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2024-10-29

地獄の沙汰も金次第

法事高野山へ行った

法要が済んだ後、空海が祀られている奥之院へお参りに行った

奥の院入口までは寺の坊さんが車で送ってくれた

そこからは砂利や土の参道を徒歩でしか行けない

車を降り、参道を歩きき始めるとまず目につくのは錚々たる企業墓所である

さら参道を奥へ進むと、今度は錚々たる戦国武将たちの墓所や供養塔が現れる

武田信玄上杉謙信織田信長石田三成明智光秀豊臣秀吉伊達政宗前田利家松平秀康...

不謹慎かもしれないが、冒頭の言葉が心の中をよぎった

2024-10-09

「無」と「空」のちがい

薬師寺寛邦さんのYouTubeみて、般若心経唱えたくなり寛永寺弁天堂にまたに行く。

朝倉行宣さんのテクノ法要も見て「すげー」となったけど、お経が日本に来て初めて聞きた人の「すげー」って感覚とたぶん同じ。

時代超越 衆生熱狂 救済妙音 念彼観音

みたいな。

観音経のねんぴーかんのんりき、ってキャッチーフレーズだな。

般若心経にはやたら「無」と「空」が出てくる。

「有」に対して「無」なのはわかる。

「空」は?

存在はわかる気がするけど、何なのか説明するのは難しい、広がりを持った、満たす必要が無いもの、、、ではないか

「満たす必要が無いもの」が、何だか引っ掛かっている。






 

2024-09-28

父親馬鹿だった

母が死んで四十九日法要が終わり、遺品の整理も最終局面を迎えていた

いろいろ出てきたのだが、困ったのは包みからも出していない、未使用着物(もちろん和服)の数々

親戚に女性は少なく、着物を着るような習慣のある人間もいない

そこで父は言い出した

「今大変だろうから能登半島)に送ろう」

何を言い出したのかと思った

「着るものがなくて大変だろうから、着るものを送って何が悪い

「着る人間がいなかったら、向こうで換金してもらって支援に充ててくれればいいだろう」

返す言葉もなかった。何を言っているのだろう

向こうの人間の都合は一切考えない父の思考愕然とした

こんな父と一緒にいた母の苦労を今更ながらに理解した

2024-08-12

仏教界もクールビズのようにクール法要呼びかけてくれ

先日法事にいったんだけどさ、この気温で黒のスーツ着てエアコンのないお寺で法要って参加者を殺す気かよ。

仏教会は夏季法要ポロシャツを推進しようよ。

これから法事参加者はどんどん平均年齢上がってくよ。

ポロシャツとか推進しなければ法事をやること自体見送るようになるよ。

もともと仏教行事西洋風の服装をしていくこと自体おかしことなんだしさ。服装マナー変えてくれ。

2024-07-26

この暑い夏にクソジジイが死にやがって3回忌法要をしたんだが、

バカバカしくて涼しい私服で行ったら親族みんなクソ暑い中喪服でネクタイ締めて革靴履いてて草

そして当然のごとく私服の俺に非難が集まる

バカジャネーノ

2024-06-11

anond:20240611172119

ただ心理学ちゃん実験客観性再現性確認できているものもあるから科学的だから、信じられる部分はあるかな

仏教も「こうやればこうなる」という実験をやって科学的にやるべきだと思う。

「お経を毎日唱えれば健康になる」みたいな感じのものを、データとして残す。

そこを「お経はありがたいものです。いいことが起こるかも」みたいにあやふやにしてるから信用ならない。

日本だけかもだけど、49日とかなんの根拠もないし、法要でお経唱えたり戒名つけたりして本当にいいことが起こるのか?そこの客観性がない。確かめようがないし、確かめようとしない。

