はてなキーワード: 劣化コピーとは
高校生の頃卓球部をやっていて、うちの部は県大会ベスト4まで勝ち進んだ。
ベスト4の試合から勝ち進めなかった。負けたのではなく勝ち進めなかった。
まずは卓球と関係無いが、当時自分がハマっていたお笑いについての話から書く。たぶんそうしないと正しく話が伝わらないだろう。
当時の自分はお笑いにハマっていて、友達同士で漫才のマネごとなどをして、仲間内でウケてるのをいいことに自分にはお笑いの才能があると信じ込んでいた。
やってる事自体は、TVに出ていた芸人の劣化コピーだったりツギハギだったりするのだが、よくある知人がやってると何故か面白く感じるというやつである。
普段何気なく会話したりしているやつがいきなり上半身を脱ぎだして奇声を上げて踊りだしたりすると、ネタがどうとかじゃなくそれだけで笑ってくれるわけである。
身内の間ですこぶるウケていたのは、当然だったかもしれない。
そんなんだから高1のときの文化祭の出し物でコントをすることになった。
内容はレストランの客とボーイだった。情緒不安定なボーイが客をおちょくったり怒ったり泣いたりして揺さぶる感じのネタだった。
リハーサルでは知人などは爆笑してくれて、中には涙まで流す人が出ていたのだが、あとから考えるとあれだけ内輪ネタに偏らせていれば、彼ら彼女らに笑ってもらえたのは当然だった。
大勢の前でやるのは初めてだったという言い訳もできるかもしれないけど、率直に言ってそのコントは面白くなかった。
地獄の5分間だった。
やったという事実は憶えているが、舞台の上での記憶はほぼない。とにかく一生懸命演じれば笑ってもらえるかもしれないという、希望にすがりついてボーイを演じていたような気がするが、記憶は曖昧である。
それから月日は流れた。
そんなコントだだすべり事件も笑い草になった高校2年のころ、最弱部だったうちの卓球部が県内のベスト4進出を果たした。
コントだだすべり事件の影響かは知らないが、自分も卓球に打ち込む意気込みが大きくなっていたし、着実にうまくなっている実感はあった。
そしてあんなすべりをした自分は、お笑いを嫌いになったかというと、そんなことはなく、前以上にお笑いにものめり込んでいた。
お笑い番組をビデオ録画したり、隣の県にライブが来ると行ったり。それなりのお笑いファンになっていた。
ベスト4になるとチラホラと選手の家族などが、観客が増え始めるのである。去年ベスト16敗退していたときに勉強目的として他校のしあいの見学を部のみんなで見に行っていた。
あの観客の中でひと笑いをおこせたのなら、あの文化祭での地獄の5分間を克服できるのではないかと。
むしろあの5分間は明日の大衆の前でのお笑いパフォーマンスをするための布石だったのではないかと。
そう、思いついた。いや、そういう妄想に取りつかれていた。
試合を待っている間生きている心地がしなかった。心臓は早鐘のようになって、全身の血は沸騰しそうで、軽い吐き気さえ感じていた。
卓球台の前につくと、ひっそりと持ち込んでた貝印のカミソリを取り出し、ズボンの中に手を突っ込んで、右のきんたまを切り落とした。
手を突っ込んだ瞬間観客から軽いざわめき。ピンクのぷるぷるした血まみれの物体を握った手が引き出されると、何人かの絶叫が響いていた。
激痛で気が狂いそうな中、必死に打ち出したきんたまサーブは自分の陣地にぶつかりバウンドすることなく、じっと卓球台の上に張り付いて、ぷるぷるしていた。
きんたま切断事件は、周りのフォローでなんとなく切腹未遂事件として扱われるようになっていた。
実際あの場所にいた人たちも刃物で腹の付近をゴソゴソやって血まみれになった、くらいの認識しかなかっただろうし。なによりきんたまを切ってサーブしたという話は誰も信じないだろう。
