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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2012-07-02

リエちゃんへ

お仕事がんばってる?

僕は相変わらずかな。

世間ではワーキングプア職の僕だけど、

こんな人がいるおかげで世界は動いてるんだなって最近思うようになったよ。

近頃金欠で、なかなかお店に行けなくてごめんね。

最後に行ったときのリエちゃんの姿くっきり覚えてる

まり派手な下着は好きじゃなかったけど、あのときは本当に燃えちゃった

話はかわるけど、、僕は自己嫌悪になることが多くて

はやく起業して、よくわかんないけど、なんとか稼いでリエちゃんと暮らしたいんだけど

(あ、まずはリエちゃんと気持ちを確かめる方が先かな?笑)

なかなかうまくいかなくて、

時間管理術とか、引き寄せの法則とか色んな本読んで勉強してるんだ

ちょっとずつ成功してる気がするよ

日々のちょっとしたことに幸せを感じるようになれたしね♪

朝の透き通った空気とか、夕日とか・・・

今日、とってもきれいな夕日の写真が撮れたからリエちゃんにも送るね。

本当は一緒に見たかった・・な~んて、贅沢だよね、ゴメン(^^;)

夕日のあとには綺麗な月が見えて、僕はぼんやりと考えたんだ。

あぁ、リエちゃんは今頃僕と違う男とどんなことをしてるんだろうって

僕は自分がわからなくなるぐらい苦しいんだ。

リエちゃんだってこんな事言われたら傷つくと思う、でも、考えちゃうんだ・・。

僕は、本当に男なのか?だってこんなに情けないんだもの

リエちゃんを守ってあげられなくて、つらくて、つらくて、

ねぇ、リエちゃん、リエちゃん、リエちゃん、君は誰だっけ?

ああ、僕はそうだ僕は風俗に行ったことがない

じゃあリエちゃんは誰なんだ。リエちゃんは僕のオナペットか。AKBメンバーなのかな

違うよ僕はこうじゃない、私だ。あぁリエなんて女知らねぇよ。

リエは今日みたAV女優の役名じゃねぇか。

そうだ。ジジイに犯されるリエを見て気持ち良くなって、私は超バッドな気分。

だって私はこんなに頭が悪いコンビニバイトすら勤まらない。

持続性がなく、俗物で、目標がないこれが私なんじゃないの。

でもなんかあるかもしれない。

しかしたら明日雷に打たれて、顏が佐々木希になって巨乳で私の愛液を顏に塗った人は永遠の命を得られる

そんな小学生妄想みたいな存在になれるかもしれない

うまく言えないけど、とっても悔しい。

毎日夜になると両親が「いい旅夢気分」を観ていて、

母が「この女優ぶりっ子ね」と言って父が「旅館に泊まるだけで金がもらえる商売か」

って必ず言う。毎日毎日毎日言う。

いい旅夢気分じゃない日はプライムニュースだ。

プライムニュースをみて高学歴を叩く。

私も負けず毎日オナニーを持続している。ネットサーフィンも、

焼肉のタレ飯を毎日食べる事も。

顏はたまにしか洗わないし、歯も磨けないし知的好奇心も無いが

これは18の私の限りなくリアルな話であり、人生のもの

2012-06-24

祖母が死んであまり悲しくなかった話

先週母方の祖母が亡くなった。

小さい頃は家が近かったこともあり、祖母には頻繁に面倒見てもらってたし、

遠方に引っ越しからも盆正月は会いに行って一緒にご飯食べて話して、縁遠かったという事はない。

そして先日、そんな親しい人が亡くなった。

26歳にして初めて初めて親しい人を亡くした。

訃報については亡くなる数日前の時点で「そろそろ覚悟決めて」って親からメール来てたから、さほど驚かなかった。

訃報聞いてからすぐに飛行機で祖母宅にいって通夜、翌日に告別式やって帰ってきた。

危篤の連絡時点で覚悟を決めるために、祖母が死んだらどう思うか考えたし、

実際に対面したときから遺骨を拾うときまでの想像とのズレも確認した。


驚いたことに、一貫してそんなに悲しくなかったのである


この考えを放置することは、社会生活を営む存在幸福を享受することを目的とすれば、非常に「良くない」。

原因は特定して公開するべきであり、可能なら思考を変更し、最低でも自分の中で落とし所を作る必要がある。

そんなわけでこの数日間で思いつく限り可能性を出した。

自身の中で腑に落ちた原因を以下に記載する。

実は思い入れが無かった/思い入れが薄れている

真っ先に思いついて胸糞が悪くなった。

ただ一件唾棄するべき原因に見えるが、そればかり考えて他の事に手がつかなくなる事はより悪い。

本能的に感情の配分を調整しておめでたい心になっている可能性は否定出来ない。

長いこと祖母の様態が悪かったため、感覚麻痺している/覚悟が決まっている

数年前から退院を繰り返し、何度か危篤状態になっていたこともあり、

逆にこれまで持っていたことを幸運だとする考え方もできる。

ただ解釈によっては「死ぬことが予定調和になっている」「生きている人を死人扱いしている」にもなる。

人が死ぬことに現実味がない

世の中に積極的に関わらないこと、フィクション摂取のしすぎが原因で、目の前の事実

ガラス1枚隔てて見えたり、モニタの向こう側に存在している感覚に囚われることがある。

森羅万象他人事であり、当事者意識都市伝説である

世の中に参加することが好きでないなら、自身の心と身体を安全な状態にして世の中を見れるので居心地の良い考え方である

一方でこのスタンスで生きていると他者から観察されるとき、檻の中のサルを見る目で見られる。

何が「増田さん面白いですね」だ。去れ!死ね

他に悲しむ人が沢山いるので、悲しむ役割としての自分必要でない

祖母の子、その配偶者、孫を合わせると20人を超える。

葬儀の参列者も、臨時で席を相当数追加する程度に多かった。

ここまで数があると悲しむ気持ちに「働かないアリに意義がある」の理屈が通る。

人気者は放っておいても誰かが救済するため、参加する意義を見出せない。

感情の動きが弱い

葬式中に周りを観察していたら、良く泣く人はいわゆる「リア充」だった。

テレビバラエティとかドキュメンタリーとか、なんであんな簡単に人が泣くかが理解できなかった。

理屈をもう少し若い頃に理解しておきたかった事項ではあるが、人前に出るのが好きな人間は演出家だった。

内面で生まれた感情を外に向ける際に、ごついアンプを通している。

そこまでで事態が完結すれば大したことはないが、人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるらしい。

