はてなキーワード: 現実とは
毎晩豆腐を食っている。
水でもどしたワカメと塩昆布を上から乗せ、醤油とごま油を垂らして食う。無限に食える。毎晩こればかりだが永遠に食える。
…
さる地方都市に住んでいて、おそらく市内で一番食っているのではないかと思うが、県内だと自信がない。まして国内だと上には上がいる気がする。
そういう気がするのだが、では、普通に食っているレベルの限界で、一番食うやつははたしてどのぐらいなのか?
例えば、極端な話、何かの競技性を帯びて豆腐と接していたり、強迫観念や意地のようなものがあるなら、一日三食豆腐を食い、加えて間食に食ってもいい。
ただ、そんなやつはさすがにいないだろう。無理することなく、なんなら、豆腐をよく食うという意識さえない、そういう意味で言う「普通に食っているレベル」である。
…
一日三食豆腐を食うような生活からは一種の無茶を感じるが、朝夕に冷ややっこを一丁ずつ、これぐらいになると俄然、現実味が増す。
というかたぶんそういうやつはいる。
そこからさらに豆腐の味噌汁を合わせる、ぐらいのことを天然でやっているやつも、わずかだがいるだろう。つええ。勝てねえ。
あと、麻婆豆腐専門店のベテラン従業員とかも、まかないでハンパない量を食っている可能性がある。
さらに、夜はまかないで豆腐を食い、こいつらもまた、朝にしれっと豆腐の味噌汁も食っている可能性がある。
これも、無理なく生活に取り込んでいる豆腐の量が常軌を逸しているパターンである。こういう手合いと話をする機会があって、
「夕飯は毎日麻婆豆腐なんですよ~」とかつって、手ごわい、と冷や汗をかきつつもそうなんですか、とか言って、じゃあ朝飯は毎日何食ってるんですか、と
尋ねたら、えーと、豆腐のお味噌汁と…って、これも豆腐ですね~、とか朗らかに笑われたときの敗北感はすごいだろう。
対抗するには俺も豆腐の味噌汁を食うしかないが、趣旨がおかしいのであって、そこまでは豆腐を食いたくない。
…
俺にとっては、夕飯に一丁の冷ややっこ、俺にとってこれが「豆腐」なんだ。俺は「これ」なんだ、これでいいんだ、とスポーツ漫画の1.5流のように、
憑き物が落ちた顔で笑う。
というかこの世の豆腐は冷ややっこか麻婆豆腐か味噌汁しかないのか。そんなはずはないが、自然に食っているやつの限界は
どこなのか知りたいと思っている。
とある国内IT企業大手で組織が崩壊しつつあり、1人の社員として、それを目の前で目の当たりにしている。
もともと縦割りの組織に課題を感じていた会社は、部門横断的なプロジェクトを走らせるラジアルウェブ型の組織体制を導入することになった。アイデアとしては素晴らしい。縦の壁を壊し、部門間の連携を強化することで、効率的なプロジェクト推進を目指すはずだった。
しかし、実際に始まってみると、その理想とは程遠い現実が待っていた。各社員が自分の意向や得意分野に関わらず、プロジェクトに次々とアサインされていった。特にやりたいことやできることが反映される余地はなく、誰もが組織全体の目標に従わなければならなかった。結果的に、やりたくない仕事を任される社員が増え、退職者が続出していった。
退職者が増えると、彼らが持っていた業務を他のメンバーが引き継ぐことになり、さらに余裕がなくなる。負担が増し、社員は自分が本来やりたい業務に専念できない状況に追い込まれていった。皮肉なことに、縦割り組織を解消しようと導入されたはずのラジアルウェブが、かえって社員のモチベーションを奪い、組織の崩壊を加速させている。プロジェクトを企画する上位層が残り、現場層は次々と退職している。組織が望んだラジアルウェブではなく、それは蜘蛛の巣のように、スカスカの組織になってしまっている。
私はこの状況を、ラジアルウェブの負の側面だと感じている。社員一人ひとりの意向や能力を無視してプロジェクトを割り振ることは、短期的には成果を上げるかもしれないが、長期的には組織を破壊する原因となりうる。目の前でそれが起こっている今、組織の未来が見えなくなってきた。
同棲したらパコパコし放題最高だろ〜とか思ってた
現実は違った
平日は帰宅して飯の用意して飯食って片付けして風呂入って歯磨きして…
彼女は朝に弱いし自分は夜になると眠くなるしでパコれるのは土日だけ
土日しかパコれん
その土日ですらなんやかんやで時間潰れたり生理だったりでパコり損ねることが少なくない
もっとパコりてえ〜
数学的宇宙仮説の最初のアイデアは、電子のレベルまで還元すれば数学法則に従うという観察に基づく
ここから、「では、外的現実はなんであり、人間思考に含まれる"バゲッジ"を取り除いたら、何が残るのか」という問いが生じた
しかし、外的現実というのはコンピュータジェネレーションのように「生成」されるのか、それとも無限の過去から無限の未来に至るまで、生成を介することなく「存在」するのかという二次的な問いも生まれる
生成であれば、根本的な現実は生成器の構成要素まで還元されるが、生成器がなくすべての数学的構造が単に存在するなら、その分だけ多世界が存在する可能性がある
3やな。リアルの情報と紐づけられたら、マジで首が飛ぶし、懲戒請求をかけられるリスクもある。
エンティティリンキングで精度9割達成しましたーってのが納得できないんだよね
だってさ、メンションに紐づくエンティティの統計をとって頻度が最も多いものを選ぶだけで9割行くよね?
