はてなキーワード: 日本国とは
田母神俊雄氏は、都知事選の選挙演説をする時に、日本国旗を挙げることを遠慮するよう支援者たちに要請していたと言う。その理由は、「ノンポリが引いてしまうから」である。
現在日本では、嫌韓本が流行し、「そこまで言って委員会」が高視聴率を誇っている。ほとんど毎日のように危険な排外主義をひめた言葉が議員や首長、それどころか首相からも発せられている。
とはいえ、多くの一般市民はいまだなお、そうした言説を「危険なもの」として受け止めている。
「戦後レジームからの脱却」や「日本を、取り戻す」ことを大義に掲げ、憲法改正を強行しようとする人びとは「危険」であり、
歴史修正主義や排外主義と手をつなぎ、強者の論理を押し通そうとするネトウヨ勢力は客観的に見て「危険」である。
・・・ところで、若者たちにとって「危険」ほど魅力的なものはない。
「危険」なことをすれば少なからず社会からのレスポンスもあるのであって、「現実に参加している」という確かな手応えを感じることができる。
デモでヘイトスピーチをすれば多くの知識人がそれを非難するだろう。しかしそれは彼らにとって逆説的な承認であるのだ。
原発デモの場合とは異なり、彼らにとってヘイトスピーチで叫んだことが「実現」する必要はない。
話題にしてもらえること──たとえそれが批判や非難であっても──そのこと自体が彼らにとって「勝利」であったのではなかろうか・・・
自分の発言が、いかなる形であれ、社会を動かしていると実感できることが「勝利」なのである。
☆
さて、それでは「サヨク」と呼ばれる人々の方を振り返ってみよう。
2月26日におこなわれた「参議院憲法審査会」で共産党は「憲法審査会の開会そのものに反対を表明」した。
私はその意見に賛成するものである。しかし、こうした現状維持を肯定する言説ほど「危険」でないことはない(実質はともかく少なくとも見た目においては)。
それは名だたる知識人たちお墨付きの選択でもある。少なくとも護憲を叫ぶことだけでは「危険」扱いをされることは少ないだろうし、話題になることもあるまい。
たしかに共産党が「危険」だと考える風潮もいまだに根強い。とはいえ、それは「死んだ危険」ではないだろうか?
共産党においては、個人より前に組織があるのであって、古い組織のもつ強固な「危険」を多くの人びとは見出す。
端的にそれは「魅力的な危険」ではない。それにそもそも主張が道学者的だ。
私たちはネトウヨに対抗して「魅力的な危険」を作るべきなのだろうか? その結論が短絡的すぎることは承知している。
というか、正直なところ、私はどうすればいいのか途方にくれているのだ。
深夜、あてどなくファンタシースターオンラインを周回しながら何度も聞いた音声ファイル。
http://jkondo.hatenablog.com/entry/20060227/1141080969
じぇいこんのタイトルコール、れいこんがバックで歌い、飲み会は始まる。
これからのインターネット、僕らのインターネットについて、どんどん話は進む。
第一の話題「完全なロボットよりも一部人間のサイボーグの方がくるんじゃないか」
あずまんがいつものように不用意に鈴木健をいじって微妙な空気になる。
認知限界について、スルツカヤについて、嫌韓について、情報障壁について、話は進む。
優秀な能力をインターネットがシェアし、人々は幸せになる。幸せにさせる。
あずまんは人間の能力/能力の構造/社会の構造限界からそんなに単純じゃないんだよと嗜める。
「あずまんが、インターネットが世界が平和にできるって言ったの、覚えてる。僕、それ最終目標だと思う」
じぇいこんは言う。あずまんは、あずまんにしては丁寧に人文学のスタンダードを持ってしてじぇいこんを嗜める。
あいかわらず、偉そうなしゃべりでムカつくけど、じぇいこんも鈴木健もそんなあずまんが好きだから黙って聞いてる。
うしろで、しなもんが吠える。しなもんは確かに吠えて、そこにいたのだ。
政治構造について、戦争について、国家について、平等について、僕らのインターネットがどうあるのか。
あ、わんわんワールドの話。れいこんがわんわんワールドの説明をしている。れいこんは確かにはてなにいたのだ。
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「あずまんが、インターネットが世界が平和にできるって言ったの、覚えてる。僕、それ最終目標だと思う」