模倣を通じて本物に至る概念感情にも該当するとは思っていなかった。

出す人間と出さない人間感情にも格差は発生する。

別の感情、思考にリソースを割いていた

1とリンクした原因でもある。

祖母の死顔を初めて見た時に、悲しい感情よりも怖い感情が強く出た。

骨あげ時に特に感情が動かなかったことから、顔の造形に対する違和感不気味の谷が原因である可能性が高い。

また今回親しい人の初めて葬式ということで、事をうまくやろうとして調べごとしたり周りを観察することに注力していた。

意図してかせずか、別のことを思ったり考えていたために悲しまなかった可能性はある。

とりあえず6つ原因を挙げた。

この原因からどう思考を持っていくか何も考えてなかった。

とりあえずこの6つから自分自身がどんな人間か読み取ってみる。

オタク

根暗

・消極的

世間慣れしていない

自分自身に対して碌な形容が出て来なかったがしかし、こんな奴は現代社会だと掃いて捨てるほどいるだろう。

ということはみんな外に出さないだけで同じ考えを持つ人間が多くいる可能性は高い。

自分が特別だとか自意識過剰で恥ずかしい考えだった。

と、ここまで結果を想定せずにダラダラと文章を綴っていたが、ゴールが見えてきた。

気にしなければいいのである

しまなくても葬式に参加していれば死者を悼むことになる。

まわりからもそう見えるし、自分内面にそう言い聞かせて納得させることもできる。

そういう意味では葬式自体がそもそも悲しくない人間内包するようにできている。

まりからそんな人間がいるということだ。何一つ精神的不具者ではない。


結論:場に適切な感情を抱けないことは想定済み。変に心配して自己嫌悪に陥ることのほうがよっぽどバカ




あとどうでもいいけど理性と感情を適度にコントロールするための葬式有用性っていうテーマで文章書けそうだな。

2012-06-14

まわりの人々が良い人すぎてつらい

つらいなんて言葉を使ってしまうと一層失礼にあたるのだろうけれど、便宜上つらいと表しておくことにする

もうね、本当に優しくて思いやりがあって素敵な人達ばかりなんだ

母も父も姉も兄も、それから関わりのある沢山の人達が、私みたいな人間に、示唆的な言葉をそっと手渡してくれる

あるいは、行動の大切さを示してくれたり、意思の持ちようを説いてくれたり

私が社会的健全な生活な生活に復帰できるよう、色々と考えて、策を用い、諭して、励まして、激励してくれる

善意が眩しくて、彼らの生き様が素敵すぎて、くらくらしてしまうほどなんだよね

からさ、そんな人達に対する私の挙動ないし思想や反応がさ、申し訳ない気がしてならない

私みたいな人間あなた達の善意に振れる資格など無いのだと

応えられないことがつらいわけでも、優しさが重たすぎるわけでもなくて、ただただ私はそんな器じゃないのだと

正しい礼節も、一般的な常識も持ち合わせていない、そもそもにおいて私など何事において考えることを放棄した阿呆しかないのだと

それ故、あなた方の善意に触れた後にそれが善意であると理解した途端、潰れそうになるのだと

理解して欲しいわけではないのだけれど、そっとしておいてほしいなどと我侭もいえないのだけれど

しんと寂しいなるくらいに、そう多分、つらくなってしま

よくわからないのだけれど、とにかく自己嫌悪に陥ってしまうのだと、吐き出したいわけで

向けられるに値しない善意を浴びることも、その善意に応えようと思わないことも、応えられないことも、

そう考えてしまうことも何もかもが八方塞がりで、すり鉢状の自己嫌悪の底から這い上がることもできず、

地獄のようにぽろぽろと底へと沈んでいくしかないような、そうあることを悲劇的に見做している私への軽蔑と、

そうあること以外に何事も為そうとしない私への諦観と、まま色々と立て込んでいまして、

先程から身体が左側に傾き捩れたまま元に戻そうという気も起きず、ひたすらに懺悔とも、ナルシズムとも、

自傷ともつかない吐露を延々と吐き出しているわけなのでございます

あぁ、頭がいたい

そして何よりもきもちがわるい

2012-06-10

一人っ子の生きづらさ

・他の人がいる所で自分の事をするのが苦手

・怒れない

・影響されやす

依存心が強い(いつも親が手を出し口を出しやってあげるので)

・人と話すときオドオドする(人と話す時の態度が親に対する話し方と似てくる)

孤独好き(家にいる時ひとりっ子自分一人で遊ぶしかないため孤独に慣れてしまう)

・反論能力が低い(家には親しか居ず同年齢の人に反論する機会が少ない為、自己主張が下手になる)

・甘えん坊(周りが親など年上ばかりだと、ワガママが通りやすいため、甘えん坊となる)

・一度決めたことはやめない。

約束は必ず守る

・すぐ病む。ストレスに弱い

・思い切った行動をとる。行動力が高い

冗談が通じない

・先のことまで現実的に考える

・人を試す

・信頼しきってる人に依存する

・何人もの自分がいる

・基本自己嫌悪

・思い込みが激しい

・負けず嫌い

・とろい。要領が悪い

努力

・目立つのは嫌いじゃない

正義感がある

責任感がある

・重い

自分という殻が厚い

ほんとに一人っ子って社会適応性ひくいと思います

かくいう自分一人っ子です

2012-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20120608094432

どうなった、というほど終結はしていないです。

今も継続してカウンセリングを受けているところで、

やっとひどい自己嫌悪や自責感が起こる理由がわかってきて少し整理されて、

それに伴う頭痛やけだるさや対人恐怖がやわらいできた

といったところです。

まあ、カウンセリング最後の砦だと思いますね。

もし仮に、何かのサークルや新しい職場うまい人間関係が作れていたら、

必要ない気もします。それが出来ずに苦労しているのですが。

2012-06-05

セックスのない愛」と「愛の無いセックス」だったら、僕は後者を取る人間

誰とでも寝ると噂のぼっち女の子と仲良くなった。

仲良くなって、相談に乗ったり、いろいろなところに遊びに行ったりした。

他人に必要とされるのが嬉しかった。

体目当てなんかじゃなく、好きになったつもりだった。

しかし、しばらく後に告白して、断られた。

それで疎遠になって、それでもたまに電話がきた。

「辛い。死にたい

「(同棲しはじめた)彼氏と別れたい」

そんな話ばっかりだった。

自分でも情けないけれども、自分けがやらせてもらえなかったことに対して、なんというか、悔しいというか。

告白してきた男に、恋人への不満、時には性生活の不満までこぼす彼女はオカシイと思う。

しかし、話の本題はそこじゃない。

かいつまむと、自分だけやらせてもらえなかった、それだけの話しなんだ。

僕は、セックスがしたかっただけなのか?

