はてなキーワード: サラリーとは
2019年に印象を残った映画を上げるなら、僕は天気の子とジョーカーを上げるだろう。どちらも大ヒットをした作品で、どちらも非常に「似た要素」を持つ作品だ。
新海誠の作品は前回の君の名はの時も、非常に似た要素を持つシンゴジラがヒットした。新海誠の作品は、どうも数奇な運命作品に巡り合うらしい。
天気の子とジョーカー、どちらも公開時期は近いから、どちらかがどちらを参考にしたという事も無い。
「都会で、周りの人にぞんざいに扱われる」「銃を手に入れ、物語を動かす狂言回しとして存在する」「どちらも既存の正しさに異を唱える作品」
これらの共通点は、単に箇条書きマジックか、偶然だろうか。僕はそうではないと思う。
新海誠も、トッドフィリップスも、どちらも現代社会を描いた結果導かれた必然ではないかと思う。
しかしながらそのような大きな共通点がありつつも、その結果と印象は全く異なる。
トッドフィリップスはジョーカーを「人の温かさを描いた作品だ」と言った。社会的な思想だとあえて言わなかった。
先ほど内容とモチーフが似通っていると言ったが、実はその共通点の中に、二つの物語の差異が存在する。それはまさしく、「人の温かさ」なのだ。
・都会での周囲の人の暴力
風俗店の経営者と聞くと、多くの人は「ちょっと怖い」とか「金持ちそう」とか「褒められたものではない職業」と思うだろう。
これは天気の子の主人公が都会や社会に対して抱いていた感情と似たものがある。
ジョーカーでは、その役割を看板を壊した褒められた存在ではない不良、新卒サラリーに抱くちょっと怖く金持ちそうという存在に負わせている。
天気の子の須賀は主人公を体のいいコマとして使うが、同時に役目と居場所を与えている。
ジョーカーではその役目を、ピエロを雇う事務所と、精神科医が担う。ピエロであることで、役目を与え、向精神薬によって居場所を与えているのだ。
そして周囲の人の中に居た女性は、自分の事を気にかけている、までは一緒だったが、ジョーカーではそれは妄想だった。
ジョーカーの母親は妄想にしか目を向けておらず、誰もジョーカーの事を見ていない。
天気の子の主人公は猫に自分を重ねて助ける優しさを持っていた。
ジョーカーも、幼少期のバットマンの寂しげな顔に自分を重ね、笑わそうとする優しさを持っていたのだ。が。
・『銃』という存在
この銃は、両映画にとって「社会にとっては間違っている、主人公の正しさ」を象徴するアイテムだ。
二人が銃を手にした理由は違えど、持ち続ける理由は、同じだ。片方は風俗店の経営者に暴力(足掛け)をされたこと。もう片方は、不良に襲われた事。
しかし、その銃を持った結果には差異が存在する。「銃を見た人の対処」そして「誰に向けたか」だ。
天気の子では、主人公銃をヒロインの前で撃った。標準を「自分を拒絶する社会」としての風俗店店員に定め、しかし恐怖か迷いかで弾は逸れる。
ヒロインは一回それを拒絶するも、主人公が家出して不安に感じたことを理解した上、それを許容する。
ジョーカーでは、銃を小児病院で落とす。しかしそれに対して社会や人々は、ジョーカーが銃を持った理由を理解しようとせず、拒絶した。
ジョーカーは部屋で銃を持ち踊る時、自分の世界の象徴である母親の椅子に向けて標準を合わせている。結局ジョーカーはその正しさの行き場を失い、自己に閉じ込め、
電車のシーンでは「自分を拒絶する社会」としての新卒サラリーに迷わず発砲する。
天気の子では、あくまで向けるだけで発砲しない。自分の都合の良いように女の子を使って、いなくなっても気にせずに呑気に笑ってる人に対して、脅しとして使う。
主人公にとって世界は「自分を拒絶する社会」ではなくなっていた。主人公も同時に社会を拒絶していた事に気付いて、優しさに触れた。
「女の子一人を見捨てる社会」に対して銃を向けていたのだ。かつて自分がそうなりそうな時に拾ってくれ、見捨てずに愛を教えてくれた一人の女の子に対し、同じことをしたのだ。
ジョーカーはその銃で、「男一人を見捨てる社会」の象徴であるコメディアンを撃つ。自分への愛などないと教えてくれた一人の男に対し、同じことをした。
・『正しさに異を唱える』
