はてなキーワード: 法則とは
先日クトゥルフ神話TRPGの「同居人」というシナリオをプレイさせていただきました。
※クトゥルフ神話:ハワード・フィリップス・ラヴクラフトらによって作られた架空の神話
※TRPG:テーブルトークRPG、紙や鉛筆、サイコロなどを用いて会話を軸に遊ぶロールプレイングゲーム
このシナリオはSNSなどでかなり人気があり、有志によるおすすめランキングの投票でも上位に出るシナリオである。TRPGをよくやる友人に「みんながおすすめしているから」というようなセリフで誘われてプレイした。
結論から言うと私個人はこのシナリオがとても嫌いだなと言う感想を抱いた。しかしながらネット上の感想は狂気的なまでに「良かった」という内容ばかりが並んでいたのでなぜそうなっているのか気になる。
私自身がシナリオを書いたりその他創作をする人間ではなく、シナリオ自体の完成度などに口を出せる立場ではないため1プレイヤーとしての感想を述べて行こうと思う。
まず回してもらった結果、エンディングとして味気のない片ロストだった。(このシナリオはプレイヤー人数が2人)
エンディングはプレイヤーの選択によって決まるものなのであまり騒ぎ立てたくはないが。どうしても2人が生還するには、邪神と接触して死んでしまっている片方のキャラクターを生き返らせてほしいなどのお願いをしなくてはならない設計になっている。
個人的に、あまりクトゥルフ神話の神話生物と必要以上に関わりたくないタイプなため、その邪神の接触呪文を使えるようになった後もそれを使わなかった。(結果的に相棒がロストした)
神話生物に解決してもらうシナリオってどうなのかな~、とシナリオ終了時は少しモヤモヤしながら終わったが。問題はそのあとシナリオを読んだときに現れた。
神話描写についていろいろとおかしいのではないかと思った要素があった。
ひとつは旧き印が神格との接触呪文に必要な魔法陣めいたものになっており。古き印の中心に神格が現れるという点。
古き印は神話生物から身を守るような呪文であると解釈しており。通常印の領域を神話的事象から守るであるとか、門の近くに書くと門から神話生物が現れなくなるとかそういうもののはずであるのに今回は召喚のための魔法陣扱いされているのが不思議だった。
二つ目は接触の呪文を知る機会。シナリオ内では『ニューイングランドの楽園における魔術的脅威』という魔導書(これが魔導書かどうかについては今回問わない)が出てくるが。そこに接触の呪文と古き印についての記述があるらしい。基本的にこの魔導書には特別な例を除いて呪文は書いていない。呪文を知ることができる特別な例では確かに接触の呪文がある、しかし古き印は書いていないはずなのでおかしい。
・意識を失うレベルで車にはねられたNPCが翌日元気にPLのもとに遊びに来る。
・とあるイベントにて凍死を免れるため人肌程度の液体をかぶる描写があるが。むしろそのあと凍死するまでが加速しそう。
・手元にある死亡診断書(役所に届けるもののはず、コピーをとるなりすれば手元に残っていてもおかしくないがそうまでする理由がない)
・さらにはその死亡診断書に死体の写真も添付されているらしい。
・これはスピリチュアル的内容になるので実世界的におかしいというべきではないかもしれないが、魂が必要とされている呪文の発動を幻覚として存在しているキャラクターで発動させることができる。
まだまだあるがキリがないのでこのくらいにするが。なんとも不可解なシナリオだった。
クトゥルフ神話TRPGの世界はある程度現実世界に近いながらも、アーティファクトや神話生物が絡み不思議な事象が起きる世界だと個人的には思っているのである程度物理法則を無視したりなど、何から何まで現実と同じにしろとは言わないが。あまりに乖離しすぎていると推理が進まなくなるのでもう少しどうにかならなかったのかと思った。
