はてなキーワード: 被写体とは
twitterで、ロリコンの権利向上を訴える人に向かって、子供と大人は権力構造があるから云々と的外れな非難を浴びせ、それに反差別・リベラルを掲げる面々が賛同のリツイートしまくってたのが気味が悪くて限界だった。もうほんとおめーらのそのロリコン差別意識をどうにかしろよ。
実在の子どもとセックスするのは(たとえ子どもの「同意」があっても)犯罪。オーケー。異存はない。
実在の子どもを被写体にしたポルノは取り締まられねばならない。オーケー。別件捜査の口実になるとかそういう運用上の懸念はあるが、単純所持の禁止それ自体に異論はない。
(個人的には2回目までは廃棄命令で済ませて3回目以降はじめて送検するというスリーストライク方式でもいいんじゃないのと思うが、それは処罰のやり方への異議であり単純所持禁止そのものには賛成する)
ゆえにロリコンに冷たい目が向けられるのは仕方ない。これは差別ではない。ホワット? ちょっと何言ってるのかわからない。
ロリコンだろうがゲイだろうが成人に欲情する異性愛者だろうが、子どもとセックスしたり子どもを被写体にしたポルノを持ってはいけない。この主張は明瞭でまっとうだ。
なのに、なぜそこにロリコン差別を混ぜ込む必要があるんだろう?
子どもをレイプした男が「いや俺には同年代の妻がいるし、学生時代も同年代の人とばかり付き合ってきたから、俺はロリコンじゃないんだ!」と言ったら罪を軽くすべきとか思うの?
小児にしか欲情できない、というのは、異性にしか欲情できないとか、同性じゃないと性愛の対象として見れないとか、どんな人をも性的欲望の対象にできないとか、そういったものと同じ、単なる性指向の一種にすぎない。
その属性をまとめて蔑視し、彼らの権利向上に反対するのが差別じゃなくてなんなんだろうか。こんな主張が反差別・リベラルの側から流れてくるというのは、反差別を掲げるリベラリストとして地獄感がある。
「ゲイは対等な相手と恋愛/セックスすることが可能だけど、ロリコンはそうじゃないからゲイとは違う」という議論もある。
えっ? ゲイの人たちが求めてたのって「好きな相手と堂々と恋愛/セックスする権利」だけだったの? 違うでしょ?
ゲイであるからといって社会的に差別されない、ゲイ向けの表現をゲイ向けであるという理由で排斥されない、ってのもゲイの権利向上で、ロリコンがそれらの権利を求めることはまったくおかしくないよね。
それこそゲイの中にも非モテとか結婚する気のない人とかはいるだろうけど、だからといって彼らは同性婚には縁がないんだからゲイの権利向上を訴える理由はない、なんてわけがない。
もっと言えば、仮に実際のロリに手を出したやつだったとしても、ロリコン差別に怒っていいんだよ。男をレイプしたゲイだってゲイ差別に怒る権利があるのと同じ。
なぜなら、そいつらの罪はレイプしたことであって、ロリコンであることやゲイであることじゃないからだ。
そいつらは性犯罪者として刑務所に入れられるべきだが、誰もロリコンやゲイであることを理由に投獄されるべきじゃない。
ペドファイルの権利とゲイの権利は切り離せないんだよ。ロリコンを変態と蔑視していいなら、伝統的価値観からいえばゲイだって変態だろ。で、ゲイを差別するその伝統的価値観は間違ってるよな?