天気の子では、兎に角「正しさ」に対して異を唱えている。神社で言われた、「現代の人の考える正しさなど、1000年スパンで考えればないも同じもの」という趣旨のセリフ。
最後のマンションのシーンでも、「昔は海に沈んでいた場所が、あるべき姿に戻ったのかも」というセリフ。正しさというものが絶対的なものとして語られがちな現在に対する批判である。
そして極めつけは、最後の主人公の「天気なんて狂ったままでいい。青空よりも、陽菜がいい」というセリフ。主人公にとっての正しさを「選び取る」セリフだ。
新海誠も「選び取る」事に対して、意識して制作したと言っている。
ジョーカーは「正しさ」を雄弁に語るテレビの向こうの人物を見て笑う。ジョーカーは誰も自分を見てくれず、平気で見捨てる社会に銃を向ける。明らかに世界は狂っているのに、その世界は自分をことごとく無視する。
薬を辞めて、あるべき姿に戻ったことを感じる。正しさの無い世界で、正しさなんて自分で決めていいんだと気付くのだ。「正義なんて自分で決めたっていい」という、主人公にとっての正しさを選び取る。
天気の子もジョーカーも、暴力に遭いつつも、主人公は誰かを見捨てない優しさを持ち、社会から自分を守る銃を持ち、その銃で正しさを行使し、既存の正しさに異を唱えた。
しかしジョーカーの場合は、誰もジョーカーを見ず、助けず、愛など与えなかった。結果的に優しさは失い、銃は社会を襲い、誰かを救うためにその力を使えなかった。
天気の子は現代社会で愛を描くことで愛を表現し、ジョーカーは愛を絵が描かない事で愛を表現した。
愛を与えればいい、そう結論付けるのは簡単だが、僕たちはまだ犯罪を犯してない、
だが金がマックで寝る男を、精神障害を持ち銃を落とす男に優しさを向ける事が出来るだろうか。
少なくとも、優しさを与えないのなら、ちゃんとその道を選んだ覚悟と認識を持ちたい。
そう考えた雨の降る夜であった。
大卒女性だからといってずっと労働について稼げるわけではないが、この統計は「労働力調査」なのでサラリーウーマンだけを対象にしており母集団がおかしいとしか。
自営高収入女性(漫画家、化粧品やダイエットやファッション通販など)にどうやってアンケートとったのか?とってねえな?
まあそのデータを信じ込むおまえにとって下方婚してくれそうな女性ってのはこないだの看護婦ごときではないんってことは推察できるけど
おまえが自分以上と思うのは大卒女性であればいいんだろう(高卒なのかね)
なら千鶴子先生を引用するしかねえな 女性の社会進出をまず妨げておいてその数少ない女性がいっぱいいっぱいで男性と下方婚(どころか結婚も)してくれないって嘆くのは因果関係が逆
はてブでバズった会社(※Fではない)を一昨年退職した。そろそろほとぼりも冷めたと思うので、書く。
僕も自分の半径5m以内で起こった事象だけにフォーカスを当てる。俺のいたとこはそんなじゃなかった!って反論もきっとある。
ここに書いたのは僕の観測範囲です。非常に大きな企業なので、もしかしたら悪い環境の部署もあるかもしれません。
まずこれがトップにくる。
本当に良好だった。MacBook Pro 13インチが標準。入社前に、日本語配列と英語配列どっちがいい?って聞いてくれる。
入社したら、次はディスプレイだ。4Kはドットピッチ小さすぎるかな、と思って32インチのWQHDを買ってもらった。
まとめ買いで4Kのディスプレイが山積みになってるのを見かけたりもする。
MacBookが壊れたら、このモデルで、って伝えるだけで本当にすぐ発注してくれる。
予備機があるので(これは部署にもよるかもしれない)、セットアップの手間が必要なのを除けば仕事に穴が空くこともない。
その予備機のディスプレイの調子が悪いのをいいことに、そのまま自分のものにして貰って、新品とあわせてMacBook 2台使ってる悪い子が僕です。ごめんなさい。
いたって普通のオフィスの、いたって普通の机と袖机と椅子、という感じである。
前職では袖机がなく、離れたロッカーに物を置きに行かなければならなかったが、ちゃんと鍵付き袖机がある。幸せ。
どうにも腰の調子が悪かったのが、転職してから快調である。人生、結局は椅子!
