はてなキーワード: 手綱とは
それに駆り出されている。
既にそれで少ない休日がなくなってるんだけど、
論理のロの字も知らねえんだろ。
なんというかね、最後の手段はいつも威圧っていうタイプの上司なんだ。
圧力をかけてくる。
ときには怒鳴ったりするんだこれが。
俺は敵か、と。
それかお前が俺やその仲間を委縮させて
兵隊でも作りたいのか、と。
いや、ヤツにとっちゃ敵なんだな。
従わないから。
さっさと辞めるべきなんだろう。
正直なとこ、辞める算段は整えようとは考えている。
なんて祈りが意味をなすとも考えられないお歳頃だけど。
まあでも
俺に過失があるとすれば、そんな上司に手綱を握らせてることだな。
もつれた糸を断ち切って シャッシャッ
小金の為に踊りな シャッシャッ
ってか。
それはただ1つ。
『てめーは俺(ネチズン)を怒らせた』
これだけである。
「Google や Yahoo の検索結果を浅く信用度の低い情報で汚染し、ネチズンを怒らせた」
が具体的な理由となる。
真の火種である「検索結果汚染による日々の怒りの蓄積」さえなければそれら燃料が問題になることはなかった。
例えばTogetterを見てみよう。
あれは他者のツイートを勝手にまとめ、アフィ収入で荒稼ぎできるゴミみたいなサービスだ。
しかし誰もあれを叩かない。
こう言えば世間的には、
「まーグレーかも知れないけど…ねぇ?」
といった反応だろう。
なぜなら、Togetterは誰かにとって価値あるタイムラインや個人の独白の保存として主に使われるからだ。
まとめられたツイートは発言者が非匿名であることも含め、一定の価値がある。
だから叩かれない。
NAVERまとめは基本的に信憑性の低い価値のないゴミブログが引用元だ。
だから叩かれる。
「ユーザーが勝手にやってるだけ〜」を口実にやらせたい放題だ。
管理者である「ゆーすけべー」なるオッサンはiTunesでポッドキャストまでやり、少なくとも世間様に顔見せできないとは微塵にも思っていない。
ページのメインコンテンツをすぐ消費でき、信憑性は論点ではなく、たまに見て笑うこともある。
だから叩かれない。
NAVERまとめがその性質上、信用度の高い良質の情報源となりやすいシステムであれば、たとえ著作権を軽視していても全く問題なかったのである。
それを分かっていないから「NAVERまとめを拡散するのはやめよう」とブコメでいきなり言い出すはてブ民が出てくる自体に陥る。
という「個別論ではなく全体論」ということなので、身バレもないだろうしそのへんに絞ったレスをしてみたいと思います。
ああ、一個上のP付きっす。
その前に軽く触れると、自分は出版系のIP管理からアニメにもゲームにもアプリっぽいのの制作にもPで参加したことが有るという立場の増田です。なので、アニメにそこまで肩入れした擁護はないので、そのへんは差っ引いてくださいませ。
まず
という点なんだけど、それは概ね事実としてある。アニメは制作さえ決めれば空中爆発率は低いし、動く絵としてものは出来上がってくる。
それは「完成して出て来る」ってのを至上命題として業態/業務か出来上がってるからっていう部分がまず第一に大きいです。
だって予告して、放送枠取ってそこにV(=動画)が到着しなかったら放映できないでしょう? 良くも悪くも「タイトな締切に間に合わせてでっち上げる」ことが常態化しているし、そのためにいろんな仕組みが整備されている。深夜まで作業するのも常識になってたりもする……。ゲームやサービスみたいに「クオリティのために延期」というのが「ない」って言う前提で動いているんですね(総集編っていうのは、だからこそ本来例外だし、やばいわけっす)。
でもそれは前提であって「完成する理由」にはなっても「そこそこまともになる理由」ではないですよね。「そこそこまともになる理由」は、個人的には以下の2点があると考えています。
