はてなキーワード: 損得勘定とは
今日も何もできなかった。昨日も、一昨日も、先週も、先々週も。
部屋は乱雑に散らかり、湿った匂いを振りまく。堆積する洗濯物と本。傍らにあるピアノは、厚い埃に覆われている。
風呂に入るのが途方もなく億劫に感じる。食後の歯磨きをする腰が重い。それだけじゃない。出歩かない日に着替えをしないのはもともとだけど、爪も伸びるままだし、日課の朝洗顔もおざなりになったし、ある日目についた眉毛は気づいてから2週間そのままだ。
やらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことはそれに輪をかけてたくさんある。先方へのメールとアポ取り、日課のピアノの練習、チームの作業、TOEICの勉強、部屋の掃除。勉強ならプログラミングもやらなきゃいけないし、他に溜めている仕事もある。全て進行していない。現状を鑑みてできないはずがなく、単純にサボっているだけとしか言いようがない。毎日惰眠を貪り、空いた時間起きることもなくゴロゴロし、ギリギリ体が動くとき思い出したように少しゲームをして、ただ夜が更けるのを待ち、空が白み始めた頃になって、今日も何もできなかったという後悔・自己嫌悪とともに眠りにつく。そんな毎日を過ごしている。どう考えてもサボっている。
そう。できないのではない。やる気になれない。もはや自分が頑張ることに意義を感じない。今の頑張りが明日につながるようには、到底思えない。今頑張ることは、明日の含み損を減らしこそすれ、すでに抱え込んだ大赤字を解消してくれるわけではない。雪だるま式に増える借金の、無限に膨らみ続ける利息に押し潰される人生としか思えない。
誰も助けてくれない。おそらく、自分の明日を気にしてくれる酔狂はどこにもいないのだろう。自分の過去に目をかけてくれた人もほとんどいないから。私はこの数年間、日々硬直と停滞が進む体と神経に抗いながら、ボロボロになっていく心を誤魔化しながら、それでもできる範囲で実績を積み上げてきた。だとしてもそういうことなら、その実績はハリボテだし、ひいては自らの人生も廃棄寸前の見切り品でしかなかったということだろう。そうではないと言える証拠は乏しいが、そうであると言える状況はいくらでもある。
どうしてこうなってしまったんだろう。どこかで道を間違えたことは分かっているが、どこかを修正してもこうなる未来から逃れられない気がする。
こんな状況だから……というわけでもないが、『恋する小惑星』というアニメを観た。『恋する小惑星』に登場するキャラクターたちは、与えられた問題に対して先送り的な解決法を見出しているシーンがいくつかあったように見受けられた。
正直、はっとさせられた。誰に限った話でもない、みんな明日に対する無力感は持っているし、それを根本的に解決する力を持っていない人だっている。でも、自分の周りにいる誰かが受け入れてくれるなら、明日に意味が生まれる。明日に何かあるなら、今日頑張れる。関係によって、問題をうやむやにしてしまうことで、多くの人は救われる。私にも、そのような光景があったならば。
いや、違う。私にも確かにあったのだ。単に選ばなかっただけで。選ばぬことを選んでいるうちに、一向に姿を見せぬ青い鳥を探し求めているうちに、褒め言葉や励ましは全ておべんちゃらに聞こえるようになり、損得勘定によって物事を判断するようになり、快晴の空に思いを馳せる心の余裕が追いやられ、やがて慈しみの関係が絶滅したのだ。それからのことは、語るに及ばず。私は、自分の逃した魚がどれほど大物だったかを、この段になって初めて悟った。
しかし。だからといって、だからといってどうすればいいのだ。もはや人と話していても言葉が通じている感触がない。失われた関係も、捨て去った機微も、粉々に崩れたパーソナリティも、もう戻っては来ない。軌道修正するにも、燃料の残量は少ない。気づいたところで、目の前にそびえる借金が消えてなくなるわけではない。
価値のない人間の行動に、価値は見出されない。価値のない人間の言葉は、空虚そのものだ。価値のない人間との関係は、価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない
詰んだ。来ないかもしれないかもしれない明日に、望みをかけて耐え続けることに何の意味があろうか。どうして誰かの代わりにもなれない欠陥品なのに生きていかなきゃいけないのだろう。これから何年、督促状でできた蟻地獄に耐え続けることになるのだろう。
非オタクがオタクを名乗ってうんこイメージばらまくなと思うことは多いが、
最近は更に一歩進んで、『おまえが男を名乗るな』『おまえが女を名乗るな』と思うことが増えてきた
増田で暇な時に男女厨の繰り広げる自称ジェンダー論をからかったりツッコミを入れたりはするが、
それ以外の場ではスルー及び完全ブロックしているので、ネットの話ではない
