はてなキーワード: 聖職者とは
・属性が特定の条件にはまる人物は被害者(女性、部落出身、黒人、在日etc)
特定行動例
・女性の性関連
・黒人の略奪
・特定行動について問題視するのは、セカンドレイプ、レイシズムなどとラベリングされる
・未成年が間違うのは当たり前だ
これ多分、男女とも学生で、特におとがめなしみたいになってたら、加害男子を退学させろの大合唱だろ
先週のニュース見た。
その仕事を目指してるけど同人もしたいなって合同誌に参加したりすることはあるけど身バレを防ぐには絵を描かないほうがいいのか。
既にどマイナーなジャンルに手出してるけど、頒布とかしないで細々と妄想を描き連ねて、本にする妄想で生きていけばいいのか。
いつか使うかなと登録した頒布サービスの登録を解除して、コスプレ衣装も処分して、創作ジャンルも大切にしてたけど、設定も原稿も全部誰にも見せず処分。HDD破壊すればいい?
聖職者になるって、好きなことを諦めることなのか。こういうことだったのね。趣味を無にするとか?やれもしない筋トレを趣味にする?やりたくない趣味をもって働けば創作したい気持ちは殺せますか?好きなことを表現する隙のない仕事だったのね。隙を捨てる仕事なのね。仕事で有り余った勢いで生み出したいとか楽しそうって思ってたけど無理だなできる仕事あるのかな不勉強だし最近しんどいし希望のある言い方ができませんし希望のある言い方あるのかな。
ダメだ文がグチャグチャ少し見直そう。
数日前、『終末のワルキューレ(伝説や伝承に出てくる神と人間がタイマンする漫画)』に対して、ヒンドゥー教の聖職者がシヴァ神を軽視しているとクレームをつけたというネットニュースを見た。
ジャパニーズポップカルチャーでは宗教上の神話の登場人物(登場神物?)をキャラクター化するのは当たり前と化していて、その宗教に属する人々から批判を受けるということは今までもたびたびあった。
ただこうした批判自体が宗教的価値観特有の傲慢さに基づくものに感じて、俺は昔から気に入らないと思っていた。
まず第一に思うことが、どれだけその宗教の人々が心から信じようと神話はあくまでただの一”物語”に過ぎないということだ。
著作権に国際的な統一法はないが、何百年、何千年も前の物語が著作権保護の期間の範囲内だと主張する人は流石にいないだろう。
であるならば、神話だって著作権の切れた他の創作物と同じように後世の人が自由に使って良いだろうと思うのだ。
そして第二に思うのは、現代の宗教家は著作者本人でもなければ、委託を受けた権利の管理団体でもなんでもないだろうということだ。
宗教なんて大抵どこも宗派で分裂したり争ったりしていて、神話が創作された当初と同じ組織体系を維持しているところはほとんど存在しないだろう。
現代の宗教家なんてキリスト教だろうが、ヒンドゥー教だろうが、イスラム教だろうが、どこも勝手に正当後継を名乗っているだけで、神話の創作された頃の人々が自分たちの後継と認めるかどうかも分からない、その程度の集まりに過ぎないのだ。
そういう意味では彼らも日本の漫画家と同じで、許可も取らずに勝手に神話を使用している”利用者”に過ぎないわけだ。
日本の漫画家はキャラクター原案に神話を使い、宗教家は自分の信仰に、あるいは統治に神話を利用している。そこにあるのは使い方の違いだけだ。
物語というのは、過去の物語が人々に読まれ、そこから発想や知啓を得た人々が新たな物語が作り、そうして連綿と生み出され続けるものだと思う。
かつて神話を語った人もきっと、それまでに聞いた物語を参考にしつつ、自分なりのオリジナリティを加えて神話を綴ったのだろう。
であればいい加減、宗教家は神話を独占して自分たちだけに使用権があるかのように主張するのではなく、次世代の物語のために神話を開放するべきでないか?