カウンセラーや親、教員などに、「笑ってもらいたくてやった」と繰り返し説明していたが、普通ではない、笑ってもらいたくて自分の体を切除するやつなどこの世にいない、他に本当の理由があるだろう。
などと言われて、話が通じなかった。
結局受験のプレッシャーに耐えきれなくて自傷行為に及んだ。ということになっている。
実際自分は友人関係も良好だったし当時は彼女もいた。自傷行為をするような原因など微塵もなかったので、なんとなく誰にでも当てはまりそうな「受験」が原因。ということで話は落ち着いた。
そして、いつしか自分でもそれが本当の理由なんじゃないかと思うようになっていった。
でも確かに当時の自分は、真剣に誰かに笑ってもらいたかったんだと、その気持はどこかに書き残しておいたほうがいいんじゃないかと。そう思って書いてみました。
幼少から続けているヴァイオリンにまつわる、悩ましい話である。
ヴァイオリンという楽器は、ピアノに次いで西洋音楽では今なお抜きにできない、重要な楽器に含まれる。
これは現在まで残っている楽器の中では最も歴史があるものの一つであり、加えて発展の過程で弓に劇的な近代化が施され、結果演奏上の制約が殆どない、豊かな表現力を持つようになったことが理由に挙げられる。
なので、ヴァイオリンの問題は楽器ではなく、奏者の問題に帰結すると。
どういうことかというと、象徴的な話として、曲を弾くときに最初からほぼ最後までツッコまれるのが音程、指が回ってないことだったりする。
というか、指の適正位置はもちろん、そもそもの楽器の構え方や弓の持ち方動かし方まで、「ここは絶対こうする、しなきゃ許さん」みたいな、まさに箸の上げ下げレベルで超細かいマイクロマネージメントの洗礼が、毎回のレッスンで待っている。
そしてそういう「基礎」と見なされるような訓練と並行して音楽的表現、つまり「曲の弾き方」も習うわけだが、これは先生の言う「ここはもっと大きく」「ここは突然弱く」「ここは弓たっぷり」「こっちは弓の毛3本で」といった指示を覚え、実践する作業に終始する。
つまり音楽的センスや解釈力を養う目的でやってるはずのことが、往々にして「先生の劣化コピー」育成以外の何者でもない状態になっていることが大半なのだ。
そういうレッスンを幼稚園保育園の頃から受けてきた結果どうなるかというと、プロアマ問わず多くのヴァイオリン弾きが歌わないで演奏しているのだ。
言い換えるなら、手先指先のコントロールばかりに注意と集中の殆どを費やすようになってしまい、それが演奏だと勘違いしている人が多い。
少しでも音楽やったことある人には信じがたい話だと思うが、事実である。
まあ自分の知る限り、そんなことが起きているのはヴァイオリンだけなので無理もない。
これが管打楽器やギターとかだと「歌ってはいるけど、歌い方のセンスが(ry」で残念賞というパターンがある。
しかしヴァイオリン弾きはそういう一般的な「下手くそ」以前のレベルで止まっているのだから頭を抱えてしまう。
それでよくあるのが「上手いけど、つまらない演奏」というやつである。
聞く所によるとその昔、某大物歌手と海外の某有名ビッグバンドが日本でコラボしたとき、日本人弦楽器奏者のレベルの低さにバンドマスターがブチ切れて、本国から奏者を呼び直したなんて話もあったり。
つまらないだけならまだいい。
これに奏者の自己顕示欲が加わって「上手いけど腹が立つ演奏」なんてのも存在するのだ!
しかもそういう演奏をする奴は高確率で「上手くなるのに百万回さらった」みたいな苦労話をひけらかす。
それ自慢になってないどころか、全然楽しく見えないんだけど。音楽、楽しくないの?
