はてなキーワード: ショッキングとは
見積書データをメールで送ってもらったら、excelデータで送られてきて中身は当社や他社への見積書複数枚。
他社には結構えげつない値引きをしていたり、同じ商品なのに客によって随分値段が違ったり、関係性にもよるから一概には言えないけど結構ショッキングだった。
念のため、先方には他社のデータも丸見えとお伝えしておいたが、再送されてきたデータも同じく他社分を含んだものでずっこけた。
それと同時に、こんな情報の取り扱いをしている会社へ依頼するのは不安なので、その旨を正直に伝えて導入は見送ることにした。
そして、忘れていた頃に再度検討してくれと連絡がくる。
先週もまた、半年ぶりくらいに連絡がきた。
日本には食パンが売ってないって言われて、いや日本にも食パンは売ってるよって言ったら、じゃあお前は日本に売ってる豆腐が見えてないんだなって言われるくらい関係ない話を持ち出されて困惑だよ。
増田の目には日本ではとてつもない差別主義者はいないように見えてるのかもしれないが、見えてない話をすると、日本に住んでる外国人はわりと日常的に公然と差別されている。道端で、このクソ野郎、国に帰れみたいなことを言ってくるおっさんがいる。
反撃してこないアジア系の女性とかが被害者のように思うかもしれないが、きちんとした身なりの身長のクソでかい白人男性にもそういう暴言を投げてくる気狂いみたいな差別主義者はたくさん日本の街中にいるし、企業で働いてても、あいつは日本人じゃないからみたいなことを平然という奴がいたり、日本は実はものすごい差別主義者大国なんだけど、日本人として日本に住んでいるとそういう目に遭うことはないので、日本には差別がないよねみたいな印象を持ってしまうけど実はそうじゃないってことを言いたかった。
駅構内ぶつかり野郎を男性が認識できなくて存在を信じないみたいに、日本人にはショッキングな日本の差別主義者が見えてないんだと思う。
増田に文化として根付いてるお気持ち長文、アレはまったく無視されるやつであれ最終的にすげえ伸びるやつであれ、最初は「うんち」「長すぎ」みたいなトラバがつくもので、基本的には嫌がられてるものだと思う。
俺もいろんな増田のいろんな増田が見てえなと思ってスクロールしてるところでクソ長い記事が混じってるといや長えよ要約しろなんて思うのだが、一方でこんなに長い文章が書けるのはすごいなあと素直に感心もするのだ。
なんせ書けない。夏休みの作文(800字)でつまづいてたんだから、根本的に長文を書くことが苦手なのだ。自分としては結構長文を書いたなあと思っているエントリを引っ張り出してきて文字数カウントにかけてみたら698字だった。夏休みの作文にすら届いていないというのはなかなかショッキングだ。
どうやったら長文が書けるのかってのを考えてみると、まあやっぱり気持ちの大きさなんだろうな。スーパーに行って出来合いのピザを買ってみたら思ったよりうまかったよ!なんてテーマでそんな何千字も書けないが、自炊するならピザを作れ!という強い気持ちがあれば5181字書けるのだ。あの増田そんなにあったのかよ。怖えよ
ここまでで500字ちょっとで、俺はこのあたりから結構書いたなあと感じ始める。でもこの10倍くらい書くのがお気持ち長文というもので、マジで空恐ろしい。いくらスクロールしても終わらないんだもんな。参ってしまう。
長文でも箸にも棒にもかからない文章ってものが結構流れていく(これもそうなる!)のが増田の魅力のひとつで、しかもそういう流れていく長文に限って気取ったタイトルが付いてたり読者への呼びかけが入ってたりする。ふはは、てめえの声は誰にも届かねえよと思いながらいよいよサルベージされない場所へと押し流されていく増田をみるのは小気味良くて、再投稿されると冷や水を浴びせられたような不快感がある。ダイアリーって名前なんだからあくまで日記であって、無視されたからってもう一回掲げなおすようなものではなかろう、と俺は思うからだ。Twitterかなんかでやれよな。
900字近くまで来た。これでもまだ長文ってほど長文らしさがないので、普段見ているお気持ち長文たちがどれだけすごいかがわかるというものだ。アレ1時間とかかけて書いてんのかな。創作やってる人が多いから文章かくのに慣れてるっていうのはありそうだ。