いわゆるクライアントやカスタマーに会うことのないエンジニアやスタッフは、かなり自由。
当然音楽を聴きながら仕事ができるし(僕は人の気配を察知したいのでやらないが同僚はみんな聴いてる)、服装もかなりラフ。
たまに二度見するくらい奇抜な服装の人とすれ違うこともある。
人事のスタッフですら金髪に綺麗な桜色のカラーをのせてる人がいたり。人間て本来そういうもんだよね、というのを思い出させてくれる。
スーツ着こんでトークの練習してる営業さんたちには頭の下がる思いです。エンジニアとして彼らにも価値を提供したい、と自然に思えてくる。
ミッションはマネージャーとの1on1ミーティングで決めていく。
「これをやれ」とはあまり言われない。「これをやりたい」をベースにミッションを埋めていく。
それができない人は生きていけない会社だろうなと思うし、たぶん採用段階で上手に弾いているのだろう。
ミッションを達成できて、組織から評価されれば、容赦なくグレードが上がる。
当然、容赦なく年収も上がる。ありがとうございます!ありがとうございます!
「それやめたらどうなる?」
「もっと良いやり方ないの?」
当然、今までの経緯があるので、簡単にやめたり変えたりできないことも多い。
それでも、どのグレードの人も、柔軟な思考で、新しい方法、よりよい状態を目指している。
考え抜いて挑戦してやり抜いて失敗したなら、何も挑戦しなかったよりずっと良い、というメッセージのように思えて、心強い。
スクラムマスターがいる。クラウド活用を推進している。Git使えるのは当然ライン。
ConfluenceやJIRA、Slackがちゃんとコミュニケーション基盤になっている。
チームにある程度技術選定が任されていて、ちゃんと運用できるのか、費用対効果・投下時間対効果はどうなのか、今後の技術トレンドがどうなっていくのか、などをそれぞれが考えながら選んでいる。
僕のサラリーに一番影響するのはグレードだ。残業しようがしまいがほとんど給料は変わらない。
グレードが上がって基準給が上がるか、高評価でボーナスが上がるか。
もちろんグレードが下がれば給料は下がる。…はず。経験はしていない。
自動化がとてもとても楽しい。プログラムたちよ!僕のおちんぎんアップアップしてくれてありがとう!!毎日感謝のPull Request!
マネージャーやってみて、自分には合わないわーで翌年からマネージャーやめた人の話とかは聞く。
なるほどいい話だ。年功序列的なキャリア形成なんて概念、なさそう。
お前が!パフォーマンスを出せるようにするのが!会社なんだよ!
えっもう僕が紹介するまでもなくみんなクラウドの最新機能をキャッチアップしてるんですけど???
コミュニティ活動に熱心な人もいて、僕はそういうタイプではないので尊敬しています。
つまり…
体調悪ければ2時間で帰ってもいい…
あの偉い人言ってることけっこう尖ってるよね?っていう人が多い。
お固い古い会社から来たからそう感じるだけかもしれないが。具体的に紹介できないのが残念。
もちろん誰かを傷つけるような尖り方ではなく、HRTの原則も大事にされています。
打ち合わせを金曜にまとめて入れておいて、木曜にタスクを消化しよー。
どんなに長い会議でも1時間で終わるし、無駄なことやらされてる感のある会議はまずない。
仕事中、眠気に襲われることが減ったし、睡眠の質も良くなった。毎朝がHello, World!
50代、60代になっても働く会社、という雰囲気ではない。退職金積み増し制度があって、40代で辞めると****万円貰えたりする。
5年エンジニアとして務めた富士通を一昨年退職した。そろそろほとぼりも冷めたと思うので、書く。
真面目に書いている増田もいるが、僕は自分の半径5m以内で起こった幼稚な理由にフォーカスを当てる。
まずこれがトップにくる。
本当にだめだった。多分開発させる気なんてなかったんだろうなあ。ニートでももうちょっといい環境を使っていると思う。
メモリ4GBのセレロン使ってた。もちろんSSDじゃなくてHDD。PCは富士通製のミドルクラスのノートPCしか支給されなかった。
Macなんか認めん!iOSアプリも富士通PCで作れ!(本当にあった話)。
いろんな環境にいたが、その中でもひどかったのは、もともと生産ラインがあった場所に机を置いて事務所として使っていた場所だ。机もせまかったし、気温も暑いか寒いかのどちらかだった。
そこに協力会社を大量に押し込んで、ソフトウェアの生産ラインを作っていたのだった。つまりライン工だね!