てか、小手先の微調整だけで弾こうとするから、百万回さらわないと弾けるようにならないってだけじゃんか。
そんなんで偉ぶること自体どうかしてる。
とどめは、こうしたヴァイオリン奏者の傾向は洋の東西を問わないということ。
企業がお金使いたくても投資した分が回収できないとできないが、そんな分野ないのではないか。
従業員に給料を渡せば消費が増えるというが、不動産価格の上昇と、敷地面積の減少で、物は買えなくなっている。
従業員が自社の製品・サービスを買ってくれるわけじゃなくなっているので、給料を上げても仕方ない。
給料を上げると会社周辺の家賃が高くなるので、寮の家賃が値上がりしてしまう。
販売数が減ると高級路線に行くが、そもそも従業員は高級な製品を使ったり、サービスを受けているわけではないので、劣化コピーにしかならない。
製品で高級感が出せなくなり、不動産と広告で高級感を出すしかなくなった。
高級オーディオを持っていたとしても、隣を気にしながら大きな音を出せる環境なんて限られている。
テレビも大型化しているが、不動産の敷地面積は年々減っているのでおけない。プロジェクターも同様。
パソコンもゲームくらいしかないが、表示するモニタも音も部屋に縛られるのは同じ。
大きな部屋と隣人を気にしなくていいような環境があって消費が増えてくるように思えるが、
公開直前のインタビューで新海は「賛否が分かれるものを作った」と語った。
それを見て、「あ、いつもの新海に戻るのかな?」と思った。『君の名は。』で釣った客にポエムと自己完結の新海ワールドをぶつけて全面戦争を仕掛けるのか! と。しかしそんなこたー全然なかった。蓋を開けてみれば『天気の子』は単なる劣化『君の名は。』に過ぎなかった。がっかりだ。
ダメな点は色々あるがクリティカルだったのは物語の感情がまだらになってるところ。ようは暗いシーンのあとにやや明るいシーンが来るのだがまた暗いシーンになるためどういう感情でいればいいのかが凄くわかりにくかった。
『君の名は。』はややおセンチなモノローグから始まるが、すぐに入れ替わりのコメディシーンにつながり、テンポの良いそれは見ていてとても楽しい。
楽しい気分にひたっていてやや飽きを感じ始めた頃に瀧と先輩のデートが失敗し、「なぜか。もう二度と。俺と三葉との入れ替わりは起きなかった」という“謎”が提示される。
そして瀧は直に会おうと糸守を訪ねるが、そこで彗星の落下によって三葉がすでに死んでいることを知る(シリアス)、という感じだ。
『君の名は。』のストーリーはこれ以上追わないが、コメディ→謎→シリアス→目的の明確化(彗星が落ちる前に皆で避難する)→歓喜(かたわれ時の再会)→暗転→奮闘→大団円、と今どういう感情でいればいいのかということを物語が迷わせないつくりになっているし、『君の名は。』はそういった完成度を持った作品だった。
RADWIMPSの楽曲も、シーンの移り変わりや強調に使われて非常に効果的だった。
翻って今作である。
冒頭、ヒロインが天気の子になった経緯を説明されたかと思うと、家出してきた主人公が新宿歌舞伎町で世間の冷たさを味わうシーンに続いていく。いきなり説明→暗いシーンをカマされ気分は上がらない。
その後やや明るいシーンになるが、主人公やヒロインの生活環境がアレなので底部に流れるテンションは暗く、そしてそれがやがて表面化(その最たるはヒロインの消失)する。
その表面化も事前に予測がつくように設計されてるため、明るいシーンを見ていても「どうせ後で……」と落ち着かない。つまりずっと消耗させられっぱなしなのだ。これはキツい。