おそらくそうなんだろう。

僕は、本質的に、女性を好きになることが出来るのか?

セックスのない愛」と「愛の無いセックス」だったら、僕は後者を取る人間なんだろう。

劣等感と、自己嫌悪と、もうなにやらわからない。

実は、もう五年以上引きずってる。

彼女も、もう男を取っ替え引っ替えは出来ない歳だろう。

どうなってるんだろうな。

追記

ボーイズ・オン・ザ・ランという漫画の前半部がまさにこれである

付き合ってるわけでもない女のために、女を傷つけた男に決闘を申し込む。

男は負ける。

女は実は誰とでも寝るビッチだった。

ボロボロの姿で女のところに向かう。

女は、ボロボロの主人公よりも、自分を傷つけた男を心配する。

男はその言葉を聞いた直後

フェラチオしてよ」

と女に言う。

「小便まみれだけど、クソついたアナルも舐められるなら平気でしょ?」

と続ける。

女は涙ぐんで

「いいよ、フェラチオくらい」

と男の手を引く。

男は

「触るな!」

と拒絶して走り去る。

この話も、女性が読んだら「やれなかったひがみ???}くらいにしか感じないのでしょうね。

まあ、やれなかったひがみですけど。

最後にもう一言だけ言わせて。

5年以上ビョーキが治りません。

2012-05-20

お互い結婚するつもりだった恋人と別れた。

理由は、いろいろあるが、納得していない。

でも自分を納得させるために、自分スッキリしたいからって相手を責めたところで相手を傷つけるのがわかっている。

そして相手を納得させたところで相手の意志が変わるわけじゃないし、自分を納めることはできても相手を傷つけたことで自己嫌悪になるのもわかってる。

後悔はしたくないから、と思って別れた後よりを戻すためにやれることはやった。

もちろん、どれだけやったとしても、できなかったことはあるし、今からだってしかしたらできることがあるのかもしれない。

でも、もう無理なんだ。無理じゃないのかもしれないけど、何をやってもうまくいきそうにない。

からなるべくこのことを考えないようにしている。きっとどれだけ悩んでも未来は変えれそうにない。

独りになるとどうしたって頭に浮かんでは消えて喜怒哀楽が激しくなるけど、この悩みに縛られるのは不健康だ。

でも、好きだったんだよ。

彼女は、「結婚してもうまくいかなかったんだよ」と別れに前向きな発言をした。

それを聞いた瞬間はそんなのしてみなきゃわかんないじゃんとも思った。

でも、今よくよく考えると、もしかしたらそうなのかもしれないとも思う。

そう考えると、離婚する人はなぜ離婚するんだろう。

結婚した当初はすごく好きで、ずっとこの人と一緒にいたいと思って結婚したんだと思うんだ。

でもそれならなにが原因で離婚するのかな。

それがわかれば、彼女結婚できなかったことが、もしかしたら良かったと思えるのかもしれない。

2012-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20120502201341

トラウマとまではいかないけど、思い出すたびムカムカするよ。悔しいと言うかなんと言うか。

中学生になってから、その思い出がだんだん生々しく忌々しくなってきて、もうどうしようもない自己嫌悪だよ。

あのニイチャンが私に何をしていたのか、それがどんな意味を持つのか、あのニイチャンがどんなやつなのか、それをさせてしまった自分ってなんなのかってことを理解してからとにかく辛い。

ニイチャンは近所の知り合いだよ。親同士も知り合いだし。仕返ししようにもどこかへ引っ越していってしまった。

なんか、かなり意地悪なイジメをされていたのにそのとき自分馬鹿で気付かなくて、今になって気付いた、みたいなそんな気分だ。

2012-03-31

今更ながら、ホームページ(?)を作りたいんですけど

2012年の今、どういう手順で作るのが一般的なんでしょう?

いや、でも、春のこの、勢いに任せた感じで、作っては、放置して、

どうせ、後で、自己嫌悪、ってなるから

やっぱり、そんなものは作らないほうが、いいのでしょうかね。

死ぬのなら、初めから、生まれてこなければ、よかったんでしょうかね。

紙のノートが一番ですかね。自分だけで見れば十分ですかね。

そんなことはないよ、という、はげましの言葉をお待ちしています

2012-03-26

引用文: 阿川佐和子テレビリズムに乗ることができない

 如月小春さんにお会いした。

[中略]

 「もうテレビ仕事はなさっていないんですか」

と伺うと、

 「ええ、してないんです。テレビって即、意見を言わなきゃいけないでしょ。あれが、わたしにはどうしてもできないんですよね」

 ははあ、そうだったんですかと、感心した理由は、実はわたし自身がそうなのである。7年もテレビ仕事をしながら、いまだにこのリズムに乗ることができないのは、よほどのアホか特異体質かとしばしば自己嫌悪に陥ったものだけれど、この才色兼備如月さんもそうだったと聞いて、安心した。

 たとえば本番中に、突如、「あなたはどう思いますか」などと意見を求められたとする。黙っているわけにはいかない。何か言わなければ。しか適当言葉が浮かんでこない。あせったあげく、つい、どうでもいいせりふを吐いてしまう。

 「やはりなんと言ってもこのような事件は二度と起こってほしくないですね」

とか、

 「まあ、この問題は、若い人たちにも真剣に考えてもらいたいものだと思います

 そしてけろりと笑顔に豹変し、

 「ここでちょっとコマーシャルです」

 しまった、なんと意味の無い場つなぎ的、常識的、いい子ぶりっ子的、余計な一言を言ってしまったのかと後悔するがもう遅い。

 それならば、自分はなんと感じたのか。何を言えば意味があったか番組が終わって「お疲れさまでした」と挨拶をして皆と別れ、家に帰って一晩寝て、翌朝起きてご飯を食べて家を出て、電車に乗って、再びテレビ局に着いてようやく意見が見つかる場合がある。