ゲームとかマンガとかWebサービスなんかに比べて、アニメは制作スケジュールとかチームの規模感みたいなものの前例が豊富で強いです。12話1クールを作る人数はこれくらい、必要な役職はこう、時間はこれくらいかかる、そのためのお金はこれくらい。
そういう規模感がはっきりしてる。
だって1シーズン数十本も作ってるんだから、そりゃ数字もつみ重なる。
プロジェクトハンドリングはたしかに属人性が高いけれど、こういう数字まで共有されていないわけではないです。むしろ、一般常識化しすぎてて話題にすらならないほど強固に存在します。そこから外れた作品が皆無というはなしじゃなくて、その規模感から外れるにしろ「規模感という地図を持っている」ことに大きな意味が有るって話です。
(特に工夫をしようと思わなければ)アニメ制作のバジェットは、穴埋め式のテンプレートみたいなもので、記入欄にスタジオ名とかスタッフ名を入れていけばチン!と出てくるようなものです。「スケジュール遅延による予算の倍増!?」みたいなトラブルは少ないです(劇場版では聞きます)。
製作工程自体も(何か変わったことをしようとしなければ)概ね予定通りに進みます。アニメ制作において制作の遅れは作画スタッフの不調とか、確保してたスタッフがうまく稼働できてないとかであって「技術的困難があって見込みが外れた」みたいな事例は少数です。そういう意味では製作期間も読みやすい部類に入ります。
アニメに比べれば、ゲームやWebサービスや新製品開発は、闇の中を手探りで地図もなしにうろついているようなものに見えます。逆にそちらからアニメを見れば、一度作ったもののテクスチャ張替えをして類似商品を量産しているようなものです。
この構造はクオリティコントロールの意味では強いです。要するに初期予算を部門ごとに配分して、それを話数で割って、出来ることはできるし、出来ないことは出来ないって話だからです。これがそのまま職人的な監督のこだわりに対する手綱にもなってます。だって、ここでそのお金つかっちゃうと、こっちが足りないですよね? 無理ですよね? と説得が出来るからですね。
個別の現場の話で言えば、それをやりくりとか、追加予算をひねり出すとかもPの仕事だけど、前提として上記みたいな構図が有るのはハンドリング面では楽ができる要素です。
という指摘に対する返答が今回の中心なんだけど、「まとも率」ってなんだろう? って言う問が答えのヒントです。
すごく大雑把な話をすると、アニメには(というかコンテンツ制作には)2種類の方向性があって、それは「外れるかもしれないけれどバットを思い切り振り回していこう、当たればホームランだぞ!(はずれれば三振だが)」というのと、「とりあえず進塁打めざしましょ、コケそうになっても最低限くさいバントして大コケはしないように(でもその打法でホームランは出ない)」の2種です。
どっちがいいというものじゃないですが、とにかくそういうふたつの考え方があります。全てのPは例外なく今手がけている作品をどちらにするか考えます。
もちろん現実にはもうちょっと細かいです。たとえば、ある作品は全体的には手堅くバント狙いなんだけど、音楽だけは超ゴリゴリのインディーズ起用でギャンブル、とかもあります。声優だけ豪華! とかも。無名だけど実力があって伸びそうなスタッフを中心部に据える冒険というのもあります。とにかくあらゆる判断において「大当たりを狙って強振」か「手堅く固める」の判断があります。
ここからが非常に夢のない話になるのですけれど、アニメは(とくに地上波の週刊アニメでは)どちらかというと「手堅く小ヒット狙い」なメディアなんです。だから「最低ラインでもまとも率が高い」という結果になっています。
なぜか?