有性生殖によって意図的に個体差を作り出しているにも関わらず、個体差を無視し同一存在(クローン)として扱うことは明確に誤りである。
当然ながら個体差を理由として他者の生命財産を脅かすことも法治国家においては明確に誤りである。
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話の中で亮が「入江と飲んでて~」と言っているのを聞いて、「ヤメロー!!」と思ってしまった。
「先輩を楽しませることが出来ないから、誘われても飲みに行かない」
そういうタイプは社会生活を巧く回せない。回そうとしてもストレス溜まってやっぱり巧くいかない。
そんなんだから陰キャは一見扱い辛くて無価値と思われるが、彼らを口車に乗せるのが巧い幇間が偶に居る。
そんな幇間の遣り口にハマって下手を打ってしまう。或いは、自ら気の迷いをそのまま実行するという失態を犯したりする。
キャリアを溝に捨てる様な。
(入江が幇間の類なのかどうかは知らん。ジュニアの話を聞く限り、悪意があってああいうことになったのでは無いのかもしれない。
が、悪意の有無は兎も角、人の懐に飛び込むのがとても巧いのは事実だろう。金を集めるのも巧いのだろう)
人間、「手が後ろに回らないこと」を前提に生きないといけないが
誰しもその大前提が揺らぐ瞬間てのは必ずあるだろう。
もしその瞬間が訪れたら、
「天網恢恢~」を思い出すよりも先に
「自分、不器用ですから(必ず露見しちゃう・必ず失敗しちゃう)」
ということを思い出したいものだ
書きなぐることしかできない。勉強をすればいいのか。でも勉強しても就職ではあんまり関係ないとかいうし俺レベルの人間が勉強なんかしてもな。就職のことだけ考えて生きてるのもばからしい。でも俺は友達が欲しくていや変なやつだと思われるのが嫌だから友達が欲しいんだよ。あと友達がいないと彼女もできないだろうからそれが嫌だから友達が欲しいんだよな。友達がいないなんて人間として終わってると思われるかもしれないから。高校や小学校の友達はいるんだけど大学で友達がいない。俺は何に時間を使えばいいのか分からないんだよな。スマブラでvipに入るのを頑張ってみようかなとか思ってたけどそれ全然意味なくねと思ってやる気がなくなった。でも意味あることしかしないとか詰まんなすぎるしかといって意味のないことに時間を使えるほど俺に余裕があるのかもわからない。大学二年生って何すればいいんだろう。何にもわからん。俺は何も積み上げてきてないから社会でゴミ扱いされてもしょうがない。でもゴミ扱いされるのはつらいから今からでも何か積み上げてちょっとはましな扱いをしてもらいたいんだよな。趣味に一生懸命でもなく友達と交流するわけでもなく彼女がいるわけでもなく部活やサークルを頑張るわけでもなく勉強やゼミを頑張るわけでもなくバイトを頑張るでもなくただ大学生活をやり過ごそうとしているから焦ってきた。なんかやっとかないといけないと思っているけど何をすればいいんだ。他人の評価を気にしすぎて分からなくなってしまった。俺の欲しいものが他人からの承認なんだよな。他人からまともな人に見られたい。できれば魅力的に見てほしいという願望があるんだよな。それが今一番欲しいものだから友達が欲しいって思ったりとか意味のあることをやりたがったりするんだよな。でもそれ自体は別にやりたくないんし欲しくないんだよな。承認が欲しいだけだから。友達とか趣味を持つこととか勉強をすることというのは別に本当に欲しかったりやりたいものではない。じゃあ本当に心の底からやってて楽しいこと、損得勘定とか他人からどう思われるとかそういうの関係なしにやりたいことって何なんだろう。就職のためとか他人から変なやつと思われたくないとか女から見て好印象な男になりたいとかそういうの関係なしに楽しいことって何なんだろう。俺はいま幸せじゃないんだな。不安になったり楽観的になったりするけど結局何も変わってないからまた不安になるというサイクルだ。友達を作ろうにも友達をいないことを知られたらいやだな。誰にも相手にされない人ってことじゃん。そういう自分が嫌いなんだな。そういう風に思われかねない状況に陥っている自分が嫌いなんだ。とにかく俺は何をスレばいいのか自分でもわからん。いやだな就職したくない。カス扱いされたくねー。でもおれはカス扱いされてしょうがない人間。なんで俺はこんなダメなんd労。変換するのもめんどくさい。すべてがめんどくさい。何をやっても無駄と思うのは努力したくない言い訳とか言うけど正論だな。正論は残酷。人が死ぬぞ。早く人生終わってほしい。最初からやり直したい。めんどくさいところはスキップできればいいな。推敲するのもめんどくさいな。だるい。死にたくないけど死にたくなる。
知性と学だろ
自分で考えて将来を予想するから情に流されて後で後悔するような選択をしない
知的な人を思い浮かべて、その人がやり甲斐やら夢やら責任やらで依存に固められて動けなくなると思うか?
