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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2013-04-01

まりこんなことを言いたかないんだけど

死ねクソジジイ

どうしようもないほど怠惰亭主関白とただの自己中を履き違えた子供のような大人
そんな父親を一匹飼っている
どんな些細なことでも自分で動くことはせず全て人任せで何かあれば人のせい
ついでに癇癪持ち
最初は~してくれとの頼みごとだが一度でも応じると以降やって当然の役割とされる
一応仕事をしてはいるがちょっとしたことで休む公務員
歳をとって一層酷くなってきた
しばしば風邪といい2,3日休むが病院には行かない
が、朝から晩まで酒は飲む
とある病(本当かどうか知らん)で定期的に通院しているが風邪を引くと通院も休む
仕事休みすぎではとある時訪ねたが半日もあれば3日分リカバリ出来るらしい
どんな仕事だよと本気で呆れる
その癖給料残業して稼いでくるらしい
残業ってそういうものでしたっけ
小遣いは月一万円
これは多いか少ないか
自分残業してまで稼いで家族養ってんだから小遣い増やせとよく母親にゴネているが
この小遣いに酒代、タバコ代、飲み代、弁当代、ガソリン代、通院代、携帯代その他諸々の代金は含まれない
ちなみに何故か携帯モバゲー()やらにハマっており携帯代で毎月4万溶かしてる
その癖母親には何故貯金が貯まらないのかと叱責されるお父上様
新しい車や家すら買えないとよく癇癪を起こしている
会話なんて出来ない
口を開けば子にご高説のつもりか頓珍漢なことばかり
人の趣味には冷やかしばかり
意見すれば気分を損ねるだけ
そしてキレるだけ
それでいてケロロ軍曹やらのアニメが好きとか何の冗談

子供の頃はわからなかったけれど、大きくなってみると思ってた以上に屑だった
こんな血や遺伝子を引き継いじゃってることすら嫌になるくらい塵だった
癇癪は継いでないけど似たように怠惰な一面、外面良く取り繕う一面、わがままな一面
よく自己嫌悪する
そして逆らえない弱さ
から振るわれてきた暴力に馴染んでしまった

今では父親が掛けてくる言葉は、その腹の底から自己愛への嫌悪感で一気にストレスが膨れ上がる
今日もまたそんなことがあり、オチもなくただ書き殴ってしまった

2013-03-10

セクハラはやめましょうね

その当時はセクハラ意識は無くても、あとで気付いた場合自己嫌悪で死にそうになります

勿論相手は、その瞬間からもっと嫌なわけです。

人間関係破壊されます

チラ裏 自分を投げ込む

 今、自分はうまくいっていない。それは、自分怠惰のためで、自己弁護のしようがない。ずっと、目を逸らしてごまかしていたことだ。それが露見したからうろたえているなんて往生際が悪いにもほどがある。

 しかし、今最も憎いのはそれではなく、そのような状況を周囲にも求めだしている自分発見したことにある。

 "アイツ、今はいときの気分で意気込んでいるようだが、どうせうまく行かない。惨めに失敗する様をここから見ていてやろう"という醜い下衆な心。自分はなにひとつしないくせに、たまに「そんなんじゃダメだよ」とかいって、失敗した時にすかさず「だから言ったじゃん」って言って、自分と同じような惨めな立場にとどまらせてやろうとしている自分存在に気づいた。

 最悪だ。一番嫌な人間じゃないか。一番なりたくなかった人種になりつつあるじゃないか。今までは理解出来なかった嫌な人たちの気持ちが、今ははっきりとわかる。僕は今、自分に関わる人すべてをみじめな立場に引きこんでしまうことで、惨めな自分を慰めようとしているのだ。

 最近、彼らの努力が立て続けに実ったことを知った。僕が嘲笑おうとした彼らの努力は報われた。今では誰も馬鹿になどできないだろう。それなのに、僕はそれを称えるでもなく、喜ぶでもなく、悔しがっている。自分が負けたからではない。当初の目論見通りに嘲笑えなかったことを悔しがっている。

 どこまで見下げ果てた人間なのだろう。

 僕は周囲の人たちを遠ざけた気分でいた。もう僕をあざ笑うな。昔の僕を今の僕の中に求めるな。頼むから放っておいてくれ。気がすむまで休ませてくれ。そんなことを思いながら人付き合いを避けてきた。

 でも、その認識は間違っていた。当然だ。僕が遠ざけられていたのだ。そして、僕の考えは間違っていた。特にこの一年間は。

 まず孤独を求めた。自立する力を養えると思っていた。とんでもない。自立とは自分一人で周囲の人間たちと折り合いをつけていくことにあるのだ。人付き合いを絶って、そんな力が養えるはずもなかった。

 意欲を育もうとした。意欲的に取り組めないのは意欲がないからだ。休んで意欲が湧いてきたなら自ずと体が動くだろう。これも、間違いだった。休み続けた体は衰え始め、それに伴い思考も鈍磨してきた。意欲とは、待つだけでは湧いてこない。僕に必要だったのは、ただ待つことではなく、意欲が湧き出てくる妨げになるものを取り除くことだった。気づけば乱れた生活に浸りきって無駄時間を過ごしてしまっていた。

 絶対に倒れない目標を立てようとした。どんなことがあっても変わらない目標。誰にも馬鹿にされず、誇りが持てて、人生をかけるに値する、そんな目標。そんな大層な理想を求めるうちに、小さな目標に大して無関心になり、小馬鹿にするようになってしまった。

 もう、すべてが間違っていた。こんな単純なことに気づけないくらいに僕は孤独を極め、ひねくれてしまっていた。僕は、この一年が短い生涯の中で最も愚かしい一年だったと考えている。幼少の頃と比べれば、なおさらだろう。あのころ毎日必死だったはずだ。毎日新しい発見があり、挑戦があり、明日が明るかった。今はどうだろう。賢そうなフリをしながら、考えていることは馬鹿のそれより誇大妄想に近い。歳を重ねるたびに愚かになっていっているようにすら思える。今は、かろうじて得られているこの状況を手放さないための最低限の努力を、文句をぶつくさ垂れながらこなすだけの、主体性のかけらもない生活を送っている。

 自己嫌悪のまま勢いに任せて書いてみて、やっとわかった。ようやく目が覚めたのかもしれない。

 目が覚めたのならば、すべきことは決まっている。

 意図的に自分を変えることはできないが、自分を取り巻く環境を変えることはできる。どんなに結果が恐ろしく感じられようが、人間環境の中に自分を投げ込むことができる。これこそが人間の持つささやかだが決定的な強みなのだ

 今に限ったことじゃない。いつだって自分を投げ込んできたはずだ。投げ込んでしまえば、しばらくは環境に揉まれることになるだろう。自分を投げ込んだことを後悔するかもしれない。それでも、今は投げ込むしかない。

 

