はてなキーワード: 麻原彰晃とは
アインシュタインによる相対性理論の発見にはアインシュタイン本人の人格は関係ない。
なぜならばアインシュタインは「相対性理論を作り出した」のではなく、「既に自然界の中にある現象を相対性理論として解き明かした」のであり、アインシュタインが解明しなくとも別の時代に別の人間が解明したものだ。
だが、芸術や文学は違う。小山田圭吾の音楽は小山田圭吾にしか作れないし、坂本龍一の音楽は坂本龍一にしか作れないし、太宰治の文学は太宰治にしか書けないし、石川啄木の俳句は石川啄木にしか詠めない。なぜならば、それらの音楽や文学は小山田圭吾や坂本龍一や太宰治や石川啄木の人格に根差したものだからだ。
そして、大多数の人間は光の部分と闇の部分を併せ持っている。
もちろん中には小さい光だけの人間や小さい闇だけの人間ならばいるかもしれない。あるいは麻原彰晃や持田孝のような巨大な闇だけの人間がいるように、巨大な光だけの人間ももしかしたら探せばいるのかもしれないが、多くはない。
そんな光と闇を併せ持っている人間の中で、小山田圭吾や坂本龍一や太宰治や石川啄木のような巨大な闇と巨大な光を併せ持った人間によって多くの文学や芸術は生み出されてきた。
そのような人間の闇の部分にだけ注目して作品を取り下げさせようとするのは、光も闇も小さなものしか持てなかった人間の嫉妬でしかなく、それによって巨大な光を持つ(たいていは巨大な闇も併せ持つ)人間が引きずり下ろされるのは世界にとっての損失である。
4年前ひょんなきっかけで34歳独身子供部屋おじさん無職と知り合った。
当時自分は20前半、ゲーム会社に勤めていてそれなりに忙しかった。
そのこどおじに、付き合ってるわけではないのに毎日のように自分がなにをしたかのライン、無視すれば追いライン。うんざりしていた。
彼には遠距離で付き合ってる女性が居たらしいが全然かまってくれないらしい、そこで私に目をつけたのだ。
無職だから暇なのだと思い、仕事をするように託したら「仕事なんてやりたくない!」から始まり日本社会がいかに間違ってるかを語りだす
暫くほっといたら「働くことにした」とのラインがきてお!と思い話をきいたら、蕎麦屋で修行すると言い出し、それって給料いくらもらえるの?と聞いたらわかんないと答える始末
しかし普通の事務職や営業職をやるより技術が身につくしいつか海外(彼は10年以上フランス語習ってやっと4級)に蕎麦屋の店をだすと言い出す。
夢はでかいのはいいが、地に足がついてなさすぎて大丈夫かよ・・・と思いながらほっとく。それから毎日のように自分が何をしたかのラインが再びくる。
それで遠方の彼女にフラれたらしく、
そこから自分の周りにいた10代の若い女に手をだすようになり、本気で辞めてほしくおもい忠告したら逆切れ。以前ベルギー人の16歳の女の子と付き合ってことあるから
いけるとおもった(しかし会ってはなくネット上だけの交流らしい)と言い出し社会生活まともに送ってないとこうなるんだとびっくりした。
本気でやばい人だとおもい、逆切れを利用し切った(その後10代の知り合いの女をけしかけて毎日のようにネット上でFPSゲームをしていた)
最近、世襲政治家が多いという話題をtwitterで目にした。そこで、現在の閣僚がどの程度世襲なのかを実際に調べてみた。ソースは全てwikipediaなので、あしからず。
なお、親の地盤を引き継ぐなどして選挙に当選した政治家を世襲と扱うことにする。大臣を複数兼任している場合は表記がややこしいので、一つだけに絞ることにする。
ほぼ世襲だろうという2人を入れると約4割。これが多いかどうかは感じ方がそれぞれあると思う。
しかし、一つ言えるのは意外と世襲もハードルが高いということ。
地盤の引継ぎに失敗して苦労している政治家も多い。一方で、小泉家や河野家、麻生家などはもはや家業が政治家と言って差し支えないだろう。
家業が政治家というのも賛否両論あるだろうが、別に日本に限った話ではない。例えばアメリカのケネディ家やブッシュ家が挙げられる。
24: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:36:44 ID:BAY
(帰ってきたヒトラーは)笑えるけど全然笑いごとじゃないからな
尊師(麻原彰晃のこと)も最初は皆ネタキャラやと思ってた本邦は特に
26: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:37:01 ID:43r
>>24
でも街中では笑ってる人多かったやん
28: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:37:15 ID:iqN
>>26
30: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:37:43 ID:43r
>>28
どゆこと
33: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:38:07 ID:hMM
>>30
気づいた頃には笑い事じゃすまんくなるってことや
35: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:38:29 ID:43r
>>33
なにが?
