はてなキーワード: 媒介とは
なぜなら、やはりマスクには感染拡大を防ぐ効果はなかったと言わざるを得ないからだ。
よくて一瞬エアロゾルから守ってくれる程度。その後はウィルスを持ち歩くことになりむしろ危険だ。
ところが世の中を見てみるとどうだろう。
マスクは感染拡大防止だけでなく、感染そのものも防止してくれると思いこんでいる人だらけで、マスク=外出許可証のような扱いになってしまっている。
これだけ専門家が人との接触を8割減らせと叫び続けていたにも関わらず街はマスクをした人間で溢れかえり、繁華街で姿を消した人達が地元商店街にあふれかえるようになった。
これはつまり、感染のステージがより身近な場所に近づいたことを意味している。
君たちは葉っぱだ。枝や幹は社会とのつながりだ。
感染はまず大きな幹を通って入り込んでくる。そしてクラスターはそこから枝分かれした太い枝で起こる。
太い枝でクラスターを防ぐことができているうちは姿を追うことができるが、そこから入り込んで更に細かい枝にまで感染が達してしまえば、感染を追うことはもうできない。
夜の街クラスターやライブハウスクラスターは、まだ遠い枝の話だったかもしれない。
しかし、すでに家庭内感染の割合は増加傾向にあり、つまりは自分のすぐ隣の葉っぱにまで感染が広がっていることを意味している。
つまり、太い幹に生えている枝で抑え込んでいた時期が終わり、枝先のように葉っぱ一枚ずつに細かく分かれている枝にまで感染が達している状況=感染爆発の予兆の段階と言えるのだ。
それでも自分の行動を注意深く見守っていれば、感染してしまったかもしれないタイミングに気づくことはできる。
それなのに感染経路不明というのはつまり、マスクを付けていたから感染するはずがないという思い込みの裏付でしかない。
三密が防ぐのはクラスターだ。感染はもっと身近に、意図しない場所でも十分に起こり得る。
それを三密以外なら感染しないだろうと曲解させている原因はマスクだ。
こんな大した効果が期待できないマスクを、息を荒げながら奪い合う姿を滑稽と言わずしてなんと言えというのか。
合格祈願のお守りを徹夜で並んでもらえなかった悔しさで神社に火をつけるような愚かな行動だ。
猛獣の檻に裸で放り出されることがわかっていれば、家から出るバカはいない。
全員が無防備だとわかっていて初めて、全員が正しく恐れることができる。
君たちが付けているマスクは、盾の絵が書かれたダンボールでしかない。
そんな姿で史上最悪のウィルスと戦えると思ってしまうことこそ危険だ。
国民よマスクを取りなさい。無防備だからこそ守れる適切な距離がある。
マスコミは人混みをいたずらに責めるのではなく、マスクがどれほど限定的で脆弱であるかを報道してほしい。
それをしないのであれば、結局のところ報道は公共性の姿を借りた金儲けの道具に過ぎず、頼るに値しないものでしかないのだ。
ウィルスはあなたの手に付きあらゆる手段で体内に侵入を試みる。
まずはとにかく手を洗いなさい。
手についたウィルスを確実に洗い流すのだ。
店の入口にあるアルコールを過信するな。ウィルスの射出もとは口だ。
感染した人間が手についたウィルスを消毒したところで、たった一言の発言で室内はウィルスで汚染されてしまう。
汚染された商品を手に取った時点で、アルコール消毒はすでに意味を失ったも同然だ。
その商品が家に持ち込まれれば家の中だからって安心できることはない。
その程度で防げるくらいなら世界中でこれほどまでに感染が広がることなんてない。
すでに感染者数、陽性率、感染不明率、家族内感染数、重傷者数、死者数、残存病床数の全てが感染爆発が間もなくであることを示している。
緊急事態宣言がそれら数値の増加を押さえることができていないのは、医療の専門家じゃなくても、世界の傾向と比較すれば誰でもわかるはずだ。
マスクを捨ててすぐに家にこもりなさい。
新型コロナ福祉のダークサイド、ネットカフェ難民が追いやられた「本当の行き先」
