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「ママ守る」死亡3歳の恐竜抱き寄せ 3人乗り自転車、母が初告白 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20220506/k00/00m/040/142000c
これ、トラックのほうが側方間隔をしっかりとらずに無理な追い抜きしたのが原因なのにな。
被害者叩きコメントしたやつの情報開示請求して、処罰までもっていくべき。
それと、自転車専用道ネットワーク整備を怠慢しつづけている道路行政への批判が少なすぎるのも違和感がある。
どうせ自動車企業がカネ使って、どうあっても自転車だけが叩かれて自動車の危険運転や自転車専用道ネットワーク整備を怠慢している道路行政に矛先が行かないようにしてるんだろうけどね。
本来は飯塚氏以外も拘束されるべきじゃないのでそこだけは"許す"として
(すべての逃走の恐れがないケースで飯塚氏のように拘束しないでおけよ。マジで)
被告を警察が身辺警護ってストーカー障害事件・殺人事件の被害者は絶句なのでは?
自業自得ではあるが猫殺しの税理士のところには自称猫好きの輩と自称愛護団体が乗り込んだりしてたけど
まぁそれも犯罪被害に遭う可能性が極めて高い場合は本来は警護すべきとしてこれも更に"許す"として
医師や周囲から運転は適さないと言われてたし足が不自由って自分でもやってるじゃん
どういう理屈で100キロぶっ放すのが誰でも起こり得る過失って判断になったの?
被害者全員と示談が成立しているケース(求刑10年懲役8年)よりも軽い理由は?
残念ながら許される要素は無いよ
https://twitter.com/Ljor_O/status/1522908777552687104
結婚衣装を着て登山として吊り(吊られ)ながら崖の途中で写真を撮った人。
https://togetter.com/li/1883657
素人だが考えてみると安全性を問うなら問題はダメ・ヨシの01ではなくいつもどおりのグラデーションだと思う。
こういうアートにうんざりするぐらい出てくる安全性を問う人たちはたぶん見かけ上すごく安全を図られていてもわずかな隙を見つけて安全性が~と指摘すると思う。わら人形だけどね。
そして山の写真を見るとこれも登山としてはできうる限りの安全な装備をしてないよね。どうみても衣装が普通の登山家の服装と比べても安全ではなさそう。でもそういっちゃうとそもそもウェディングフォトを山で、が成立しない。
じゃあ(法律的な問題はあるかもしれないけれど)ぱっと見の詳しい背景を知らない我らはてブ民は一方をよしとすると他方もまあ受容するっつーのがなーなーな態度な気がするな?
高所での自己表現(アートのほうは表現者とリスクを負う人が別なのがままだが…同意は取ってるとする)のリスクは普段より高まるが、閾値が違うのかブコメを見て違和感を覚える人たちもいた。
俺としてはどっちもリスク犯してやってんなー。これらに別々の態度とったらまずそーだなーとしか考えてない。
kurotsuraherasagi
足元に覗くゴツい靴が合成とかじゃないリアルな写真である実感をもたせてて、すごくいい!真似は絶対できない…
たまにみかける「ネガティブな反応含めてアート」みたいなの、気持ち悪く感じるけどうまく言語化できないんだよな…アートって言えば何でも許されるわけじゃないというか…私に現代アートは難しい…
lenore
写真がとても素敵だし、工程聞いてすごいと思う。こんな大プロジェクトを共同で遂行したなら、もうこの夫婦に怖いものは何も無いんじゃない。
ちゃんと安全とモデルの心身の健康と名誉が保たれないなら、アートでも何でもなく傷害罪だ。アーティスト本人が障害を負うなら愚行権の範囲内だが人を巻き込むな。批判だけで済まない場合を想定しないのはただの無謀
mutinomuti
情熱がすごい
nandenandechan
緊縛は体への負担が大きく、数時間程度と言われています。なので、緊縛後に何点かで吊る方法だと思われます。建設業には「1mは一命取る」という標語があり、今回の場合はヘルメットとハーネスが必須です。怖いです。
totoronoki
結婚関連のイベントを「趣味や夢の実現イベント」と切り替えるとお金をかける価値のあるものに変わっていくんだな。そもそも結婚式って旧式のクラファンみたいな部分あるしな。
指が絡まったまま体が落下したら指が飛ぶからな。首なら窒息。車の危険運転等と同じで、アートでも危険行為やったら罰金、となるようにしたほうがいいのでは?(ただ表現の自由との兼ね合いが難しいか?)