 多分、辛いことになるだろうけれど、これだけは間違っていないはずだ。

2013-02-25

子供を怒ることは親が子供というなのか

http://ch.nicovideo.jp/tanzo/blomaga/ar128182

大人ってすごい ニコ厨低年齢化への想い

を読んで本筋とは違うとこで思った事。

ブログ子供時代の筆者はエンジンをかけっぱなしで駐車していた車に

乗っていた時、運転したくなりつい実行してしまった。

するとエンジンをかけっぱなしで車を離れた父親はすぐ戻ってきて

「ごめんな運転してみたかったんだもんな」

と謝罪したとのこと。

自分が父親やったらどうしてたかと考えたら

とりあえず怒鳴ってたと思う。

その怒鳴りには

子供が今後同じような危険なことをしないように」という「叱り」が40%

「(親としての自分が)めんどくさくなる可能性のあったことをしたことに対するいら立ちの発露」という「怒り」が60%

こういう「子供」より「自分」本位の、「叱る」でなく「怒る」

自分自己嫌悪になる。

ご飯こぼしたり、興味本位のワルさしたりはしかたないとは

思いつつもなかなかイラッとくる感情を抑えきるのは難しい。

2013-02-22

承認欲求とわたし

承認欲求」という言葉を知ってから承認欲求を満たすためだけに生きてる気がする。

私は彼女を作れるほど魅力的ではないし、イケメンでもない。グループの中心になれるほどコミュ力があるわけでもないし、人を釣れるほどお金もない。pixivに上げるほどの画力も無いし、プログラミングだってからっきしだ。専門と言えるほどの勉強もしていない上に頭も悪い。ここまでの文章で分かるように文才もなく、twitterでたくさんRTされるなんて夢の様な話だ。

そんな感じで考えていると、何をするにも承認欲求の影がちら付いてくる。たまに創作でもしてみようかと思い付いても「ああ、どうせこれは承認欲求を満たしたいがために始めるんだな」と気付くとすっと気持ちが冷める。気になる異性にしても、日々の仕事にしても、帰ってご飯を食べるにしても。「どうせ承認欲求のためなんだろう?」と考えるともうだめだ、なにもしたくなくなる。それだけならいいが、時々暴発して構ってちゃんになり自己嫌悪、というパターンが最悪だ。どうにもならない程人恋しくなるが、そんな躁状態が過ぎると完全に鬱る。承認欲求所業に死にたくなる。

この先の人生、不細工な何も生み出せないコミュ障承認欲求を満たすためだけに生きるのだ。人生なんて残酷なんだろう。せめて「承認欲求」という言葉を忘れたい。金槌で頭を叩いて忘れたい。

ああ、どうせこの文章も承認欲求のためだけに書いてるんだろうなあ。

2013-02-11

ネットでぐちるようなやつの性格はつくづく面倒くさい。

ネットでぐちるようなやつの性格はつくづく面倒くさい。

無駄プライドが高い」。

まぁ、そういう話はどこにでもあるからいいんだけど、問題は増田でぐちるようなやつだ。

なんでいちいち絡んでいくのか。無駄につっかかっていって、後で後悔する毎日

別にほっとけばいいのに・・・」と自己嫌悪に陥る。

誰かが書いてたけど、考えれば考えるほどスパイラルにはまって、結局答えを見出せずに自殺するらしい。

それが物理的な要因ではない自殺の主な原因なのだそうだ。

確かにそうだ。増田でぐちるようなやつは、自分脳内で作り出した相手に一喜一憂している。

増田でぐちるようなやつが夜ベッドの中で自己嫌悪に陥っていても、リア充どもはいびきかいて寝てるだろう。

増田でぐちるようなやつはきっと、自分自身が作り出した代表の「幻影」と戦っているのかもしれない。

2013-01-19

Twitterって最初誰をフォローしていいのか、どう振舞っていいのかイマイチからない。

しばらく誰もフォローしていない/させない非公開アカウントメモ用に使っていたんだけど、精神衛生上よくないというか、自己正当化自己嫌悪の温床になってしまったので、風通しのよい公開のアカウントメモをすることにしたのだ。出だしってどういう風にしていたんだっけ? 妙な精神的抑圧でつぶやくのも一苦労だ。

2013-01-11

もうすぐ28歳になってしまう。

もうすぐ28歳になってしまう。高校卒業して10年だ。恐ろしい。

18歳の頃、友人が言った。

「これから10年で大きく変わるだろうね。」

どうしよう。変わったことはあるけれど、今の自分はひどく平凡、没個性的、昔思い描いていたものではない。

でも、不幸ではない。むしろ幸せだと思う。

なのに感じるコレジャナイ感。焦り、不安、恐怖。

世代の友人の活躍を知って、嬉しさや、誇らしい気持ちと同時に、嫉妬自己嫌悪に陥る。

あそこにいたのは自分だったのでは、などと脳裏によぎっても、

こんな自分以上の努力や工夫を彼らは重ねていると頭では理解している。


正社員の職を得て数年経った。地味でこの先昇級も微々たるものだろう。この先ダメになるかもしれないけど、低め安定、か。

気の合う恋人もできて数年。子どもは作らず、このまま添い遂げるだろう。

いくつかの趣味も、そこそこに楽しんでいる。

両親は還暦を越えた。いつか介護必要になるのだろうか。

一体、どうしてこんなにモヤモヤするんだろう。

不満?不安


もうすぐ28歳になってしまう。

アラサーだ。

もう若いとも言えなくなってくる。

何歳からでも人生をやり直せるというは、正しいし間違っている。

今の仕事を辞めるほどの勇気もない。

やりたい何かもない。

大事にしたい人はいる。

このままでいいのか自信がない。

2012-11-25

アンチエンターテイメントとしてのヱヴァQ

<はじめに>

ヱヴァQ面白く無かった人の中には、どうしてそれが面白く無かったのか、

どうしてあんなに面白く無かったものをありがたがる人がいるのか、を理解できない人もいるかと思います

(理解した上で嫌悪感を感じる人は本説明の対象外です)

そうした人達に向けてヱヴァQおよび旧作エヴァンゲリオン面白さと面白く無さを説明してみます

ただし、これは「説明」なのであって、ヱヴァQはだから面白いよねという「説得」ではありません。

理解できたからといってヱヴァQ面白くなるわけではありません。


<要約>

ヱヴァQアンチorメタエンターテイメント的な構造=「期待を裏切られる楽しみ」を持っている。

(ここでいう「期待」とは「謎の提示→解決」「話のフリ→オチ」「主人公の苦難→成長」という、従来のエンターテイメントが持つ構造である)

「期待を裏切られたこと」が受け入れられない人は当然つまらなく感じるし、裏切られる楽しみを感じた人は楽しめただけの話。


ヱヴァQ面白くなさのパターン

1.アニメの絵、動き、音楽が嫌い。

 これについては説明できません。「そう感じる」のだから仕方が無いありません。

 ただ、他アニメに比べて単純にクオリティが低かったかどうかで言えばそんなことは無かったのではないでしょうか。

 

