はてなキーワード: 玉ネギとは
「無人島に持っていくべき調理家電ナンバーワン 『大同電鍋』|田中 伶」という記事のブコメで、「電気圧力鍋とホットクックとシャトルシェフとスロークッカーと、この大同電鍋の違いを誰かまとめて欲しい」というのを見かけたので、及ばずながら知ってることを書いてみる。
まずシャトルシェフ。シャトルシェフは魔法瓶の上位互換というか、まあ「魔法鍋」であり、スロークッカーの下位互換。なにしろ熱源を持ってないので、絶対に火災の原因にならない、という安心感はある。「スロークッカー買うから要らない」「スロークッカー買えないから妥協してシャトルシェフ」「スロークッカー持ってるけどセカンド・スロークッカーとして買う」などはいずれも正解。『保温調理鍋[シャトルシェフ]のおいしいレシピ (扶桑社BOOKS)』という本はおすすめできるが、ただし赤エンドウについての記述は大嘘だ。大豆ならともかく、シャトルシェフで赤エンドウ茹でるの無理。
そしてスロークッカー。当該記事を読む限り、スロークッカーと大同電鍋は別枠。
私見ではスロークッカー最大の美点は「石焼き」です。パプリカを洗って鍋に入れフタして1時間加熱するだけでむちゃくちゃ甘くなる。遠赤外線効果は蒸すのとは異次元。「はあ? パプリカを加熱するだけのために買うのかよ」と、知らない人は思うだろうけど、いやアレはねえ、素晴らしいですよ。ウチでは石焼きパプリカのピクルスをしょっちゅう食べてます。ちなみにパプリカは、コンロで焼き網で(あるいはオーブンで)真っ黒に焼いて皮を剥いても同等の結果が得られるが、カンタンさがぜんぜん違う。これを書いたおかげでいま気づいたけど、今後さつまいもとか栗とか玉ネギとかニンジンとかも試してみたい(そういえばナスはダメだった。焼きナスは電子レンジの方が美味い。焼いてないのに焼きナスの味になる)。
豆を煮るとか、トロッとなるまでごぼうの筒切りを煮るとかはシャトルシェフでもできなくはないが、シャトルシェフにはどうしても「保温してるだけ」という非力さがつきまとう。たとえば砂肝をスロークッカーで90分茹でるとかなり柔らかくなるけど、シャトルシェフで同じ状態を目指すなら1時間おきにコンロで沸騰させて3時間くらいかかりそう。「3時間放置で完成」ならそれでもいいけど、「1時間おきにコンロで沸騰させて3時間」はなかなか面倒臭い。プルド・ポークとかプルド・チキンとかアヒージョとか、「豚バラを5時間煮る」などもシャトルシェフでは無理だと思うが、スロークッカーなら余裕。
タイマー機能が無い。スロークッッカーのよさは「タイマーかけたら後はほっといても安心」なところにあるので、電源タイマー同時購入が必須。私はパナソニックの WH3101BP というヤツを使ってます。
もうひとつ、最大温度が低い。スープがクツクツしてくるまで「強」で1時間近くかかり、そしてそこが最高到達点。「グツグツ」や「ボコボコ」は無理。もちろんそれは素材の美味さを最大限に引き出すスロークッキングというコンセプトにおいて長所だが、「蒸す」「電子レンジ代わりに手早く温める」「飯を炊く」などの用途には非力。それらの用途が、大同電鍋の得意分野として多くの記事で挙げられていることから考えると、たぶん大同電鍋は熱力(?)が高いんだろう、と思う。
元ツイは消されたものの、国税庁にあたった記事をみてもはっきりしないような…
スーパーで「ユズ湯に」と表示したら軽減税率の対象外になる説が拡散→国税庁「なりません」 - 税理士ドットコム
https://www.zeiri4.com/c_1076/n_873/
「冬至でお風呂に入れる“ゆず”は消費税10%」というウワサが広がる → 国税庁「適用税率は8%で変わりません」 - ねとらぼ
例えば、美術の予備校や大学・専門学校などで木炭画用消し具として使用される食パンはどうなるのか。
美大などのそばのスーパーやコンビニで販売される食パンの税率は?
それとも同規模のスーパーやコンビニの他店舗と比較し、食パンの売上げ多かったらアウト?
食用以外に用いられると知ったうえで継続的に販売してますよね、ってことで。
塩分加えた料理酒が酒税を免れるみたいに、消し具として使えないようバター塗った状態で食パン売ればセーフ?
