はてなキーワード: うつ状態とは
自慢じゃないが、私と妹も、虐待を受けて育った。
正直、大した虐待じゃなかった。
父親が、DVモラハラの毒親で、母親がDV被害者特有の毒親だっただけだ。
性的虐待がなかっただけマシだったね、と、今でも妹と当時のことをよく笑いあう。
母と私と妹が、暴力と暴言の嵐の中で育ち、しかも、父親は母曰く「いい父親」だった。
蹴飛ばされ、投げ飛ばされ、無茶苦茶言われても黙って耐えていた。
でもいい父親は、暴力浮気借金ギャンブル上等の人だったので、さすがの私も、高学年頃には、いろんなことが間違っていることに普通に気づいていた。
おかしいのは親だったのに、おしくなったのは私だった。
その頃、まだ洗脳が解けていない私達には、「逃げ出す」という選択肢はなかった。
でも、母の「あなたたちの為に(父親と)一緒にいる」という常套句が、普通にこたえていた。
母は私たちの為にこの環境に耐えているのだから、私たちも耐えろ、という言外の圧力に疲れ切っていた。
実際、母はよく、何も告げずにふらりとどこかにいなくなったりしていたし。
両親は離婚できて、私も楽になれるのなら、もう死んだ方がましだった。
自殺未遂後、精神科閉鎖病棟に保護入院(自殺しないようにする措置)、私は今でも、精神科の病院にお世話になっているメンヘラだ。
幸運だったのは、妹は、おかしくならずに、上京してまともな大学生になり、専門的な教育を受けられたこと。
私が渋る母と妹に、とにかく妹を、上京させてやってほしい、と頼み込んだ。
今話題になっている、北海道のあの子たちが、どこまで追い詰められていたのか知らない。
彼女らが、早く親を殺してよかったと、私は思っている。
この世界は弱肉強食だ。殺られる前に殺るのが鉄則。サバイバルだ。
私たちは何とか生き延びた。
私は、彼女たちの魂が、まだ救われる段階にあることを切に願っている。
公立夜間は、大体において何らかの要因を抱えており他教員とうまくやれない教員がいくところです。
特に鬱病は最近多くて1~3年程度休職しても復職はふつーにできるのでそういう人が行きます。
躁鬱だと特に厄介です。
躁状態だと授業をせずにずっと自論を生徒が辟易してどんなに頭のわるい子たちでもいい加減授業してほしいってくらい言い続けます。はてなでもいますよね。そういう人。
うつ状態だと学校に出てこなくなるのでひたすら自習時間が多くなります。その分頭が悪くなります。
底辺の私立の高校の先生はなんらかの理由によって公立高校に勤めることができない何かを抱えています。
「鬱病」というものを言い訳にしてしまうのは少し卑怯な気もするけれど。
この前病院に言って、軽い鬱状態ですねと診断されたのであまり見当違いではないかとも思う。
でもさー、心療内科にきた患者が「最近頑張れないんです」って言ってたら、
わたしでも言うわ。
どうすればいいんだっけ。
そういえばもらった薬を一つも飲んでないや。
もうわたしはだめかもしれないのよ。
誰か助けてほしいけど、助けを求めるのがめんどうくさい。
周りの人はみんな付き合ってて、抱きしめたりはしてくれない
助けて助けて。
逃げちゃえばいいの?
でも、逃げた先が怖いの。
ねぇお願い、大丈夫だよって言って。
っていうか、大丈夫にして。
もう壊れちゃいそう。
何を書いてるのか自分でもわかんない。
こわいこわいこわい。
自分が、あと何ヶ月後かの自分がどうなってるのかが分からない。
お母さん、ごめんね。
お父さん、ごめんね。
躁うつ病じゃないか?
エネルギーが切れた頃にまた元に戻るかもしれない。
うつ状態に戻った時に変な目で見られないように、今のうちに釘刺しといた方がいいかもな。
ツイッターといえば、馬鹿な発言が多い事でも知られ通称バカッターとか馬鹿発見器などと揶揄されるけど、
今度の「うつ病の社員は会社に不利益だからさっさと退職すべき」と言う同僚女性の発言は、今までうつ病を発症した会社員の立場に対して
言ってはならない暴言の一つとして取り上げられた事は誠に遺憾だと思う。
本当の事を言ってはならない、という意味で失言したというよりもむしろ、うつ病を発症した会社員は全く悪くなく、それで休んだ行為は正当だと言うのである。
すなわち今回の休職行為は正当だと言うのである。それはそれとして。
問題は、そこではなく、会社での一幕を批判したに過ぎないのにも関わらず外野がこれを猛烈に批判している事である。
ツイッターでは、こういった言動や言論というのは封殺されるのか。あるいは検疫をやる人ばかりなのか。
その発言に犯罪性が乏しいのにも関わらず、発言自体が犯罪であるかのような批判が見られるのはどうかと思う。
それもこの発言者は実名でそれを批判しているのは不特定多数の匿名である。
こいつらは卑怯ではないか?
