はてなキーワード: 実存とは
いやアイマスMR ((横浜DMM VR THEATERで開催されていた 「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVE」のこと)) 自体は1stの真回見てたんですよ。
チケット余ってるな~765AS大丈夫か(笑)と思ってたら初回見たP達の口コミが凄くて、なんかヤバい気配を感じて片道5時間運転して行って、
正味1時間見てすぐそのままトンボ返りしたけど高いチケ代に見合う価値は十分にあった、むしろもう一度真に会いたい…と思うぐらいにはMRに感情を揺さぶられていたので、
アイマスMRの凄さは十分に分かっているつもりだったんですね。
ただMRってあのクッソ狭いDMM THEATER((DMM THEATER 狭い狭い言ってるけどすごく良い箱でした))に純度高いPが密集しているからこそ成り立つ空間だとも思ってたんですよ。
星野源がアイマスを『皆で嘘を作っていくうちに嘘が嘘じゃなくなっていく感じがすごい好き』って表現してくれてたけどもまさにそれで、
アイマスは宗教と良く言われるが本当にその代名詞に見合うだけの揺さぶりと多幸感をくれるわけですよアイマス教は。
MR STAGEについて言えば、その場にいる全ての人間が765プロのアイドルは実在する/実在させたいと心から100%願ってその空間に向き合うからこそ、その場にアイドルを顕現させられるワケで。
こう書くと本当に神を降ろす宗教儀式めいて見えるが実際その通りなので仕方ない。知らない人間から見ればアイマスPは全員狂人なのだ。
だからSHOWROOMで美希の配信やるっていった時、コロナ禍でMR中止になって美希だけがMRの舞台に立てなかったのが悲しく本当に落胆してたので心底喜んだんだけど、
それと同じくらい不安だったのよね。DMM THEATERのようにクローズドな空間じゃないから万一失敗した時取り返しがつかないし、
なまじ全世界配信だからMRの時のように100%善意のPじゃないお客様(蔑称)も当然来るだろうし、MRの時みたいにあの狭い劇場の臨場感で脳がバグる地形バフも効かないだろうし、
しかもMRじゃない生配信って形態も初めてだし、MRの時でさえ試行錯誤してたのに本当に大丈夫だろうか…?と不安大で観ておりましたが、
いやーーー完全に杞憂でしたね。星井美希トレンド入りですよ。今2020年だぜ?これは過去?それとも未来??一体ここはどんな世界線??
生配信って体で進行してたけど、めっっっっちゃ美希がカメラ近いのな!!!あの距離感ヤバい。MRの時の同じ空間にいるっていう臨場感とはまた別物っていうか…。
画面越しなのに実在性を感じるのって何なんですかね…?大体画面越しっていうんだったらステラやミリシタの中にいて普通に動いてるんだけどさ…
いやそれが普通のキャラクターの在り方だってのは分かってるんだけど…。やっぱり違うんだよな。
ゲームの中で予め動きが決められている動き喋りをするあの子達を眺めるのと、今目の前でどう動くか何を話すかって身構えながら望むのと…。
こないだのMRとか今回のSR配信特有の、あの「生で」、今の同じ時間を「本当に」一緒に生きてるって感じ…。なんて言えば伝わるんだろう…。
アーカイブ配信するみたいだけどアーカイブでこの感じちゃんと伝わるのかな…?アーカイブ組の感想気になるな…。
アイマスに限らないけど、ディズニーでもジブリでもガンダムでもラブライブでも○○(あなたの好きなIPを入れて下さい)でもなんでもいいんだけど、
我々はこの世知辛い現実を生き抜くために、色んなフィクションのキャラクターに元気を貰ったりしてるじゃないですか。大仰な言い方をすれば『生きる力』みたいなものをさあ。
なんかそういうのを送り手側も分かってくれてるのが分かるような本気具合でそこが堪らなく嬉しいのよね。
普通だったらさ、当然我々もそれらのフィクションのキャラクターだって分かってるから、あくまで架空の話だと踏まえた上でキャラに対して愛したり思い入れたりするんだよね普通は。
でも今回のSHOWROOM配信を覗いてた人達って(自分も含めてだけど)765プロのアイドル達にガチで実在して欲しいって思っている人達ばっかりなんだろうなって思った。
これってかなり頭ヤバいんじゃなかろうか。例えばディズニーのミッキー、現実にいるって思う人いないじゃない?