「一般にスーパーで食品として売られているものであれば」とあるが。
もう3年ぐらい、朝はサラダを食べてる。
かなりボリューミーなサラダをつくって食べ続けてる。
レタス何枚か、トマト半分、ゆで卵1個、シャケの切り身を茹でたやつは大体入っていて、
あとはオクラ、小松菜、レンコン、人参、玉ネギ、リーフミックス、ほうれん草、キノコ類、チンゲンサイ、ブロッコリー、セロリ、ラディッシュやらなにやらこの辺りの値段間の野菜を何種類かをボールいっぱいに入れてポン酢とマヨネーズとレモンとレモンペッパーで和えて食べてる。
野菜の緒種類が豊富なほど口の中で噛んでるときの味に満足感があって美味しい。そもそもは「野菜1日350gもムリじゃん」と思って、じゃあ1食で食べきってやろうと思ったのがほったんだったんだけど、慣れてくるとカラダもシャッキリするし、意外と飽きもこないのでちょうどいいと思ってた。
ずっと、家からいちばん近いスーパーで買っていた野菜を使っていたんだけど、最近買った総菜2つの2つともに不純物が入っていたのが原因で(短い髪の毛とビニール片が混入していた)少し気分良く買い物ができなくなったので少し遠目の、通っているジムの近くにあるライフで野菜を買った。
そしたら、味がまったく違うの。
同じ野菜を買ってるんだけど、全部合わせたときのトータルの味がなんか違う。ポン酢とかマヨネーズとかは同じメーカーのものを使ってるから味が変わっているはずもなく、つまり、「野菜の味って違うんだな」という不思議な感覚に陥った。
いままで、トマトはトマトだったし、そりゃたまにはすっぱいとか甘いとかゆるいとかああったけどさ。レタスはレタス。小松菜は小松菜。同じ種類の野菜は全部同じ味としか見てなかったんだけど、やっぱり作る農家さんによって味って違うんだなと思った。
私は実家ではライフを重宝していたので、ライフで買った野菜を食べて、「そういえばこれ実家で食べてたレタスの味だわ!」って記憶が蘇った。美味しいとかまずいとかではなく、味が違うって感じ。あの店のカレーとこの店のカレーは味が違うのと同じ。
今まで、同じスーパーで買うか、他のスーパーの野菜を買っても一部とかさったので気付かなかったけど、全部変えて気付いた。近所のスーパーは農家さんの名前がいちいち書かれている野菜が売られていて(田中さんの大根!みたいな)、結局、総菜に罪はあっても野菜に罪はないと思って近所のスーパーに戻った。うん、これこれ。
営業用の大きな冷蔵庫に買ってきた食料の大部分を収めた速見は、帽子とジャケットと靴を脱ぎ、金魚鉢ほどの大きなグラスに氷とジンと少量のドライ・ヴェルモットと十滴ほどのアンゴラース・ビタースをぶちこみ、フォークで掻き回した。レモンの皮を放りこむ。一度に水呑み用グラス三杯分ほどを喉を鳴らせながら飲んだ。露が浮かんだ大きなカクテル・グラスには、まだ三分の二ほどドライ・マルテーニが残った。速見はアルコールが回ってくると共に猛然と食欲が起こってくるのを覚えた。テンダーロインの大きな塊りから一キロほどヘンケルの牛刀で切り取り、塩と荒挽きのブラック・ペッパーを振った。玉ネギを二個ミジン切りにする。ガス・レンジに大きなフライパンを掛けてサラダ油を流しこむ。煙抜きのファンを廻した。やがて、オイルが煙をあげはじめた。速見はそこに五十グラムほどの牛脂を放りこんだ。菜箸で掻き廻す。牛脂は焦げながら溶けた。脂がはぜ、速見のシュッティング・グラスに飛び散る。フライパンのまわりからときどき炎があがった。速見は一キロのテンダーロインをフライパンに入れた。にぎやかな音と共に、脂はさらに飛んだ。ビーフの肉汁があまり逃げないように、三十秒ほどで速見は肉を引っくり返し、高熱で両面を硬化させた。また三十秒ほど待ってガスを中火にし、買ってきてあったポテト・サラダに玉ねぎのミジン切りの一個分を混ぜた。ミディアムに焼いたステーキを大皿に移し、その脇にポテト・サラダを盛りあげる。フライパンに残った牛脂と肉汁のグレーヴィに残りの玉ネギのミジン切りを放りこんで掻き回し、キツネ色に焦がした。そこにショーユと砂糖を入れて沸騰させ、日本酒を一合ほどぶちこんだ。そうやって作ったグレーヴィ・ソースを焼けたステーキの上から流し、テーブルに運ぶ。まだ中心部にわずかに血が残るステーキを、ナイフとフォークでいそがしく使って貪り食う。ときどき、ポテト・サラダで口の中の脂を取る。