ちなみに一応、言っておくが、俺のこの主張は別に、例えば『終末のワルキューレ』のような神や偉人をキャラクター化する創作物を擁護するものではない。
俺個人としては「別に良くね?」と思うが、それはなんとなく世間で許されてまかり通っているだけで、論理的な正当性を主張することは難しいと思う。
一次創作である神話に対するリスペクトが足りないという批判は当然あるだろうと思うし、だから、宗教家の人たちが解釈違いとして文句を言うのならそれは一つの意見だと思う。
宗教家が、自分たちだけが神話という物語の神を”使う”権利があると思って批判をしてくるのならば、それは大きな驕りだと断じたい。
「や、やめっ……」
察しの通り、放たれたのは聖水だ。
主成分は水と塩で、ここに聖職者の祈りを込めることで完成するらしい。
駅前でいつも何かやってる教祖がいるんで、そいつに作ってもらおうとしたんだけど断られた。
あの教祖、「うちの宗教はそういう事やってません」とか言ってたが、じゃあ何ができるんだよ。
「一張羅なんだよ、やめてくれっ」
そんなわけで、いま使っているコレは俺の手作りだった。
気休め程度にしか思っていなかったが意外にも効いているようだ。
今まで気づかなかっただけで、俺には魔を祓う力があるのかもしれない。
俺は気を良くして、今度は米袋を聖なるイメージで放り投げる。
「これでも喰らえ!」
「マスダ、その米はバラ撒かないと意味ないよ。吸血鬼は散らばったものを数える習性があって……」
そこからは皆ガムシャラに、持ってきた撃退グッズを手当たり次第に使っていく。
「私も探したんだけど、ウチにある銀製これしかなかったのよ!」
「いででで!」
形勢は一方的だったが、ドラキュラの行動次第では簡単にひっくり返るかもしれない。
何をしてくるか分からない相手だから、そもそも何もさせない必要があった。
「弱り始めたぞ」
気の抜けない攻防が続く中、いよいよドラキュラの動きが鈍った。
やるなら今だ。
「よし、木の杭だ! ハンマーを!」
「……え?」
「え?」
木の杭を持ってきたはいいが、それを打ち付ける道具を忘れていたのである。
「……火種は?」
「他に倒す方法ないのか?」
「えーと、確か首を切り落とすと再生できないらしい」
「そんな刃物、用意できねえよ」
「ま、待ってくれ! さすがに殺される謂れはないぞ!?」
俺たちが止めを刺す方法で悩んでいると、ドラキュラが命乞いを始めた。
「それにさっきからドラキュラ……って、何か勘違いしてないか?」
「往生際が悪いぞ」
「僕たちの攻撃にあれだけ苦しんでおいて人間だなんて無理があるよ」
一理あるかもしれない。
「じゃあ、この植物を自分で食べてみてよ。そしたら話くらいは聞いてやる」
「……これトリカブトじゃないか!? そもそも、これが効くのは狼男の方だろ」
え、そうなのか。
俺はミミセンの方へ顔を向けた。
「確かに元は狼男を退ける物だけど、ついでに吸血鬼にも効いたはず。銀の銃弾とかもそうだし」
なんだか間の抜けたやりとりが続き、そのおかげで俺たちは冷静さを取り戻した。
改めて男の姿を見てみると、なんだかドラキュラって風貌じゃあない。
口から覗かせる歯は並びこそ悪いものの、「牙」といえるほど鋭くはない。
・・・言いそうで救えないな
日本だけ大勝利!アメリカも中国も惨敗とかこの状況下でも平然と素で言うもんな
彼らが惨敗なら、彼らと付き合いをやめるなら、日本には食料も医療品も何かを作る材料も入ってこないのやで?
自称保守、自称リベラル、お互いは別に敵ではないことが、わかったことでは無いだろうか?
敵というか本当にどうにもならないのは、
- 長文が読めないネットde真実くん
なんていうか、文字が読めない庶民の代わりに聖書を読む聖職者を奉っていたが
だんだんと腐っていった構図そのままな気がする
海外の論文や臨床試験ジャーナルや学会の見解やニュースや学術インタビューは見放題なのである
anond:20200406171736 anond:20200406173237 anond:20200406180150 anond:20210902114734 anond:20210906190206 anond:20210909080902
豪議員「アニメ『ソードアート・オンライン』は児童虐待。他にも多くのアニメや漫画が児童の性的搾取にあたる」https://t.co/0szBF1lMy1— ユルクヤル、外国人から見た世界 (@Yurukuyaru) 2020年2月27日
率直に言って頭おかしい。
先日オーストラリアで母親が自身の9歳の娘を売ると言う胸糞なニュースがニコニコニュース辺りで日本語訳されたのがあったばかりなのにこんな事言い出すとか頭おかしいでしょ。
ただでさえカトリック聖職者の1割近くが未成年者に対して性的虐待をしていたとか言われているのに。
しかしこの手の児童ポルノを建前にして、漫画アニメ等の創作物を規制したい奴は以下に実在児童を蔑ろにしてどうにも思っていない事がこの一件でも良く判るよ。
