサーカスはだめだぞ」であろう。
褒美をご破算にするということの脅しが、罰を与えるという脅しと同じ機能を持っているのは明白ではないか。(p77)
・報酬は、ひいき目に見ても、こういう協力や仲間意識を促進するのになんの役にも立たない。
アメを奪い合うときには必ず「争いと嫉妬」の底流が生じるのであって、それはすでに二世紀近くも前にニューヨーク市の教育者たちがある行動修正プログラムが実施されているのを見て出した結論でもあった。(p80)
・報酬主義の問題は、報酬を与える場合、そもそも問題がなぜ発生したかに注意をすることは全然必要でない、という理由である。
子供が泣きわめいている原因、生徒が宿題をやって来ない原因、従業員が気の乗らない仕事ぶりをする原因を考える必要はなく、ただ該当者を買収するか脅すかして活を入れればいいことになる。(p87)
・「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。
従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合にはほぼ最悪の戦略である。(p99)
・先生は肩をすくめて、「試験に出るよと言わなければ、子供たちは覚えようとしないわ」と言う。
経営者は、キチンとした仕事をさせるためにはボーナスを出さなければダメだと主張する。
親は、子供が誘因なしでも「やるべきこと」をやるだろうと期待するのは現実的ではないと信じている。
しかしもう一度考えてみよう。そういった言い分は通俗行動主義を擁護するものではなく、教室や職場の設定のしかた(あるいは人々がなすべく要請されていること)に何か大きな間違いがあることを示すしるしなのだ。(p123)
褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(p142)
・大抵のおとなが褒め言葉を連発しようとするのはなぜなのか。
褒めることは安上がりで簡単なのだ。
それとは対照的に、技術と工夫と配慮がなければ、人を励ましてしかも今やっていることへの興味を持続させ、その上コントロールされているとは感じさせないようにすることはできない。(p168)
・一般に報酬というものが業績を伸ばすのに役立たず、しばしば業績を妨げることは、いろいろな種類の仕事において見られるが、それは特に創造性を要する仕事において著しい。(p182)
・仕事にほかのもっと重要な面で欠けているところがあると、次善の策として給料の額が重視される傾向がある。
つまり、課題が本当におもしろく意味のあるものでなかったり、自分のやることを自分で選べなかったり、社会的な支持が得られなかったり、自分をみがき自分の能力を発揮する機会が与えられなかったりすれば、
給与がいくらかということに目が行きやすいということである。(p197)
・強調しておく必要があるのは、こうした事情があるからといって、経営者が給料を出ししぶるのが正しいということにはならないという点である。
だれも給料は十分かつ公正であってほしいし、いちばん単調できつい種類の仕事をする人たちは特に高い給料を望むように見えよう。
しかし金こそが人間を動かすと考えることは、人間の動機づけというものを貧しく解釈することになろう。(p200)
・家庭でのものごとを自分で決め、自己決定の感覚を持つ機会を親からあまり与えられていない子供は、学業成績もあまりふるわないということも明らかにされている。=私はそうでもなかったけどな。多分日本のテストはバカ向けなんだな
こうした事実は何を意味するのか。基準を厳しくしたり、点を辛くしたり、誘因を増やしたりすることは、益よりは害になるということについては強力な証拠がある。(p225)
・自分がどれぐらいよくやっているかを気にしている人は、自己概念をかけているということがある。
自分を利口だとか有能だとか思っている自己イメージは、一定の活動水準に達しないおそれがあれば危険にさらされることになる。
そういう自己イメージを守ろうとすると、普通は、自分の最善を尽くしたいという欲求を犠牲にすることになる。
そういう欲求は危険だと思われるのである。やらなければ失敗もしないわけだ。(p233)
望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう可能性があるのです。
僕たちは、これを慎重に回避するための方法を学ばなければなりません。
「うれしいな、月曜日だ」と思える人生を、より多くの人に実現してもらうということが、教育に関わる人の責務であり、それは人生をかけるに値するものです。
初潮って、おしっこ拭いたらちょびっとティッシュに経血がつくくらいのごくごく軽いものなんだよね。
血が伝うほど量が多くなってくるのは1年~2年後くらいだったかな。
こういった情報が今まで母娘の間だけで共有されていて、父親や兄弟が知りようもなかったから、
という誤解が男性の間に広まってしまったんだよ。悪意や傲慢ではなく無知なんだ。
考えなければいけないのは、「なぜ女性が初潮についての色々を男性に対して隠蔽してきたのか」ということ、
あるいは「隠蔽せざるを得なかった理由」だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120103142318
http://anond.hatelabo.jp/20120103150939
女性が成人ロリコンに嫌悪感を持つのは、精神的・知的に成熟しているべき大人が自分のエゴで「母体死亡」に繋がるような危険な出産をさせたがっているように見えるからだと思う。
小説やマンガで、少女が大人になったことのメタファーとして初潮の表現ってたまにある。
「ツツツーって血が足を伝って流れて、女の子がショック受けて泣く」みたいなやつ。
でもあれって嘘ですよね。
初潮って、おしっこ拭いたらちょびっとティッシュに経血がつくくらいのごくごく軽いものなんだよね。
血が伝うほど量が多くなってくるのは1年~2年後くらいだったかな。
個人的な体験から言ってるだけだけど、小6の初潮から20歳くらいまではじわじわと重くなり続けた印象。
初潮後はまだ生理が軽いっていうのは、赤ちゃんを育てるためのベッドである子宮内膜を作る能力がまだまだ未完成ってこと。
妊娠能力ってそれだけ長い時間かけて成長し続けてるというわけ。
だから、自らの体験から初潮がどんなものか知ってる女はみんな、
「初潮=妊娠可能のサインなんだからセックスしておkなはず」というお説を聞くと
なんとなくいやーな気持ちになる。
こっちの都合は無視なんだな、って感じですよね。
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
879 名前:名無しさん@お金いっぱい。[] 投稿日:2011/12/09(金) 09:55:10.35 ID:vL7w8T7O0
その時、どういう風に商品をアピールしてると思う?