Twitterで大型バイクの立ちゴケをその日に3回もしてしまう動画のつぶやきを見た。
これに対して、自分でお金出して買ったバイクなんだし好きにやらせればいいじゃんという意見を読んだ。
公道で信号待ちして立ちゴケされたら、どんなに危ないか知らないんだろうなって。
そういう事も分からないようなやつが自分で買ったんだから許してやれとか平気で言う。
そもそも足が届いていないバイクの時点で金を出そうが出すまいが、危険運転と変わらんのだよ。
停止中につま先すらとどかないのは論外だろうに。
本当にバイクに乗りたいなら大型なんかよりMondialみたいなそこそこオシャレなバイクにでも乗りゃいいのよ。
足も届かない、運転レベルもひよこなのにいきなり大型乗って立ちゴケとか笑えないんだよ。
それで轢かれたら轢いた側が気の毒なんだよ。
雑記になりますがなるべく整理して話そうと思います。読みにくかったらすみません。
以下本文
最近、街中で以前より多くの頻度でスポーツタイプの自転車を見かけるようになりました。その最も大きな要因としては、やはりコロナがあるでしょう。「密にならない交通手段」として注目され、加えてこのような接触しないタイプのレジャー注目されました。また、スポーツタイプの自転車が比較的安価で手に入るようになったこともサイクリングが人気になっている要因の一つだと思います。エントリーモデルのクロスバイクなら、メーカーにこだわらなければ5万円前後で買えるようになりました。(今年に限ってはなんか値上がりしてますね)また、サイクリングロードの整備等自治体もこのような変化を後押ししています。(つくばりんりんロードなど)
これらの影響によりサイクリスト人口が増加している現状ですが、問題も少なからず発生しているようです。例えば、多摩川サイクリングロードでは自転車による接触事故が過去に発生していました。また、レジャーとしての”サイクリング”には当てはまらないと思いますが、危険運転を繰り返す某宅配サービスの自転車について最近TVでよく取り上げられていました。更に、具体的な事例や重大事故のみならず、これを読んでいる方が車を運転したことがある方であれば車道で中途半端な速度で走っているロードバイクに対し邪魔だと感じたことがあるでしょう。とにかく、自転車というのは二大交通者たる”歩行者”と”自動車”のどちらにも属さない中途半端な性質上、公道で走る際には多かれ少なかれ問題が発生します。
さて、ここまで現状のなんとなく私が感じている現状を主観的に書きましたが、これらはロードバイク乗りが「ルール」を守って乗れば解決する話なのでしょうか?私は、そういう単純な話では無いような気がします。というかそもそも、レジャーやスポーツとしてのロードバイク乗り(以下ローディー)はルールを守っていないのでしょうか?私は、一般的にローディーは"ルール"に対して厳格であると考えています。例えば、サイクリングロードに行くと分かると思うのですが、彼らの多くはかなり自身を守るための装備のみならず、自身の存在を周りに伝えるための鈴やライトをしっかりと装備しています。また、車道を走る際にはほとんどの自転車はしっかりと二段階右折を実施しており、さらに「原則として車道のここを走りなさい」というような法律上の規則も守っています。そして、車道で彼らはよくハンドサインを使い、車とも積極的にコミュニケーションを取ります。更に、走るという部分からは外れてしまいますが、輪行の(自転車を電車に積んでどっか行く)際には、JRが定めている大型荷物の輸送の規則に厳密に従っています。そしてこれらのルールについて、ローディーは彼ら同士がそれを守っていない人を見つけるとそれを互いに指摘しあえるような自浄作用を持っています。これらのことから、私はローディーは一般に”ルール”に対してはかなり厳格であり、更に自浄作用も良い感じで機能していると思います。
