2019-08-23

人生での初めての寄付京アニだった

今までの人生寄付というものを一度もしたことがなかった。

これは単に自分の金が惜しかたからだ。誰しもが持っている感覚自分が稼いだ金を誰かに渡すなんてとんでもない。

そういった気持があるが故に、人生寄付したことが無かった。

神社へ御賽銭を投げることはあった。それもせいぜい10円だ。でも、それでも10円でさえも自分には惜しいように思えた。

なにかのタイミングで人に奢ることはあった。でもまぁ、それも人が食べた食べ物自分が払ったまでである

人間関係を買っている」とも言えるかもしれない。寄付喜捨の類ではない。

それくらいの感情しか持ち合わせていないので、寄付したことがなかった。

さて、京都アニメーションである京アニ事件はとんでもなく衝撃的だった。

詳細は省くが、アニヲタの心を打ち崩すには十分だった。

自分アニヲタなので、京アニ事件メンタル調子を崩された。

かろうじて人格は保てたものの、自分の中にあったアニヲタとしての成分は破壊されたのである

そんなこんなで1ヶ月近くアニメを視聴することができずに、今日に至った。

この1ヶ月の調子は最悪だった。

アニメを視聴することとは一体なんなのか?」

「なぜ俺はアニメを視聴しなければならないのか?」

アニメを見ていて壊れる人間が居るというのに、俺はアニメを見ていて壊れない保証はあるのか?」

といったような、良く分からない疑念に苛まれていた。無駄に悩んでいたのだ。

アニメなんて見たければ見れば良いし、見たくなければ見なければ良いのだ。

そこに損得勘定なんて必要ない。見たいか、見たくないかで考えれば良いのだ。

にもかかわらず、アニメを視聴できなかったのは何故だろうか?

正直自分違法視聴をしている。アニメ違法に視聴している。

自分もこれは申し訳ないと思っている。学生の頃は許されていた気がした。

ところが、今は社会人である。金を稼いでいる。そんな人間違法視聴するってどういうことなんだろう?

でも、視聴するアニメによってプラットフォームを分けるとか、本当に面倒臭い。そんなことを自分管理できるとは思えない。

そんな怠惰もあって、違法視聴することが人生の習慣に組み込まれていた。

このような人間京アニ事件に触れると何を思うか?

「1銭も業界収入に益していない人間が、このような事件経験した後に、何もできないままに、何もしないままに、どうしてその恩恵に預かることができようか?」

と思うのだ。

例えば、あなたが「見知らぬ子供奴隷労働をさせます。その利益あなた毎日遊んで暮らせます。どうしますか?」と聞かれたときに、

はっきりとは「見知らぬ子供奴隷労働させる代わりに、毎日遊んで暮らしたい!」と答えられない時に感じる罪悪感と似ている。

アニメを視聴する度に、この罪悪感に付きまとわれていたのだ。

正直に言って自分限界だった。日々すり減っていく精神しかし、アニメを視聴できないことにはメンタル回復できない。

薄々はこの気持ちに気付いていた。しかし、目を逸らしてきたのは、その解決方法京アニへの寄付であると初めから知っていたからだ。

寄付すると金を払わなくてはならない。しかも、それなりの金額でないとあまりにも情けない。

大きめの金額は正直言って払いたくないのだ。それでも、心の中にある罪悪感は消したい。

2つの気持ちが天秤に揺れていた。

けれど、ようやく決心が着いたのだ。

まりにも不調で、不調なのがとても辛かったので、それを治したい意味でも寄付をした。

1万円である

1万円か、という気がする。1万円はちょっと少ないのでは? という気が凄くする。

正直自分も3万円くらいは寄付たかった。どうせなら5万円払いたいし、10万も払いたい。

100万円は想像ができない。なぜなら手元に100万円も無いので。

自分手取りは21万である。このうちの1万円を払うことには、果たしてどれほどの価値があるだろうか?

自分は十分に義務を果たせているだろうか? 3万円はいくべきだろうか?

アニメ違法視聴しても大丈夫だろうか? そもそも違法視聴しなければいいのでは?

なぜ違法視聴をしてしまうのか? 学生時代ならいざしらず、社会人の今になっても違法視聴しているのは何故か?

警察が来そうな法は侵さなくても、これくらいならバレないだろと違法視聴している人間も、かなり意地汚くないだろうか?

と、なんやかんや思って、京アニに1万円を寄付した後は、アニメを2話ニコニコで視聴した後、違法視聴するのを止めた。

止めた。止めたったら止めた。止めた。

これだけ言ったのだから、止めた。

小学生の頃から今に至るまで続いてきた習慣を、止めた。

どんなにまともに頑張ろうとしても、違法視聴しているという自己認識が頑張りを阻んで来るので止めた。

すると京アニ事件以来、全く見れずにいたアニメが視聴できるようになった。

京アニ事件が起こり、寄付をして、違法視聴を止めて様々な配信サービス課金し、それと引き換えにアニメを視聴できるようになった。

感想は最高である。俺は「アニメを視聴する権利」を買っている。俺のアニメ視聴を咎め人間はこの世界のどこにも居ないはずである

これまでは悪かった。違法視聴をしていた。この世界には俺がアニメを視聴していることに対して怒る人間ばかりだったと思う。

でも、今は違う。京都アニメーションへは寄付をしているし、普通に配信サービスへ正当な金を払っている。

誰も俺がアニメを視聴していることに文句は無いはずだ。

1万円寄付をしたが、これは過去への贖罪である。1万円が???

1万円は安くないか

……

いま追加で2万円を追加で寄付をした。合計3万円だ。

許されるだろうか??? 贖罪に値するだろうか???

再来月には昔の友だちが結婚式を挙げるらしいのだ。

そこで3万円を包む。これによっても許されるだろうか???

アニメを見ても良いだろうか???

いま、金を払って視聴しているけども、とても楽しいコンテンツに金を出すのを躊躇うようになったらダメだ。

どこまでも意地汚くなってしまう。清廉に生きたい。業なく死にたい

もう大丈夫だ。アニメを視聴できる。これから漫画も買って読む。違法には見ない。

多分読む量は減るだろうけど、違法には読まない。

アニメ課金して視聴するし、漫画Kindleで買って読む。

そうすることにします。

  • なんていうか、作品の形はしてるんだけど人がいっぱい働いてやってんだよなぁ

  • お前が盗っ人だった事実は消えないけど、やめられてよかったな 人間は更生できるし、アニメはテレビで見ればタダだけど。

  • 感動した たくさん京アニに寄付しましょう

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