自慢じゃないが、私と妹も、虐待を受けて育った。
正直、大した虐待じゃなかった。
父親が、DVモラハラの毒親で、母親がDV被害者特有の毒親だっただけだ。
性的虐待がなかっただけマシだったね、と、今でも妹と当時のことをよく笑いあう。
母と私と妹が、暴力と暴言の嵐の中で育ち、しかも、父親は母曰く「いい父親」だった。
蹴飛ばされ、投げ飛ばされ、無茶苦茶言われても黙って耐えていた。
でもいい父親は、暴力浮気借金ギャンブル上等の人だったので、さすがの私も、高学年頃には、いろんなことが間違っていることに普通に気づいていた。
おかしいのは親だったのに、おしくなったのは私だった。
その頃、まだ洗脳が解けていない私達には、「逃げ出す」という選択肢はなかった。
でも、母の「あなたたちの為に(父親と)一緒にいる」という常套句が、普通にこたえていた。
母は私たちの為にこの環境に耐えているのだから、私たちも耐えろ、という言外の圧力に疲れ切っていた。
実際、母はよく、何も告げずにふらりとどこかにいなくなったりしていたし。
両親は離婚できて、私も楽になれるのなら、もう死んだ方がましだった。
自殺未遂後、精神科閉鎖病棟に保護入院(自殺しないようにする措置)、私は今でも、精神科の病院にお世話になっているメンヘラだ。
幸運だったのは、妹は、おかしくならずに、上京してまともな大学生になり、専門的な教育を受けられたこと。
私が渋る母と妹に、とにかく妹を、上京させてやってほしい、と頼み込んだ。
今話題になっている、北海道のあの子たちが、どこまで追い詰められていたのか知らない。
彼女らが、早く親を殺してよかったと、私は思っている。
この世界は弱肉強食だ。殺られる前に殺るのが鉄則。サバイバルだ。
私たちは何とか生き延びた。
私は、彼女たちの魂が、まだ救われる段階にあることを切に願っている。
あんたのとこの親父も普通に日本語が話せないレベル? こっちは耄碌してきてから人間っぽくしゃべれるようになってきてるけど 自分のしでかした都合の悪い事はさっぱり忘れる&突っ...