https://www.jprime.jp/articles/-/17696
いや、他の点も突っ込み所は多いけど、事実ならば単にコロナ対策として見ても不味過ぎでしょ…。
>大部屋にぎっしり二段ベッドを並べたり、6畳ほどの部屋を3つに区切って敷きっぱなしの布団に寝かせるだけといった、劣悪な環境に人を収容する施設が多く、以前から問題になっている。
本末転倒も良い所。
ただでさえ集団感染だのクラスターだの問題になっているのにここで発生なんかしてしまえば、それこそ都や国の責任問題にも繋がりかねないと思うのだが。
今ですら病院で一般病棟に入院している人間や老人ホームやリハビリセンターとかで集団感染が発生したり、留置場で集団感染が発生している現状を見てもヤバい事態になりえる可能性があるのは目に見えているよね。
薬には必ず副作用があるように
そうならないことを願っているけどね。いつまでも自粛したくないし
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院、ジョン・スノウ冠教授で同大学院感染症・免疫学センターのディレクターを務めるW・イアン・リプキン(W. Ian Lipkin)氏は、
「もし世界中の全ての人にワクチンを接種するとしたら、ある人がワクチンに対して副作用を起こす可能性は、MERSを発症する可能性よりも高いだろう」と話す。
◆予防の鍵はラクダ
SARSのときにはウイルスを媒介する動物の駆除が制圧を早めたように、MERSのさらなる感染拡大を止めることが何より望まれるという点では誰もが一致している。
リプキン氏は、最も有効なのがラクダだと期待する。MERSの予防ワクチンを人に接種するのではなく、感染拡大の鍵を握っているらしいラクダへの接種に焦点を移した方がよい。「宿主としてのラクダを根絶すれば、MERSを抑え込む合理的な一撃になるだろう」とリプキン氏。
ラクダ用ワクチンの開発であれば、人間用ワクチンの開発よりも安く、早く、容易に実現するだろうし、人間の場合に比べて安全性の懸念も小さいとリプキン氏は話す。
家族大騒ぎ。普通の家なら私を隔離すれば済む話だがそうもいかない
なぜなら自宅には知的障害者(20代男性・知能年齢3歳未満)がいるからだ
家のすべての部屋に鍵をかけても奴は入りたいと思ったが最後ドアが開くまで地団駄を踏む
暴力はふるってこないが体力筋力が20代男性なので子供のように泣き疲れるまで放置するという対策がとれない(こっちがバテるのが先)
さらに家族の使用済み食器を奪って舐めることに強いこだわりがあるため私の食器はすべて使い捨てに切り替えられとにかく隠れて食事することが求められた
こんなのいつまで続けられるのだろうか。トイレも1つしかない家なので消毒はしてるものの分離しきれない
翌日解熱
体調もよく休む理由がないので出勤
自分がスプレッダーになってないと言い切れないのがものすごく怖い
接する患者は高齢者や基礎疾患がある人ばかりだし熱出て息苦しくて……みたいな人も普通に来る
軽度の肺炎所見あってもCOVID-19以外の原因が強く推定されれば普通に処方箋出して自宅待機にさせてるし外来は何の隔離もしてない
というか受付担当じゃないのでよくわからんけどこういう患者は先に病院に受診希望の連絡してるもんじゃないの?したうえでノーガード受け入れなの?
そういうことを知らないまま患者にぶつかってる私たちは本当に何も媒介してないのか不安でしかたない
同業者は自分たちも防護服とか使わないと対応しちゃだめなんじゃ……と医者に言ってこっちは!そんなものなしで!対応してるのに!!と逆鱗に触れたらしい
検査できる施設なら検査中/陽性/陰性それぞれの対応法が決まってるのかもしれないが検査できない施設にそんなルールはない
事前に電話させて時間分けたりなどしてる診療所もあると聞くが大病院や救急外来あるところはもう完全にグダグダなのでは?うちだけ?
