はてなキーワード: 家族とは
アホか
俺の住んでいる集合住宅は、階段が方形にとぐろを巻きながら縦に伸び、その左右に各世帯が住む部屋がある
どういう所に住んでいるかは、まあお察しだ
俺はそこの4階に住んでいる
夜の9時ごろ、木の床の上をガタゴトと転がるような音がした
この建物はこういう音がとてもよく響く
発信源は3階か、隣か、というくらい響くし、実際そうだと思っていた
と家の扉である鉄製の扉を強く叩く(たぶん蹴ってる)音が響いた
かなり下の方からだな、と思うと当時に
もうこれ暴力事件の音だよ、俺のご近所で何よっ?
と思ったので、下まで階段を降りて行った
2階まで来ると、1階と2階の間の踊り場に男がいた
2階の住人だ
踊り場の手すりから身を乗り出すようにして下の階を覗いている
そいつが階段を上がってくると目が合ったから「何だよ」と聞いたら、下の階の住民の生活音がうるさいという
俺は事情を察した
ちなみにそこの家の人と話をしたことがあるが、前に訪問介護が来た際にそいつからうるさいと怒鳴り込まれたことがあるそうな
それでわざわざ訪問介護が来る時間を変えてもらったというのだから、万事なるべく音は立てたくないはずだ
アホか
という以上の悪感情が沸いてくる
そいつは2階まで上がってくると、お前も下に降りて抗議しろよとこちらの体を下の階へ押してくる
俺は蹴られ、言われた通り階段を下りるとその最中に階段下へ突き飛ばされた
下まで残り4段ぐらいというところだったので怪我はしなかったが、俺は階段の踊り場で転倒した
相手に自分のしたことを確認するが、相手は知らね、知らね、とシラを切る
それで警察を呼ぶからなと予告し自宅に戻ると、今度は相手がウチの階まで上がってきて家の扉を強く叩いて(たぶん蹴ってる)きた
俺は予告した通り警察を呼んだ
まあ、警察を呼ぶと予告した以上、呼ばないとこちらも脅迫罪に問われるのだが
俺はこう告げた
アホか
如何せん、こちらも口下手な上にビクついていたから、状況説明が要領を得ない
それでもこちらの名前と住所、トラブルの相手について聞きだして、警官を寄越してくれた
来てくれた警官はとても優しく親切だった
床を転がる音ってどんなですかと聞かれて、玄関にあったキャスター付の籠を転がしてみせてしまった
俺が言おうとしてたのは、四角くて硬い物を、木の床の上で転がしながら運ぶような音だ、全然違う
単に「木の床の上をガタゴトと物を運ぶ音」と言う方がよっぽど正確に伝わったと思うのだが、最初に浮かんだ上のイメージに固執して却って違う物を伝えてしまった
アホか
近所トラブルについては首を突っ込まず自治会に相談した方がいいですよ、と最も至極なアドバイスももらった
ただ、警察を呼んだのは怖かったからというのもあるが、事ここに至っては自治会のような組織で内々で処理するより、ちゃんと大ごとにしてより多くの人に届けた方がいいと思ったからだ
だけど、そのために出動させらてたのでは警察もいい迷惑だよなと今は思う
だから来てくれた警官にはたいへん申し訳ないという気持ちがあるが、来てもらって正直、とても安心した
テスラ、中途半端なワナビーとイーロン信者しか乗ってないから、AutoPilotの危険性分からず手放しで乗って事故って死ぬ馬鹿多いからな。
田舎の一軒家でも、子供も独立して夫婦二人暮らし。年取って若い時みたいにバクバク飯食うようなこともなくなったし、脂物も控えるようになった
現在、40代の自営業の中年独身だが、仕事や投資はまあまあ上手く言ってて資産はX億円くらいにはなった。
手元に残る収入が毎月500万くらいにはなっている。
映画鑑賞以外に特に趣味もなく殆ど金は使わないし結婚にも興味はとっくになくなった。
性欲も特になくなってきて風俗に行くこともめっきりなくなった。
贅沢したいとかってのも特にないので月に100万もあれば、好きなもん食えるし、気に入った部屋に住んで普通に満足行く生活ができる。
老後はサービス付き高齢者住宅に住むつもりでいるので、家なんかもったってしゃあない。車やら時計には興味ない。
それで俺はほとんど使うことのない、この金をどうしたらいいのだろう?って最近思うようになった。
もう貯めてもしゃあないなぁって資産額にはなってきてるし運用に回しすぎてもだし
恵まれない誰かに寄付とか、そんな事するくらいなら眼の前で札束燃やすほうが楽しそうだおともうほど、無能で甘えた奴が死ぬほど嫌い。
そんな感じなんで、妹の子供の学費でもだしてやろうか?って提案してみたけど「なんかやだ」で断られる始末。
家族全員を海外旅行に連れてったって、せいぜい500万くらいしか使えないのでたかが知れてるし、毎年日程をあわせるのも難しいしな。
親族の子に残すか?というと自分の親が残すものの何十倍もの金を残すおじさんと、自分の親との間で挟まれるのもあまりにも可愛そうや。
だから、誰かに残す必要もない金だし、もう金は要らないんだけど、仕事は楽しいから辞めたくないし、貯めすぎて死んだあとに国庫に収まるのも癪だし、どうしたもんだか。
とまあ、そんなこんなで、最近はもっぱらvTuberにスパチャやメンバーシップギフトなげてる。金を捨てるとは、このことやねw
VRChatエアプです。
ほぼTwitterだけ見てやった気になってる。HMD重いしダルいし。
美少女アバターを着るおじさん!?みたいなのは、VR黎明期みたいな時期に一瞬驚かれたけどキモがられながらスタンダードになった印象がある。
まあ分かる。
汝が男であるならば、家族を、仕事を、ローンをつまりあらゆる責任を背負っていけ。
仕事できない稼げない守るべき家庭も自分を縛るローンもない、そんなヒョロガリ野郎に価値なんてあるわけないのよ、男は。
というかそんな奴は男ではないわね。
かわいそうに。
だから男であることに耐えかねた者が背負わざる存在になりたがるというのはかなり理解できる。
そこで美少女。
美少女は背負わなくていい。
ただ可愛くそこに有りさえすればいい。
中身が空っぽだって、無力だって、可愛ければそれでいいんだよ。美少女というのはそういう価値を持つ存在だから。
かわいこぶるためにちいかわ族の肉体を得たモモンガとかが近いと思う。
あいつちょっとダルいけど可愛いからまあいっかってなるじゃん。
可愛く無害で、敵意を感じさせず警戒させない。だから人とも仲良くなりやすい。
こいつらが本当に分からん。
なに???