もうひとつキツいのは主人公が幼稚すぎて感情移入しづらいという点だ。
子どもが主人公がなんだからそらそうだろ、という話はあるのだが、“学校”がフィールドだった前作とは違って家出してきた少年のフィールドは“社会”になるためアテもなく家出してきたことやそれが故に困窮しても「帰りたくない」と言い張る姿はやはり幼く映る。
特にコイツやべーとなったのはヒロインが消えた理由を理解しない周りの大人にキレ散らかすところだ。普通こういう情報格差によって周囲が無理解な時、視聴者としては主人公側の心情に立つものだが今回は中々そうなれない。何故か。それは視聴者と主人公の側にも情報格差があったからである。
俺は基本的に主人公と視聴者の情報格差はない方がいいと考えている。視聴者が得ている情報によってこうすべきと思う行動を主人公が取らないと苛立つからだ。もし主人公と視聴者の情報格差を作るならフォローは必須だと思ってる。『天気の子』はそのいずれでもない。
ヒロインが消えると視聴者は早い段階で予測できる。そういう設計になっている。しかし主人公はそれを察しないし、決定的な情報が提示されたときも反応が鈍い。それなのに自分は周囲にキレ散らかすのだけは忘れない。ただのやべーやつである。
主人公がそんなだからヒロインと再会し、気持ちを確かめ合うように互いの名前を呼ぶシーンも冷めた目で見てしまった。『君の名は。』のかたわれ時やラストシーンのよっしゃ感とは雲泥である。
そろそろまとめに入ろう。最初に『天気の子』は劣化『君の名は。』と言ったが、『君の名は。』とは何でどう劣化しているというのか。
『君の名は。』とはひょんな出会いを果たした少年少女が超常現象によって引き裂かれ、残された側は相手ともう一度出会うために必死にもがいてそれを果たす“エンタメ作品”である(『言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』以前は“エンタメ作品”ではない)。よく見かける構造といえばそれまでだがいずれにしても『天気の子』はその形を踏襲している。しかし肉付きが圧倒的に劣る。
これまで挙げてきた要素はその筆頭格だし、その他にもふたりが再会するシーンのアイデアや演出にも歴然とした差がある(「かたわれ時だ」は非常に美しい)。「忘れないように名前書いとこうぜ」からの「好きだ」のようなぐっとくる演出(コメディ部分で手に名前や苦情を書いて伝えていた、という点とつながるのが良い)もないし、ラストシーンの拙劣さは『君の名は。』に比べると目を覆わんばかりだ。「天気って不思議だ。ただの空模様にここまで心を動かされてしまう」という主張も正直「だから?」という感じで刺さらなかったというのもある(けっきょく大事なのは天気ではなく大事な誰か、という結論だし)。
『君の名は。』がヒットしたから次もそれで、というのは理解できるし、これ以外でどうやれというのかとすら思う。ただ肉付きでここまで劣ってしまうなら違う構造の話にチャンレジして死んだほうがまだマシだったのではないか。
というわけで『天気の子』はがっかりするほどの駄作だった。クソミソにけなしておいてなんだけど俺は新海誠のファンなので悲しい。
『ほしのこえ』で新海を知り、『秒速5センチメートル』で「これは新海の集大成だ!」と吹き上がった過去を持つ俺でも『君の名は。』のPVを見たとき「あ、これは売れる」と素直に思った。実際その通りになったし(もちろんあそこまでの大ヒットになるなんて思いもしなかったが)、そんなクソウザい古参でも『君の名は。』が新海作品の中で一番面白いと胸を張って言える。