2.ストーリーが嫌い、よく分からなかった。

 本説明は、こちらに関する説明になります


メタorアンチミステリとしてのエヴァ群>

 通常、お話には各文章毎に意味があり、お話世界の設定を示し、物語が流れ、オチがつきます

 これが普通の「エンターテイメント」です。たとえばミステリを例にとってみましょう。

 まず小説世界の設定が示されます。その示し方、というのは作者が見せたい示し方「ある視点からみた小説世界」です。

 その世界には「謎」がありますクライマックスで作者は別方向から視点を持ち込んだり、

 視点の位置を変更することによって「謎の解決」をはかります。これがミステリです。

 旧エヴァンゲリオンと新ヱヴァンゲリヲンには様々なエンターテイメント要素「純文学的」「SF的」「ミステリ的」な楽しみが入っています

 本論ではミステリとしての切り口からエヴァ群およびエヴァQを読み解きます

1.ミステリ歴史

  エヴァには謎がちりばめられています南極で4体いた巨人は何なのか、槍とは何なのか、人類保管計画とは・・・etc

  通常のミステリエンターテイメントではこれらの謎には一応の説明=オチがつきます

  謎と回答がセットで用意されていることがミステリエンターテイメントの条件なのです。

  謎に対する回答が論理的でないことはミステリエンターテイメントでは批判対象になります

  では、謎に対して論理的な回答が用意されていればいいのでしょうか。答えは否です。

  当たり前すぎる謎への回答は「つまらない、面白く無い、想定の範囲内」としてまた批判対象になるのです。

  ミステリエンターテイメント歴史はこの矛盾した期待「筋道が通っているのに予想を外す」に応えた歴史でした。

  エンターテイナーは密室を作り、アリバイをでっちあげ、人物を交換し、天狗の鼻の上でナイフを滑らせたのです。

  しかし、読者には読書体験が蓄積されます。「密室もの」「アリバイもの」「島田荘司のいつもの」などのように予想は外れにくくなります

  ミステリ系が広まることがミステリ系の楽しみを成り立ちにくくするのです。ここでエンターテイナーはさらに頑張りました。

  密室ものと見せかけかけた人物入れ替え(トリックトリックとして使う)や、

  文章を意図的に誤読させることで謎でないと感じていたもの最後に謎であったと提示する(叙述トリック)などです。

 「読者の読書体験込み」の謎(トリックを知っている読者への謎)を作ったのですね。

  しかしかし、それすらも読者の読書体験に織り込まれてしまます。「ああ、これは叙述トリックもの」だね、という風に。

  こうしてミステリエンターテイメントパターンは全て出尽くしたように見えました。あとは各作家文章力/味付けだけの世界になったように思えました。

  しかしかし、そうではありませんでした。ミステリエンターテイナー原理主義者が考えた最後兵器最後の謎、それがアンチorメタミステリです。

  アンチミステリメタミステリとは何か?それはミステリエンターテイメントの条件「謎には回答がセットで用意されている」という想定、

  「これはミステリだろ、という読者の読書体験を裏切る」ミステリのことです。(読者体験を念頭に=メタ、解決の放棄アンチ)