一方で、”マナーの良さ”はあまり感じられないような気がします。まずそもそもですが、どこをどう走ろうが「30 km/h巡行」のようなことは邪魔です。車道にいたら、それはそれで車からしたら邪魔ですし、歩道にいたら歩行者からは恐怖でしかありません。また、多くのローディーはこれらの自分以外の交通者(歩行者・自動車)がどう感じているのかに対して極めて無頓着であり、彼らの多くは車が来ても頑なに車道の邪魔になる部分を走り続けています。車を運転する皆さんは、抜かせそうだけど抜かせない微妙な速度で走るローディーにフラストレーションを感じた経験が一度はあるでしょう。また、先ほどは「歩行者のいるサイクリングロードでは鈴やライトで自身の存在を周囲に知らせる」と言いましたが、これ自体がそもそも怖いと感じることもあるでしょう。ピチピチのサイクリングウェアを身にまとった人間が猛スピードでライトを点滅させ、鈴を鳴らして来るわけです。怖いですよね。そして、そもそもですが彼らの多くが交通手段としてロードバイクに乗っている訳ではなくレジャーや競技として乗っているため、「公道で練習すんなよ~~」という気持ちになることもあるでしょう。
ただ、これらの”マナー”も何も彼らの民度が終わっているからそうなっている訳では無いと思います。例えば「ローディーは車が来ても少しも内側に避けてくれない」と言いましたが、歩道と車道の境目には排水溝が多くありそこには雨水で流されてきた多くのゴミが溜まっています。パンクを避けるためにそういう場所を通るのをローディーは避けたいのです。また、単純な話ですが自転車での加減速はかなり大変ですから、歩行者のいるサイクリングロードであってもいちいち人を発見するたびに減速・加速をしてられないのです。そして、車道を走っているローディーの多くはそもそもルールを守って車道側で走っているわけで、「40制限の道路で60とか出してる車こそ」という言い分もあるでしょう。周りからしたらあまり”マナーが良くない”と思われてしまうようなローディーの動きも、彼らが彼らなりに見つけた最適解である可能性が高く、これらは彼らなりに周りに気を遣った結果だと思います。
このようなマナーについての認識のギャップが生まれてしまう原因として、ローディーは”ルール”という形而上学的なものに固執しすぎている点にあると思います。例えば、公道でハンドサインを利用しているローディーを見たといいましたが、そもそもそのようなサインが分かる交通者は少ないでしょう。(一応車の免許持っている人は知らないとまずいのですが)また、自転車の通行場所についても、誰もいない見通しのいい歩道があるのに態々幅の狭い白帯の付近を走ることもないでしょう。ろくにスピードの出ない上り坂であれば尚更です。また、彼らは”ルール”を守るということについての自浄作用が強いと言いましたが、少しその”ルール”に固執してしまう傾向があるようです。以前、「輪行警察」というようなものが少しネットで流行ったことがありますが、満員電車にやばい梱包して突撃するようなレベルでなければ本人に何も言わずにネットに晒すことも無いような気がします。確かに、当然そのような”ルール”に対して厳密であることは自己防衛の一種でもあり、昨今の自転車乗りにとって窮屈な現状に対してそのような対応をすることは重要です。しかし、もう少し上手くできないのかと思わなくもないものです。
そもそも法律に代表される”ルール”というのは慣習というか公序良俗に即した形で尤もらしい形で形成されていくものであり、それに対して成文的な形が付加されているということに過ぎません。ですから、紙に書いてある”ルール”を守っていても現状の交通事情に照らし合わせて明らかにまずいことをしていたら、やはりそれはまずいことに変わりはありません。このような場合が続けば、いくら”ルール”を守っていても更に規制を強化するということになりかねません。(軽車両通行禁止等)
と書きましたが、正直現状の交通事情がそもそもロードバイク乗りに対して半端すぎるということも否めません。この前驚いたのが、横須賀一周ことスカイチで通る三浦海岸の道は、そのほとんどが片側一車線のあまり広くない道に申し訳程に青い自転車通行帯の表示がされていたことです。こういうのを見ると、「流石に酷いなあ」と思ってしまいます。私は基本的には、交通量の多い道はそもそも行かないか当たってしまった場合は迂回します。ただ、サイクリスト側の人間としてはもう少しどうにかならんのかなあ~と思います。なんというかルールに加えて”マナー”まで守ると逆に立場を危うくしそうな感じがするのです。
筆記試験とかどうでもいいんだよ
むしろ筆記受かって運転試験も受かってんのに再三説明されてたことも忘れてんのか?何のための試験だ?