高齢ポスドクが逃げれないのは、高齢ポスドクの行き先が無いからだろ、そもそも博士号とったって世渡りが下手ならコンビニバイトしてたりするのが世の中だぞ。
勉強が出来ること、言われたことをやって、言われたことを覚えることが学や知性じゃないよ。
学も知性もないやつは損得勘定出来ないし、おだてにのるし、流されるし、その場を優先して情に流されて危ない橋を渡る。
馬鹿だからって情に流されて「もしかしたら1/2で10万円もらえるけど1/2で両腕を切る」みたいなわかりやすい危ない橋は渡らんだろ。
将来の予測が甘くて、自分も甘い汁吸えると勘違いしてる馬鹿が乗ってるだけで、情とかそういうのじゃない。
やりがい搾取も、情にほだされて投資したりするのも、本人が愚かなだけ。
昨日のオールブラックス×スプリングボクスの試合レビューも好評で、なによりラグビー観戦が楽しくなったというブコメが嬉しくてたまらない。
増田としては、「わかりづらい」と言われたり、「興味ない」と言われたり、そうかと思えばどうも変な話題が注目されたりするラグビーの、その競技自体の楽しみを分かち合いたかった。
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今日22日は、日本と同じプールでやがて相まみえるスコットランド×アイルランドの試合が行われた。
もうすぐ戦う相手がどんなチームかを知れば、単純に「日本頑張れ、すげー、なにやってんだ」以外にもうちょっと違う楽しみ方を提供できるかも知れない。
この対戦のキーワードは「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」、そして「雨」だ。
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「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」は、敵味方の状況に応じた陣形の状態で、「ストラクチャー」とは攻守双方、準備万端ラインが整っている状態をさす。
対する「アンストラクチャー」は、ライン状態がグチャグチャで、攻めようにも綺麗にできないし、守ろうにも予測不能な状態を指す。
「ストラクチャー」はスクラムやラインアウトから、「アンストラクチャー」はハイパントの落下点の競り合いや、相手の攻めからボールを引っこ抜くなどターンオーバーから起こりやすい。
「ストラクチャー」は準備がモノを言い「アンストラクチャー」はしばしばアドリブ合戦になってしまう。
両国の関係でいうと、アイルランドは「ストラクチャー」に強く、スコットランドは「アンストラクチャー」に強い。
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ただここに要素を加えるのが雨で、アンストラクチャーからスピーディーなアドリブを仕掛けようと思うと、パスが速かったり複雑になりやすく、雨でボールが滑ると厄介なことになる。
ストラクチャーでも複雑なことはできるが、短いパスや力押しで極限まで単純に、遅く、確実にもできる。
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両国の力関係でいうと、アイルランドが圧倒的に強く、スコットランドといえばUK陣の中では身体が小さく、常に相対的弱者、いつでも工夫と諦めない姿勢でサバイブしてきた。
しかし今日の天候いかんで自分たちの強みを出しづらくなる可能性がある。
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キックオフ、試合の入りはスコットランドがキックを執拗に蹴って自分たち好みのアンストラクチャーゲームを演出、しかし5分、逆にその混乱から抜け出したアイルランドがパワーでねじ込んでトライを奪った。
アイルランドは世界最強のフィジカル軍団などと言われて、確かにそうなんだが、反応速度も個人のスキルも、戦術眼も高い。
スコットランドはそれでもキックで不確実性からチャンスを探すプランを変えない。
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両チームもスプリントが爆発的に早いので何が起きるかわからないスリリングな展開の中、14分、アイルランドがペナルティーを得て必殺のモールを繰り出し、2トライ目。
アイルランドの恐ろしいところは1人でも強いが、固まるともっと強いところ。
スクリングボクスはフィジカルこそ凄いが、どこかナイスガイみたいな素朴な感じがあるのに対し、アイルランドは暴力的なほど圧倒的なフィジカルで迫る上に、顔がシリアスでなんか怖いのだ。