理由は様々にあるんですが、本質的には生存戦略としてそれが(一応の全体認識としては)有利だからです。
あらゆる面で革新的で挑戦を行ってフルスィングをしていくと、三振討ち死に率が高い。ホームラン率3%で三振60%で残りがポテンヒットみたいな印象です。しかもこのフルスィングは、そもそも予算を大きく要求しておいてこういう結果になることが多い。
そこへいくと、小ヒット狙いのコンパクトスィングは、35%三振(=赤字)40%バント34%ヒットで、実はホームランも1%くらいは出るかなー? みたいな構造です。
もちろん、安全性と飛距離の両立ができる企画があればいいですが、それはとても難しいことがもうわかっているので、企画の全体も、細部もジャッジしてどちらかに振っていかなければならないです。
アニメの場合は、しかもその判断を製作委員会(もしくはそれに準ずる意思決定機関)で合意しなければならない。多人数での合意なので、どうしても「安全策」が採用されがちです。
(余談だけれど、監督業の一番尊敬できる部分は、そういう安全への堕落に対して『いいや、今回はこういうチャレンジをする。僕等にはその力があるはずだ!』という果敢なジャッジをして、それに向かって猛進してみんなを引っ張れる部分だと思います)
夢も希望もないけれどこの「集団判断による安全策への流れ」がアニメにおいて「どれもそれなりに見れる作品になる理由」です。
もちろんそういう安全策ばかりでは1作品の勝った負けたに終止してしまうために、どこかでは冒険もしなければならないです。また、円盤の売上という一面的な勝敗判断以外にも判断基準はあります。
それはたとえば、社内への技術蓄積(この作品を作ったので3Dエフェクトの技術が社内に蓄積された)とか、スタッフの成長の舞台としての作品とかいう視点です。ファンの人が思っているよりもアニメスタジオはずっとそういうお金以外のことを気にして運営されてます(お金を信用してないとも言える)。
まあ、冷めた話をすれば、巨大な予算と巨大な人数をかけた企画において、夢物語なホームラン狙いが抑制されるのは当たり前の話です。バブル期のゲーム業界とか、アメリカンドリーム次代のハリウッドが異常だっただけで、億超えの規模動かしてれば慎重な方が当然です。
ライトノベルとアニメの相性が良いのはそこで、ライトノベルは個人制作でそれはつまりかかった予算が非常に小さいジャンルです。予算が非常に小さいということそのものが直接関係するわけではなくて、そういう個人制作小規模ジャンルであれば、(ある意味非常に無謀な)挑戦ができるということだからです。
他にも色々触れるべき点は有るかもしれないけれど、暇なので書いてみた「アニメの制作フローにQCのヒントが有るのでは?」に対してのお返事でした。思いつくままに適当に書いたので誤字脱字とか、文章の乱れとかあったらごめんなさい。
ステータスの高いほうが恋愛の手綱を握れて相手をコントロールできる
この場合のステータスというのは一般的な「ステイタス」を指すものではなく
好きになったほうが負けっていう、あの状態のこと。
本当にその通りだなと感じる
私はいつも片想いが多くて、自分に興味のなさそうな相手ばかり好きになってしまう
自分に興味を持って接触してきてくれる人の事はほとんど好きになれない
どうしてなんだろう、これなんとかしないと一生孤独な空回りじゃないか
そんなのは嫌だとおもっていろいろ考えてみたところわかった
私がいつも好きになってふりまわされているのは
自分のことを楽しませてくれる能力が自分よりもはるかに高い相手なのだ
自分はとてもらくちんなのだ、相手はきっと私といてもそんなに楽しくないので
私には興味を持つことはない
でも私は楽しかったので、もっとその楽しい時をくれ、くれ!となる。
一方自分に興味を持ってくる相手はこっちが適当にあしらっていても
そういう人を楽しませるのはカンタンだけど自分はいっこうに楽しくない。
わかったところでどうしようもないけど
相手よりもっと楽しませる事なんてできないし、どうしたらいいのかすらわからない
私が若くて美しい女性なら、ただ横にすわってにこにこしているだけで
じゃあ、ってことで自分の御しやすい同じレベルの相手と付き合って見ても
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/092300445/
ここのブコメを見るに、
おのれ!電通!
より、
さすが!電通!(広告代理店ってだけあって、口先がうまいな!炎上しないや!)