まだツイッターで消耗してるのーん?
顔が見えない相手との“戦い”。「僕らは相手も知らないですから。悔しいですよね」というのが本音だろう。すぐに根絶することは難しいかもしれないが「昔は野球選手に声なんて届かなかったわけで、昔の野球界とは変わってきている。これからの選手のためを考えたら、選手会と一緒に戦っていったり、NPBと一緒に戦っていったり、僕一人では戦えないので、全体でそういう悪い風潮をなくしていけたらとも思います」と語気を強めた。
「ネットの中で戦う人よりも、僕がマウンドに行ったときにヤスアキジャンプをしてくれる、現実に応援してくれる人の方が多いのかなと僕は信じています」
初任給を引き上げた結果『新入社員より給料がやすい』という現象があちこちで起きてるらしい「モチベーションが下がるやつ」「これで仕事をやめました」
https://togetter.com/li/2432120
これ、あんま裏とりしてないけど
ChatGPT
アメリカ:一般的には、業績に応じて年に1度、数%の昇給があることが多いですが、企業や業界によってはボーナスや株式報酬でのインセンティブが重視される場合もあります。
欧州:昇給の額や頻度は、業界や企業の方針によって異なります。特に技術職や専門職では成果に基づく昇給が多く、定期昇給はあまり見られません。一方で、公的機関や伝統的な大企業では年次昇給が一般的です。
Gemini
アメリカ:勤続年数だけで昇給が決まることはほとんどありません。5年、10年働いたからといって必ずしも昇給するとは限らない: 毎年、パフォーマンス評価が行われ、その結果に基づいて昇給が決定されます。
欧州:ドイツは、日本と同様に年功序列の要素が強く、勤続年数に応じて昇給する傾向があります。イギリスは、アメリカと同様に成果主義が中心で、個人のパフォーマンスに基づいて昇給が決定されます。フランスは、労働組合の影響力が強く、労働契約で賃金が規定されていることが多いため、昇給の仕組みが複雑です。
Claude
アメリカ:成果主義が主流で、能力や実績に基づく昇給が一般的。5-10年の経験を積むと、スキルや責任の増加に伴い昇給する可能性が高い。業界や企業の業績によっては、インフレ調整程度の昇給にとどまることもある。
欧州:国によって差があるが、一般的に日本とアメリカの中間的な傾向。多くの国で労働協約があり、経験年数に応じた最低賃金の増加が定められている。成果主義の要素も取り入れられており、能力や実績による昇給も行われる。
ChatGPT
欧米の企業では、新入社員の給与がベテラン社員の給与を上回ることが特にインフレ時において一般的に見られることがあります。この現象は「給与圧縮(wage compression)」と呼ばれ、次のような理由で起こります。
1. 市場の変化に基づく初任給の上昇: 労働市場の需給バランスやインフレ率の影響を受けて、特定のスキルを持つ新入社員の初任給が高くなることがあります。企業は優秀な人材を確保するために競争的な給与を提示し、新入社員の給与が急激に上昇する場合があります。
2. 成果主義やポジションベースの報酬体系: 欧米では成果主義が一般的で、昇給や昇進は個人のパフォーマンスやポジションの重要性によって決まります。結果的に、昇給のペースが遅い場合、ベテラン社員が新入社員に追い抜かれることがあります。
3. インフレと物価上昇: インフレが高いと、既存社員の給与が市場水準に追いつかないことがあります。企業は新たに雇用する際にインフレを考慮した給与設定を行いますが、既存社員の給与はそれに追随しない場合が多いためです。
Geminiは「レアケースだよ」って言ってるけど
その宗教の中でも格の高い役職に属していた母方の祖母は、俺の母にも幼少期から教えを説いたが、曰くその頃は特に信仰が厚い訳では無かったらしい。