子どもを性的に見るなんてこわい、という主張をする人も見かけた。悪いが、ゲイの入団を認めたらロッカールームでケツ掘られる! とかわめいていた連中のことを想像してしまう。
中学校の頃、近所の公園はゲイのハッテン場だから気をつけろ、と言われて、夜に通るときなんかはビクビクしていたが、冷静に考えたらあれは差別だよな。
こわいと思うのは仕方ない、生理的反応だもの。それこそ、ゲイを見てうわキモッと内心で思ってしまうことまで止めることはできない。
でもそれを公共圏に持ち出して特定の集団を差別していいはずがない。
というか公共圏じゃなくても、差別的な反応は内省した方がいいし、内省しないにしてもせめて表に出さない方がいい。もうちょっと自由主義的にいうなら、出してもいいけど、出すなら差別者だと馬鹿にされることを覚悟してね。
何度も言うけど、実在の子どもへの性虐待とか、もっと広範に、立場が上の者、権力を持っている者からの虐待やハラスメントは積極的に罰していくべき、あるいは重罰を科すべき、という主張なら賛同する。
超音速備忘録が大好きだ。でも気難しい管理人だからここに書く。
模型は本物ではなくその再現であることの不自由と、作る人にその完成を判断する裁量を委ねられている自由が彼の言っているプラモの背骨なのだと思うのだけど、違うような気もする。
私のような技術オタクはその表現の地平を超えたフミナ先輩を作り上げたその苦労と、間違った方向だったとしてもその市場に爪痕を残そうとした思いを軽く見れないのだけど、そうではないらしい。
彼がいま理想だと思うプラモデル。カメラで殴りたくなる要素を佃煮にしたプラモデル。そういう商品を彼が、どこかと組んで出してくれたらいいのに。(希望)
うーん、たぶん中央に写っているであろう被写体は歪ませずに、左右(上下)端の背景だけ不自然にならない程度に段階的に圧縮(伸展)する高度な加工をしてほしかったのでは?
俺「わかりました、左右をカットする事になりますね、左右どっちをどの程度カットします?」
ボス「いやカットするってそこ見えなくなるだろ?写真は全体を使ってくれ」
俺「え、じゃあ上下に黒枠を追加する形ってことですか?」
ボス「いやそれじゃカッコ悪いだろ正方形いっぱいに写真がないとだめだよ」
俺「てことは引き伸ばすしかないですね、被写体が歪んでしまいますが・・・」
ボス「歪んでいいわけないだろいい加減にしろよ、もういいよ他の人に頼む」
たすけて一休さん
適当に返信など追記
テーブルの上にメインディッシュとサラダとスープとワインと~みたいなやつ
左右をカットするという言葉を漠然と捉え、ものすごく見えなくなる部分が多くなるような印象を受けたとか?
結果的にそうだね!
「メインディッシュを中心に。サラダは半分切れてもいいわ、ワインは見えるように」
などといった指示をされると思っていた
テーブルの上の料理のという写真だから、頑張ればこういう技術を駆使して
写真の要素を削ることなく料理を正方形に再配置ということは出来ただろう
それを求められていたとは思えないが、何も聞き返さずサッとこれができるのが優秀なんだろうな
「画像をカットしてはならない」「枠を追加してはならない」「画像の形を歪めてはならない」の
とんちあそびとしての回答はこれが正解な気がする
そして俺の首がカットされる
これは「キレイな写真を撮るためのテクニック」とかじゃない。単に「失敗した写真」を減らすための方法だ。
写真の失敗というのは、大きく分ければ
ほぼこの4つしかない。これさえ解消すれば、とりあえず写したいものがちゃんと写るようにはなる。それがイイ感じに写るかどうかはまた別の話だが。
現代のカメラはほぼ全部オートフォーカスだから、ちゃんとピントを合わせて、というかピントを合わせる箇所をカメラに指示してシャッターを切れば、かならずピントの合った写真が撮れる。逆に言えばピンボケになるのは、
のどれかだ。
このうち、4はレンズの問題だからどうしようもない。その距離でピントを合わせられるレンズを使うか、あるいはピントを合わせられる距離まで離れるしかない。
で、1〜3は、コンパクトデジカメやミラーレスカメラなら、ある機能で簡単に解決できる。それが「タッチシャッター」だ。