って雰囲気がある
それなのに、
と、矛先がマスコミに向かう
マスコミが利益重視で、特定の報道を避けるようになったのはこの、電通のせいで、ポジション的にはマスコミより電通の方が有利な立場にあって、マスコミは下手に報道すれば利益が減る
たしかに、それは報道の自由とはかけ離れた姿だけど、マスコミの方が電通に手綱を握られている状況
でも、ネット諸君がやっているのは、資本家を批判するのではなく、資本家の不正によるヘイトを下部の労働者にぶつけてるようなもん
自分の手で検証できていないからリリースできないと正直に答えた。
何故そうなるのかが理解できないようだった。
お前が自分のチームを使って完成させたと思っているそのプログラムは、俺が全部再検証して問題点を全部潰してからリリースしているんだよ。
フィードバックしないのは至って簡単で、こいつにもこいつの部下達にも教えるだけ無駄だから。
「本当に」ちゃんと検証したのならすぐに気がつく部分ばかり間違えているから。
常識のレベルで配慮しなければならないものにも手を回さないから。
有り体に言えば「信用できない」から。
どんなに出来ましたと言われても信用できない。
自分が自分の手できちんと動くことを確認し、出来に納得したものでなければ信用できない。
俺の目にはそれは作るだけ作ってノーテストで放置しているのと違いがわからない。
明らかに途中で問題が起きたはずなのに出来たと言って回してくるようなバカにどうして仕事を預けられるのか逆に問いたい。
躁うつ病は、一度発病してしまうと“体質”に近いところがあるので、高血圧やコレステロールの薬と同じ感覚で薬を飲み続ける必要があります。躁うつ病を再発させずに生活している人は服薬を怠りません。
配偶者でも上司でも両親でも構いませんが、ライフスタイル全般に手綱を握ってくれる人がいると心強いです。一人では躁鬱の気分に流されてしまう人でも、キーパーソンになる人が制御してくれるなら、症状も社会的問題も軽減できます。
躁状態になってしまうと他人のアドバイスをあまり聞かなくなるものですが、それを差し引いても有利です。反対に、唯我独尊の人は医師の勧めにも周囲のアドバイスにも耳を貸さないので、何度も何度も再発を繰り返して身を持ち崩すことが多いように見受けられます。
逆に言うと、社会的に孤立してしまった躁うつ病の患者さんの再発防止は難しい、ということです。
ほかの精神疾患にも言えることですが、不規則な生活リズムや寝不足はリスクファクターです。再発を防止している患者さんの多くは、生活リズムが狂ってしまわないよう注意深く暮らしています。
仕事を失うと経済的に困るだけでなく生活リズムも乱れやすくなってしまうので、仕事、とくに規則的な生活を約束してくれる仕事はあったほうが有利です。好きな時に働ける職業の場合も、ワークスタイルを規則正しくできれば対処できます。
……といった特徴をおおむね揃えているように思います。
これらの条件は発症して間もない頃は成立しやすいものですが、長いこと病気を放置し、人間関係や社会的生命を脅かされるにつれて難しくなっていきます。だからこそ躁うつ病は早期発見・早期治療が望ましい病気なのです
http://www.tm2501.com/entry/Dokusin_man-no-Bad_life
シロクマさんは、青二才はもう手遅れだと言いたいんですねわかります
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20160510/1462865729
わかった、お前の理解力に合わせよう。
まず原作のコンテンツ的価値が原作者の発言力や選択肢を変えることを説明しよう。
強者パターン:面白い 売れる 他社に流れて欲しくないくらいの作品
こうやってメディア化に対しても手綱引いて原作者の思惑通りにするのには
実際にそうやって主導権握ってるやつもいれば逆に放任して任せてる場合もある。
原作通りに再現してほしいなら発言に力が出るだけのコンテンツ的な価値を生み出す能力が必須。
それがクリアできてない時点で何を言っても負け犬の遠吠えにしか過ぎない。
弱者パターン:くまみこ(期待値低い 萌え豚アニメ 波及効果低め 原作の売上並み程度)
そこでできる選択肢は手伝うという体で監修してチェックして駄目だしをする以外にはない。
あと露骨に監修しないにしても監督と仲良くなって作品の理解を上げるとか愛してもらうようにするとか
金のかからないテクニックを使って作品完成度に影響させることもやろうと思えばできる。
それ含めて様々な努力をくまみこはしなかったのに自分の負けポジも自覚せずにファン目線での発言。
例え利益率が低くてもそれをできる人間が原作者の自分しかいないならやるべきことであったのにあの発言。
やらないならやらなかったときの結果(くまみこ騒動)を受け止める以外に選択肢は無い。