…いや実際のディズニーファンはいるって信じてるんだろうか…?例えが悪かったかな…。
他の例えで言うなら大人になったのに未だにサンタクロース((グリーンランドの公式サンタクロースでは無いプレゼントを配る存在としてのサンタのこと))が実在すると思い込むのと同じくらいのヤバさ。
配信終了後の感想観たけどみんななんかの熱にアテられたみたいで感想がなんかフワフワしてるんだよな。星井美希は実在したみたいな、当たり前のことをさあ。
…当たり前じゃなくてフィクションだろって?いやでも美希居たしな…。さっきまでSHOWROOMで生配信してたし…。
ここまで書いて思ったけど、こんなにもリアルの実在性に拘泥するIPってなかなか無いよなーって。
冷静に考えればですよ、声優の人がキャラクターに声を吹き込むってのは分かってるわけでしょう。
例えば悟空の声だったら野沢雅子さん。美希の声だったら長谷川明子さんが声を当ててるってのは分かってるわけで。
大体、普段ラジオとかライブとかだとあくまで星井美希役の長谷川明子さんに感謝の手紙とかメールとか送ってるわけじゃん。
にも関わらず、今日は誰もアッキーのことに触れずに星井美希星井美希としか言ってない。なんかこういう時ばっかり都合の良いところに目を瞑る調子の良さあるよなwww
アイマスPのそういう頭キマってる所が私は好きですが、今回すごいと思ったのはそんなに熱心に見えないかつてのPとかアイマス離れた人もみんな一斉に星井美希星井美希って言ってんの何なんだろうな。
みんなで頭MADになってるとしか思えない。いやでもすごいことですよこれは。みんな自然と嘘を本当にしようとしてるんだもの。
なんかTwitter上でVTuberとの違い云々って流れてたけど、…VTuber詳しくないので断言できないけど、そもそも別の性質のものだし競合するものでは無いと思うんだよな。
VTuberの方々はもうそこに”実在”しているわけじゃん?VTuberとして。外側は可愛かったりイケメンだったり二次元のガワ被ってるけど、中身は個人としてあるわけでしょう。
モデルが粗かろうが流麗だろうが、そこに実在していることは変わらない訳で、実在証明する必要が無い。だっているんだもの。
アイマスのアイドルは架空なのよ。元々がゲームのキャラクターだから。あくまでフィクションなの。
だけどゲーム自体のすごく滑らかに動く3Dモデルとか、演者が身体張ってライブでキャラ降ろしたりとか、そもそもユーザーに勘違いさせるプロデューサーというロールプレイを強制したりとか、
本気で色々プロデューサーごっこしているうちに現実と虚構の区別が付かなくなってきた。
だからその実在性を証明するためにタートルトークだったりモーションキャプチャーだったり生アテレコだったりと、彼女たちを実在させるために出来ることは何でもする。
そのために色んな技術が注ぎ込まれてるけどあくまで架空のアイドルを実在させる目的のための手段であって。
どちらも同じ3Dモデルで声当てて動かすって同じ手段使ってるけど、それぞれの目的が違うよね。
VTuberはどんな活動をするかがコンテンツ。アイマスは実在することがコンテンツ。
だからアイマスの技術はVTuberには必須ではないし、VTuberのコンテンツ内でなんでもできる感はアイマスと相性が悪いだろうし。
似てるけど非なるものだし、バンナムが殴り込みみたいな書き方はちょっと違うんじゃないかなと思うんだけど…。
今回VTuberの方々が美希に言及しまくって言葉を無くしていたのは大変ありがたい…嬉しい…という思いでした。
中の人のことにも触れとくか。
なんか観てる最中はうわー美希が実際に動いてるって認識してるんだけど、ふとした瞬間にアッキーの気配を感じる時があってさ。
