はてなキーワード: 中二病とは
中二病と言われるかもしれないが正直感情が無い。ある出来事が起きてから何もかもどうでもよくなった。
ある者とは西友で出会った。98円のラスト一個だった。チーズチキンカツ。それが奴の名前だ。
夕食に食べようとお買いあげた。実はまだ仕事が残っていたのでお皿とかそんな物に乗せないでスナック感覚で食べようと惣菜用の袋に入れた。それが良くなかった。
レンジでチンし熱々になったので端っこを持って自分の席まで戻ろうとした。夜食に揚げ物で摂取カロリーへの挑戦。胃への負担と反比例するかのように脳内に広がるエンドルフィン。自分へのささやかな報酬。たまにはいいさ、今日は土曜日なんだし。
しかしその夢は叶わなかった。
給湯室、女子トイレ、順調に進路を進めるも男子トイレの前を通過して3歩、熱で弱った袋が破け、チーズチキンカツは手から零れ落ち落下した。地面に飛び散った衣が激しく模様を描いていた。救出を試みるも場所が悪かった。トイレ付近で敵は雑菌、その数およそ…。
非難されても仕方がない。チキンと、惣菜部の揚げ物担当の人に大変失礼な事をした。食への冒涜。この件に関して私は加害者なのである。
「花譜」という名前で活動する15歳のアーティストがいるらしい。
現代らしくヴァーチャルな肉体に身を包み、可愛らしく繊細な声で様々な曲を披露しており、
Twitterのフォロワーは6万人以上、自身のYouTubeチャンネル登録者数は現時点で18万を超えている。
私はこの「花譜」というアーティストの存在に全く詳しくないので、詳しい紹介やこの曲が作られた経緯とかその他諸々は割愛する。
んで、その女の子がワンマンライブで披露したこの「不可解」という曲。
https://www.youtube.com/watch?v=NDOJZSG9SPU
この「不可解」を作詞した人は「カンザキイオリ」という"ボカロP"だそうだ。
有名どころでいえば「命に嫌われている。 」だろうか。
以下、歌詞
そういうことをこれから考えなくちゃいけないんだ。
そうでしょう?だって学校なんかじゃ責任感とか、団体行動だとか、
ありもしない、意味もない将来のためとか言って教えてくるじゃん?
そう思えばなんだか人間全てが汚く思えてくるな。
「寂しい」とか、「愛しい」とか、
そんな言葉では表せない。
不可解な未観測情景。
名前のない花のような、
悠に咲き乱れるこの号哭が、
やりたいことすらできなくて、
身動きすら取れない、寂れた心臓に咲いた。
言葉じゃ表せない。
「人間の正しさってやつを今勉強してるわけですが、セオリー通りに生きて、
教えられた通りにやることが、そりゃ正しいと思うよ。
でもさ、きっとそれだけじゃないでしょう?」
激動とも言い難い、どうにも表せない歪な感情。
「死にたい」とか、「生きたい」とか、
そんな痛みでは嫌われる。
でも不可解な未完の声明、
それだけが頼りだろう。
ずっと未知なる現実に無力で、
生きることも難しくって、
身動きすら取れない、疲れた肺がかなった。
画面に花が咲いて、
このまま清く正しく、
誠実な人になることが、
それだって正解の一つだ。
でもそれで満足できないのは皆わかってるはずなんだ。
だってそうでしょう?
満足してたらこんなところで歌なんて歌わない。
こんなに苦しくならない。
こんなところで踊らない。
こんな気持ちで叫んでない。
こんなに美しくなれない。
こんなに楽しくなってない。
踏み潰された涙が固まってできた、
不可解な未観測情景。
名前のない花のような。
悠に咲き乱れるこの号哭が、
やりたいことすらできなくって、
身動きすら取れない、寂れた心臓に咲いた。
言葉じゃ表せない、
不可解で不完全な魔法。
そういうことじゃないでしょう?
