はてなキーワード: ミュージシャンとは
http://anond.hatelabo.jp/20130122131752
かつて
http://anond.hatelabo.jp/20120910223759
>僕「やっぱりダメだよね。でも、僕は組み込みエンジニアで終わりたくない。
>ゲーム業界に興味あるしWebにも興味があるんだ。チャレンジしたいんだよ」
自分などは、土日を人脈形成に使うことさえ、妻的に許されない状態。
ここで質問だが、新潟の増田は、エンジニアのスキルは、どんな感じなの?
自分の腕で、600万円700万円稼げるスキルがあるなら、夢にチャレンジ
してもいいんじゃない?と思う。
ところで、日経夕刊最終頁の連載小説の女性主人公が面白いセリフ言ってたなあ。
ナナメ読みだが、確か売れないミュージシャンと一緒になった女性が、
妊娠発覚した途端、「赤ん坊のために音楽を捨てて生活費を稼ごう」
なので、日経小説的に言えば、「生活を取るか、人生を取るか」だよ。
陰ながら応援するよ。
日本国内で数年遠方に滞在して、そこからさらに数年海外で過ごした。
この1月から実家近辺の勤務になり、ようやく帰ってこれたとほっとしたのもつかの間。
「あんたが留守の間に引っ越しが決まってね。部屋のいらないもの捨てといたから」
ここ5年くらいは上に書いたように部屋を空けていたから、実質20年。
その間にため込んだあれこれは、ほぼ何も残ってなかった。
幼稚園の時に気に入っていた本も、小学校の時の教科書で1冊だけ大切に取っていたものも。
中学校の時に書いた自作の小説…友達に読ませたりして固定ファンもいた作品たち…も。
高校からつい最近まで、ちょっとづつ集めていたとあるミュージシャンのCD50枚も。
荷づくりの関係で、部屋には空き箱や空の袋が大量にあったし、
大きな家具はまだそのままだった
だから、事態の全容に気づくのが遅れた。
最初は、気づいた順に、あれがない、これはどうした、といって母親に尋ねた。
その都度、ごめんねと謝られて、問い詰めると引っ越しのために仕方なかったんだと逆切れされて。
釈然としない思いのままとりあえず怒りを収めていた。
でも、とうとう、気づいてしまった。
ネットで見た、鉄道模型を捨てたら精神的に壊れてしまった旦那の話を思い出した。
同じだ。
日本に帰ってきたばかりで逆カルチャーショック真っ最中なのに、さらにこの仕打ちは堪える。
1月11日追記:
トラバくれた人ありがとう。大体予想していた内容(酷いorむしろ感謝すべき)だけど、それでも誰かの反応を貰えるだけで有難かったし、落ち着けた。
物の量では、要らない物>>>>大切な物だし、引越の際には結局捨てないといけなかっただろうから、自分の代わりに捨ててくれたと言うのは正しい。
ブクマでは事前連絡が無かった事が問題って書かれてたけど、海外ですぐ帰省できる距離じゃなかったし、言われてもどうしようもなかったと思う。
実は、上の日記を書いた後、母親にどうしてありとあらゆるものを捨てたのか、尋ねてみたんだ。
やり取りの詳細は書かないけれど、最終的な母親の言い分は
「本当はこの思い出の場所から離れたくない。でも、事情があって引っ越さないといけない。
自分だって引越のためにたくさん思い出の物を捨てた、自分だって辛いんだ」
だった。
まとめてしまうと味気ないし、理由になっていないのも一目瞭然だけども、
目の前で時折涙を見せながら切々と語られて、とにかくその気持ちだけは理解できた。
「ただ、いくら自分が辛い思いをして捨てたからって、独立した子供の所持品を巻き込まないで欲しい。
なにより、捨てるときに自分で取捨選択できるのと、ある時突然無差別に無くなるのとは全然違う。」
気持ちは分かるけどもと前置きしつつ、この二点だけははっきり説明して、納得させた。
ついでに、逆カルチャーショックについても説明したけど、こっちは信じてもらえなかった。
その後もまた別の部屋の荷造りなどをしたのだけども、そこでのやり取りから、
この人は、子供が自分とは異なる価値観を持って、違った人生を歩むということが頭では分かっても、
感覚として受け入れられないのかもなあ、と思った。
どうでもいい話だが、以前ライドシェアの「乗ってこ」というサービスを何回か利用したことがある。
※ライドシェア=ネット上でドライブ相乗り相手を探すサービス。一定程度の謝礼を支払うのが一般的。
で、何回目のライドシェアか失念したが、同乗相手が「元ヤクザ?」というケースがあった。
「一応、普通の正社員です」と自己紹介するのが、なんか気恥ずかしいという雰囲気になったこともある。
「大学卒業以来、1箇所に勤め続けているなんて、スゴイですね」と
勤務先会社名に話が発展し、某上場企業です、と正直に話したが、
そこで相手が「少し引いてしまた」感じがする。
ライドシェアって、どちらかといえば、正社員、正業者が利用するものじゃなく、
フリーターとかミュージシャンとか芸人崩れとか、あるいはヤンキー・ヤクザとかが
多用するものなのかなあ。
誤解しないで欲しいのは、自分は
「だからライドシェアを使いたくない、オススメできない」というんじゃなく、
「ライドシェアに乗れば、自分とは違った世界の人種と交流できますよ」というメリットの方を強調したい。
特に正社員・正業者の人で、「でも少し刺激が欲しい、アドベンチャーを体感したい」という人にオススメ。