おにぎりの話してた時もみんな好きだよ~って当たり障りなく言ってたりして、美希だと結構ドキッとするような遠慮ない返ししそうな気がするんだけど、
アッキーの人柄の良さっていうか配慮ある控えめな感じが受け答えに出てたような気がしてさw
普段は演者が上がってるライブを観て、ステージ上にいるのは演者の人だって分かった上でその奥にキャラの気配を感じ取るわけじゃん。アイマスライブ知らない人には知らんと言われるだろうけどそうなのよ。
いつもとは主と従が逆になってるのがさ…。いつもはステージにいる実存の長谷川明子さんを通して星井美希を見てるのが、今回の配信だと画面の星井美希を見ててアッキーの気配を感じられるんですよ。
…ということは、やっぱり画面に映っていた星井美希は実在していた…?(頭が狂ってきた)
これはもう完全にアイマスオタクとしての感想だけどさ、最初はキャラ好きになって入って声優なんか知らんっていうスタンスでいるつもりでも、
段々とそのキャラに寄り添って大事に演じ続けてくれていることの感謝の念が演者の人達にも芽生えてくるのよ。
段々中の人への思い入れもキャラに追い付いてくるというかさ。もう中の人も大好きなワケですよ。
というか15年もキャラと一緒にいるって凄いことよな…。美希15歳なんだからキャラの実年齢と同じ時間が経ってるわけでしょ…恐ろしいな…。
これ今回配信があったのを受けて、他のアイマスアイドルも同じように見たい!っていう声がもう上がってて、そういう要望が出るのは分かるんだけど、
これって多分そんなに簡単にホイホイできる企画じゃないからな!!
いや普通の動画とか配信とかでも一般人が考えてる100倍くらいの労力が掛かってるのがあまり知られてないって言われてるけど、
多分これ普通の動画とか配信の労力のさらに100倍くらいのエネルギー注がれてるだろうなって…。
何というか、今回に限らずMRでもなんだけど、『頼む……!この幸せな時間が何事もなく無事に終わってくれ……!!』って思ってしまうのよね。
見ている側もハラハラしてしまって気が気じゃないんだよ。たった30分で作り手も受け手も消耗しまくる超ハイカロリー配信。何これ?
あの30分の配信のためにどれだけの技術的苦労と精神的負担が関係者に掛かってるかと思うと恐ろしいよね。
15年分の受け手の期待とかそういうの全部背負ってるわけじゃん。自分だけのものじゃないわけでさ。そういうものに正面から向き合って現実化するっていうのものすごいわけだよ…。
アイマス門外漢の人にも結構驚かれている感じがあるけど、そういう背景を何となく察知した上でこれ凄いなって評してる人が結構いるのが印象的だった。そうだよな…。
「Pじゃない自分がこれだけ凄いと思ってるんだから根っからのPの人達は死ぬんじゃないか」ってほんそれだから。実際ふわふわしてやることが手についてません。今日休みで良かったな。
ニコニコMAD見てた時の自分に『15年後に美希が配信するんだぞお前』って言っても『へーすごいね』って言われて終わりだろうなと思う。
そもそも当時10年もアイマス続くと思ってないしな。あの時はニコ生すら無かったし。
2007年頃に初めて無印(XBOX版の家庭用アイマス)のポリゴンモデルを見たとき本当にビックリしたし『この子達はマジで生きてる…』って思ったものだけど、
2020年に『美希が実在してる…』って同じようなこと考えされられるとは思わなかったわ。
いや同じようなこと言ってるんだけど13年前のそれとは意味合いが違うんだよ!?
つーか技術はめちゃくちゃ進歩してるっていうのに自分の語彙は全然進歩しねーな!!