  ミステリ的に提示された謎は解決、されません。貼られた伏線には何らかの意図があり、背景には脈絡が流れているにも関わらず永遠にそれが明かさないのです。

  読者は怒りました。怒り狂いました。こんな本は狂っていると騒ぎ、壁に本を投げつけ壁に穴をあけ、火を付けてさつまいもを焼いたのです。

  ただ、一部の読者は壁にめり込んだ本を再度開き、焦げた本を再度繋ぎ合わせ始めました。

  何故か?永遠に解決されない謎がとても魅力的に思えてきたのです。

  アンチorメタミステリがただの問答無用の「裏切り」だったとしたら、それはミステリでもなんでもありませんでした。

  しかしかしかし!アンチorメタミステリはきちんと「ミステリ」でした。何故か?提示されない、収束しないだけで、回答らしきものは「読めた」からです。

  作者はデタラメに謎を配置したわけではなかったのです。

  謎の配置には意味がありました。完全に繋がっていない謎同士、明かされずぶち切れた伏線から、かすかな破線のような真実の輪郭はかろうじて読めたのです。

  一部の読者たちは途切れた伏線をつなぎ、明かされない謎を照らし合わせました。そうしてできた回答は一つではありません。

  読者の数だけ答えがありました。いや、読者が考える度に回答が産まれました。

  作者の意図は完全にトレースあるいはサルベージできない(ようにつくられている)ため、当然のことでした。

  本を拾いあげた読者たちは各々、自分の回答について話合いを始めました。そうしてまた、新しい回答群が産まれたのです。


2.旧エヴァ歴史メタorアンチミステリ

  エヴァにはたくさんの「読みかた(視聴の視点)」があります

  それは他のアニメにも言えることかもしれません。ですがエヴァは思いつく限り全部入り、ぐらいの要素が入っているのです。

  SFとしてのエヴァ純文学としてのエヴァミステリとしてのエヴァキャラ萌えとしてのエヴァ

  それぞれが本格的に作られており、それらが複合的に絡み合うことで色々な読みを許す懐の深いアニメです。

  当時、それら本格的な要素を持つアニメとしてエヴァはそれなりに期待されました。

  TV放映の途中まで庵野監督は概ねそれに応えていたといっていいでしょう。

  しかし、最終的には庵野監督視聴者の期待をことごとく裏切ります

  TVエヴァでは最終二話にはエヴァほとんど登場せず、伏線は回収されず、ただ主人公が救われたという心象風景けが提示されます

  旧映画版。今度こそ、と期待されたものを再び庵野監督裏切りました。

  復活したヒロインは次の瞬間無惨に食われ、主人公最後最後まで成長らしきものをせず、謎らしきもの回答は完全には示されませんでした。

  たくさんの視聴者失望・・・しませんでした。これこそがエヴァだと叫び、糞だ糞だと拍手喝采褒め讃えたのです。

  エヴァいかに糞でその糞が何を描いていたのかについて各々語り始めました。

  何故か?視聴者は「裏切られることを予期していた」からなのです。

  TV版最終二話でなされた裏切り庵野監督が持つオタクへの自己嫌悪から発生したと言われるファーストインパクト

  これはうんこでした。ただただ庵野監督うんこをしたかった。とてもうんこがしたかったことが原因で産まれた巨大なうんこでした。

  しかし、これが偶然にもアンチエンターテイメントアンチミステリの形式を踏んでしまうことになります

  「開示される予定だった真実が巨大な庵野うんこによって適度に隠される」ことで良質なアンチミステリとなってしまったのです。

  デリヘル・ガイナックス♪で嬢呼んだらいきなり罵られた挙げ句勝手に帰ってしまったんだけど、そういうプレイだと思えば良質だったみたいな感じです。

  この放置プレイが評判を呼び、放置プレイマニアがこぞって映画館に行ったのですから、文句の出ようがありません。

  いや、息子のわがまま映画館に連れてこられた私の家族など、一部、可哀想な人たちがいたことは事実です。歴史の裏にはいつも悲しみがあります


3.新劇場版ヱヴァメタorアンチミステリ

  作家は挑戦をせずにはいられない生き物です。

  庵野監督10年くらいたったから、そろそろうんこ溜まってきたし、うんこしよう。するなら、前回よりもおっきいのを、だ。と考えました。

  巨大うんこのために作られたより巨大な謎、セカンドインパクト、それが新劇場版ヱヴァQでした。

  序、破は伏線でした。庵野監督は旧エヴァ制作/公開体験を、そして視聴者の視聴体験を利用します。

  つまりメタミステリとしてのヱヴァ「第一の裏切り=お、これ、前と違ってまっとうなアニメじゃん!」です。

  旧劇では糞が半分読まれていました。

  旧劇を超えるためには、序、破、でエヴァが糞で謎を隠す形式のミステリである視聴体験を払拭する必要があったのです。

  普通の糞好きに普通に映画館にきてもらっても、もう、庵野監督は満足できない。

  訓練された糞好きでも楽しめる、よりアクロバティクなうんこを魅せるとともに、

  中年男性うんこを放り出したとこをみたこともない女子高生うんこの素晴らしさを伝える、という庵野監督の願い–––––––人類補完計画

  この発動を目的として作られたため、序、破は精巧に綿密にまっとうなエンターテイメントをしていました。

  そして、ヱヴァQ。やってしまいました。満を持して登場した監督ヴンダー希望に糞を放り出す12使途(ネタばれ)として登場。

  観客を糞塗れにします。

  君の言っていることはほとんど意味が分からないよカヲル君、それどころか肝心なことは何一つ言わないよシンジ君以外のみんな。

  これが第二の裏切り

  一人じゃないんだ、と思ってたら「孤独でしたー」

  前に進めたんだ、と思っていたら「進めてませんでしたー」

  槍でやり直せると思ったら「やり直せませんでしたー」

  です。

  この、完全なる王道エンターテイメント期待への「裏切り」。

  救われるべきものが救われないアンチエンターテイメント、開示されるべき謎がほったらかしのアンチミステリこそがヱヴァQなのです。

  つまらないのは当然なのです。まっとうな反応なのです。面白いとみせかけて面白く無く作ったのですから面白いけが無い。当然のことです。

  ただ、「期待を裏切るという形式のエンターテイメント面白さを期待されたら、最終的には<面白いことを裏切る>しかない」んです。

  一度は必ず「面白く無いという面白さ」へ行き着いてしまものなんです。これはもう、ある程度しょうがない。

  問題は次回作シン・エヴァンゲリオン劇場版に持ち越されました。

  ここできちんと伏線が回収される!と見せかけて回収されない!謎が開示される!と見せかけて開示されない!のか、どうかは分かりません。

  アンチ構造最終回だったとしても、ある程度、おぼろげながら真実が見える形には仕上げてくるのではないでしょうか、というのが僕の予想です。



4.インターネット世代メタorアンチミステリ

  最後に、ミステリの形式とネット社会について述べておきます

  ある一つの解を持つミステリは、ネット社会においては瞬時に消費されます

  AはBだったんだ!以上!という情報は急速に読者や読者ですらない人間に行き渡ります

  「なあんだ、Aは結局Bだったのね。あーあれね。昔あったA=B型カテゴリのやつね」というふうに。

  物語の延命をはかろうと思うとメタorアンチミステリの形式をとらざるをえないのです。

  読者が謎と真実について語り合うことで新たな謎が生まれ、語りが語りを呼ぶことで物語はかろうじて生きながらえるのです。

  だから、今は普通エンターテイメントにもアンチ的要素は含まれます

  ある物語できちんとオチがつくものの、別の読者を引きつける開示されない大きな謎がシリーズを繋ぐとみえる、などベタな展開ですね。

  ちょうど、TVゲームネットゲームになったことにそれは少し似ているかもしれません。

  ゲーム攻略のものではなく、攻略について語り合い、次アップデートへの期待について語り合うメタな楽しみ。

  ラスボスを倒しても終わらないその営みこそがネットゲーム醍醐味です。

  エヴァンゲリオン、一体、どうなってしまうんでしょうね、楽しみですね。

  こちらからは以上です。

2012-11-13

リア充を見るのが辛い。

テレビをつける。

芸人アナウンサーも、間違いなく自分より優れた人間だ。

クイズ番組で頭の悪い解答をしていたり、バラエティや討論でどれだけアホくさい主張をしてたとしても、

そいつは間違いなく俺よりも充実した人生を生きている。

勝手想像してしまうんだよ。

「この箱に映ってる連中は全て、学校時代は(カーストとして)半分より上にいて

人並みに恋愛を楽しんでいたり体育の授業がある日の朝に憂鬱な気分になったりせずに

日々を過ごしていた。

もしも半分より下のカーストだったとしても(爆笑問題太田とか)