あと、車中会話が出身高校/大学とかの話に発展しなくてよかった。
ニュー速でも、真犯人の擁護をするようなのがたまにいて、マジで知能レベル疑ったわ。
この事件のために捜査員が余分に100人投入されるってことは、
他の事件の捜査がそのぶん、遅くなるってことだ。
捜査員が100人いれば、在日韓国人の李 容疑者みたいなチンピラを3人は捕まえられるだろうな。
チンピラを3人つかまえれば、それだけ怪我人や死人が減るだろうな。
真犯人がやっているのは、救急車のいたずら電話10000回に相当する重罪。
そのせいで、救急車が遅れて、
身内にけが人や死人が出たら遺族としては「真犯人を死刑にしてほしい」ってくらいの気持ちになるよね。
何がいいたいかっていうと、真犯人はさっさと自首して素直に実刑くらっとけってことです。
これ以上隠れる事に意味がないだろう?
いまのうちに自首した方が格好もつくし、減刑もしてもらえてお得、合理的だろう。
少なくとも、このまま、怯えながら暮らし続けて 2-3ヶ月後に ブザマに逮捕されて負け組としてテレビに報道されるよりは合理的だろ?
落ち目になる前に負け組になる前に、引退(事故で死んだり)した方が名前が残る。
@@@@
模範的ニュー速民より
ずいぶん昔に流行った「13歳のハローワーク」に書いてある内容で気になったから書いてみる
ハローワークによると日本で指揮者だけを職業にして生活できる人は10人にも満たないそうです。
一般的な収入をいくらと定義するかわからないけど、そこそこ儲かるのでここに書き留めたい。
年収は結構幅があるのだけど大体ここ数年だと650~900万円くらい。貯蓄は1800万円を越えたぐらい。
月額の収入は手取り換算してると35万円~80万円くらいになる。
収入に幅が出てしまうのは、自営業の不安定さだと思う。自分が病気になったり倒れたりしたらそれで
おしましだし。
主な仕事だと
録音、音楽教室、国が絡む事業、舞台関係、ピアノ、アマチュア公演、アマチュア指導、プロ公演の仕事で
成り立ってます。
録音について
劇伴といわれる仕事だったり。まずは歌手とか芸能関係の人のCDのバックミュージックの録音。丸1日くら
いスタジオで録音に携わります。指揮者というより前に立ってアンサンブルをまとめる仕事。必要かと言わ
れれば必要だけど、斜陽産業だと思う。某テーマパークの録音とか、需要自体はまだまだ10年くらいあると
思う。
ギャラは今のところ悪くないけど 月々10万円くらいは何かしら録音がらみの仕事がある。
あとスタジオに呼ばれるミュージシャンは結構固定されてくる。1つの楽器ができる人よりも1人で3つ~4つ
できる人だと、かなりの率で遭遇する。
よく小学校とかにプロの人たちが1時間くらい体育館とかで演奏するやつ。
地方のプロは定期公演だけでなくてこういう地方巡業みたいなのします。これは比較的ギャラ安いので自分
のような定期公演を振れない指揮者に回ってきます。ギャラは限りなく安いけど、うまく気に入られれば大
きめな公演に使ってもらえる。ちなみに若手の仕事なので少し昔より減ってきたかなという感じ
これも月10~15万円くらいの収入で大体移動とか含めて3日とか使うケースがある。いろいろな地方にいける
ので音楽家になってよかったと実感できる・・時もある
国が絡む事業
国から支援金が出て海外に行く仕事。発展途上国とか日本よりクラシック音楽が盛んじゃない地域に教えに
いったり。月々には換算できないけど50万円くらいが1年のどこかのタイミングで入る
舞台関連
短期の仕事、舞台のオーケストラピットに入って歌手に合わせて指揮をしたりミュージカルの指揮とか
名の知れたタレントが主演している舞台は期間も長くて比較的収入が良い。1日の公演数にもよる。
昼夜公演のほうがギャラは高くて、大体2万円~5万円くらい。スポンサーも年々音楽に関わる予算が厳しい
ので1公演1万円というギャラもある。人気タレントの地方巡業はギャラが厚め。
アマチュア公演
クラシック愛好家は細く長く続いているので、若手の指揮者や自分のような中堅の主な長期仕事になる
常任指揮者が1つあれば少なくとも指導料で年間100万円くらいは確保できるのが良い。ただしアマチュアは
平日の夜か土日しか練習できないので、仕事のバランスを取らないと年中仕事することになる。
本番を1つ15万円くらいでやっているので定期公演が3回あれば1つの団体で45~50万円くらい。
素人さんのオーケストラ指導に行く。本番は振らなくても練習を組み立てる指導でのギャラ。これは短発
だけど気に入られれば年間で10~20回は1団体あたり呼ばれる。これも平日夜から土日。1回のギャラは安
プロ公演
これが定期的に入れば一番良いと思う。価格はオケの規模によって違うけど数回のリハーサル含めて結構
費用対効果が高い。50万円~85万円くらいと幅がある。プロのいいところはリハーサル回数が少ないこと。
だけどプレッシャーが痛いね。個性的な社会の縮図。あとチケットノルマも課されるのでこれも重圧
オケから自分への効果は「集客」だからね。指揮者だけで100人から200人の集客できるとそれなりに重宝
はされる(動員数よりもチケット販売数のほう)
これはど単発。録音で人が足らないとき。ピアニストに頼むにもギャラが出せないくらいの時に借りださ