また、いちいち一挙手一投足揚げ足を取って自社や学校でのストレスを発散しているようにしか思えない。
それは、この会社のうつ病社員がやはりうつ病であるという理由で何か月も休む事は、会社にとって不利益以外の何物でもない、という部分がその批判から抜け落ちてるためである。
実際、うつ病社員が担当していたであろう案件は空の上であるから、一日休む度に会社だけでなく、その案件を他の社員に分担して負担を強いているはず。
その上で、今回の発言に繋がっていると冷静に考えれば簡単に推定できるのではないか。
ここで一つ問題がある。
今回の発言は確かに当該社員の些か冷静さを欠いた発言ではある。
だが、うつ病社員が抱えてる問題についても考慮しなければならなかったのにも関わらず軽はずみな発言をしてしまった事は問題である。
しかしながら、それは当該社員と会社とうつ病社員の問題であって、外野があれやこれや問題だと批判するのは論外である。
恐らく“うつ病”という言葉に過剰反応したのであろうが、うつ病にも様々ある事は周知の事であろうが、新型うつ病のように、会社内ではうつ状態なのに家に帰ると元に戻る、
挙句休職ないし有給消化という形を取ってディズニーランドに行ってみたり映画や外食に行ったりするのは果たして問題はないのだろうか。
“うつ病”への理解というのは、人それぞれだし、ましてや会社員なのだから、ケジメを付けるのは重要である。
ここでのケジメは1か月以上も休職する事であり、例えばこれが妊娠とか出産子育てであれば会社にとって多少の不利益は生じても理解されるべきであるが、
“うつ病”に関しては最悪懲戒解雇も視野に入れなくはならない。
何故なら、如何なる仕事においても“うつ病”だから会社を休むというのが正しい事になってしまうと、じゃあ俺も私もというような状態になった時、会社はそれを全て受け入れなくてはならなくなる。
しかもその間は休職扱いなのでデスクや担当案件がその社員持ちであるため、むやみに人員を増やしたりも出来ない。
同じ様に何人もうつ病を発症して休職となると会社組織自体が立ち行かなくなる。
そうした面をも踏まえての発言であろうと見なければならないのに、ツイッターの人達は深読みもせず“うつ病患者は会社を辞めろ”という部分だけを強調して批判するのである。
治療に入ったとの事で、一番最初の一番大きな壁は乗り越えたようなので、ほっとしました。
焦る気持ちはわかる気がします。僕もうつになったときは半端じゃなく焦りました。
でも、病気のときは、病気を直す事を一番に考えたらいいんじゃないかと今は思います。
うつ状態で考えても、つらいばかりで、不安になるばかりで、なにも前には進まないので。
一番大事なのは、ブコメにもあったとおり、利己的になることだと思います。
これまで支払ってきた社会保障費や保険を有効活用して、治ってからまた払う。ぐらいの気持ちでいいんじゃないのかな。
職場への復帰に関しては、治ってから考えたらいいんじゃないでしょうか。
主治医と相談しながら、治療のためにベストな選択肢を選ぶ(それが難しい病気なんだけど)のが一番だと思います。
短時間勤務の打診があった旨は、主治医に報告して、治療のためにそれがベストなら選ぶような感じがいいんじゃないかな。
生計に関して大事なのは、もらえる手当は全てもらうつもりでいることだと思います。途中で治ったらキャンセルできるので。
休職→傷病手当→失業保険、生命保険等→障害厚生年金→生活保護 と最悪のケースでも生きて行けます。
治ったら最悪ルートから抜けて、働き出せばいいんじゃないかな。
その時にどこで働くかを考えるといいかと、今決められない事は今考えてもしんどいだけだと、僕は思います。
治療にあたっては、主治医とタッグを組む気持ちでいるのががいいのではと思います。
主治医が信用できなくなる時期が来たとしても、主治医に嘘をつかないことが大事です。
(僕は、こんな簡単な事ができなくてと恥ずかしくて、主治医にうその報告をしてた時期があり、治るのが遅れました)
不安になったら、主治医と率直に治療方針を話し合うといいと思います。
どうしても主治医と相性が合わないようなら、主治医に伝えてセカンドオピニオンを受けるといいと思います。
自己流やネットなどで仕入れた情報に振り回されない事が大事だと僕は思います。僕のこれも含めて。