熱も出たし休んだほうが患者のためなのかもしれないけど、上から解熱後いつ出勤していいのかの指示もない
一体全体どうなってんだ。
当校では、通学以外に、短期で仮免許が取得できる免許合宿生も募集している。
報道されている通り、先日山形で初のコロナ感染者が出たのだが、それが免許合宿の入校生だったとのこと(念のために書いておくが、自分とは一切関係ない学校である)。
当校は、本州にいくつか学校を抱えるグループ校なのだが、その報道を受け当グループ校一律で一度新規の合宿免許生の受け入れを中止、今後入校予定で予約を頂いていたお客様にも今回は入校を見送って頂く措置を取った。
ここ数日は教習を行う傍で、4月に入校予定だったお客様に謝罪し予約キャンセルの手続きのため、受話器を握っている時間も増えた。
仕方ないとすぐに納得していただけるお客様が殆どで、中には激昂されるお客様もいるが、ここまでは正直想定外。
合宿を選ばれるお客様の中には、特定の日程までに免許が必要で、その日までに取れるよう合宿のスケジュールを組んでいるお客様が多い。それが、その日に仮免許を受け取ることができなくなりましたと告げられるわけだから、激昂したくなる気持ちもわかる。
先にも述べたように、現状新しいお客様を受け入れる予定はない。合宿免許受け入れ再開の見込みも決まっていないし、本来であれば夏休みの繁忙期の受け入れも始める時期だが、それすら今は予約不可となっている。
だが、春休みの予約を取り逃がした大学生からの新規申し込みが止まらない。止まらない。本当に止まらない。
合宿免許は学生の長期休みが繁忙期で、当校も3月末までの予約は2月ごろにはほぼ空いておらず品薄となっていたため、3月末までに卒業したいというお客様には夏休みの入校を勧めてた。それに納得いただいてたはずのお客様が、大チャンスと言わんばかりに空き状況を問い合わせてくる。
HPに新規受け入れしていないことを記載しても、申し込みの電話は一切減らない。ニュースを見ても現状を理解していないお客様は日本語が読めないのかもしれない。
今、日本がどうなっているのか、何が起きているのか知らないのでは?と本当に不安になる。コロナウイルスの危険性がこどもにでもわかるように書かれた記事のURLを送ってあげたくなる。
春休みに予約取れなかった大学生が「ワンチャン狙って」くらいのノリで電話してくるならわかる。まだ学生だもんな。ニュースなんて見ないし、難しいことあんまりわからないよな。わからないのかな。
怖いのは、大学生の親が「息子・娘を入校させたい!4月中に免許を取らせたい」と意気揚々と申し込んでくる事実だ。
実際、長期休み後のシーズンは閑散期で料金も安い。ピーク時の半額並の商品が多く、長期休みに比べればお得なのである。
それでも、そんな20万円ぽっちで命を投げ売るのか。そりゃ大学生であれば、健康だろうし重症化するリスクは低い。
合宿免許は基本的に地方活性化のために行われていることが多く、ほとんどの場合、田舎の教習所が他都道府県からの入校を前提として計画してる。
自身、もしくは自分の息子や娘がウイルスを媒介している可能性があるとは微塵にも思っていないのだ。仮に思っていても、関係ないのだ。恐ろしい。