寧ろ貧乏な家なのに樒や仏壇なんて買うのは、と口には出さないまでも思っていた時期が大半で、高校を卒業後はすぐ働き、各所に旅行に行くのが趣味だったそう。
そんな中、同じ会社に属していた父と結婚をし、一人目を授かったが、妊娠が半年を迎えようとしていた頃に胎動が消失してしまい、この世に生を受ける事は無かった。
二、三年後に時を経て二人目を授かり、無事出産に成功した、それが俺。
俺は産まれながらにして酷い皮膚炎だった。
当時専業主婦だった母は色んな病院に通っていたが治る事は無く、万策尽きたかと思った所に、ふと実家の宗教を思い出した。
小さな仏壇を購入し、毎日100回、みたいなノルマを設定して祈っていたそう。
すると俺の皮膚炎は、奇跡の様に治って行った。
俺が物心付く頃には、周囲の人間は子供も大人も母と信仰を同じくする人達ばかりだった。
誤解されがちなのだが、こういう集まりは普段からずっと信仰の話をしている訳ではない。
寧ろ世間話がメインで、そういう話が出てくるのはお悩み相談みたいな雰囲気になった時のオチとして「祈りつつ頑張りましょう」の一言程度。
感受性が嫌に高い子供だったから、蝉の死体を見て自分も死ぬの怖いな、と泣きながら集まった日の集まり、ふと気になって「死んだらどうなるの?」と、老婆に聞いた。
曰く、「死んだら死後の世界で成仏して、また魂がもっと幸せになって、現世に戻ってくるんだよ」と答えてもらった。
その時はなんだか、死んでも良いんだ、という気持ちになった。
小学校に進学した後、10人で町内鬼ごっこをしようという話になった。
俺が鬼になり、運動神経は良かったので、5分もしない内に捕まえたのだが、捕まえた相手が鬼ちゃうし!と言って俺の顔面を殴って、逃げ去って行った。
自身の事を全肯定してくれるコミュニティに身を置いていた俺が味わった、初めての理不尽のあの感覚は、今でも忘れられない。
幼いながら、今すぐ消えたいと思った。
不思議と涙も出ずに家に帰り、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま台所下にある包丁を取り出して、怖がりながら自分の腹に刺した。
刺し所も強さも死ぬには足りる訳もなく、垂れる血をしばらく眺めていた。なんだかすごい事をしてしまったな、という気持ちになった。
何故包丁を取ったのかという経緯を話せと言われて、鬼ごっこで鬼を変わってくれなかったから、と答えた。
生まれて初めて、物凄い剣幕で怒られ、頬を殴られたのを覚えている。
誰も自分の事を分かってくれないんだという絶望感でいっぱいで、何も言い返せなかった。
ここで違うと言えなかった事が、俺の人生の分水嶺だった様に思う。
今となっては知る由もないが、あの時母親の目には、俺は殺人鬼予備軍にでも映っていたのだろうか。
中学生になる頃には、父親のパソコンでネットを見るのが趣味になっていた。
当時のインターネットの、分からない言葉で喋る、色んな価値観の人の話を見るのが好奇心旺盛な俺にはぴったりだった。
そんな折に自分の宗教を調べると、カルトという言葉が目に付くようになった。
その頃はその宗教内の地域代表みたいな扱いを受け、遠征なんかもしていたが、宗教の家系だといじめられていたのも相まって、そんな扱いや環境に疑心が芽生え始めるのに、そう時間は掛からなかった。
高校生の頃には、反抗期も相まって集まりには行かなくなっていった。
その頃には自分には妹が居て、妹が俺の代わりに宗教面の家の顔になっていた。
部屋に入って来る母親から「産まれなきゃ良かった」と呟く声がよく聞こえてきた。
じゃあ俺じゃなくて、俺の兄貴が産まれてれば良かったのか?と、内省的な俺の中でずっとリフレインしていた。
