はてなキーワード: 軽トラとは
もと南海の電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。
妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。
子供だけではなく、大人が見ても、このトーマスはテレビから飛び出した等身大のヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ。
トーマスの種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍。裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。
正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング。
大ベテランが子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレの幼児番組、みいつけた!のワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。
千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供も大人も集まっている。
転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマスも汽笛を鳴らしてアピールする。
ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかのファイブフォーティ。魅せます、トーマス。一回転半まわって転換完了。
駅構内はイベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。
トーマスの汽笛に合わせて、他の列車も汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。
新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。
ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。
トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。
小型タンク機関車とはいえ、1,600mmの動輪径は子供の身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。
みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。
鉄道界の老老介護、最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。
そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。
青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク。
娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。
千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。
特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車の電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。
だから、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人も年寄りも、みんな笑顔だ。
白レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえ、ニコニコしながら手を振る。
本命はこの後のC56-44かもしれないけど。
大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。
吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。
茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。
新金谷駅に着くと、車両基地の機関庫に入っていくトーマスがみえた。
子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスがみえた。
うちはド田舎で、地域の人はみな林業だったから多少お金持ってるとこは山を持ってた。
うちも林業だったから山を持ってる。そんなに大きい山ではないし広くもないと思うけど山は山。
うちの山に行くには沢ずたいに山を登り大きな切り株のところで左にまがり丘を越えたところにある。
沢までは軽トラで行くけど当然圏外。沢の左右の山は他人様の山で絶賛放置中。
うちの山も当然ながら完全に放置中。俺は小さい時になんどか山の管理として連れて行ってもらったくらい。
山は素人には危ない。子供の頃の思い出としては山からの帰り道、父親がいきなり動くなと言って静止させたこと。
ゆっくり動く分には攻撃してこないらしいのでそっとゆっくりその場を回避。
山には毒をもった蛇もいるし触れるとかぶれる植物もたくさんだしイノシシもいるし鹿もいるし猿は凶暴だし最近では熊もいるとのこと。
沢を歩くとヒルがくっつくのでタバコではがしたり。フンを見てイノシシの獣道を迂回したり。
足を滑らせて川まで落下もあるし親は一度ヘリコプターで救助されてる。
林業が今も日本で盛んだったら歩ける程度の歩道とかトラックが入れる程度の山道くらい作ってたと思うけど、林業が今からまた盛り上がるなんてありえないから整備することはないと思う。
持っててもしょうがないし手放したいけど売れないやつ。
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
ド田舎で車なしで暮らしてたら、休日は外に出るより引きこもってた方がストレス少ない。
田舎の
・質の悪さ
・民度の低さ
・不便さ
に、外に出ると、ストレスが溜まる。
まずJRで一番大きい駅まで行って、それで一番大きい郵便局まで歩く。
喫煙可ではない場所で喫煙する、小汚いジジイ、歩道で信号待ちをしてたら、歩道に乗り上げてくる、軽トラ(中年男)
田舎は都会以上にクソな男が多いのかな、都会でも田舎でも女性はルールやマナーを守ってるのに、男は守らない人間が多くて、殺意がわく。
迷惑行為をするのって、男ばかりじゃん。
道端にゲロしたり、唾を吐いたり、男がしてるのは見たことあるけど、女がしてるのは見たことない、それだけで、男って存在は要らないし。
迷惑行為ばっかり。
この日も、好き勝手な場所で喫煙するクソジジイと、歩行者の安全無視な、クソ軽トラ男がいて。
低学歴低収入の底辺かつ男っていう人種が主に乗ってるから、まともなドライバーがいなくても、仕方ないのかも、だけどね…
軽トラだからって警戒しない馬鹿な人間(そいつも男)が、軽トラの危険運転にクラクション鳴らして、横付けされて怒鳴られて、私が嫌な思いしたから、その軽トラ男も許せないけど、底辺を警戒しないその男も許せない。
そいつは自分が底辺側で育ってるから、警戒心・偏見がないのかもしれないけど、そのせいで、危険な車に遭遇しすぎ。危険な車を避けないから。
その男みたく、初めて自分のお金で買う車が軽、みたいな、低学歴低収入の親のもとで育って、底辺側の価値観しかない人間も嫌い。
そうして、郵便局で用事を済ませて、20分ぐらい歩いて、文化施設について。郵便局からその施設まで、歩くっていう選択肢しかないのが、不便すぎ。
無料でやってる講演会に参加してみたものの、ど田舎の無料の講演会のレベルなんかたかが知れてて、低レベルで役に立たなくて。
そういう、田舎のコンテンツのレベルの低さ、文化資本の差だよね。
そもそも、美術館や博物館が少ないし、水族館はないし、映画館も県内に3箇所しかないし。
そんな、文化資本の観点から恵まれてない環境で、ずっと実家暮らしで、大学にも行ってなかったら、大人になっても常識やマナーを知らない、教養もない、何も知らない・見えてない人間が出来上がるっていうの、実際にそういう人間と深く関わって、衝撃だった。
そんな人間が勉強して、自分の置かれてる立場や世の中のことを知って、人並みに自分の頭で考えられるようになったら、「勉強しない方がよかった、馬鹿な方が生きやすかった」とか言うから、さらに嫌悪感を感じる。
無知なまま、搾取されてる側を望むとか、どれだけ頭が悪いの、と。
反知性主義ってやつなのかな、その発言への嫌悪感は強く、そいつとの関係修復は難しいかも。
その低レベルな講演会に、またまたキモい男どもがいて、ストレスを感じて。
田舎ほど精神障害者は多いと思うけど、キモい男も都会より多いのかな…
1人はじっとしておけない、精神障害者の男。
もう1人は身なりが不潔、禿げ散らかした頭に汚い服に汚い靴の、気持ち悪いおじさん。こういうのは、都会にもいるかも。気持ち悪い、清潔感のない中年男、全員死ねばいいのに。
男の一部は、自分たちの身だしなみに無頓着すぎる、自分たちが見られる側であるという意識がなさすぎる、気持ち悪い、死んでほしい。
後ろの男はずっとゴソゴソしてて、それも腹が立った。
女性もたくさんいたのに、迷惑な行動をするのは男ばかり、低レベルな男の多さに、腹が立つ。
なんで、女性ができることをできないの?