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12点差を追うスコットランドは17分、自陣でモールをやり返す。
モールで前進できるのはいいとこ7〜8mほどなので、こんなにトライから遠いところからちょっと前進しても一見合理性がなさそうなんだが、そういうのがしばしば冷静になるきっかけだったりする。
それに、集団での力押しは合戦はラグビーでは自信や意地という面で象徴的な意味を持つ。
膂力で勝てないのが明らかでも、それを簡単に認めてはいけないのだ。
ここで一瞬流れを取り戻しかけた。
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しかし24分、ファンブルからアイルランドが大きく前に蹴り出したキックが、アイルランド陣ゴールポストに当たって、結局不利なリスタートが適応される状況になる。
スコットランドは攻めは決して悪くないのに、運が悪く、猛スピードで台風のように迫る怪力男だけでなく、運とまで戦わないといけない。
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その後、何度もスリリングな展開があったが、スコットランドは必死の抵抗でギリギリのところで踏みとどまる。
16点差をつけられたスコットランドは2トライ以上とらないと逆転できない。
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試合開始から双方蹴りまくるハイパントだが、その目指すものがアイルランドとスコットランドで違う。
アイルランドはハイボ後にタックルを食らって停止しても、ゆっくり前進すればいいし、落球してスクラムで力勝負になっても崩していける。
しかしスコットランドはできれば再獲得して、プレーを切らずに抜け出したい。
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雨という状況もあるが、キックの精度自体も全体的にアイルランドの方が高く、スコットランドは自分たちにうまくボールが入るキックを蹴れない。
スコットランドは、主にキックを蹴っていたSHレイドローを下げ、キープする戦術に変更した。
しかし、そもそもが展開でアイルランドのディフェンスを突破できないからのキック戦術であり、キープして走ってもやはり突破できない。
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それでも諦めないスコットランドは70分ごろ、FBスチュワート・ホッグがぬけだし、それを止めようとしたアイルランドが悪質な反則でイエローカード。
10分間退出で数的優位を得る。
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その後点は動かず、27-3でノーサイドとなった。
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パワーで勝り、技術も高く、ストラクチャー状況でも勝てるアイルランドだが、結局ほとんどの得点はスコットランドが仕掛けるアンストラクチャーからの切り返しであげた。
スコットランドとしては自分たちが賭けた不確実性をモノにできなかったのと、雨、そして爆発的なスプリント能力を誇る飛び道具のスチュワート・ホッグが完全に封じられたのが痛かった。
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この試合を通して、両軍が蹴りまくったハイパント、ブコメで「古典的な戦術だ」という意見があった。
慧眼のファンがいて嬉しい。その通りだと思う。
ただ、あの瞬間に何が起きているのか、みんながもっと楽しむために、増田にさらに解説を付け加させてほしい。
確かにハイパントは昔からあるプレーで、「弱者の戦術」と言われていた。
20年ほど前の大学選手権では明治や早稲田に挑む慶應大学がよく使っていた記憶がある。
ただ、近年活用方法が変わってきて、増田の記憶に残っている観測では前回のW杯直後にオールブラックスが採用し出した。
不確実性では同じだが、ハイパンを相手がとって着地した瞬間にタックルを見舞って止める、あわよくば誰かが落下点に走り込み競って直接再獲得、相手がファンブルした場合、プレーが止まればノックオンという反則で自軍スクラムだが、笛を待たずに自分たちで拾って継続すれば、自軍有利なのでプレーは継続される、その瞬間はディフェンスが崩れきっていて最大のチャンス!という確立された戦術に変化した。
これは、選手のアスリート能力の向上と、戦術分析を背景に、地上戦だけのディフェンス突破が難しくなった事に対する対応だった。