メーカーによって多少名前とか違うかも知れんが、要するにこれは「画面の中を直接タッチすると、その部分に自動でピントを合わせ、合った瞬間に自動でシャッターを切る」機能のことだ。お前がピントを合わせたい場所をタッチすれば、かならずその場所にピントが合った写真が撮れる。
まあタッチで指定できるのはある程度の「範囲」なので、その場所がちょっと入り組んでいる場合……たとえば手前にフェンスがあって、その向こうに花が咲いてて、その後ろに木の枝が見えている、とかだとフェンスにピントが合うか花に合うか枝に合うかわからないような場合もあるが、お前がピンボケ写真ばかり撮っているようなら、この機能は強力な味方になってくれるはずだ。
人はじっとしている時でも鼓動などに合わせ、わずかに揺れている。特に腕を空中で静止させておくのはかなり難しく、お前がカメラを手で支えて撮ろうとしているなら必然的にカメラは揺れ動く。
手ブレを防ぐための一番簡単な方法は、シャッタースピードを早くすることだ。どれぐらい早くすればブレずに済むかは写し方によるが、まあ大雑把な目安として言うなら、1/200〜1/400秒ぐらいの速さがあればまず手ブレは防げるはずだ。
しかし暗いところで撮影する場合などはもっと遅くしないと写せないことがある。そういう時はISO感度を上げろ。画質は荒れるが、ブレるよりはマシだ。
もしかしたらお前は、シャッタースピードの変え方もISO感度の変え方もわからないかも知れない。そういう奴は手ブレ補正を手に入れろ。もしくは三脚でも使ってカメラを固定しろ。
カメラの固定や手ブレ補正を使っても、被写体がぼやける場合がある。ピントが合っていて、背景はブレていなくても、被写体が激しく動いている場合はそれがブレとなって写る。
これはもう、シャッタースピードを早める以外の方法では防げない。
とはいえ、被写体が常にすごい速さで動き続けるわけでないのなら、動きがゆっくりになったり止まっているところをじっくり狙う手もある。
だいたいはカメラに任せておけばいい感じに撮ってくれるものだが、設定によっては撮ってみても暗くてなにも見えない場合がある。
暗く写るということは明るさが足りていないのだから、場を明るくするか、カメラがたくさんの光を取り込めるようにシャッターを長く開けておくか、感度を上げて無理やり明るくするしかない。
場を明るくすることができるなら話が早い。だが急に昼間になれと言っても仕方ないし、部屋が暗くても電灯を点けられない場合もある。よく使われるのはフラッシュだが、明るくできない場所では無闇に使わない方がいい。雰囲気ぶち壊しになったり他の客に迷惑をかけたり、色々あるからな。
じゃあどうすればいいかというと、手ブレの時と同様にISO感度を上げるか、手ブレとは逆にシャッタースピードを遅くすることで多くの光を当てて明るい写真にするかの二択になる。
だいたい予想できると思うが、シャッタースピードを遅くすると手ブレや被写体ブレが起きる。手ブレ補正か三脚を用意しろ。
あと、そろそろ観念してシャッタースピードの変え方とISO感度の変え方を覚えろ。
以上だ。要するに
ごまんと語られてきてると思うが、無断転載があとを絶たないのでむかつく、という話。
そして見つけるんです、無断転載を。
しかも、たくさん。頭が痛くなるほど、たくさん。
あれ?これうちが出した画像?もう出回りすぎてわかんねー。という感じ。
アイコンやヘッダーも個人的には範疇だと思っているからスルーしている。
ほんとは嫌なんだけど、
100歩譲って「公式からお借りしました」と書いてある人もとりあえず今の所は許す。
ほんとは全然許してないけど。
それよりひどいのはたくさんいる。
「おはよう〜眠い。昨日の○○よかったな〜!今日もがんばろう☆(昨日の○○の写真を転載)」
そのあとすぐ、無断転載を見つけたが、他の人が「公式が怒るから転載しちゃだめだよ!」とリプライをしていた。
根本が違うだろ。
でも転載する人は罪の意識がないので、こんなことを書いていても全然響きませんが。
今度から見つけたら「無断転載してますね」ってリプライ送ろうかな。
特に対策してもらえてないけれど、やり続けることは大事かな、と。
しかしTwitterの無断転載の通報フローもう少し楽にならないかな。