どんどん不眠気味になり、朝無理矢理身体を起こして図書館かゲーセンに行って寝る生活をしていた。高校にはあまり行かなかった。
学校に行ってない事がバレて、話し合いをするという事になった。
全てが面倒臭くなって、死のうと思った。
海が好きだったので、海で死のうと思い歩いて行ったが、途中で海を見に来たのであろう人に止められ、ズブ濡れのまま家に帰った。
色んなものがフラッシュバックして辛くなって、人生で初めての野宿を決意し、浜辺にあるベンチで寝た。
これがホームレスか、とか、クソ寒いし起きたら死んでてくれねえかなとか思っていたのをよく覚えている。
途中で色んな人と同居したりはしていたが、本当の意味での一人暮らしは初めてだ。
最初はこんな俺でも、一人で暮らせるのだ、やっとあの呪縛から解き放たれたのだと感じた。
けれど実際は日に日に昔抱いていた希死念慮が強まっていく。
言った所で何が変わる訳では無いし、これから先もやっていくなら付き合っていかなきゃいけない感情なのだけれど、俺はその割り切りや、言語化や、付き合い方みたいな物を、少し特殊な生い立ちや環境を言い訳に見ない様にして来たのだと思う。
漫然とした生き辛さみたいなものは、こんな文章を書いた程度でどうにかなるものじゃないと思ってはいるが、いつかなんとかなるといいなあ。
最近は少し気が落ちていた事もあって、内省的な性格が災いして凄く辛くなっていた…ので、今一度振り返る意味を込めてこんな文章を書いてしまった。
それをふと他人に見てほしくなって、色んな反応を貰えて嬉しい、改めてありがとう。
せっかくなので、貰った言及に少し返答をしてみたいと思う。
>家庭環境の割りにはまともそうに見える
昔から凄く(今も)自分がどこかマイナスであるという自覚が凄くて、普通とか、まともとか、そういう人になりたい気持ちが強いので、その言葉が凄く嬉しい。
今もその訓練中だし、それが少し報われた気もする。ありがとう。
>宗教が嫌なら宗教にハマってなさそうなお父さんに助けを求めれば良さそうだけど、お父さんじゃ埋められない何かがあるんだろうか。 お父さんがお父さんとして機能していないから、...
父親は宗教に無関心だったし、キレると手が付けられない人だったし、人として尊敬はしているけど、俺が人間としてそこまで得意ではないタイプの人なので、避けて来たのがある。
加えて父親も幼少期に凄く苦労していた事もあって、子に対してもパートナーに対しても、自分の金でなんでもやっていいよ的な放任主義だった為、助けを求めるという事へのアンサーは、「考えた事もなかった。」
>・宗教3世であることは要素として関係ないこと。ただの親と子の関係の話(=幼少期のストレスとかの話)
これに関しては、もう時効だから言うが幼少期にあった、町内にある自分達とは異教の人達の家を無理矢理引っ越させるよう仕向けるとか、選挙カーをチェイスしてずっと横で爆音の曲を流して音を相殺するとか、イベントの為に男の俺が一ヶ月間ヒールで生活した話とか、色々あって、幼少期の可処分時間がほぼそういうイベント尽くしだったというのもあるんだが、今回は省略させて貰った。
>・冒頭のほとんどを占めるエピソードは伝聞であり、親の態度を考えるに、かなり美化または歪曲している可能性が高いこと(みるみるなおったくだりなど)。
実際俺もその可能性は考えたが、周囲の誰に聞いても(父親に聞いても)その通りだったので、多少の脚色はあるかもしれないが、概ね事実に即していると思う。
タイミングが良かっただけで神の恵みとありがたがれるのだから、良いなあと思う。
>・要するに育った環境ではなく、親の性格の話をしているように思われること
これは本当にそうだな、と感じた。
ずっと親の事を直視するのが怖かったから、宗教というフィルター越しで見ざるを得なかったのだと思う。