れる。大体半日~1日の拘束で8000円~10000円くらい。人脈つくりと割り切るとやっていける
以上です。
アマチュアの公演を年に3団体くらいと音楽教室、プロの客演の仕事が年に1回から2回と録音があれば十分に
音大でて無職とかいってる人がいるので逆に気になったのでここに書いてみた。年間1000人くらい音大卒が
40代で今まで結婚したことがない同僚がいます。男の人で若はげです。毛深いです。職場でお弁当を頼むとき、必ず一人でも一番安いお弁当屋さんに頼みます。それだと事務員さんに手間取らせるってことが分かっているのに頼みます。あいさつがすごく声が小さいです。あるミュージシャンが大好きで時間があると職場の昼休みでもない時間帯にYoutubeでその動画を見ています。若い男の同僚にはタメ口を聞きますし、自分が教えてやるってスタンスでとても偉そうで声も大きいです。しかしそれ以外の声は「は?」って聞き返されるくらい小さいです。態度の大きい年下にはあまり話かけません。
若い女の子に目がありません。毎年3月は発情期、って噂されるくらい、あらゆる若い女の子に声を掛けまくります。見境なしです。その情報は常に我々に共有されています。普段から若い女の子に対しては密室に近いような空間でセクハラ発言をします。たとえば給湯室、たとえば誰もいない廊下、たとえば夜遅くなってからの他にだれもいないコピー室。それらの情報は常に共有されていて、危ないという共通認識が張られています。上司に相談しても「季節性のものだから」と相手にしてくれませんし、所詮デートにもさそってこれないレベルなので全員受け流しています。4月、5月になるとだんだんおとなしくなりますが、飲み会では自分の言うことを聞くだろう同僚に絡みまくります。そして記憶を無くします。そしてセクハラ発言をしまくります。
ものを食べるときにくちゃくちゃ音を立てます。汗臭いです。話題があまりなく、ゴシップが大好きです。
そんな教師がいます。
愚痴です。とても嫌なだけです。
その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。
曲を聴いてすぐわかった。
この人は楽器が弾けない人なんだ、と。
(電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い)
だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。
彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか?
ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、
全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。
音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。
この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。
例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか?
生まれて初めて玩具のピアノを与えられた幼児が、がむしゃらに鍵盤を叩いて音を鳴らすそれは音楽か?
しかしそれを音楽作品として、美しい音楽として扱われるべきものとは到底言えない。
eufonius 「Idea」はいかにもPC上でデータをいじって作った曲だなと感じた。
まるで自動生成されたような旋律がただ鳴っているだけだ。
機材があれば誰でも出来るレベルの作りこみ程度だし、オリジナリテイも感じられない。
他の曲も聴いてみたがどれも同様に「ただ音が鳴っているだけ」のものだった。
念のため裏付けとして菊地創について調べた。
使用機材を見るとやはりデジタルメインで作っていて、楽器と呼べるものは電子鍵盤しかない。ピアノではない。
鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るし、これだけの機材があって弄る方法さえ知っていれば
適当に音を鳴らして誰でも曲を作ることが出来るだろう。
Wikipediaによると彼は転調の多用や独特のコード進行が特徴であるそうだが、
それも作曲初心者が一番初めに思いつくようなオリジナリティの出し方で、余りにチープな試行である。
もし自分の中に美しい音楽の響きが備わっていて、それを自分のものとして提示できるならば、小手先で自己主張はしまい。
私は決して、楽器が弾けない音楽家それ自体を批判するわけではない。
楽器が弾けずともデジタル環境で素晴らしい曲を作る音楽家は何人もいる。
そうした人たちが様々な試行錯誤の果てに、楽器演奏では得られなかった新しい美しさを提示することも往々にしてある。
だが、ただ機材をいじって音を鳴らしたら出来た「音が鳴っているモノ」には試行錯誤の過程も、何も感じないのだ。
聴くだけで「これは子供がピアノを叩いてるだけと同じだ」ということがわかるからである。
楽器メーカーが機材のサンプルとして収録してユーザーに提供するような試聴曲にも作りが劣る。
菊地創はおそらく、いい音色で音を鳴らすだけのその程度が作曲だと思っているだろう。