38: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:39:28 ID:vRE
>>35
ヒトラーの行った移民に対する政策に対して否定的な人が減っててヒトラーの純血主義にも一理あるって考える人が増えてるってことや
39: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:39:34 ID:hMM
>>35
本当はヤバいやつを軽く見て適当に放置しとった結果権力持っちゃって気がついたらシャレにならんことになるっていうことや
58: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:41:54 ID:43r
>>39
70: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:43:03 ID:hMM
>>58
たがたが70年前におった独裁者になんの抵抗も抱いてない時点でそういうやつが育つ土壌はじゅうぶん整っとるやろ
78: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:44:19 ID:vRE
>>70
たかが70年とはいうけど70年前のこと知らない人からしたらそいつが何やったかよくわからないし知ってたとて実感がないからなぁ
79: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:44:41 ID:hMM
>>78
やからそれが危ないんやって
やっぱ国語っているんだなあ
端本 悟(はしもと さとる、1967年3月23日 - 2018年7月26日)は、オウム真理教の元信徒、元死刑囚。
東京都出身。ホーリーネームはガフヴァ・ラティーリヤ。教団が省庁制を採用した後は自治省のメンバーとなった。
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件などの実行犯として有罪判決を受け、2007年10月に死刑が確定し、2018年7月26日に執行された。
1988年春、オウム真理教に入信した高校時代の友人を脱会させるために、説得したり話し合ったり、友人の様子を見るためオウムのセミナーに参加し始めた。
当初は「オウムは弱虫の集まりみたいな集団だ」と両親へ話していたが、あっという間に麻原彰晃の説く四無量心・救済などの教えに感化され、同年7月に入信。
入信した直接の契機となったのは新実智光の存在が大きく、彼に高飛車な態度で疑問をぶつけたら、あっけらかんと「入信しましょう」と返され、「すごい悟りの人なのでは」と思ったことだったという。
死刑確定後は再審請求をすることもなく、拘置所では文学・哲学書を読んで過ごしていた。平田信が出頭した際は、彼のことを気にかけていたという。
獄中で「無思考、考えないようにしていた。考えると崩れるのが、わかっていた気がします。」と語ったと伝えられる。
2018年7月6日の麻原の死刑執行後、「わたしは命乞いのようなことはしたくない」「いろんな人に迷惑をかけてしまって申し訳ない」などと話し、接見した弁護士が再審請求を提案しても首を縦に振らなかった。
ここ1、2年くらい、中田考というイスラム系の知識人を観察していた。
この人はイスラム国に北大の学生を送り込もうとして、公安の調査を受けたことで知られる、めちゃくちゃ怪しい人だ。
また、内田樹などリベラル系の知識人と交流があり、共著も出しているので、そこそこ知名度はあるだろう。
よくわからない謎の人物だと感じたので、その正体がつかめるまで、観察していたのである。
この人は「カリフ制こそが世界を救う」というようなことを言い出し、盛んに主張している。(実際のキャッチフレーズは「カリフ制再興しかない」)
カリフ制とは、イスラム教を中心とした統治体制で、カリフとは、法王のような存在であるようだ。
宗教の権威によって、イスラム教の信者を束ね、それによって国を作る制度だということなのだろう。