くれぐれも、お大事に。
http://anond.hatelabo.jp/20140708065128
ここで無断欠勤したことを書いた元増田です。改めて、皆さんのアドバイスに救われました。ありがとうございました。
あれから心療内科を受診してきました。診断結果は「適応障害(うつ状態)」でした。医師からは、3カ月の休養を要する診断書を出ました。投薬は行わず、また近いうちに心療内科へ伺う予定です。ちなみに、この心療内科は、積極的に投薬治療をしないところらしいです。
このことを職場に連絡し、上司と今後についての面談を行いました。上司は私のことをとても心配してくださっていて、面談の時にもいろいろと気遣ってくださいました。私としては、職場というストレッサーから離れた今現在は元気だけれども、3カ月の休養後に復帰しても、ストレッサーである職場に戻ることで、また同じことの繰り返しになりそうで不安であることを告げました。しかし、「退職します」とはっきり言うこともできませんでした。そこで、上司からの提案として、
(1)3カ月間休職して傷病手当を貰う。それから職場復帰する。
(2)来月から、正社員ではなく短時間勤務(アルバイト)になって職場復帰する。
(3)退職する。
この3つの条件を提示されました。その場で判断がつかなかったのですが、上司からは(2)の条件を最有力条件として提案され、私は一旦保留としました。短時間というのは、具体的には週2回・5時間の勤務だそうです。
今の会社は、この時点でクビにならないだけ柔軟性があると思っています。ただ、この条件だと食べていけません。かといって、優しい言葉を掛けられると、今まで迷惑をかけていた分だけその言葉に報いたいと思ってしまいます。トラバしてくださった方の中に、「最終的には転職を考えたほうが良い」と仰ってくださった方がいましたが、それならば一日でも早く行動に移したほうが良いのか、それとも傷病手当を貰いながら転職活動を行うほうが良いのか。はっきりと「今月いっぱいで退職する」と伝えて、取り急ぎ派遣等で仕事を見つけて働きだしたほうが良いのか…とも考えています。
少しでも自分に蓄えがあれば、もう少し様子を見ながら熟慮して答えを出すこともできるのでしょうけれど……。生活もかかっているので焦ってしまいます。今の職場がストレッサーになっている場合、他の職場だと少しは気分も違うのだろうか。働かないと食べていけませんが、「仕事をする」という最初の段階についていろいろと考えてしまいます。
Beck Depression Inventory (ベックうつ病調査表)
http://www.sannoclinic.jp/bdi.html
結果は32点でそのホームページによると
ということだった。
ネットで色々調べてみると
「精神科に一度行くと一生通うことになる」
「薬は対処療法であって飲んで治る訳ではない」
薬物療法を使わない療法の本を買ってきて
自分でやってみることにした。
ご存知の方も多いと思うが認知療法の前提には
これに対して苦しむことは認知の歪みでもなんでもなく
ただの健全な苦しみなのではないか。
もちろんこの例に対して色々突っ込みどころが
あるのはわかってる。
ブッダの二の矢を受けず的な発想にはついていけなかった
家族構成,症状を軽く聞いて今度は一週間後に来てください
ということだった。
どっかで聞いたことのある名前だ。
どうしたらいいんだろ。
このデッキはそのゲームの環境に応じて柔軟に姿を変えるデッキで、
使いやすいメタカードを多種多様な色から選んでくみ上げるデッキです。
「フェアリーバレット」の「フェアリー」は主軸となる色であるフェアリータイプから、
「バレット」はTCG用語の「シルバーバレット」から来ています。
詳しくはこちら http://mtgwiki.com/wiki/シルバーバレット を参照してください。
簡単に言うと、グーに対してのパー、チョキに対してのグー、パーに対してのチョキだと思ってください。
不安障害、パニック障害、うつ病、うつ状態、統合失調、色々な病名が付けられては、とられを繰り返しはや数年が立ちます。
これらをまとめて心の病と呼んだときに、これらへの銀の弾丸、シルバーバレットはあるのでしょうか?
