キャラクターを使った二次創作に対してモヤモヤしているので、自己分析をしてみる……。
どういうところにモヤモヤするのか。
キャラクターを、自分の想像通りに動かそうとする気持ちそのものに対してだろうか。
確かにこのキャラはそういうこと言いそうだし、こういうことしそうだな、という「らしさ」のエッセンスを適宜抽出し、それを用いて自分好みの物語の登場人物として改造し、人形ごっこをする。それに罪悪感を感じる。
また、人形ごっこをキャラクター本人が見たときの気持ちを想像して、悲しくなったり恥ずかしさを感じたりする。
それはキャラ本人に見られたとき「妄想の道具に自分が使われている」と衝撃を受けるところを想像をして感じる申し訳なさだったり、「この人は自分を使ってこんなことをする人なんだ、自分はこういう風に動くとこの人は"解釈"しているんだな」とキャラクター本人がこちら側を見てくるときのことを想像した恥ずかしさだったりする。
とはいえ同時に、そういう人形ごっこ・二次創作を楽しいと感じる自分もいる。
どういうところを楽しいと感じるのか。
それは多分、自分の期待する物語の登場人物として、キャラクターが期待通りに動いてくれたらとても嬉しい・気持ちいいと感じるからだと思う。
自分の都合通りに動いてくれるような、期待に基づく予想を立てる。そしてその予想が叶うと嬉しい。
期待が達成される瞬間のカタルシス。スポーツ観戦をしているとき、応援しているチームの勝利を望むような。お笑い芸人のボケに、ツッコミが入ることを望むような。
擬似的・代理的だったとしても、キャラクターが期待通りに動いているのを見た瞬間得られるカタルシスがあるように思う。
それを欲するのはすごく根源的で人間臭い自然な欲求な気がする。
カタルシスを得る道具としてキャラクターを扱うことへの残酷性・罪悪感を感じる一方、自分(や、人々)の求める様々なカタルシスの性質や方向性がわかるのは、面白くもある。
とにかく自分はすごく残酷なことをしているんだという感覚と、でもそれは捨てたり焼き切ったりできる欲求じゃないということはわかる……。