旅館に行きたいという気持ちがずっとあって、この前は一室の絵まで書いた。べつにすごい景色とか素晴らしい浴室なんてものは求めてなくて、むしろこぢんまりした感じのほうが好ましい。虫がいるのは嫌だけどな。半年前くらいに彼女と旅館に行って、俺は結構いいところだと思ったのだが女風呂の状態がメチャ悪かったらしく彼女が悲しんでいた。風呂には藻のようなものがあり、そのへんに虫がいて…と、ちょっと信じられないようなことを言っていてかわいそうだったな。次どこかに行く時は彼女も楽しめたらいいんだけど、その次がいつになるかがわからない社会情勢になってしまった。
コロナ禍でガラガラポン…という儚い望みはあるものの全然叶わなそうで、それだったらさっさと収まってほしいが、とはいえここで収まったらただ損するだけな気もしていて、やっぱり社会が破壊されるくらいにまで粘って欲しいという気持ちもあるものの、近所の店がシャッターを下ろしていくのをみると悲しくもなるので難しい。
オタク的な文化に触れていると、時折聞こえてくる「男女の恋愛のことを"NL"と呼ぶのはやめろ」という主義主張。言っていることは分かる。
男性同士の恋愛「BL(ボーイズラブ)」、女性同士の恋愛「GL(ガールズラブ)」に対して、男女間の恋愛が「NL」と呼ばれること。
その「N」に「ノーマル」という由来があるであろうということに疑問を覚えるのは理解ができる。(近年では、その主義主張を受けて他の意味を込めて使われていることも多いが割愛する)
しかし、その言葉狩りに何の意味があるのだろうと思ってしまう。
そもそも私は「障害者」ではなく「障がい者」を使おうという主義主張に対しても不思議に思っていた。
近年、スマホの変換にも「障害者」とならんで「障がい者」が出てくる世の中になった。
それは主張をしている人たちが多くの人に広め、共感をよんだ結果なのだろうと思う。
でも、その「害」に良くない意味を込めて人は使っていたのだろうか。
大半の人は差別的な意味も悪意もその「害」に込めてはいなかっただろうし、それを漢字にするか平仮名にするかで言葉の持つ意味も意図も変わらない。悪意を込める人は、それが平仮名であっても悪意を込めるのだ。
その上で人は「障害者」という言葉を用いていたはずが、主張が広まるにつれ「障がい者」と表記をしないと配慮の欠けた人間かのように思われる世になった。全くその「害」に対して意図は込められていないのに。
そこに差別も悪意もなく、語源や文字に対して込められた意味がそのまま残っているわけでは無い。そもそもその言葉自体も、差別的な意味合いを込められ生み出されたものでもない。記号として残っているだけに過ぎないのだ。
言葉に差別の意味を持たせるのはいったい誰なのだろうと時々思う。
次々と言葉に差別の要素を持たせて、果たしてその先に何があるのだろう。
いつか、「"嫁"という漢字は"女は家にいるべき"という考えが込められているようで多様性に欠けるし、女性は働くべきでないという差別的な考えが込められているのだから使うべきでない」などと言う人も現れるのかなと思ったりした。
単語はともかく、漢字の成り立ちや組み合わせまで辿ると結構ショッキングな成り立ちや、現代の考え方にはそぐわないものも多いと思うが、その辺りはどうなのだろう……。
私は言葉狩りをすることで、その言葉に大半の人が意図しない意味合いを持たせるべきでは無いと考えるし、言い換えられる言葉は何でも言い換えるべきだとは思わない。
その言葉を使わないようにしている人の配慮もご立派だし、考えも勿論理解はできるが、やっぱり納得はできない。
何も考えていない配慮の欠けた人間だと思われるのは心外だが、それでも私は何も無いところに悪意を作って演出するようなことはしたくないなと思ってしまう。
毎日毎日くらいコロナのニュースばかりで楽しくないしあんまりで歩いてもいないんだけど、
おうち時間ということで、
家でインターネッツを開いても遅いような気がするのは
全国テレワークでネットにつないでる人が多いからってことなのかしら?