なんか2月からのコロナ禍自粛と私生活のイベントが重なって色んなものに興味が持てなくなってたんだけど、
コロナ禍で中止になったイベントの代替的な配信でコロナ禍に立ち向かう元気を貰えた感じがして、もう本当美希ありがとうって感じ。
俺も実生活がんばるわ。
これを見てふと思ったことを書く
それはタイトルにも掲げたんだけど、いわゆる「女性向けジャンル」で「解説動画」と称した実質的なバッシング動画を見たことがないな、ということ(ちなみに誤解のないように書いておくと、私は男オタクです。女オタク(という言葉は蔑称っぽいニュアンスを感じるからあんまり使いたくないけど)を擁護する義理はないし、そういうモチベーションの元で書かれた文章ではない、ということに留意してほしい)
何のことかわからない、という人は
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34681332
けもフレ2が炎上した時とか、オルフェンズとか、Vtuberの叩き動画とか、あとは「クソ漫画」を叩くやつとか、「なろう小説」を叩くやつとか、まあバリエーションはいろいろあるけど、目に入るのはどれも基本的に「男性向け」コンテンツで、女性向けコンテンツ(刀剣乱舞とかあんスタとか...)でこういうタイプの動画を見たことがないんだよね。
こういう動画は、どれも「〇〇という作品が炎上しているよ。私なりにその理由を分析してみたよ。それは〜〜という構造的問題を抱えているからだよ」という作りになっていて、その過程で暴言や中傷が大量に挟まったり、他の漫画のミーム化しているコマを引っ張ってきて「面白さ」を演出したりする。
そして、「〜が問題」の部分では、大抵の場合判で押したように「作品の構造上キャラクターに愛着が持てる作りになっていない」みたいなことが言われる(しかもしばしばそんなに的を得ていない)。
更に言うと暴言も、大抵はふたばだか5chだかからのコピペとかで、そうでないものも一定のバリエーションの範囲内。
つまり、フォーマットが定まっていて、一度要領を掴んでみれば比較的量産が容易(だから、この手の動画を量産する「動画主」がニコ動とかyoutubeとかには存在する。「クソラノベレビュー」「クソ漫画レビュー」「打ち切り漫画レビュー」とかで検索してほしい)。
また、一応「構造的問題」を剔出する「解説」という形式をとっているから、作品の口触りの悪さは消費者側の問題ではなくて作り手が悪いということが「論理的に」導き出される。
要は頭を使わずにマウンティングと罵詈雑言を罪悪感なく、しかもお腹いっぱい摂取できる美味しい動画。ニコニコとかを見てると、動画主が作品を「論破」しているシーンで「ロジハラやめろ」というコメントがついたりする。この「ロジハラ」なる言葉は「ツイフェミ」叩きの文脈で出てきた、オタクの間で流通してるジャーゴンらしい(ロジカル・ハラスメントの略。初出をわざわざ漁る気はないが、頭のよくない「フェミ」が論破されて「発狂」しているイメージを伴って用いられている)。ここから、「蓮舫を麻生が論破wwwww」みたいな動画と同じノリで見られていることが分かる。
これは宇多丸がラジオで言ってたことだけど、「批判がそれ自体コンテンツとして受容されてしまい、元の作品をまともに見ない人たちが一定数いる。だから僕は酷評をあんまりしなくなった」。この手の動画はそういう人たちに受容されているんだと思う。
正直なところ、女オタク界隈が羨ましい。自分なりの「解釈」を実存をかけてぶつけ合っている人たちが羨ましい。男オタクの界隈にそういう熱量はない。
男オタクの界隈では、「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」という決まり文句で(対立の火種となる)解釈は潰される。「感情的になることは恥ずかしい」という劣化版ストア派みたいなメンタリティーで生きてる奴が大半。そうやって溜まりに溜まった鬱憤を晴らすのにも「理性的」建前がほしい(けど深く考えて自分の実存に関わるレベルにまで首を突っ込みたくない)から「解説動画」に没頭する。
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成熟時代になれば「実存的虚無感」を感じることは必然です。成長時代のように、消費や所有に幸せを感じられなくなっていますし、生きることに困っている人がいません。生きることに精一杯で、明日死ぬかもしれないのであれば、私達は悠長に生きている意味など考えていられないでしょう。成熟時代を生きる私達は、生死を脅かされる不安がないから悠長に実存的虚無感に悩むことができるのです。実存的虚無感とは、「ここに実体はあるが、中身を伴わない」ことを言います。例えば、平和を望んで戦っていた兵士が、いざ平和の世界を手に入れると、戦いしか知らなかったがために、実存的虚無感に襲われるなどが当てはまります。
ある極限の状態、生死の切迫した事態、そういうものに自分たちが囲まれたとしたら、虚飾や体面をすべてとりはらうことができ、そのときはじめて、ぼくたちのなかから「純粋なぼくたち」が現れ、なんの衒いも、けれんもない「純粋な意思の疎通」ができるはずだ――ぼくらがそんな妄想にとらわれることはなかっただろうか?