ただでさえ、昨今創作物規制が以下に効果がないor事態を悪化させただけと言う事が各国のデータを見ても証明され出したと言うのに。
オーストラリアについては昨今余りにも活動家の行動も酷いしどうせこれもあの連中絡みだろうけど、キリストや国連とかのこの手の犯罪があった以上、大真面目に実在児童犯罪の捜査の撹乱の為にわざとこんな法律を作っている様にしか思えないわ。
いい加減セックスドールやら創作物やらの規制の理屈に児童ポルノ使うのやめろや。
矛先反らししすぎたせいで今や余計に悪化しているだろ。
いい加減にしろ。
バニーガール姿の9歳娘が男たちの性の餌食に… 金に目がくらんだ母親を逮捕
https://news.nicovideo.jp/watch/nw6674023/comments/33280875
この漫画の女の子は高校生?明らかに性的対象として未成年を消費しているのに「公式」ですか。オーストラリアではこんな画像を平気でポスターにすると犯罪なので、必ず警察に通報されます。日本は他の先進国とずいぶん違うのですね。 https://t.co/ikxipKEOfp— がび (@gaby6100) 2020年2月14日
https://www.bbc.com/japanese/47550018
https://www.bbc.com/japanese/49416825
そもそもオーストラリアに限らず、イギリスでも規制が厳しすぎた国は日本よりも遥かにこの手の犯罪が多かったりするんだけどね(笑)
当時からだけど、この手のフェミ仕草の連中って本当にオーストラリア好きだよねと思う。
何にしろ当時指摘されていた厳しすぎる意味のない規制は寄り犯罪の悪化を招く事を実証したから、これからどんどん彼等の言い分は潰れていく段階に入っていくと考える。
そもそもこいつら実在児童保護を蔑ろにして、児童ポルノを盾に創作物規制やネット規制など関係ない所ばかりしていたのが本当に気に入らん。
公式に守られた匿名の姿で野に放つのだから、読み手はこの文をどうしてくれても構わない。
ただ、このタイトルや冒頭だけでも読んで、自分は同性婚についてどう思うか? という意見を明確にするために、頭の片隅にでも考えて欲しい。
国民全員が同性と結婚しろなどという馬鹿げた事態にはならない。
今のところ日本人には、異性と結婚する、もしくは結婚しない、という2つの選択肢が提示されている。
この法案はその中に、同性と結婚する、という選択肢を加えるのだ。
繰り返すがこの法案は同性との婚姻を強制するものではない。そして、そもそも誰とも結ばれたくない人間には結婚を強要するものでもないはずだ。
(今の世間は結婚しないことを許してくれないじゃないか、という意見がありそうだが、それは論点がズレるので横に置いておく)
この話をすると、「同性愛者優遇じゃないのか?」という意見が出がちになる。
ふだん普通に暮らしている人間が、同性愛者という魔法の肩書き1つでさまざまな権利を得ると思うのだろう。
しかしよく考えて欲しい。同性と結婚したい人間には、現在婚姻の自由、またパートナーとの仲を法的に保証されること、病院での身内としての付き添いなど、異性と結婚した人間には可能なことができない(病院は原則、手術や急病による入院などの場合、法的な家族関係を持つ人間しか付き添えない)。
パートナーシップを認める自治体は増えているが、それはやはりあくまでも「自治体の条例」であり、住む場所を変えても引き継がれるような全国的普遍的な効力は持たない。
養子縁組という手もあるが、家庭の事情等で組めない場合もあるだろう。
同性婚が認められることによって、このマイナスが異性婚者と同じラインまで引き上げられる。
ただそれだけだ。
個人的には同性婚したいカップルやパートナーシップ・養子縁組がいいというカップルで、どれについても尊重出来たら良いと思う。
どうしても人間としての権利をマイナスのままにしておきたい方々には…もう私は何も言うまい。
選択肢が増えるということは、異性愛者や同性愛者という垣根をあいまいにするだろう(そもそも両者はグラデーションで、明確に分けられるものではないんだけど)。
異性しか愛せないと思っていた人の中にも、もしかしたら同性を好きになり、共に生きたいと思う人が出るかもしれない。その逆も然り。
そんな時、選べる人生の形が多いことはとても心強いことだと思う。
こうもはっきり言うのは、私がそうだからだ。「ソースは俺」理論とでも言うか。
基本私は異性を好きになるが、一度だけ同性の友人を、自分でも驚くほど好きになったことがあった。
後にも先にも同性を好きになったのはその一度だけで、自分をどの立場に置くか正直揺らいでいる。
そういう人間は思っているよりずっと多いと思う。
そして、どんな形に落ち着いても法的に好きな人との関係が保証されるなら、こんなに嬉しいことはないだろうとも感じたのだ。
そういえば某議員が「生産性がない」、と言ったのなんだので話題になったが、まあそれはああそうですかという感じである。