男だからって甘やかされた結果がそれなんじゃないの、って思うから、許せない。
その講演会が終わって文化施設からまた20分ほど歩いて一番大きな駅、その近くの、一番大きな駅の近くにある唯一のカラオケ屋に行ったら満室。
2時間は空かない、と。
ど田舎なら、一番大きな駅前でも、カラオケが一箇所しかない、終わってる。
あとは車でしか行けない場所に何店舗か集中してて、駅前には一箇所だけ、という…不便すぎ、くそすぎ。
駅前のビルのなかの、チェーン店の専門店で買い物したら、過剰接客にイライラするし。
このクソ田舎の嫌なところって、不便で民度は低いのに、市内に自然がなくて、働き方は都会に近いということ。
いくら不便でも、自然があって、のんびり働いてるなら(沖縄や北海道みたいに)ストレスも少ないだろうけど、不便で自然は近くになくて(市外には観光客が来るような自然が何箇所かある)働き方が都会に近い、ロボット的なものなら、ストレスの方が多くなって、当たり前だよな…と。
こんなクソ田舎、早く出て行きたい。
クソ田舎でずっと育って、世間知らずに育って、勉強して視野が広がって、勉強しない方がよかったとか言うような人間がいるところ、早く出て行きたい。
かつて好きだった相手を憎むのは、疲れる。
好きが無くなれば、憎しみもなくなり、無関心になるのかな…
60才くらいのジジイがまわりを不快にさせる能力はすごい。今日もそんな糞爺を2人も見てしまった。
不快になるだけなのはつまらないので、これから街で見かけた糞爺をここにコレクションすることにする。
これで不快な糞爺を見かけても「コレクションできる!」と思える。
一人目
そこそこ混んでいる電車(席の前だけではなく、通路にも人が立たざるをえないくらい)で、となりに立っている兄ちゃんに「お前のカバンがあたる」と恫喝していた糞爺。こんだけ混んでたら多少は我慢しろよ。お前がちょっと横に寄るかずれたらいいだろ。兄ちゃんは「すいません」って大人の対応していたけど、見ているほうが腹立ったわ。
二人目
横断歩道で信号待ちしてたら、目の前に左折待ちの軽トラが止まってしばらく動かなかったけど、運転手の糞爺が窓全開でタバコを吸っていて、信号待ちの人々に思いっきり煙が流れていた。窓閉めて吸えや。あと条例かなんかで路上喫煙禁止なんだけど、ああいうのはどうなるんだ。
糞爺は掃いて捨てるほどいるので、これからもどんどんコレクションできると思う。
明日が楽しみだ。
じいさんは無口な人だった。水道工を定年するまでやっていて、頑固な職人気質。
両親が共働きだった俺は保育所に通っていて、婆さんが迎えに来れないときはじいさんが会社のマークの入ったオンボロ軽トラで迎えに来てくれていた。
小さい頃、俺はじいさんが苦手だった。じいさんからはいつもタバコの匂いがしたし、保育所であったことを話しても「ほうか。」「ほうね。」と一言二言しか返してくれないじいさんより、婆さんが迎えに来てくれればいいのにと思っていた。
じいさんは野球が好きで、オンボロ軽トラではいつもラジオがかかっていて、広島東洋カープの情報が流れていた。
ある日じいさんが珍しく「カープの練習を見に行こう。」となぜか俺を連れ出した。家の近くにカープの二軍練習場があって、そこに期待の若手が入ったらしい。
野球がよく分からなかった俺は苦手なじいさんと二人きりは嫌だなぁと思いながら、さりとて嫌だ嫌だと泣きわめくのもなんだか悪い気がして、大人しくじいさんについていった。4歳でも、それくらいの分別はついたのだ。
オンボロ軽トラで行った練習場で、カープの若手がノックを受けていた。カープと言えば猛練習の名の通り、動けなくなろうがノックにさらされ続ける選手をみて、子どもながらに「死ぬんじゃなかろうか」と心配になったのを覚えている。
じいさんは珍しく「あのキャッチャーは凄い。」「よう打つ。」「凄い選手になる。」と教えてくれた。
野球にぜんぜん興味の無かった俺は、あまり気のない返事をしながら、隣の遊園地につれていってくれればいいのにな、と思っていた。
去年、子どもが産まれた。とても可愛い。絵本を読んであげると喜ぶ。
いつの間にか立派なカープファンになった俺は、子どももカープファンにすべく英才教育を施そうと思う。
そうして初めて、俺はじいさんに愛されていたことに今更気付いた。