「手弁当になるからやらない」という選択をしたから今の結果があり、
それに疑問を持っているようでは自分の負け犬ポジションを理解していないことにも繋がり低IQの証左。
負け犬は負け犬なりに方々走り回りケアして小銭になるように苦労しなきゃならんのよ。
深夜アニメは低俗で、猥雑で、品性下劣だ。普通の人間は深夜アニメに興味など持たない。
低俗で、猥雑で、品性下劣な存在に幻惑され外道に身をやつした人間もいる。これを書いている人がそうだ。
低俗さ、猥雑さ、品性下劣さがそれぞれ太い手綱となり、筆者を縛り続けている。それらの桎梏から脱することはもはやできない。
結局深夜アニメを見るということは、本質的には違法薬物の乱用と何ら変わらない。
岡田尊司が「アニメ・マンガ・ゲームなどは麻薬である」と自著『脳内汚染』で断じたが、氏の指摘は正鵠を得ていたのだ。
小中高校生時代、親や教師から「世の中には知らない方が幸せなことがある」と言われていた。
しかし小中高校生時代は無知蒙昧なのは世の常。無知蒙昧な筆者は、知識量の多寡と幸福度は比例すると無邪気に思いこんでいた。
確かに知識量が多ければ、学歴獲得競争で優位に立つことができる。知識が窮地を救うことも多い。
したがって「知識が多ければ不幸になる」というモデルは粗雑なものとしか言いようがない。
ただ、「知らない方が幸せなこと」も世の中には確かにある。
そのことにようやく気がついた。
外道に身をやつしたのは3年前の夏だ。
今までの記憶を抹消したうえで2012年の暮れに戻り、あの深夜アニメや原作の萌え漫画が存在しない世界で人生をやり直したい。
千葉県は消えなくてもいい。
未だにAIは信用ならん!みたいな態度の頑固一徹オヤジ(今でいうアスペ)まだいたのか
今まで人間が人間として他の動植物と違い圧倒的な線引きを可能にしてたのが自由な発想力を持つ知性だった
その線引きが人類誕生以来初めて崩すのが近い未来に完成されるであろう強い人工知能
これが完成するとどうなるかというともはや学問、労働、芸術、科学、政治、経済において人間が単なる邪魔な存在でしかなくなる
まずAIが考え出した効率的なアルゴリズムを人間が頭悪すぎて理解できない
制御できないというのは誤った言い方で、要するにAIから見て人間が馬鹿すぎて理解できなくなる
AIが出す答えはいかに人間が楽できるかという目的に沿う結果を導き出すのが完成形だからだ
むしろ人間が適応できないルールを作り出すとしたら単なる欠陥品であり完成されたAIではない
最終的には人間は飯を食ってケツの穴から大便をひりだすくらいの生産性しかなくなる
今後60年以内にシンギュラリティが起こる可能性は高いほうだと思うが
力で言えばモーターに負け、
お前が勝ってるのってズッコンバッコンできることぐらいだろ?
それが知能になることは絶対に有り得ないと信じてるお前は
折角お金があって先行投資もしやすくて国民にも活力が有り日本の技術力・人材力を今後何十年も安泰に出来る機会があったのに遊び呆けるのに使っちゃうなんてホントバカ。
あの頃ただひたすらに成金じみた消費と24時間働くことばかりを宣伝し続けたメディアも酷いもんだがそれに簡単に踊らされたバブル世代の無能っぷりと来たら……。
彼らは自分たちがこの国に与えたダメージを理解しているのだろうか。
人生には失敗してはならないチャンスが訪れる。
そこで手綱さばきを謝ればレールどころか崖から転落してしまうような時期がある。
近代日本という国の人生においてバブル時代はまさにその失敗が許されないチャンスだったのだ。
それを目先の欲にばかり目をくらませ続けて舵取りを大いに誤った者達、彼らは責任を取らなければならない。
それを彼らは理解できているのだろうか。
性欲をすっかりなくせとは思わないしそんなのできるとも思わないけど、他者に対する欲求だから加害行為や不快感情に繋がりやすいので、慎重に制御して手綱を握っておくべきだと思う。
で、私や友達とのやりとりからすると、性欲って大体「おいしいものを食べたい」みたいな感じだ。
食べたくはなるけれど、お金のない時期、つまり相応しくない時や場面なんかは我慢することができる。自慰の頻度もちょっとおいしいものを食べに行く時と同じくらい。
それに基づいて、現状は性欲を露わにする人や物が多すぎるから、相手の合意と周囲への配慮が十分取れるとき以外は伏せておきましょう、みたいなことを言うんだけど、その手の主張をすると特に男性から反論が来る。
我慢できないものだ、と。
私は、性別なんてざっくりしたものでは精神面で大きな差はなくて、男性もごく一部を除いて性欲を理性で抑えておけると信じたい。(もちろん常に抑えるのではなく、許される時以外は抑えておくってこと)
だから「我慢できない」ってのは、我慢したくないから言ってる嘘だと思ってるのだけれど、最近ちょっとずつ不安になってきた。
男性の平均的な性欲って、本当に理性で制御できないくらい強いの?