いつにもましてネットの速さがもっさりしてるような気がするの。
とおもって例のパケット使いすぎ問題で月末出汁って思って管理画面を見てみても、
ぜんぜn使ってない先月の繰り越しすらまだ使い切ってない感じで
もうさやることなさすぎて、
そうそう!
私聞いてみたの店員さんに、
そしたらその店員さんも
知ってるのか知らないのか本当は知らないけど、
いつからどのぐらいの規模で改装になるかって知らないらしいのよ。
店員さんなのによ。
これってもしかして、
竹内まりやさんもビックリするような毎日がスペシャルやでーって言いそうな、
どっちでもいいけど、
するならするしないならしない!ってどっちかに決めてもらわないと私も行きたいところのマーケットでフレッシュ生マッシュルームとホワイトアスパラガスが買えなくなるじゃない?
これは問題よ!ってことで、
まあ実際のところ
お惣菜がいまいちなその改装するする詐欺セールを開催しようとしているこのマーケットは
なんか負けてる気がするけど、
何が良いかって、
そりゃ~さ、
ジャンケンしてパーで買ってパイナップル!の歩数で家からお店まで
便利なのは便利なのよ!
近いってだけに尽きるわ!
そんでもってお気に入りのフードコートの本格インネパ系のカリー屋さんも2年の更新を機に閉店してしまったし。
もう私はこのマーケットに足繁く通う理由がなくなってしまったけど、
相変わらず、
ジャンケンでパーで勝ってパイナップル!で行けるような近さの距離だから
ついつい行っちゃう訳なのよ。
どんどんテナントが減っていって
もうあまりに書店が近くてアマゾンのサイトにアクセスするよりも、
ジャンケンのパーで勝って余裕で県検波でも行けるパイナップル!の歩数で
その書店に本を買って来た方が早いのよ!
自分プレミアム会員って超特急で届くんだからって自分で買いに行ってるんだけどね。
だから本当に
決めてほしいものよ!
うふふ。
なんかいまいちな味で、
これってもしかして匂いが分からない?味が分からない?症状なのかしらと思ったけど、
ヒーコーは相変わらず美味しくダバダッといただけたので、
どうぶつの森でお友だちのところに行ってわざわざ100ベル出してお水飲んでる場合じゃないからね
搾ってよろしよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
統計警察の人の話とかはみてないけど、統計の話にするなら、志村けんと藤浪晋太郎の感染を別ケースかどうかによってだいぶ話は変わるわな。
つまりだな、例えば、志村けんと藤浪晋太郎が同じロケ現場で感染してたら、それは単なる1ケースだろう。そこまでいかなくても、そこそこ近い友人関係があるかもしれないし、同じ都内の一等地に住んでいるかもしれない。
芸能人から二人も! というより、芸能人だから二人出たって見たほうがいいのかも。志村けんと俺の親戚のおばちゃんの二人が感染しているほうがまだ事態としてはショッキングと見るべきだ。
もちろんこれは二人が近しいところから感染していたとするならばの話で、親戚のおばちゃん並みに二人は遠いのかもしれんぞ。
昨年死んでしまったので、直接「おめでとう、大好きだよ」と頭を撫でられないはじめての誕生日。
いつもよりたくさん「好きだよ」と言って、いつもより長めに散歩に行って、楽しい1日にしてあげようとちょっとだけ頑張る日だった。
犬も尻尾を振って嬉しそうにしてたけど、人間といるといつでも幸せになってしまう子だったから、特別に何か感じてたかどうかはわからない。誕生日の概念とかないんだろうなあ。
地震の揺れを怖がることはなかったけど、ドアに取り付けたウィンドベルがなって、「お客さん?!」と吠えながら玄関に走っていって、誰もいなくて不思議そうに首を傾げてたね。
危ないかもしれないのですぐに抱っこして連れ戻したけど、いやそれよりとんでもないこと起きてるだろ!と不謹慎ながらちょっと癒された。