そんなに使われたくないなら©マークや透かしでも入れれば?と言われる。
でも、保存して鑑賞してくれる分には全然ウェルカムだから、できるだけそういうものは入れたくない。
美しくてなんぼだし。待ち受けにするときに綺麗なほうが嬉しいじゃん。
「一部の厄介な無断転載厨のせいでこうなりましたよ」
を以前から感じていた自分の感覚を褒めてあげたい。自分は美術の授業は好きだったけど、別に芸術の勉強をしっかりしたわけではない。けれどどうもあの写真家の写真から、無機質なのに生々しい違和感、加虐性、暴力性みたいなのを感じてしまう。そういうのを売りにしてたのかはしらん。そういうのを生命のリビドーとか性の躍動とか人間の業とかうんたらかんたらとかいって有難がる人もいるとは思う。
でも大学で周りがいくら良いと言っていてもどうも腑に落ちなかったし、お節介な友達が手持ちの中でも厳選した写真集を貸してくれた時も、なんでこの人がこんなに評価されてるんだろうとしか思えなかった。(同じ友達からライアンマッギンレーの写真集を借りたときは、なんかわからんが良いなぁと思えたから、別にその友達のおススメを否定したい気持ちがあったわけじゃないと思う。)
写真をきちんと学んだことはないから写真を勉強した人が聞いたら怒られるだろうけど、それなりのカメラで白黒にして多少画面がガサついていて『普段あまりお目にかかれないエロい構図、アンニュイな光景』を撮ればそれなりにみえるよね??ね?
結局それっぽいことやってた人の中では『日本で最初に地位を確立&エキセントリックな狂人』っていうイメージが、凡人が考える芸術家像にしっくりきたっていうのが今までしぶとく評価されてきた理由なんだろうな。広告写真では、被写体の個性を殺す写真家は逆に重宝されるのかもね。
昔美術の時間に、その人が作った作品を見たらその人の人間性がわかるって先生に言われて『んなアホなぁ』と思ったんだけど、今はその言葉もあながち間違いじゃないのかなぁと思う。
自分に甘い人は最後の詰めが甘いし、大雑把で性格の人は作品の端が折れてたりするし、繊細な人は繊細な色使いとか消えかかりそうな線を書くし、自分が正しいと根拠なく信じ込んでる人の絵は力強いし、美術教師にウケがいい作品を作る人は自分が無くていずれ苦労するし。(ちなみに最後の例は自分です)
思えば、美術教師が放課後妙にニヤニヤしながら作品を見てたのは、隠された性癖とか傾向を覗きこんでたからなのかなぁ。くそっ圧倒的羞恥!
ほんとな。
それから、忖度だなんて、結果的に国民を蔑ろにしておいて官僚はなんで被害者ぶっているんだ?なくなった官僚も実は身内に消されたかもしれない。
民間でだって、経営者や管理職連中の好みや損得、パワーゲームで人事が決まったりするだろうに、(身内に危害が及ぶと脅されたなら別だが)政治家の顔色をみて改ざんしたなんて、保身でしかなくて、どこをどう擁護される理屈があるんだろうか?
一方で企業でいう株主みたいな立場である国民に、人事の説明をしてほしい。それだけだ。政治家に完全無欠の人間を求める、綺麗事の理想論くっちゃべって気持ちよくなっているテレビの被写体連中に呆れてしまう。
今後ずっと残るけど時間がない中。
最終的に選んだ写真は、親戚にも好評だったので良し。
背景は塗りつぶさずに写真の景色をそのまま生かした。異例だが綺麗だったからだ。
元々、プリクラも好きじゃないぐらい、自分の写真が好きじゃない。
そもそも人間が被写体の写真にそれまで興味がなかった。自分だろうが他人だろうが。
いい景色の写真は好きだが、人間が写るのって生々しい気がしていた。
自撮りなんてしないタイプだが、いい料理の写真なんかはたまに撮る。
だいたいよく考えたら、遺影に使うような写真って、きれいなのを選ぶから他人に撮ってもらったやつを探す。
亡くなった時と離れすぎた年齢の写真じゃ、なんか違う気がする。
人間、いつ死ぬかわからないんだから、用意はしておいた方がいいかも。
このままだと一番年齢が近い免許の写真か、大目に見ても履歴書の写真が遺影になる。
死んだあとのことなんぞ気にしなくていいんだろうが、ちょっとこれでは人生しょぼい気がしてきた。