今日のはてなで仕事のモチベーション話が続いたので、ちょっと思うことを書く。
仕事のモチベーションには、大きく分けて金銭的なものと社会的なものがある。そして、この2つは共存し得ない。
例を挙げよう。
小さい頃、母親に買い物を頼まれたことがあるだろう。夕食を作っている途中でお醤油が無いとか、玉ネギが足りないとかで、
『ちょっと近くのスーパーまで行ってきてくれる?』と頼まれる。
買い物を終えて家に戻ると、『ありがとう。助かった』と母親は言ってくれ、自分が役に立てたことが嬉しかったりしたものだ。
そしてその数日後、似たようなことが起きた。
母親は何度も悪いからと、お小遣いをあげることにした。『100円あげるから、またスーパーまで行って来てくれる?』
もちろんタダでやっていたことが有料になるのだから良いことだ。
そして、ここが重要だ。
その時、君は『忙しい母親を助ける』というモチベーションを持っているだろうか?既に100円もらえるという金銭的モチベーションに変化しているはずだ。
この変化が生じた時点で、社会的モチベーションは消えてしまうのだ。
戦後の日本は『戦後復興』が働くことのモチベーションだった。その後は高度成長、日本列島改造論と続く。
多くのサラリーマンにはその自負があり、実際、その年代の方からそういう自慢話は良く耳にする。
それが変わったのがバブルだ。
日本中に金が溢れ、サラリーマンの給料も上がった。戦後復興や高度成長のような社会的モチベーションは無いまま、
多くのお金は退廃的で享楽的な浪費に使われ、働くことは金銭的モチベーションへと変化してしまった。
そうなると、バブルが崩壊しても社会的モチベーションには戻れない。
そうするとどうなるか。
逆に、不景気の現代にフィットした形で社会的モチベーションを悪用したのがブラック企業だ。
彼らは、『お前がやらないと取引先に迷惑を掛ける』『お前に辞められたら、ウチは倒産だ』と
社会的モチベーションで従業員を酷使する。でも、利益が出ても決して給料は上げない。
上げるとどうなるか。
従業員は、それが社会的モチベーションなら過酷な労働環境を我慢してしまうが、
『この労働環境でこの金額ではやってられない』と目覚めてしまうのだ。
だから、ブラック企業が給料を上げないことは、生存戦略としては正解なのである。
そして、ここまででは無いにしても、似たようなことは日本の多くの企業で起こっている。
最近、NTTからの退職エントリーが話題になった。彼らは確かに、将来的なサラリーの上限について言及はしていた。
もし彼らに『君は優秀なので、給与規定を改定してGAFAと同じ給料がもらえるようにします』と会社が回答したら、
彼らは踏みとどまっただろうか?
でも、もし会社がそれをモチベーションとする場合、それが社員にとってモチベーション足り得るものでないといけない。
そして、社員が社会的モチベーションを持たなくなるリスクも自覚すべきだ。
給与査定に係ることでないとやらない、誰かが困っても助けない、面倒な客はやらない、
社長やチームリーダーには、そんな彼らをマネージメントするスキルも必要になる。
果たしてこのこの人手不足の時代に、その期待に応えられる人材を集められるだろうか?
そしてこの不景気の時代に、彼らを満足させるだけの条件提示を出来るだろうか?