心が打ちひしがれたあの不確かな情景を綺麗だと思うのは
きっとそれこそが人間の証だ。
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kafu/fukakai/
「お金・ビジネス・効率についてだけ考えること」「セオリー通りに生きる事」が「人間の正しさ」「あるべき人間の姿」であると定義付けたうえで、
「清く正しく誠実」な人生を送っているだけでは満足出来ない。
しかし自分一人では突きつけられる現実や社会の波に抗えないから、不安定で不可解なネガティブ感情に苛まれている。だから歌うんだ。 みたいな内容。
その不可解なネガティブ感情や、打ちひしがれた時に見る心の情景こそ美しく感じ、その感情こそが人間の証だ、という締めくくり方をしている。
つまりは「打ちひしがれ、絶望する中にひっそりと芽生えた反骨精神」がまさしく「人間のもつべき感情」だ、という中々アツい内容だ。
こんなに中二病でアツアツな歌詞をロリロリな声で歌っており、少女の必死感が出ててバリバリ味が出ている。是非聞いてみてほしい。
石鹸枠とは、主にニコニコ生放送で使用される類似の特徴を持ったアニメの作品群の呼称である。
『星刻の竜騎士』(せいこくのドラグナー)のOP「聖剣なんていらない」において流れる空耳弾幕
「石鹸なんてなくたっていい」(本来の歌詞は石鹸ではなく聖剣)
に由来しており、基本的にこの弾幕の見られるMF文庫Jアニメ化作品など(※後述)のニコニコ生放送公式配信枠を指す。転じて石鹸枠作品(いわゆる「石鹸」)そのものを大まかに指すこともあり、しばしばニコ生配信されていない作品についてもそう比喩されることもある。
なお、上記の弾幕に対して「石鹸は必要」「石鹸は大事だろ!」といった身体を清潔に保つことの大切さを説く人も一定数存在している。
他にも「ぜったぜったぜったぜった」(絶対絶対絶対絶対)などの弾幕も引き継がれており、『星刻の竜騎士』の次クールに同時刻帯(ニコ生木曜24時30分)で放送された『精霊使いの剣舞』(せいれいつかいのブレイドダンス)の時点でアリーナでは何故か本家よりも弾幕が濃くなっていた。(この頃から石鹸枠という言葉が使われ始める)
『精霊使いの剣舞』からはOP「共鳴のTrue Force」において最後に流れる空耳弾幕「グルーポン!」(True Force)が引き継がれており、ヒロインであるクレア・ルージュが事あるごとに使う「ひゃん!」という言葉もしばしば見られる。
この枠のおおよその基準を作ったのは『星刻の竜騎士』と『精霊使いの剣舞』であり、大抵はこれらと共通する要素や近しい設定が多いほど石鹸力が高いとされている。
しかし、最終的には各々の裁量次第なのでこれらの作品を見たことがない人はまず1話を視聴し、自分の中の石鹸枠を確立して欲しい。
要はある種のネタなのだが、あらゆるネタに言える事だがそういった呼び方を嫌がる人もいるため、乱用するのは控えるべきである。
ファンタジー要素を含んだ異世界または平行世界での、魔法等の異能を駆使する超常バトル路線
中二病要素が強く、作品名や能力名等には表記と異なる(主に英語の)ルビが振られる。二つ名も同様
設定が複雑で特殊な用語が多いが、気にしなければ物語自体は原作未読者にも明快な王道的展開
主人公たちの通う全寮制の学園(大抵は人外な能力を持つ異能者の養成機関)が物語の主な舞台
主人公がヒロインや他の者と違うイレギュラーな能力で勝ち上がっていくサクセスストーリー
正義という点で主人公は最初からほぼ完全で、誤った倫理を持つ者を 説教 諌めたり成敗したり
ハーレム系ラブコメ要素があり、主人公が敵味方血縁人外問わずモテたり嫉妬されたり
ラッキースケベなどのエロコメテンプレイベント(「メインヒロインが初登場時に裸」はほぼ定石)
MF文庫Jレーベル原作のアニメ化作品(他レーベル作品の台頭により弱まりつつはあるが、王座は健在)
Fateシリーズ1作目のstay nightに対する「美少女ゲームゲームとは思えないほどシリアスで重厚な作品」という評価にもやもやして、その後のブームとファンの熱狂ぶりにイマイチついていけなかった増田です。
FGOに関するファンの反応も(増田のフォローしてる範囲が狭いとはいえ)どすけべ衣装を中心に女性サバに関するものばかりで、
ネタバレを避けてるからしょうがないとはいえ素晴らしいと評されるシナリオに関する感想が全然なく、