では以下に挙げられた彼の発言から、彼の音楽観について考え、少し検証する。
(http://togetter.com/li/362865)
彼は自分の耳の良さが自慢らしい。おそらくは自分が誇る機材への自信だろうか。「耳」であって自分の「腕」の自慢ではない。
これは上述の「音楽の美しさ」である「響き」を彼が理解できていない証拠ともとれる。
一度聴けば耳から離れない程のメロディセンスも彼には無いようだが。唯一耳に残るメロディは菅野よう子の曲との著しい類似が見られた。
(また余談ではあるが、常に他人を罵倒していないと不安なのは自分に自信が無いから♪だろう。)
彼のプロフィールを読むと初めに記してあるのが専門学校のコンピュータミュージック科との事であった。
幼少の頃から楽器ではなく、入り口から楽器の素養があったわけではなさそうである。なるほどコンプレックスを裏付ける。
美しい響きを求めて、メロディを作り変える音楽家(作曲家)がなぜ苦しむのかが彼には理解できないだろう。
彼は「音が鳴る機械を叩いて鳴らすこと」が音楽だと信じているからである。
誰でも機械を使えば自動生成的に音が鳴る状態を簡単に作れるし、追求のために苦しむこともない。
まとめると、菊地創の音楽は、彼の中にある豊かな音楽から紡がれたものとは言いがたく、それを感じることが出来ない。
ただ指先で鳴らしたら鳴った音を組み合わせ、マウスで弄ったら何となく出来たような産物である。
もちろん彼自身が心地よく感じる音色に鳴る程度には調整されていることだろう。
そこにはせいぜい音色の美しさがあっても、音楽の美しさはない。
また彼が常に他者を罵倒していないと気が住まない理由がコンプレックスによるのは改めて言うまでもない。
とにかく色んな人間を罵倒して自分が上なんだ、自分はあいつらとは違う、と思い込まねば自信を保てない。
そうした奇行の原因は彼のアイデンティティーに関わる根深いコンプレックスにある。
彼は、良い機材を集めて、良い音色を鳴らして何となくそれっぽく作曲することは出来るが
自分の中にきちんと音楽の美しさを蓄えて、それを自分の形にして人に提示することが出来ていない。
ちょうど他人をおちょくるような感じで、ぞんざいに音の連なりの生成はできるが「きちんとした音楽」を作れないのだ。
彼はまともに楽器を奏でることが出来ない故に、きちんと音楽に向きあうことから逃げたままだ。
彼自身もそれは強烈に自覚している。
また菊地創はサイトのトップに(CDのジャケットではあるが)ピアノの画像を載せている。
ピアノはおそらく彼のコンプレックスの表れで「ちゃんとした音楽」の象徴だ。
もし自分に自信があるならば、普段使っているデジタル楽器の写真を載せればいいと思うのだが。
そうした写真はサイトの中に全く見られない。まるで隠したがっているように。
ピアノの写真をトップに載せているのはもちろん無意識だとは思う。
だが彼は自分を「ちゃんとした音楽家」として人に見せたいが故にあのピアノをトップに飾っていることだろう。
なぜなら自分が「ちゃんとした音楽家」などとは到底違うことを彼自身が一番理解しているからだ。
菊地創よ。
君は「eufoniusこき下ろしてみて下さい! 音楽的な視点で(笑)」などと言って自らを鼓舞したが
はっきり言って、菊地創の作曲、そして菊地創の自信作は音楽として評論するに足りないレベルのものだ。
もし音楽家として、また人間としてきちんとやり直すつもりがあるならば
天才の君は「その必要が俺には無い」などとまた妄言を吐くだろう。それも想像に難くない
だが音楽家として、人間としてやり直すチャンスはもうそこにしかない。
君のその強烈なコンプレックスはこれから先、誰を罵倒しても決して埋まらないのだから。
人も、世の中も、音楽もなめたまま生きるのはもうやめなさい。
西暦2035年。音楽を取り巻く環境は大きく変化していた。違法アップロード・違法ダウンロードの進展により、音楽業界の収益バランスは大きく変化し、音楽の市場規模は2000年代初頭に比べて10倍にも増加していた。音楽を中間業者を通して販売するという概念は廃れ、クリエイティブコモンズライセンスにより誰もが自分の言葉で、直接自分の音楽を口ずさめる素晴らしい世の中になっていた。
また、新人ミュージシャンとなるために必要な才能というハードルは無くなり、誰もが自分のメッセージを音楽で伝える機会を持つようになった。「何故音楽はこんなに自由になったのだろうか?」若者たちは真剣に考えた。いつの時代も若者たちは音楽を愛している。そして、「音楽の自由を守るために、自分たちには何ができるだろうか?」このような自覚が、日本のほとんどの若者の間に芽生え始めていた。
そのような時代の流れの裏には、「Music Creative Commons keepers」の活躍があった。ネット環境の整備により容易に音楽の違法アップロード・違法ダウンロードが繰り返された2010年代を重点的にパトロールし、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス化を促した事で、音楽の自由を日本音楽事業者協会から守っていたのだった。
「毒舌キャラゆえの」とか「不用意な発言」とかそういう問題かあれ。
障害者にオナニーさせてウンコ食わせてバックドロップしてたのは事実でしょ?