お前が損をしないための試験だろうが
お前、馬鹿だから試験受かることだけ考えて本来やらなきゃいけないこと忘れてんじゃん。
車体手に入れてブンブンする前に、その車体をどうやって扱ったら良いかわかってねえじゃん。
だから原付止まりなんだろ?お前がこれで普通車の免許持ってたらそっちの方がキチーよ
いつか事故るから気を付けるだけで終わるなってお前のために書いてんの。お前が人轢いて殺そうが、人焼いて殺そうがお前の量分だからお前が勝手に恨まれてそれで良いけどさ、そうならなかった場合お前はアホみたいに自分の過失でアホ程金払わなきゃいけねえの。
お前馬鹿だから車の点検も自分で出来ねえんだろ?だから車体が傾くんだろ?ガソリンを入れるっていう危険作業してんのに、気を付けるじゃねえんだよその前に火が灯くんだろうが。爆発しなくてよかったねえ!だよ。
気を付けるじゃねえの、なんだったら帰ってから車体の点検しろやマジで。
出来なきゃ免許返納して電車通勤しろ。当たり前のことをずーっと書いてるぞ俺は。
ちなみにな、ポリタンクを傾けてそのまま注ぐとかいう論外な行動はアホが取る行動だから最初から候補に入れてねえのよ
それでもそんな大アホ安全という文字を辞書で調べてネットで調べて危険行動の一覧を100回読み直せアホカスウンコに対しても、スポイト使うっていうヒントも出してどうやったらそんな状態でも安全に給油できるかの優しい解答も出してんのよ
横増田であったとしても車両に乗る奴は絶対に安全だとわかった上で乗らなきゃいけないことぐらい教習所でクソ程教え込まれてんの 危険な状態で乗り回したカスが全責任取らなきゃいけないからな
試験通っててもこの程度の考え方しか出来ねえならいつか死んでんだよ 自分の家族に負担かけてな
勘違いもクソも「タンクから吹きこぼしました、ああ気を付けなきゃドボドボドボ」って言ってるアホに丁寧に優しく「今度は溢さないようにしようね(あんなトリガー式のでも溢すのか)」って解答してやってもこうなんだからどれだけ取り繕っても指摘をすぐに聞かない危険運転野郎であることは変わりないよ。
今度から給油するときにウエスでも使え、どうせこぼすんだから。
給油は満タンの一個手前ぐらいで終えとけ。こんなん車でも一緒だ。
大体傾けるってのが意味わからん、給油のノズルはトリガー式だろうが、差し込んでからトリガーを引けよ。
それである程度溜まったら少しずつ入れてけばいいだろうが。
溢れたらウエスで拭け。
やり方がわからんなら恥ずかしくても有人のガソリンスタンド行ってコツ聞いて来いよ。
自分が乗るものの適切な使い方ぐらい自分でわかっとけ、だから点検しろって言ってる。
それが出来なきゃお前には過ぎた道具なんだから歳取る前に返納する算段付けとけ。こんな初心者みたいなことすら出来ねえんだから仕方ねえだろ。
もう新しい日記書くのすら勿体無いわ。
人命第一を謳うこの社会で便利だという理由で人が死ぬ原因となる車(装置)を許容するのはおかしい、という話かと思いますが
大多数の利便性を優先して、人命軽視を許容しているのではないか、という話になると思います。
一旦この解釈が正しいとすると
ブコメに多くあったメリットデメリットの話は若干回答がずれている、というかあまり良い回答ではないでしょう。
実はこの話、科学技術を世に出す際に倫理的に何が求められるのか、という話でもあり、
大学で科学技術と倫理(技術者倫理)という教養として習う範囲でもあります。
と言うわけで、ここでは科学技術と倫理の観点からなぜ許容されるのか話をしていこうと思います。
と、本題に入るまえにブコメで多くされていた
メリットが大きいからリスクが許容される、つまり最大多数の最大幸福であるという話について触れて起きます。
この様な功利主義的思想は局所適用にはあいますが、社会システムに適用されると非常に危険です。
言い換えてしまうと多くの人が益を受けるから少数者は被害を受けても構わない、という全体主義的システムになりかねないからです。
銅山から流れる鉱毒のせいでそこらへんに住む人は甚大な被害を受けるけど、
国家全体から見れば利益が多大なので仕方ない、みたいな話に繋がってしまいますよね。
なのでデメリットに対してメリットが大きいから、だけだと間違いを産む可能性がありあまりよくないということになります。