それは死ぬことです。
前置きのカードゲームでも、フェアリーバレットとあたったら、リアルファイトで殴り殺せばいいのです。
死ぬのが無理なら、オーバードゥースなり、リストカットなりをして嫌なことから目をそらせばいいのです。
そんなわけがありません。
死にたくないから、今こうして辛いのを我慢してるのです。
カードゲームで喩えるなら、負けたくないからメタのメタを考えているのです。
僕は生きて11月発売のポケモンリメイクをプレイしたいし、9月発売のXboxOneを楽しみたいのです。
弾を銃身にこめるまでは、していいわけでもありません。
銀の弾丸とまではいかなくても、ほどほどに相手に聞くアイテムが欲しいです。
それが、今では薬です。
でも我慢してます。
本当はもっと飲みたいんです。
我慢してます。
http://ameblo.jp/tokutake-satoko/entry-11835477480.html
なぜ、女性が非正規に押し込まれているのか。
番組中でも言っていたけど、いまだに「女性労働者は父親か夫に養われているのが前提」。
なぜ、シングルマザーが増えているのか。
ビフォー均等法の世の中では、殴られようがモラハラされようが、離婚すると食えないので女は別れなかった。
女の働き口が増えたことにより、女には離婚するという選択肢が提示された。
暴力やモラルハラスメントは「夫婦ってそんなものでしょ」という認識だったが、世の中の認識がDVに変わり、離婚理由として認められるようになった。
シングルマザーを作り出しているのは、時代の変化を無視して殴り続ける・モラハラし続ける男である。
なぜ、生活保護が利用されていないか。
貧困下に居るとメンヘラ化することが多い。窓口で断られるのが怖くて申請ができなくなる。
単純に制度を知らないとか、メディアで叩かれている様子を見ておびえたりとか、手続きのやり方がわからないといった理由もある。
信じられないくらい手続きが下手糞な場合、重度のうつ状態か、軽度の知的障害の可能性もある。
母親が看護師なら母子家庭でもさほど貧しくないが、その他の職業の場合、ほぼ貧困化している。
貧困家庭の父親は産ませっぱなしのゴミであることが多い。浮気して離婚して慰謝料未払い・養育費踏み倒しという連中も多い。
なぜそんな男どもが子孫を残しているのか。ビッチっぽいブスを(最初だけ)丁寧に口説くからだ。
はてなに居るような男はプライドが高く、美人しか女として認めておらず、ブスを見下し、誰のことも口説かない。
シングルマザーになるような女は、自分の価値を認めてくれる男なら誰でもいいくらいに思っている。
人の価値は、稼いでるとか頭いいとか努力したとか偉いとかではない。
人間の弱さを知っていて、自分や他人を許せる広さ。これが人の尊さの基礎にある。
その点で、自分を許せない増田と、他人に厳しく支配的なその旦那の卑しさは同レベルだ。釣り合っている。
もし、増田がそのままの自分を受け入れて許し、前向きに生きられるようになり、
なおかつ人の欠点をあげつらう(人を許せない)ような弱さも克服できたなら、どんな人とも(今の旦那とさえ)、その精神的包容力で上手くやっていける。
のみならず、その時点で旦那のレベルを越えているので、もっと良い出会いもあるだろう。
子供がいたり、その他束縛的な環境であったりしても、人間は本来自由だ。その意志次第でどのようにも生きられる。
日本人に自殺が多いのは、自分や他人に対する寛容性が低いからだ。
自分や他人に鎖を掛け、他人や環境から鎖で縛られているという全体主義的な社会認識から抜け出せないから、行き詰まる。
でもそんな鎖はもとより存在しない。存在するかのように、モラルや常識や「空気」のような形で刷り込まれているだけだ。
ただ、難しいのは、こうした自由の発想ができるのは、健常な脳だけだということ。
この記事を書くキッカケになったのは、こちらの方が書かれた記事を読んでから。
http://anond.hatelabo.jp/20130517213002
そしてこの記事を書いた目的は、自分がアフィリエイトに携わった約10年間の軌跡を記すことと、
読みづらい文章ですが、興味があれば読んでみてください。
私がアフィリエイトに出会ったのは今から約11年前、当時はブログやSNSなんて媒体はメジャーではなく
個人が情報発信するには、ホームページ作成と呼ばれる特殊な技術を持った一部の人間だけが、それを
許されていた時代です。
当時の私は、どこにでもいる中小零細企業の正社員で、Webの知識など皆無、当然
ホームページを作成する技術や知識すら持ち合わせていませんでした。
しかしそのアフィリエイトの存在を知ってから約1年後、当時勤めていた会社の部長と折り合いが悪くなってから
「こんな会社やめて、もっと大きく成功してやる!」そんな漠然と、フワッとした
野心、野望、甘え、現実逃避を当時25歳位の私は抱いていました。
そしてその当時、常に私の心の奥底にあったのが、アフィリエイトの存在でした。
たいした資本を必要とせず、個人で月収50万、実力次第では月収100万も夢ではない。
「ひょっとしたら、俺にも出来るかも。」
「もし俺にも出来たら、俺の人生は大きく変わって、ビッグに成功できるかも!」
そんな甘ったるい思考を持っていた事を今でも覚えています。
部長との折り合いが悪くなって、すぐ私は当時勤めていた会社を退職し、
派遣社員として、工場勤務の職を得て新しいスタートを切ることになります。
もちろん、その工場の仕事がしたかったから働き始めた訳でなく、
アフィリエイトで稼ぎ独立して成功していく為の、とりあえずの日銭稼ぎの仕事と
割り切って仕事をしていました。
当然、当時はアフィリエイト報酬は月に1000円も稼げていませんが、とにかく勉強し、
ホームページビルダーと呼ばれるソフトを使い、何とかサイトを完成させるまでの
スキルを身につけることができました。
しかし、そのスキルとアフィリエイトで稼ぐスキルはまるで別物。
サイトを作り上げるスキルは日々上達しても、ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)の
それでも、絶対にアフィリエイトで生計を立てる。
絶対にこれで人生を変えてやる!