もし「作り話です」「ジョークでした」っていうクズ十八番の逃げを打っても
剥き出しにした差別意識は嘘でもなんでもない。
「当時の世相では許されてたからうっかり喋っちゃっただけで…」っていうけど
なんか物凄い革命が起きて価値観や法律がひっくり返ったと言うわけでもなし
「十五年前の発言に責任を問うな」っていうのはンなアホなとしか言いようが無い。
インタビュー当時だって小山田の発言は全てが純然たるクソだろ。
当時と今の世間で変わったのは道徳の基準じゃなくて情報拡散力・情報記録力。
当時はミュージシャンの雑誌インタビューなんてマニアックな信者しか読まなくて
信者だからどんなクズ発言でも「小山田カッコイイ!」とか言って誰も批判しなかった。
時代のせいにすんな。
メイド服のガキのお遊戯会以下の下手くそな歌に合わせてギターを弾いたって、夢に近づけるとは到底思えない。
音楽で食ってけるだけまだマシだけどさ・・・そろそろ潮時だろうか。」
なんて相談されたらさ、俺なら「辞めろよ」って言えちゃうと思う。
食えないとわかってる仕事に就いてる人が、「辞めたい」と言い出したら、俺は「辞めろよ」と言っちゃう。
よくわからないくせに言うなんてというけれど、よくわからないからこそ、「食ってける」か「食ってけないか」だけで「辞めろよ」と言っちゃう。
よくわからない奴は黙ってろというなら、最初から相談こと自体がどうなのかと。
「非正規でつらい」に対して、なんのアドバイスもできない。
非正規で食ってくことが辛いのは百も承知であるが、かといって正社員になる方法を教えてあげられないし。
でも、「ミュージシャンで辛い」と言われても、ノーコメントか「辞めろよ」の二択。
「嫌なら辞めろよ」とレスがついて、それになにか驚くところがあるわけ?
「そんなことないよ」って言ってもらいたかったら、そういう気休めを言ってもらえるサービスがある。
弱音を吐いて「俺ってダメだ」と言えば「そんなことないよ」と根拠なく勇気づけてくれ、自慢話をすれば「すごーい」と目を輝かせてくれる。
全くわからん。
上に書いている増田がいるが、
ロックギタリストになるぜ!って女性が、寝たら演歌歌手でならCD出させてやる、って言われて悩むのは、贅沢?
F1ドライバー目指してた人がタクシー運転手になって悩むのは、贅沢?
これだろ。
ミュージシャンが自分のしたい音楽できてるなら全くあてはまらねーよ。
ロックギタリストになるぜ!って女性が、寝たら演歌歌手でならCD出させてやるっていわてる状況を、ミュージシャンが音楽やれるんだからいいじゃん、で片付けれるか?
