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はてなキーワード: 近代とは

2024-03-31

田舎には文化がない

今日は朝から村の溝掃除に参加したんだけど、あれは稲作の始まりを告げる重要行事で、村全体で農業生産インフラを支えていくぞっていう共通認識確認作業なんだよね。

終わったら落ち着きと称して簡単な酒席があるんだけど、あれも決起集会的要素がある。

まあ、圃場整備される前の土の溝だと一日仕事だったから、その名残でもあるんだろう。

とにかく、田舎生活は長年続いてきた稲作文化がその中心に存在する。

これは日本の文化を支えてきた根源的なもの

同じように見えて地方ごとに歴史気候や地形の影響で全く異なる文化がある。

それを理解できない近代以降の中央主権的価値観支配された薄っぺらい連中が、商業化された文化が無いか田舎には文化が無いとか言っちゃうの、マジで嫌悪感しかない。

それはお前がアホで見る目がないから見えないだけだぞと言いたい。

とはいえ、朝から飲み会やるのマジ勘弁してほしい。草刈りダルいし都会に引っ越したい。

2024-03-29

ペットショップ動物買う人の心理理解できない

ペットショップ犬猫その他動物を買う事が本当に無理って考えてて

どう考えても理解できない

でもそこ場にいる犬猫たちも早く誰かに飼われて大事にされて欲しいと思うから、「買うな!」とは思わない

ただペットショップに生体が並ぶことが嫌い、そこで買ったら新しい別の命が犠牲になると考えてしまう。

ペット産業地獄なのもあるしそれに加担しようとしていて、自分が買った一匹の命は大事にする考えが理解できなくて考えてみた。

そして、そういう命をお金買う人と違うのはわたしの考えがそもそも犬や猫をすぐ「個性として考えない」ということなのかもと。

ペットショップに行ったら複数選択肢の中からすぐ「この子」となる

保護団体かに引き取りに行ったら「この数の中からの子を選ぶ」となる

わたしは良い意味でも悪い意味でも、目の前に現れた「動物」を「個性」としてすぐ考えないんだなと思った

から、目の前に現れた動物が「どういう体調でどういう気持ちなのか」ということをすぐ考える

例えば犬なんて表情筋もあるから悲しんでるとか喜んでるとか人懐っこいとか人嫌いとかも当たり前にわかるって思っているし周りのわたしと同じような考え方も同じようなことは言っている(そして勘違いかもしれないけどねとオチになるけど)

また、人間動物なのに、わたしが実際に会ったショップで買う人って人間動物区別がはっきりとついているんだなと思った。

今住んでる土地や家も今は近代文明ゴロゴロとあるけど、実際は全て「自然」でできてて、みんなの「場所であるから動物暮らしているのを「お世話してる」と考えるんじゃなくて「一緒にこの家に住んでもらっている」って考えがないんだなと。

「この家に買われなければ今ごろ殺処分」とか「買われなければ野良になってた」とか自分の側に置かなかった場合未来を想定して「うちの子にしてあげてる」っていう人間の方を優勢に考えてるのかなと思った。

かといってショップで買うな!とは思わない

ショップで買う人じゃなくて、ショップを嫌いになるべきなのにそのペット産業をどうにかするのもできないからどうも動物愛護が故に思い浮かべる殺意の矛先がショップで買う人に向きがちなんだと思った。

ショップで買う人も売れ残りの子たちを買う人だっている

また、お金という概念もあるけど、

品種で選ぶ」っていうのが理解できない

前に話したことがある男の人は「俺は犬買う時、毛色、大きさ、性別、顔の作り、全てにこだわって選んだ」って言ってたか

お金でなんでも選べるという考えより、

根本的な「命」や「生き物」に対して考え方が

人間とそのほか」で分けてるんだなってその時思った

そういう人たちは数は少ないとは思うけど、何かしら犬や猫を飼いたいと思った時に保護が真っ先に出てこないのが教養の無さと知名度の低さなのかと思った

2024-03-28

甲子園世界観

なんとなくテレビを付けてて甲子園映像流れる

日本って「さぁ、これから近代工業を導入するぞ!」って国でしたっけ?

という気持ちになってモヤモヤする…


高校球児に罪はないんだけど、

あの世界観を好む大人が、世間が、

これからも負け続ける日本再生産してるしてるようでモヤモヤ


現在ベトナムタイミャンマーあたりの

世界生産工場みたいな地位を狙ってるようにしか見えない…

甲子園世界観

なんとなくテレビを付けてて甲子園映像流れる

日本って「さぁ、これから近代工業を導入するぞ!」って国でしたっけ?