そんな、狂った思考を持ち続け突っ走っていました。
当時まだ26歳だったと思います。
昼間は工場で働きながら、そして空いた時間はすべてアフィリエイトで金を
稼ぐ為だけに注ぎました。
そして今でこそ分かるのですが、私は当時働いていた職場での人間関係を積極的に築こうと
しませんでした。
なぜなら、私の心のどこかで、この仕事はそのうち辞める仕事、俺はお前達とは違う。
そういった思考を持ち続けていたので、私は意識的に人との関係を避けるようになったのだ思います。
もし仮にココでアフィリエイトに挫折していたら、まだ人生の選択肢は多く残されていたのですが、
不幸にもアフィリエイト報酬が右肩上がりになってしまいました。
厳密に言うとアフィリエイトではなく、アドセンス報酬だったのですが、月に30万以上を
稼ぐ月が続いてしまいました。
私の交友関係が狭まるのと比例して、今まで稼いだことのないようなカネを稼げるようになりました。
当時28~29歳位の話です。
アドセンスで稼ぎ続ける日々はそう長くはありませんでした。
当時のアドセンスは、クリックさせさえすれば、ある程度の報酬が見込めましたが、
それが通用しなくなったのです。
アドセンス報酬はガタ落ち、アフィリエイト報酬もほとんどありませんでした。
当時、私は個人事業主としてアパートの一室でアフィリエイト事業をしていたのですが、
アドセンス報酬に頼って生計を立てていたので、報酬が減ることはイコール、死を意味します。
「何とかしないと。どうにかしないと。」
心は不安と焦りで一杯でした。
ココで真剣に自分の人生を考えればよかったのに、やはり私の当時の思考は偏っていたので、アルバイトを再開し
その金と少ないアドセンス報酬で生計をたて、今度はアフィリエイト報酬目的でサイトを作り続けていました。
もう気付かなければいけないのに。
しかし当時の私はまだそこまで考えられない短絡的で無計画な男でした。
そして何とかして、この業界で生きていく。
それが、俺の道。
まともに、働いて微々たる金を稼ぐなんて、俺には出来ない。俺には無理。
そんな人生まっぴら御免。
こういった思考を持ち続けていたのです。
当時私が30歳位の話です。
アルバイトをしながら、アフィリエイトで何とか生計を立てる日々は続きます。
しかし、状況は好転し、ネット上ではPPC広告を使いアフィリエイト報酬を得る手法が流行り、
広告費30万突込みアフィリエイト報酬60万~70万程、月に稼ぐことに成功します。
驚くほど稼げる。簡単に稼げる。
凄すぎる世界でした。
日に5万以上のアフィリエイト報酬を得るのも珍しくなく、私は有頂天になりました。
昼間は好きな所へドライブに出かけ、好きな所へ旅行へ行き、日々の生活が怠惰になっていました。
朝は起きたい時に起き、仕事!?(アフィリエイト)は気が向いた時にやり、寝たい時に寝る。
嫌なことは一切しない。
煩わしい人間関係とは無縁。身の丈以上の金を稼いで自由に生きていました。
きっと私の心は気づいていたのだと思います。
足がしっかり地についていないことを。
しかし、私の思考はそれを否定する。
そんな事はない。
コレが俺の道。コレがコレが......。
当時私は31歳~32歳だったと思います。
私は主にサイトアフィリエイトに力を注ぎ、安定して50万~80万程度の報酬を
稼ぐことに成功していました。
金を稼げているうちは、まだ心は安定しているのですが、やはり常に不安があり、
次へのステップ(商売)を考えていたのですが、一歩が踏み出せない。
なぜなら、私にそういったアドバイスをしてくれる同僚、友人、先輩もいませんでしたし、
どこか、何となく金を稼いできた。
そんな自分に自信が持てなかったのかもしれません。
例えば大工の見習いが地道に頑張り、一人前になり工務店を構える、
そういった背景が私にはなかったのだと思います。
ただ何となく、感覚的にアフィリエイトに取り組み、そして金を稼いでいたのだと思います。
成功する為に金を稼ぐ。
私の成功は金を稼ぐこと?