では次に本題の、人を死なせることはこの社会において許可されていないのになぜ人を死なせる可能性のある車が許されるのかの話をします。
シンプルに言ってしまうと人を死なせることと人を死なせる可能性がある、というのは大きく違うから、という話なんですが
車増田氏としてはそれに対し可能性があることを認識してるのであれば未必の故意いえるのではないかと考えているんじゃないかなと思います
これに関してはマックスウィーバーが著書「職業としての政治」で述べた心情倫理と責任倫理という考えが役に立つと思います。
心情倫理とは結果がどうあれ正しいと思うことを行動することで
ドイツ観念論のカントの「定言命法」に近く、物事がうまくいったとしても動機が不純なものであれば善としない考えです。
一方、責任倫理とは動機がどうあれその行為が不幸の結果を及ぼすことを予見できるのであればそれを避けるための最善の努力をし、
その結果を負わなければいけないという考えです。
ウィーバーはこの2つの倫理を兼ね備えることが政治家としての不可欠な資質としましたが、技術者倫理としてもこの思想は適用できます。
技術者として製品を世に出す際、その製品が世間をよりよくするものを目指すべきでありかつ
その製品の持つ機能が直接的に危害を及ぼすことがない様に想定できうる限りの防止策を講じるべきである、という考えです。
多分ですが、日本の車メーカーに車を作る理由を問い合わせた際に「弊社の利益さえ上がればいいと思っています」なんていうところは
基本的にないと思うんですよ。
内心はどうであれ、車の製造が利用者の利便性/快適性をあげるという公益性を目的にしているということを言うのではないかと想定してます。
そして実際、機能の研究開発の期間もさることながらテスト期間も相当長く、真冬の北海道に持っていって
寒冷地テストしたり、砂地や泥を用意してそこに突っ込んでスリップテストしたりと
事故を起こさない、人命を守るためのテストをすごいしているんですよね。なので大体開発に5年程度かかります
そしてメーカーだけでなく行政も運転免許という適正審査や安全講習、
小学生児童に対しても交通安全講習会も行い、技術と社会規則の両輪から事故を未然に防ぐ努力をしているわけですね。
つまり、車の利用に関しての「直接的な結果」として人命への被害を避けるための「最善の努力」をしている、とも言えるのです。
そして皆が交通安全規則を守り安全運転をすれば突発的な災害等が起きない限り人命を損なう様な事故は起きないだろうというところまで
この「最善の努力」を「完全に避けなければいけない」としてしまったり「間接的な結果」も責任としてしまうと
言い換えると企業がリコール訴訟を受けた際、事故と直接的な因果関係がないことはもちろんのこと
「最善の努力」をしていたということとが必要になると言うことでもあります。
(アメリカでプリウスが訴訟になった際、そこら辺が焦点になったと聞いています)
つまり、メーカー及び行政がさまざまな手段で事故を防ぐための策を講じてる事実があるので
当初の
人命第一を謳うこの社会で便利だという理由で人が死ぬ原因となる車(装置)を許容するのはおかしい、という意見に対する回答としては
人命に対するリスク対策を社会コストとして払っており、そもそも人が死ぬことを許容はしていない、ということになります。
というわけでまとめます
1. 危険性を伴う製品に関し、メリットデメリットの観点だけだと公害を許容しかねないのでよろしくない
2. 建前とは言えメーカー・行政の両輪で理論上事故が起きない様にする施策を打っており人命軽視しているという認識は間違い
ということになります。
念のため付け加えますが、努力しているから問題を起こしていい、責任がない言うわけではなく、
その開発当時にしりえる知識、技術を元に最大限の努力をしたかが問われるため「最善」と表現されます。
言い換えれば公知の知識の対応を怠った場合などは懈怠責任をとわれます。
つまり今後、科学技術の発展に伴い、危険運転でもリカバーする技術が発明されたらそれも実装が必須になっていくと思います(昔はエアバックとかなかった)
どうでしょう?車増田氏のどこで線引きをしているのか、という問いに対して回答になりえたでしょうか?