デモや集会の人数で色々と齟齬が出るのはいつものことであるけども…。
例えばミュージシャンのライブであるとかマラソンの参加人数を数えるのは簡単だ。
参加者は”一斉”に”一定の定められた区画内”に集まるのだからそれを数えればいい。
というより数えるまでもなく、チケットやエントリーの数を集計すればいいだけの話だ。
動きは流動的で何処から何処までが参加者なのかもはっきりしないだろうし、
いつ来ていつ帰っていくのかもやはりはっきりしないだろう。
そういうわけで、ああいうデモの人数集計なんて端から無理であるように思える。
というわけで、警察発表の”1万7千人”は一体どうやって数えたんだろうか。
まさか、何処かに人員を配置して野鳥の会的な数え方をしたんだろうか。
1万7千、と千の位まで指定しているのだから、それなりにちゃんとした
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
この増田を読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」とは別に思わなかった。
音楽業界がダメになったのは、そもそもこんな「責任者探し」なんかをしてしまう音楽市場に関わる全員だということにまず気づくべきだ。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
これにケチをつけたのにケチがついてそれにケチが…というのが流れ。
この一連の流れでまず問題なのは、「いい音楽」の定義があやふやなまま書かれていること。
どうしようもないことだが、万人に共有される「いい音楽」の定義など存在しない。
だから必ずどこかの側面を切り取って、暫定的にでも定義しないといけない。
ここでは、どうも「良い"音質"」や「満足の行く機材や環境」で作られた音楽のことを指しているように思われる(もちろん定義されてないからよく分からない)。
次にカメライターを自称する「かさこ」さんのブログ記事に移る。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状」
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
つまり予算とは関係なく、いい音楽は良いんだ、と言いたいらしい。
1000万のストリングスだろうが、200万のストリングスだろうが、そこに聴手が差を感じなかったら、意味のない800万かもしれない。
では、高品質の音楽とは何なんだろうか。誰がそんなことを決めるんだろう? その定義がない。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス至上主義の末期症状」
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
なんか論文テイストなタイトルで、かさこさんのブログに商業主義の極みみたいなものを見出し、ボロクソに書いている。
つまり「商業主義」だからダメなんだ、ミュージシャンが良いと思ったものだけを作らない。
また作っても全然評価されないようにした商業主義が悪い、といって、マスコミ叩きもついでにやってしまう辺りが可愛い。
増田に求めるのは酷かも知れないが、さすがに音楽の歴史をあまりに知らなさすぎて苦笑する。
ビートルズが商業性のない芸術だとか言ってる時点でもうあまり喋らない方がいい。
ここでの「いい音楽」の定義は、歌い継がれる事だそうだが、歌い継がれるということは大衆に商業的に成功したからなのでは…と、これ以上は突っ込みどころ満載なので次に行こう。
「音楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ」
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
まず音楽は大衆娯楽なんだ、日本にとっては!と強く断言している。
が、この国のみならず、音楽は全世界で宗教や娯楽、芸術と深く結びついていて不可分の存在だろう。そもそもなぜそれらが同時に成立してはいけないのかが分からない。
ある人からすれば芸術に聞こえるし、ある人からすれば宗教的な境地に達するものもある。もちろん娯楽にもなる。音楽とはそういうものではないのだろうか。
また、大衆に迎合せず、自分たちの好きな音楽のみを作り続けるミュージシャンを「アーティスト」とカッコで括り、どういうわけか彼らが音楽業界をダメにしたことになっている。が、論拠がない。
これが一番意味不明だった。なんで「アーティスト」は法律の問題に触れないといけないのか。そしてそもそも声を上げたかどうかちゃんと検証していない。ただ自分の聞こえる範囲内でいなかっただけなのに、一般化している。むちゃくちゃな主張だ。
この記事では、つまり大衆に向けてしっかり受ける音楽を作ることが「いい音楽」で、自分たちの好みや主義を通すことが音楽業界を破壊したということになる。また極端な話だ。
このように結局、「いい音楽」というものが定義されないまま話が進むから、何の実りもないケチの付け合いになっているのが残念だ、と、流れを概観して思う。
最初にも書いたが、もう犯人探しなんかしている段階じゃない。敢えて言うなら全員が犯人なんだと思う。ぼくも君も含めて。
少なくとも、ごねたところで、現状はどうにもならない。
確かに、音楽の状況は変わった。
音楽コンテンツに支払う金額は少なくなった。当然のように市場は縮小する。
予算が下がる。確かに音質は落ちる。ストリングス楽団を必要するような高予算の音楽は簡単に作れなくなった。
ただ、予算は音楽の質と比例しない。ぼくはミックスと音質がクソみたいな初期BUMPOFCHICKENが好きだ。ハイファイで澄んだ音質の新曲は聴きすらしなくなった。
だからといって悪い訳ではない。ぼくにとっていい音楽でなくなったBUMPの新曲は誰かにとってのいい曲になっただろうから。
こんな風に変わっていく現状の中、レコード会社の人たちはレコード会社で、ミュージシャンたちはミュージシャンで各々の問題を考えて欲しい。
ぼくは門外漢なので何も言えない。ぼくはリスナーだから、リスナーの目線でものを言う。
ぼくは、単純に音楽をもっとたくさん聴いて、たくさんお金を落とせばいいと思う。
CDが売れないのが問題じゃなくて、音楽市場にお金が流れない現状があるなら、それは結局のところリスナーが財布のヒモを縛っているからだ。
お金を落とす価値のあるミュージシャンがいない、本当に良いなら喜んで金を出す。よくきく言い訳だ。
違う。逆だ。お金を払って、身銭を切って買った音楽だから、真剣に音楽を聴く。せっかく払ったお金をムダにしたくないから。