必要なのは仏教科学する」ことだと思う。

その点だけでも仏教心理学に劣ると思うよ。

DaiGoとかを擁護するわけじゃないけどさ。

2024-06-04

ちょっと嫌いになった

こないだ家族四十九日法要があった

特にどこかの檀家とかやってるわけではなかったから、葬儀屋さんに紹介された浄土真宗のお寺でしたんだけど

坊さんが飼ってる猫が式中ずっと目の前うろうろしてて本当に鬱陶しかった

ずっと畳の上走り回ってニャーニャー鳴いてんの

そんでお寺の人もそれ見てフフwってヘラヘラしてんの

親族全員イライラしてたかな、姪っ子はまだ5歳で法事とかよくわかってないかニコニコしてたけど

別に猫が嫌いとかではない むしろ今までどちらかといえば好きだった、飼ったことないけど

そりゃ身内だけの、小さいお寺での法事ではあるけどさ

亡くなってから少し時間は経ったとはいえ、亡くなり方がかなり悲惨ものだったからまだ皆ちょっとブルーだったんだ 本人がまだ若かったし

俺も親父もお通夜で倒れそうになるぐらい辛くて悲しかったんだよ

から一同真面目な気持ち法事に来てるのにさ、坊さんがずっとヘラヘラしてて本当に鬱陶しかった

法事終わってからも「この子やんちゃなんですよwすみませんw」みたいな

坊さんも坊さんの嫁も全然悪いと思ってないみたいだった

いや、じゃあ別の部屋にいさせろよ なんでドア全開で猫入ってくるようにしてるんだよ

終わったあとに姪っ子に「猫ちゃん可愛いでしょ」みたいなこと言ってんのも不快だった

死因とか伝えてないからこう、フランクな感じになったのか?って親父に聞いたけど、

坊さんにはお通夜の時点で死因も身内の雰囲気説明したって

かに通夜ときは真面目にお経読んでたし「まだ若いのに残念で…」みたいなことも言ってた

じゃあ尚更なんで?なんで今そんな茶化すようなことすんの?

納骨もこの人に頼もうって話になってたけど、もうやめることになった 腹立つもん

これ以上関わったら俺も身内も何か言ってしまいそうだし、余計なトラブルにはなりたくない

またご納骨の際はご連絡してくださいって言ってたけどさ

猫も坊さんももう嫌いになりそう

2024-05-22

anond:20240521221155

素晴らしいね

こういうのを調べると、自分の血を残すモチベーション湧いてこない?

29歳なら年上狙うとかの戦略立てればギリギリ間に合うので、婚活頑張れ!

過去帳は、興味本位ではなく、ご先祖を弔いたい、といえば断るお寺は少ないはず。

まじめに、明治時代のご先祖様の100回忌を計算して、法要してあげれば、さらに色々と知識が深まるよ。

なお、明治時代半ばまでは、戸籍グレゴリオ歴、過去帳天保暦で日付がずれることもあるので、その辺の知識も整備した方がいいかもね。

山口県は、特に戦前ハワイや旧植民地への移民が多かった地域なので、色々なドラマが多いと思う。

定額小為替手数料は、郵便局理不尽利権などもあり、あり得ないほど高くなってる。

ネットがない時代個人送金の一般手段だったが、現在役所関係以外で使うことはないだろう。

あと、先祖旧軍所属していたことがある人の場合は、「兵籍簿」を取れば(詳細はググってね)、さらに細かく分かることがある。

(実は戦犯処刑されている人などは、戸籍請求されても役所の人が謄本作成するときに塗りつぶしてしまうことがある)

なお、平成初期までは、別に直系先祖でなくても誰でも自由他人戸籍を取得できた。

その時代日本中戸籍を取りまくって、人名辞典を作っている会社がいくつかあり、そこにご先祖さんが掲載されていると、直系ではなく傍系の調査捗る。(詳細は「日本紳士録」などで検索

他にも色々と先祖を調べる手段はあるので、調べてみてね!

2024-05-19

仏壇のお花

普段晩飯の時に炊き立てご飯お供えして線香をあげてる程度のことしかしてないが、仏様の命日や生前誕生日記念日には仏花を仏壇に飾るようにしている

その割にお彼岸とかはやってないなー

ちなみにお花を上げる初日はオハギやコーヒー焼酎水割りなんかもお供えする

墓参り行けよって気もするがお墓の近くに住んでいる親戚とは不義理してて、さりとて挨拶も抜きに墓参りするのもなんだかなーと思ってたか全然墓参りしてない

法要も任せっきりだ、わはは

それはそれとして

いつも、お花は萎れるまでお供えしている

毎日水を取り替えてるけど、それでも下の方から腐っていくんである

菊の花は強いから、花瓶で何度か発根させたことがある

そういや、ここ数年は発根させたことないな

茎の細い真っ赤な花が真っ先に腐るから、アレを別の花瓶に挿すようにすればまた発根するまでもたせられるようになるかも

それはそれとして

花びらが散っちゃったりして見栄えが悪くなっても、気にしなければお花は20日間とか平気で持ってしまうから最近はあげてから一週間とかキリの良い所で片づけてしまうようにしている