同業者に聞けば、中には未だに4月の予約を受け付けている学校も多くあるらしい。確かに、合宿免許をやめてしまえばほとんどの教習所が潰れてしまうだろう。当校もグループ校であるからこそ、すぐに予約受付を中止することを決定できたのだが、そうでなければ一人でもお客様を失うのは怖かったと思う。
そもそも、この時期に予約を申し込んでくる学生たちは、本来であれば4月に免許を取得できていない方々である。つまり不要不急なのである。安さだけに目を眩ませて本当に大事なものが見えていない。
免許合宿なんて、決して広いとは言えない教室で大勢が集まって授業、超過密スケジュールと環境の変化でただでさえ体調を崩しやすく、そのうえ共用設備がたくさんある。
当校でもすでに合宿を開始しているお客様には毎日の検温を実施してるが、それを差し引いても圧倒的にリスクが高い。
想像力の欠如なのか、初めから覚悟の上なのか、それでも構わず「コロナのリスクは承知しているのでそれでも免許が欲しい」「今後予約を受け付けてないなら、今なら一人だけで受けられるってことですよね?それであれば感染しないし参加できませんか?」「山形(感染者の出た学校)じゃないし、大丈夫ですよね」などと呑気な電話がかかってくる。
こんな時期に感染のリスクを厭わず免許合宿を申し込む人なんて、みんなどうかしてるんだろうなぁ
フェミニストがマスクをせずにデモ行進を強行し、街中にコロナウイルスをばら撒いて感染者を倍増させてしまう →「まるでテロリスト」「やはりフェミは人類の敵」
https://togetter.com/li/1483590
まとめにある様な8日から9日ならばデモと関係ないですんだけど、コメの方にあった13日から14日で1500人増えたならこれが原因とされてもおかしくないな。
何にしろコメでも言われている様に今後リベラル離れが加速するのは事実だろうね。
ただでさえ、最近フェミニストやポリコレ、LGBT等の反差別の人間こそが、規制や圧力または過剰なグローバル化等のお気持ちにうんざりしている人も多かったのはそれこそ日本に限らず見受けられていたし、今だ黄色人種差別をこれ等の人が繰り出したにも関わらず、懲りずに漫画アニメ叩きに躍起になっている所をみても学習していない事がまるわかりだしねぇ。
そりゃ反差別こそ嫌われるのは当然だよ。
しかし韓国のカルトの集会と言い、これと言い、この手の空気の読めない行動をして、結果コロナを媒介させたらどう言われるか良く判ると言うもの。
※この文書はあくまで自分の気持ちを吐き出すために書いている。誰が悪いわけでもないし、誰かを敵意するわけでもない。
ただし、コロナ。てめぇはゆるさねぇ。
まあもう10年は前の話。
キッカケはよくある人間関係。それ以上でも以下でもないが色々あって洗脳されたり(今は解けて普通だが)、カウンセリングしたり、薬物治療したりで今に至る。
今は何とか普通に生活しているが、防衛本能として「強いストレスが掛かったり、絶望するような事があった場合無意識に泣く」と言うスキルを履修した。
これはそのままの意味で、自分の精神を安定させるために泣くのだ。
そのストレスや絶望を思い出すキッカケさえあればいつでもどこでも泣く。だが、人目があるから大抵一人の時以外は耐えるのだが。(だって、急に泣かれたら周りもびっくりするだろ?)