今後、人が亡くなったときは、スマホやデジカメのデータを起こして、写真を選ばれたりするんだろうか。
生きてるうちにいい写真を残しておくのも、家族への親切かもしれない。
あと、自分のための自分の写真を残しておこうと思った。別に人になんか見せなくても、アルバム充実させたい。
楽しい思い出を増やしたい。
まずはじめに、私は太もも展という発想は良いと思ったし、実際に興味もある。
見に行ってみたいという気持ちもある。
すべてを否定したいわけではないことを踏まえてほしい。
・場所
太もも展の被写体となっている層の若い女性、その親御世代である女性が訪れることが多く、とにかく芸術への理解が少ない一般人の目に触れる機会が多い場所というのがダメ。
ユニクロで肉売ってたら「なんで!?」って思うじゃん、多分そんな感覚。
・被写体
ポスターにある写真のほとんどが制服やスクール水着を着ている女性=未成年。
法的に手を出してはいけない女性たちを連想させる際どい写真が"多数"宣伝されているところがダメ。
・ポスターの作り
上に書いたとおり、未成年を連想させる際どい写真を"多数"載せてしまっているのがダメ。
しかも爽やかなものより、イメージビデオのワンシーンを切り取ったような絶妙なラインの写真が多かった。
たとえ撮っている人や見に行く人がその写真たちを"芸術"と捉えていたとしても、あんなにたくさんの太ももの写真を並べられたら、一般人の目にはグラビア写真との違いなんてまったくわからない。
・それが全部重なった
これが一番ダメ。
もし開催場所が一般人の目に触れないようなマニアしか集まらない展示場だったら?
もし被写体が未成年の女性を連想させるものばかりではなく、大人の女性や男性も含まれていたら?
もしポスターが爽やかで一般人にセクシーさがあるフェチズムを悟らせないような1枚の写真だったら?
そんなふうに、おそらくどれか一つでも一般人が芸術的なものとして捉えられる範囲だったとしたら、こんな問題になってない。
・運が悪かった
以上、ダメだと思った点。
そして、エロいと言ってクレームを入れる方がエロい目で見ているという意見もあったけど、実際にあのポスターを見て「エロ目的は一切ない芸術だ」と思った人が一体何人いるんだろうか。
あのポスターは何も知らない私から見たら、女子中高生のエロ要素も盛り込んで作られたように見えてしまう。
そういう刷り込み(=女性の足を性的な目線で見る人は少なくない)をされて今まで生きてきたから。
それは、女性の太ももを性的な目線で見ることがダメだというのではなくて、一般人の目につく場所で大々的に宣伝するのがダメだということ。
性癖というのは理解されにくく、誰かに嫌悪感を抱かせてしまう可能性があることを頭の片隅に留めておかないとね。
とにかく、どれが悪かったというよりは、ちょっとの悪いが重なって大きな悪いになってしまったということがダメだという話でした。
たぶん、いわゆるアイドルの写真集において、アイドル本人は被写体としての役割しか担わない。
『ビジネスとして、被写体であるアイドルのいいシーンを引き出し、そして切り取ること』となる気がする。
そうなると、そこには客観しか存在せず、アイドルとしての価値だけを凝縮した作品が完成するのでは。
『エトランゼ』は、制作に際し伊藤万理華の主観意見が反映している。
アイドルである自分に疑問を持ち、映像制作の面白さに触れ、アートとしての表現を学んだ、彼女の主観。
結果、この写真集には『アイドル伊藤万理華』と『表現者 伊藤万理華』が混在している。
彼女は、
アイドルとしての『みんなのためが、自分のため』という価値観と、
表現者としての『自分のためが、みんなのため』という価値観を、
どちらかではなく、どっちも選んだんだな。
それをビジネスとして成り立たせることは茨の道だと思うけど、
やり抜いた先にはブルーオーシャンが広がっている気がする。
タイトルから荒い言葉で申し訳ないが、こちらとしてはもはや我慢の限界だ。
自分はある声優やあるアイドルがそれなりに好きなオタクである。激烈なファンという訳ではないしファン界隈にもいないが、Twitterで彼ら彼女らの名前を検索したりアカウントをフォローしてよく確認したりする程度には好きな感じ。