加入者人口というか人口ピラミッドというか、数が増えるほどに一儲けしてやろうとか、権力欲や支配欲を行使したいっていうカスが寄り集まってくるのはどんな組織においても自然な摂理なの。
街灯に訳もなくたかる蟲たちや、アリやハチの集団から自然と女王や働きアリが生まれるみたいなことと同じの免れない物理法則みたいなものなのよ。
だからこそ、そういった法則に人として抗うために初期発案者の思想や哲学が大事なの。大きくなればなるほどその教義や発案者の人間性が色濃く組織に投影されがちなので、
自然にはたらいてしまう力にたいして、人として律するみたいなことが必要なの。
要するに何が言いたいかというと、今は人が増えてその多く集まった人たちを金や権力欲、ヒエラルキー構築の手段として利用するカスための道具にフェミニズムは成り下がっており、
でも「ぱぴぷぺぽの法則」には逆らえんのよな
中学生の頃はバスケ部だった。
25年くらい前のことで、ちょうどスラムダンクが流行っていた。とはいえ、週刊誌を読む習慣がなくスラムダンクは読んでいなかった僕は流行りに乗って入部したわけではない。単純に自営業だった家にバスケゴールが設置されていたのと、兄もバスケ部だったため馴染みが深かったのだ。
兄とone-on-oneをやったことはない。仲が悪いわけでもなかったが、クラスで背の順に並ぶと一番前だった自分は体格差の関係で歯がたたないことが分かりきっていた。幼い頃の4〜5年の差は絶大だ。一人でずっとシュート練習をしてた思い出しか無い。
一人バスケには慣れていた。
大学を出て東京の中小企業に就職して、僕は一人暮らしを始めた。
ある日、なんとなく立ち寄ったスポーツ用品店でカゴ売されたゴムのバスケボールを見かけ、懐かしさを覚えて買った。
調べてみると自転車の圏内の公園にバスケゴールが設置されていることが分かった。それからは晴れた週末には出かけて行って一人でシュート練習をする日が続いた。「練習」などと書いたが、それはおこがましいかもしれない。ただ、運動不足解消も兼ねてテキトウに打っていただけだ。
大人になっても一人だった。
そんなある日、声を掛けてくる人がいた。
それまでも声を掛けられたことはあった。小学生の集団に声を掛けられ5対5で無双したこともあったし、ヤンキーっぽい人とone-on-oneもやった。が、それらの人たちは同年代とは言えなかった。
その人も運動不足解消のためにといったゆるい理由でバスケをやっていると言い、気が合いそうに思えた。(高校に入ってから一気読みした)スラムダンクの話で盛り上がったりもした。
その会話の中で「来週末にでも良かったら遊びに行きませんか?」と誘われた。
いつも一人で時間つぶしにも似た週末を過ごしている僕には予定など無い。即、了承した。「こうやって人と人は繋がっていくのかねえ?」などとウキウキしていたくらいだ。
来週末、待ち合わせ場所へ行くと、何故か10〜20くらいは上そうな年配の人が一緒にいた。
この人もバスケするの?と訝しんだが口に出すことはしなかった。
とりあえず、喫茶店に入ることとなりテキトウな会話をした。最近の天気とかニュースとかの話だったと思う。
「で、ですね。」と話題の切り替えが行われ、「座禅って組んだことあります? 最近、私、けっこうやっていて――」「そうしたら、いろいろと上手くいくことが多くなったんですよー。」「神様って信じます?――――。」
寝耳に水だった。
「出ます。」とレシートを持って席を立ち、会計をして店を出た。二人は後を付いてきた。このまま付いてこられても困ると思い、近くの広場でお断りの話をすることにした。
「一人の自分に話しかけてくれたのは純粋に嬉しかったが、こういう誘いは要らない。踏みにじられた思いだ」「貴方が何を信じようが勝手だが、僕を巻き込まないでくれ」「神様は居ると思う。が、自分が信じてる神様は物理法則を作っただけだ」人格否定にはならないように気を使ったが、余計な話もしてしまった。
二人はもう付いてこなかった。
帰路についた僕は、初めて一人で居酒屋に入った。後から思い返せば怪しい点がたくさんあったなと自分の迂闊さを後悔しながら飲んだ。
私は第二次性徴があらわれるのが遅かった。
とりあえず生理のようなものがだいたい毎月くるようになったのが高校の半ばごろだった。産婦人科では、子宮が未成熟であると言われた。
そういう訳だから体の発育はものすごく悪く、ガリガリで背ばかり伸びていった(身長は最終的に163cmで止まったが、22歳まで伸び続けた)。もちろん胸などない。なぜか毛は生えた。。理不尽。。
周りには、小学生の頃から生理が来てムチムチの女の子であふれていた。うらやましかった。そういう子は早くに身長が止まって、性に貪欲で早くから彼氏をつくり、部活はバレーボールをしていた。何か法則があるのだろうか。
田舎だから、胸がぺったんこで体型が小学校低学年と変わらないことを同級生や姉に散々揶揄され、当時は死ぬほど悩んだ。親もフォローしてくれなかったな。。修学旅行や宿泊研修では、生理だと嘘をついて絶対に部屋についてるお風呂に入った。このような強いコンプレックスを持つ原因は、育った環境が強く関係していると思う。やはり田舎は糞。
どうして自分には皆のような体の変化が訪れないのだろうと思った。何か悪いことをして、自分だけに罰が与えられているような気持ちだった。
子供の頃から、身長以外の変化があまりないまま来てしまったため、それをうらやましがられることがある。人はないものねだりなのかもしれない。しかし、私は女の子らしい体が喉から手が出るほど欲しかったし、今でも欲しい。自分の力でどうにかなるものではないので、理不尽だと今でも思う。
大人になるにつれて、自分の体型についてだいぶ諦めがつくようになった。でも精神の調子が悪いときに、背が低くてムチムチした乳の大きい女の子や女の人を見ると暗い気持ちになることがある。
昔、一週間位眠らずにハイになり過ぎて最後はトランス状態になった事がある。つまり完全に気が狂った状態になった事があって、いわゆる神が降りるとか、真理に辿り着く、とかそういう感じの精神状態になった。いまだに強烈な体験と記憶していて、その時の経験で得た価値観がいまだに、自分の人生の行動や選択の規範になっている所がある。
なんで一週間も寝ないでハイになったかというと、ちょっとした仕事の思い付きをどんどん広めて行ったら、世の中全てをひっくり返せるぜ!位のアイデアが広がってしまい、しまいには世界を変えるすごいものを見つけてしまった!みたいになった。
「危ない人」という線の手前にいる状態を表す言葉ではなく、完全に線の向こう側、あっちに行ってしまった人である。
今思うと統合失調とか、極端な躁状態とか、そういうのに近い奴で、正常な判断が全くできていなかった。
最後には、宇宙の真理を見つけた興奮で意識が混濁して、映画とかで見るような、死後の世界とか、宇宙の外とか、曼荼羅でフラクタルで自己相似性的な何かを見て体験して悟って宇宙とか時間とかスケールとか、そういうのを一周して帰ってきてる気がしてる。今ではそれが自分の頭が作り出した妄想である事を十分承知しているが、世界の秘密を暴くような不思議な現状とか、SFのイカした未来像とか、新しい価値観を唱える言説とかを目にする度に、そうそう、それそれ。わかるわかる。みたいな既に知っている様な気になるのが、いまだにヤバイ感じだけど、面白くもある。
宇宙の誕生とか、物質と反物質の偏りとか、電子の軌道とか、周期表とか、ペンデュラムウェーブとか、生物の誕生とか、DNAやRNA、たんぱく質のネットワーク的な相乗効果とか、フィボナッチ数とか、自己組織化とか、フラクタルとか曼荼羅とか、Powers of Ten とか自己相似性とか、赤い薬を飲んで仮想世界から目覚めるとか、銀河を見て詩人を連れて来るべきだったとか、AIの台頭とか人間の精神が機械化されるとか、テクノロジーが宇宙を再生産するとか、そういうのがないまぜになった結果、出て来た結論は、世界はたった一つの点が複雑な運動によって作り出した無限の広がりという解釈だった。
点の単純な反復運動が、波を生む。波は、時間や空間、物質の根源を生み出し、振動の異なる動きが、別の位相で見た際の異なる物質としての振る舞いを行う。これが、自己相似的に上位の位相においても、同様の動きの無限のパターンを繰り返すことで、ミクロの位相での様々な粒子のバリエーションで様々な物質を生み出しており、いつしか時間やスケールを一周してきて元に戻るみたいな世界の捉え方をしている。ちょうどアナログ漫画のスクリーントーンをずらして重ねるとモワレが発生する様に、無限の周期を持つ多数のスクリーントーンを重ねると、無限の組み合わせのモワレが発生する様なものだ。このモワレの密度の異なりが、上位階層の複雑な構造を生み出してゆき、一件異なるスケール単位での、自己相似的な特徴も、実はミクロからマクロまで一貫した法則性があるのではないか?という気がしてならない。
そして、一つの点の動きには、法則の上で限界があり、ちょうどペンデュラムウェーブが、一定時間で再び同じ周期になる様に点の動作にも限界があり、閉じた世界の中での無限でありながら有限な動きを繰りかえしているものが、世界のすべて、みたいに考える様になった。意識っていうのは、この点が、あるとき、ある時間、あるスケールにおいて、自身を観察している一瞬を切り取ったもので、根底では1つの点が自身の運動を観測しているに過ぎない。みたいに考えている。世界はたった一つの何かの振る舞いが、無限の広がりと組み合わせの上で成り立つ、有限な何かだ。みたいな世界観で、この点は私でもあり、あなたでもあり、すべての何かである。みたいな奴。
実は以前、こんな話を面白半分に周囲の人に話してみたら以外に否定されなかったりして、面白いもんだなと思う。
史上もっとも偉大な科学予測の試みとクラークに評された、科学と人類の未来について論じた先駆的名著──『宇宙・肉体・悪魔──理性的精神の敵について』
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2020/07/24/080000
いい映画でした。面白かったしゲストキャラもよかった。全体としては満足です。
でも切島鋭児郎を(そんなつもりはまるでなかったのだが)思ったより愛してしまっていたので言わねばならないことがある。
***
まず、爆豪勝己のことは好きです。まあだいたい少年漫画のライバルキャラって人気ですよね。人気投票でもよく1位取るしね。で、人気あるからグッズもいっぱい出るしアニメ雑誌には謎衣装の謎描き下ろしイラストがいっぱい載るしなんかやたらカワイイ感じのアニメオリジナルエピソードを作られたりするんですよ。知らんけど。
とにかく、今回の映画はスタッフ一丸となって爆豪激推し、ダブル主人公の勢いで緑谷と一緒に大活躍。かっこよかったし熱かったっすね。コンビで(というかCPで)推してる人は呼吸が大変だったんじゃないでしょうか。生きてる?
でもね。
悲しいんですよ。
爆豪すごい!爆豪やっぱつえー!かっけー!という場面作りのために切島が犠牲になったことが。
スタッフも需要わかってるから事務所シーンでやたら2人一緒に映したりとか、最初の襲撃のときに同じチームで動かしたりとかしてましたけど、かえってそのせいで残念なことになってしまった。切爆庇い合ってた❤️とか言ってる場合じゃないぞ!
だいたいね、なんですかあの敵の個性は?包帯的なもので包んだ物体を自在に操れるんでしょ?包帯的なものでしょ?まあ普通の包帯よりゃ強いかもしれないけどしょせん布よ?
はい、切島の個性はなんですか?硬化!硬いの!銃弾程度なら軽く跳ね返す硬さよ。かつ鋭いの。実際断ち切ってたじゃないですか包帯を。それなのに巻かれただけで手も足も出ねえって何?国内トップの雄英高校ヒーロー科に入ってくる男はそんなにアホか?違うと思うよ。硬化させろよ!そこで硬化して脱出を図るくらいの頭脳はあると思うよ。ある程度弾性がある?転がれ!地面を!擦り切れ!
(以下蛇足)
というかね、考えてみてください。「切島鋭児郎」なんですよ。この漫画の名付けの法則から言って彼の個性の本質は硬さよりもむしろ「鋭さ」にあるはずなんですよ。
切島自身がまだそれに気付いていない設定なのか、それとも対人戦闘では硬化より断然グロいことになってしまうからそれは少年漫画の主人公側キャラとしてマズいと作者が能力の方向性を変えた(=硬化に重きを置いた)のか、それはわからない。
でも目蓋の傷のエピソードやアームカバー導入があることから、人を容易に傷つける、場合によっては簡単に命を奪える個性だというのは時折描写されている。
(蛇足おわり)
そうやって何かしらできることはあっただろうに切島と上鳴は文字通り手も足も出ず、結局誰よりもピンチの爆豪が自力で解決。
爆豪すごいね!さすが入試&体育祭1位!とか言ってる場合か!入試2位もいるんだよそこに!インターンでクラスの誰より先に名が売れた、そして本物の現場で死に目を見た男もいるじゃんよ!
という、本当なら何かしら使えたはずの人間を、爆豪アゲのためにほったらかして木偶の坊に見せてしまった、これはちょっとスタッフのミスだったと思う。細かいところあんま考えてません、というのが透けて見えちゃった。他のシーン、他のキャラでもチラホラあったけども。
しかしよりによって切島、かつて自分の弱さ無力さを思い知った経験のある切島が、よりによって彼の最大の強みを思い出させてくれた存在である爆豪(こうやって書くとすげーな)の目前で何もさせてもらえず、爆豪の優秀さに頼りきりにされてしまったのは無念でしかない。切島がまた落ち込んじゃうよ…ああ見えてネガティブなんだから…
このシーンだけに限らず、切島はこの映画において全体的にあまり活躍していない。
(上鳴もミイラ戦では特に何もしてなかったけど、彼は使い勝手のいい個性で日常でも非常事態でもできることをしている描写がきちんとあった。ほんとあいつ鍛えればめちゃめちゃ強いというか、使えるヒーローになると思うよ)
迷子探しにお前が何の役に立つかと爆豪に突っ込まれていたように、日常の困りごとでは肉体労働くらいしかしてないし、ミイラ戦ではあの有様だったし、個性「硬化」をいかんなく発揮したのがキメラとの最終戦のみだった。
あそこはまあ、あら文化祭のカキ氷コンビねってホンワカしたっちゃしたけども、「神野を思い出すな」ってなんで言わせた?そんなカジュアルに語っていい思い出か?無理を承知、掟破りを承知で危険に飛び込んでいって苦い結果の多く残る神野戦のことをそんなふうに?
まあ「俺たちまた無謀な賭けに出てるな」とかそんな自嘲込みかもしれないしあんまり突っ込まないでおくけど。「切島」「神野」と来たらホップステップで爆豪を連想させるスタッフからの(余計っちゃ余計な)目配せもあるだろうし。
いやそのビーム(?)耐えられるなら相手にそこまで変身させちゃう前にもうちょいなんかできたのではと思わなくもないが、ここは「このメンバーなら確かにこれが最適解」と思える作戦だったからいいと思います。
私のツッコミはそれ以前に遡る。
そこ、障子だろ。
障子、そこにいるべきだろ。
えっここに来て急に障子の話する?する。
思い出そう対キメラ初戦。うろ覚えで申し訳ないけど障子に向けられたキメラのセリフ。その外見は相当イジメられたろう、という。
私もそう思う。障子は何かしら外見に関して苦い体験がある(キャラブックの記述で示唆されている)。キメラもそう考えたから、異形型個性持ちとして自分と障子は似たような過去があると直感したから言ったんだろう。
てな具合に敵と共感するところのありそうなキャラがいたら普通再戦させねえ!?させるでしょ!!似たところのある2人がなぜ片や社会に仇なす存在になり片やヒーローを志しているのか?お前は俺と同じ思いをしたはずだ、というキメラの問いかけが宙に浮いちゃってるんだよ。再戦で障子が答えを返すのがセオリーでしょ!
いやもちろん今後原作で描かれる可能性が高いしアニメスタッフが勝手に触っていい領分ではない。
でも「たとえそうだとしてもお前のようにはならない、俺はヒーローになる」くらいのことは言わせていいんじゃない?障子めっちゃかっこよくない?してよ!かっこよくしてよ!
いや障子はメチャメチャかっこよかった。身を挺してまほろちゃんとかつまくんをメチャメチャ守ってた。ほんとにかっこよかった。それは間違いない。
そこ、切島じゃね?
切島、そこにいるべきじゃね?
切島、お前の個性…「硬化」じゃね?
はいここに来て話が切島に戻った。
1Aメンバーは色々と周到に準備を整えて襲撃に備えた。しかし万が一それでも敵わなかった場合、最後の最後、文字通り盾となって幼いきょうだいを守らなければいけない状況になった場合、クラス内で適任者は誰か?
答えは切島だ。彼に基本的に物理攻撃は効かない。他方、機動力や索敵能力には欠ける。守らなければいけない誰かがいる場合、動かず護衛役に徹するのが、最も合理的かつ個性を生かすオペレーションではないだろうか。
いや分かってます、障子が残ったのはキメラとの初戦によるダメージが大きかったから、切島が前線に出たのはダメージが少なかったから。
分かってるけど入れ替えた方がもっと2人ともかっこよく見せられたのでは??と思わずにいられないんすよねえ…
たとえば初戦のキメラあんなに頑張らせんでもよかった。いや徹底的に絶望感与えた方がいいのはわかるけど、彼の強さを見せるほどに対比でミイラがメチャメチャ弱く見えるんですよねえ…何しろほとんど爆豪一人で片付けたようなもんだし…
もうちょっとミイラ戦に尺使って、爆豪が捕まってる間に切島上鳴をはじめ他のメンバーに活躍させとけば、最初の方で触れた爆豪アゲ他サゲ問題は解決、爆豪も体力温存できて、かつ自分は捕まってクラスメイトに助けられた苛立ちで敵の親玉ナインさんに向かわせる原動力にもなる。
そしてキメラ戦をもう少し抑えめにしていたら、障子も再対面が叶ってさっき触れた激アツ展開になってたかもしれない。
(最終形態にどう立ち向かうかが新たな問題として浮上はするが…轟焦凍頑張ってくれ)
あと、キャラというか個性の生かし方問題でもうひとつ、葉隠ちゃんがマジで何もしてねえんだよ今回!切島以上に何も!なんかなかったのかよ!