そいつは血反吐吐くほどの努力を積んだ人間なんだよ・・・」てな感じで。

そう思って、何かにつけて劣等感を抱いてしまう。

最近まで、俺はテレビを見ても「あーあ、また洗脳してるよ。電通の策略!作られたブーム!」

って憤って「洗脳箱」と勝手に命名して完全に馬鹿にしくさったテレビが。

今では「劣等感増幅箱」です。

自分よりも遙かに年収コミュニケーション能力恋愛経験が上の人間が、

どのチャンネルにも絶えず映っている。

ぶっさいくな男のアナウンサーでも年収1千万以上あって夜は美人セックスしまくっている。

役不足」という言葉誤用して使った頭の悪そうな芸人も、いたる番組でみるから

年収ウン百万か数千万かしらんが俺よりは遙かにもらっているし綺麗な彼女セックスセックスセックス

ひょっとしたら彼女も数人いるかも?とか想像しつつ、

そんなちっちゃな言葉揚げ足取りをする自分に激しく自己嫌悪したのち、害のなさそうなチャンネルにする。

ドラマ。みんな勝ち組だ。役者だ。モテモテだ。年収1千万美人イケメンセックスだ。

ニュース。みんな勝ち組だ。この男性アナイケメンだ。中学童貞捨てて大学リア充生活で今夜も美人セックスするのか。

バラエティ。こいつらの平均経験人数は18人だ・・コミュ力あるし金もあるだろうな。友達も多そう。学校時代は間違いなく人気者。

野球中継年収千万。いや数億か。美人中の美人セックスしまくってるんだろうな。高校時代から人気者なんだろうな。

チャンネル回したときの俺の思考。

どんな番組を見ても劣等感しか抱けないため、一日の平均視聴時間10分。

朝と夜のニュースハイライトだけだ。

映画も同様だ。

十数年前、

小学校時代ドラえもん長編(何かすら忘れた)を見て以来映画は見てない。

嫌なんだ。スクリーンの中のイケメン・イケ女を見ると自分人生のあまりのしょぼさで胸が苦しくなるんだ。

彼等は間違いなく充実した人生を歩んで数億の年収をもってて夜は素晴らしいセックスをしているんだ。

なんであれで感動できるんだろう。劣等感を刺激されてゲンナリするよ。

そして何より、こんな性格から盛り場を歩けない。

中学生カップルが手を繋いでいたり二人乗りしていたり。

またそれを見て「俺の勝っているのは年齢だけだ。それ以外は全ての面でなにもかも君たちより劣っている。」

なんて考えたり。

そういうわけで、自分より明らかに劣ったキモヲタとかすれ違うと

そいつに聞こえる大きさの声で「きもっ」とつぶやくことがある。

服装だけは普通からな(死ぬ気で脱ヲタしたわけだが・・・。)。

普段劣等感を感じてやまない人間が下を見つけてこれ見よがしに馬鹿にする、

という死にきれない構図。

彼女とか結婚は半分諦めてる。

から人生経験の差を、リア充との差を縮めるのは難しい。

風俗行くくらいなら死ぬ

「30近くで未婚なら劣等感で日々が辛いか死ぬ

なんて思っちゃう

でも結婚願望はあるし「幸せな家庭を築きたい」なんてふと思うこともある。

とは言え、こういう人生を生きて、こういう非常に歪んだものの考えをしていると、

何を見ても劣等感しか抱けなくなる。

ただし、それはほとんどが対人限定の劣等感

漫画音楽趣味として非常に楽しんでる。ゲームもいいね

ただしそれを作ってる人間は決して見たくない。

漫画家はたいがいブサイクだろうが年収千万で美女とセックスしてるから

深く考えるとドツボにはまる。

音楽アーティストは、たいていイケメンから

本人らの写真できるだけ見ないようにしてる。

ファミ通ゲームクリエーターとの対談がよくあるが、

どいつもこいつもイケメンだらけだ。

不細工なクリエーターでも年収千万で美女とセックスしてるから鬱になる。

音楽漫画ゲームともに作品を味わう限りは劣等感を感じないのだが

作者がしゃしゃり出るとそういうことを考えて鬱になる。

から俺は、数ヶ月前からギター漫画描きを始めた。

コード覚えたり機材買ってPC編集したり。漫画は模写してるだけだが。

仕事の合間に少しずつやってる。いつか公開したい。

それで食っていくつもりなんてない。

2chとかニコニコ感想聞けたら十分。

劣等感克服への道は果てしなく遠いぜ・・・

無灯火チャリンコ野郎にかなり効果的な嫌がらせをする方法

  1. できるだけ街灯の少ない真っ暗になる道を選ぶ。かつ、無灯火ヤローが多い場所を。
  2. これからの季節寒くて空気乾燥するので、静電気放電するキーチェーン、あれに高輝度LEDライトがついてる奴を買う。
  3. 無灯火のバカが来るのを歩きながら待つ。来なかったらそれはそれで。
  4. バカがいい気でやってきたら、LEDライトちょっと遠くで規則正しくそいつが通り過ぎるまで連続して明滅させる。
  5. バカが通り過ぎたらやめる。
  6. おしまい

バカは自分が無灯火であること、相手を轢くかもしれないという恐怖をやっと認識する。

最近チャリンコでは明滅型のライトも増えたが、あれは周囲を照らすものでなく自分の位置を知らせる程度の役にしか立たない。でも見慣れているだろう。

それを歩行者が使うのを見慣れている人はほぼいないはず。

ターゲットDQNで「ナメトンカコラー」とか言われたら「夜道で暗かったので自分の位置を知らせるために明滅させてただけじゃないですか。ほら最近自転車でやってるでしょ?」と言えば相手は黙る。

だってライトつけなかったせいで他人を轢くことになるのはそいつから

小学生とか高齢者が危ないか蛍光・反射のワッペンとかつけるでしょ。でも、無灯火だったらそれも反射しないか効果ナシ。」ダメ押し

明滅させるのにはもうひとつ意味があって、無灯火ヤローはイヤフォンの音楽携帯いじりに夢中だ。暗い夜道で明滅するものが現れたらそれから注意を奪えるはず。

バカは煽られた怒りとどこにもやり場のない自己嫌悪を抱えてやがてチャリライトを点灯させるだろう。はっはっはザマァみろ。

そんな高くねーんだから電池式で防水のダイナモいらない高照度ライト買えよマジで

でなきゃ自転車乗るな。

2012-10-31

生理前の自分

毎回,生理が来る1週間前に「落ち込み・悲観・自己嫌悪」が激しくなる自分のために,

いま生理が来て脳内の霧が晴れたようにすっきりして前向きな気持ちの自分から

メッセージを残しておくことにする.

大丈夫だ,今考えてることはぜーんぶ生理前のせいだ.

「誰も味方がいない,くずだから働けない,人に迷惑をかけるばかりだ,誰も私のことが好きじゃない,

 仕事を辞めるしかない,生きていけない,身体を売るしかないんだ,もう死にたい

それ全部間違いだ.生理前にいつも見せられる悪い幻だ.

そんなことはないって今の私が断言してやる.

ごはんは食べたか?おなかが減っていると落ち込みが増すから何か食べな.

寒くないか?あったかくしとけよ.

「でも仕事をしなくちゃ…」と思ってるかもしれないが,今日は諦めろ,

10月に無理やり職場に行ったはいものの,トイレで2時間泣いただけで帰ったの覚えてるだろ?

な?今日は休め.仕事生理来た後の私がちゃんとカバーできるよ.

考えたら悲しみが悪化するだけだから,考えるのをやめな.しょうがないんだよ.

映画見る,本を読む,ふとんで携帯をつつく...なにも考えずに1日過ごせばいいさ.

どうしてもツラかったら,頓服薬かばんにあるのを思い出せな?

ただし,身体を傷つけたらだめだ.生理が来てから後悔するから

「もう死にたい」って他人にメールするのも,関係を悪化させて後悔するだけだから控えとけな.

大丈夫,だいじょうぶだ.

毎回,生理後の自分がぜんぶカバーしてこれまで生きてきたじゃないか

今回も大丈夫だ,お疲れ様.ゆっくり休めな.

余談1)落ち込みを抑えようとして低容量ピルは飲んでる.

余談2)生理前の症状は人それぞれ.

ある人はイライラしてつらい,と,ある人は体がだるくて重くてつらい,と言っていた.