インターネットで世界を平和にするんじゃなかったのかよ、はてな。
トップページをおしゃれにして人間の承認欲求を飾っててなんになるんだ。
「ポッドキャストだから、あんまりいいたくないけど、人類の99%は救いがたく馬鹿なんですよ」
あずまんが言う。
違う。99%はまともな人間なんだ。1%のクレイジーがあなたたちなんだ。
インターネットで世界を平和にするのは頭がおかしいことなんだ。
でも、そこに僕らはブックマークだよ。心の底からブクマしたよ。
なあ、トップページをおしゃれにして人間の承認欲求を飾っててなんになるんだ。
休日に息子を公園に連れて行くべきなのだ。妻と死ぬまで手を繋いでいるべきだったのだ。
インターネットで世界を平和にするんじゃなかったのかよ、近藤淳也。
しなもんの墓から骨を暴いて細い管に詰めろ。酸の海に沈めろ。万能細胞の開花で復活させろ。
それで今の全てがあのころの全てに戻るのなら、近藤淳也はそうすべきだ。
はてぶ&ドラゴンズで承認餓鬼どもにブクマガチャをぶん回させて、南国に島を買え。
そこにユートピアを作れ。
インターネットで、自由になるんじゃなかったのか?
巨大化していく組織にありきたりな悩みをソリューションするような男は、
休日に息子を公園に連れて行くべきなのだ。妻と死ぬまで手を繋いでいるべきだったのだ。
それが、なんらかの、人類にとって、なんらかの、それはたとえば世界平和に繋がるのかもしれない。
分からない、全く最近のあずまんは意味不明だが、クレイジーとしかいいようが無いが、面白いよ。
近藤淳也、何をしているんだ。
しなもんの最後のお別れにうんこを捨てたって、なあ、馬鹿じゃないのか。
なぜ、そのうんこをほっそいほっそい管に詰めないんだ。酸の海に沈めないのだ。
今すぐ3万円を握りしめて平民金子と女を買いに行かないのだ。(http://d.hatena.ne.jp/heimin/20080918/p1)
さあ、今、近藤淳也は、再度目覚めるべきだ。
Suicaの事例NC特集 - 「Suica履歴販売」は何を誤ったのか:ITproやJRの顔識別実験顔認識を使って人物を追跡する実験、大阪駅の駅ビルで4月よりスタート | スラッシュドット・ジャパン YROへの反応からも分かるように近年行動履歴界隈が大変騒がしくまた盛況な様子です。
そして出てきた Yahoo! 別所氏の発言がなかなかかぐわしい香りを放っており各所から鬨の声が上がっております。(やまもといちろうのマネ)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/21/bigdata-yahoo_n_4635623.html
http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2014_0219.html
『企業は利用者のことを、いちばん真剣に考えている主体です。』
に至ってはナニ寝言抜かしてんねん意外に言うことはないわけですが。
という発言から分かる通り、利活用を求める人々はデータ収集に反対する人々の『気持ち悪い』という感情をあたかも身勝手で不当なものであるかのようにとらえているようです。
んで学部生レベルの半可通な状態だけれども、誰も言わないからこの辺に書いておく
なぜ”気持ち悪い”か
率直に言えば、他人に自分の情報を与えることは、ほとんどの場合不利益にしかならないから。
まず個人対個人の場合
PASMO のデータを用いて社員がストーカー行為を働いていた例がある
http://matome.naver.jp/odai/2133463494276014401
法律や職務規定でくぎを刺しておくべきものなのだが、データを渡さなければ職務規定が本当に機能しているかどうかを気にする必要もないわけで、データを渡すことは”見込みの不利益”を増大させることでしかない。
ここからはもう想像するしかないのだけれども(企業も情報出すの嫌いだよね)、Amazon は在庫数や閲覧数でもって値段を調節していると言われている。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130307/1047958/
ここで”Web 閲覧履歴、購買履歴、アクセス履歴から、ある人がある商品をとても欲しがっていることを判定し、その人がアクセスした場合、100円高く値段を表示する”ことは可能か不可能か。
ポイントカードの情報を用いて、この地域では雨の日に XX を買う人は少々高くても XX を購入する。雨が降ったら XX の価格を上げよう。という戦略は可能か。
ビッグデータに未来を感じている人ほど可能と考えるはずだし、実際可能な筈で既にやられているかもしれない。
そして今、通常価格より高く商品を買った人がいたとして、このシステムは利益だろうか不利益だろうか。
(こういうことを言うと必ず「自分が100円多く払うことでお気に入りの通販サイトや店が維持できるのだから利益になると思います^^」と言う天邪鬼がいるけれども言ってて空しくなんないのか。そんなに利他的な聖人様は稼いだ金は生活に必要な分だけ残して全部 Wikipedia かどっか好きなところに寄付したらいいと思うよ。)
以上のように自分の情報を与えることは本人にとって不利益にしかならない。
これは人間が人間となる以前からの真理であったので(体調が悪いという時にその情報を隠さないサルのボスと隠すサルのボス、どっちが地位を追われやすいか、と考えたら自明だよね)、遺伝子のレベルで刷り込まれてしまっている。
例えるならば、腐ったもの(自分にとって不利益となるもの)の臭いを不快に感じるのと同じことであり
”情報をとられて「気持ち悪い」なんて感情的な問題で嫌がるな”という主張は”ウンコを鼻先に突き付けられて「クサい」と言うな”という主張と同質なわけだ。
ところで法的には”理不尽であったとしても認められるべきこと”がある。
例えば生活保護。ここで侵されるのは社会全体のリソースで、対するのは生活保護受給者の生存権になる。生存権は日本国でも最も重要な権利の一つとされており、守ることが人類や国家全体の利益になると考えられている。だから生活保護は維持される。
さて”企業が個人の行動履歴をとり利用すること”が侵すものは何だろうか。
平穏に生活する権利、通信の自由、移動の自由といったところだろうか。
対するのは企業の”経済活動の自由”。近代国家では前者の方がおそらく優先されされるだろう。
言いたいことは以上なんだけども、履歴利活用推進派の人たちには”当然に気持ち悪い”、という認識でいろいろ語っていただけたらいいなと思う。
浅田選手といえば、子供のころから活躍し、その純粋さ無垢さ天真爛漫さで、日本国民を虜にしました。
今回のオリンピックも、曇った表情、思いつめた発言、見ていられないほど追い詰められていました。
SPが大失敗に終わった後、彼女は「なにもわからない」と答えています。
もう3回転アクセルを飛ばないでいいという声も、ありました。
浅田選手ほどの技術を持っていれば、ほかのジャンプステップを磨くことで、他にも金メダルへ到達する道はあったはず。
それが、ファンやマスコミや日本国中が「飛べる!」と望みをかけたがために、彼女は3回転アクセルに呪われました。
羽生選手は、FPで何度も失敗をしました。それでも、彼自身の話す、「絶対に飛んでやる」という気迫が、最後まで見て取れました。
ロミオとジュリエットは悲劇ですが、その悲劇の物語と相まって、何度うまくいかなくても諦めないという
結果的にはある種すばらしいプログラムにすることができていました。
それは彼の話した「自分の中にいるオリンピックの魔物」との戦いでもあったでしょう。
羽生選手の一番のライバルは自分自身の影でした。これは羽生選手に限らず、多くの選手が戦っていたものでした。
一方の浅田選手は、抽選順が決まったときの記者会見でもアメリカの記者に突っ込まれていたのですが
3回転アクセルが「飛びたいジャンプ」ではなく「飛ばなくてはならないジャンプ」になってしまっていました。
日本中から、「3回転」「3回転」と言われ続け、飛べないときも飛びたくないときも飛ばされ続け
それが「存在価値」と言われ続け、思い込み、転倒し続けました。
自分の中で、飛ばないという選択肢を導き出すことが、彼女だからこそ、できなかったのです。
浅田選手の心を支配していたのは、3回転の呪いだけです。オリンピックの魔物すら近寄れませんでした。
ある種の思考停止状態のなか、それでも、強迫観念に似たものに突き動かされ、ただ、飛ばなくてはならないのです。
そして、飛んだのです。
あのような深い慟哭を、あの愛らしかった少女が、あんな慟哭をするとは、それほどまでに呪いが深かったのだと、思い知らされました。
うれし涙ではない、あれは慟哭です。
できた!!!!!飛べた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
自分の生活のすべてを、人生を、人質にとられ、あらゆるものを犠牲にし、最愛の母も亡くし、それでも、強いられ、休むことも辞めることも赦されず
「真央ちゃんなら大丈夫!」「真央ちゃんならできる!」という無責任な期待を背負わされ、日本中から呪われ、
初日で大失敗をし、呪いの底で押しつぶされている彼女は、恐ろしいことに、それでもなお、泣くこともできず
私たちの、悪意ある無責任な期待を、背負わなくていいのに背負い続け、滑ってくれてました。
自分の意思とはまともに向き合うことを必要とせず、ひたすら耐え、為しました。
これは、ある種の奇跡であったことと思いました。あの慟哭は、あのシーンは神がかっていました。
でも、奇跡が起こったこと、それこそが、彼女が最も一途で、最も純粋な証拠で、だからこそ日本国から愛されのでした。
この呪いから、なんと、自らの手だけで、解き放たれたプリンセス。
美しかったです。強かったです。
http://anond.hatelabo.jp/20140211042328
http://anond.hatelabo.jp/20140212015607
☆
都知事選終わったのを機に、上二つのネトウヨ批判の記事を執筆してみたんだけど
どうにも相手とする人々の知能指数が低すぎて、これを書いている私まで病んできそうになる。
それに、水島氏批判なんかは、実のところ、ネトウヨ支援にひとしいわけだから
そういう敵に塩を送るような真似はしないほうがいいんじゃないのか、という気もしてきた。
☆
本当の敵は「チャンネル桜」でも田母神でも水島でも竹田でもKAZUYAでもなくて、
経済的「不安」をかかえた所得中間層にはびこる排外主義の雰囲気だと思っている。
実際にデモにいったり政治的主張を声高に叫んだりはしないけれども、
自分を不安にさせる経済的要素を、中国・韓国に投影して、みずからを慰めようとしている
そんな人たちは、少なからずいるんじゃないのかと思う。
日本列島に渦巻く「不安」の雰囲気を男性的な力によって脱却したいと彼らは望んでいる。
その男性的な力を表現しているのが軍人あがりの「田母神」という"シンボル"なのだろう。
でも経済的不安をそうした「男性的な力」をもって脱却しようとすることはハッキリ言えば不可能だ。
サヨク側が、ここに戦前の姿を見出すのもじつは所以なきことではなくて、こういう愚かな潮流こそが敗戦の原因であったからである。
実際そうなのであって、そのイデオロギーをまともに受け取ろうとすると馬鹿馬鹿しい作業をしなければならない。
そもそも彼らが現代の日本の政治状況が「中国派VSアメリカ派」であって、自分たちが「日本派」と呼んでいる、っていうことは、
単純な陰謀史観にすぎないわけであって、こうした認識は、あの杜撰な田母神論文に由来している。
こんな不出来なシロモノは、世が世ならキ印の烙印押されて、それで終わりというものだ。
しかし、必ずしもそうなっていないところに日本の不幸があるのだ、と言ってもよいだろう。
マトモな学者はたいてい彼らを相手にしてないでしょ?
カルトの言ってることをマトモに批判したって、カルト信者は何も意見を変えないでしょ?
私がやってるのはそういう不毛な作業なんだな、と実感したわけである。
☆
私がさきほど右傾化の原因として挙げたのが経済的不安である、と述べた。
他にも核家族化・超高齢化社会・少子化etcを挙げることも出来るが、そうした内政における生活上の根本的問題への不安感が、右傾化という形で顕在化しているのだと思っている。
話を、経済的不安に戻すと、それでは日本はこれから健全な資本主義を保っていくことは出来るのだろうか? 資本主義成立に必要不可欠な経済成長の可能性を日本はもっているのだろうか?
残念ながら、その可能性は持っていない、と言わざるを得ない。この議論は煩雑になるので一気に省略して、この結論が正しいものだとしておこう。
じゃあ、どうすればいいのだろうか?
経済成長を断念することだ。
日本国に住むすべての人びとが幸福であることを第一としなければならない、と私は考える。
たとえ国力が弱まろうとも、それは仕方のないことなのだ。
どっかで聞いた話だけども。
アメリカ人の愛国心とは、合衆国と市民とのあいだで交わされている契約にもとづいた国家運営システム、それを市民ひとりひとりが主体的に動かしていることへの誇りだという。自分らの手ですばらしき国をつくっておるのだーーっていう職人めいたプライドだ。それなら余人でもまあ理解はできるでしょう。それは住んでいる土地への郷土愛ではなくてアメリカ合衆国という共同体システムへの愛だ。日本のそれとは感覚がちがうのも道理です。
日本国における愛国心とは、日本という国、ならびに世界一の歴史をもつ天皇家を、ひたすらひたすら盲信していく姿勢です。はじめに愛ありきなんすよね。愛せねばならない、とまで言いかねん。「なんで?なんで愛さないといけないの?」っていう疑問にたいする答えが、はたして納得できるものであった試しがありましょうか。愛国心なんてモダンなことばで着飾ってはいるけどもうほとんど信仰であるように見える。てか神道だわ、まさしく。
かように、日式愛国心とはもはや宗教なんで合理的説明ができない。愛国者たちは必死こいて屁理屈こねるかもしれないが、煮詰めてしまえば「愛国行為そのものが尊い。黙らっさい」という態度である。日本人ならなにがなんでも絶対国を愛せねばならないとすら思ってる。自民党改憲案に実際そう書いているし。公明党は創価学会だが自民党は国家神道じゃねーか、笑えねえ……。おまけにその体現者が今の首相だと思うと比較的死にたくなる。マジであいつどうにかしろよ。
生まれた場所を愛するという人間ならだれもが持ちうる当たり前の感覚、それは愛国心じゃなくて郷土愛。国家というシステムと郷土という場所とを混同して考えるからどんどん意味不明な方向に暴走しちゃうのをもっと自覚的になってほしいなっておもいます。郷土は永遠だが、国家とはたんなる組織やで。
「保守」っていうけど、それは、既成構造の擁護。革新をしないという意味なんだろう。決して、日本古来の文化や伝統や歴史を知っているわけではない。
例えば靖国神社というのも、国家のために国民が戦争で死ぬことを肯定するプロパガンダで、明治時代につくられて昭和時代に強調された思想にすぎない。これは決して、日本古来の文化や思想ではない。日本史上最近である明治時代以降のプロパガンダ。
「保守政党」というのは、明治時代以降の資本家中心の社会構造を維持しようとする政党。
それと、日本の農業は、敗戦までは大地主中心の農業で、旗本みたいな武士も地主だし、民間の地主というのもつまりは資産家。戦後に農地改革で小作農を原則としてなくしたから、戦後には農家=地主だと思っていい。それで、この農家という地主も既成構造の恩恵を受けてきたわけで、だから自民党の支持層。
戦前も戦後も、日本の政治の特色として、こうした企業や地主のような資産家を中心にした政策とその意思決定が進められてきたことがある。
いま、「ネトウヨ」だのといって、そのなかには自民党を支持するデマゴーグを連呼しているのもいる。けれど、かりにいま貧困なのだったら、それは既成の社会構造によって虐げられているのだから、自民党を支持するのは論理的に破綻している(損だ)。騙されている、釣られているのか。それとも、ただ気分的にスカッとして面白おかしければいいのか。たぶん後者。
いまの政党や政治団体には、おそらく、日本古来の文化や伝統や歴史を真にわかっているのは、ほぼ皆無だと思う。
理解するためには、いま流布されている「日本とはこういうもの」というステレオタイプ(=プロパガンダ、デマゴーグ)を捨てないといけない。全国各地で互いにとんでもなく相違している文化習俗(言語や食や生活習慣や行事などなど)も知っているべきだし、神道や日本仏教や儒教という日本の三大宗教・文化慣習にも造詣が深くなければならない。三大宗教・文化慣習については、それが絶妙な形で社会統治構造(封建社会)を実現してきたことも知らないといけない。言語や食など、明治時代以降に没個性化されたものであって、江戸時代以前には日本国の各地域が物理的・文化的にかなり隔絶されていて、おそらく言葉も通じないことが多かっただろうし、料理もかなりの相違があって互いにびっくらこくレベルだったはずだ。
ところが、いまの政治家や、あるいは一般国民にしても、そうした本当の姿を知らないし、学校でも教えてくれないし、教科書にも載っていないと思う。
自分自身の(自国の)本当の姿を知らないままで、いまの自分自身を制御できるのかも疑わしいし、ましてや将来へ進むことができるのだろうか。昭和時代まではおそらく、欧米を(戦後は特に米国を)追っかけるだけでよかったから、つまり真似するだけで済んだから、自分自身を知らないままでもやってこられたのだろう。
イルカ漁が悪く、牛や豚の畜産が許されている理由は只単に多数派の合意が得られているからである。
多数派の合意の下、さまざまな(かつ非合理な)規制が行われてきたのは生きているなかで幾度となく経験されていると思うが、
それと全く同じ議論が成立する。
反面、イルカ漁の合理性を考えたとしてもこれほど無意味な風習はない。
海域の生態系の維持を目的とするにしても、この合理性を科学的に証明したものを寡聞にして知らないし、
マグロやウナギで失敗続きの日本の漁業でそもそもイルカの生態系が維持されるのか非常に疑問である。
徒に他人を煽って敵を作るよりも、彼らとどのようにうまく付き合っていくかを考えるべきで、
欧米人は、日本人に、「武士道」だのなんだのと、オリエンタルなものを、東洋の神秘(苦笑)みたいなものを求めるらしい。太平洋戦争などで命懸けで戦闘をしたり特攻をしたり(つまり自爆だ、自爆攻撃)した理由も、武士道だだのなんだのと言う。切腹だの自決だのという面がやたらと強調されている。
しかし、日本兵が命を捨てた理由は、武士道なんかではなくてむしろ、儒教なのだと思う。
例えば、「天皇は国家の家父長なのだから、天皇のために粉骨砕身、命を懸けるのは当然」という理屈が出てくる。また例えば、「男は妻子や父母・兄弟姉妹を護衛するものなのだから、戦場に赴いて命を懸けて戦うのも当然」という理屈が出てくる。
欧米人(とりわけ英国人など)が「武士道」だとか言うときには、騎士道が念頭にあるだろう。その騎士道というのは本質的には、主君と騎士の間の契約でできていて、個人の論理である。
それに対して儒教というのは、個人の論理ではなくて、家・血族の論理、個人ではなく全体の論理である。儒教の価値観というのは、時空を超越している。個人の観念も、現在の観念も超越する。個人の観念から跳躍したところに価値観があるから、個人を捨てて尽くすのも不可解ではない。過去現在未来という時間の壁も跳躍してしまうので、自分ひとりの人生どころか、何十年後でも何万年後でも先の発想をする。(儒教というのはそもそも例えば、先祖から子孫の血族代々を通じることで不老不死になる(永遠の命を得る)という発想だ。)おそらく、国歌の「千代に八千代に」のような時間感覚もその発想から来ているのだろう。
実際には、国家や社会というのは、個人の集積でできている団体だ。家というのも、家族ひとりひとりの集積でできている。だから、全体のために個を捨てろというのを強調して偏向すると、結果的に全体も破綻する。自滅だ。
ただ、現行憲法ができるまでは、日本国の主権者は天皇だった。民主主義国では主権者国民であり国は国民で構成される団体なのだが、国民主権でなく天皇主権だった当時の日本では、極端に言えば、国民はコマ、鉄砲玉だということにまでなりかねない。だから実際に、多くの人が命を懸けて、そして、死んだ。我々は、同じ国家の家族を、仲間を、死なせた、殺した。
このところ、英米の大手マスコミのウェブサイトのニュースを私はまた読んでいるのだが、日本国内のマスコミとの世界観の相違が激しいことを再認識させられる。
話題のずれ、例えば中東やアフリカの話題への関心の高さというのもある。
だがそれだけではなくて、日本のマスコミでは言ってはいけないことがどうやら多いようで、情報操作された、「よく洗脳がゆきとどいた国ですね」と皮肉られてもしかたないような社会だなと思う。
先日やしきたかじん氏が亡くなったが、彼が生前に大阪の地元テレビ番組でほとんど言いたい放題でやっていたのに対して、東京のマスコミ(全国ネットも多いだろう)における「自主規制」(という無言の圧力、「空気」のたぐい)は、やはりびっくりだ。
役者で現参議院議員の山本太郎氏が、以前に原発反対を言ったときに仕事を干されたという話もあるが、なかば被害妄想もありなん。だが、タレントの立場でファストフード反対だとか酒反対だとかパチンコは違法ですだとか言い出したら、おそらくマスコミや広告代理店のブラックリストに載る、広告塔としての価値はほとんど無くなってしまうだろう。藤原紀香氏だったかが先日にしんぶん赤旗(日本共産党の機関紙)の日曜版に登場した際にもいささか揉めたらしいというのも、話に聞く。
私とて、せいぜい英米の大手マスコミしか目にする機会がないのだが(関心はあるのだが、ドイツやフランスすらも日常的には読んでいないし、ましてや世界各国のを確認してまわれない)。しかし、The Times(英国)のウェブサイトをこのところ見ていたら、砂糖の依存性の話題で議論が巻き起こっていたり、「ADHDの診断名が付けられる小児は多いが、そんな疾患は本当は存在しないと書いてある専門書もある。診断名を付けることで気休めになり、そこで投薬に移り云々。診断名を付けたがる症候群なのだろう」と大要そんなことを書いているオピニオンがあったりする。日本の大新聞やテレビ局ではおそらくそんな記事はそうそう出せないだろう。
在京一般紙でも、サンケイと読売が似たようなもので、日経はもろに資本主義バンザイで、朝日はこのところ元気がなくて、毎日はまあまあ活躍していて、それらが超えられない壁の先に東京新聞(名古屋中日系の東京地方紙)がある気がする。さらに言えば、大新聞と比べて、宮城や福島地域の地方紙や、沖縄県の地方紙なんかは、世界観がまったく異なっているように思う。
オレは綺麗な絵だと思います。
あの絵単体を作品として見るなら、
ただ、あれっていわゆる学会誌なんですよね?
同人誌じゃないですよね?
たとえばこんな絵があったとしますよ。
お願い。面倒くさいとかいわないで。
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季節は晩夏にしよう。
まだ昼間は暑いけど、最近ちょっと日が短くなったわねっていうような。
時刻は午後~夕方早いうちかな。
場所は一軒家の門の前。
板塀に植木が見えるね。
平屋だよ。
豪邸じゃないけど、家屋も庭も綺麗に手入れされてるね。
祝日なんだね、きっと。
家の前に四人家族が出てきてるよ。
左後方にお父さん。
がっしりしてて短髪。
浴衣姿だね、ここは。
お父さんの右隣には、小柄でおとなしそうなお母さん。
もちろん優しく微笑んでるよね。
スポーツでもしてるのかな、お父さん似なのかな、やっぱり体格いいね。
お兄ちゃんの横には妹ね。
可愛いけど芯は強いんだよ。
赤いワンピースあたり着せようか。
結構お転婆さんだから、ワンピースもちょっと汚れちゃってていいかも。
ここまできたんだからダメ押しで、芝系雑種の愛犬も登場させちゃおう。
さて、これをセピアっぽい色合いで、郷愁を誘うようなトーンでまとめよう。
できた!
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ふぅ。
で、どうですか?
説明が拙くて恐縮だけど、イメージできました?
好みはあるだろうけど、ふーん、て感じですよね。
絵単体では別に何も問題ないですよね。
でも、これが政府広報物の表紙だったらどうですかね。
靖国問題がアツアツな今、
どうですか?
何か胸がザワつきませんか?
この絵を表紙にしちゃうのか…て思いませんか?
不穏な空気を感じませんか?
やべえ、日本マジやべえよとか思いませんか?
やべえっていう思いを口に出していかないと
もっとやばくなるよって思いませんか?
オレは綺麗な絵だと思いますけどね。
けどね。
走馬灯のように脳裏によぎったんでね。
考えると辛いから、今はやめとくよ。
http://www.zaeega.com/archives/53574263.html
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/15/akb48-asean_n_4450956.html
http://president.jp/articles/-/11181
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20111118/116096/
じゃあ、みんなよいお年を!