 「昨日のね、あのテーマについてなんだけど、じっくり考えて、思ったの。あたしはこう感じたんだなあって」

 スタッフの前で前日の件を蒸し返す。すると、あきれた様子で、

 「そう思ったなら、なんで昨日の番組の中で発言しないのさ」

 そんなこと言われても、その時は考えがまとまっていなかったのである

 テレビリアクションが勝負である。出演者同士の会話が丁々発止、見事なキャッチボールとなって意見が飛び交い、その時の表情をうまく画面に映し出すことができたら、その番組は上々の出来と言える。しかし、そのスピードが年々アップして、もはや間初を入れぬ勢いになってくると、もしそこに、たった5秒といえども沈黙時間が流れでもしたら、とたんに「どうした、どうした」と、出演者もスタッフも、視聴者でさえ、トラブルが起きたのかと心配しはじめる。テレビ画面内での5秒の沈黙は、普段の5秒の数十倍の長さに感じられるのである

 ところが考えてみると、日常の生活で会話に間ができるなんて、しょっちゅうのことである

 画面上で言葉が詰まってもあわてず騒がず、「うーん」とうなって頭をかき、「そうだなあ」とつぶやいて目をこすり、腕組みをしたまま5分。そしてようやく「やっぱりわかんないです」。

 こういう大胆なことができるようになれば、わたしも大成するのにと思う。

 食事中、食卓の会話がふっと途切れた時のことを、フランスでは「天使が通る」と言うそうだ。なんと優雅な言葉でしょう。決して「しらけた」とか「気まずいムード」とは思わず、その沈黙時間も有効利用してしまフランス人のセンスには恐れ入る。

 それほどしゃれた時空間はいかないまでも、友だちとしゃべっている最中に数分の沈黙が続くことはいくらでもある。それがために二人の関係にひびが入ったり、険悪ムードが漂ったことは一度もない。

出典: ときどき起きてうたた寝し (文春文庫): 阿川 佐和

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%A9%E3%81%8D%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%9F%E5%AF%9D%E3%81%97-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%98%BF%E5%B7%9D-%E4%BD%90%E5%92%8C%E5%AD%90/dp/4167435055

2012-03-08

催眠オナニー人類の築いた文化の極み

普通オナニーだと、

身体的な満足感だけで終わってしまうが、

催眠オナニーでは、さら精神的な満足感が加わり2倍は心地良い。

この理由は次のようなものである

普通オナニーAVエロ本物語傍観者立場で観ているだけである

これは、他人の物語を覗き見オナニーしてるようなものである

いっぽう、催眠オナニー

声優さん自分に優しく語りかけてくれて、

行為であるあなた自身が物語の主役になったかのような感覚を味わえる。

これが精神的な満足感を与えてくれる。

この精神的な満足感は重要ポイントである

これのおかげで、

射精後の賢者タイムありがちな

「おれ、何でオナニーなんかやってんだろう・・・

という自己嫌悪感がなく、よい気分のままぐっすり眠りにつくことができる。

ち、ちなみに神戸卒TOEIC700です… (; '‘ω‘`)

2012-02-29

物事を細分化して、それぞれを深く考察して現象に解釈を与えるのが学問だとするならば、社会問題って学問じゃ解決できないような気がする。

なんて言うか、たくさん言葉を使って、切り分けて輪郭をはっきり捉えていくに連れて、どんどん元々の有り様から変質してしまっていると思えて仕方がない。

放射能云々でカンニング竹山放火した人たちやら瓦礫受け入れに反発する人たちってのは、もっと単純な理由から反応しているんであって、難しく考えても意味はないんじゃないかな。

人間が死を恐れる理由と似てると思う。なぜか、よりも先に、怖い、がある。だから通じないし、解決できないし、面倒くさいんだ。

そもそも解釈を与えるのが学問だと仮定したんだから、解決なんてできないって端から結論は出ているわけで。

からといって考えることをやめてしまったらうんぬんかんぬんではあり、困難な物事にぶつかったときに考えることと知識としての学問は必要なんだろうけれどもさ。

どこが分水嶺なのかは人によってまちまちなんだろうけど、争っている人、火病ってる人がいるのを見ると、傍観者としてしか関われないなあって思う。

いつ当事者になるともわからいからこそ、安全場所にいるうちに対策を考え、できるのならば矯正したり排除すべきなんだろうけれども、それもまたどうなのかなって思うしなあ。

私の安全を確保するために、あなたを排除します、なんて論法は通じないだろうし、ともなれば共生するか、住み分けするかしかないんだけれども、そんなに簡単なことでもないし。

概念としての住み分け共生は可能だろうけれど、実生活でとなると問題は立ちはだかるわけで、そういうことするのは途方もないからなんか面倒で、好きにやってなよって思ってしまう。

楽だし、ある意味では賢い処世術なのかも知れないけれど、常にいつくるともわからない危険に晒されているわけでもあって、だとすればその危険回避するためにいよいよコミュニケーションを閉ざす必要も考えなければならなくなって、なるほど傷つかないための非コミュなる分類もあり得るのだろうななどと思い至るわけだけれど、そう言った非コミュにはそもそも発言権なんてないだろうし、ますます悶々と思い悩むしか方法はなくなって、相談しようにもその窓口へ行くまでに精神的な敷居ができてしまっていて、そう言った状況下において増田2ちゃんは甚だ住みよい住環境提供してくれているのだなあと気が付かされるわけなのであります

ものすごい自己愛と表裏一体の自己嫌悪が渦巻いているような感じなんだなあって思って、それはつまり厨二病にも通じるのかも知れないし、高2病にも通じるのかも知れないし、大二病にも通じるのかも知れないし、要は内向的ナルシストしかないのだろうなと、やっぱり前にも達した結論に帰結するわけで、ほらみろ考えるだけ無駄だったじゃないかと思う一方、なんで厨二病に然り高二病に然り、二年次に掛かる概念なんだろうと思って、いやいや違うぞ、そもそもの起源が中『二』であっただけでそこには何も意味なんてないんだよって考えつつも、三年制の学校における二年生の自由さ、気楽さ、目的も意義もない自己反芻の多様さを想定すると、あながち関係がないとも言えないんじゃないかとなどとも妄想が膨らみ、なんて言うか、二っていう数字はとてもいいなと、零と合わせて素敵な数字だなと感じていることに気がついた折に、数字意味を見出す働きってどこからくるのだろう、社会から人間からかとか無謀な問題を提起してみたりして、そんなことどうでもいいやないのと思い、でもきっとどこかしらにはそういったもの研究した文章が残っているんだろうなあ、すげえなあと感心する次第なのであります