2012-09-22

健康人間が憎くてたまらない

病気会社を辞めることになった。

「お前技術もなんも中途半端なんだからさっさと地元帰って専業主婦にでもなれば(pgr

って言われたり、

「なんでそんなこともできねえんだよ」

って詰められたり。

限界まで耐えに耐えて上司に訴えたらチーム異動させてもらえたけど、

よくよく話を聞いてみたらそいつは後輩潰しの常習犯だった。

そういう奴だとわかっていたくせに見て見ぬフリをされていたらしい。

異動した先は炎上中のプロジェクト

2年前の夏、私が駅で行き倒れたのとほぼ同じタイミングで同チームの先輩も病気休職した。

先輩は復職したらしいが、私はまだ復職できるまで回復できていない。

何度か電車に乗る練習をしただけで帯状疱疹が出た。

少し集中して作業をすると翌日ぐったりと寝込んでしまう。

とうとう休職の期限が近づき、会社から連絡が来たので退社したい旨を伝えた。

会社側の人はとても優しく丁寧に手続きをすすめてくれたので複雑な気持ちになった。

とにかく悔しい。健康人間がねたましい。

健康なころに戻りたい。たくさん歩いたり走ったりできて、本を読むことができて、

人と話すことができて、当たり前に家事をこなして一人暮らしできていたころに戻りたい。

ちょっと外出しただけで体力なくなって寝込むとかほんともう嫌だ。

これまで何も意識せずにできていたことができなくなる、

自分が無力で無能になってしまったことを思い知らされる絶望感。

どうしたらいいんだろう。

気持ちばかり焦ってるけど体はたぶんついてきてくれない。

調子よくなったり悪くなったりを繰り返していくものだ」ってお医者さんは言うけど

がんばって外出したあとで熱出したりヘルペス出したりするのって地味につらくてしんどいよ。

今まで試したので一番療養によかったのはネットSNS断ちして友人知人の近況を

すべてシャットアウトして家事手伝いをすること。

自分と他人と比べるからつらくなるなんてことは百も承知なんだけどさ、

少しでも調子がよくなるとついうっかり開いちゃうんだよね。SNS

見ると確実に他人の幸せを素直に祝福できないことで自己嫌悪に陥るんだよね。SNS

2012-09-16

たぶん女性なら分かるかもしれない「誘う」「誘われない」問題

うん、私が寂しいだけなんだ。すまない。

小町知恵袋でする話だろうし、事実、その二つのサイトには同じような話題が無数に繰り広げられている。

相談まではしなくてもいいから、増田に書き捨てたかっただけ。

友人を遊びに誘うばかりで、さっぱり誘われないのが寂しいという、昔から既出の話題です。

それっぽい言葉をググれば、誘う方は心が強いとか、頼れるとか、

誘われる方は待っているだけで、別に誘う方を嫌っちゃいないとか書いてある。

けど、やっぱり誘われないのは寂しいです。

付き合いの長さだけ寂しさが募るよ。

誘ってはくれない友人に固執する自分が嫌になって、自己嫌悪に陥るよ。

休日に「今日は◯◯ちゃんと××に行ったよ♪」なんて日記SNSに書かれるとテンション下がるよ。

また自己嫌悪に陥るよ。

自分って重い人間だな、プリントアウト案件かなって時々考えて笑うよ。

大学時代からの付き合いの、かなり気の合う友人がいる。

「いた」って過去形に出来れば一番楽なのかもしれない。

就職してからも、結構な頻度で遊びに行っていたけれど、ふと最近、友人から誘われた記憶ほとんどないことに気づいた。

あっちが誘ってくれる時は、お互いが確実に近くにいる時だけ(仕事帰りとか)、ゲリラ的にお誘いが来る。

この日に映画行こう、とか、ランチに行こう、とか、ちゃんと日にちや時間を決めて誘われたことはない。

じゃあ、ちょっと、友人としては酷い行為だが、相手を試してみようか、しばらく誘わなければどうなるか。

それまでは月2,3回のペースで会ってたが、その日を境にこちらから連絡することを止めた。

今日で試し始めて3ヶ月目。電話メールも一切来なかった。

もちろん会うこともなかった。

ああ、そうか、あっちにとって私は、ただ都合のいい友達だったんだなって、思うようになってきた。

いい子だから、私が誘わなくたって、誰かが何かに誘ってどこかに行く。

この三ヶ月間の彼女日記がそれを証明しているようで、泣き笑いした。

いいなあ、そういう女の子。うらやましくて仕方ない。

この三ヶ月、憎くなるくらいうらやましくて仕方なかった。

こういう陰湿なことを増田に書く、根暗性格増田ですが、

幸いにも、いつも私を誘ってくれるありがたい友人がいるので、そういう人と誘い誘われるいい関係を目指そうと思いました。

あと、ひとりでどこへでも遊びに行けるように努力をしています

最近、一人で映画を観に行くことに喜びを感じるようになりました。

そんな感じでおしまいです。

オチが弱いけど気にするな。吐き出せるだけ吐いてスッキリたかっただけだから

2012-09-15

欝で休職した

職場にいても欝がどんどんどんどんひどくなって、それでもだましだまし勤めてたけど、

いよいよ辛くなって辞める気満々になって、ならば辞める前に病気の診断書をもらって

失業保険を早くもらうくらいのことはしようと姑息な思いで精神科受診した。

先生は話をウンウンと聞いて、「休むっていう選択肢もあるよ」と言ってくれた。

休むことでどうにかなるかもしれないし、ならないかもしれないけどその時はまた診断書書くからもっと休めばいいし、

さらダメだった時には辞めたらいいし。

そう言ってもらって、そこまで頭がまわらない自分はほんとに病んでたんだなあと気がついた。

別に仕事が激務で病んだわけじゃない。おそら自分のいるポジション職場の中で最下層、

最も閑職といえる部署だ。私の家庭の事情などを考慮した上での会社側の気遣いによる配置だ。

分かっていたけど、でも自分仕事がしたかった。

目の前には毎日激務に向かっている同僚がいる。自分も同じフィールドに立ちたかった。

激務の人たちからしたら私はただの窓際族に写っているんだろう、能力もないかお気楽な勤務形態だと。

周りはそう思っている、と思い込んでいて、それが辛かった。働ける。働きたい。働けるところを見せつけたい。

でも家庭の事情でそれができないことも分かっている。

今の勤務形態はとてもありがたい。私はできることを全力でやって、お給料をもらって、それでいいじゃないか

必死自分に言い聞かせていた。

退社後は家のことを毎日必死でやった。閑職とはい仕事クタクタではあったけど、

早く帰ってるんだから、ちゃんとやらなきゃと必死だった。

だけどダメだった、辛かった、家のこともしたくなかったし、なにより会社に行きたくなくなった。

職場では誰に何を言われたわけでもないのに「無能め」と見下されている気がしていて、いつも気を張っていた。

誰も何も言わないのは、みんなが私を見下しているから口も聞いてはくれないのだと心のなかで嘆いていた。

毎日泣きそうだった。職場ではお腹を下したし、吐いたし、泣いたし、倒れた。夜は眠れなくて朝までに何度も目を覚ました。

それで、疲れきって、辞めようと思って最初に戻る。

医者さんは2週間の休養を要すると診断書を出してくれた。

上司相談して、(もともと閑職だから)あっさり休ませてくれた。

ちょっとだけバタバタと休み中の引き継ぎをして、2週間休んだ。

上司からは「職場への改善要求なんかはある?」と聞かれたけど、別に会社は悪くないと思ったので「ない」と答えた。

※まあ強いて言うなら上司や他の同僚から私への仕事の振り方・あしらい方がぞんざいだったから見下され感を覚えたんだろうなと今は思う。

書類の渡し方一つ、メールの文章ひとつとっても雑というか乱暴だ。とはいえそんな些細な事、と思って恥ずかしかったし、スルースキルがない自分が悪い、と思うのも事実



休職して、何もしなかった。出された睡眠導入剤を飲んで寝ていた。家のことだけした。

最初の3日くらい「何もしない自分」に自己嫌悪めいた焦りがあったけど、それも2週間の間に慣れた。

とにかく時間があれば寝倒し、自分のことと、家のことだけして、社会的な関わりは断った。

不思議もので体調が上向くとややポジティブになる。

「誰も自分のことなんて気にしない、見もしない」というネガイメージが、

「私がどうであろうと他人には関係ない、気にしなくていい」と少し前向きな色を帯びた。

医者さんにそういうと「いい傾向だね。もしまだしんどかったらまた診断書書くからね」と言われた。

ここに、いざというとき自分を守ってくれる人がいる、と思うと安心した。

家族には、「顔色が戻って、落ち着いてきた。よかった、一時期はひどかった」と言われた。

いつもちゃんと私を見ていて、気にかけて、心配してくれる人がいる、と思うと嬉しかった。






出勤できそうな気がしてきた。

火曜日から復職だ。ダメなら休もう。