そんな風に遠くから眺めて楽しんでいるのだが、Twitterを見ているとファン以前に同じオタクという種族として見てどうも常識が疑われる輩が男女問わず大勢いるようだ。
以下に記すが、だいたい自分が嫌いなのは大まかに2タイプのオタクである。
まずこれ。女性声優やアイドルに対するセクハラは以前から問題視されていたが本当に酷い。本人の目に確実に入るであろうリプライチェーンで喘ぎ声がどうの、膜から声がどうの。
公式側でリプライ表示のフィルタがけやミュートはしているだろうし自由に話すことを否定はしないが、そういうのは個人的な呟きか掲示板でやりなさいクズ共。
さあ安心しているそこの女性オタク、そちら側にも関わりのない話ではない。男性声優に対して腐ったリプライ投げつけてるのはどこのどいつだ。これも立派なセクハラではないか。
男女どちらもこういうオタクはどっこいどっこいで気持ち悪い。ホモ営業だか百合営業だか知らんがハァハァするなら他所でやれ。鍵アカウントにしろとまでは言わん、だが個人的な呟きやチラ裏に留めなさい。悪いことは言わない。
ツイ消ししても誰がアーカイブ取ってるか分からん。晒されて恥塗りたくっても知らんぞ。
これも酷い。写真の相手は生きている人間だ。ほかの人間の体に顔だけ繋ぎ合わせたり、もともと離れていた被写体同士をコラージュでくっつけてみたり、顔を変形させてみたり、必要以上にハート撒き散らしたり。
友達の顔とか自分の顔とかで日常的に無断コラやって遊んでんのか?その延長でアイドルや俳優も対象にしてんのか?反吐が出る(加工なしでも本人の写真をアイコンにしたりする時点で個人的にあまりいい気はしない。転載だろそれ)。
貴様らの子供時代の写真を奪い取って軒並みAVの写真や寄生虫に体をすげ替えてやりたい衝動に駆られるが、それをやるとそちらの親御さんに申し訳ないことこの上ないし、何よりそちら側と同レベルになってしまうので自分はやらない。
これは上記のリプライ問題より酷いかもしれない。というかこれを本人にリプライ等し始めたらそれこそ笑えない。露出狂の盗撮犯が「こんにちは!盗撮してます!」と言いながらチンコを100%ボロンするようなものだ。
どうしても遊びたけりゃ完全に見えない内輪のコミュニティでやるがいい。
我慢ならない最低ラインはこのくらいか。これでも8割ほど削った。
有名人は名が売れた時点でひとつの概念・偶像と化し、人々はテレビやラジオに見出したその概念をつかまえて好き勝手なことを言う。相手が生身の人間であることはしばしば忘れられがちだ(これは自分にも言えることではある)。
色覚異常者です。
もう手遅れかもしれませんが、本当に本当に辛い思いをしている人間を、さらにその希望まで踏みにじるようなことは止めてください。
残念ながらこの製品はフェイクであり、この体験記もフェイクです。
それがフェイクであることは、このサイトの中で簡単に証明できます。
http://www.neo-dalton.com/side/check/
色覚異常者であるわたしは、一般とされている画像が52と読めます。
(健常者に確認を取ったわけではありませんが、ここにはおそらく89と書かれているのではないでしょうか。)
そして画像の番号が進むと同時に89という文字が視認できるようになります。
わたしはA7で視認できました。
お気づきでしょうか。
89は確かに読めました。でも、これが色覚異常者が見たいと願う色の世界でしょうか。
52と読めてしまう背景には、健常者であれば区別できる色の違いが色覚異常者には区別できないことに原因があります。
健常者であれば区別できる数色が、色覚異常者には緑のような茶色のような灰色のようなどれとでも取れるような色に見えているのです。
それを色覚異常者でも色の区別ができるようにするには、こうして世界全体の色を替える以外に手段はありません。
つまり、この画像が色覚矯正メガネをかけて見える世界ということです。
世界から緑をなくせば紫に転ぶし、赤をなくせばシアンに転びます。DTPをやったことある人間ならすぐにピンとくる話だと思います。
確かに青ははじめよりも青く感じるので一概に元の増田が嘘とはいえませんね。
色覚異常とは、ある特定の色に対してそれ以上の彩度を感じられない症状のことをいいます。