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今日の結果を見れば、アイルランドには隙がなく、スコットランドの方が相対的に与し易くも見える。
しかし、じゃあ、スコットランドをターゲットにして、アイルランドは負けても仕方ないよね、という損得勘定でスコットランドに臨んで勝てるだろうか。
理屈で言えばそうかもしれないが、増田はこの絶望的な状況でも諦めないクソ意地を見せつけたスコットランドに、そんな半端な精神性で挑んで勝てるとは思えない。
そもそもスコットランドは「相対的な弱者」であって、日本にとっては「強者」だ、「弱者の戦術を知り尽くした強者」ほど困った敵もいない。
「アイルランドを抜いて戦う分、スコットランドで必勝」などというヌルい精神状態を利用されない訳がない。
今日わかったのは「アイルランドは引くほど強い」「スコットランドはどんな状況でも諦めない」という事だ。
さて、日本はこの2国にどう挑むだろうか。
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最後に、レフェリングへの絡みについて質問があったので少ない知識でも答えられることを答えたいと思う。
ラグビーにおいて、レフェリーに対して長く会話ができるプレーヤーは双方のキャプテンのみ。
それも、レフェリングに対して「抗議をする」というより、レフェリングへの「解釈を聞く」というもの。
なぜそうなるかというと、そもそもラグビーはレフェリー不在で始まったスポーツであり、「ラガーマンとして恥ずかしくなく振る舞おうぜ」って具合に選手同士の話し合いで反則の適応を決めていたのだが、あまりに速く激しく複雑になりすぎて、「これちょっと選手同士じゃ無理だね、誰かに頼むか」と「判断をお願いする」形でレフェリーが登場した。
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そして「解釈」なんだが、ラグビーではあまりにもカオスなことが起こりすぎて、反則などについてきっちりしたルールを文字通りに適応すると、しばしば「あれ、反則もらったけど逆に損じゃん」という矛盾した状況が起きてしまう。
また、外から見るとわかりづらい状況でレフェリーによって、反則のラインが異なったりする。
典型的なのがスクラムで、あれは「故意に崩すと反則」なのだが、何をもって「故意」とするか、それにどっちが「崩したか」が非常にわかりづらい。
その判断はレフェリーに委ねられ、プレーヤーが「そりゃねーよ」と感じても「抗議」はできない。
せめて「あれアリですか?」「アリ」「どこでアリです?」「さっきのアレ」という感じで「解釈を聞いて活かす」ことしかできない。
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レフェリーはフィールドでは絶対権威なので、じゃあレフェリーは好き勝手に笛を吹いて選手は従うしかないのかとなるが、そこで問題になるのが「解釈の一貫性」で、解釈の線がブレると選手はレフェリーに振り回されることになる。
そうなると、「あのレフェリーって笛に一貫性がないよね」となり、あんまいい評価をされない。
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でも、多分、問題は「評価が下がる」ことじゃなくて、「そんな笛を吹いて自分に恥ずかしくないのか」という事だと思う。
他者が律するとこができない権威なら、自分で自分を律するしかないのだ。
選手がレフェリーのせいにしないように振る舞うなら、レフェリーもまた自分の笛に責任を持たないといけない。
ラグビーに関わるなら、選手もレフェリーも、すべての人が「あいつがああいった」とか「自分が偉い偉くない」とかそういうことではなく、それに「ほかの奴はああじゃん」とかそういうことでもなくて、「自分がどうなのか」ということなのだ。
あんなにクソ走るスポーツについていきながら、不可解な状況を判定し、その上一貫性についても責任を持たないといけない、ラグビーのレフェリーというのはスゲーと思う。
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ちなみに地上波放送されなかったイタリア×ナミビア戦では、スクラムを真横で見ていた豪出身のレフェリー、ニック・ベリーさんが、持ち出したボールでスクラムの真横を急襲しようとしたイタリアの8番に激突されるという一幕があった。
まあベリーさんは元ラガーマンで、レフェリーに転身してから現在も「その筋肉、いる?」って位にムキムキなので事なきを得たが。
もう一回いうけど、ラグビーのレフェリーというのはスゲーと思う。