椅子もすりきれ、キャスターもついていたらまだいい方みたいな感じだった。自腹で買ってもちこんでいる人もいた。
エンジニアが全員ヘッドセットしている異様な光景は、入社時、ここはコールセンターかと思ったほどだ。
だいたい協力会社と進捗会議しているのである。そんなに毎日電話したら、進捗するものも進捗しないだろう。
なので、ここのエンジニアはあまりコーディングをせず、もっぱら進捗管理している。僕はそのなかでもコーディングするレアな人間だったので、うるさくてしょうがなかった。でもイヤホンで音楽聞くのは禁止だった。
上長が君を呼んでいるのが聞こえなかったらどうすんの?だってさ。いや、みんなヘッドセットしてますやん。
一応目標は書く。達成しても評価低いときもあったし、未達でも昇格するときもあった。
数半期連続で目標達成したのに全然昇格しない時期があって、上司に問うたら、「いや〜、うちは年功序列だからね。。」だってさ。そうすると僕の目標は1年で10年分の年をとることだ。
社内にとある開発標準がある。
これに従えばプロジェクトは成功すると信じられている。というよりも、何かがうまくいかなかったときに「なんで開発標準に従わなかったの?」という責められ方をする。たちの悪いISOみたいなものだ。
内容は明らかに古く、ウォーターフォールのシステム開発用にしか使えない。これを無理やりモバイルアプリ開発に適用したり、Webに適用したりする。Webをウォーターフールでつくるもんだから、一度作ったら終わりの作りきりの製品になる。
工程だけでなく、品質についても言及されている。例えば試験項目の品質はいかにバグが検出されたかで測られる。
「おかしい、もっとバグが出るはずだ!バグが出るまで試験しろ!」
開発手法にしてもアジャイルをなかなか実践できなかった。常にウォーターフォールの設計だった。承認フローが差し込めないからね。未だにアジャイルがウォーターフォールに対してどうメリットがあるのか、どう導入するのかを議論して、「なんちゃってアジャイル」(単なる細かいウォーターフォールの実践)を導入してみたりする。
技術に関しても導入は難しかった。クラウドなんて信用できない。他社のしかも、どこにあるかわからない場所になんてデータが保管できるわけがない!
僕のサラリーに一番影響するのは残業時間だった。正直残業しないと生活がしんどかった。
自動化?
ふざけちゃいけない。全て手作業で時間をかけて、丹精込めてビルドするんだ。
バグを埋め込むのもいい方法だ。残業時間が増えてサラリーも増えるし、試験も楽になる!炎上させて鎮火すると、上司の評価もあがるぞ!
どう考えてもG Suiteを使えば一発でおわるのに、何番煎じかわからないアプリを作らされる。JSPで。こんなんを作りにきたんだっけ?
僕はまずはGitの啓蒙から始めるのが通例だった。でもこれがまた苦労するんだ。
しかもだいたい信用してくれない。日付が入ったフォルダにgitからコピったファイルをおいて作業している。それ、Git使ってる意味は??
8:50から12:00がコアタイムのフレックスだった。どうしても連日深夜作業したエンジニアを朝に叩き起こしたいらしい。遅刻にはかなり厳しく、評価にもダイレクトにひびくので、朝忘れ物して5分遅れそうだな、と思うと「体調悪いです」と言って午前休をとることも多かった。そこまでして8:50に出社しても、べつに特別な業務があるわけでもない。
なんかみんなおんなじに見えてくる。自社の文化に染まってんなって感じの。ほとんど新卒しかいないから、他社の文化なんてのはなかなか入ってこないしね。
みんな真剣なようで真剣でない。悪い意味で真面目。面白い人や尊敬できる人はあまりいなかった。
人の時間を奪うことに関して悪ではない雰囲気だった。自席にいるとすぐに呼び出されるので、どうしても仕事に集中したい場合は会議室や打ち合わせスペースを予約してそこにノートPCを持ち込むようなハックが必要だった。僕は残業時間に仕事の時間を確保していた。会社にきているのに仕事の時間を確保しないといけないとは。
会議は特に時間泥棒なんだけど、上司が率先してやるもんだから、みんな船漕いじゃってもう。みんなが船こぐような会議は必要?