テレビに映るこの世のものとは思えないショッキングな映像を放心状態で眺めてたら、両隣の家のおばちゃんたちが訪ねてきて、「犬くんの安全確認に来ました!飼い主に何かあっても犬のことは私たちに任せろ!」って言ってくれたのも救われたなあ。
9年前はもちろん、今までは犬の誕生日をお祝いすることで多少気持ちを中和させてた側面もあったのだろう。今年はいつもよりちょっと多めにつらい。
もしあの世があるのなら、向こうで元気にやってるだろうか。
犬、誕生日おめでとう。
自分ガンダム大好きのおじさん。最後にGレコ劇場版2章の感想あるよ。
先週の三連休にショッキングな事があって寝込んでた。軽く話すと長い付き合いのあるヤツにネット上で誹謗中傷を受けて絶縁した。
何十年も前に一回心がぶっ壊れた事がある。
ブラック会社で月の労働時間400時間とかやってた時に、夜も眠れず朝まで家の周りをぐるぐる回って明るくなったら出勤してた程度に壊れてた。
その後、どんな仕事をしていても色んなことに耐えられなくなったなとは感じてたけど、流石にそれから何十年もたったら治ってるだろと思った。
んでまぁ月曜に何とか動けるようになって、ショック受けてもすぐ回復できるようになったなと自分で自分を褒めた。
まぁ次の日にぶっ壊れたままな事がわかるんだけどw
実際月曜は一日出かけて遊んでたけど普段通り遊べたし、楽しかった。
そんで今日、劇場版Gのレコンギスタ2章が公開されるのを思い出して早速予約。仕事帰りに行くことにした。
その日の昼過ぎに同僚の何気ないからかいの一言で、3日間の出来事がいきなりフラッシュバックしておかしくなった。
おかしくなっているってのは自分で分かってて、なぜか周囲に悟られないようにしないとってずっと思い詰めて椅子に座って固まってた。
視界は回ってるし、体も動かないし、とにかく普通に仕事してるフリを続けて、社内SNSでは平静を保っている風に見えるように返事して。
とにかくずっと気持ちが悪かった。自分で自分の気が狂ってるってずっとわかってて恐怖してて気持ち悪くて動けなくて本当にやばかった。
でもずっと、帰りにガンダムを見れば解決する、問題が全部なくなると考えて(なんでそんなこと考えていたかわかんないけど)何とか耐えた。
平日のレイトショーだし、ガンダムだしでシアターはガラガラ。これも助かった。
Gレコは最高に面白かった。
この2章はどうしても見たかった、TV版の疑問だった所が全部ちゃんと描かれていたから最高に興奮したし、満足した。
感想は後に回すけどちょっと泣いた。号泣ではない、涙目になった程度だ、おそらく。
そしたらなんかスッキリして、すんなり家まで帰ってこれたな。
おそらくまだしばらくは例の発作が発生する気がするけど、耐えられるって気分がある。
早速感想をツイートしたら同僚のいいねが飛んできて、フラッシュバックしそうになったけどw
で、感想なんだけど、
2章はわかりやすくなったというより、デレンセン、ケルベス、ベルリに焦点が当たってたと思う。
一番見たかったデレンセンとベルリが戦うシーン、アレTV版だと途中がカットされていて、突然半壊しているエルフブルが撃ち抜かれてお互いが誰だったか知るって流れだった。
何度見てもどうやって接近して、いつ半壊したかわからなかったが、今回の映画でしっかり斬られている所が映ってて理解できた。
その後、自分がデレンセンを殺したことを理解して泣き崩れて戻しちゃうベルリもしっかり描かれていて、実はめちゃくちゃ気に病んでた事がわかった。
んで、なんやかんやあってケルベスと再開、高トルクパックを受け取る。
その時、ケルベスが「俺は教官じゃない、戦友だ」っていうシーンがあるんだけど、
あそこで、デレンセン教官が新型で出撃して戦死した、お前は何か知っているか?と問い詰めるシーンがある。