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日本からは今回、アシスタントレフェリーとして、久保修平さんが参加している。
中継で名前を見つけたら探してみてほしい。
俺たちにとっては偶然舞い降りた奇跡といえた。
だが得てして、奇跡だとされる物事は見方を少し変えるだけで、ただの偶然になる。
分解していく過程で、くだらない因果の成り立ちが露わになるんだ。
話は十数分前、俺たちがライバル店のアイスを食べていた頃に遡る。
弟は自由研究のため俺を探していた。
しかし深く考えずアミダくじで決めたものだから、アテもなく彷徨う羽目になっていたんだ。
足を滑らせて、地面に激突するのも已む無しだ。
「そもそも何で俺……行き先も知らないのに兄貴を候補にしたんだろう」
いや、どちらかというと、弟の足元が覚つかないのが問題か。
何とか降れたとしても、地に足がついていないのでは安心できない。
「あっつ……今年は涼しいだとか言った奴、世が世なら今ごろ死刑になってるぞ……」
汗で服が濡れ、それが身体に張り付き出す。
時間を無駄にしたくないという動機で始めたので、無駄なことを認めるのは酷く抵抗があった。
しかし、さすがに暑さには勝てなかったようだ。
そう呟きながら、弟は近くにあったアイス屋へいそいそ向かう。
目的に近づいていたのに、そのタイミングで諦めてしまうとは何とも間の悪い奴だ。
「はい、いらっしゃ……げっ」
だがもっと間の悪い奴がいるとするなら、それはアイス売りの男だろう。
「あれ、あんた、どっかで……」
奇しくも、その男と弟は知り合いだったんだ。
男は依然に働いていたスーパーで、超能力を使って客に嫌がらせをしていた。
物体の位置を入れ替える力で、客の買ったオニギリをこっそり昆布入りにしていたのである。
それを弟と仲間たちに突き止められるという過去があったんだ。
「ま、まあ、それよりアイスはどうする?」
「いや……やめとく」
俺の通う学校でも、食堂でよく働いているのを見かけるし、これ以上ケチがつくような真似はしたくない筈だ。
だが弟からすれば、過去の評価を払拭できるほどの判断材料は何一つなかった。
「また超能力で、アイスに何かしてんじゃないの? キャラメル味を塩キャラメル味にしたりさ」
「そんなことしないって。何の得があって、そんな……」
「損得勘定なんて、悪意という感情の前では何の説得力もないね。前科がある奴なら尚更さ」
元々は身から出た錆といえなくもないが、真っ当にやっていることまで邪推され、それを吹聴されてはたまったものではない。
男は居たたまれなくなり、逃げるようにキッチンカーに乗り込むと、どこかへ走り去っていった。
「あー、でもアイスは食いたかったなあ……お、他にもアイス屋あるじゃん」
その後、弟は俺たちと邂逅。
ドッペルと自由研究がカブっている(しかも明らかに弟の方が劣化している)ことを知る。
まあ、それはまた別の話だし、それを話すことはもっと時間の無駄だ。
それでも言えることがあるならば、意味を持たせるなら自分で行動するのが近道ってことだ。
何でもないようなことを幸せだと思うには、何事も前向きで、相応の工夫が必要なのである。
これは単に自分の金が惜しかったからだ。誰しもが持っている感覚。自分が稼いだ金を誰かに渡すなんてとんでもない。
そういった気持があるが故に、人生で寄付をしたことが無かった。
神社へ御賽銭を投げることはあった。それもせいぜい10円だ。でも、それでも10円でさえも自分には惜しいように思えた。
なにかのタイミングで人に奢ることはあった。でもまぁ、それも人が食べた食べ物を自分が払ったまでである。
「人間関係を買っている」とも言えるかもしれない。寄付や喜捨の類ではない。
それくらいの感情しか持ち合わせていないので、寄付はしたことがなかった。
さて、京都アニメーションである。京アニの事件はとんでもなく衝撃的だった。
詳細は省くが、アニヲタの心を打ち崩すには十分だった。
自分はアニヲタなので、京アニの事件でメンタルの調子を崩された。
かろうじて人格は保てたものの、自分の中にあったアニヲタとしての成分は破壊されたのである。
そんなこんなで1ヶ月近くアニメを視聴することができずに、今日に至った。
この1ヶ月の調子は最悪だった。
「アニメを視聴することとは一体なんなのか?」
「なぜ俺はアニメを視聴しなければならないのか?」
「アニメを見ていて壊れる人間が居るというのに、俺はアニメを見ていて壊れない保証はあるのか?」
といったような、良く分からない疑念に苛まれていた。無駄に悩んでいたのだ。
アニメなんて見たければ見れば良いし、見たくなければ見なければ良いのだ。
そこに損得勘定なんて必要ない。見たいか、見たくないかで考えれば良いのだ。
にもかかわらず、アニメを視聴できなかったのは何故だろうか?
