はてなキーワード: 媒介とは
今週末、東京に住み、東京で働く私は、西日本の田舎へ帰省する。
何のためか。祖父母に会うためだ。
新型コロナ・ウィルスの感染が拡大している。職場はテレワークが進められているものの、
食事は一人で。会話は最小限かつ所定の距離を取って。マスク着用、手洗いうがいを励行する。毎日体温を測る。
それでも、まだ二十代の私は、無症状で無自覚のまま、ウィルスを媒介し、最悪の事態を招くリスクがある。
感染拡大が収まるまで、東京から一歩も出ないことが、当然の判断なのかもしれない。
一方で、年老いた祖父母が、私のことをきちんと認識してくれ、言葉を交わす、
そんなことができる期間にも、確実な期限がある。それは数ヶ月かもしれず、あと1年、あればいいほうだろう。
ウィルスを媒介してしまうリスクがある。東京から出なければ、回避できるリスクだ。いつまで?この流行が終息するまで?それはいつ?
元気な祖父母に、元気な姿を見せることができなくなるかもしれない。もし来月祖父が死んだとして、誰か責任を取ってくれるのか?
しかし副反応のないワクチンなど無いことだけ理解出来ればいいよ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院、ジョン・スノウ冠教授で同大学院感染症・免疫学センターのディレクターを務めるW・イアン・リプキン(W. Ian Lipkin)氏は、
「もし世界中の全ての人にワクチンを接種するとしたら、ある人がワクチンに対して副作用を起こす可能性は、MERSを発症する可能性よりも高いだろう」と話す。
◆予防の鍵はラクダ
SARSのときにはウイルスを媒介する動物の駆除が制圧を早めたように、MERSのさらなる感染拡大を止めることが何より望まれるという点では誰もが一致している。
リプキン氏は、最も有効なのがラクダだと期待する。MERSの予防ワクチンを人に接種するのではなく、感染拡大の鍵を握っているらしいラクダへの接種に焦点を移した方がよい。「宿主としてのラクダを根絶すれば、MERSを抑え込む合理的な一撃になるだろう」とリプキン氏。
ラクダ用ワクチンの開発であれば、人間用ワクチンの開発よりも安く、早く、容易に実現するだろうし、人間の場合に比べて安全性の懸念も小さいとリプキン氏は話す。
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。
それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。
俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。
結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。
今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。
『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、
当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。
忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。
『パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。
キャラクター、BGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。
消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。
それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。
もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、
「ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、
中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。
推理小説よりもゲームブックよりも面白い「推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。
シナリオ・堀井雄二/制作・チュンソフト。ゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。
本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。
けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である。
子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。
初プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。
作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体とUIがポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。
そういえば、ここに挙げたゲームは殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。
それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲームの凄さによるものだったのかは知らん。
ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。
「RPG」というジャンル/概念を意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。
「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか?
もろ鳥山明なドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター(末弥純デザイン)たちに慄いた。
寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。
ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。
おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。
あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、
バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律は羽田氏ならでは。
タイトル画面、カント寺院、キャンプBGMは永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。
当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。
当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードをファミマでバイトして購入した。
膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。
トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。
インターネットなき時代に本作を自力でクリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。
ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGやウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。
ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。
つい最近まで「自分はローグライクなゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。
当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず、文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。
タクティクスオウガもドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、
朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲームは自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。
後期SFCらしい完璧なドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作とUIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、
ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。
手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。
「フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。
中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜
「昨年ついにSwitchで配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから、絶対やっとけ!!!」
それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。
数多の熱狂的ファンや批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。
俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である。
あるいはクラブカルチャー、サブカル、世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM。
本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。
人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物。
もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。
世代的にゼルダはディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。
『神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。
正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。
あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからもクローズドワールドで結構。
なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームだから。
BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。
エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。
夕暮れ時、ロンロン牧場でマロンちゃんとオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。
『moon』ディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。
『moon』が作り出したうずたかい第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。
エンディングではいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後のゲーム)。
坂本教授がBGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。
内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。
(ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)
おまけにリメイクもアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。
だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲームの趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。
とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。
しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。
本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。
本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。
それまでスタンドアローンでしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘でしか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。
その体験は視界を塗り替え、時間感覚を刷新し、現実を異化した。
これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMS』しか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。
『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。
汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。
※※※※※※※※※※
俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝。
何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。
※※※※※※※※※※
【追記】
ブコメ全部読みました。
こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事なゲームの思い出とか括りでは語れない気持ちを排除するみたいで、
あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、
感想って嬉しいから欲しい人も、自分の思考に水を刺されたくないから欲しくない人もいます。ただ実際感想欲しくてやってる人は一定数いても、根本的には同人ってそのジャンルが好きでやってる人がほとんどだから、感想のためにやってる方は永遠にこの鬱屈を感じ続けると思います。目的が違うから齟齬が生まれるのは当たり前です。
本当にそのジャンルのこと好きですか?同人が好きですか?ただのコミュニケーションにおける媒介でしかなくないですか?
さすがは感想を責務と思ってる方なので感想貰うことに感謝と敬意が無いですね。私が送る側なら作品が好きでも送ることをためらいますよ、責務で送ったなんて思われたくないので。責務の感想を貰って嬉しいのか疑問ですが、送るほうはそう思われるの心外ですよ。
自分の作品が感想が来て当たり前のクオリティと思ってるポジティブさは良いですが、長いだけで理論的じゃない人の文章って書けば書くほどオブラートに包むはずだった本心が透けて見えてますよ。
COVID-19の情報を得るために、何年振りかでSNSにアクセスした人間は、少なからず存在する。
の、だと思う。例えば、僕のような。
僕と同時期にSNS復帰した人も(僕が観測できる範囲限定においても)わりといて、彼や彼女の、久しぶりのSNSに戸惑いながらの書き込みは、僕に共感と、現在のSNSへの適応の手助けを齎してくれた。
ここ数カ月間ずっと、僕は彼らの書き込みを通じてCOVID-19の情報を得ていた。
僕と同時期のSNSに生きて、同時期に去って、同時期に復帰した彼らの書き込みは、翻訳だった。
彼らの発する情報は、不思議と、古いSNSの生き物である僕にも受け取りやすい形になっていた。
僕は貪るように彼らの発する情報を読んだ。
そして、COVID-19の騒動はひと段落する様相を見せ、彼や彼女は一人、また一人とSNSから再び去っていった。
僕の心にぽっかりと穴があいた。
気づいた。
僕が本当に欲しかったのは『COVID-19の情報』ではなく『古き世界の残照』だった。
僕は、『困難な時期を乗り切る情報』ではなく、『困難な時期を乗り切るための、過去の楽しかった記憶、それを想起させる媒介者』こそを求めていたのだ。
「バーチャルyoutuberとして真に偉大なのはねこます氏」と私はずっと言ってきたけど、多分ねこます氏の存在はフィクトジェンダー史においてもターニングポイントになるのだろうな。「推しになりたいと嘯くオタク」なる存在はそれまでも散見されてはいたが、あくまでジョークの域を出られなかった。コスプレという深い歴史を持つ文化とも合流することなく、「二次元」であることに拘る人々のジェンダーはこれまで可視化されてこなかった。ねこます氏はそれを実際に形にしてみせ、多くの人々にジェンダーとファッションの新しいあり方を、自分の肉体を媒介しない方法を提示した。「やれる」ということと、「やっていい」ということを証明した。セクシャリティの教科書、ファッションの教科書を今後作るなら、載せるべき人材だと思う。
之より社中の気風益ますます固結して曾かつて動変することなく、
爾後じご王政維新の太平に逢い又無数の事変をも目撃したれども、
報国致死ちしは我社中の精神にして、
その由来一朝一夕に非あらず、
蓋けだし社中全体の気風なりとは雖ども、
仁三郎君の一言亦重しと云うべし。
第二章 「貧富を問わずに人才を作るは、前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」
「最も恐るべきは貧にして知ある者」
「報国致死はわが社中の精神」
─労働権を軽視する福沢女性論は男女平等論とは無縁である」216
─偕老同穴論が前提されている 226
「夫婦間の権利については、条文の規定一点の疑いを容るるところなく」
─「女徳」へのこだわり 234
「内実は不品行を犯すとも、これを秘密にして世間の耳目に隠すべし」
─ 239
─良家の娘を守るために公娼制は不可欠 242
─薄幸な貧しい女性をそこまで指弾するか?! 251
自分のブログで書いても影響力ないし、最近は新型コロナを盾に、他人の攻撃や批判しかできない腐った連中が多いので、ここに書いてみようと思う。
それにしてもこの1ヶ月、日本語圏において、まじで言論の自由がない。ここは地獄か?
このあとどうなるか、個人的な予想を書いてみようと思う。
自粛はどうせ "ムード" だ。個人の考えで行動しているわけじゃない。
今は "自粛" って声がでかいやつが騒いでるから、同調圧力で自粛してるだけだよ。
日本人はみんなと同じことをすればいいと思っている、自分で考えることをやめた奴らばっかりだから、ムードが変われば流れは変わる。
個人的に、COVID-19 を "封じ込める" 事ができると思ってるやつは脳味噌お花畑だと思っている。
今の時代人と接触しないなんで不可能なので、どうやっても感染経路を断つことは不可能だし、そもそも人間が媒介ではない可能性だってあるわけで。
治療薬だワクチンだ騒いでる奴らもいるけど、薬の研究なんで数年~数十年掛かるものだ。
第一、薬ってもんは病気を治すわけじゃない。病気と戦う人体をサポートしてくれるだけだ。
ワクチンだって、わざと微量のウイルス入れて安全に免疫つけされてるだけなんだから、感染しなくなるわけではないってことが理解できない奴らがいるようだ。
あと、新型コロナ関連で死んだ人は基本、肺炎で死んでるわけだが、COVID-19 が肺炎を引き起こすのではなく、肺炎は併発で起きるものだ。
だからそういう人は、インフルだろうと風邪だろうと、肺炎になるときはなるし、死ぬときは死ぬ。
こう考えると、どうやっても集団免疫の獲得以外に勝ち目(?)はない。
しかし、医療崩壊を防ぐっていう意味では自粛に一定の価値があるのは事実だろう。
ソーシャルディスタンスという言葉が広まり、実践されていることは素晴らしいことだ。在宅勤務によって満員電車の混雑が緩和されたりしていることも効果はあるだろう。
けれども、経済活動を止めてまで自粛するのは、正直無理がある。2週間~1ヶ月がどうやっても限界だ。
新型コロナで死ぬか、経済的に死ぬか。死ぬ確率は前者のが低いだろう。
あともう一つ。
これは緊急事態宣言関係ないが、なんか "死ぬ" ということに対して勘違いしているアホが多い気がする。
新型コロナに感染すれば死ぬ、感染しなければ死なないと誰が言ったか?
そんなことより家でマクドばっか食ってるほうが生活習慣病で死ぬだろうし、買い物行く途中に通り魔に刺されるか、車に引かれて死ぬかもしれない。
また、新型コロナに感染しなくても、ガンや心筋梗塞で死ぬかもしれない。インフルエンザで死ぬかもしれない。
そもそも、人間の死亡率は100%だ。死のリスクなんて、生きてる限り一生付き纏ってくるもんだ。
新型コロナで死んだのは、この数ヶ月で500人程度。去年、交通事故では3,200人死んだ。インフルエンザだって毎年3,000人は死んでいる。
たぶん、今年は自殺者増えるだろう。新型コロナ自粛騒動で人生立ち行かなくなった人たちから、連日のように自殺者が出るんじゃなかろうか。
この状況で、過度に新型コロナだけを特別視する必要あるといえるのだろうか?
確かに新型コロナは怖いが、そういう人たちは交通事故が怖いからって家から出ないのか?躓いたら骨折するからって立ち上がらないのか?そんなやつはマトリックスのあの幸せな夢を見れる機械にでも繋がれてろ。
感情ではなくデータに基づいて行動すべきだ。全く、世界ははどうなってんだか。