避難所守るのも当然大事ですけど彼女の個性は全く防衛向きではないから万一あそこで何かあっても役に立てない、なら見えないことを利用して前線で罠張っとくとかさせた方がよかったんじゃないか…スタッフさんよぉ…
さて、ここまでおおむね「切島を使いこなして欲しかった」というモンスターペアレントかな?みたいなことを言ってきたわけだけど、わかってんだよ本当は。
切島を使いこなすのってすごく難しいんだよ。
防御力も攻撃力も高いけど、言ってみればただそれだけ。正面戦闘に持ち込めなければ個性の使いどころはそれこそ誰かの盾になるくらいしかない。機動力、情報収集力には欠けるし、緑谷や八百万のような頭脳派でもない。
思い返してみれば前回の映画でも、爆豪関係で目立ちまくった一方、戦闘シーンに入るとこれといった活躍がなかった。魅せ方の豊富な爆豪や轟と比べると単純なことしかできない切島に尺使ってらんないよね、忙しいもんね。わかる。
あの神野でも、塀をブチ破った以外に個性そのものは役に立ってない。そんなふうに切島の「硬化」はなかなか応用が効かない。言ってしまえば不器用。
そしてそれを一番よく分かっているのは切島本人。
か…かわいそう…プロとしてやってくには今のままじゃダメだってすごいよく分かってて…それに追い討ちをかけるかのような今回の「バクゴーやっぱスゲー」係扱い…
作者もわかってると思うよ、あのメチャメチャかっこいいインターン中の切島回を経た上でなお、クラス対抗戦でやっぱり接近戦させてもらえないと詰むぞ〜ってわざわざ描いてるあたり…何か巻き返す手はあるのか、そもそも主人公でもなんでもない切島にそこまでページ割いてらんないだろうし、何か…何か希望をくれ プロヒーロー烈怒頼雄斗としてやっていくための希望を…
そう、やっぱりこれに尽きるんだよ、切島の個性の真の強みは爆豪の指摘通り、倒れない、負けない、ってとこなんですよね。たとえ勝てなくても負けはしない、ということが可能なんですよ彼の個性は…不器用でも華がなくてもいい、他に何もできなくてもいい、絶対倒れないヒーローに…なってくれるといいっすね…がんばって…
【まとめ 】
・障子と切島チェンジ!
・切島の使い方難しい
・切島がんばれ
以上です。
eスポーツって呼ばれてるの本人達ですら疑問だけど、それでもそう呼ばなきゃなにかしらの認可が降りないんじゃねえのかしら、知らんけど
でもってスポーツマンシップとかいう便利な言葉を使わせてもらわないともっと罵倒塗れになるし最悪リアルファイトに繋がるからスポーツ呼びしていろんな人間が関わってるから冷静にやらなきゃいけないものとして認識させてるんじゃないかしら
じゃないとなんでもありおじさんが出てきて「どうせスポーツでもねえんだし試合終わった後にボコボコにして俺に歯向かえないようにしてやる」みたいなこと言い出してもそれが本人達のゲームの範疇なら外野がどうこういう問題じゃないしな。
逆にスポーツという認識だからちゃんとした後遺症の無いルール作りをしようかってことにもなる。
ゲームという認識だと、ルール作りにその場のノリみたいなものが重なってしまって、勝っても負けても笑えりゃいいやみたいな結果になってしまう。
そんで、増田の危惧するような「こんな癖がある選手が有利になるようなゲーム作って」なんてのはそんなもんその選手だけにある癖でもないだろうし、なんだったらその癖を持ったゲームをしたこともない人間がそのゲームに触って全世界一位の座をほしいままにしてしまうかもしれない。
そして、そのゲームが好きならそこで折れないのがゲーマーだからその癖がある人間の更なる癖を見抜いて逆転で一位を取るかもしれない。
そんなもんイチローでもダルビッシュでもハンカチ王子でも選手一人一人が優秀だからってチームが勝てないのが野球だし
減量しなきゃいけないのに減量してこないで、敢えて重量をつけて戦って勝って相手の選手生命を断つようなボクシング選手もいるだろう。
公正ってのはその後の判断だ