じいさんは孫を喜ばせたかったのだ。無口で、何を考えてるか分からないじいさんはじいさんなりに、俺を愛してくれていた。
自分が親になって初めてわかったとき、もうじいさんはこの世にはいなかった。
今なら分かる。4歳の子どもをじいさん1人でつれて歩くのがどんなに大変か。トイレの粗相をするかもそれない。目を離せばどこかに走り出すかもしれない。水分補給だって常に気にかけておかないといけない。そんなのを連れ出すのは60過ぎのじいさんにはきっと骨だったはずなのだ。
もっとあの時喜んであげれば良かった。ぜんぶ今更だが。
じいさん、カープは強くなったよ。今年は三連覇出来るかもしれんよ。
愛してくれてありがとう。気付けなくてごめんよ。
制限速度ピッタリで走る奴がいると渋滞するっていう説。昔からその理屈がよくわからん。
制限速度ピッタリに走る後ろの車も制限速度ピッタリで走りそのまた後ろの車も制限速度ピッタリで走れば渋滞はしなさそうだと思うのだが、制限速度ピッタリの車の後ろを走る車の運転手は何故か遠慮してしまって制限速度より少し遅いスピードしか出せない、その後ろの車も少し遅め、そのまた後ろの車も少し遅め……となるので、一番後ろの方に並んだ車は今にも停まりそうなノロノロ運転になるのだという。
しかし、普段運転をしていて後続車が自分の車より遅いスピードで走っているという感じはあまりしない。後続車の多くは車間距離を一定のまま着いて来ている様に見える。たまに煽って来るのや異様に遅い車もいるが。
自分だって、前の車に遠慮して必要以上にスピードを落とす事なんてあまりない。
これまでに渋滞の先頭付近を走った事が何度かあったが、そういう時って先頭車両が耕耘機やお年寄りの運転する軽トラだったり、事故処理中や工事中だったり、信号が多い道だったりと、何かしら渋滞してしかるべき理由があったものだ。
世間知らずの都会ツイッターインテリがRTしてるみたいだが、中小零細や農家の車を今すぐAT車に更新する補助金を出してくれるんですかね。軽トラや農業トラクターはAT車への更新はぼちぼちされてますけど、各種トラック・社用車はボロボロのMT車を使い続けるしかないんですね。限定解除すらも自前でできない、MT乗れない使い者にならない人をダサいと馬鹿にする風潮くらい一体何の問題があるんですか。AT車更新への金を出そうとしない都会在住ツイ廃の自称インテリにとってMT免許は趣味に見えるのでしょうね。下の階級を見ようとしない、闘争に発展する想像することもできない、こういう無自覚に地方の中小零細企業や農家を見下すクズが日本社会を分断しているのだなあ。
辞めたいんだと思う
小さな駅に併設されてる本当に小さな図書館で、司書さんはおばちゃんか、小柄なお姉さんか、メガネのおっちゃんかの三人しか見たことがなかった
子供用の本のスペースが広くて、靴を脱いで入るそこに放り込まれて母親が勉強してる間、こまったさんシリーズや、いせひでこの絵本を読んだ
ちょっと知恵が付くと靴を履いて小難しい専門書の棚もぐるぐる回った
手塚治虫のブッダ目当てに宗教の棚に行ってブッタとシッタカブッタを読んだ
近くにコスモス畑があって、図書館の帰り、母親が運転する軽トラの窓からそれを眺めた
小さな小川もあって、一回だけ途中で母親が軽トラを停めて、下ろして遊ばせてくれたことがあった
父親がいつも連れて行ってくれたのは、隣の市のちょっと大きな図書館だった
カウンターがでかくて図書カードはピカピカのラミネートで、絵本コーナーは一番奥
父親に引っ張られて絵本コーナーに放り込まれても、すぐに引き返してカウンター前の文庫コーナーに張り付いた
ジャンプ文庫が棚の端にちょっとだけおいてあった 眠り姫は魔法を使うとか、気まぐれオレンジロードとか、夏と花火と私の死体とか、父親に見つからないようにして読んだ
ジャンプ文庫はボロボロになってもずっと置いてあって、内容を全部覚えてても半年に一回くらい借りてた
狙い目は三階の人類学コーナーの近くの机で、コンセントも近いし会議室も遠いし西日がよく差し込む穴場だった
働いててもそんな図書館の光景とか、湿度の低い空気とか、胃がひりひりするくらいに静かな雰囲気とか、幾ら読んでも読み足りない本とか、そういうものがずっと体の中にある感じがして、急に泣きそうになる
詩的に言ったけど要するに仕事辞めたい