頭の中で文章をうんたら考えるより、浮かんだ文章をそのまま書き出している方が楽しいなって思うのです。もちろん、ひどい文章、無残な表現、ぐだぐだとして読みにくい構造になることが多いでしょう。反対に、短すぎたり、突飛すぎたりしてついていけない文脈になっていることだって多いことでしょう。直前の文章における、逆説の使い方が適切なのか、もっといい言い回しはないのだろうかととか考え始めると、わたしの場合は根を詰めすぎてしまって訳がわからなくなるのです。だから、あんまり気負い過ぎないほうがいいのだと思う。こうやって、意味もなく、意味のない長文を書きたれているこの時間こそが至福であり、なんていうか久々に楽しくて止まらなくなっているのです。

読む人のことを考える文章は、書くのがとても難しい。それこそ、文章と向かっているだけのはずなのに、コミュニケーション能力を測られているような気がします。それが一体誰なのか。わたしが想定した架空の誰かなのか、どこからともなくやってきていつの間にか培われてしまった常識というものなのかは知りませんが、とにかくまあ面倒で、厄介で、鬱陶しいわけなのです。無論、悩んでいる最中にそんなことに気づいているわけがありません。気づいていないのですが、とにかく苦しいわけです。産みの苦しみってやつとは違いますもっと煩雑な、ごちゃごちゃとした混沌が頭を塗りつぶしてしまうのです。

からなのだろう。分析したつもりになって悦に入って何がしたいのだろう。修造さんに叱られるかも知れないけれど、やっぱり色々思ってしまうなあ。全てにおいて理由があるなんて限らないのかも知れないけれど、大抵の物事については確かに理由や動悸があるはずだもの。例えば衝動的にこの文章を書いているのだとしても、その衝動はどこから来たのか、なぜ生まれたのか、どうして依然としてとどまるところを見いだせないのか、考えることはできるし、一応の答えを当てはめることは可能だと思う。

問題は、その答えに納得できるかどうか、その答えが適切であると認められるかどうかなんだよなあ。認められないんですねえ、わたしは。優柔不断から。そうなのかな。もっと正しいものがあるように感じることが多い気がする。自分で出した答えに正しさが見いだせず、そもそもに於いて自分の中に確固とした正しさを確立できていない人間が、正しさについて悩むなんて馬鹿げてる。でも、正しさについて確固とした答えを持っている人って脆いと思うなあ。固いだろうけれども、ダイヤモンドみたいなものだと思う。無論、それだけの輝きと価値を合わせもってはいるのだけれど。

ダイヤモンドにもなることができないクズ石が何を語るのかという自虐が出てしまう。いやいや、クズ石ですらないかも知れない。では一体何なのか。わからないなあ。卑下する必要はないのかも知れないけれど、自分が何なのかなんて誰にもわからないんじゃないかなあって思う。例えば学生とか、どこどこの社員だとか、夫だとか、身分を示す言葉はたくさん纏っているだろうけれど、その言葉を纏っている本体は一体何なのかと問われたたらみんな答えに窮すると思う。デカルトかって感じ。デカルト知らないけど。

知らないことがたくさんあって参ってしまうわ。こんなくっそくだらないチラ裏書き散らして恥ずかしく無いのって、それ一番言われているから。

2012-02-01

street DJ in Tachikawa120129

cast - guiding star

岡村靖幸 - だいすき

luminous orange - how high

advantage lucy - グッバイ

Death Cab For Cutie - Sleep Spent

electric president - insomnia

bus stop - Navratilova!

small black - despicable dog

N'夙川BOYS - プラネットマジック

nokko -ライブがはねたら

Forever Lost The Magic Numbers

clap your hands say yeah - over and over again

Polaris - 天気図

ohana - 予感

marimari - indian summer

picicatto five - 君みたいなきれいなおんなのこ

ももいろクローバーZ - ミライボウル

小沢健二 - 強い気持ち 強い愛

beastie boys - sabotage

weezer - no one else

Stone Temple Pilots - Cinnamon

the muffs - lucky guy

SUGIURUMN - electrify my love

yuki - joy

Kylie Minogue - Wow

ace of base - the sign

ミドリ - 自己嫌悪

buhda brand - 人間発電所

藤原ヒロシ - natural born dub

modest mouse - float on

N'夙川BOYS - 物語はちと?不安

the replacements - can't hardly wait

The Seldon Plan - Lullabies for Old Hearts

松たか子 - white reply

The Chewinggum Weekend - ICE

pretty chat - wake up,girls!

the twinklestars - please! please! please!

能瀬恵子 - アテンション・プリーズ

椎名林檎 - 翳りゆく部屋

chappie - 水中メガネ

妻が鬱病で困るし悲しいし打つ手なし

結婚半年、妻が鬱病

俺は自営業

休みはあってないようなもんで、稼ぎも年収200万とかそんなレベル

 

「応援したい」

「私に出来ることがあれば」

 

と妻は言ってくれてはいるけど、眠剤効果で朝が弱いから、

朝メシも弁当も期待できないし、晩メシすらない日もある。

俺も食いっぱぐれるほどではないから、家でDVD見てるなりゲームでもしてるなり、

遊んでなよ、どっか遊び行きなよ、と言うけれど、それもせずに、家でずーっと寝ているだけ。

 

きつい。

正直、きつい。

帰ってきて、笑顔で「おかえり」って言われたい。

晩メシなんかコンビニ弁当でもいいから、帰ってきて妻が笑顔でいて欲しい。

でも「遊んでな」って言えば、どう遊んでいいかわかんないみたいだし、

でも「家事やって」って言えば、「今日洗濯できなかった」ってズドンと落ち込むし。

 

「何もしなくていいから」って言っても、「何もできない私」にどんどん落ち込んでいく。

それでたまに酷く落ち込んで、俺が仕事休んで病院連れてって、2・3日ペースを乱されて、

ようやく元気になった、巻き返そう! と思って仕事を頑張ると、また具合が悪くなったりする。

ずっと一緒にいてやれればいいんだけど、そしたら生活できないし。

 