eスポーツだって試合外でチートを使って除名されるプロ選手もいれば、大会中にチートを使ったことがバレる奴もいる。
陸上なんてドーピングをして追放され、国ごとオリンピックに参加できない国もある。
物理法則がと言っても魔術のような投球、アイススケートの四回転、こんなもんを素人が理解して出来もしないし、プロですら至難の技で。
ゲームのイカれた物理法則で戦い合うのはお互い様だ。FPSの壁抜きなんて意味がわからねえ、それでもお互いが使える技だからそれを使って戸惑う相手を秒殺する。
再現性のあるバグを使うのも、それも技だし、ボクシングでも使ってはいけない技がある。
その様子を見て、観客達は笑い、怒り、泣き、そして歓喜する。
一緒だよ、それじゃあ。
eスポーツはズルしか出来ない、んじゃなくて、スポーツ自体がズルができるもんなんだよ。
スポーツは物理法則があるから公正で平等、じゃなくてゲームというプログラマーとエンジンが決めた法則の中で使える技を全て使うから公正で平等、なんだよ。
地球だってスポーツ中にマグマが噴火したらスポーツ中止、隕石が当たっても試合継続、っていうルール付が無ければ永遠に試合は続くし、消化不良も発生する。
一緒なのよ、やってることは。
例えゲームのアカウントがマイナンバー付きの登録制になって、血筋でゲームキャラの強さが決まってしまうとしても、それで権利団体を呼び出して試合中に公正なシステムにさせるなんて裏技を使わないわけもない。
ただ想像力を超えてくるのが競技だったり物事なんだから、自分なりの公正で人をぶん殴ってたら同じような人間に増田が矯正させられちゃうよ?
~さんはどういう性格だとかそういうのに興味を持ってる奴は確かに意味分からんね。
こういう特定の1人しか該当しない個別の知識をちまちま手に入れるよりも、どうせ知るんだったらすべての人に共通して当てはまる知識のほうが欲しい。
そして、ヒトにしか当てはまらない知識よりは、すべての哺乳類に当てはまる知識の方が価値があるし、すべての生物に当てはまる知識の方がもっと価値がある。
所謂体を使うスポーツは、「物理法則」という、人間には決して覆せない公正さがあるから。
(例えば体操競技が重力を自由に変えられる世界で行われていたら、どんな高難度技でもエンターテイメントにはなるが、スポーツにはならない。)
この理由で、射撃、乗馬等の人が直接動かない物もスポーツとなる。
バイク、自動車等のモータースポーツもこれに該当はする。そして、その技術は日常で使用するバイクや車にフィードバックされる。
(ただし、競技性よりも、メーカーの技術力競争と、エンターテイメント性の割合が強め。なので、オリンピック参加のような、大多数に認められる物にはならないと思う。)
こんなこというと、じゃあチェスとか将棋はどうなんだ。あれも、所によってはスポーツと呼ばれているという人もいる。
それはスポーツと言える。
何故ならそれぞれ初めに与えられた戦力が一緒で、ルール自体は単純で平等だから。
将棋で言うなら、例え歩であっても、一つ前のマスに王将がいれば取れるし、逆に飛車角であっても通り道に駒があればそれ以上進めないし、取れる駒は一つだけ。
(例えばこれに歩は絶対王将を取れないとか、さいころの目によって移動範囲が変わるとか、飛車角は移動させるときに指で弾き飛ばして飛ばした駒だけ取れるとかが加わると、解りやすい平等性が無くなって、スポーツとは到底言えない)
これに対して、テレビゲームは根底のルールを作っているのも人で簡単に変えられる上に、戦力差がキャラによって違う。
「うちの知り合いにゲームの操作でこういう癖があるからその癖で与えるダメージが倍増になる仕様にしてよ」
と言われて、出来なくはないと言うこと。
更に、一度二度やるだけでは理解できないルールまで存在していて
(格ゲーなら必殺技の無敵時間や中段攻撃、他のジャンルなら相性や特殊能力)
一見どころか、たまに遊ぶライトユーザーすら凄さが理解し辛い。
こんな理由で、e-スポーツが「スポーツ」と呼ばれて持て囃されていることに違和感があるんだけど、
間違ってる?