特定の宗教による政治制度が世界を救うとは思えないが、中田考はそれができると主張している。
カリフ制になれば国境がなくなり、人が自由に移動でき、制限なく楽しく暮らせる、というのだ。
それだけを聞けばいい話のように感じるし、リベラル系の知識人が中田考に好意的なのは、そのせいなのだろう。
しかし実際には、カリフ制の下では、イスラム教徒が上級国民になり、異教徒は下級国民として扱われるようになる。
異教徒は余分に税金を払うか、改宗するかを迫られ、どちらも受け入れないと、カリフ制の領域から追い出されることになる。
そんなイスラム最優先主義なのがカリフ制であり、まったく公平ではなく、とても世界を救うとは思えない代物である。
中田考はイスラム教徒だからそれでかまわないのだろうけど、そうでない私のような人間にとっては害悪でしかない。
にも関わらず、中田考はリベラル受けがいいように、カリフ制はヒューマニティーあふれる制度です、などと主張し、ごまかしを図っている。
オウム真理教の時もそうだったけど、リベラル系の知識人は宗教に対して妙に脇が甘く、世に押し出してはいけないタイプの人間を、押し出そうとする傾向にあるように思える。
これは彼らが宗教を軽視し、さほどの見識を持っておらず、危険性を認識していないからなのかもしれない。
イスラム教の聖典であるコーランには、異教徒は殺害せよ、と書かれていたりして、すごく危ない面があるのに、それについては触れようともしない。
そうすると「イスラムフォビア(恐怖症)だ!」と糾弾されるようなので、それを警戒しているのかもしれない。
ちなみに、中田考はそんなリベラルの傾向を利用しているのに、よくリベラル批判はしている。
この人はとにかく西洋的な価値観を嫌っており、ことあるごとに攻撃している。
このため、リベラル系の知識人と仲良くしつつも、攻撃するのはやめられないようだ。
そんな中田考がどうして日本で活動しているのかというと、日本ではどんな主張をしても、それだけでは投獄されたり処刑されることがなく、安全に活動できるから、であるらしい。
日本という国がもたらす自由を用い、日本にとってなんら利益がなさそうな活動をしているわけだ。
利益がないだけなら別にいいのだけど、彼の活動によって日本でもイスラム教徒が増え、そのうち過激化し、テロでも起こすようになったら目もあてられない。
中田考はイスラム国に共感するような人間なので、彼の影響力が増すと、いずれオウム事件のような騒乱が引き起こされる可能性がある。
中田考には、麻原彰晃のような組織力や、暴力性はないようだが、彼の後を受けて登場する人間が、そういうことをしないとは限らない。
ゆえに、こういった動きには警戒が必要だし、公安にはしっかりと仕事をしてもらいたいと思う次第だ。
ある芸能人が自身のnoteでSNSに法規制を求める内容を記載してた。
そこに挙げられていた例えに「交通事故を起こした運転手は免停になる」というものがあった。
つまり彼はSNSを交通道路に見立て、著名人に誹謗中傷のリプライを送るアンチを交通事故の加害者に見立てていることになる。
ネットでは古くからネチケットと呼ばれる公共マナーが提唱されているが、これは人によって定義が異なる抽象的な概念だし、個別具体的な行為を規定してるわけでもなく、ネチケットを広く包摂する法律も存在しない。
限りなく妥当に近いのはSNSの利用規約だろうかと思ったが、例えばTwitterの利用規約にはこの様な一文がある。
――利用者は、本サービスの利用により、不快、有害、不正確あるいは不適切なコンテンツ、または場合によっては、不当表示されている投稿またはその他欺瞞的な投稿に接する可能性があることを、理解しているものとします。
字義通りに素直に解釈すれば、TwitterユーザーはTwitterを利用することでいわゆる″アンチ″ の投稿によって不快な思いを受ける可能性さえも理解して利用すべき、となる。
仮にこれをSNS(この場合はTwitter)の運転免許とした場合、「アンチ行為をしたユーザーからSNSの発言権を奪うべきである」と唱えるユーザー側からの言動は免許所持者として適切な言動と言えるのだろうか?