そこでベルリは自分が殺したことを告白して、ケルベスもベルリを殴ろうとするが、思いとどまって高トルクパックを使って見せろと言うのだ。
ここがめちゃくちゃ泣けた。ケルベスはデレンセンもベルリも信頼してたんだなっていう、ちゃんと思ってたんだなっていうのが、ここではっきり分かった。
TV版の時どうだったか忘れたけど、結構淡泊にデレンセンの話はスルーしてたと思う。確か。
だからなんか、もう色々とわかって本当に見て良かったと思いました。
次は秋公開らしい。夏の閃ハサも楽しみだし、今年はまだ死んでられないなと思った。
まぁ、最後にまとめると、心は一回折れたら治らない。から無理するな。逃げろ。
本当に好きなものが何かあればそれが何であっても救いになる。と思ったという事。
中国在住です。
今は多くの工場が操業停止になっているので、とっても空が青く空気がキレイです。
こんな気持ちが良い天気の下、みんなマスクをして出歩いているのはシュールな光景です。
相変わらず日本で騒がれているこの件、私は春節休みに政府が強行策を取ることはないだろうと思っていたので、今回の施策は正直意外でした。
テレビでは中国のショッキングな映像は流れているものの、こちらの現状や今後のことは解説されていないので、私なりに感じたことを書いてみます。
春節休みの延長の理由については前にも書いた、こっちの保険制度が関係しています。
中国の保険制度は日本ほど充実していないので、みんな病気にかかってもあまり病院に行きません。
武漢では政府が特例で新型肺炎の患者については保険適用を認めたので、テレビで見るように患者が病院に殺到してパンクしています。
※中国には町医者が無く、有っても外資系の病院(超高額)なので、一般の人は使えません。みんな総合病院に行きます。
保険制度が充実していないので、普通はみんなあまり病院に行かない。
特例で保険適用したら、殺到した患者全員の面倒を見きれないので軽度の患者は放置せざるを得ない、というのがこちらの実情です。
そこで、肺炎の感染者がそこそこ発生した大都市では23日の武漢封鎖から肺炎の潜伏期間である2週間のあいだ、
感染者も非感染者もまとめて自宅内に押し込めることで、これ以上の感染の蔓延を防いで沈静化をはかっているっていうのが、こっちの状況です。
・いまどうなっているのか
都市のあちこちで移動の制限やマスク着用・体温検査が義務付けられているのは周知のとおりです。
武漢の封鎖が報道された直後は、街なかのスーパーでは生鮮食品やインスタント食品が一瞬で無くなりました。
いまは落ち着いて来ていますが、相変わらず物資は不足気味です。
都会がこんな感じなので、田舎の実家に帰省したまま休みをエンジョイしている人たちが勝ち組です。
・今後どうなるのか
こんな感じで対策が徹底されたので、今後は大都市での新型肺炎の広まりは抑えられるんじゃないかと思います。
今回、武漢在住の方が帰国しましたが、この人達も武漢封鎖がなかったら日本へ普通に春節休暇で一時帰国し、
諸外国への蔓延は、23日の武漢封鎖から潜伏期間の2週間経った来週末まで何もなければ防がれるんじゃないでしょうか。
半年で見事にリバウンド、1年前の脂肪肝状態に戻った反省から断酒をしていたが、大晦日くらいは……ということで、アルコールに支配された脳みそを振り絞り、何とか年内中に書いてみたいと思う。
春秋ともにリーグ制覇を達成した福祉大も、全国ではいずれも早期敗退と寂しい結果に終わってしまった。特に秋は最終回に4失策(実質5失策)という、鉄壁の守備を誇る野球エリート軍団らしからぬショッキングな形での敗退となった。
春は打力不足を露呈しただけに、秋は東海大を相手に8得点と課題の克服はアピールしたものの、自慢の守備があそこまで乱れては……4年になってからずっと良くなかった津森が最後の最後で復調の兆しを見せていただけに惜しかった。
春の反省で打撃を磨きまくった結果、秋は守備が疎かになってしまったのだろうか?