なぜその仕事をして金を稼ぐのか?
もちろんココまで全て自分が撒いた種ですので誰にも文句は言えません。
ただただ自分の考えの甘さに恥ずかしいだけです。
そして2012年グーグルのアップデートが入り、全ては転落へと向かいます。
当時私が35歳の話です。
アフィリエイト報酬は急降下、何とかしなければ、何かしなければ。。。。
もう関わりたくない。二度とこんなモノに自分の人生を預けたくない。
そんな強い想いがあります。
厳しいとは分かっているが、就職し自分の人生を再起動させるしかない。
分かっています。どの選択肢を選んでも厳しい。死ぬほど厳しい。
でもココでもう一度頑張らないと、私には未来はない。
そしてWeb系(デザイナー、CSSやHTMLコーディング)の仕事に応募。
イラストレーターやフォトショップ、プログラムなどが組める訳ではありません。
もちろん、簡単なホームページは作れますが、私自身が自分をWebデザイナーではないことを自覚しています。
しかし、とにかく何かしなければ。
職を転々としていると指摘され、一つ一つ、退職理由を突っ込まれる。
みな若い....。
今まで煩わしい人間関係を嫌がっていた自分が、一から自分の居場所を築くことが
面接官が一通り施設を案内してくれた後、優しく私にこう言いました。
「現時点であなたを正社員として雇うのは厳しい。ただ、うちにはキャリアアップ制度が
あるから、アルバイトとして2年もしくは3年働いてもらい、あなたがうちに貢献できる人材なら、
正社員の道もあるよ。でもだからと言って、かならず正社員として雇用するとは断言できない。」と。
そして、もう一つ見せ付けられた事実。
思考や外見、その他色々なことが堅くなって柔軟性が無くなって来ていること。
心療内科にいくと、うつの症状が出ていますね。と言われ薬を処方される。
しかし、悪いことばかりではありません。
アフィリエイト報酬が0円になったかと言うと、そうではなく、まだ月に7万~10万程度は
見込めるということ。(二度とこの報酬に頼る生き方はしませんが)
もう一つ、過去の職場で取得した工場系や運送系で使える資格を保有していること。
焦ってはいけない。でも急がなければいけない。
自分をしっかり見つめ直し、どうのように今後生きていくか、どの業界でプロになるのか、
それを考えて考えて考え抜いて答えを出そうと思います。
コレまでの約10年間、よくココまでデタラメに生きてこれたと思います。
それまでも、かなりデタラメに生きてきたので(職歴転々)、ある意味私の人生自体がギャンブルのように
なっていました。
しかし今回、自分が自信を失うという一件があり、自分を見つめ直す良いキッカケになりました。
まだ36歳で自分自身の性格、適正なども含め、言葉では言い表せない色々な事に気付けて良かったと思っています。
そして何より、前向きに地道に頑張っていく決意が出来ました。
大切なことは、自分が何をしたいのか。もしくは、どんな風に生きたいのか。
何なら出来るのか。何なら社会に貢献できるのか。
そしてその道でプロを目指すということ。
"金を稼ぐと言うことは、その道のプロになると言うことだ。"
以上。
通りがかりの医療職です。
うつ病と診断がつくかまではわからないけど、うつ状態ではありそうですね。無理は禁物です。
まぁ相談しなくてもいいのですが、その方が親切ではありますね。
上司が何も知らなかったとなると、その上司が後々周囲から責められる可能性も否定できません。
それから、上司が今の状態を知れば、普通の上司ならもしかしたら休職かも…?くらい考えるはず。
いきなり診断書を突きつけるより、やはり親切ではあります。
ただ、気力をつかうので、診断書をもらう前に相談するという行程をはさむのが辛ければ、なくても大丈夫です。
病院に行きましょう。
家からあまり遠くなく、HPがあって、院長の学歴くらいは書いてあるところだと外れが少ないかも。
大学病院は、個人病院より外れが少ないと思いますが待たされます。
診察では、経過、症状を伝えた上で、仕事を休みたいと言いましょう。
主治医は患者の味方なので、そう言えば、大抵は診断書に「自宅療養が必要」とかって書いてくれます。
あとは診断書が上司から総務へ届き、ぽんぽんとスムーズに療養に入れるはずです。