女に生まれて、背負う宿命を持たない者が、見た目だけ男を着るのに何の意味がある?
肩幅がデカかろうが、ヒゲが生えていようが、見た目がいくら力強かろうが、中身が背負わざる者である限りそんなのは絶対に男とは呼べないのよ。
背負わない中身が背負うかのような見た目を着るの、本当に虚しくないか?
インスタのわナンバー高級外車とか、飼い主の腕の中からギャン吠えするチワワとか、そういう虚勢そのものになっている自覚はあるか?
無力さを肯定される選択肢を捨てて、何も背負えず可愛くも男らしさもないただただ無力なヒョロガリポリゴン野郎を召喚する事の意味がわからない。
マジで何がしたいんだ。
アレは男ではなく女子供の方なので。
昔のような家族や一族コミュニティがあって、良く死ぬ社会のほうが、子孫を残そうとする傾向にあるよね。
自分がいつ死ぬかわからないから、他の柱になる人材を複数用意しておこうと考える。
人を生み育てるっていうのはそういうことなんだよな。
現代の平和ボケ社会じゃ、自分が急に死ぬなんてことは考えない。
みな当たり前に、80歳くらいまで生きるのかなとか実感のないことを考えてる。
その頃には、自分が守るべきコミュニティは見送り済みが決定している。
子孫を残す合理性が無い。
子供なんて趣味や道楽の範囲だよ。自動車やペットやオタク活動と同列。
シャウエッセン開発者の孫、サッポロ一番パッケージ担当者の子ども、そんな人を最近Xで見かけ当人か家族しか知り得ないと思われる話をしていた。
すごい!いい話を聞いた!という肯定的な意見ばかり見られるが本当にそれは関係者家族のポストなんだろうか。
なりすましがいくらでも存在するXの中でこれらのポストは信用できるものだと断言できる理由はなんだろうか。
素直に信じるには虚偽情報を真実のごとく語る人間にTwitter時代から遭遇しすぎていて疑心暗鬼になってしまった。
冒頭に挙げた2人が嘘つき野郎だと言いたいわけではないのでこの点は誤解しないでもらいたい。
家族なんていないよ
話聞いてたら、この一般市民さんの何割が小中学校でしっかり勉強してきて、
今子供がおるんやったらどんだけしっかり勉強させてるんやろなって毎度思うわ。
生徒の内、半分くらいの奴らは学校で勉強なんかほとんどせんでええと思っとるし、
最近の親は学校なんか別に休ませてもええ、学校よりも家族で遊びに行く方が大事とか平気で言うやつ増えとる。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北縦貫自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも落選。対立候補の官僚出身の新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設は不要として事実上のイオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端なイオンリテールがオープンした。
八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。
車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街をシャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった
しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である。2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である。
私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテやホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポでたい焼きや今川焼きをもらったり、最終営業日の店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸の中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。
話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸の中心市街地はどうなったのか。
中心市街地には地元百貨店は最近まで2店舗あったが、コロナが瀕死の経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。
さくらの百貨店は若者向けではなく、郊外CSはラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列のホームセンターのサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンはリテールとスーパーのみ。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1993年 六ヶ所村で日本原燃の再処理工場の建設が着工する。原燃PRセンターに家族で行った帰りに、父からこの工場で事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にイトーヨーカドーの郊外型CSが開店、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。
ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターはあちこちにできた。
中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダンな空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間の商業施設は20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街へ商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモールを建設しても問題はなかったと思う。
郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
GMS衰退の潮流は止められず、地方の車社会は市民は無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画の教科書的には正しいことは理解している。
しかし、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設の建設に補助金が投入された。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車でイオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。
働く女性がいるから専業主婦になれなくなったのではなく、高度成長期に比して中流階級の求める生活水準が上がったのが一番大きいでしょ。
専業主婦だと「まともな」暮らしができないから、一部の金持ちのトロフィーワイフになれるような女以外は頑張って働いてるというのが実情
子供を中受させて良い大学に入れたいとかタワマンに住みたいとか言い出さない田舎のヤンキー家族は普通に専業主婦が多い
昭和40年代みたいに、2Kの団地とか旦那の実家の一室に同居、子供は高校まで公立で卒業後は就職する前提だったら、旦那が年収300万台でも専業主婦できるけど、現代社会でそれやると「虐待」「子供のために働け」って言われる。
あと、どうしても専業主婦がいいなら転勤可って条件で婚活すればいいと思うけど、専業主婦希望の人って、転勤は嫌、都会(または実家の近く)から離れたくないってのとだいたいセットだよな。