さて、そんな私だがなんとかかんとか生きている理由にオタ活がある。
むしろそのために働き、そのためだけに生きている。
元々発表当初から気にはしていたのだが曲を聞くだけだった。でも、曲が好きなら生で聞いて見たいと思い、チケット戦争に参加はしていた。
3rd、4thと当然ハズレ。そして今回5thになり…やっと当たった。
その瞬間、そりゃあもう声にはならない声を上げ、ご機嫌なまま帰宅し、ルンルン気分で計画を立てたものだ。
何かあったらすぐに死ぬくらいのメンタルしかなくとも、少なくともライブ終わるまでは生きるぞ!と活気に満ちていた。
それから数ヶ月後に起きたのは、コロナ蔓延によるライブ中止である。
それしか生きがいがない人生だったので、発表当初は絶望した。聞いた瞬間涙が止まらなくなった。
これを書いている今も止まらない。
ただ、この防衛本能のおかげで、マイクの曲はまったく聞けなくなった。Anthem+は一回聞いたら涙が止まらなくなりもう聞いてないし、公開されたトレーラーは一切聞いてない。情報も見たくないし(流れてくる情報は薄目で眺めるだけ)、曲を提供してくれた方々の曲も聞けなくなった。
勿論、ライブ中止になったから変わりに特別番組を配信すると言う公式には感謝しかない。
と、いうか防衛本能もそうだがライブの代替え案になるかと言えば全くならないからだ。
そもそも、人々がライブに行きたい理由は、生でアーティストを見たい。生で歌を聞きたい。あの空間を楽しみたい。そんな理由だと思う。
ずーっと長年願ってやっと行ける事になった。その思いは何物にも変えられないし、変えたくもない。
だが、中止となった今これは叶わないのだろう。
あの売れっ子声優の数と参加ゲストにしたら無理なのもわかるが…何ヶ月後でもいいから見たかったのだ。平日でも参戦はした。
これは一生悔しさと共に思い続けるのだろう。
せめて、次回のライブ時に今回当選者の当選確率上げてくれないかな…とは思っている。
まあ行けるかもわからないし、現時点でやるかもわからないのだが。(無論、現実味がない意見なのは重々承知だ)
話が逸れた。特別番組に戻る。
まだ今のところ配信日が28日と29日のどちらになるかはわからない。どんな内容かもわからない。
わかるのは、18人全員参加と言うことだけだ。
配信なのはまあいい。元々ニコニコにチャンネルを持っているから楽なのだろう。
だが、これは確実に見れるものかと言えばそうでもない。
配信という事はネットを介して…つまりはライブ当選者やライビュ申込者以外も見れるのだ。
それは「やってるなら見るかー」な人々も同様である。
そうすると何が起きるか?簡単だ。回線がパンクする。そして見れない阿鼻叫喚。
…救済措置としてはありがたいかもしれないが、救済措置を必要とする人々が見れないのは言語道断である。
なら、せめて特別番組を円盤化してほしい。そして売るか、ライブ当選者に有料でもいいから配ってほしい。
そうしないと救済措置にならない気もする。
(手拭いがくるから救済措置にはなるだろうが、それでもショックを受けて見れない人はいるだろうな…とは思っている。少なくとも前記しているが私は今は見れない)
ただ、この自己防衛システムに関しては時と共に解決するだろう。
いや、そうしてもらわないと困るのだ。
これからも追いかけていきたいから。見るたびに泣く事がないように気持ちに整理をつけねばならない。
もしその時までアーカイブがあったなら、落ち着いて見たいと思う。
もしろん当時を思い出して泣くかもしれないが。
最後に。
しかしながら中国が黙っていたから広まった気はしないでもない。
武漢は交通の中心だし、春節と駄々被りしたからね。そりゃあ広まるわ。知らず知らずに媒介してるんだから。
そして、自粛を延長してさらに延長する政府にも嫌気が差している。
同じくらいに「自粛厨」にも腹が立つ。
ここら辺は政治の話になるからしない。面倒くさい事になるのが目に見えているから。
兎にも角にも言えるのは、
と、言う事だけである。
追伸。
これを書いてる最中に、刀ミュが開演するのが決まった。羨ましいやら妬ましいやら…ではあるが、行かれる方は十分に予防して楽しんできてください。
ある大学生と一部の人の「中流階級」という言葉の定義の違いからその大学生のTwitterが小さく炎上している。
その学生は東大学部入学式の祝辞と今年の入試の現代文の文章を引用し、自分が恵まれていたことを振り返っている。
その際、自分の生まれが東京の中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級の定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。
その後学生は自分の定義として社会学者の定義を引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのみリプライをした。
また、リプライの表示設定をよりプライベートなものにするという提案のリプライに賛同している。
以下ではこの件について意見を述べる。当該学生を攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。
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祝辞と現代文で扱われた文章のメッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。
祝辞、努力したら報われるという思考は恵まれた環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな
入試の文章、現代では教育を媒介として格差が再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える
当該学生は自分が恵まれていることに自覚的であることは重要であると解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、
多くの批判は学生が自信を表現した「中流階級」という言葉の定義の差から生まれているようであった。
言葉の定義の差なので当該学生のツイートになんら誤りはないが、学生が世間知らずとして批判されている。
祝辞や入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリの自分の努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、
世間知らず(自分の社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。
学生の「中流階級」の定義の引用元については、おそらく20年以上前の社会階層を元に定義されていて、
現在の社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。
ここ20〜30年程度の中流階級の喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。
学生が後からツイートで定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般の定義を用いるべきであろう。
もし私が祝辞や入試問題の背景、さらに当該学生の意思を正しく捉えられているなら、
当該学生はまさしく祝辞や入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。
また、中流階級の喪失がインテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切な定義の使用も皮肉なものであるように自分には感じられる。
「現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威で自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分は学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。
批判のツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金で提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)
理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。
加えて、不愉快な批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施を宣言している。議論を放棄しているようだ。
こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的な政治家の台頭を助長しているのではないか。
自分はこの20年ほどで先進国、特に日本やアメリカでは富裕層と貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。
そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。
