涙が流れると、自分が感情的にいっぱいいっぱいなんだな、ということが分かるので、自分自身とても助かっている。
そんな自分はいつか人前で突然泣いてしまうのではないか、と心配するが、不思議と人前だといつものように振る舞えてしまう。
逆に決壊するときは本当に予想がつかないくらい急なのではないか、とぼんやり考える。
涙は止まった。
自分がここ数年、うまく環境に適応できていない自覚はずっとあった。
目の前の業務は一見こなしているが、数年単位の仕事は全く手がつけられず、そのことを誰にも相談できずにいた。
どうしてそうなってしまっているのか、という自己分析もある程度できている。
想像力の乏しさ 質的な乏しさというよりは、量の問題なのかも知れない。想像はできるが、想像した未来のイメージが今の自分を動かす動力になりにくい。
衝動性 目の前の課題にとびつき、表面上はこなしてしまう。長期的な課題が先送りされていることを更に実感しにくくなり、周囲にも機能していると見られてしまう。
不注意 家庭内の雑務が気になり、時間を割いてしまう。本当にするべきは妻と適切に雑務を分業するべきだと分かっている。
コミュニケーションの苦手さ 想像力の乏しさにも通じるのだが、相手の思考を想像はできるが、確信の度合いが低かったり、ブレが大きかったり、量的な問題がある。相手の反応を想像すると相談のハードルが高くなり、一人で悩んでしまう。
そして、自分は他の人よりも周囲の環境で自身の行動が律されるところが大きい。
「やらないといけない」「自分がそうしたい」「その行動が求められている」といったものではなく、
「自分の能力内で行える」「習慣化していて余り考えずに行える」「行動に分かりやすい結果が伴い、フィードバックのループがかかりやすい」といった環境が課題の遂行に大きな役割を果たす。
「やらないといけない」という理解はできているだけに、行動がスムーズに行えないことで抱えるストレスも大きいかも知れない。
ただただ、自分を思うように動かしたいのだ。
そして、数年単位の仕事がもう完遂できない時期であることを - 乏しい想像力でも分かるくらいに - ようやく認識した。
そのことで更に精神的に追い込まれ、もはや今の自分がどれくらい機能しているのか、自分のアセスメントもおぼつかなくなってきた。
明日の朝、上司にメールを送って、仕事が全く進んでいない状況、自分がうまく機能していない状況を報告する。
もっと早く相談していれば、と思いはするが、どこが転換点だったのか自分でも分からない。
一見穏やかに回っていた日常生活を、いつもの生活を壊してしまうボタンを自らが押す。
それは苦しいけど、これまでずっと苦しんできた自分がいたことを知らせたくて、そして、昨日の自分が明日の自分を後押ししてくれるように、祈りながら。
うんこ
ありがとう。 まさかうんこと書かれて、こんなに肩の力が抜けるとは思わなかった。 楽になりました。 頑張ります。
そうね、あのとき増田さんの彼女は違ったかもしれないけど、 もう増田さんの彼女も「中古」だよね。