一再ならずそう妄想したことのあるぼくは、柴門のこの描写をみて、それが普遍的な観念だと知った。
ぼくらは、現実が現実とは思われないような希薄なリアリティのなかで、コミュニケーション不全の重圧に耐えて生きている。「有事」にかこつけて、純粋の自分を出して、純粋なコミュニケーションをするという「解放」を心の奥底から待ち望んでいるのだ。
だが、だがな。
やっぱりいっとくけど、現実で求められるのは散文的な努力なんだ。
恐怖の正体を理性の目でみきわめること、〈私〉と〈世界〉を論理=歴史によってつなげること、そうやってはじめて、おれたちは離人症的な朦朧さから解放されるんだ。リアリティももてるんだ。
これを宗教的分類へ当てはめれば、「内在系」タイプは“幸せになりたい!”的な「利益祈祷型」の宗教(宮台氏の言葉では「行為系宗教」)に惹かれ、「超越系」タイプは“ここはどこ?私は誰?”的な「意味追求型」(「体験系宗教」)に惹かれます。
戦後日本社会は高度成長で都市化が進行し、そのなかで「利益祈祷的」な(全体性の)「埋め合わせ」が求められましたが、ある程度豊かさが実現して郊外化が進むと「意味追求的」な(全体性の)「埋め合わせ」が求められるようになります。(全体性についての詳しい説明は省略します。)
家族や地域の豊かになると信じられるから、都市化や郊外化が肯定されるのですが、日本の場合良し悪しを判断する基準は西洋キリスト教的な「個人」ではなく、「生活世界」に所属している「我われ意識」です。したがって「ここではないどこか」(世界)を希求せず「ここ」(社会)を安定して志向できるには「生活世界」への共属意識が必要だと宮台氏は考えました。
「都立大助教授・宮台真司氏が言っている「サンス(意味)よりアンタンシテ(強度)を!」という言葉の意味、原典を紹介しているサイトか、宮台氏の著書を教えてください。」より
左翼思想でも右翼思想でもなく、かといってなにか確固たる信念があるわけでもなくて、ただただ極端な思想の人たちを冷笑し続けるだけの人。
なにかの議論を見ていて、どちらかから「冷笑的」という言葉が発せられたら末期だなと感じます。
相手が冷笑的であると言い出す人は別に相手が冷たく笑っているのを視たわけではなくて、
要するに自分の主張に賛同してくれない人を「冷笑的」と言っています。
「あなたの主張にはこれこれこのような問題があるのでは?」という反論や質問を受け取ったのに、
きちんとした再反論や説明が出来ず、代わりに「冷笑的な態度だ!」と言って怒りだしたり。
別に偉そうにするわけじゃないから一見実害がなさそうなんだけど、議論に首を突っ込んできてその都度矛盾点を指摘しては進行を遅らせるだけ遅れさせておいて、かといって自分の意見を求めても何かを言うわけでもない。
矛盾点を指摘されて、何故不機嫌になるのでしょうか、
つまり論理が壊れてるとか前提が嘘ソースであるとかの議論はそのまま進めても有害無益なので、
矛盾点を指摘してもらったなら喜ぶべきです。
改めてその議論をブラッシュアップするなり放棄するなりできるでしょう。
そこでただ不貞腐れた顔になるというのは恐るべき低知能仕草です。
ネットで延々政治議論してるような連中のうち誰が責任を追うような仕事をしてるというのでしょうか。
まず、彼等の御政道談義なんぞ誰にも顧みられないので政治に影響を与えません。
主張はすれども説明から逃げ、議論を避ける人間が多いのは反論を受けて立つのが怖いからです。
自説の矛盾を指摘されることにすら憤慨するあなたもその手合いではないですか?
でも人の間違いは生き生きとあげつらうというところ。
・相手が生き生きしているというのはあなたの主観の可能性が高い。
・じゃあ人の間違いを指摘するときは死んだような顔でやればオッケーなの?それはマナー的な話?