また学生の炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬は放置しろなどといった態度も見られる。
自分の判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。
このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト(東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学に勉強をしに来ている学生の気持ちを考えて欲しい。テニスサークルの男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補の学生があまりのハイスペックに炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。
また、学生はこういったツイートをすることで自分が努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。
私が例の入試の現代文の文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力は他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。
ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境も努力に正に働きかけ、しかしその中での努力は精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。
もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院に合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。
なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、
私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判が殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。
一応自分もこういった人たちと同じような大学を卒業しているが、こういった発言をインターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。
なお、私は中流と下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。
経済的な理由で、家族の泊まりの旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行は20年で1度だけあった)。
進学実績のある高校に入学した時も、裕福な家庭出身の学生の多さに驚いたが、東京大学に入学した時の驚きはそれ以上であった。
裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。
彼らと同じように青春を謳歌しようとしたが(当時の自分はサークル活動や恋愛へのコミットに強迫観念を抱いていた)、家事やアルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さからご理解いただけるだろう)。
理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。
牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬や自分の惨めさを日々感じていた。
都内の一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除の収入基準をクリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。
就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。
貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身の学生が、家事やアルバイトをこなし、貸与・給付の奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。
炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育を媒介として格差が再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。
GDPが世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育を媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。
私が知らないだけで、学生にアンケートをとって学生の家庭の親の年収や資産を調査したものなどが公表されているのだろう(道義的に公表しないはずがない)(追記:公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。
多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。
(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布が性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))
一部のコメントへの返信
美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます。
でも格差が再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります
そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞や現代文では展開されていると捉えています。
ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma
元記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います。
しかし入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに不平等になっています。
東大生の親の資産を調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査で調査されているのでリンクを貼ります。議論の参考になればと思います。
ご教示いただきありがとうございます。こちらの資料(学生生活実態調査(2018年))
の39〜42ページに出身地や世帯収入、家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。
このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。
東京大学は入学した学生の貧富の調査・公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています。
世帯収入と出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生、首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。
特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援の施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。
当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。
努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特に恵まれた人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間の不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。
個人的には2/3で全てのイベントの提供を辞めるべきだったと思っている。
その時点で事の重大さに気付いていれば死者ももっと少なかったかも知れない。
勿論、その辺りで中止されたイベントの多くは糾弾されたりしていただろう。
でも、それを恐れて実施し続けた結果がこれ。
責められるべきは東京事変単体ではなくここまで事態を悪化させた他のイベント関係者にもある。
実施すれば人が集まり、媒介となりSNS上に上げることでまた人が集まろうとする。その流れを早急に、ひと月前には遮断すべきだった。