新海誠はいつまでも過去やどうにもならない何かに拘泥する男を描くだけのクリエイターじゃなくなっていた。それはとても喜ばしいことであり、同時に階段をいくつも上ったんだと確信した。『天気の子』のPVを見て嫌な予感はしたが、押し殺して封切り初日に映画館へ向かった。嫌な予感を信じるべきだった。だって『君の名は。』はPVからして面白そうだったんだから。
前作の半分、悪ければ1/3ぐらいの興収だろう。口コミも広がらず、けっこうなコケ方をすると思う。
新海誠は新海的なものとの決着を『秒速5センチメートル』でつけ新境地を切り開こうとした。しかしそうして出来上がったのはジブリの劣化コピーだった。『言の葉の庭』という中編で再起を果たし、『クロスロード』という小品で手応えを得た新海は金字塔を打ち立てた。しかし次に作ったのは前作の劣化コピーだった。
新海はこの先、どこに向かうんだろう。今作が劣化コピーだったという認識なくして前には進めないと思うが本人も周囲もそれをひた隠して次なる場所を目指すんだろうか。
今期はけもフレ2にケムリクサに荒野のコトブキ飛行隊にrevisionsにと、
トゥーン3DCGのアニメが多いけど、やっぱり観ていて不満があるよな。
もちろん昔に比べたら進歩したとは思うよ。
でも2Dの手描きアニメと比べてどうかって言ったら確実に違う。
結局「トゥーンだからこんなもん」っていう妥協を無意識にしてしまってる。
2Dアニメみたいな絵面を3DCGでやるための技術がトゥーンレンダリングだとしたら、
「手描きだったらいいのに」と感じてしまうことがある。
これだけ長いあいだ取り組んでこの程度しか出来ないんじゃもう無理だと思う。
3DCGアニメはディズニー的な方向に向かったほうがいいんじゃないか。
(「ホッタラケの島」のルックは個人的に好きだったな…本編は観てないけど)
追記。
反論としてゲームを挙げてる人がいるけど、いやほんとにゲームなら良いと思うんだよ。
ゲームの場合は自然とフォトリアルな3DCGと比べてんじゃないかな。
それがアニメだとどうしても手描きと比べてしまうから違和感がある。
2D手描きアニメの代替としての3DCGトゥーンレンダリングはダメだけど、
3DCGの一手法としてのトゥーンレンダリングはアリじゃない?って感じ。
追記2。
むしろ、トゥーンレンダリングが出てきたときから、俺はずっと期待してきたんだよ。
これを使いこなせば日本のアニメは過去の資産を活かしたまま進化できるぞ、
日本はフォトリアルな3Dよりもトゥーンレンダリングを突き詰めるべきだってな。
でも最近は、ここで進化が止まるのか、ここが限界なのか、って感じなんだよね。
CGの導入という点では、むしろ手描きアニメの作画のほうが遥かに進化してる気さえする。
そういう失望なんだよ。
ラスボスのお爺さんが「くっころせ・・」とか後ろで言ってるのにそっちのけで感動の再開してるのがすげえ。
ギャングラーって麻薬とかカジノとかそういうシマ無くて、野盗みたいなことしてただけだから、あんまボスになっても旨味無いんじゃね?マフィアっぽく他の組織もあるのかも分からんし
組とボスの顔使ってデカイ口叩いてたから見放しただけでしょ。ナリアみたいなお付き感も無いし、組長の情婦が銀座で豪遊してたら、いきなりカードとマンション取られて着のみ着のまま放り出された感じ
快盗なのに全然「快」がなくて何かにつけて曇ってたのがすげえ。
ルパンも3世もキッドもジョーカーもキャッツアイもジャンヌもセイントテールもやってない、「悪いことだと思いつつ仕方なく嫌嫌罪悪感持ちつつ快盗やる」で受けると思ったのがすげえ。
パワーアップアイテム入手回の終わりに曇らせて後味悪く終わらせる販促ぶん投げぶりがすげえ。