そんなこと気にしてる暇があるなら自分の主張の矛盾チェックでもしてなよ。
恐らくある程度頭の良い人なのだと思うけど、結局なんの役にも立ってないんだよね。
ネトウヨはその人をパヨクだと思いこんでいて、パヨクはその人をネトウヨだと思いこんでるみたいなんだけど、そうじゃない第三勢力ですよっていうことを教えてあげたいので名前をつけてあげてほしい。
どうせあの頭あったかい人達は自分らに反対する奴・賛成しない奴は全部敵でまとめて変なレッテルで認識するわけでしょ。
その内訳がどの勢力かなんてどうでもいいじゃないですか。
って書いてるうちにまさにそういうブコメがもう有るんだけど
「自称中立」かなあ。ただこういう人、言動を追ってくと基本的人権の概念が現代先進国レベルから大きく乖離してることが多く、それを考えるとネトウヨと弁別する必要性はあまり感じない。
2019/11/15
ほらね?
こういう人にはなるべく単純な構造が嬉しいし、
「自分の主張に賛成しない奴はみんなネトウヨ(パヨク)」なら自分を反省しなくてすみます。
賛同されなかった→あいつはネトウヨ(パヨク)だから気にすることなし。
批判された→あいつはネトウヨ(パヨク)だから気にすることなし。
ね?ネトウヨやパヨクって何の責任感も思考力も無くても出来るでしょ。
思想に依存する人は頭が悪いですが(元はよい頭脳でもダメになるため)、
そういうものに依存する理由は頭の悪さより性格のだらしなさにあります。
でも自分では何もしないから現状が改善していかなくて、それを周りにいるバカのせいにして気がつくとフラストレーションの塊になってるから。
客観的に周りを観察してください(その冷静さがあるうちに)。
言うことが凶暴でいつもフラストレーションの塊なのは政治思想に深入りしている人です。
対照的に例えば趣味や仕事に打ち込んで集中している人は幸福ですが
そういう幸福なクリエイター業の人でもネトウヨやパヨクになったとたん
攻撃的なtweetが増え、いつも政治のことで怒っている不幸そうな人に変貌してしまいます。
あの人達は起きている間ずっとネトウヨやパヨクや気に入らない国や政治家のことを考えており、憎んで憎んでイライラする。
自分に同調してくれないだけの第三者のことすら「冷笑派」と言って恨みだすほどです。
役に立つ人というのは自分の生活をきちんと送っている人のことです。
日々自分なりの勤めを果たし、その時々の仕事に集中し、自分や周りを疎かにせず生きる人のことです。
政治思想で頭をおかしくしてネットで憎悪合戦をしている人のことではありません
必然的に「悪い奴をやっつけろ!」という単純なアウトプットになってしまった哀れな馬鹿の群れです。
馬鹿の癖に等身大の馬鹿として生きる人生を受け入れられなかった。
身の丈超えた偉大なものになりたくて政治思想ごっこした結果の常にイライラする役立たず人生です。
異性・同性を見て「ヤりたい」と思うのがわからない。
俺はヘテロセクシャルで、ずっと共学に通っていて、懇意にしていた異性もいたが、ヤりたいとは思わなかった。
胸の大きさとか顔かたちとかも正直わからなくて「胸が大きい子」の存在は認識してもその胸の大きさには気付かない事が多い。(誰かに言われて初めて気づく)
しかし後になって聞いてみると男子学生というものは大体みんな性欲にまみれており、クラスメートなど実存する異性の身体にそういう視線を向けヤりたいと思っているのだという。
相手は実存する他者であって己ではないのだからそういう感情を向けることは無礼ではないのだろうか。
妄想の中で他者の服の下を想像したり汚したりする行為に嫌悪感を覚えたりそれを恥じたりしないのだろうか。
自分の性の対象であるというだけで、そうでない人には向けない「特別な思考」を働かせるのは理性的でない差別的で動物的な事ではないのだろうか。
他者は所有したり占有したりするものではないのにそれを意のままにしようとするのは物欲とか征服欲みたいなもので、理性的であることを標榜する「善良な人間」の行為とは思えない。