子作りを生産性という言葉で片付けるのか? などという話は抜きに、実際同性カップル間で子どもが作れないのは事実だ。これは変えようがない。
だが、代理出産や里親など、子育てをしたいカップルにも子を持ち育てる手段は存在する。それは健やかに愛されて育つ子どもを1人でも増やす、『生産性のある』ことではないのか。
また、同性愛者に生産性がないなら、無理やりに望まない相手と結婚をして子を作るのが正義なのだろうか。子のない異性婚家庭についてはどう説明するのだろうか。
この辺、純粋に議員さんに問うてみたいことではある。曲解されたり横槍が入ったりしやすいネットや文面上ではなく、対面で。そんな機会はないが。
閑話休題。
2013年にニュージーランドで同性婚法案が成立した時、これに関する議員のスピーチが話題になった。
私も感銘を受けたことは受けたし、かなり拡散もされていたのだが、同性婚に否定的な日本人に向けてこれを勝ち誇ったように掲げるのも、なんだかな、と思う。
海外に右ならえしなきゃという感じもあって、そこは好かなかった。日本人ならいくらかは自国の言葉で語れなければいけないのでは、と。
なので、このスピーチからちょっと気になったところを少し参考にしつつ考えてみた。
気になったのは下記の部分。
「法案が通ったその日から、ゲイによる総攻撃が始まるだろう。」
議員は、ゲイによる総攻撃って何なのか? と思ったと言うし、私もそう思ったが、これはかなりの問題でもある。
異性愛者にとって同性婚法案が成立するということは、自分が好まない同性から性的アプローチを受ける可能性が生まれる、ということにも等しい。
「ゲイだって普通に相手は選ぶ」「節操なしじゃない」「自意識過剰だ」という反論はまあそうなのだが、それでも不安は残る。
社会がそんな法案を法的レベルで許したら、同性愛者が大手を振って街を歩くはずだ。
好きでもない相手にアプローチをかけられる可能性が、多少なりとも上昇する。
そのアプローチが同性からなんて想定のうちに入っていない。もしかしたら同性に尊厳を奪われるかもしれない。
――それはまさに、同性愛者が「総攻撃」を仕掛けてくるような恐ろしさだろう。
オープンリーゲイの人々が極めて奔放なように見えてしまうことはあるだろうし、第一に性的体験談の掲示板などを覗けば、真偽問わずいわゆるノンケ(異性愛者)となだれ込むように関係を持つことに成功したと書かれているものがある。
恐れを抱かれても仕方なかろう。
しかし、大抵の同性愛者は同じ性的指向の者同士でコミュニティを持っている。
それは異性愛者と何ら変わらないことであり、異性間のコミュニティにまでこれがはみ出すことは基本ほぼないと言ってもいいのだ。
それでも、ノンケというかまったく同性に興味無さそうな相手を好きになる者はいる。
挙句の果てに、そこから望まぬ交渉が発生することも万が一あるかもしれない。
その時にはもう法やら周囲やらに頼るほかない。相手がどんなクズか、どんな非道かを訴えねばならない。
非力な異性愛者が異性に望まぬ交渉を強いられた時と同じように。
それらは同じことだ。
世間体が気になってしまってなかなか言い出せないであろうことも、きっと共通している。
どうかやられたら存分にやり返してほしい。泣き寝入りをしてはいけない。同性愛者に負のレッテルを貼り付けるようなクズを、同じ性的指向だからと言って守る者は恐らくいない。万が一いたらそいつも同じクズである。存分に叩け。
それで安心しほとは言わないが、少なくとも望まぬ交渉を強いる時点で異性同性等しく下道である。
議員は述べた。
「この法案に反対する人に私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。
明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。
明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。
布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。
だから、大騒ぎするのはやめましょう。
この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。」
「恐れることなかれ」
と。
異性と結婚するか、そもそも結婚しないか。それだけの選択肢を前にして生き続ける。
私はできればそのかたわらで、同性と結婚したい人々という「全然関係ない」人たちが「全然関係ないところで幸せに暮らし」、「全然関係なくそれぞれの道を歩んでいける」社会になれば良いと思う。
不安を抱いて反対する人々に、大丈夫! と堂々とは言えない。なんせ同性婚賛成派にも色々な人間がいるもんだから。
でも同性婚に賛成する人々は、反対派を叩き潰し殺してやるとまでは思っちゃいない。
ただ、話し合いの場に来て欲しいのだ。
「キモイ」「好きじゃない」「自分はしないから他人もするべきじゃない」ではなく、
人々にとって何がメリットになるか?