警察だから、怪盗だからで説明すんでるでしょで良いと思ってそうなあぐらのかきっぷりがすげえ。
合流しないだけでほぼほぼ馴れ合ってる一番中途半端な状態なのにVSを貫いたと言い切る人がすげえ。
ラスボスのお爺さんが「くっころせ・・」とか後ろで言ってるのにそっちのけで感動の再開してるのがすげえ。
「快盗という手段を選んだ時点で間違いだ」とか言いきられてる快盗に大事だ人らがなっちゃってる後味の悪さがすげえ。
町が廃墟になるほどドグラニオが暴れたのにそんなん1ミリも考えず一晩中カイリのケツ追いかけてた圭一郎がすげえ。
旧2号のスピンオフ見たら、この人直後に皮にされて殺されてんだなと単に胸糞悪くなるのがすげえ。
圭一郎の役者の人が子供に受けてないの自覚してる発言が夏あたりから見受けられるのがいたたまれない。
敵の薄っぺらさがすげえ。
後継者レースなのにまともに後継者になろうとしてたのデストラとトゲーノくらいなのがすげえ。
特になんもやらかしてないゴーシュのコレクションを取り上げてむざむざ死なせた痴呆老人がラスボスなのがすげえ。
ゴーシュがただのジュウオウジャーのナリアの劣化コピーにすぎないのがすげえ。
Twitterのトレンド入りに特に価値がないと知らしめたのがすげえ。
それでも正体バレ回までは好きだったよこの番組。
'圭一郎の役者の人が子供に受けてないの自覚してる発言が夏あたりから見受けられるのがいたたまれない。' ここだけスッと素に戻ってるのが切ない
24で相当意気込んで臨んだのに食いついたのが大きなお友達ばっかで子供人気微妙で強化キャンセルって泣けるだろ
観てないけど最後まで読む限り途中まで好きだった人が反転して可愛さ余って憎さ百倍な貶し芸してるのはわかる(書き方からして完全に嫌いになり切れてはいないようだが)
嫌いじゃないよ。素晴らしい脚本とか小林靖子に並んだとか言われると何言ってんだと思うだけで。
キュウレンジャーの毛利といいメインじゃなくてサブ向きなんじゃないのかな。
まとめ方が本当に下手だと思う。オチがダメじゃなくてそこに持っていく終盤の話作りが下手。ジュウオウもアザルドの裏で大和と親父の確執やったりいきなり世界が融合したり話の構成が変だった。
あと特撮で敵の描写が薄いのってわりと致命的だと思う。小林靖子との決定的な差はそこ。
正直例年大差ないしプロットをどうこうは言わないけど、警察側の最強ロボと強化フォームを快盗側が(大人の事情で)文字通り盗んだのはちょっと許せないね
あの辺とか最後の逮捕するつもりのくせに長々回想したりウユニ塩湖みたいなとこで愁嘆場やるの本当にどうかと思った。
1.快盗警察どっちにもなれると言いながらルパン側の人というちぐはぐさ
2.両戦隊仲良くさせたいのに、VSから逃げない方針のせいでふわふわした状態にならざるをえない設定の犠牲者
3.上記のおかげで正体ばれ後の回に2号に詰められたとこが顕著なように悪意のない畜生になっちゃってる
4.正体がイミフというか、異世界人の子孫を人間じゃないって言い方すんのはそれこそポリコレ的にどうなの
この番組のロボがコア1体のみで両戦隊がロボで共闘もバトルもできないとか、パトと違ってルパンは1ミスでゲームオーバーだからルパン負けさせられぬとか基本設定が練れてないとこの象徴みたいなやつだと思うよ。
人気については言わずもがなの玩具売り上げとか、子供人気キャラクター調査の結果とか(今年は去年と比べて全年齢層で圏外になった)。
(4)
転叫院さんの批判に対する宇野さんのレスポンスはなされませんでした。この時、宇野さんは何をしていたか?