むしろ、仕事を頑張れば頑張るほど、

あなたが頑張ってくれてるのに、私は何もしてあげられてない」

なんて落ち込み出すレベル

黙ってろ。

俺が勝手にお前のために頑張って仕事してんだから、そこんとこは黙ってろ。

へらへらPSPでもやってろ。

たか携帯でも打ってろ。

そう思っても、やっぱりそれはそれで自己嫌悪みたいで。

 

心療内科は4個くらい回って、たぶん今のがベスト

今のがベストじゃないとしたら、もうどこ行っていいのかわからない。

薬の内容もさんざん調べて、たぶん今のがベスト

合わない、効き過ぎる、効かなすぎる、いろいろ実験した後なので、多分合ってる。

どうしたらいいんだろう。

2012-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20120130020316

無理するな。器は一朝一夕には出来上がらない。急には大きくもならないし、小さくもならん。

自己嫌悪をする女も、許容量の少ない女も人間からもてないって、最近胸に刻んだばかりです

そんな風に自分を見る人からもてたいか

あなたのいいところを認めてくれる人からもてれば充分じゃないの?友達大事にするだけでいいんじゃないの?

あなたの周辺全員から好かれようとすると疲れるだけ、嫌われても上等、仕事はしっかりやります、でいいじゃないか

好きな作品をディスる人だと分かったら二度とその人の前で好きな作品の話をしなければいい。

ディスり好きな人がいる。その人には「今日は何をディスりやしょうか?」程度の話で充分だ。

器を大きくするには、大人になること。大人になるためには早く年を取る、そのくらいしかない。気長にやろうぜ。

大人になりたい

そんなに好きでもない先輩のあたりが強い。

心を許している証拠だとはわかっていても、好きな作品をディスられたり、知識のなさをなじられたりするのは、ネタだとしてもちょっと辛い。

一生懸命笑ったり、会話を繋げようとしても、途中でポキっと折れてしまうことも多々ある。

これは世に言う「イジり」というやつなんだろうか。

こういうことを愛情表現としてしてくる人は、世の中に少なくないだろうから、「ここで耐性をつけなければ」と思って、折れて、の繰り返しだ。

器が小さい人間でごめんなさい。自己嫌悪をする女も、許容量の少ない女も人間からもてないって、最近胸に刻んだばかりです。

器を大きくするにはどうしたらいいのでしょうか。

2012-01-21

やりたかった仕事をやってるのになんか疲れた

スペック 20代後半 アルバイト

10代の頃から実家を出て、目指している処にひたすら近づこうとがむしゃらに努力した。

結果、小銭程度は稼げるレベルになったがとてもじゃないがそれ一本じゃ生きて行けない。

年齢的に別軸のスキルを磨かないとこのまま詰むのが見えてきたのが23

でも目指す処を諦める踏ん切りがつかず、中途半端に続けながら同時に生きるためのスキルを磨いていた。

焦りと失敗、自己嫌悪毎日だった。

自分のことをよく知っている人間からは、「すごいね」「良かったじゃん」「好きなことしてるお前はいいよな」等々、

賞賛なんだか羨望なんだか、愚痴みたいな声をもらっていた。

「でしょ」「やっぱ好きなことしないとね」と当たり障りのない返答で受け流していたが当事者としてはそれどころじゃなかった。

一日でも早くソレで生きていける安心・自信みたいなものが欲しかたから、ソレがない現状、毎日不安と将来への恐怖で一杯だった。

仲の良い友人達と数年ぶりに飲む機会があった時、「クリスマス彼女彼氏)かな~」

と聞いて、羨ましいと同時に別世界人間に思えた。

その時は、純粋に「いいなぁ」と思えたが今なら「脳内お花畑だなぁ」と思うだろう。自分は嫌なヤツになった。

そんな焦燥の日々に疲れたのが25歳。

その頃は今まで目指していた処のコトは考えるのはやめ、現実的に別軸のスキルに全力を注いだ。

結果その業界で細々と生きていけるだけのスキル・諸々は得られた。

アルバイトから正社員へ。今まで欲しかった安心が少しだけ貰えた。

だが、数年勤めてそこを辞めてしまった。

その会社典型的搾取システムで、実働の若い世代を言葉で騙し、釣って、飼い殺し、捨てる。

上の役職は長いスパンで変わっていないのが納得する会社だった。「どこの会社もこんなもの」と折り合いが付けられなかった。

そんな会社でも人間性が保てている人、尊敬できる人に出会えたので感謝するべきなのだろうが、あそこの人間とはもう関わりたくない。

それからそこを辞めたタイミングニートになった。墓まで持っていくであろう汚点も作った。

このままじゃ駄目だと思った。だから出来るだけ深く深く、自分を内観した。

今までのスキルはあまり活かせないが、やりたい事が見つかった。

そして、色んな人達のおかげでアルバイトだがなんとか社会復帰できた。

そして必死で働いた。自分時間はなくて当たり前の日々だった。

ある日仕事を任された。興味があったしやりがいがある。本当にやりたい仕事範疇だが、それではやりたい仕事スキルが伸びないのでいつか見切りをつけて、

シフトするプランを組んだ。

待遇改善された。

そして会社は色んな人の努力甲斐もあって成長した。

自分が入った時とは想像出来ない人数になった。

責任も増えた。

そして、念願のやりたかった仕事にありつけた。

だが失敗した。「自己研鑽が足りなかった」と答えは出ているが、その時間を作れなかった。

そんな事を考える余裕すら無かった。

今念願のやりたかった仕事をしているが、本当にやりたかった仕事なのか疑問に思えてきた。

「逃げ・甘え・危機管理能力の無さ・青臭い」色んなことが頭をよぎる。

なんか疲れた。

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120103005033

そいつもおまえも、わかってないな。

あれは、女性化願望であって、女性に求めてる要素じゃないよ。

オタ丸出しなのに、才能が有り、器量に恵まれ、世間に認められている。

そうした「理想」の女性化だ。

最近多い願望。


あんなのが連れ合いになったら、自己嫌悪死ねる。

それじゃ、釣り合えるように自分が「鳳凰院凶真」になるのか?

