非モテという括りはもはや個人の感覚の上で成り立っている言葉になっているが、ふとある推測が浮かんだ。
非モテという人種を、非モテをと言う価値観を「受け入れてしまった」非モテと「脱する機会が無い」非モテに分けられるのではないか、と。
前者はもう置いておく。開き直ってしまったからには何も言う必要は無い。
問題なのは後者。彼らは本当の意味での「非モテ」に分類されるのか?という疑問である。
こういうのは意外と恋愛のチャンスがあったりする一般人であることがほとんどだと思う。
服装にも割と気を遣い、トーク力もそこそこで、異性からも別段嫌われているわけではない。
ここまでは普通だ。文章だけにしてみると「非モテ」の条件としては当てはまりにくいはずだ。
彼らは身の丈に合う恋ができない。
理想の問題、価値観の問題、友人関係など多くの要因を持つ彼らは、恋愛のための努力をすることができないのである。
このような限りなく一般人(というにも語弊はあるが)に近い存在の非モテは、友人の紹介や合コンなども少なからず縁はある存在。
故に恋愛ができない身の上、人間関係に疲弊を感じてしまう有様。
このような人種もはたして「非モテ」と呼べる存在なのだろうか。
悲しい話、わが国では「非モテ」と言うレッテルは、完全に恋愛から切り離された人種として成立しつつある。
それの意味は、数多くの「非モテを受け入れた人間(俗に言う喪男喪女)」によって作り出されたものであり、
上記のような「非モテを脱せ無い≒恋に落ちない」タイプの人間もおのずから「非モテ」のレッテルを貼り、恋愛離れが進む原因となっているのではないか。
結論が長引いてしまったが、私は例に挙げた「恋に落ちない」タイプの人間は「非モテに分類されない」と思う。
正確に言えば、「複数にモテなくていい。ただ一度でいいので恋がしたい」人間を「非モテ」として括るにはあまりにも荷が重過ぎるレッテルでは無いだろうか。
彼らの苦しみは何にも代えられないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120831222931 これ見て思ったんだけど、「ただ一度の恋」すら望んでいない人って、 モテ非モテ論内では、どのように語られるの? モテるもモテないも関係なく、本当...