しかし、先週お供えした花、まだ勢いがある

どうしたものかなーと

2024-04-22

anond:20240421204928

西国博覧会ではないけれど、

西国霊場会「霊場巡拝(おまいり)いこか」というのが2019年にやってる。

西国霊場90周年記念で、ギャグマンガ日和とのコラボ迷路とかと合わせて、

”新西国霊場札所38ヶ寺が一堂に会するのは40年ぶりという貴重な機会。

回廊には38ヶ寺の御朱印所がずらりと並び、各札所御朱印を一気にいただけます。”

というわけで自前の御朱印帳にコンプできたし、記念法要もあったりした。

50周年、90周年でやってるから、100周年の2029でもなんかあってもおかしくないかも。

四天王寺公式ブログhttps://www.shitennoji.or.jp/report/%E6%96%B0%E8%A5%BF%E5%9B%BD%E9%9C%8A%E5%A0%B4-%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E5%B7%A1%E6%8B%9D%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%97%A5%E5%92%8C%E3%81%A8%E3%82%B3/

レポ:https://teramachisampo.com/machisampo/detail/5845

2024-03-05

四十九日法要は早めにして、納骨も済ませていたのだが、本当の四十九日今日なのだった。

夫がいなくなってからうそんなに経つのか、なのに私は何もできていないよと伝えるため、というわけではないけれど何となくお墓に行った。行ったほうが良い気がして。

法事をするときはいつも誰かがいるから泣かないようにしていたのだけれど、ひとりでバスに乗って墓地に行ってお墓の前に立ったら涙が止まらなくなってしまった。雨だし周りに誰も居なかったのでたくさん言いたいことを声に出した。色々言った、けれどどれも「ごめん」と「会いたい」の言い方を変えただけだったような気がする。ごめん。会いたいよ。

帰りのバスで見てたSNSで桜の写真が流れてきて、これからふたりで過ごすはずだった季節のことを考える。もうすぐ桜が咲くよ。缶ビールからあげ棒買って花見したいね

季節が一周する頃には、ひとりで過ごすことに慣れているだろうか。今はまだ全然からない。

2024-02-13

訳あって入籍できないので内縁の妻をやっている。

もちろんプロポーズなんてなかったし、当然結婚式なんてないし、ハネムーンもないし、マイホームもないし、子供もいない。

子供は、できたこともあったのだけど、訳ありの私たちなので、堕ろすよう言われ、それに従った。

互いの親族わたしたち関係を忌まわしいもの、とまでは言わないまでも、無いものとして扱う。

もちろん公正証書も取り交わしていない。

法的には、同棲カップルと、何も変わらない。

 

わたしは一生、ドレスを着ることはないのだろうし、夫婦写真家族写真を撮る事もないのだろうし、父にも母にもなんの恩返しもできないまま、ゆっくりと死んでゆくと思う。

 

それでもわたしたち夫婦は、日陰で慎ましく毎日愛し合っている。外ではしない指輪を、家に帰ったら静かに嵌めて、夫婦として暮らしてる。

わたしにとっても夫にとっても、今の人生は望んだものと違うだろうけど、愛に縛られたこ人生を歩く決断を、毎日慎重に下し続けている。

 

あぁでも若いうちに写真くらいはねだって撮らせて貰えばよかったかなぁ。

あらゆる反対や障害を押し切って、あの子を産んでおけばよかったかなぁ。

あの時、義兄がまだ会話を諦めていなかった頃に、尻込まず話しておけばよかったかなぁ。

そういう後悔も尽きない。

 

歳月を重ねてきて、両親もそろそろ見送るかという年齢に差し掛かる。

わたしたちの終わらせ方も、考えることが増えてきて、そうして考えれば考えるほど、気が重い事ばかり。

夫は持病があるけども、入院しても、わたしはお見舞いにも行けないのだなぁ。

せめて目の前で倒れて欲しい。119番わたしにさせてほしいなぁ。

どちらか先に亡くなるとして、骨を拾う事はおろか、法要に参加する事も、おそらくできないよなぁ。

遺影を選んであげる事ももらう事も、できないんだなぁ。

夫もわたしも、今ともに暮らす住まいは、互いの親族に明かしていない。荷物も、生活必要最低限だけ。

わたしは夫の形見を、夫はわたし形見を、分けてもらう事もできないだろうなぁ。

あの世でも一緒がいいけど、同じお墓に入るのは、たぶん難しかろうなぁ。

わたしがこの人の妻として生きた日々は、この人がわたしの夫として生きた日々は、わたしたちがこの世から居なくなるのと同時に、なかったことになるのだろうなぁ。

 