何がデメリットになるのか? を踏まえた上で、
賛成なら賛成、中立なら中立、反対なら反対と言って欲しいだけだ。
だからこのエントリーでは、私の思うメリットデメリットというか、なるべく「愛って素晴らしい」というような結論には落ち着かないよう気をつけて打ったつもりである。
そして、恐れてもいいから、恐れている理由を明確にしてほしいな、と思うのだ。
スマホで2時間直打ちしたのでだいぶ読みづらくなっていそうである。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。もちろん少しだけ目を留めてくれた人も。
このエントリの下の方ででも、Twitterででも、あるいは友人との話や自分の頭の中だけででも。
どこでもいいから、「同性婚どうしたい?」ということを考えて貰えたら幸いだ。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/11/25/nz-gay-marriage_a_23288119/
女性の表象問題、「累積的な抑圧体験を刺激」なんて関係なかった可能性
https://togetter.com/li/1460501
単にフェミニストと呼ばれるクレーマーが殴りやすい棒を持って、気に入らないものをわざわざ見つけ出して、他者に因縁付けて殴りかかっているだけやぞ。
あいつら女性の権利でも子供の権利でもLGBTでもポリコレでも殴りやすい棒があればそれで他者を殴るだけやで。
それよりコメでツイフェミとか似非フェミとか言って本来のフェミとは違うアピールしているのが草。
日本のフェミニズム自体元々ラディカルフェミニズムに汚染された代物なのだから、フェミニズムに良いも何も悪いモノしかない。
言わば本来の共産主義や社会主義が良かったと言っているようなもの。
それと聖職者や国連が児童レイプしている様な本物志向の欧米で草。
今や創作物規制をした国の方が日本より酷くて、効果がなかったorより悪化した事が実証されたし、規制を推進していた団体が実はこの手の事をしていましたと言う事がバレ始めているもんな。
それと世界的潮流で言えば、今やフェミニズムやリベラル、グローバル化と言うモノ自体が余りにこいつらが平等や反差別、人権などを盾にして、一般人を叩きすぎた為、毛嫌いされ出して、急速に古臭くダサいものと化していて、どこも選挙が勝てなくなり出しているんだよね。
実際日本に限らず、トランプが当選したり、イギリスで保守党が大勝したりしたのもその辺だし、ドイツですら極右及び極左と言う両極端な政党が力を持ち始め、あのフィンランドですら反リベラルが台頭し始めたみたいだしな。
イギリスが盗撮行為を「犯罪」としたのもここ1,2年の話なんですよね。
他にも聖職者や国連の人権問題に関わる者の性犯罪には無関心。
性問題よりも、自己の嫌悪感を基軸にする一人一派の弊害なんだと思います。 https://t.co/4acMhYCGUu— 天やん (@zerosaku) 2020年1月12日
漫画やアニメなどに対する嫌悪感でふわっとした連帯感を保てるからこそ萌えを叩く。一方、現実の性被害に対して無関心でいられるのは、そこに共有できる実体験が無いからでしょう。— 天やん (@zerosaku) 2020年1月12日
奴等が悪質なのはそのふわっとした連帯感やバッシングの為に平然と他の弱者の権利すら悪用する所。
そして自分達のお気持ち以外一切興味がないのは当時の児童ポルノ禁止法でもネット規制や創作物規制は主張するが、規制に懸念や反対していた人達が指摘していた児童保護予算や厚労省管轄にする事については一切無視していた事からも良く判る事だからね。
要は自分のお気持ち以外どうでも良くて、その為なら何でも利用する様な連中と言った感じ。
その辺が奴等がそれからも大暴れして、広範囲に多大な迷惑をかけた結果やっと世間にも認識され始めたって所。
日本でもこんな感じだしね。
海外でもキリスト教や国連の性犯罪が多く出てきたのに未だに内部で創作物規制ばかりして、矛先逸らししようとしているにも関わらず、更に今でも各国でダッチワイフ規制とか喚き散らしていてアレだからね。
フェミは嫌われて当然だよ。
あいつら最近よく口実に出すインセルなんてそれこそフェミの弊害で生まれた要因も非常に大きい訳だしな。
こう言う過激派が出てきだすと本気で社会自体、フェミの嫌悪が募っている証拠で奴ら的にも非常にやばい事態と化しているのだけど、奴ら自身増長しきっていて、それにすら気づいていないのは救えないよね。