もしそうだとしたら、理性のきかない衝動を抱えてる人たちが世界に半分もいて、自分がその人たちと性的関係を持つことが多い性別だなんて、正直、かなり現実に絶望を感じる。
……って私の中の性問題に敏感な私がうるさい。
自分の道筋が見えていれば、イラつく発言は無視して良い、自分の方向が正しいと確信に近い気持ちがあれば
心は乱れないはず。結局はここなんだな。
だから上司の陳腐な煽りにイラつくのは、どこかしら確信が持てないところがあるのだろう。自分の道筋に。
しかし見えていないなら見えていないなりに怒らないで済む心の持ち方あるはず。
しかも既知の問題を指摘され、そこをほじくり返すような煽りだったのだからなおさらスルーできたはず。なぜだろう。
自分が相手の話を真剣に聞いてるから(真剣に聞きすぎていたから)、と納得していたがそうではないのかもしれない。
相手に
仕事の進め方などがまだ身についてなくて、その情報源が上司だからというのがあるか?
うーん、ここから先に進まないな。ここで筆を置こう。おやすみなさい。
今後取るべき動作としては
タクティクスオウガでも思ったんだけどSRPGは序盤が面白い。
というか、序盤と終盤で面白さの質が違うというか。
序盤はスタッフの手のうちで踊らされる感じで、スタッフの用意したユニットでスタッフの意図通りに動くわけよ。
作り手側が「これくらいかな? どう?」と出した敵を育てに育てたキャラで無双して倒す。
あるいは、育て方が足りずにボコられる。
その場合は経験値どこかで稼いだりとか、ユーザーが能動的にバランスを動かすことが可能になる。
作り手側がコントロールした「難関」を、作り手側の想定通りに突破する、
本だって映画だって、作り手の想定通りに客を動かす仕組みになっている。
それなのにゲームだけは、自由度とかいう概念が幅をきかせている。
効かせ過ぎているのではないかと、そんなことを思った。
自分もそう思う。
だからこそ、これ以上痴漢冤罪に関する女性の権利を拡張させても、見掛け上の女性の権利が大きくなるばかりで、実際には女性にとってももちろん男性にとっても何の得にもならない。
例えば女性がAという点では弱者であるが、Bという点では強者であるとき、
往々にしてAという弱点を根拠にしてBの更なる強化が図られる。
結果としてAは放置され無視されることになるし、Bは更に女性を化け物じみた強者にする。
現在の女性の持つ痴漢冤罪に関する狂気じみた権力を減らすことが、ひいては女性の未だ残る弱者としての部分の保護に繋がると思う。
彗星のように現れ、劣勢を跳ね返し、破竹の勢いで連合軍を破り、大帝国を作った。
大阪都構想が人気絶頂のときだったら、ナポレオンが皇帝位につくために国民投票をしたこととすごく似たのだろう。
その政策が正しいかどうかは別として、民主的な手続きを取っている。
ところが、民衆は、結局自分の生活がよくなるのかどうかしか興味が無い。
そりゃそこに住む人間の心情としてはそうなんだろうけど、大阪は財政破綻寸前の赤字団体なわけで、より大きな飴をくれるほうに賛成しているようじゃ、先はない。
大阪都構想は否決される。
エルバ島に流されたナポレオンのように。維新は江田のものになる。
そしてナポレオンのように、舞い戻る。
たぶん、そのときこそは国政に。
でも、百日天下にはならない。次こそ徹底的に潰されるだろう。
そうそう、びびった。びびった。
結構、良い奴じゃんって思っていたのに、一緒に仕事をするうちに、同僚や見ず知らずの他人の陰口は、たくさん言うわ。
なんでも、さも、重要なことのように、ガンガン主張するからさ。
なんか、丸め込まされて、騙された気分になったわ。
こっちが怒ったりした後で、向こうの方は、"Misunderstanding!", "It's my fault."なんていうし。
泣いたり、落ち込んだりした顔が、可哀想だなって手綱を緩めた。日本に来たばっかりだし、こっちが言い過ぎたのかなって気になっちゃったよ。
翌日には、ニコニコして、平気な元気な顔している…。
感情表現が、豊かなだけか?メンヘラ入っている?って思ったけど。
そりゃそうだろ。