それでこのお買い特お値段
さあ、欲しい人は今すぐごらんの番号にお電話ください
だいたいこういう感じだと思うんだが
女とか結婚派がなにやってるかっていうと
まず冒頭に画面にバーンと「時価」と出す
次に「この商品をお使いになられると、毎年○万円の電気料金が必要になります」
番組に出ている人たちは口々に「今時このぐらいの出費はできないとねw」
2桁×2桁の計算で1桁どうしを足すと10になる数同士の2桁のかけざん計算
例えば 25×35 でやってみる。
これは長方形を使ってるだけなんだけど、忘れたくないからまとめておく。
説明長いし、人によってはめんどくさいかもしれない。どうでもいいことです。
まず筆算のために書くように縦に並べて描く、ホワイトボードでもおk。そのあとは頭の中で計算する。
この時小さい数字が上に来るようにする点気をつけて。そうしないと計算がうまくいかなくなる。
1、下の数字に上の数字の1桁目を足して40にする(5+35)
2、その数字に上の数字の2桁目(正確にいえばその位の数)をかけて800にする(40×20)
3、操作1で作った40から20を引く(40-20)、それに上の数字の2桁目をかけて100にする(20×5)
4、800と100を足して900にする(800+100)
以上で答えが出ます。
なんか縦に並べた数字をくるっと回して答えを出しているようで(右回りに)おもしろい。
めんどくさいけど、暇ならやってみてね☆
冴えないリーマンにとって、上司の悪口は洋の東西を問わず定番ネタらしい。
この日記もそんな話がダラダラ続く予定なので、興味ない人は無視しておkです。
今まで何人かの上司の下に付いたけど、彼を超えるレベルの人に会うことは多分ないだろう。
性格は基本的に女好きのオラオラ系とっちゃん坊やで、今だったらギャル男系のリア充に分類されると思う。
アグレッシブだし自信家だし向上心あるし目立つの大好きだし何故か迫力もあるけど、ナルシストというか。
しつこいセールスとかにも「いらねーっつってんだろ!?」とすごめるタイプかな。
30代前半で課長やってたくらいだから気さくで話し上手という具合でコミュ力は抜群だけど、なんというか「相手の気持ちを読んだ上で一切意に介さない」人だった。
若い頃は色々トライしていたらしく、「モテたくてテニスやったけど全然だったよw」とか「(モテたくて)ギターやってたけどメロディ弾けない人でさw」と某洋楽ロックバンドの名曲のイントロを弾いてたのを見たことがあった。「パチで負けてるときに店で同僚に会うとやりにくいよなw」とも言ってた。
一部の社員は出社拒否になっちゃって、彼が電話で問い詰めた挙句「もうできません?じゃあお前今すぐ辞表持って来い。あ、夜持っていきます?ふざけんじゃねーぞ!」という具合でとても歯切れの悪い幕切れになったことも。
あとデブとハゲと童貞に対しては徹底して差別的で心底バカにしていた。
「お前童貞?じゃあ風俗行け。幼女誘拐したら困るし色々捗るぞ」とか「なんでお前に訊くかって、そりゃこの事務所にデブお前しかいねーじゃんw」なんて会話もあった。
そこでスルー力を発揮すると「お前、俺がこの話するといつも聞いてないよな。『このオヤジまた言ってるよ』って顔するもんな」と鋭いツッコミが入るのでなかなか面倒。
幸いウチの会社は自社ビルを持っていないので、彼が電話で受付の女の子にちょっかいを出す事案は無かったが、女性社員からは「あいつのボケはツッコみにくいしキモい」と評判だった。
そんな彼も、後ろ盾になる部長が、無理な事業展開とそれによる損失を隠すための粉飾ギリギリの経理操作により会社をピンチに陥らせた責任を取って辞めてから、程なく元部長が作った別会社に船を漕いでいってしまった。この世渡り上手め。
まあ彼はその部長の手先という側面もあったし、部長のほかのシンパも数年で別会社に移住した。
これによって膿が綺麗に流れ出た・・・ということにしておく。
でも今思えば、ああいう「イエーイ!!」の一言に尽きる生き方もアリなんだろうなーと考えるようになった。
後で梯子外されて突然死するリスクはあるにしても、そんなん当人にとっちゃ折込済みだろうし、一時期でもオラオラで稼げるならということもある。
狙うときは分かるけど、じゃあ撃つ時はどうすんの?