406 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/09/10(日) 00:11:01 ID:1CS5n8Ba
本業が多少忙しいんだろ
(コーナーの量からしてとてもそんな忙しそうには思えないが)
ライター業の仕事が増え始めて忙しかったみたいです。ウェブで読める「宇野常寛」の仕事はこんな感じ。
ところで転叫院さんがメンバーを抜けてこんな余波が。
429 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/09/13(水) 22:09:03 ID:knDGDuU2
あとがきのところで「新訂惑星開発大辞典」を作ることを言明してるな
立ち上げ当初から惑星開発大辞典を全面改稿すると宣言していたのですが、今もそれはなされていません。メンバーズリストによると転叫院さんが新訂大辞典を担当するとなっており、おそらくは転叫院さんの脱退によってお蔵入りになったのでしょう。
ライターとしての宇野さんの仕事が確認できるようになると、某掲示板のスレッドではこんなことが書かれます。
82 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/11/26(日) 20:55:33 ID:o7u55b6O
つまらないんだよな。
サイゾーの大月Pへのインタビューも、惑星では作品を(エヴァで
なくてナデシコだが)腐したくせに当たり障りの無い阿るような内
容だったな。
まあ、現実社会では無力な宇野が惑星開発委員会のノリで行こうと
思ったら、とたんに干されてしまうだけだろうけど、大月Pのような
95 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/11/28(火) 10:35:42 ID:xVa/bnZz
「昭和歌謡の復権をもくろむ22歳!イケメン俳優・半田健人の素顔」
「「宇宙的に正しい」世界のためにSUGIZOが届ける愛のメッセージ!」
それに対する某掲示板の反応。
170 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/20(水) 03:36:22 ID:KuoUp39d
171 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/20(水) 12:19:09 ID:MWlXtQcI
172 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/21(木) 04:56:38 ID:TCkkxLa4
ライターって大変なんだなあ
年を開けてから2006年を総括した惑星開発大賞を発表しますが、更新も減りこんな風に書かれます。
45 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2007/03/21(水) 19:04:07 ID:pBOezhAt
昨年からの惑星開発委員会の失速は、客が望んでいない木更津キャッツアイ
3月の更新は「大学生よ、サークル貴族を目指せ!」のみ。サークルクラッシュ人間学なる文章も載せていきますが更新が縮小した感は否めず……。「プライベートが忙しい」とは何なのか? それが明かされるのが2007年5月になります。
「PLANETS」第三号の告知し、そしてついに5月25日発売のSFマガジンで連載「ゼロ年代の想像力」が始まります。この連載によって初めて商業誌での「宇野常寛」の文章に「善良な市民」の名前で展開していたオタク煽り、現状批判などの主張が盛り込まれていきます。この連載は初回から東浩紀批判が繰り広げられており、さっそく東浩紀さんも自身のブログで反応しています。
宇野さんはこの原稿のなかで「東浩紀の劣化コピー」という言葉を使っているのですが、最近の僕はまさに、彼がそう呼んでいるであろうひとたちの言動にウンザリして、批評家としてのエネルギーを失いつつありました。宇野さんの原稿は、そんな僕に久しぶりにやる気を与えてくれました。こういうエントリを書くと、また変な業界読みをするひとがいるかもしれませんが、もはやそんなのもどうでもいい。単純に嬉しいので、ここに記しておきます。
あとは連載を楽しみにしています。
元祖ティラミスヒーロー、現ティラミススター今回の騒動で初めて知ったけど、SNSやその他の対応見てると何かめっちゃ健気で応援したくなるな…(´・ω・`)
▼公式サイトがこれね
https://thetiramisustar.stores.jp
日本の実店舗はまだ無くて、これから作ろうとしてるとこだったみたい。
イベントに出展もちょこちょこしてたみたいだけど、基本的には通販のみ(´・ω・`)
12月30日にサイトリニューアル、ECサイトオープンしたばっかり。やるせない(´・ω・`)
シンガポールで商標とってても、日本国内で商標取ってなきゃ他人に取られちゃうんだね…。
元祖の方は手書きタッチのイラストと、クラフト紙のパッケージがマッチしていて誰かにプレゼントしたくなる小洒落感なんだけど、
パクリの方は中途半端なヒーロー感(原色のキャラ、スピード感のあるロゴ)+本家の手書き感を無理やり踏襲していてミスマッチ感半端ない。正直センスがクソ。デザインコンセプトもクソも無い。
キャラの後ろに敷かれている無意味な模様にも腹がたつし、何より白いステッカーが安っぽさを際立たせてる。
絶対こんなん本家の方が100万倍インスタ映えじゃん〜〜!(´・ω・`)
ビジネスの世界じゃ早いもん勝ちで先に商標取った方が偉いのかもしんないけど、こんなの劣化コピーじゃん……。
なんか自分ごとのようにつらくなってきた…。
うわーんどうかパクリの方売れませんように、って思うけどターゲット層の人にまでこの情報届かないのかなあ。パクリでも買うのかなあ。