春は無双状態を続けていた山野も、秋は不安定さを感じさせるピッチングに終始した。ラストイヤーは、年間を通してモノの違いを見せ続けて欲しい。
レギュラーの野手陣では、個性豊かで頼れる4年生軍団がゴッソリと抜けてしまうのが痛い。残された下級生レギュラーでは、プロ注目のショート元山、全国大会で決勝点となるHRを放ったサードの楠本弟もラストイヤーを迎える。元山は、ドラフトを考えると走力でのアピール、全国大会での打撃の結果がもうひとつ。楠本は速球の対応と、意外に守備の安定感が課題。2人とも来年は、圧倒的なパフォーマンス・数字を見せつけて欲しい。
下級生の投手では、三浦がまずまず活躍を続け、ノーノー男・綱脇が台頭してきたものの、椋木・佐川の2年生コンビがパタリと姿を見せなくなった。来年はリーグ戦で投げているところを久々に見たいものだ。
野手では、最終的にスタメンを勝ち取った大里、新人戦でキャプテンを務めた斎藤の打撃面での成長が著しい。走攻守そろうルーキー・杉澤も木製バットでの対応力に成長の余地があり、定位置の確保が期待される選手だ。
ロマンあふれる4年生軍団の全国出場があちこちのファンから期待されながらも、福祉の壁を超えられなかった仙台大。
野手では佐藤優、柿澤といった有力な4年生たちの全国での活躍が見たかった。
怪物・宇田川は、決して満足のいくシーズンではなかった。特に秋は、自慢の速球が走らず、フォーク頼みのピッチングが続いた。また、苦しい時のマウンド捌きにも課題を残す印象を受ける。素材は素晴らしいものがあるだけに、一つ一つを克服し、全国出場と最高評価での指名を目指し、精進して欲しい。
その他投手陣では、長久保・松本・佐藤亜と1年生の活躍が目立った。
特に1年生左腕らしからぬコントロールと変化球の精度を兼ね備える長久保のピッチトンネルの使い方は、もはや学生レベルを超えていると言って良い。
来年以降も先発の柱として大きな期待がかかる。同じく実戦派の佐藤亜、サイズは宇田川以上の巨漢・松本と、今後の同校を担う投手たちの成長が非常に楽しみだ。
野手では、今津や佐野といったスーパールーキーも早いものでラストイヤーを迎える。コンスタントに活躍し続けてきた姿は立派だが、来年はチームを全国へと導く爆発的な活躍にも期待がかかる。
その他、永長・益子・小笠原・大北・川村といった経験豊富な下級生レギュラー組が残る点も大きなアドバンテージ。
三番手は、持ち得るパフォーマンスをフルに発揮できる学院大か(その点を県内高校で例えると、なんとなく三高が被る)。
長いこと4番・捕手を務めた渡邉の離脱は痛いが、早坂という成長著しい正捕手候補がいるのは大きい。投手陣も速球派右腕が揃っており、左腕の台頭がポイントか。
野手陣も布施・林田・根本など打力のある新人が残る。新入生でも、一芸に秀でた逸材たちが入部予定とのことで、早いうちから出場機会を与えられるかもしれない。
学院とは対照的に、個々の能力・資質は確かながらそれらを実戦で中々生かすことのできない工大は、投打において絶対的な柱となれる選手が必要だろう。
軟投派投手で小刻みに繋いだり、新人戦のようにアベレージヒッターを4番に置いてなんとかしてもらうのではなく、有望株は多いだけに、王道の戦法で挑んで欲しい。
東北大・宮教大の国公立勢も、田村・鳩原・松下クラスとはいかなくとも、例によって見所のある選手は複数存在する(つい先日、松下が独立リーグで再開すると知った時はものすごく嬉しかった)。
ラストイヤーを迎える東北大・中尾は素材だけなら先輩の田村と比べても遜色ないし、指にかかった時の140キロ超の速球は私学勢でも苦戦するはず。そろそろひとり立ちしなければならない時期だ。
宮教の速球派・青木も、ラストイヤーを迎える。速球のスピードは確かだが、1年の頃からほとんど変わっていないのも事実だ。今シーズンはチェンジアップはじめ変化球に大きな成長を感じただけに、速球の進化次第では大化けも期待される。