ちゃんとした会社で健康保険組合に入っていれば、仕事を休んでいる間も基本給の6〜7割はもらえるはずです。
たぶん、あなたから聞かなくても総務から説明があるとは思いますが…。
お大事にしてください。
ブラック企業とは、一般的には、低賃金、長時間労働など社員に過酷な負担を強いる企業の総称をいいます。
WikiPediaによると、
とか、
解釈によっては、どんな企業もブラック企業に当てはめる事ができてしまうかもしれません。
また、「ブラック企業はブラック消費者が作り出した」という、いかにも企業側に責任が無いような意見もあります。
しかし、英語圏では、スウェットショップ(Sweatshop)と呼ばれている他、中国語圏では血汗向上とも呼ばれており、ブラック企業問題を抱えているのは日本だけではありません。
社会問題にもかかわらず、なかなか問題の本質が見えてこないのは、この「定義の曖昧さ」にあるのではないでしょうか?
最近では、企業側が「ブラック企業」の記事を書いた記者を訴えるなど、本当に混沌とした状況です。
バブル崩壊の時期には、「リストラ」の名の元に、数々の非人道的な人員整理が行われ、社会問題になりました。
山一證券倒産の際には、高額所得者への色々な形の「いじめ」が行われたそうです。(幹部を配置換えと称して新入社員の下に配するなど)
住専(住宅金融専門会社)の倒産の際には、営業成績の高かったある個人をスケープゴートとして、社員全員で「ゴキブリ」などと言わせて、いじめぬいていたそうです。
また、人員整理に留まらず、企業同士のいじめとして、「拓殖銀行倒産」のきっかけとなった、コール市場での「総スカン」なんていうのもありました。
金融機関の中小企業に対して行われた「貸しはがし」が社会問題になりました
最近の長く続いているデフレでは、裁判も頻繁に行われたサービス残業問題。
また、昔から定番の、短時間労働、高収入がうたい文句の求人(これは分かりやすいので、気を付ければ引っかからずにすみます)
「規制緩和」の名のもと、非正規雇用形態が広がり、社員や企業同士の「悪徳」が日常化していると考える事ができそうです。
日本は法治国家です。国民は「法」に守られていますので、企業側は安易に「不正」行為をはたらくことはできません。
そこで、「法」に触れないギリギリの線で、個人なり相手企業を攻めてくるわけです。
これが、いうなれば企業の悪徳行為は「いじめ」と言えるのではないでしょうか?
ただ、「いじめ」と聞くと、「いじめられる方にも責任がある」と感じてしまいます。
これは、「いじめ」から子供のイジメを想像してしまうからだと思います。
企業の行うイジメは全く異なります。背景には利害が絡んでおり、明確な目的があるのです。
戦略も伴います。場合によっては興信所や暴力団を使うなど、お金が動きます。
「暴力」と聞くと相手を、叩いたり蹴ったりなど、物理的に力を加える事を想像しがちですが、精神的に相手を追い詰める事だって立派な暴力です。
そもそも暴力というのは、自分だけの都合により、相手を排除したり、相手の力を奪う時に、「相手に加える力」だと思います。殴ったり蹴っ飛ばしたり、暴言を吐いたりなど様々あると思います。
その「力」のうち、直接相手に加える力が、一般的に「暴力」とされていると思いますが、間接的に相手に加える力も「暴力」のはずです。
例えばリストラを考えた場合、相手が働きにくい環境を作り出して、自ら辞職に追い込む事は「暴力」です。
仕事に無関係な作文を何枚も書かせたり、ブライドを傷つけて社内での立場を奪ったり、或いは精神的にうつ状態になるまで追い込む行為、これ等全ては「暴力」なんです。
※相手を精神疾患に追い詰める行為は厳密には「傷害」(刑事罰)になりますが、立件が困難な為この手を使う企業も少なくないハズです。
「暴力」というのは、自分だけの都合で相手を排除したり、力を奪うわけですから、企業が「暴力」を乱用すれば、収益を上げる事が出来るのは、当然の事でしょう。
「暴力」というくくりで考えてみますと、直接的暴力、例えば、コンビニ強盗では、お金を払わずに商品を手に入れる事が出来ます。短期的に見れば、一番効率の良い物資の調達方法です。
間接的な暴力は多少効率が落ちますが、やっている事は同じなのです。
その企業に「暴力」があるという事は、逆に言えば、「安全、安心」が無いという事です。