から婚活増田たち、眩しいです。

婚活楽しんでください。辛い事も多かろうけど。

うまくやれば、日の当たる場所へと続く道につながると思います

希望があります

しか手元に残らなかった人生も、これはこれでなかなか、寂しかったりするから

2024-02-11

祖父お葬式無双した

おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する

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私はどこに出しても恥ずかしい陰キャオタク

更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。

5歳下の弟は国立大入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業新卒採用された。

私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日

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絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。

あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家事業継いだり、東京仕事したり、そんな感じ

親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。

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そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父訃報が届いた。

深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。

夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。

すごく綺麗な姿をしていた。

れいなのだ

おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」

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おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ

伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め

葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。

私は車から仕事道具を持ち込みながら言った

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「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」

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葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃん葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ

専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた

私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている

親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた

半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。

とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。

気がつくと、他の親戚たちから目線

どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。

…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。

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その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃん相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。

直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。

そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。

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翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。

この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。

そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。

代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表あんたじゃないでしょ」と否定的

そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。

.

そんなこんなで、本番。

お経が終わって、孫代表弔辞

名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。

読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。

今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫から言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。

最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧

振り向いたとき揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。

葬儀屋さんも泣いていた。

私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。

.

葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。

あんなに素晴らしい弔辞いたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。

まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。

否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。

どんな仕事でも、活躍の場があるということ。

なんだか、ありがたい経験だった。

からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから大人しく、お葬式は姉に任せなさいね

.

そして、おじいちゃんありがとう

三回忌法要、お参りにいくから

2024-01-30

妹が自殺して2年[追記しました]

追記

 

いっぱい見てくれてありがとう

気遣ってくれたブクマカたち、ありがとう

もちろん、事実真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想憶測曲解邪推で補完して膨らまして、

俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう

それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。

でもまあ、それはいいんだよ。

それが欲しくて増田に書いたし、

俺は生きてるから

俺の言動意図ねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、

自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、

自身が弁明や訂正をできるから

俺は生きてるから

 

死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。

死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。

 

自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。

漫画家さんの自殺テロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。

自殺者の自死テロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。

 

俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。

だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。

 

こういう現実が、こういう思想自殺メリットを感じる価値観と地続きと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230715095602

 

妻子を気に掛けたくれた人もありがとう

俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう

これ以上自殺呪い(と言い換えますテロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。

 

人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものから、切ないね

無意識のうちに、自分妄想憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。

俺もまだまだ勉強中だから、偉そうに言る立場じゃないのだが。

 

追記ここまで

 

はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。

気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーリスカハンスト家族を萎縮させる。

妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものから

最後の方はYESマンに徹していたな。

とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。

心によりそうのは2の次いや3の次、もっと後回しだったかも。

そうすればとりあえず刃物しまってもらえたから。

 

勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、

まり社会生活不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。

 

大学は県外へ行き実家を出た。

卒業と同時に、大学出会った彼氏地元に嫁いだ。

俺たち家族はほっとした。実家環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。

の子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。

 

妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世住宅を建て、両親を呼んだ。

実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたとき痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。

妹が壁に書き込み続けた呪詛言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。

リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。

今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。

 

新居に引っ越しから一度、妹は旦那さんと一緒に遊びに来た。

旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。

俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。

一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。

今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。

妹にとって、自分実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、

自分親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。

 

嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。

なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、

先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。

この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。

 

妹が嫁いで8年くらいの頃かな。

仕事から帰ったら母親が血相変えて玄関まで出てきて。

「妹が離婚する」って。

から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。

 

俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。

もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?

もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?

そりゃ一時的には問題ないが、ずっととなると。

俺には子供が二人できていた。

言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。

 

あのとき俺らは利己的だった。

8年大丈夫だったんだから、なんとかなろう。

妹の癇癪持ちは、もう治ってるって。大人もの

仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。

離婚なんてしなくても済むはずだ。

だってあの気さくで温厚な旦那さんだもの

妹の問題点も笑って許してくれるさ。

 

母はその晩、妹に電話をかけた。

離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。

から、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。

今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。

 

妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。

俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。

 

旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。

俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものから、両親を残して通夜だけでお暇した。

空港までは旦那さんが送ってくれた。

旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。

この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。

旦那くんは悪くないよ。一番つらいのは旦那くんだろ。」

そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。

 

俺は本当に浅ましかった。

あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊たかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。

そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。

そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか

妹の幸せにも妹の未来にもなんの興味もなかったのではないか

旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。

旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。

はやくこの地を離れたい。

 

そういう気持ちでいた。

 

あれから2年が経った。

1周忌は仕事言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。

今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。

曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。

そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。

そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺からなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。

法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。 

旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。

 

2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。

思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。

から、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。 

 

記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。

幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、

脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。

だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、

妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。

 

今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。

分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。

俺には知識教養も度胸もなくて、何もしてやれなかったな。

妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごま蔑ろにしてしまたかな。

あの頃俺がつらかったのも事実だし、

妹がつらかったもの事実なんだろうなあ。

 

そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。

母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。

俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあん電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。

妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。

俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。

の子どもたち、母にとっては孫であるの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまたことの前では、無価値なのかなあ。

 

父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから認知症も進行したように思う。

から、3回忌は、俺もボイコットができなかった。

ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。

俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。

こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。

いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。

 

最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。

だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。

 

それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。

俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。

そして母への怒りを感じた。

俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目からって、俺に頼り切りでなく、大人として責任果たしてしかったよ。

妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。

の子病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか

俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。

 

色んな感情が渦を巻く。

妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。

妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分重要性を知らしめたかったのではないか

まり自殺ってテロ行為なんだ。

他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。

他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。

まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、

妹の思うつぼだということだ。

彼女は、あの世でほくそ笑んでることだろう。

 

でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。

本当に逃げたかっただけだ。

俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしま現実から

見捨てられる恐怖から

もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまたかもしれないじゃないか

 

そんな弱い子でもない。

あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。

怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。

自殺だって彼女彼女なりに選択したことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。

同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。

から外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測妄想をして、勝手因果関係見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。

 

とにかく。

自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、

外野勝手悲劇エッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。

これは俺の認知が歪んでいる自覚は有る。

にしてもだ、自殺って脳天気バカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。

自分のクソデカ感情シェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。

発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。

しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。

フィクションじゃないんだよ。病死事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。

自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。

自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。

生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。

俺は芸能人有名人自殺しても勝手憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。

死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。

本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。

称賛も憐憫必要ない。ただ愛を込めて心のなかで悼んで差し上げろ。

自分が救われたいだけなら、自分にあう死生観宗教にでもたよってくれ。

2023-12-24

anond:20231223223306

そんな決まり時代に合わなければ徐々に廃れていくよきっと

親の葬式で知ったけど、昔は1週間後に法要やってたのが今は葬式でまとめてやってしまうとかで

今生きてる人の都合で冠婚葬祭の決まり事なんてどうにでも変わるんだなと

お宮参りの女親縛りも不便あれば無くなってくと思う

2023-11-29

身寄りなし高齢者最期

療養型病棟というところでは身寄りなしの高齢者がそれなりに入院していて、誰にも見舞われず死んでいく。

同じ寝たきりでも、子供や孫がいる場合最期にはそういう人達が迎えに来て、それなりの葬儀社に引き取られていく。

生活保護+身寄りなしの場合はどうか。

市の委託先の専門の業者が来る。

はいどうも〜〜と現れて、霊安室に寝かされた遺体引越し荷物みたいに抱えて、寝台付きの特注軽ワゴン車に乗せて、病院を後にする。

私物衣服肌着、靴、タオル。あと歯ブラシとかの日用品。だからだいたいは置いていく。

たまにタンスの奥から若い時の写真とか出てくるけど、それを見ると心臓ギュッと掴まれたような気分になる。それを紙袋に入れて遺体に添える。わずかばかりの荷物と共にこの世に別れを告げる。

病院なので死亡退院事務処理が終わればそこで終わり。

(これが高齢者施設なら、施設法要したり何かしらをするのかもしれない)

こればっかりは、目の当たりにしないとわかんない感覚だと思うけど、それを見てしまうと、どうしようもないほどの孤独感が襲ってくる。

本能的に怖くなる。

自分を知っている人に、誰ひとり見送られずにこの世を去るというのは、こういうことなのかと。

実際に臨終を目の当たりにするのと、想像とはまったく違う。仕事でたくさんの人を看取ったが、目の前で起こる人の死というのは強烈なメッセージ性がある。

人間本能的に孤独に怯えるのだと思った。

2023-11-27

両親に離婚して欲しい

10年くらいそれぞれの実家でそれぞれの親の介護をしていたが、それぞれの両親の死後も結局同居はせずにそれぞれの両親の家で暮らしている

基本的には没交渉でそれぞれの両親の法要関係で年一で会う程度

この先同居するとも思えないし、離婚して、それぞれ独居老人でいてくれたほうが子として行政介護問題を頼りやすいんだよな〜

2023-11-13

トランスジェンダーに関する法要件って世界的潮流(特に米国左翼)を酌んでのことなのか?