という気持ちになってモヤモヤする…


高校球児に罪はないんだけど、

あの世界観を好む大人が、世間が、

これからも負け続ける日本再生産してるしてるようでモヤモヤ


現在ベトナムタイミャンマーあたりの

世界生産工場みたいな地位を狙ってるようにしか見えない…

2024-03-26

まりにも素敵な、ぷりぶりうんこ

近代美術館に展示したい。

マルセルデュシャン便器」の流れで、現代アート美術館に置いても良し。

村上母乳や精液があふれてる男女の像の横に排泄関連で据えても良し。

ドストレートに横浜うんこミュージアムに生うんことしてモロに鎮座するも猶お良し。

2024-03-24

ダンジョン飯の奴らってドラゴンステーキも食ったことないんだよな

マルシル達がドラゴンステーキを食べている様子を見て俺は理解してしまった。

あの世界ではドラゴンさえ食材じゃないのだ。

俺達の知っている近代RPG世界では、異世界のご馳走といえばドラゴンステーキだ。

A5ランク黒毛和牛みたいなものとしてドラゴンステーキが扱われているイメージ現代人は共有しているはずだろう。

だがダンジョン飯世界古典的WIZ世界においてはドラゴンは素材に放っても食べ物にはなっていない。

不思議だ。

古来より狩人という物は外敵を倒すために殺したとしても、その肉は食料として溜め込んでいたはずではないのか。

そうはいっても狼は食べられはいなかったが、これは誰かが狼を食べて不味かったという感想を述べた過去がまず存在している。

ドラゴンを食べたことがない理由が「不味いと聞いたことがある」からではなく「そもそも食べるという発想がなかった」というのはなかなかおもしろい。

まりあの世界においてダンジョンというもの独立した自然生態系というよりも、一つの異界としての側面が強く、そこに住むものは口にするようなものではそもそもないと考えられていることがこの一件からも分かる。

たとえば宇宙飛行士が未知の惑星に不時着して、いきなりその星の食べ物を口に含まないのと同じように、安全性が確保されていない物にそもそも手を出さないという意識なのだろう。

宇宙飛行士が異星のものを口に含むのは、救援が来るまでの日数と積み込んだ食料のバランスを加味して、どうしてもそれを接種しなければいけないという前提条件が揃ったことに確信を持ってからであるということだ。


WIZというゲーム世界自体が「油断大敵。基本的にチキれ。無茶するなら2軍にやらせろ。少なくとも救援部隊脱出経路が固まってから動け」で作られていることからダンジョン飯世界観もそのように「臆病こそが冒険者美徳。蛮勇もまた美徳ではあるが命は保証されない」となっているのは想像に固くない。

ドラゴンを倒せるほどの冒険者であればこそ、未知の物を口に含むなんてリスクは侵さないし、素材として持って換えるにしてもまずは換金レートが固まっている鱗からというわけだ。

そうして鱗を運んでいるうちに肉は腐るわけだが、ドラゴンが住むような下層で腹を壊したら危なっかしくて仕方がないので、誰もその場で調理なんてしないと。

からドラゴンステーキの味を知らずに過ごす。

なるほど。

夢がないな。

そういう環境で育った反動がセンシのような異常者を生み出すわけだな。

anond:20240324085628

うそ

近代工業化社会だけじゃなくて、もっと言うなら、権力に疑問を持たず権力者への思いやりに溢れ弱者負担に疑問を持たないアンチ民主主義、まさに道徳的でもある

かに学校無意味なことや理不尽なことに疑問を持たず前向きに全力で取り組むマシーン

anond:20240324082549

かに学校無意味なことや理不尽なことに疑問を持たず前向きに全力で取り組むマシーン養成するための近代工業社会最適化された育成機関だな

2024-03-22

anond:20240322152945

違う。お前は間違っている。

まず、「価値」なんていう言葉人間に向けて使ってはいけない。近代以降の人間が犯した過ち、よくないことだ。

そして、モノの価値はそれを判断する主体によって異なる。

あなたあなたのご主人に価値ないものだと言われ、傷つき、過去の自らの行いを悔やんで、あなた自身自分には価値がないと思っているようだが、あなたの親や友人はそうは思わないだろう。