しかし、最近はてブで挙がってた「Fateは中二病作品なのだからー」という作品分類を見て「なるほど、厨二系作品の中では最高峰なのか、それなら納得できる」と思った。
シナリオ重視の作品で熱狂的なブームが生まれたので、増田の中で勝手にハードルが上がりまくってしまったために、そんなにすごい作品か?と思い続けてきたが、もやもやが解消されてよかった
初めてアニメイトに入ったのは小学六年生頃だったと思う。見事中二病を発症した私は、そこから思春期を終える高校卒業まで、見事に「自分は特別」だと心の深いところで信じていた。とても強く信じていた。
封神演義からオタクに目覚めた私は、テニス、マンキン、Dグレ、笛!、ミスフル…と、WJ系のキャラクターに恋する夢女となり、書き手になった。
作品内に出てくるキャラクターの髪型を真似たり、「私は〇〇と付き合ってる」と言い始めたりと、暗黒の中二病時代を送っていた。部屋の片づけをして当時のノートなどが出てくると目も当てられないような落書きや、謎のポエムが書かれていて、居た堪れない。
中学二年生の頃に夢サイトを持ち、同盟やリングのリンクを貼ったり、ランキングサイトに登録して集客数を伸ばしたり、コンテンツとして夢小説だけでなく、キャラレス掲示板を用意してマメに返信をしたり、キャラレスのメルマガを配信して何通か夢女達に夢を見させたりと、自分で妄想をしながら、更に他のオタク女の夢脳を拗らせさせるという、欲の渦の真ん中近くにいた。
高校生に上がる頃には、今でいうところの特定の「推し」を作り、その推しと自分のロングロングラブストーリーを頭の中で練って「いつかサイトに掲載するぞ」と考えていた。
当時の私は、何の疑いもなく「自分は特別だ」と思い込んでいた。
流石に魔法とか魔術とか、そういうものは中学生のうちに卒業したけれど、高校に上がって尚、私は自分を特別な存在だと信じ込んでいた。それが、作風にも出ていたし、好んで読んでいた夢サイトの連載もそういう体で書かれていた。
『特別』な私は、学校でも人気の仁王雅治君と『たまたま』隣の席となり、そのおかげで『話しかけられる』ようになって、『距離が縮まって』いく。彼は話しているうちにだんだんと『私は他の女子と違う』と思い始めて『興味を持つ』けれど、私の気持ちは他の人に向いていると思い込む。『二人きりの帰り道』に、仁王君はたまらず「俺は自分を騙すのも上手いぜよ」と言って私を困らせ、言及すれば「ピョ」と言ってはぐらかしてしまう。<< 大体こんなストーリーだったと思う。あんまり詳しくは覚えていないのだけれど、このまま何やかやあって大団円に向かっていく。大人になれば『』内のことは概ね起こらない事だと分かる。そもそも自分がそういう意味で意中の相手から持て囃されるような存在でないことは、流石に25を過ぎる頃に完全に腹落ちしていた。<
結局私は30を過ぎた今も「特別」な存在ではない。中二病を爆発させていた高校生の頃「平凡な日常なんていらない」なんて宣っていた私は今、平凡な日常をこよなく愛している。
私は結局、何者にもなれなかった。
私の書いた小説の中で言えば、名前も出て来ず、一言喋るクラスメイトAくらいの役割で、今日常を送っている。
そんな私が「特別な存在じゃなくてもいいかな」と、今の自分を認められたのは、趣味があったから。そして、それを通じて知り合った同じコンテンツに熱と愛と金を注ぐ友人を何人も得たから。
趣味の中で、私は作り手の立場でいる事が多い。小説は夢からNLやBL,オリジナルと内容の幅が広がり、コスプレは(上がってしまったけれど)衣装や小物作り、被写体になったり、カメラマンになったりもした。友達と何時間も撮影場所の選定や、撮りたいイメージを語り合い、ラフを描き、カメラマンさんにインプットして撮って頂いた。アクセサリー作りをしてイベントで頒布するようになった。編み物をしてイベントで頒布するようになった。同人小説本をネットだけでなく、紙にして、イベントで頒布するようになった。
途中まで、他人からの評価が気になっていた。ちゃんと私は、私の作品は、「正しく」評価されるのだろうか。皆、これを見て私を好いてくれるのだろうか。そんな事ばかりを考えていた。
けれど、作品の傾向などから、自分の好みが万人受けするものではないと気付いた。
そこで私は、他の誰でもない、自分の為に書く事が増えていった。正直、いいねなどの評価はそう多い方ではない。