あと、死刑の話を絡めて聞いていますが、その話は犯罪者の更生の話や社会から外れてしまった人格をどう扱うかという話なのに対し
車社会の話は公益性を持つが危険性を伴う科学技術とどう付き合って行くかと言う話で根本が違うため
その話を混ぜると複雑になりますし長くなるので省きました。
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
自動車危険運転で懲役16年や23年判決も出てるしな。そして自動車乗車中の年間死者数は1200人以上と極めて多い。
そして自動車は維持費の割に富を生み出さないので「自動車は負債」が資産運用の常識。
自動車を40年間所有すると3396万円以上も無駄になり損をするという試算もあるほど馬鹿げた維持費。それが自動車。
資産が1億円以上もある堀江貴文や上念司など利口な経営者や資産家ほど自動車という負債を持たないのも納得。
・上念司
・堀江貴文
他、車を持たない多数のタレント
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
そして乗り物運転関係での刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手。
自動車の運転なんてしなければこれらのリスクは回避できる。コスト面でも持たないが最善。
車離れは個人にとっても社会にとっても賢い選択肢なのは間違いない。
日本国民には居住移転の自由、つまり引っ越しの自由があり、自動車なんて馬鹿げた負債を持たずとも便利に暮らせる地域はいくでもある。
地方でも都市部なら自動車なんて負債は要らんしな。ネット通販と電動アシスト自転車と公共交通があれば便利に健康的に暮らしていける。
40年間所有で3396万円以上も無駄になる負債、それが自動車。
持たないが最善、賢明であり、自動車を持つのは計算ができない馬鹿、阿呆、愚か者。
まとめると。
・自動車乗車中の年間死者数は1200人と極めて多い
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
自動車乗車中の年間死者数は1200人以上と極めて多い。
自動車危険運転で懲役16年や23年の前例もあるほど責任が重い。
普通に考えて、自動車(特に個人で)を持つ人、運転する人は計算ができない愚か者なんだよね。
それが「クルマ」。
・上念司
・堀江貴文
・車を持たない多数のタレント https://loancar-sell.com/entartiner/
などの人々も車を持たないし免許を持ってない場合も多い(免許を取る時間とカネあったら他に使うのが賢い為)
特に合理性を重んじる堀江貴文、上念司といった経済評論家や実業家も車なんつう負債は持ってない現実。
社会的にも自動車は極めて有害なのでもっと減らしたほうがいい。
こういうと救急車も自動車だろとか言い出すおかしな人があらわれる。
だけど、マイカーを規制強化や課税強化で減らすことと、救急車などの緊急車両維持は両立できるわけでね。
結局、マイカーなんて極めて危険な有害物に依存せずとも暮らせるようにする社会施策である「コンパクトシティ政策」が最善。
自動車乗車中の年間死者数は1200人以上
歩行中の年間死者数も1200人以上
いずれも元凶は?
だから「車離れ」は人命と環境を考えたら最高のアクションでありライフスタイルなんだよね。
マイカー依存が深刻なほど高い田舎ほど、東京や大阪などの都会、都市部よりも人口あたりの交通死者発生率が高いのはなぜか?