難しい顔しながら居眠りするのがうまくなった。
最近45歳以上のリストラがバズっているが、あまり未来が明るい雰囲気の会社でなかった。景気の良い部門もあまり見たことがないし、野心的なプロジェクトもあまりなかった。
個人でみても、特段給与もよくなく、昇進しないかかぎり給与はよくならないし、現状が特に良くなかった。給与サイトを見ると、平均年収は比較的高い方だが、それは残業をした場合である。最近は残業規制も厳しく、あまりもらえないんじゃないかと思う。まあ、最終的には給与だよね。
ここにかいたのは僕の観測範囲です。非常に大きな企業なので、もしかしたら良い環境の部署もあるかもしれません。また、僕がいた時期と今は変わっているかもしれません。
今日のはてなで仕事のモチベーション話が続いたので、ちょっと思うことを書く。
仕事のモチベーションには、大きく分けて金銭的なものと社会的なものがある。そして、この2つは共存し得ない。
例を挙げよう。
小さい頃、母親に買い物を頼まれたことがあるだろう。夕食を作っている途中でお醤油が無いとか、玉ネギが足りないとかで、
『ちょっと近くのスーパーまで行ってきてくれる?』と頼まれる。
買い物を終えて家に戻ると、『ありがとう。助かった』と母親は言ってくれ、自分が役に立てたことが嬉しかったりしたものだ。
そしてその数日後、似たようなことが起きた。
母親は何度も悪いからと、お小遣いをあげることにした。『100円あげるから、またスーパーまで行って来てくれる?』
もちろんタダでやっていたことが有料になるのだから良いことだ。
そして、ここが重要だ。
その時、君は『忙しい母親を助ける』というモチベーションを持っているだろうか?既に100円もらえるという金銭的モチベーションに変化しているはずだ。
この変化が生じた時点で、社会的モチベーションは消えてしまうのだ。
戦後の日本は『戦後復興』が働くことのモチベーションだった。その後は高度成長、日本列島改造論と続く。
多くのサラリーマンにはその自負があり、実際、その年代の方からそういう自慢話は良く耳にする。
それが変わったのがバブルだ。
日本中に金が溢れ、サラリーマンの給料も上がった。戦後復興や高度成長のような社会的モチベーションは無いまま、
多くのお金は退廃的で享楽的な浪費に使われ、働くことは金銭的モチベーションへと変化してしまった。
そうなると、バブルが崩壊しても社会的モチベーションには戻れない。
そうするとどうなるか。
逆に、不景気の現代にフィットした形で社会的モチベーションを悪用したのがブラック企業だ。
彼らは、『お前がやらないと取引先に迷惑を掛ける』『お前に辞められたら、ウチは倒産だ』と
社会的モチベーションで従業員を酷使する。でも、利益が出ても決して給料は上げない。
上げるとどうなるか。
従業員は、それが社会的モチベーションなら過酷な労働環境を我慢してしまうが、
『この労働環境でこの金額ではやってられない』と目覚めてしまうのだ。
だから、ブラック企業が給料を上げないことは、生存戦略としては正解なのである。
そして、ここまででは無いにしても、似たようなことは日本の多くの企業で起こっている。
最近、NTTからの退職エントリーが話題になった。彼らは確かに、将来的なサラリーの上限について言及はしていた。
もし彼らに『君は優秀なので、給与規定を改定してGAFAと同じ給料がもらえるようにします』と会社が回答したら、
彼らは踏みとどまっただろうか?
でも、もし会社がそれをモチベーションとする場合、それが社員にとってモチベーション足り得るものでないといけない。
そして、社員が社会的モチベーションを持たなくなるリスクも自覚すべきだ。
給与査定に係ることでないとやらない、誰かが困っても助けない、面倒な客はやらない、
社長やチームリーダーには、そんな彼らをマネージメントするスキルも必要になる。
果たしてこのこの人手不足の時代に、その期待に応えられる人材を集められるだろうか?
そしてこの不景気の時代に、彼らを満足させるだけの条件提示を出来るだろうか?