何なら「なんでこのCPなのに不幸にするんですか?」「顔カプやめてください」なんて批判をいただくこともある。
だけど、確実に心のこもった、手の込んだ感想を頂くようになった。数は本当に本当に少ない。片手で足りる。それでも、どうしようもなく満たされていく。
私は、誰からも特別扱いされるような美貌を持つ訳でも、センスを持っている訳でも、才能がある訳でもない。どこにでもいる、ありふれたアラサーのオタク女だ。
結婚は一度した。仕事もある。そして、趣味もある。 皆の特別にはなれなかったけれど、その時々の恋人にとって、その時は「特別」で、家族にとっても私は「特別」。職場でも私の能力は尊重される。
どれも、「何者かになりたかった私」の望む特別とは少し違う。それは持続性だったり、熱量だったり、関係性だったり。だけど、そういう小さな「特別」を膚で感じて、積み重ねていくと、なりたかった「特別」とは違う、もっとレイヤーの多い、沢山の色を持った自分が見える気がする。
これが、何者にもなれなかった私の生存戦略。
「自分の一番のファンは自分!のスタイルで創作するといいよ!」って話はよく聞くしそれで成功した人って多いと思うけど、そのスタイルやって自信持って発表できて続けられる人って伴う結果がある人だけだよなあと思う。それでやっても自信を持てる人の言葉じゃんとしか思えない。そもそも自己肯定感がマイナスのやつにできっこなかったのだ。
自分にすら肯定感ないやつが自分の作品に肯定感持てるかって言ったら絶対NOじゃん。自己肯定感ないからやっぱ作品作り向かね〜〜んだわ。自己肯定感の付け方ってなんだ。教えてくれ。
自分のファンは自分なわけないだろ、自分が自分の一番のアンチだよ。
結局生まれ持った才能もなければ、自己肯定感もないし努力もできない。詰みじゃん。終わり。終了!閉廷!
誰かに見て見て!ってしなくても見てくれる人の言う言葉は違えなあ!!!!!!ただの私怨だよ、こんな嫉妬してる自分すら嫌いだよ、くそ。
ネガティブキャンペーンして死ぬか〜〜!!!!、!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ところでひとりごとって独り言って書くとちょっと中二病くさくて嫌だけど、一人言って書き方はなんか変な感じするし、どの書き方が正解なんだと思う?
急に気になったので戯言シリーズを10年振りくらいに本棚から引っ張り出してきた。
近年の関連作は全然追えてないし、うろ覚えで本名当てに関連ありそうな部分を拾い読みしただけだから、半可通の与太話だとは先に明言しておくよ。
それでも構わない人だけ付き合ってくれ。
結論から言うと、戯言遣いこといーちゃんの本名はこんな名前じゃないかと思ってる。
「一青」
ローマ字表記にすると「Yi Qing」、カタカナ読みで「イー・チャン」。
ネットで調べたプロフィールによるといーちゃんは神戸出身とのこと。
神戸には中華街があるから、在日中国人もたくさん住んでいるんじゃないかな。
国籍について触れた情報はざっと探した限りでは見当たらなかった。
つまりいーちゃんが中国人だという証拠も、ましてや日本人だという証拠もぼくの目では見つけられなかったということになるけど、ぼく自身はこの名前を推したいので少々強引ではあるものの字面のイメージ通りに中国人だと仮定して進めさせてもらおう。
(一応言っておくとぼくの手元にあるのは講談社ノベルス版なので、頁数もその前提で受け取ってほしい)
「プログラム課程は十年で構成されている。ぼくはその六年目、今年の一月に中退した。
それで日本に戻ってきて玖渚と再会し、」
打つの面倒になったので以下省略。
「日本に戻ってきた」ということは「日本で暮らしていたが外国(この場合はERプログラムで留学したアメリカ)に渡り、辞めた後で日本に戻ってきた」ということになる。
だからぼくもいーちゃんは当然日本人だとばかり思っていたんだけど、日本生まれ日本育ちの在日中国人もこういう表現をする可能性はあるよね。物心ついた時からずっと暮らしている土地は、国籍の有無に関わらず心の母国といって差し支えないだろう。
しかし14歳にしてアメリカ留学なんてできちゃう行動力のある少年だから中国に一度も足を踏み入れたことがない、縁もゆかりもないっていうのも少し考えにくいことではある。
でも彼曰くERプログラムで挫折して日本に戻ってきたってことなんだろう?
旅行程度にしか行ったことのない母国と国籍はなくとも住み慣れた心の故郷。
傷心の状態で「戻る」先に後者の日本を選ぶというのは、そこまで不自然な選択でも表現でもないんじゃないかな?
というわけでまたもや強引だけれど「いーちゃんは日本生まれ日本育ちの在日中国人」という前提で話を進めることにする。
いーちゃんの本名考察といったら外せない最重要事項、クビツリハイスクールにおける萩原子荻ちゃんとの「名前当てクイズ」だ。
情報の整理がてら、改めて子荻ちゃんがいーちゃんから情報を引き出した三つの質問を書き出してみよう。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
それに対する回答についても順番に整理していこう。いちいち引用するのもいいかげん面倒なので、可能な人は原作の該当シーンを参照しながら読んでもらえると話が早いと思う。
まず一つ目。
いーちゃんが挙げる「現在誰かに呼ばれることがある呼称」の中に肝心の《いーちゃん》が入ってない。
《いーちゃん》って呼ぶのはこの時点では玖渚一人だから(井伊遥奈と想影真心はいーちゃん視点では死んだことになってる)、「玖渚友の情報を漏らさない」っていう玖渚直の言いつけを頑なに守ってるのかと思ってた。
……と思ってたんだけどこの情報ソースどこだっけ……見つからないぞ……どっかの考察サイトでも見かけた気がするし、ぼくより熱心なファンが言ってるならたぶん原作でもちゃんと明言されてることだと思うんだけど……とはいえ間違っていた時に責任転嫁するのもカッコ悪いし、あとでゆっくり確認することにするか。
ともかく《いーちゃん》があだ名として挙げられなかった理由はもうひとつ考えられる。
それがあだ名でなく本名だから。答えを途中で言ってしまってはクイズにならない。
二つ目のローマ字は一旦後回しにして、先に三つ目、数字の置き換え総和についての話から切り込んでいきたい。
「イー・チャン」の名を《あ》を《1》、《い》を《2》……の法則で置き換えると「2+2or0+17+36+46」ということになる。
「2or0」ってのは伸ばし棒がどういう扱いになるか不明だからそうしておいた。
「イイ」として「2+2」になるかもしれないし「イー」として「2+0」になるかもしれない。
クイズとしては最初に厳密にルールを定めておくのが望ましいんだろうけど、何せ即興・口頭で行われたものだし。
それにこの問いはいーちゃんから情報を引き出すために子荻ちゃんが仕掛けたもの。
「伸ばし棒の扱いはどうするの?」なんていーちゃんから確認したら「答えには伸ばし棒が含まれています」って自白するようなものだよね。
もしかしたら稀代の策師・子荻ちゃんは伸ばし棒や濁音半濁音といったイレギュラーに対する反応を見るためにあえて曖昧な問いにしたのかもしれないんだし。
さておまちかね、「2+2or0+17+36+46」の総和はというと……
……にはまだちょっと早い。
ぼくはどうしても「イー・チャン」の名をゴリ押ししたくてたまらないので、もうちょっと悪足掻きしてみることにする。
作中世界には二つ名とか偽名とか色々あるけど名前を複数持ってる人物も珍しくないので、いーちゃんにも本名以外の名前がある可能性を考えてみよう。
19歳まで自分の本名を一度しか他人に教えたことのない人生なんて、本名を偽っているか誰も知りたがらないぼっちかくらいしか考えられないもんな。
とはいえいーちゃんの出自は不明。どんな理由でどんな名前の使い分け方をするかなんて全く見当がつかない。
きみはジャッキー・チェンとかブルース・リーとか「中国人なのになんでそんな名前なの?ジャッキーやブルースって漢字でどう書くの?」って思ったことない?
ウィキペディアによるとジャッキー・チェンの本名は成龍と書いてセイ・ロン。
「ジャッキーもブルースもどこから来たんだよ!西洋かぶれしてねーで自国の文化に誇りを持てよ!」って思うだろ?ところが意外や意外、これには実用的な理由があるそうだ。
聞いた話によると中国人の名前は欧米人には発音しづらいんだと。
名前っていうのは個人識別における最重要記号。だから欧米で生活する中国人は現地住民が発音しやすい響きの英名ニックネームを付けるんだって。お互いに円滑なコミュニケーションができるように、郷に入っては郷に合わせてるというわけらしい。
となると、「イー・チャン」……どこからどう見てもバリバリに中国人の響きの名を持つ少年も、アメリカ留学に際して英名ニックネームを付ける可能性はあるだろう。
ブルース・リーに習うと「ほにゃらら・イー」って風になるかな。
ちなみに英名の名付けには特に決まりとかあるわけじゃなくて、各々好きなニックネームを自称してるみたい。
当時14歳の少年、自分の名前を好きに決めていいとしたら、どんな名前にするだろうか。
どんなことを考えて名前を決めるだろうか。いーちゃんのつもりになって考えてみよう。
(とはいえぼくはいーちゃんではないので、あくまで自分目線での想像しかできないわけだが)
親の仕事の都合とかでなく14歳の若さで留学目的で渡米するなんて、きっと才気溢れる少年だったんだろうね。6年後に道半ばで挫折するなんて知るよしもない彼は、これから始まる新生活に胸を膨らませてワクワクしていたに違いない。
新しい学校はどんなところかな。向こうでは友達たくさんできるかな。
アメリカの女の子は積極的だっていうから、彼女だってできちゃうかも!?
恥ずかしい話ではあるが、この文章を書いているぼく自身は中学時代「モテたい」が一番強いモチベーションだった。
もちろん口に出したりはしないよ。でも何をするにも常に女子の目を意識していた。
「これができるようになったらモテるかもしれない」「意中のあの子も振り向くかもしれない」なんて浅はかな動機でなんにだって挑戦できた。実際はそんなこと全然ないんだけど。
いーちゃんとは違って留学のチャンスにこそ恵まれはしなかったけど、声がかかることがあれば絶対行ってた。
だって日本の女子は内気だから彼女作りたいならぼくから声かけなきゃいけないけど、アメリカの女子は積極的だから向こうから来てくれるかもしれないじゃん。
愛されるより愛したい、なんてクサい台詞を言えるのは愛されたことがある奴だけだ。
なんでもいいから彼女が欲しい。贅沢を言っていいならできれば向こうから言い寄られたい。
ぼくは何もしてないのに好かれて困っちゃうなーって気分を一度でいいから味わいたい!!
多分に私情が入っているのは承知の上だが、いーちゃんも同じように考えていたと仮定して話を進めよう。
だってこんなこと考えてたのが自分ひとりだけだったなんて、与太話にしても悲しすぎるじゃん。
というわけで「ほにゃらら・イー」のほにゃらら部分は女子受けを狙って考えることになりました。イエー。
初対面の印象は大事だ。自己紹介の時点から話が弾む相手とはその後も良い関係を築ける可能性が高い。
となるとこんな会話を狙っていくのがいいかもしれない。
「あなたの名前、聞いたことのない響きだけど、どんな意味なの?」
となるとジャッキーとかブルースみたいな、石を投げれば当たるようなアメリカにありふれた名前では駄目だ。確実にその会話に持ち込むためには、いっそ通常は人名に使われない単語も視野に入れていくべきかもしれない。
考え方が中二病めいてきたけど仕方ないよね。本当に14歳なんだもん。
というわけで電卓を叩き続けて編み出した条件に合致するそれっぽい名前、ぼくの考えた最強の女子受けネーミングを発表します。
「イチズ・イー・チャン」です!イチズは一途の意です!
モテ求めて名前考えるような奴がどのツラ下げて一途なんて名乗ってんだ、どんだけ恥知らずなんだ、と思わないこともないけど異国の人はいーちