なぜなら、やはりマスクには感染拡大を防ぐ効果はなかったと言わざるを得ないからだ。
よくて一瞬エアロゾルから守ってくれる程度。その後はウィルスを持ち歩くことになりむしろ危険だ。
ところが世の中を見てみるとどうだろう。
マスクは感染拡大防止だけでなく、感染そのものも防止してくれると思いこんでいる人だらけで、マスク=外出許可証のような扱いになってしまっている。
これだけ専門家が人との接触を8割減らせと叫び続けていたにも関わらず街はマスクをした人間で溢れかえり、繁華街で姿を消した人達が地元商店街にあふれかえるようになった。
これはつまり、感染のステージがより身近な場所に近づいたことを意味している。
君たちは葉っぱだ。枝や幹は社会とのつながりだ。
感染はまず大きな幹を通って入り込んでくる。そしてクラスターはそこから枝分かれした太い枝で起こる。
太い枝でクラスターを防ぐことができているうちは姿を追うことができるが、そこから入り込んで更に細かい枝にまで感染が達してしまえば、感染を追うことはもうできない。
夜の街クラスターやライブハウスクラスターは、まだ遠い枝の話だったかもしれない。
しかし、すでに家庭内感染の割合は増加傾向にあり、つまりは自分のすぐ隣の葉っぱにまで感染が広がっていることを意味している。
つまり、太い幹に生えている枝で抑え込んでいた時期が終わり、枝先のように葉っぱ一枚ずつに細かく分かれている枝にまで感染が達している状況=感染爆発の予兆の段階と言えるのだ。
それでも自分の行動を注意深く見守っていれば、感染してしまったかもしれないタイミングに気づくことはできる。
それなのに感染経路不明というのはつまり、マスクを付けていたから感染するはずがないという思い込みの裏付でしかない。
三密が防ぐのはクラスターだ。感染はもっと身近に、意図しない場所でも十分に起こり得る。
それを三密以外なら感染しないだろうと曲解させている原因はマスクだ。
こんな大した効果が期待できないマスクを、息を荒げながら奪い合う姿を滑稽と言わずしてなんと言えというのか。
合格祈願のお守りを徹夜で並んでもらえなかった悔しさで神社に火をつけるような愚かな行動だ。
猛獣の檻に裸で放り出されることがわかっていれば、家から出るバカはいない。
全員が無防備だとわかっていて初めて、全員が正しく恐れることができる。
君たちが付けているマスクは、盾の絵が書かれたダンボールでしかない。
そんな姿で史上最悪のウィルスと戦えると思ってしまうことこそ危険だ。
国民よマスクを取りなさい。無防備だからこそ守れる適切な距離がある。
マスコミは人混みをいたずらに責めるのではなく、マスクがどれほど限定的で脆弱であるかを報道してほしい。
それをしないのであれば、結局のところ報道は公共性の姿を借りた金儲けの道具に過ぎず、頼るに値しないものでしかないのだ。
ウィルスはあなたの手に付きあらゆる手段で体内に侵入を試みる。
まずはとにかく手を洗いなさい。
手についたウィルスを確実に洗い流すのだ。
店の入口にあるアルコールを過信するな。ウィルスの射出もとは口だ。
感染した人間が手についたウィルスを消毒したところで、たった一言の発言で室内はウィルスで汚染されてしまう。
汚染された商品を手に取った時点で、アルコール消毒はすでに意味を失ったも同然だ。
その商品が家に持ち込まれれば家の中だからって安心できることはない。
その程度で防げるくらいなら世界中でこれほどまでに感染が広がることなんてない。
すでに感染者数、陽性率、感染不明率、家族内感染数、重傷者数、死者数、残存病床数の全てが感染爆発が間もなくであることを示している。
緊急事態宣言がそれら数値の増加を押さえることができていないのは、医療の専門家じゃなくても、世界の傾向と比較すれば誰でもわかるはずだ。
マスクを捨ててすぐに家にこもりなさい。
うっせー主婦と老人がいなくて食材かってきて調理してくれなかったから京都大学医学部はじめいくつものクラスターが外食して感染したんだぞ