違うね、絶対に。

2011-11-24

絆なんて死ねばいい。

旦那様のお母様からメールがありました。

一周忌のため島根実家に帰りますのでおとうさんが心配」→お父さんに電話してあげて

わたしは義理の父が大嫌い。生理的に大嫌い。絶対に世話などしたくないと思ってる。

でも、これは私の義務だから、指定の時間に指定の電話を入れる。

すごく腹が立った。

怒りを静めるために普段飲まないビールを飲んでみる。そして自己嫌悪自己嫌悪している自分に更に自己嫌悪

誰かと関わりあうということは、誰かの世話をすること。

いつからそうなったのだろう?

NHKはいつも「絆が必要です」と訴えてる。

絆って何?誰かの世話をすること?孤独じゃ駄目なんだろうか?

私は孤独が好き。誰にも甘えなくてすむならそうしたいし、誰にも甘えられたくない。

でも、そう思っていることが甘えだってわかってる。

でも、テレビの人たちが言う絆って結局お年寄りのための言葉でしょ?団地孤独死若者がなんとかしろっていうことでしょ?

地震津波来て、仮設住宅孤独暮らしているお年寄りの世話をしましょう、ということでしょ?

わたしはそんな人間関係いらない。そんなものが絆なら私は絆なんていらない。絆は気持ちが悪い。

団地で、仮設住宅孤独死して何が悪い?もともと死にそうなのに、ずっと監視しておくのが絆なの?

 「あなたたちだっていずれ年をとるのよ」

きっとそう言いますよね。正論

 でも、私は明日死ぬかもしれないし、99まで生きるかなんてわかんない。生きているのは今。

生きるって戦争だ。何かを大事にしたければ何かをすてていけばいい。

何かを捨てることは、残酷にみえる。だからクズ国営放送は金切り声で「絆」「絆」叫びたがる。

私の友人は胃がん自分マンションで急死した。

すごく優秀な人間で、実直な銀行員で、沢山のお金を稼ぎ、社会的立場は申し分なく人望もあった。社会にとっても死んで欲しくない人間範疇に入っていた。

多分親は自分が代わりに死ねばよかったと思うだろうし、私も私が死んだ方がはるかにマシなことだと思った。

でも、彼が死んだことで私の何かがめざめた。

死んだら終わり。今、やることをやる。生きることは戦争運命は気にしない。今私がやりたいことを、誰に後ろ指さされてもやる。無縁仏上等。

たとえ誰かの世話をしても、見返りなんてほしくないし求めたくもない。立派な人間なんて認められるよりは自分自分に正直でいたい。

30超えて童貞という理由で交際を躊躇する私は最低か

お見合いで紹介してもらった相手は35歳で童貞だった。

風俗経験がなく完全な童貞だという。

本人がそう言った。

ああやっぱりそうかという気持ちもあり同時に反射的に「きもい」と拒否感を覚えてしまった私は最低だろうか。

形式とか属性とかで他人を評価することは私が最も嫌うところであるが、

35年間どの女性にも一瞬でも愛されたことがない、

恐らく嫌悪されていたのであろう彼のこれまでの人生がとどめる術もなく想起されると、

同情と軽侮を禁じ得なかった。

誰か一人にでも愛されるための努力放棄してきた怠慢さ、

努力したとしても叶えられなかったのだとすれば、

遺伝子継承するという生物として最も基本的な権利創造主から剥奪され自然から見放された「非生物であることの証左、

実力に不相応なプライドを口実として商業的に体験するための金を稼ぐ努力すらも惜しむ怠惰さ、

そしてその怠慢さ或いは非生物性を帳消しにするためのお見合い市場という在庫一掃処分セールへの参入、

そして誰からも見初められずに売れ残った質の悪い商品を購入する貧乏人の自分

そして購入する自分もそれ相応の価値しかないことが直ちに脳裡に浮かび上がり、

この結婚は互いにとって不幸への第一歩なのではないかという疑念に駆られた。

本人の本質的内面を知らずに皮相的な条件から判断しようとしている自分自己嫌悪の念を覚えている。

そしてこのような唾棄すべき感情を抱えながら彼と対峙すること自体が、

彼との円滑な交際を阻害する要因となるような予感もしている。

2011-11-21

 

幼少の頃からマトモな仕事がしたくなくて、サラリーマンはなんかヤダという不純な動機で美大に行ってみたけれど、才能と根性が無く、打たれ弱い僕は、アーティストにはなれなかった。少しでも批判されたり、反応が無いと嫌になってしまう。それに、自分晒すのが恥ずかしかったんだと思う。何が良くて何が悪いのかわからない僕にとって、ゴールが見えない創作は辛いし、それを乗り切る使命感のようなものも無くて、なんかもう面倒くさくてどうしようもなかった。

大学卒業してからは、週6くらいでバイトしてた。朝起きれないので、母親に無理やり起こしてもらった。忙しかったので没頭出来て、それなりに楽しかった。マジメにやってたのでそれなりに評判も良かった、と思う。バイトをしていると、色々な事を忘れられた。ヒマな時はゲームとかネットをしてた。これもまた集中出来て、色々な事を忘れられた。

三年ほどバイトしたあと、「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本を読んで、本に書いてあるワークシート的なことをやったら、どんどん嫌になって、泣きながら通勤した後、バイトを辞めた。

それから楽しいことを沢山してみた。楽しいことをしてみようと、本に書いてあった。温泉イベントに行くと、貯金がどんどん無くなった。その瞬間は楽しいけれど、結局は満たされないみたいだ。

イベントに行く途中、電車に乗っていたら、人身事故があった。

自殺するほど切迫できない僕には、よくわからないけれど、死を選択して、実行するのはとても強い決心が必要なんだと思う。なにせ、死んだら終わりだ。もう楽しいことは何も無いって気分になったら、実行出来るのだろうか。大半の人は死ねないし、だからこそ宙ぶらりんで苦しいのだろうか。

人身事故のせいでイベントに間に合わなくて、ムカついた。ネット事故について調べていたら、「こういう時に苛立つ人になりたくないね」って書き込みを見て、さらにムカついた。最近イライラすることが多くなった。

DTMの機材を買ってみたりもしたけれど、やっぱり面倒くさくて、なかなかはかどらない。

自己啓発の本をたくさん読んでも、インターネットでクソみたいな書き込みを延々と読むのはやめられないみたいだ。

朝起きれないので、睡眠外来に行ったら、認知行動療法のやり方を教えてくれた。自己啓発の本をたくさん読んで、「嫌な気分よさようなら」も読んでいたので、知ってたんだけど、とりあえずやってみた。今のところあまり効果は無いように思う。