つまり、どれだけ色のバランスを整えたとしても、今まで感じたことのなかった彩度以上の色彩を感じることはありえません。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
おかしいですよね。今以上の彩度を感じられる器官を持たないのに、メガネをかけると見えるだなんて。
つまりそれらは矛盾であり、感動ポルノを作り出すための演出であることがわかります。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
それぞれの色覚異常の症例にあわせて、その人がメガネを掛けることで見える世界を簡単に再現できるはずです。
それが出来ないのだから、残念ながらこの製品がフェイクであると言わざるを得ません。本当に残念です。
もしこれが配色を変えることで色の境界をわかりやすくする程度の製品であれば疑いません。
しかし、今以上に鮮やかに見えると謳うのであれば、それは詐欺でしかいいようがありません。
色覚異常に同情し、それが解決できた気持ちを喜んでくれることは本当にありがたいことです。
だから、元の増田にブコメが沢山ついたことも、あの動画に沢山の感動が寄せられたこともとても好意的に思っています。
しかし、残念ながらその行動が、詐欺を助長してしまう結果になっていることは本当に遺憾です。
始めの頃は肌色が再現できずに相当悩みましたが、いまではあえて特定色の彩度を下げることで自分にしか見えていない世界を写真として表現するようになりました。
その独特の色彩感覚が人には面白いらしく、むしろ被写体の色が湧き上がってくるような写真だと周囲からもとても好評です。
(誤解のないように付け加えますが、この写真は意識しないと気づかない程度に被写体以外の彩度を失わせるという演出です。こちらでいうようなすべての色が色彩を増すわけではありません。)
自分が色覚異常者として生活を続けることでたどり着いた結論は、「失うことは得ることと同意」ということでした。
普段人ができないような何かを失う経験そのものが、かえがたき貴重な経験として得られるものだからです。
それならばないことを嘆くより、得られたものを喜べたほうがよいですよね。
そういう様に考えるようになってからは、自分が人よりも劣った存在だとは感じないようになりました。
これは同じ問題に悩む人間全員に一番に伝えたい事でもあります。
そうはいっても例えば紅葉が綺麗だと言われる度に、他の人が見えている世界を見たいと願う自分がいます。
だからこういう製品や記事が流れる度に、どこかに期待してしまう自分が否めません。
もしこれが詐欺だったときに涙をながすかもしれない人を想像してもらえるなら、ほんの少しだけその感動を安直にシェアするべきか踏みとどまって頂けたら幸いです。
確かに、被写体の同意を得て撮影されているのであれば──AV出演強要問題のようなこともあるので、本当に全てが同意に基づいているかという点については疑う余地があるが──エロ本に掲載されている被写体当人の人権は侵害されていないのかもしれない。
あるいは、エロ漫画などについてはそもそも被写体が存在していないのだから人権は侵害されていないという意見を聞くことも多い。
だが、本当にその通りなのだろうか。
以前は『LGBTたち』や『在日朝鮮人たち』といった抽象的集団に対して殺せ、出て行けといった排除を呼びかけるのは違法ではないとされていた。だが現在はそのような抽象的集団の排除呼びかけも人権侵害であるとされ、先日ヘイトスピーチ対策法が出来た。
ポルノについても同じことが言えるのではないか。ポルノはたとえ被写体の同意があったり、被写体が存在しないものであっても、『女性は性的な対象である』という刷り込みを行い、女性の尊厳を傷つけている。現にポルノにおける女性の扱いについて傷ついている人もいる。それは人権侵害であるという主張もなされている。
そのような主張に対して従来のような”個人の人権”だけに基づいて『エロ本は人権を侵害していない。よって存在は許容される』と主張することは、女性──ここで言う女性とは、一人ひとりの女性を越えた、抽象的な女性の集団のことである──の権利の存在そのものに対する全否定である。