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プラグマティズムは一言で言えば行動を伴わない思想に意味はないというリアリズムの一種だけれど、フェミニストになって現実的に得をすることがない。
事務的なコミュニケーションを取る時にフェミニズム的にふるまい、男女差別をしないで対応することにより良い印象なるものを与えることができるかもしれないがフェミニズムなど意識しなくても単にロールプレイとして仕事すればフェミニズムのような思想を持つ必要はそもそもない。
フェミニズムを信奉する女性にとってはフェミ的な対応をとる男性は有用な印象を与えるかもしれないがそれで終わりである。それ以上の関係になることはない。
現実問題として男性が女性を口説いて恋愛が始まるモデルが支配的な以上、完全にフェミニズム的なふるまいを取る男性は無意味な人間になるしかない。無害な印象を与えてそれで終わりである。フェミニストは個人主義を叫んで男性は女性に侵入してくるなと言っているがそういうふるまいを取る男性の終着点を想像していない。あの人は良い人だった、それで終わりである。
フェミニズムが理想とする無害な男性は極端に恋愛の機会から遠ざかる。女性から口説かれる男性はほとんどいない。それが現実である以上、フェミニズムを男性が生き方として採用する社会構造がない。男性にとってフェミニズムは理想論として語ることはあっても永遠に現実論にはならない。男性が能動的、女性が受動的な世界において男性が無害な存在として振る舞うことは関係性の終わりを意味する。女性が男性的に男性を欲望し、男性が受動的になれれば僕もフェミニストになっていい。しかしそんな世界は永遠に訪れない。実存を伴わない思想に意味はない。男性がフェミニストになる意味がない。
フェミニズムは正しい。それは論理であり理想であっても決して現実にはならない。だから僕はフェミニストを支持し、同時に採用しない。現実的に考えて利益がないからだ。僕は女性に口説かれる男性ではないし、女性と関係を持ちたい普通の欲望を持ちたい男性だから僕は女性の意図を無視して口説くこともあるだろう。その結果、ハラスメントと言われるかもしれない。その結果後悔するかもしれない。
めんどくさいけど「オタク」の定義の話からしなきゃならんのかな。
結局のところ「オタク」の定義なんてものは「そう自認しているかどうか」でしかないのだろうけど、それはいくつものマイノリティを内包するアンブレラタームとしても機能している。「オタク」を属性として一括りにする時点で間違っているのだが、一方で「差別に対して一丸となる」こともできる。
現実の犯罪・セクハラは現実の犯罪・セクハラを犯す奴が悪いんだよ。一方で事実としては、様々な社会的要因がそれらを誘引することもあるだろう。
ではなぜ、「シスヘテロ男女が往来で自由恋愛を楽しむ」ことは、「セクハラを誘引する」などとジャッジされないのか?誰もが二次元にしか興味がなくなれば、実存の人間に性的興味を失えば、セクハラなんて問題はなくなるのに。
それは偏に「彼らがセクシャル・マジョリティだから」でしかないだろう。彼らは「それを禁止されたら困る」し、「それを侮辱されれば嫌な気分になる」からだ。「二次元を性的対象とする」セクシャリティは、どこまでいってもマイノリティなんだよ。「実存人物を性的対象とする」セクシャリティの、「付属品」または「おまけ」くらいにしか見ていない人が多い。ぶっちゃけ「オタク」の内部ですらね。
だからみんなそれを最初に「切ろう」とする。トカゲの尻尾みたいにね。だって「みんな」は困らないから。しかしその「みんな」にある種の人間は含まれない。マイノリティだからね。「いい歳して漫画ごときにムキになるな」と説教をすれば済む。「それよりもっと大事なものがあるだろう?」と。
今オタクが怒ってるのはそういうところだと思うよ。それこそ「正義」を行使してるんだよ。権力側の義務としてね。例えばLGBTのうちLが侮辱されれば、残りのGBTだって黙ってはいないだろう。LGBTを全て合わせたらそれなりの数になるかもしれないが、本質的に「マイノリティ」であることは変わりない。「オタク」という言葉が指すのはそういうもの。