「承認欲求」という言葉を知ってから、承認欲求を満たすためだけに生きてる気がする。
私は彼女を作れるほど魅力的ではないし、イケメンでもない。グループの中心になれるほどコミュ力があるわけでもないし、人を釣れるほどお金もない。pixivに上げるほどの画力も無いし、プログラミングだってからっきしだ。専門と言えるほどの勉強もしていない上に頭も悪い。ここまでの文章で分かるように文才もなく、twitterでたくさんRTされるなんて夢の様な話だ。
そんな感じで考えていると、何をするにも承認欲求の影がちら付いてくる。たまに創作でもしてみようかと思い付いても「ああ、どうせこれは承認欲求を満たしたいがために始めるんだな」と気付くとすっと気持ちが冷める。気になる異性にしても、日々の仕事にしても、帰ってご飯を食べるにしても。「どうせ承認欲求のためなんだろう?」と考えるともうだめだ、なにもしたくなくなる。それだけならいいが、時々暴発して構ってちゃんになり自己嫌悪、というパターンが最悪だ。どうにもならない程人恋しくなるが、そんな躁状態が過ぎると完全に鬱る。承認欲求の所業に死にたくなる。
この先の人生、不細工な何も生み出せないコミュ障が承認欲求を満たすためだけに生きるのだ。人生なんて残酷なんだろう。せめて「承認欲求」という言葉を忘れたい。金槌で頭を叩いて忘れたい。
ああ、どうせこの文章も承認欲求のためだけに書いてるんだろうなあ。
承認欲求を持つこと、あまつさえ他人の目を気にすることがダサい、みたいに言う人もいるけど、 社会性の維持に役立つし、悪いことだけではないと思う
承認してもらえばいいじゃない。 おなかが減ればご飯を食べるよ。 私はあなたの文章を承認するよ。 あなたを承認するよ。
後から怖い人が来てなんだかんだ言うかもしれないけど、共感するよ。 金曜の夜、一人で増田なんか見ているとね。まあ、今週の金曜は一人というわけではなくて、ずっとなんだけどね...
よく知らんが、食欲や睡眠欲が肉体を維持する働きをするように、承認欲求は人間集団を形成・維持するために人の心理に組み込まれているんじゃないかな。だとすれば「毎日寝ていて...