だから「車離れ」は人命と環境を考えたら最高のアクションでありライフスタイルなんだよ。
加害者も被害者も「自動車」という元凶が減れば減るほど減らせる。
自動車が減れば減るほど事故も公害も渋滞も減るのは既に証明済みの事実。
それだけの話。
https://anond.hatelabo.jp/20220103024520
特に自家用自動車=マイカーはたかが個人の移動であまりにも害悪が多すぎる。
こういうと救急車も自動車だろとか言い出すおかしな人があらわれる。
だけど、マイカーを規制強化や課税強化で減らすことと、救急車などの緊急車両維持は両立できるわけでね。
結局、マイカーなんて極めて危険な有害物に依存せずとも暮らせるようにする社会施策である「コンパクトシティ政策」が最善。
都道府県別の、人口あたりの交通死者数統計を見てみると驚くべき事実がわかる。
都会ほど人口あたりの交通死者発生率が少なく、田舎(マイカー依存が深刻なほど高い地域)ほど人口あたりの交通死者発生率が高い。
メリット:
・感染リスクを最小限に抑えることができる。不特定多数の人との接近が減るから。
・夏の香水が臭い問題を回避できる。ちなみに、他人の香水の匂いがしたということは、いわばその時点で空気感染しているわけです。その時点でAUTO、ガメオベラ。
・通勤で削られてしまう体力と精神力が少なく済む。逆に言うと電車ってこんなに暗黙にストレス受けてたんだって気づく。この価値に毎月1万円くらい払えると思う。もっと行くかな。
駅ってホームから外に出るまでの道のりがわりと階段が多いのが辛い。もちろん徒歩でもルートによっては歩道橋が何回もあったりするが。つまり、駅通勤でも徒歩疲れはある。
・電車のダイヤや事故に左右されない。遅刻ファクターが自分の足と目覚ましだけになり、他責思考が減り、自立心が養われる。
・脚が鍛えられる。1日60分くらいは歩けって話だから片道徒歩30分のところに住むのがベストだと思う。都内でその辺の距離だとたとえ最寄り駅から電車に乗っても大して所要時間が変わらなかったり、むしろ遅かったりするから、否応なしに歩くしかない状況に追い込むことができる。歩け。アルケーガンダム
・位置ゲーが捗る。位置ゲー屋は儲かる。ダークライの色違いGETした
・災害時でも歩いて帰れる。なので自宅に猫を飼っていたりしても不安がない。
・そこそこの時間を屋外で活動することになるからアウトドア対策が必要になる。
雨が降るなかの徒歩は長靴がないと辛いと思う。
靴の減りが早い。靴屋は儲かる。
・夜道リスクがある。光るヤツ装備したほうがいいかも。イヤンホホは周囲の音が聞こえるヤツにしたほうがいい。スマホイジリやノイキャンイヤンホホというのは電車やバスで時間を過ごすのに最適なのであって、徒歩には不向きである。そもそも通勤自体が電車よりも短く済むから家帰ってからスマホイジればいい。
・歩きヤニカスに遭遇する。まあこれは駅でも同じなんだけど、むしろ「駅から遠いし人が少ないから吸ってええやろ」という心理が働くのかヤニカスエンカウント率が上がっている気もする。その辺だれか研究してほしい。
・危険運転チャリカスに遭遇する。なぜかデコボコの歩道をチャリが正面から爆走してくるんで徒歩のワイは仕方なく車道のチャリマークの上を歩く。アベコベなんだが?
しかもチャリカス+ヤニカス+ママチャリ+一時停止せず交差点突入の大三元まで居たりする。それで人の親か。48000点。
・寂しい(人が少ない)(社会人の無難話題で一二を争う電車の話題に入れない)
おうちは小さかったが、
高度経済成長によって周囲が都会になり、
郊外に大きなおうちを購入し、
広々としたおへやに贅沢にガンプラコレクションをディスプレイ、
と言うと、犬は犬小屋で寝はじめた
というか、猫○ね
そして、田舎は人目につかないので、近所の麻を栽培している麻生さんからマリファナを購入し、
私はMetallicaバージョンの"Whiskey in the jar"が大好きだし、
やがて老人は黒いアルフォードで逆走のような危険運転行為を繰り返すようになり、
なんてことだ…、ちいさいおうちを売るべきではなかった…
後悔先に勃たずである
事件のその日の夜に釈放、おおきいおうちにかえされる
テレビや新聞のメディアは上級国民であることを知ると実名報道を避けるようになる
釈放された彼はおおきいおうちに戻ると、東南アジアへの逃亡の準備をする
スワイパー村のような場所に行くのが夢だった
老人はそう思いながら、おおきいおうちを見捨て、