東北大は、打力強化の成果が出てきており、椋木・山野の高川学園ー福祉大コンビの連続無失点記録を2年連続でHRによって破るなど、インパクトのあるシーンを量産している(近年の二高といい、インテリは守備を捨ててでも打撃を強化するという方向に落ち着くのだろうか?)。
宮教も、4番も務める守備職人の小原、あと一歩で盗塁王を逃したシュアな打撃も魅力な菅野、高校時代は4番も大学の洗礼を味わった猛肩・大川口など、見所のある野手が散見される。全体的にパワー不足は否めないので、投打共々、一冬での成長を期待したい。
福祉一強の様相を見せる仙六リーグだが、すべての大学に見るべきものがあり、今後どう勢力図が変わってもおかしくない雰囲気がある。一度ハマると、高校に負けず劣らず魅力的な仙台六大学野球を、来年度も追い続けていきたい。
一日中遊びまくって帰路に就く頃にはクタクタだったので、帰りの電車ですっかり眠り込んでた。
しばらくして近くのおばさんの喋り声があまりにうるさくて目が覚めたんだけど、寝ぼけたままおばさんの話の内容を聞いてるとどうやら自分の悪口を言われているようだぞ?と気づき一気に覚醒。
びっくりして顔を上げるとすぐ前の座席に座っている水商売風の50代くらいのおばさんとおっさんとばっちり目が合った。
おばさんとおっさんは目が合ったままなおも電車の中に響き渡るくらいの声量で悪口を言い続けている。
周りにはちらほら他の大人もいたし状況にも気付いてたと思うんだけど止めてくれる人は一人もいなかった。
延々と自分の悪口を聞かされながら10分くらい固まってたんだけど、内容はヒートアップしていくしニヤニヤ笑うおばさんとおっさんの顔が気持ち悪くて、耐えられなくなって別の車両に移動した。
具体的に悪口ってどんな事言われたのよ?と聞かれると、正直あんまり思い出せない。
時間経過で忘れたわけじゃなくて、ショックすぎて自分の防衛本能が記憶を抹消したんだと思う。
その日の服装とかおばさんおっさんの嫌な笑顔とかは鮮明に思い出せるから。
思い出せる範囲だと「芋くさい」「気持ち悪い」「親の程度が知れる」とかそんな内容だった気がする。
それからしばらくは何か自分が悪口を言われるような事をしたのかとずっと思い返しては悩んでた。
優先席に座ってたとか座席を荷物で占領してたとか股開いて座ってたとか、考えられる限りの理由を考えてみたけどどれにも当てはまらなかった。
大人になった今ならわかるけどこういうのに理由なんてないんだよね。
でも当時まだ幼くて周りの大人や友人に恵まれぬくぬく育ってきてた自分からすると、『まったく面識のない他人』で『親よりも年上であろう大人』に『面と向かって謂れのない罵倒を受ける』という3連コンボはあまりにもショッキングだった。
当時は大人を信じられなくなったし大阪嫌いになったし、今でも水商売風のおばさんと客っぽいおっさんの2人組とか見かけるとちょっと怖い。トラウマです。
もし今当時の自分の立場になっても上手く受け流せる気がしないし、逆に当時居合わせた大人たちの立場になってしまった時、上手く対応できるのかと言われると自信がない。
でも当時の自分と同じような目に合っている子供がどこかにいるかもと思うととてもやるせない。
こういうのってどうするのが正解なんだろうね。
20代後半女です。
友だちがマッチングアプリで彼氏を見つけていたので、便乗して登録してみました。
おたがいに「いいね」をするとメッセージのやりとりができますよ、ていうおそらく一般的なやつ。
登録母数は結構多いやつだと思います。フェイスブックでよく広告見るやつに登録したので。
で、登録して早速数人マッチングしたのでやりとりを続けていたのだけど、
その中で以下のようなやりとりがありました。
相手:彼氏いないの? (←パートナーいないことが前提だと思っていたので、今考えるとこの質問からしてちょっと警戒すべきだったのかも)
わたし:いないです
相手:どれくらいいないの?