会社も(ここが重要)、社員も社会的モチベーションを持ちながら、共に進めるかを模索していくべきだと思う。
最近ではR25でZOZOの田端氏が肉の写真を貼った経験談をしていた。
彼はここで、『プロジェクトが成功したらボーナス出させる』と社長に掛け合ったりはしていない。
数値目標を貼りだして、『それが成功したって、給料上がらないでしょ』という
社会的モチベーションを引き出すことでプロジェクトを成功させている。
こうして会社の業績が上がり、『結果的に』給与が上がるのなら、それが理想だと思う。
今の日本で、企業が社会的モチベーションを提示できていないことは大きな問題だ。
営業には営業の、職人には職人の、医師には医師の、エンジニアにはエンジニアの、
それぞれの職業において、またはプロジェクトにおいて、会社はそれを提示すべきだと思う。
これは理想論ではない。
田舎でI wanna beしていた私は、一念発起して上京してからある程度の年数が過ぎた。
ひょんなことからとある芸術分野において創作活動を始めたのだが、その世界で見た事を部分的ながらも、
知っている方にとってはごく当たり前な事を書くことになる。
残念ながら独学した方がマシな人しかいないので、正直名刺交換もしんどい。学生にとっては雲の上の人に見えるだろうけれど、
その内実は、企業とのつながりの為に出向した人間や、付き合いで取れた章典を引っ提げて人に教えている人が多い。
単純に考えればわかる事だが、才能も教えがいのない、カリキュラムも決まっていて、小金だけ持っている学生にルーチンでサラリー貰いながら教える仕事は、
最前線で創作活動をし、名誉と金をもぎ取る人たちにとって、悪夢以外の何物でもないのである。
これらの仕事として行う為の技術を学ぶ場としては機能しているし、OBOGや就職先のネットワークは色々な点でメリットになるが、
それ以上の事は期待しても難しい。
定期的に何処かの美大で教授が怠惰であると抗議を挙げる学生がいるが、そもそも怠惰だから美大の教授をやっているとは考えなかったのだろうか?
・パワハラ(というか優位的地位の濫用)・セクハラ(というか強制わいせつ)
そんな世界は産業として成立していないとかいう人がいるが、労働者向けの用語に直すと括弧のにようになる。
どの世界でもある事だし、性善説で社会は回っていない。自己の権利を主張しない奴は「私の価値はゼロ円で使い放題です」と言っているのと同義だから、
優位的地位に居る奴に、いいように使われるのがオチである。セクハラは最近マシになったが、元々女にモテない奴が、
女に対して優位的立場を行使できるようになると、気持ち悪い性欲の捨て場として使うようになるので、まあ気を付けてほしい。
・出来賞レース
言葉として、「10年に一人の逸材!」とかあるが、ではその方が受賞する賞年度を除く9年はどうかというと、
そこそこの落としどころで納得できる才能か、関係者の付き合いで賞を取らせることになる。
特に学校関係で受賞する方は、10年20年先も活動できるような底の深さを作る間もなく、その余裕もない形でヨイショされるので、
憐憫の眼差しで見てしまうのだが、本人にとっては今を生きているのだから仕方がない。ゴールは学校の先生である。
画廊関係の推薦も、よくよく思うと、その年の決算までに効率的に稼げそうな方を選んでいるフシもあるので、画廊を選ぶのも運である。
そもそも、大人しく金持ちの家に置く物や建具に細工をしていればまだいいが、fine artを名乗って売る以上、
その日暮らしのルンペンであり、狙った特定の層にウケる創作物を作るしかないのだが、
世界(日本除く)は芸術作品の売買や輸出入における関税を極端に低くしているので、金持ちの合法的脱税と投機により成り立っている側面もある。
サラリー貰っている一般大衆とは考え方が違って当たり前で、そもそもそのような世界に居られない人間の逃げ場のような側面もあるので、
世間通念とずれた人間が多いのは仕方がないところである。芸能含めて言い方が悪いがヤクザな世界である。信じられるのは己のみで、
個人的な私見だが、ヤクザと聞くと皆さんが思い浮かべるのは悪いイメージだが、疑似家族制度や仁義・義理の考えは、武士社会のもじりである。
政治家や財閥を構成する方々の閨閥等の理論と、ヤクザを構成する方々の理論は、実はとても近い。
才能と己が全てである。