男は男、女は女だろ、いい加減にしろ

まあ俺はド変態女装をしてインスタにアップするがね

2023-10-12

anond:20231012110439

実際どういう法に触れるんだろう。

強制性交のものはまだ法律範囲外だし

暴行時効なので、現時点で時効ではない触法要素は具体的にどれかよくわからない。

アメリカは行けそうだから法人に対しても請求できそうな気がするけど。

2023-08-19

anond:20230817224603

ちょうどお盆法要的なやつ地方都市(30万-50万都市)で言ってきたけど、そんな感じのことあったな。

数少ないバーが、音楽推しのところで、来る常連さん20代50代の知識の深さと幅の広さがすごかった。

田舎の方が趣味個人的な探求するにはいいのかも。40代ー70代の収集癖ある知り合いも、大体地方民だし。

東京とかの大都市圏は、仕事芸術学問も)としてアウトプット効率求める人が住むのかもね。

バーの話も他に話せる場所と人がいないから、そこに集中するだけかもしれないし。

個人的には田舎に住んでた時は、大都市圏美術館博物館生き放題で、いろんなグルメがあって、飲み屋があって、

そこに対して渇望感があったけれど、

実際長く住んでると、色々行けなくなってきてしまった。飲み屋ぐらい。

2023-08-06

友人が自殺してもそれほどダメージ受けていない自分がいる

うつだった友人(飲み友)が自殺してしまった。人づてにそのことを聞き、法要等には参列していない。

初めて訃報を聞いたときは驚いて数十分間立ち尽くしていた。21時くらいだったがその日のその後の記憶は無い。

ただ、翌日以降から普通に生活できた。たまに作業の合間の休憩中に「ああーーー」ってなる(分かるかなこの感じ)けど、その頻度も減っていってる。食欲とかも通常運転

共通の友人はかなりくらっているようで、ずっと激しく落ち込んでいる。自分も辛い・悲しいという気持ちはあるけど、友人のそれと比較するとだいぶ弱いと感じる。

しろ自分とその友人とのギャップを目の当たりにして、自分非情人間なのかもしれないという部分に注意が移りつつある。

親族以外の親しい人を自殺で亡くした経験のある人はそこら辺教えてほしい。

2023-07-19

anond:20230719085248

その点、坊主どもは年忌法要でがっぽり稼いでいてエライよなぁ。

2023-06-21

とっさに言い返す技術

母親が割と不機嫌でコントロールしてくるタイプの家庭で育った。

家を出て何年も経つけど実家に帰ると相変わらずだ。

親との付き合い方は理想ではないもの自分なりの距離感は安定してきたと思う。

友達みたいな母娘っているけど憧れるわ。

あと「年収が上がった」って言ったら間髪いれず「お父さんはxxだったよ」とナチュラルマウントで返されたりする。あれはマジで悲しい気持ちになった。

なんのマウント?って言えばよかったな。

それで最近思うのは「とっさに言い返す能力がない」のは自分性格と生育環境のせいだったりするのかなと気がついた。

例えば外で知らない人に失礼なことされてギャーギャー言いたくてもどんな顔して何を言えばいいのか分からない。

先日は自分歩道を歩いてて、後ろから子を乗せたママ自転車が「ホント邪魔〜」とか言ってぶつかりそうな距離で爆走していった。どちゃくそに腹が立ったので説教たかった。

転んだおじいさんを見て一瞬で荷物置いて声かけに行くことはできるのに。

あの「とっさに言い返す技術」みんなはどうやって習得してるんですか

2023-06-14

anond:20230614003024

それな

複雑さがない、買い支えなくてもいい(寄生できる)、これはでかいんだと思う。移動の電車賃すらキセルする連中だから金離れが悪くても出来る趣味、という消去法要素は絶対あるよな。カメラが高いって言われるけど他のジャンルオタク買い支え課金に比べりゃ全然よ。

2023-06-12

死の商品化

死の商品化、それは葬式であり、墓であり、更には回忌法要である

人の死という神聖もの商品化してはならない。

葬式も墓も回忌法要無料であるべきだ。

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