自分もこれは申し訳ないと思っている。学生の頃は許されていた気がした。
ところが、今は社会人である。金を稼いでいる。そんな人間が違法視聴するってどういうことなんだろう?
でも、視聴するアニメによってプラットフォームを分けるとか、本当に面倒臭い。そんなことを自分が管理できるとは思えない。
そんな怠惰もあって、違法視聴することが人生の習慣に組み込まれていた。
「1銭も業界収入に益していない人間が、このような事件を経験した後に、何もできないままに、何もしないままに、どうしてその恩恵に預かることができようか?」
と思うのだ。
例えば、あなたが「見知らぬ子供に奴隷労働をさせます。その利益であなたは毎日遊んで暮らせます。どうしますか?」と聞かれたときに、
はっきりとは「見知らぬ子供を奴隷労働させる代わりに、毎日遊んで暮らしたい!」と答えられない時に感じる罪悪感と似ている。
アニメを視聴する度に、この罪悪感に付きまとわれていたのだ。
正直に言って自分は限界だった。日々すり減っていく精神。しかし、アニメを視聴できないことにはメンタルも回復できない。
薄々はこの気持ちに気付いていた。しかし、目を逸らしてきたのは、その解決方法が京アニへの寄付であると初めから知っていたからだ。
寄付すると金を払わなくてはならない。しかも、それなりの金額でないとあまりにも情けない。
大きめの金額は正直言って払いたくないのだ。それでも、心の中にある罪悪感は消したい。
けれど、ようやく決心が着いたのだ。
あまりにも不調で、不調なのがとても辛かったので、それを治したい意味でも寄付をした。
1万円である。
1万円か、という気がする。1万円はちょっと少ないのでは? という気が凄くする。
正直自分も3万円くらいは寄付したかった。どうせなら5万円払いたいし、10万も払いたい。
100万円は想像ができない。なぜなら手元に100万円も無いので。
自分の手取りは21万である。このうちの1万円を払うことには、果たしてどれほどの価値があるだろうか?
自分は十分に義務を果たせているだろうか? 3万円はいくべきだろうか?
アニメを違法視聴しても大丈夫だろうか? そもそも違法視聴しなければいいのでは?
なぜ違法視聴をしてしまうのか? 学生時代ならいざしらず、社会人の今になっても違法視聴しているのは何故か?
警察が来そうな法は侵さなくても、これくらいならバレないだろと違法視聴している人間も、かなり意地汚くないだろうか?
と、なんやかんや思って、京アニに1万円を寄付した後は、アニメを2話ニコニコで視聴した後、違法視聴するのを止めた。
止めた。止めたったら止めた。止めた。
これだけ言ったのだから、止めた。
どんなにまともに頑張ろうとしても、違法視聴しているという自己認識が頑張りを阻んで来るので止めた。
すると京アニ事件以来、全く見れずにいたアニメが視聴できるようになった。
京アニの事件が起こり、寄付をして、違法視聴を止めて様々な配信サービスに課金し、それと引き換えにアニメを視聴できるようになった。
感想は最高である。俺は「アニメを視聴する権利」を買っている。俺のアニメ視聴を咎める人間はこの世界のどこにも居ないはずである。
これまでは悪かった。違法視聴をしていた。この世界には俺がアニメを視聴していることに対して怒る人間ばかりだったと思う。
でも、今は違う。京都アニメーションへは寄付をしているし、普通に配信サービスへ正当な金を払っている。
1万円寄付をしたが、これは過去への贖罪である。1万円が???
1万円は安くないか?
……
いま追加で2万円を追加で寄付をした。合計3万円だ。
再来月には昔の友だちが結婚式を挙げるらしいのだ。
そこで3万円を包む。これによっても許されるだろうか????
いま、金を払って視聴しているけども、とても楽しい。コンテンツに金を出すのを躊躇うようになったらダメだ。
どこまでも意地汚くなってしまう。清廉に生きたい。業なく死にたい。
もう大丈夫だ。アニメを視聴できる。これからは漫画も買って読む。違法には見ない。
多分読む量は減るだろうけど、違法には読まない。
アニメは課金して視聴するし、漫画はKindleで買って読む。
そうすることにします。