端末をブンブン振り回したりするの?もしくは「バキューン!」ってマイクに叫んだりするの?
端末の加速検知機能使ってその辺を走り回ったりするの?
飛行機のコックピットって操縦桿以外一切何もないの?
今のスマフォでのナウなコントロール方法は「ジャイロ/加速度センサによる操作」だ。レースゲームとかFPSではこれが結構マッチして、普通にキー操作するより何段か上の操作性を提供している。
ジャイロなどによる操作では、端末自身を傾けることによって操作するので、指が画面を邪魔しない。エイミングもハンドル操作もジャイロでおk。
飛行機系の操作も、多分全てがそういう方面に置き換わっていくだろう。(端末を動かしたくないという方向けに、大抵はオプションで切り替えできる用に設計されてる。角度とか)
けど、
これは違う。明治のはじめにはそれが「西洋的」だったんだよ。江戸時代の人たちには、「整列」や「号令」の概念もなかった。西洋式の軍隊を作るためには、体育をそこからはじめて教え込まないとダメだった。だからそういう「西洋的」教育をしたんだ。一説には、右手と左足を同時に出す「西洋的」歩き方をしていなかったという人もいるし(「ナンバ」とかでググるとおk)、足並みそろえて歩くという経験もおそらくなかったため、その教育は重要だった(たとえば、明治5年「歩兵内務書」には士官が兵卒に対して「体術歩法ノ教授及ビ距離ノ測量等ヲナサシメ、長短緩急共ニ一様ノ歩法ヲ取ラシム可シ」とある)。
もちろん、それが西洋の「軍隊的」ではあっても「学校的」であったかというとそうではないので、「西洋的軍隊体育」が「学校体育」の基礎になったこと自体は近代日本の事情によるものではあるけれども、園児にそういうことを教え込むのは単なる明治の名残り。
もっとも、日本の教育が日本的で何がいけないのかは若干よく分からない。「西洋」教育といっても、ドイツ・フランス・イギリスだけに絞ったって教育制度は各国事情により異なる。それが当たり前じゃないかと思うんだけど。
他国と比べることの意味は、それぞれの制度の成り立ち、意味や効果を基にして、それが現下の自国の制度にどのように取り入れることでどのような展望が開けるか、という、きわめて具体的な提案の中にしかないと思うんだけど、とりあえず「西洋と違うからダメ」という議論は感傷に過ぎないよね。
お前にあふれんばかりの才能があるか、運があればおk
これってほぼそれ以前(9月以前)にある制度の名前を変えただけなんだよね。
2chやブログでは「金のばら撒き」と主張する奴が多かったが、前の制度はもっと凄いぞ
1.私事による欠席は原則認めない→私事による欠席は報告すればおk、理由がある場合は証明が必要で全日程の8割出席すれば給付金認定
2.生活困窮者には最大5万円の貸与→同左、但し訓練終了後半年以内に就職し、継続して6ヶ月勤務した事を証明すれば、貸与した総額の内、半額の返還を免責とする
神制度はどう見ても旧制度の方、まあ収入がある親と同居しているフリーターやニートは最初から支援対象外だから。
訓練内容はPCスキルが多いのだが、2chではPCの大先生が多く存在するので、「自分でPCソフトの勉強をするのは常識」という共通概念があるが
一般人にとっては、この様な場で訓練を受けない限り、PCソフトの勉強をする事は無いと思う。
今は30代・40代のPCの発展の最前線を歩んできて大抵の事は出来る世代と、
20代以下のPCのシステムを勉強しなくてもPCの利便性向上によりネットで遊べるが、便利になりすぎて仕事上で使えるPCソフトの操作が分からない世代
50代以上のデジダル世界に取り残された世代、それぞれはお互いにどういう状況でPCを使用して、
平均的な技能は何処まで進んでいるのかの相互理解が進んでいないのが現状だと思われる。
自分で勉強しろと言われるが、国の方針として、デジタルデバイトの存在をなくすという考えは先進国の中でもかなり進んだ理想の下に行動していると考えられるんだが、
増田はどう考えているのだろうか?
今の20代は入社時にPCにおける情報処理スキル(ワード・エクセル程度)を求められているが、現実問題そういうことを教えている機関が
・公共職業訓練
となるが、最低限PC操作を要求されるスキルの高度化という社会的圧力に対して、社会的補助の割合が少なく自己努力の割合が多くないか?