わたし:XX年くらいです
突然ショッキングなことを言われた(とわたしは思った)ことに結構びっくりして、その相手にはもう返事を返しませんでした。
数人の友達と会っていた時にその話をしたのだけど、わりとみんな「あるある」って感じの反応でした。
「そういう男たまにいるから、気にしないほうがいいよ。運営に通報しときな」と言われたことにまたびっくりしました。
たまにあるんだ?と思って。今まで周りにそういう会話の運びをする男性はあまり見なかったので…。恵まれた環境にいただけかもしれないですが。
その中のひとりが「男にこういうの多いって女性視点からは見えるんだけど、男視点だと女の人もこういうサービス使ったとき結構突然失礼なこと言ってるのかね?」って言いだしたので気になりました。
どういう会話を「失礼だな」と思ったことがありますか?特に、「あるある」パターンみたいなのあったら知りたいです。
(男性はそういうの友達同士でシェアしたりすることが女友達よりはわたしの観測範囲では少ないようなので、「あるある」とカテゴリできないのかもしれないんですけど)
ショッキングなのは、勤め先の店長に家庭事情を打ち明けるほどオープンで前向きだった男を、70回以上も滅多刺しにするような憎悪を向けるほどに、被害者が追い詰めていて、かつ、加害者が追い詰められてしまったということだ。そこまでしたのに、自分の居場所を見つけることもできなかったし、そこまでしたのに、被害者は彼を認めようとはしなかった。
被害者は自分が間男そのもののヒール役を演じた(それが父権者として当然のことであると確信していた可能性もある)ことによる当然の報いとはいえ)、もし加害者が抱えている闇にそれを打ち払うほどの光が差し込んでいれば、誰もそれ以上傷つくことはなかっただろうに。愚か者が愚か者を蔑み追い詰め、社会が両者を放任した結果、最も愚かな事態に至ってしまった。それほど積極的に社会に向けて自分の立場を主張していたのに、まったく何らの進歩にもつながらなかったわけだから。
自業自得と言うんだったら、事件だって自業自得だろう。人を煽り傷つけても(完全に想像だけど)本当に何の報いも受けずに済むと思う方がどうかしている。そうすることで社会に生じるのは利益であって損失ではないと考える方がどうかしている。
それを否定するのは、法治主義そして人は対等であるという考え方でしかないわけで、それを無視して行動するんだったら、その究極の結果を受け入れるのは当然のことではないか。むしろそのような奴にみすみす殺されるほどつまらない男だった自分を悔いるのが自己責任というものではないのか。まあ本当の悪人なら、みすみす殺されたりはしないだろうから、その点は不幸な出来事かもしれないけれども。
要するに極端な思想は極端な結果しか生まないということだ。極端な利益で捕らぬ狸の皮算用をしがちだけれども、そうせずに偽りの希望を捨てて本物の絶望に安堵する、無感動でも不感症でもない心の強さ、建設的に生きる前向きな精神を持ちたいものだ。
知り合いと見てたドラマが、ちょっとショッキングな展開になった。
主人公が後輩に、頑張って作った手作り弁当を押し付けて逃げていく。
後輩は無表情で、主人公が見えなくなった瞬間に弁当をゴミ箱に投げ捨てる。
ゴミ箱の中で散乱する弁当の中身がアップで映る……みたいな展開。
この後輩ロクな奴じゃないな、と思って、ふと思い出したのが『フード理論』って言葉だった。
曰く、食べ物を美味しく食べるのは良い奴、食べ物を粗末にするのは悪い奴、正体不明な奴は飲食しない、って理論だったはず。うろ覚えだから、間違えてたらごめんなさいだ。
で、何となく知り合いにその話をしたんだよ。
「この後輩ロクな奴じゃないね、食べ物を粗末にしたから悪人っぽい表現になるよな」って。
そしたら知人がブチ切れた。
「やはり日教組は潰すべきだ!」
今そんな話してないけど?
「あのさ、貧しい父と子供がショートケーキを1個だけ買って食べようとしてる時に、借金取りが来てケーキを踏み潰したら、その借金取りは悪人に見えるよねって話」
「いや、その場合、借金した父親だけが悪い。子供がケーキを食べられなかったのも、借金取りがケーキを踏み潰したのも、全て父親のせいだ。お前は職業で人の良し悪しを決めるのか!」
話ってここまで横道に逸れるんだ、ってびっくりした。