2012-09-07

理想的思考への自己嫌悪障害者電車

またしてもベビーカー電車が一部で話題になっているが

理性としては母子権利は守られるべきだと思うが

朝の埼京線を実際使う者としては

なにを現実見ずにアホなこと言ってるんだって感じである

だがその考え方は、

日本産業ダメになるから原発は動かさなくてはならない、に通じる内容だから

正直恥ずかしく思う。

それで思い出した自分ダブルスタンダードなのだが、

かつて学生時代に、ラッシュとは逆方向の電車毎日乗っていたことがあった。

対方向とはいえ、首都圏なので、自分の乗る駅あたりでちょうど、すべての席が埋まる。

いつもなんとか座っていた。

しかし、たまに敵が現れるのだった。

それは白杖を突いた視覚障害者

駅員は彼が電車に乗り込むと、座っていた健常者の客に、席を譲ることを求めるのだった。

はっきり言って、たまったものではない。

何が悲しくて、朝一番で席を強制的に奪われるなどという理不尽に遭わなくてはならないのか。

けっきょく、視覚障害者が乗り込む車両は決まっているので、

その車両を避けて乗り込むようになった。

しかし、障害者のために譲歩をしなければならないというのは、

現状では仕方なくても

ゆくゆくは解消されないと仕方ない。

バリアフリーのために健常者が不便を強いられるのは

過渡期的現象だと思いたい。

乙武氏がパラリンピックがなくなればと言ったように。

2012-08-31

非モテ定義

非モテという括りはもはや個人の感覚の上で成り立っている言葉になっているが、ふとある推測が浮かんだ。

非モテという人種を、非モテをと言う価値観を「受け入れてしまった」非モテと「脱する機会が無い」非モテに分けられるのではないか、と。

前者はもう置いておく。開き直ってしまたからには何も言う必要は無い。

問題なのは後者。彼らは本当の意味での「非モテ」に分類されるのか?という疑問である

こういうのは意外と恋愛のチャンスがあったりする一般人であることがほとんどだと思う。

服装にも割と気を遣い、トーク力もそこそこで、異性からも別段嫌われているわけではない。

ここまでは普通だ。文章だけにしてみると「非モテ」の条件としては当てはまりにくいはずだ。

ではどうして彼らもまた非モテに分類されてしまうのか。

それは「恋愛」の土俵に立てないかである

彼らが恋愛における一般人と括りにくいのはそこに原因がある。

彼らは身の丈に合う恋ができない。

理想の問題、価値観の問題、友人関係など多くの要因を持つ彼らは、恋愛のための努力をすることができないのである

このような限りなく一般人(というにも語弊はあるが)に近い存在非モテは、友人の紹介や合コンなども少なからず縁はある存在

故に恋愛ができない身の上、人間関係に疲弊を感じてしまう有様。

そして非モテを受け入れきれない故の生半可な自己嫌悪

このような人種もはたして「非モテ」と呼べる存在なのだろうか。

悲しい話、わが国では「非モテ」と言うレッテルは、完全に恋愛から切り離された人種として成立しつつある。

それの意味は、数多くの「非モテを受け入れた人間(俗に言う喪男喪女)」によって作り出されたものであり、

上記のような「非モテを脱せ無い≒恋に落ちない」タイプ人間もおのずから非モテ」のレッテルを貼り、恋愛離れが進む原因となっているのではないか

結論が長引いてしまったが、私は例に挙げた「恋に落ちない」タイプ人間は「非モテに分類されない」と思う。

正確に言えば、「複数にモテなくていい。ただ一度でいいので恋がしたい」人間を「非モテ」として括るにはあまりにも荷が重過ぎるレッテルでは無いだろうか。

彼らの苦しみは何にも代えられないのだ。

非モテ」という諸刃の剣すら持てない彼らこそ、本当の意味で「非恋愛体質」なのかもしれない。

2012-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20120829161353

ああ、わかるよ。

それはとっても大事だし、学校にいる間はそう言ってやりたいし、そう言うよ。

しかし、学校出てからも、それを心に刻んで生きていけるのかなあ、という迷いもちょっとあってね。

挫折って、ほんとうに努力する気を根こそぎ奪っていくもん。

努力至上主義の子ほど、挫折した時に自己嫌悪しそうなのもこわいしな。

姿勢よりも、小さな目標というか信念というか、この矜持があるから生きていける、みたいなのも、必要な気がしてね。

あ、先生って言ってもなるのは高等教育機関から、もうちょっと学生に幅があると思うんだよね。

努力し続けることかあ…

確かに、どれだけ落ちぶれても、50なっても60なっても、諦めず努力すれば何か得られるよな。

遅すぎることはない、というのも、努力とあわせて大事なことだよな。

ただ、努力することは尊いけど、最小限の労力で結果を出していくのも、褒めていいスキルだしな。

努力ができなくても、弱い者の味方をして倫理に反することはしない、というのだけかたく守ってる子も立派だしな。

そういう意味では、努力であれなんであれ、それをしよう、やりとげよう、という信念を持つことが大事なのかもしれない。

うーん。

本当にしたいことを見つけて、それをやりとげろ、とかも大事だしな。

人の気持ちを大事にしよう、でも大事だしな。

努力だけして他人を傷つける人と、怠け者だけど他者をすごく大事にする人なら、どっちがいいのか俺には決めれないしな。

なんなんだろう、みんな大事だよな。


大事じゃないことなんてあるのかしら。

2012-08-21

先日初めて好きな声優オナニーしました。

オナニーの直後、まずやってきたのが虚無感。勿論今までに数えられないくらいオナニーをしてきたわけですが、これ程の虚無感を感じたことは無いです。

「これぞ賢者タイム」という感じでした。ホンモノの賢者タイムを感じたい人は試してみてください。

次に途轍もない罪悪感と自己嫌悪に苛まれました。

キモオタの前でも明るく笑顔で向かってくれる天使になんてことをうわああああああああああああああああああああああああああああああ

彼女笑顔を裏切ってしまったうわああああああああああああああああああああああああああああああああああ

てな具合です。どういう風に裏切ったのか自分でもよく分かりませんが。

オナニー前はハイな気分でした(ハイな気分だったから「オナニーしちゃおうYO!」みたいな感じで軽い気持ちで始めちゃったのです)が、一気に死にたくなりました。

そんなわけで死にたくなった私は、まあ死にたいと言っても「教会で生き返るなら死ぬかー」くらいの死にたさだったので、そのまま布団に潜って寝ちゃいましたとさ。

私は、取り敢えず眠ると暗い気分から復帰できるので、次の日もう一度好きな声優オナニーしました。

すると、前日のような虚無感も罪悪感も自己嫌悪も襲って来ませんでした。

1度やってしまえばこっちのものなんですね。それ以降、数回好きな声優オナニーしましたが、毎回気持ちよく出来ています

皆さんも1度は好きな声優オナニーしてみてはいかがですか。

ちなみに私の好きな声優悠木碧さんです。

2012-08-19

悪夢を見た

昨日ちょっとだけウォシュレットの事を考えて、肛門は痛みやすいよな、大切だよなって思ってた。

それで、寝た。

夢で、どこからか女の悲鳴が聞こえて、膣もデリケートというイメージドンドン沸いてきた。

肛門のデリケートさが分かってるから、膣のデリケートが凄くよく分かる気がした。

酩酊してて、すごい混乱した夢だった。

20代の頃、偉そうにセックス後の女性器を乱暴にティッシュで拭いてた自分自己嫌悪

ちなみに俺は男です。文章が伝わりづらいかもしれないけどね。

2012-08-14

うおおおお

大学時代の知り合いのブログを見つけた。

第二の氷河期とか言われてた卒業に際して希望してた職を見事勝ち取った人で、日々頑張ってる様子が伝わってきた。

自分のやりたいことをやってる。大変だけど充実。みたいな。

一方こちらは食いっぱぐれなければいいくらいの感じで職を得て細々生きてる真面目系クズ

日々そんなに頑張ってない。頑張るのって嫌いなんだ。

から世間様で暮らしていくための最低ラインみたいなものに達するために人一倍頑張らなくてはならないタイプ人間だった。

夢のためとか自分のためじゃなくて、そうしないとけちょんけちょんにされてスタンダード人間からちょっと外れた存在として扱われるので必死にならざるを得ないタイプの。

白状すればコンプレックスはある。

この人は自分の「そうなれたら良かったのにな像」(の一種)だなあ、と思う。

ただ、自分はこの人みたいになりたかったわけでは決してない(人気職だが俺の趣味じゃない)し、何かの間違いでこのポジションに乗っかることがあったとしても決してこの人みたいに楽しんで頑張れはしないだろう。