私もそうは思わない。人間はみんな間違うものだ。あなたの行いや選択は愚かだったかもしれないが、今後もそうとは限らない。少なくともあなた反省できている。「自分はよくない人間だ」と自分の過ちを認め向き合うぐらいの善性か備わっている。立派なことだ。

人間価値などなくても生きるものだ。価値があろうとなかろうと生きていいものだ。

繰り返し言うが、人間のものに「価値」なんて言葉を使い始めた奴こそ、愚かなおお馬鹿野なのだ。そのせいでどれだけの人間が背負わなくてもいい苦しみを背負っていることか。

ちょっと間違ったからといって死ぬのは自由だが、大変に自分勝手なことだ。

あなた自分の子どもになるはずだった人の死によってこんなにも苦しんでいるのに、それと同じ苦しみをあなた大事に思っている人に、あなた大事に思っているかもしれない人に背負わせようとしているのだから

あなたの命は、あなた人生あなただけのものではない。あなたあなたが死んでも悲しくないはないのだからあなたが死んで悲しむのはあなた以外の人間だ。だから生きればいいのだ。

夢 (No.1237 2024/3/20)

巨大なトランクを持ち運ぶのは移動の足枷になるし、何より単純に面倒だ。思い悩んだ末、荷物はそのまま列車の網棚に置き去りにして用事を済ますことにした。前から2両目の後方寄り左側。帰りに回収すれば問題ない。全ては上手く行くはずだった。

たが帰りの列車に飛び込むと、どこにも荷物が見当たらない。あれから丸一日が経過している。もしかしたら誰かが持ち去ってしまたか、あるいは折り返しの終着駅忘れ物として回収されてしまったのだろうか。いや、そもそもこの列車は本当に昨日と同じ車両なのだろうか。うろうろ探し回っているうち、いつの間にか扉は閉まり列車は動き出してしまった。しかもこの車両は運が悪いことに特急であるらしく、次々に途中駅を通過していく。そういえば先ほどの店で財布を友人に預けたままだった。このままではいずれ見知らぬどこか遠くの駅で現金荷物もないまま放り出されて途方に暮れる運命だ。ちょうどそのときカーブにさしかかった列車スピードを落とした。ぼくはほとんど衝動的にタラップを蹴って線路飛び降りていた。

そのまましばらく線路を歩いたが、どうも監視されているような気配がする。おそらく列車飛び降りたためにキセルを疑われているのだろう。どうにか逃げなければと思いあぐねていると、傍らの側溝の壁面に鉄格子の嵌まった半円形の窓が見えた。そういえば聞いたことがある。どこの都市の地下にも中世に作られたカタコンベと呼ばれる長い地下通路が隠されていて、今も密造酒の隠し場所になっているとか。このまま地上を歩いて捕まるのを待つよりは、多少道を知らなくても地下に潜った方がいいだろう。ぼくは錆び付いた鉄格子を蹴り破って兎の穴に飛び込んだ。

地下通路は思いのほか近代的であった。明るい蛍光灯に照らされた白い壁面のタイル灰色リノリウムの床面には規則正しい点字ブロックが並び、通路はどこまでも続いている。線路の向きからおおよその方角を推測して歩き始める。虚ろな空間に空しく靴音が響き渡るなか、ぼくの思考は急速に回転する。そうだ、今ならよく解る。あの曲がり角の向こうでは年老いセロ弾きのストリートミュージシャンが Tom Johnson の Failing を奏でているに違いない。ぼくは彼の目を盗んで空き缶の投げ銭を盗めばいいのだ。そうだ、ぼくはそれで家に帰ることができる、それが今のぼくに残された唯一の道なのだ

2024-03-19

anond:20240318182037

キューポラ炉はたたら製鉄の応用でとかトンデモ知識織り込んでくるのが、はてなーのニワカっぽい

近代製鉄知らんのか

2024-03-18

本当は近代史がやりたいのに

近代理解するには近世理解しないといけないなー、となって

更に近世理解するには、百年戦争レコンキスタモンゴル帝国理解しないといけなくなる

さすがにフランク王国成立前まで遡らなくても良いだろうとは思う

2024-03-17

anond:20240317110021

まず日本にも石油天然ガスはある

それらの産出量が少なすぎて儲けにならないだけ

あと日本は立派な資源国「だった」

近代以前は教科書にも書いてある通り金銀銅を大量に輸出して稼いでいたのだ

それ以降も黒いダイヤと呼ばれた石炭の大量採掘で国は潤ったが石油革命と安い海外炭とのコスト競争で終わってしまった

まあ時期が悪かったね

2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

2024-03-13

anond:20240313113432

昔の農民ですら時には一揆を起こして自分たち生活権利のために戦っていたのにな。

近代日本封建制を打倒するのにも、民主主義を受け入れるにも、外圧が無ければ変わらなかったわけで、内部の人間問題を提起して改革することそのものが「分からない」状態なのかもしれない。