多分、それを自覚した今も、俺はフィルター越しにしか見れないと思う。
ありがとう、向き合えてるかは分からないけど、今日も仕事から帰って来て、自分でボロネーゼを作って、いつもより粉チーズを多めに振って、それを食べながらこの返信をしてるよ。
それだけの事が、今はただ嬉しい。
>あー、またひとのせいにしてるー
これは本当にその通りだ、我ながら本当に幼稚だなと思っている。
幼い自分にとって一番の味方だった人が産まれながら他者受容100%のコミュニティに入れてきて、現実がそうじゃないと知って全部ちゃぶ台をひっくり返されたあの瞬間にとても耐えられなかったから、全部宗教のせいにした。
これから先も、今の漠然とした俺の生き辛さ含めて、一生宗教のせいにし続けると思う、親のせいにするよりはよっぽど救われていると思うから。
自分のこういう宿痾みたいなものを、押し付けるよすがとして宗教を選択している時点で、俺も信奉者と大して変わらないのかもな
日曜の朝のことだ。休日なのに最悪の目覚め。
しかし心当たりもあった。
前日の土曜日。予定もなく町を彷徨った末にパチンコ屋へと入ると、これが驚くほど勝った。
これほどの大勝は久しぶりで、俺は躊躇することなくトルコ風呂屋へと足を向けた。
そこは既に馴染みと言える店で、従業員が若くておっぱいの大きい子が入りましたよと勧めてきた。
俺はその子を指名することにして、待っていると来た女は若く、確かにおっぱいがデカかった。
だが少し太り過ぎているようにも見えた。
彼女に部屋までエスコートされるとまずは恒例行事のように身体を洗われる。
でかく柔らかい乳の感触を背中越しに味わうというのは、悪い気分じゃない。
俺はげんなりしたが、口には出さずに居た。
騎乗位になると女はあっ、あっと喘ぎ、その声はちいかわに似ていた。
その日の朝はYouTubeでちいかわを見ながら朝食を食べた。昨夜買った半額の、タルタルソースのかかった唐揚げ弁当。
画面の中でちいかわは「あっ」とか「わぁーっ」とか「あ、あーっ」と言っていた。
俺は意識を現実に戻す。目の前の巨乳に戻す。あっ、あっ、とちいかわみないな声を上げる女の姿が目に入る。
女の丸みを帯びたフォルムはちいかわに似ていた。俺は気付いてしまったのだ。
後背位に移ると女は「あーっ」と声を上げる。ちいかわかよ、と言いかけたところで俺は耐えた。
正常位では相手の巨乳ばかりに目を向け、揉み、撫でまわし、視覚と触覚で聴覚を追い払おうと躍起になった。
女は「あっ、わっ、あっ、あっ、う、うぅ…あっ、あーっ」と声を上げる。
俺は射精した。
店を出た後、奇妙な背徳感に襲われた。
それを払拭すべく立ち飲み屋に寄ってビール何杯かと適当な肴で胃を満たし、帰宅する頃には酩酊していた。
心地よく床に倒れてそのまま眠ると、見た夢は悪夢で、俺はちいかわとセックスしていた。
最近知り合いからちいかわを勧められ、馬鹿にしていたが観てみると案外面白い。
その矢先にこれだ。
親も子も全員多かれ少なかれ難しいとこあって、家庭が破綻してるとか現実にあるんだよね。
似たもの同士で惹かれ合って結婚しちゃって(お見合いの場合だと程度がお似合いだとかいってくっつけられちゃう)子供が煮凝りみたいになってしまったりとか。
あーだめだこのサメのヒト。 負けないことに頭行き過ぎてる。 もう「字句で言い返せる所を探してる」読み方になってる。 やっぱりはてブやってるとそういう読み方になっちゃうん...
なんか開いたら内容違うんだけど、書き直してくれたのか。サメのヒトって書き方ちょっと面白くていいね。
負けないことに頭行き過ぎてる。
匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが???