―― 当社は、Twitterユーザー契約に違反しているコンテンツ(著作権もしくは商標の侵害その他の知的財産の不正利用、なりすまし、不法行為または嫌がらせ等)を削除する権利を留保します。
という一文も記載されており、具体的には各々のユーザーが「このツイート/アカウントはユーザー契約に違反している」と考え運営に報告し、その都度Twitterの各種ポリシーに照らして個別具体的に判断されて、仮に違反が認められた場合にはアカウントの凍結等々の判断が為される、というプロセスになる。
ちなみにTwitterユーザーなら既知の事実だと思うが運営の判断は杓子定規的ではなく現状ケースバイケースでかなり判断に幅のある恣意的なものになっていると思う。
なので仮に運営の判断=運営免許とすると運営に尋ねるまではユーザーの免許の所持/不所持が判然としないシュレディンガーの運転免許になってしまうのではないだろうか。
そして当然のことではあるが、仮に利用上でユーザーによる触法行為が行われた場合には、それこそユーザーの報告やTwitter運営如何に依らず捜査機関による捜査や逮捕、起訴等が行われることもあり得るわけで、このケースを例に準えるとSNSの運転免許違反ではなく日本国の運転免許違反に妥当するのだろう。
正直な気持ちを書くと俺はSNSに法規制を与えるべきではないと思う。
名誉毀損や著作権侵害、児童ポルノの投稿等の触法行為に関してはこれまで通り国内法で対処可能であるし、個別具体的な暴言等の″マナー違反″に関しても運営に報告してその判断を仰ぐプロセスが用意されているわけで、仮に運営の裁定に納得がいかなければSNSの利用を停止する自由もあるわけである。
SNSの利用が強制されたものでない以上始める自由も辞める自由も行使できるわけである。
自分にとって気に入らないSNSを取り巻く環境に法規制を求めるのは自由だが俺は上記の理由から全く賛同できない。
なおメディアを賑わせている自死された女子プロレスラーの方に関して書けば、彼女は出演されていた番組プログラムの犠牲者なのではないかと思う。
リアリティショーだか何だか知らないが生放送でない以上当然事後に編集が加えられているわけで、そのことを思えば脚本や台本が全く用意されていないとも考え難く、言うなれば彼女は製作陣の指示に従って喜怒哀楽の演技をしていたら視聴者から嫌われ悪辣な言葉を投げかけられて精神を病み死を選んでしまったリアリティショーの犠牲者なのではないか、と思う。
赤の他人がどの面下げてご冥福を祈るんだ?という従前からの疑問があるので「ご冥福を祈ります」と書くのは気が退けるが、一方で強い社会規範に締め付けられているのが俺という人間なので、ここは素直に「ご冥福を祈ります」と書き込ませて頂く。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/572/005572_hanrei.pdf
麻原彰晃は以下のように説法している。
例えば,Aさんという人がいて,Aさんは生まれて功徳を積んでいたが慢が生じてきて,この後悪業を積み,寿命尽きるころには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があったとしましょう。
このAさんを,成就者が殺したら,Aさんは天界へ生まれ変わる。
(中略)
ここで,例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え,ポアさせた。
(中略)
人間的な客観的な見方をするならば,これは殺生です。しかし,ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば,これは立派なポアです。
そして,智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの現象を見るならば,この殺された人,殺した人,共に利益を得たと見ます。
例えば,日本赤十字がいて,日本赤十字がキャンペーン周知のために掲出した宇崎ちゃんポスターは過度に性的であるため、不快さを与えたり女性への抑圧を強化したりするだろうという条件があったとしましょう。
この宇崎ちゃんポスターの掲出を,フェミニストがとりやめさせたら,日本赤十字は問題なくなる。
(中略)
ここで,掲出をやめせた方がいいんだと考え,クレームをつけた。
(中略)
人間的な客観的な見方をするならば,これは表現規制の要求です。しかし,フェミニズムの考え方が背景にあるならば,これは立派な社会運動です。
そして,フェミニズムを理解している人─ここで大切なのはフェミニズムへの理解なんだよ。─フェミニズムを理解している人がこの現象を見るならば,日本赤十字,フェミニスト,共に利益を得たと見ます。
面白いポイントは、オウム真理教は「魂は存在しその魂に悪業がたまり地獄へ落ちる」と信じ込んでいるため上のような論理展開ができるのであるのに対し、フェミニストは「宇崎ちゃんポスターは女性への抑圧を強化するほど性的である」と信じ込んでいるためできるという点にある。そこには、オウムの根拠同様客観的な証拠など何もないのだ。また、フェミニズムへの理解が足りないとして切り捨てるような言動が観測される(茜さやに対する態度など)のも面白い。
新興宗教にはしばしば「教祖は神の生まれ変わりなので特別な待遇が許される」などの教義が存在するが、生まれによって権利が許される、もしくは許されないというのは現代的な思想からすれば立派な差別で、つまり教義の中に差別が含まれてしまっている状態である。そして、その神の生まれ変わりである教祖があいつはポアしたほうがいいと言えばポアされてしまうのである。そのような差別を含む教義の中で肯定的に殺人が行われるのがオウム真理教であった。
それに対しフェミニズムは一般的に女性を抑圧から解放するために存在するが、それは即ち女性が抑圧されているという差別の存在を肯定しないと、存在意義がなくなってしまうということだ。そして、どのような状態になれば女性が抑圧から解放されたのか、差別が解消されたのかという定義がなされない以上、どのような物事に対しても女性が抑圧を感じればそれを根拠にして際限なく、線引きも自由にフェミニズム的な社会運動ができてしまうということである。そしてそのような思想は「私は特別扱いされるべきだ」というようなナルシズムと親和性が非常に高い。誰でも教祖になれるのである。