いま、音楽は猛然と無料化の方向に向かっているが、それでは絶対に音楽業界は良くならない。なぜならリスナーが育たない。
音楽はタダで聴けてはいけない、とは言わないが、やはりそれは限定的であるべきだ。
イタチごっことは分かっているが、もし本当に無料で違法にダウンロードされることが音楽市場にお金が流れない原因だとするなら、
人件費を割いてでも、YouTubeやニコ動などのストリーミングサイトを巡回する人員をもっと設けるべきだと思う。
先程にも書いたが、音質と楽曲の良し悪しの判断は必ずしも道を同じくしない。
音質が多少悪くても楽曲が気に入ってしまえば、タダを取るリスナーが多い。
そして、音楽が安くなることに関してだけは、大賛成。今、iTunesなどでは一曲が200円かそこらで買える。
作り手には申し訳ないがリスナーからすると、やはりこれくらいが限度だと思う。CDはちょっと高すぎる。
逆に、ダウンロード販売などで安く手に入る音楽の在庫はもっと拡充しないといけない。
iTunesなどで販売されていない曲がユーチューブでタダで手に入るとか、さすがにそれはユーチューブ使うよ。
つまり、リスナーは身銭を切って音楽をきくべき、と同様に、身銭を切りたくなるような仕組みをレコード会社やミュージシャンは考えていかなくてはならないだろう。
少なくとも、パッと思いつく上記のようなことはできないといけない。
書いてたら色んなトラックバックへの反応でごちゃごちゃなったけど
結局のところ、音楽業界の衰退は需要と供給の問題なんだろうよ。
ビックなスターになって金持ちになってやるぜ的なミュージシャンも居たし、金なんてどうでもいいんだ俺の歌を聴け的なミュージシャンも居た。
ミュージシャンがどういう意図で曲を作ろうと需要があれば売れる、なければ売れない。
そもそも何を芸術と感じるかは人それぞれの感性の問題だし、それを基準に考えるのもナンセンスな感じだな。
今の音楽業界が衰退したのはメディアの普及でCDを買う需要が減ったからじゃないかと俺は勝手に思ってるし、何より消費者がトレンドとしての音楽に飽きたんだろう。
現に大衆音楽も芸術()音楽も流通され続けているのだから、音楽業界の衰退を語るに芸術()を混ぜて考えるのはなんかおかしい。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-6.html
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120623/1340426744
「芸術も音楽も、なんとなく理解してるつもりになっている」というのが今の日本人の感覚なんじゃないかと思う。
欧米の場合、芸術と音楽には明確に宗教的なニュアンスが含まれていると思う。そういう宗教起源という文脈の元に現代芸術なり現代音楽があって、その文脈を大衆が理解している、という差が日本との大きな違い。
西洋が何百年もかけて積み上げてきた文脈をうわべだけすくって、ビジネスにしようとしてもそれは波があるから売れない時もあるだろう。
音楽業界や音楽好きな人は、1から文化そのものを作っていくつもりでアプローチしていかないとダメだと思う。だから、機材やら音作りに投資するというのも違うと思う、そういう職人的なこだわりが受け入れられる土壌がそもそも無かったという事にもっと早く気付くべき。
そもそもアマチュア楽器演奏者が少なすぎる、またアマチュアの地位も低すぎる。楽器メーカの数なら世界屈指の国のはずなのに……。
それとやっぱり、ミュージシャンが音楽家を志した動機「初期衝動」として「モテたかったから」というのはダメだと思う。だってジョンレノンが同じ事言ったらきっとみんな幻滅する。でも日本人のアーティストはみんな言う、プロになっても「今でもモテたい」から音楽やってますと言いかねないぐらい声高に言う。でも最近のアーティストは言わなくなったのでそれだけで昔より信頼できる。
変わったなと思うのは、確実に昔にくらべて「モテたい」と表明する事がダサくなっている、若い人にほどその傾向がある。彼らは生まれながらに潤沢な音楽情報の中育って、かつ流行に惑わされず音楽を聴けるので、彼らの時代が来たらきっと日本の音楽はまた次のステップに進むのだと思う。
楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
反論キター!と、思ってテンション上がったけど、反論がバカ過ぎて残念だ。とはいえ、とても重要なことを気付かせてくれた。それについても書く。まずは反論から。
アイドルの曲が消耗品だって? ちゃんと現実をみてるか? AKB48が2010年の8月に発売した「ヘビーローテーション」が、年を越した2011年に何枚売れたか知ってるか? 12万枚以上売り上げて年間ランキングの52位だぞ。当然、握手券なしでだ。
消耗品という意味を理解していない。ちゃんと読んで理解してほしい。おれが言ってんのは「10年後、20年後も売れるか?」ということだ。それについては、以下の増田が書いているから読んでくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20120623033908
あなたは「自称アイドル」ならば、世間でもアイドルとして通用すると思っているのか?
評価というのは本人がするもんじゃなくて、周りがするもんなんだよ。世間一般にはビートルズはロックバンドで通っているだろ。現に2010年にClassic Rock Roll of Honour Awardsにノミネートされているだろうが。AKBを何度も引き合いに出して悪いが、彼女らがロックグループですって言っても通じない。それと同じだ。うん、前の記事でも書いたけど、別にAKBは嫌いじゃないよ。彼女らは彼女らで頑張りゃ良いと思う。
日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないんだよ。いつだって「娯楽」だったんだ。大衆娯楽なんだよ。
いや〜、本当バカだね。まず、芸術は娯楽の延長なんだよ。逆に言うと、娯楽から派生していない芸術なんてないんだよ。音楽だって娯楽。絵だって娯楽。小説も娯楽。じゃあ、娯楽が芸術化する要因は何かというと、それは技術だ。アート(芸術)の語源はtechné(テクネー)やars(アルス)といい、それは「技術」として訳される。それが技術的に素晴らしいものだったり活動を広義の意味でアート(芸術)と呼ぶようになった。
で、日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないというならば、日本が音楽を評価したことは一度もないのか?