お前「無名で誰からも注目されてないけど、自分の言ってることは間違ってない」って幻想を壊されるのがそんなに怖いんだね
否定されるのを怖がりすぎて、リアルの場であまり意見が言えない。今回もそうやって自己卑下して予防線貼りながらでしか自分の意見を言えない
私ははてなスターがつくっていう成功体験を持っているので、増田や現実に壊されても自己修復できるんだよ。
そもそも、増田が私の書いたものに律儀に返信くれるから楽しくなってきてるよ。
ブクマカはやれないのに、匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しするよ…。
さて、オレオレプロファイルしないと気が済まない増田と、主旨が読み取れない私のために、
これまでの会話を生成AI先生に投げて、問題点を読みやすく整えてもらったよ。
ユーザーA(私)の問題点
ユーザーAとBの対話において、ユーザーAがユーザーBの主旨を完全には理解していない、または意図的にずらしていると見られる点はいくつかあります。以下に具体的な点を挙げます。
ユーザーBは、ユーザーAの行動や発言が「プライドが高く、自己防衛的」であることや、「無名で批判されない安全な場所でしか意見を言えない」と批判しています。しかし、ユーザーAはこれに対して、自分が「はてなスターがつく成功体験を持っている」「ブクマカの行動を批判しても自分の利益のために発言している」と返答しています。この応答はユーザーBの批判の核心部分(自己防衛的な態度やプライドに関する批判)から外れており、問題を解決するものではなく、むしろ相手の批判を回避しているように見えます。
ユーザーAは、ユーザーBの批判に対して冷静で皮肉を交えて返答していますが、これはユーザーBの指摘に対する直接的な応答ではなく、むしろ軽視しているように映ります。たとえば、「サメのヒト」という表現を面白がるなど、ユーザーBが伝えたいメッセージの重要性を軽視する態度が見受けられます。これにより、ユーザーBが求めている真剣な議論や反省とは異なる方向に対話が進んでいます。
ユーザーBは、ユーザーAに対して「もっと胸を張って意見を言えばいい」といった感情的な不満や失望感を示していますが、ユーザーAはこれを「匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しする」と応じており、ユーザーBの感情的な指摘を真摯に受け止めていません。ユーザーAの応答は相手の感情を逆なでする形となり、ユーザーBの主張の感情的な部分が伝わらない結果となっています。
ユーザーBはユーザーAに対して、はてブでの行動や態度の問題点を指摘し、反省や改善を促すような意図を持っています。しかし、ユーザーAはそれに対して「匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが?」と述べるなど、対話そのものの目的を異なった解釈で進めています。これにより、ユーザーBの意図する方向性(自己認識の促進や反省)とユーザーAの対話の捉え方(単なる論争の場)が合致していません。
ユーザーAは「自分と増田のやってることは変わらんよ」と述べるなど、ユーザーBの指摘に対して対等性を強調していますが、ユーザーBはそのこと自体が問題であると考えています。ユーザーBの指摘は「ユーザーAの態度が自己中心的であり、自覚が足りない」という点にありますが、ユーザーAは「お互い様じゃないか?」という論点で返すことで、問題の核心を避けています。
以上のように、ユーザーAはユーザーBの主旨や感情を十分に理解せず、または意図的にずらす形で対話を進めています。これにより、ユーザーBが伝えたいメッセージや期待している応答が得られず、対話の建設性が損なわれていることが分かります。
ユーザーB(増田)の問題点
ユーザーAとBの対話において、ユーザーBがユーザーAとの会話で主旨を理解していない、または誤解している可能性がある点について、以下の具体的な問題が挙げられます。
ユーザーBは、ユーザーAが「無名で誰からも注目されない場所でしか意見を言えない」と批判しています。しかし、ユーザーAは自己防衛ではなく、「自分の利益のために発言している」と述べています。ユーザーBはユーザーAの発言が自己中心的で防衛的なものだと捉えていますが、ユーザーAはむしろ開き直り、自分の意図を正直に説明しています。この点で、ユーザーBはユーザーAの自己認識や意図を理解していない可能性があります。
ユーザーBは、ユーザーAが「負けないことに頭が行き過ぎている」と指摘し、その発言をしつこくアピールすることを批判しています。しかし、ユーザーAは皮肉やユーモアで返しており、ユーザーBの攻撃的な姿勢に対して感情的に巻き込まれていないことを示しています。ユーザーBはユーザーAの応答を「逃避」として捉えていますが、ユーザーAは感情的な反応を避けつつ対話を続けています。この点で、ユーザーBはユーザーAの対話スタイルの一貫性や戦略を理解していないか、意図的に見過ごしているように見えます。