「安全、安心」がトレードオフになっているのです。その結果、以下の現象が生じるハズです。
「暴力」の元では人は常に緊張状態に置かれ、落ち着くことが出来ません。
こんな環境では人は育ちません。
暴力をふるう両親の元で、ちゃんとした子供が育たないのと同じです。
当たり前ですね。
ただし、「どの人の下に付けば自分は安全なのか?」を絶えず気にして行動しますので、人の上下関係はきっちりします。
ヤクザと同じです。
社内で、地味かもしれませんが「暴力」が行われている事を目の当たりにするわけです。
そんな中では、誰も、一生懸命仕事をしようとか、難しい事を習得しようとかという発想にはなりません。
社内で出来る人がいなければ、派遣を安く使って、やらせればよいわけです。
社内では色々なノウハウも蓄積されません。
そうなると、経営陣は社員たちを追い出して社名を変えてまた会社をやり直すわけです。
技術大国と言われるほど、ものづくりが上手だったり、皆勤勉(識字率がほぼ100%)だったり、「絆」を大切にしたりなどの前提には、「安全、安心」が有ったからだと思います。
うつ病で長年治療しているけど、最近自分は双極性障害II型じゃないのかと思い始めている。
周囲に迷惑かけたりドン引きされたりするような躁転こそないけど、軽躁というのか、何かテンションが上がることが瞬間的にあるから。ただその期間がものすごく短いので、薬が効いていつもよりテンションが上がってるだけなのか、うつが良くなってるってことなのか、単に気分がいいだけなのか、それとも双極性の躁転なのかの見極めがつかない。
心療内科の先生にも相談した。先生には、それは違うと思うと言われたので、とりあえずうつってことで治療中だけれど。先生に会うときはいつもうつ状態だから、先生には分からない可能性もある。
家族にも、いわゆる躁エピソードは見受けられないとも言われている。ただ自分だけがそう思っているってことなのか。
でも誰も見てないところで躁転してまた鬱転してる可能性だってないこともないだろうし…とか思ってずっと不安。
そういう風に思うのは、うつがあまりに治らないから、何か違う病気なんじゃないかって考えることに救いを求めているからっていう風にも思うけど…どうなのだろう。双極性と鬱の薬は違うというし。そういう知識を得たことで、うつが治らない今の状況から目を背けたいだけなのか…?
何かもうめんどくさくなってきた。薬やめたい。
大学生のとき、友人が一人うつ状態(だと思う。病院に行っていたが診断名は知らない)になった。
元々孤立しがちなその友人と、行動班などの関係で一緒にいることが多かった私は、成り行きで彼女の話を色々と聞く役になった。
話の内容は主に自虐と周囲の苦手な人への愚痴。堂々巡りで、同じことを何度も繰り返す。思考がそのようになっていたんだろう。
まだ未熟で、うつ病についてもよく知らなかった私は、「気にしすぎ」「クヨクヨするな」というような言葉をかけて、自分が話を聞くのに飽きると適当に会話を打ち切っていた。
今にして思えば最悪の対応だが、そんなやりとりでさえ私には結構な負担で、多少の後ろめたさを感じつつも結局はその友人とは距離を取って疎遠になった。
風の便りでは、その友人も今のところそれなりに何とか暮らしているようだが、もっとましな対応をしてあげられなかったことを、私は少し悔やんでいた。
そして今、別の友人がやはり仕事の負担でうつ状態になっている。
今度はもう少し何とかしたいと思って、相手の話を否定せずに聞いたり休職を勧めたりしているが、事態は全然よくならない。
だからといって無理に職場に押し掛けて友人を連れ帰るわけにも、当然いかない。
結局、友人程度の関係でうつ状態を何とかしようと思うのが、思いあがりだったのだと今更実感している。
相手の人生を全て引き受けられる、家族くらいの関係でようやく何かできるかどうか、なんだろう。
今の友人はもう何か月も、話すと「死にたい」を口にしていて、今にも本当に死んでしまわないか気が気ではない。でも私には実効力のあることは何もできない。
あと私に残された道は、不治の病にかかった人を前にしたときのように、友人の死に備えて覚悟をしておくことだけなんだろうか。辛い。
追記
みなさん、アドバイスありがとうございます。