2024-03-12

anond:20240312125015

Claude 3 opus:

地球に何かが飛来して事件が巻き起こるという話の元祖特定するのは難しいですが、近代SF小説の先駆けとなった作品としては以下のようなものが挙げられます



これらの作品は、地球外生命体や未知の世界への関心を喚起し、その後の多くのSF作品に影響を与えました。ただし、「地球に飛来して事件が巻き起こる」という設定に限定すると、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」が最も直接的な元祖と言えるでしょう。

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補足:「月に行った男」なるもの検索しても見つからなかった。気球で月へ行った「ハンス・プファアル無比の冒険」のことだと思われる。

2024-03-11

姥捨山って民間伝承であって、実際に行われていたことを示す一次資料って現在まで確認されていないんだぜ

から姥捨山って言いたい時は「楢山節考姥捨山」、「デンデラ姥捨山」とか指定した方がいいと思うぞ

ちなみに近代一次資料は特異的に日本は沢山残っていて、沢山ある一次資料の多くは寺の過去帳だぞ

2024-03-10

bowling 球技ボウリングプロテスタントルター近代ルールを作った

boring 穴を開けたり大きくする。油田温泉を試掘する

bawling 泣きながら発する大きな叫び

 

ジャニー喜多川起訴を思い出しましたわ

2024-03-04

anond:20240304165825

そのへんはね~。現代において仏教が廃れる、まさに原因だね。 

 

そもそも仏教は、生きることは、生老病死、即ち苦しみであると説いている。

これね、「生きていると、老いや病や死という苦しみがつきものですよね」ではないんですよ。

生も苦しみなのだ。生きてるだけで当然苦しい。苦しいのがデフォ

そこは近代以前において説明不要なのよね。貧しいし、人権とか無いしさ。

なので仏教ってのは、苦しみしかない現世をいかに乗り切るか、という話をしている。

これは、いわゆる伝統宗教は、だいたい全部そうなのだキリスト教イスラム教も、いまめちゃくちゃ苦しくても死後は天国に行くって話が基礎だし。

 

ところだが、俺ら実際、生きていて苦しいか? 

ハッキリ言って、そうでもないんだよ。

何か我慢して苦しみをのりきったり、将来の天国に期待をかけたりする必要は、必ずしも無い。

だって今が苦しいとしても、それってのは、例えば金さえ手に入ったら解決してしまったりするんだ。悟りかいらねぇし、悟りよりも積み立てNISAのほうがはるかに救済に近いのよ。

しかもだ、なんなら老・病・死さえも、適切なタイミングで来るなら、この現代において苦しみではない。解決策ですらある。性欲に悶々とするの面倒くさいからさっさと枯れたい人たちがいる。今の人生が苦しいから、安楽死を望む人たちがいる。なんつーか、生の苦しみの質が変わってるんだよね。人生が50年から100年になって、終わりは突然くるものではなく、いつかくるものになった。90近くなってボケてしまう予定が既に立っているならば、その前に死んだ方が楽という考え方が確かに芽生えている。

 

その状態で、誰が、伝統宗教を信じるか?という。

現世が苦しいですよね? 悟りを開けば苦しみが取り除かれますよ?

いや、別にそれほど苦しくはないな。っていうか苦しみが無いだけの人生を100歳までやるほうがかえって辛くない?

みたいな。

信者数が減って当然の状況ではあるんだよね。

からもう従来の意味での宗教を信じる人は、世界からどんどん減っている。イスラムだけ名簿上は増えているが、それは発展途上国人口増が効いているだけで、欧州に出てきたイスラムの子供とか、産油国新世代とか、どんどん信仰おざなりにしていってるから

anond:20240304124711

人権は天賦であって誰しも持っています

但し、犯罪者等は制約されうるというだけです。

君に近代人権思想は難しかたかな?

「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね

いくつかバリエーションがある

無人島に[ジャンル制限]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[レコード]をn個だけ持っていくなら?」

……のような

[本]の場合に「聖書」という回答が西洋メジャーなことから元ネタ日本以外なのだろうとあたりをつける

調査の初手はとりあえずこれ

Desert Island Discs - Wikipedia

Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]

Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.