ユーザーBは、ユーザーAに対して強い批判を繰り返し、相手の行動を「プライドが高い」「自己防衛的」として非難していますが、自身の対話の態度やスタンスについては全く反省が見られません。ユーザーBは、自分の言動もまた攻撃的で相手に感情的なダメージを与えていることを理解していないか、無視しています。これにより、ユーザーBの対話が一方的な攻撃に終始しており、ユーザーAの反応を公平に評価する姿勢が欠けています。
ユーザーBは、ユーザーAの発言を「正しさごっこ」や「お気持ち」として否定的に捉え、自分の視点のみを押し付けています。ユーザーAが対等な立場での議論を求め、「お互い様じゃないか?」と応じても、ユーザーBはそれを受け入れず、相手を一貫して「下」と見なしています。この態度により、ユーザーBは対等な対話を拒否し、自己の固定観念に基づいて相手の発言を評価し続けています。
ユーザーBは、ユーザーAに対して「視野が狭すぎる」「自分が言っていることの間違いを認めたくない」などと批判しますが、ユーザーAの返答に含まれる感情や意図に対する理解が不足しています。ユーザーAはユーモアを交え、相手の発言を和らげようとしている部分もあるにもかかわらず、ユーザーBはそれを一貫して批判としてのみ受け取っています。このため、ユーザーBの批判が対話の目的から外れたものになっていることが多いです。
- 感情的な反応と主旨の見失い
ユーザーBはしばしば感情的な反応を示し、ユーザーAの意図や主旨を見失っています。例えば、「無名で誰からも注目されてない」という表現でユーザーAの発言の価値を否定していますが、ユーザーAの実際の主張(コミュニケーションの意図や動機)とは直接関係がない批判になっています。このように、感情的な反発が強いため、ユーザーAの真の意図を理解しないまま批判に終始しています。
以上の点から、ユーザーBはユーザーAの発言や態度に対して主観的な解釈を強く押し付けており、その結果として相手の意図や主旨を正確に理解できていない、または見ようとしていない姿勢が見受けられます。これが対話の進展を阻害し、建設的なやり取りを妨げる要因となっています。
参考になったよ。ありがとうね。
舞台を現世にして書くとそこにウソを含めちゃいけないような気がしてくる。たとえば駅の中から外へ移動するシーンだけをとっても改札の名前や駅の構造や駅前にある店の位置などを間違えてはいけないような気がする。仮に新潟駅について考えると私は新潟駅のことなんてまるで何も知らないので今即座に新潟駅について書くことはできないなと思う。北側にあるのが新潟駅北改札で南側の長い長い通路を抜けた先にあるのが南改札でその向かいにはスターバックスがあってその隣にドンキがあって、などと適当なでっち上げを並べることはまるで禁忌を犯しているような気分になる。たまたま現実と一致していればいいのかもしれないが現実はそう甘くない。実際に調べてみたら新潟駅前のスタバは駅の北側にあるらしい。
だから私は異世界を書くほうが向いているのかもしれない。何を並べても自由。どんな法律や国や言語や人種が存在していても自由。アホみたいにデカいモグラが人々の生活を脅かす世の中に転生していともたやすくモグラを退治して以来「モグラ勇者」という名で民衆から慕われて毎日街の美女を一人ずつ部屋に連れてこさせて奉仕活動をさせるような極楽生活を書いても誰も文句は言わない。ニュートンを捻じ曲げアインシュタインを粉砕し私だけの異世界の異世界のための法則を敷設する。想像力の羽ばたきをもってどこまでも自由に書くことができるというのは素晴らしいことのように思う。
原則としてはそうなんだけど、裁判官はバイアスに左右されやすい。
被害者側の証拠は被害者側の迫真の主張もしくは何人かの目撃証言があるので証拠として採用しやすく、加害者側はうそをついてるという前提で事実認定を行うので、証拠として採用されにくい。
という現実がある。
弁護士に依頼をしたときは「勝っても負けても払います」と調子のいいことを言ってるけど、負けた途端払わなくなる加害者が非常に多いからね。
ちなみにVマジックは司法書士試験向けのテキストで、リークエよりは頭に残りやすい。
ネットで民事訴訟法で検索しても民事訴訟法の内容1割もわかんないと思うけど何を想定してんの?大学の民事訴訟法講義を無料で見れる動画サイトとかあんの?
岡口基一先生がつべで説明してるし、司法試験・予備試験合格講座というチャンネルである程度は説明してる。
ぐぐれば講義丸々出してるところもあるにはある。
https://www.youtube.com/@user-qe6oi9gg6k
https://www.youtube.com/@user-ds6hm3rr9p
http://civilpro.sx3.jp/kurita/procedure/lecture/index.html
https://www.kobengoshi.com/minsohou/
加害者が出廷しなければ9割9分勝てるで