あるだろ。近代で言えばレコード大賞。過去はよく知らん。しかし日本の伝統音楽が残っていることを考えると、「技術的に優れている」と評価されたから伝承されてんだろ。
安室奈美恵が売れたのは、曲そのものが良かったということと、安室奈美恵の歌唱力とダンスだろ。安室奈美恵の曲を手がけた小室哲哉は、本当にすごいアーティストだよ。書くの面倒だから、Wikipediaの記事をコピペする。
業界人の評価
「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」(GOH HOTODA)[62]。
「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」(坂本龍一)[† 18]。
「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」(森進一)[66]。
「コードの解釈がすごく独特なのに、明るい響きであり、踊りながら歌うのにピッタリ」(マーティ・フリードマン)[67]。
「小室さんは、リズム感覚でいって、最後にメロディの良さを置いている。それがすごくオシャレだなと思う」(YOSHIKI)[68]
「東洋人が好むコード進行が全くなく、アジア人には聞き慣れないものを大胆に取り入れて、それをヒットさせていた。それが不思議だった」「ヒップホップをやりながらもきちんとピアノで曲を書いている」「電子音楽とバラードの両方を行き来できている」「抒情的なバラードの感性とダンス音楽の感性の両方を兼ね備えている」(J.Y.Park)[8]
「テレビ等で流しづらい音楽をたくさん世に出したことで後々のミュージシャンがやりやすい様にしてくれた」「コンピューターで人間味の部分を消そうとしても、小室さんが鍵盤を弾いているパートは絶対に加工できない・真似できないな、と思う」(中田ヤスタカ)[69]
小室哲の曲は単に「娯楽」の領域を越えた「アート」だ。「分かる人には分かり、分からない人も楽しめる」という素晴らしいアートだと思う。それに加え、安室奈美恵の歌唱力とダンスがミックスされ、大ヒットした。いま安室奈美恵ほどの歌って踊れるアーティストって、どれほどいるんだろうね。
CDが売れない昨今、安室奈美恵の「Checkmate!」というアルバムは33.6万枚売れた。まぁ、確かに昔ほどは売れていないが、それでも上位の売上げだ。しかも安室奈美恵はデビューして20年経つが、上位の売上げを維持している。これはなぜか?
それは安室奈美恵というアーティストが消耗品じゃないからだ。「アーティスト」としての技術を着実に身につけていったから、未だに根強い人気あるのだ。
これ、売れなくて悲鳴を上げているのは、アーティストじゃなくてレコード会社やその周りなんじゃね?ということ。アジカンもテレビに出れば売れるということは分かっているだろう。でも、出ないということは「別に売れるために音楽をやっているわけじゃない」という理由ではないだろうか。それに宇多田ヒカルがPVを全部公開したり、アルバムを勝手に出されてTwitterでキレているのをみると、「あっ、こいつもう売れなくて良いんだな」と。他に例を挙げるとすれば、GLAYは控訴を起こしてまでレコード会社を離れた。このことを考えると「アーティスト」は「好きな音楽を作りたい」という当たり前の原点回帰をしているだけじゃね?
そう考えると「音楽業界の衰退」は長期にわたって売れる「アーティスト」を無視したビジネス至上主義による自滅ということになり、「アーティスト」が好きなおれにとってはなんとも「ざまぁwww」な話だったりする。
ただ、一昔前に比べて「アーティスト」を探すのが面倒になったけどね。だけど、それも今の時代Groovesharkとか使えば、良い「アーティスト」は簡単に見つかるようになったから、さほどアーティストの発掘に困ってはいない。
だけど、やっぱり実際にそういうアーティストがどう思ってるのかは気になるところだな〜。「昔も今も売れていないアーティスト」じゃなくて、「昔は売れていたけど、今は昔ほど売れなくなった」というアーティストの意見が聞きたい。GLAYが増田に書けば良いと思うw
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1935.html
秋元「つんくはね、やっぱりミュージシャンなんですよ。楽曲的なクオリティは、今までのアイドルの中ではモー娘。が最高峰だと思います。音楽的なレベルで言うと」
田中「あぁ、そうなんですか」
秋元「AKBは、音楽的なクオリティっていうよりも、みんなが楽しめる音楽はどのへんかってことでいくじゃないですか」
田中「うん、うん」
秋元「カラオケで歌ってもらうには、とか。盛り上がるのはどうだろうかって。でも、つんくはアーティストとして、『今、この音楽をやりたい』っていうのが先に立つんですよ」