会社も(ここが重要)、社員も社会的モチベーションを持ちながら、共に進めるかを模索していくべきだと思う。
最近ではR25でZOZOの田端氏が肉の写真を貼った経験談をしていた。
彼はここで、『プロジェクトが成功したらボーナス出させる』と社長に掛け合ったりはしていない。
数値目標を貼りだして、『それが成功したって、給料上がらないでしょ』という
社会的モチベーションを引き出すことでプロジェクトを成功させている。
こうして会社の業績が上がり、『結果的に』給与が上がるのなら、それが理想だと思う。
今の日本で、企業が社会的モチベーションを提示できていないことは大きな問題だ。
営業には営業の、職人には職人の、医師には医師の、エンジニアにはエンジニアの、
それぞれの職業において、またはプロジェクトにおいて、会社はそれを提示すべきだと思う。
これは理想論ではない。
皆さんはネギ焼きというものをご存知だろうか。私がこの食べ物を初めて知ったのは中学2年生の頃で、それは思いがけない出会いだった。
当時、私は一時期訳あって夜ご飯を自分で用意し家で一人で食べなければならなかった。毎晩のようにお弁当屋さんで弁当を買って食べていた私は、代わり映えのしないのり弁当・唐揚げ弁当のローテーションに飽き、栄養なんかを無視して食べたいものを食べようと近所へくり出した。くり出した先は近所のコンビニだったのだが、今思えば他にも選択肢はあっただろうと思う。しかし当時は中学生。自分の行く場所というのは限られていた。物理的にも発想的にも。
コンビニに向かった私は惣菜コーナーで大好物のお好み焼きを発見し、「コレだ!」と思った。栄養なんかは置いといて、これから数日は弁当ではなく大好きなお好み焼きを食べ続けようと意気込み、ワクワクしながら家に買って帰った。家に帰り、レンジでチンをしてその美味しそうなお好み焼きを口にした瞬間だった。「(シャキッ)…ん??」。キャベツの量が異常に多いお好み焼きなのか、とか、たまたまキャベツが一箇所に大量に偏っていたのかとか私は一瞬の間に多くの憶測を脳裏に浮かべた。一口かじったお好み焼きを見るとなんと中にネギが入っているのである…!その時の衝撃を私は今でも忘れられない。そしてパッケージを改めて見てみるとそこには小さく「ネギ焼き」と書いてあったのである。当時の私はネギというものは不味いだけでこの世に存在する意味がないものだと思っていた。玉ネギの副産物として農家が営利目的に販売しているだけだと思っていた。だからそのネギが、大好きなお好み焼きを模して主役に立っているという事実を受け入れられず、怒りさえ覚えた。ネギ焼きを販売したコンビニにも怒りを覚えた。1日の夕食の予算が限られているのにこんなものにお金を使ってしまった。せめて「これはお好み焼きではなくネギ焼きです」とポップをつけてPRして欲しかった。お腹は減っていたけど口は完全にお好み焼きのそれになっていたので好きでもないネギをその一口以上に食べる気にはなれず、記憶は曖昧だが恐らく処分したのではなかったかと思う。
それからどれくらいの時があっただろう。10年以上は経った。私も曲がりなりにも人生経験が増え、口にした食べ物の数も増え味覚も変わった。そして今日、とあるお店でネギ焼きが売られているのをふと見かけた。その瞬間、昔の思い出が甦り、怖いもの見たさのような気持ちでねぎ焼きを購入した。
ネギ焼きの存在を初めて知ったあの頃から自分は変わっただろうか。お好み焼きが好きなのは相変わらずだけど、たくさんの経験をし、手に入れたものもあれば失ったものもある。出会いと別れを繰り返し、色んな土地に移り住み旅行もたくさん経験した。そんな自分が今ネギ焼きを食べたら一体どんな感想を抱くのだろう。今でも主役に立ち続けることが出来ているネギに対して、大物俳優に抱くような畏敬の念を感じるのだろうか。それともやはり玉ネギの副産物だと、世に唾を吐きかけその存在を否定するのだろうか。
そのどちらであったとしても、ネギ焼きを愛する人がいることはきっと事実で、この世に存在するものには少なからず影響力と存在意義というものがあるのだということを長年の間に学んだ。自分はネギ焼きほどの影響力を持てているだろうか、中学生2年の私に与えたほどの衝撃を子供達に提供することが出来ているだろうか。存在意義のない大人になってしまっていないだろうか…。ネギ焼きに負けないように頑張ろう、そしていつかお好み焼きの座を奪い取るかのように世の中を変えよう。そんなことを思いながら、ネギ焼きをレンジにかける。
普段それほど作らない料理だから、これと決めた定番のルーはなくて、目についた適当なルーを買って使ってみた。
味見したときは正直、「好みの味じゃないな…ちょっと失敗したか」と思ったんだけど、いざ食べてみたらあら不思議。
スープ単独だと相変わらず好きじゃないのに、具・ライスと一緒に食べると美味い。
箱に書いてあった量より少し多めに具を入れた分、先に下味をちょっとつけたんだけど、それが良かったみたいだ。
自分が思い描いてた味のルーを使うのとは違う、自分の想像を越えたところで美味い味。
分量通りに作ってたらたぶんたどり着かず、ありもので間に合わせたからこそ偶然できた味。
料理って奥が深い。