その意味では特に嫉妬は無い。

嫉妬はないんだけど正直自己嫌悪が加速するのは確実なので会って話したりとかはしたくない。真剣に話題が無い。

基本的に向こうは礼儀正しい善人であり、こちらはくすぶってるカスなのでマジで上っ面でしか接することができないと確信している。

そんな失礼な真似はしたくない。

この度めでたく大学同窓会みたいな飲み会のお誘いが回ってきているわけですよ。

前述の人も含めていろんな人が出席する、割と規模デカイ感じの会なんだけど。


うおおおおおイヤだああああ行きたくNEEEEEE

でもお断りの口実が見つからNEEEEE

日記

昨日の就寝時に、自分子供の頃、まだ両親が離婚する直前くらいの、私の七五三ときのことを思い出した。

私は七五三衣装の帯がきつくて、着てからずっと車酔いしたみたいになっていた。それでさらに車にのってより気分がわるくてもうろうとしていた。離婚直前の両親はなんとなく一触即発な感じだった(父の一方的なアレだが)。私が、祖母(父の母)から贈られた晴れ着で体調をくずしていたのはきっと不愉快だったろうし、私の反応がよくないのもたぶん不愉快だったろう。私からはそういう風に見えていた。母はスキをついて帯をゆるめてくれたが、それもおそらく気に食わなかったに違いない。帰りの車内は父の機嫌が悪く、居心地が悪かった。

それで、現在にもどるのだけど、就寝時、ふとした瞬間に、脳内で「あの帯、きつかったよな」と、とある架空存在(私の好きキャラみたいなもの)が言ってくれて、なんか知らんが布団の中で涙があふれてきた。久しぶりに泣いた。なんの感情かわからないけど、「あの時の帯がきつかった」と確認することが自分の涙のスイッチになっていることを知った。自覚ではなく、他人に言わせることに意味があるらしい。この架空存在は、ばかではない正直さと考え方や感じ方を信頼しているので脳内に居て頂いている。

架空存在脳内に住まわせて、自分の欲しい言葉を語らせるなんて不健全なのかもしれないけど、それは別に視えるものではないし、私に指図もしないし、私が「かれならどうするか」程度に考えなければイメージされない。結局虚構なのだ。虚構ですよーという現実だけを伴う幻想だ。かれは妄想にはなれない。

子供の頃のことをひきずったまま大人になって、なんとか自己嫌悪で自爆するのを回避するために、どこからどこまでが親に原因があったかを確認したりするけど、そういう姿を見て「いい年して親のせいにするな」などと言う人が結構いる。しかしその反面、解決方法的なものに「父親一発ぶん殴ってこい、話はそれからだ」みたいなの提示されたりして、なんだか、ただ一般論を言いっぱなしてる感じが気持ち悪い。まあ、だいたいは詳細な背景も聞くまえに、私が相談もしていないのに一方的に言ってくる人の使う台詞だけど。

ぶん殴ったり直に文句言ったりしても簡単に解決しないから、こうしてぐるぐるずるずる大人になるまでなんとかやってこれてしまったんだと思うので、もうそれは今の私には解決策じゃないし、なぜいまさら暴力』という手段で自分も父親みたいな人間だと自覚させられるような真似をしなきゃいかんのだ、としか思えない。

2012-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20120806130200

運動習慣がない私の場合

生理前の気分が沈んで食欲が増し浮腫む時期に全てが狂う。

生理前、

基本的に食欲が増す、

気分が沈んむから運動意欲減退、

注意力散漫で思うように進めない、

自己嫌悪で食べる、

生理直前~最中は痛いか運動意欲減退。

それを何とかしようとしていたとき

節食障害になった。10年くらい。

いまは、節食障害より放っておいた方が痩せるし、

精神的に安定することが分かっているので、

太った自分に甘んじてる。

毎日ジム行けるならジム行きたい、けど、

仕事終らないんだもん。。。

生理とき行きたくないんだもん。。。

ああたたかれるだろな。

2012-07-27

友だちになりたい

いま付き合っている人と、いわゆる恋人みたいな形での付き合いをやめようと思ってる。相手の人とはこれ以前に何年も交友のある友だちだった。友だちに戻りたい、というより、今の関係であると同時に、友だちであるということを失いたくない。

もともと私は他人に対して恋愛感情を抱くことができなくて(相手も私にこういう部分があることは多少知ってくれている)、でも、相手からの申し出と、自分の中にもぎりぎり家族愛かなにかに近いような特別感は確実にあるという自覚に基づいて、この人と付き合おう、と判断したんだけど、それはちょっといい加減な判断だったかもしれない。どんどん申し訳ないような気持ちと自己嫌悪が募ってきている。

私は、人間嫌い・人間不信とまではいかないが、そもそも男の人が苦手だ。男の人がより好意的に特別扱いしてくれると嫌悪が募ってくる。これがどんなに誠実で良心的な人でも、何かの瞬間にひどく嫌悪感を抱くことがある。異性に対する性的目線感情の発露が嫌というのではなくて、その人がまともに振舞おうとしていることがうわべだけの良識派を気取っているように見えてきて憎たらしくなる。まじめゆえに面倒ごとを後回しにするような平和主義もどきの発言をされたりするのがうっとおしい。彼とも、ただの友人であった時は許容できていたものが付き合い始めてからはすぐに許せなくなった。

とりあえず目の前から消えてほしいという意味で「死ね!」と吐き出したくなる位の衝動に駆られることがある。実際に死んだりいなくなったりしてほしいわけではない。冷静になるとどうしてそんな事くらいで「消えてほしい」とまで思うのか、ちょっと行き過ぎだと感じる。この衝動をはっきり表に出したことはないが、これに苛まれている時の私は、とても不機嫌でつっけんどんに見えるだろう。

私は友だちに対するスキンシップが好きで、ある程度仲良くなって相手のことを知っていれば、手を握ったりハグしたりなどがテンションあげずにためらい無く出来る。付き合い始めてからは、彼と並んで歩いているときになぜか体がぶつかってくるのがとにかく腹立たしい。ただ、これは彼とさほど仲良くない頃に密着されたときもかなり不快だったので、相手から意図がわからないまま触られることが嫌なのかもしれない。好意からなんとなくくっつかれるよりは、思い切り抱きつかれるほうが相手の感情がわかってまだ安心する。

両親の不仲と経済的な理由による離婚によって、私は小学生の頃から父親が不在であったことによって育んでしまった何かが、これらにどれだけつながっているかからない。父親に対する期待など一切なかった分、引きずるような憎しみなどもない。本人から直接聞かされたわけではないが、父親のほうが私よりもいびつな少年時代を過ごしたのを知っているため同情のような気持ちは抱いている。でも父と私では時代土地性別も違っているので歪みや苦しみの質は多分違う。ただ、私も父も、身内をただのストレスのはけ口としてしまいろくに思いやりなどなくなるという点でそっくりだ。未だにファザコンだ、くそ

付き合っている彼以外の人とお付き合いのようなものが出来る可能性など今後ないだろうし、彼は以前の関係を変えたいわけではないとも言ってくれた。代え難い存在でいてくれる彼には感謝しなくてはならないのだけど、私と付き合うことで彼の人生において不利益時間感情を費やさせているだけにしか思えなくなってきたし、覆し難い嫌悪から彼をむやみに叩くだけの存在になりたくない。彼が変わらないと言ってくれても、私は変わってしまう。

私は自分のことしか考えていなくて、相手を好きか相手が好きかなんてことは私の中で二の次以下のものだった。特別でなくていいから、彼の友だちに戻りたい。

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