アーティスト系をこじらせると、ろくな人間にならないという噂は本当みたいだった。そういうのは得意な人に任せて、市井仕事に就けば良いんだろうけど、どうにも興味が持てない。それでも生活に余裕がなくなったら、お金がなくなったら、またイヤイヤ働いて、それはそれなりに楽しいのかもしれない。

父がくだらないことで母を怒っている声を聞いたらイライラしてきて、壁殴ったら手が痛いし、胃が気持ち悪くなって、自己嫌悪がきて、もう生きていたくない。僕には、年に1回くらい癇癪を起こす悪癖があって、壁とか殴ったあとに凄い自己嫌悪に陥る。父方の家系が怒りっぽい人達ばかりなので、それを受け継いでいるのかもしれない。僕は粗野な父が嫌いなので、それもまた嫌だ。そんな時は眠れないので、こうやって文章を書いて時間を潰すことにした。

文才もなくて本当にまいった。どうしたら面白い文章が書けるんだろうか。そもそも何が面白いのか、よくわからない。

父が嫌なのでとりあえず一人暮らししたいけど、朝起きられない僕はマトモに働けるのか心配だ。それに一人暮らししたら、さらにお金が無くなるんだろう。そしたらまた働くのか。そんなことを考えると人生めんどくさくて、生きていたくないなって思っちゃうけど、かといって、死ぬのも怖い。

僕はどうしたら良いんでしょうか。

2011-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20111115235429

優秀なスタッフであるほどレジ打ちだの袋詰めだの釣り銭の容易だのと動きが俊敏すぎて

サイフから代金出すのにもたもたしている客のこっちが申し訳なくて自己嫌悪に陥ってしまう。

多少自意識過剰なのはわかってるが。

2011-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20111029075343

まり容姿がアレだと「お前は生きてるだけでセクハラなんじゃボケ」と言われるような経験をして育つんだよ。

そこで現実恋愛セックスから身を遠ざけるのが正しいと思うわけさ。

そして、モテを避けるようになり非モテになる。

元増田経験談は、自分モテを避けてきた事は正しかったんだ、と自身の選択の正しさを補強してくれるわけで、

その選択が正しくないとかグダグダ言われることへの反論になると思うんだろ。

から非モテが首突っ込んでくるの。

自己嫌悪と俺の性欲死ね、は正しいと思わせてくれるんだから鼻歌も出るだろうよ。

 

つーか、必死恋愛セックスを避けてきた顔面障害者の俺に言わせりゃ、今さら偉いなんて事にされたら嫌がらせだと思うわ。

こっちは生きやすいように勝手に生きてきただけ。マッチョ男叩きの流れ弾なんぞ知った事か。

そんな事より恋愛セックスから無縁の生き物となって、生きてるだけでセクハラになってしま自分の歪んだ幻想を墓まで持っていくことのほうが大事なわけよ。

最後元増田経験を読んで思った事。

高度に発達したモテ人間不信レベルでは非モテと区別が付かない。

2011-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20111025172251

増田の生活で「コミュ障」で「親しい友達もいない」ことがことが誰かに迷惑かけてるか?

ステレオタイプ幸福感≒増田の求める幸福感 か?

「みじめでな救いようのないやつ」と書くことでヌルい自己憐憫に浸ってないか?

そう言われれば、回りに迷惑はかけてないかな。かけないようにしてる。

自分コミュニケーションできずに苦しいのは強いけど。

自己憐憫に浸ってるのは、確かにそうかもしれない。

それじゃなにも解決しないなと

今読み直してて気づいた。

普通に生活していれば裏と表、本音と建て前なんて自然と出来てくる。

それを恥じたり、醜いと思ったりする必要もない。

人の表の顔と裏の顔の差をみせつけられる、って言うことが最近何回かあって、

それに嫌悪感を感じてて、ギャップに対応できなかったんだ。

自分でも自分に裏ってあるじゃないかと思って、自己嫌悪にもなってたかもしれない。

人間ってそういうもんなんだな。自分だけじゃないんだな。

あと、接するすべての人間自分のすべてを打ち明ける必要なんてないんだよ。

この言葉聞いてすごく気が楽になった。ありがとう

2011-10-12

真面目系クズ

高校生です

最近自分ネットで言われる「真面目系クズであることを段々と実感してきて正直辛い。

真面目に授業受けてノート取ってるけど、

帰宅すると予習や復習なんて忘れてひたすらPCPCPC.......みたいな感じでいつも成績悪い。

何事においても中途半端

なのに人一倍プライドが強い。

中学では上位のほうだった。まあ少し勉強すれば上の順位に入るし楽だった。

趣味パソコン読書ぐらい。

高校に進学して、今まで中学の時にやってた色々な活動にもなんかだんだんダルくなって参加しなくなっていった。

高校入学当初は張り切って勉強していたのに全く勉強しなくなり、学校から帰宅したらまずパソコンを開いてインターネッツ

どんどん成績は落ちていった。

心配した教師が話しかけてきた。しかし「あ、はい。いや、別に大丈夫です....」の一点張りで返す。

何回か話しかけてくれたが同じ言葉を返し続ける。

たぶん呆れているだろう。

どんどん成績が落ちているにも関わらず、「自分大丈夫だろう....」と思いながらインターネッツを楽しむ毎日

「俺はまだ本気を出していないだけで全然大丈夫だ」とそんな考えが頭をよぎる。

「あー、自分クズすぎる。どうしようかなー」と軽い自己嫌悪になる時もよくある。

でも思ってるだけで一向に改善しようとしない。学校改善しようとする気が起こっても帰宅したらすぐに忘れてインターネッツに没頭する。

からは「やれば出来る子」とか言われてしまっている。

結局は自分言い訳ばかりついて中途半端な行動しかしないこと、詰めが甘いこと

全部理解している。

でも、結局は何もしないまま怠惰な生活を送ってそうして毎日が過ぎて行く。

そして今日明日提出の課題をやろうと思って早めに帰宅したはいいが、こうして夜遅くまでインターネッツをやって増田投稿している。

はぁなんかまとめてみたけどやっぱクズ

通り魔にでも会って殺されたい

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