Desert Island Discs は、BBC Radio 4放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。

番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます無人島での生活とその選択理由について話し合います

このラジオ番組存在から1942年時点で「あるあるネタであることは確認できる

アメリカ一コマ漫画で「無人島もの」というジャンル存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない

普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ

ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日出版された

これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれ

Robinsonade - Wikipedia

Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]

ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段即興で考えなければならないフィクション文学ジャンルです。 このジャンル名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前ジャンル定義するために使用され、単に「無人島物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります

ということは、探すなら18世紀か……

一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど…

1611年頃

一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある

Uninhabited island - Wikipedia

The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]

無人島舞台にした最初小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界から漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミル文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]



こういうmeme的というか、とりとめのない雑談あるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ

残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見できなかった

何故調べる事になったかって、なんもかんもこのツイートのせい

https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20

有名な「無人島ひとつだけ持って行けるなら何?」という問答の元ネタ坂本龍馬

坂本龍馬は「国ぜよ」と答えて勝海舟を驚かせたという。

……という嘘豆知識

正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは

wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述

The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]

無人島」という用語は、社会的孤立し、物質手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます無人島での行動は、たとえば「無人島道徳」などの一般的思考実験です。

これの出典がOEDになっている

ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……

人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンル一般認知されている環境……であるはず

しか調査頓挫、有力情報がひっかかるまで塩漬けにする

へたすりゃギリシャ神話時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん

オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない

そうなったら手に負えん

日記

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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に

元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter

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ちょっと方針を変えてみるか

19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね

近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキル知識一般に広まったのがおそらくこの時期

その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない

いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキル知識関係なさそうに見える……

聖書って回答が多いってのはどこ情報ソース無いですやん

→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん

サバイバルガイド的な本が19世紀刊行されてないかを調べてみるか

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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見

無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ

このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人哲学者東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのものベートーベン楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。

発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い

ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな

しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……

見立ては大外れしていなかったか

さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?

もうちょっと古い時代にも言及がありそうな雰囲気はある

ケーベル博士ロシア出身日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスラジオ番組

20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか

しかインターネットだけでの調査はそろそろ限界

本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい

ここらで再び調査打ち切り、有力情報がひっかかるまで塩漬け

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ん……なんか別のバリエーションを見つけてしまったな

ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい

この発言の出典元文書ちょっとすぐには見つけられていないのだが

偉人名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル

ゲーテの生没年は1749~1832

無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種クローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ

Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島一般認知された?

元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする)
↓
Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した
↓
メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった
↓
さら時代下り、持ち込めるものジャンル制限になった

みたいな流れという仮説を立てれそうだが……

まあまあ、結論を急ぐことはない

頭の片隅エリアにこの疑問を保管してこの疑問は一旦クローズ

   なお、 意匠とは、 意味をたくらむ(意味をこらす、たくらむ)ことであり、中学生ホームページのように、視覚の魔術によって美観を与えるということが、文系的な古代的なデザインである

   意匠法にいう意匠とは近代的に工業利用可能デザインであり、 知的に高度である、 デザインだけを権利として保護している。

   しかし、デザインは、 意匠法で保護される程度に至らない、デザインもあるため、 平成10年にインターネットで大流行した、Naomichiの、 Windows98テクニカルサイトは、

 視覚の魔術によってHPに美感を与え、作成者と閲覧者が悦に入る古代的なデザインの最たるものである  それにまた、 MONO君も、 平成19年11月18日から、電灯の当て方で

    自分の顔の見た目を美しく見せようとしている、詐欺写メ、といった言葉流行したが、これも、デザインである

    ところが最初からデザインと言えばいいものを、 ありゅようにみせているだけでないんですよなどと激怒している社員が多くいるため、混乱している。

  また、裁判所の法も、デザインであるが、公務員の多くのものが、 法がデザインであると見抜かれると、 手続き逆用されるおそれがあるため、 問い合わせても絶対説明しない。

   そこの、見抜かれると逆用されることや、公務員の大半が悪人であるため、 一時期、ブサイクであるという猛攻撃を受けた。

2024-03-03

anond:20240302201948

お前はヘゲモニーと言う難解な和製英語を使ってるが豊かな英語を使いこなすめにもちろん初期近代英語を学んだんだろうな?

まさか古文重要と言いつつ、英語でそれに対応する初期近代英語をやってない訳じゃないだろうな?

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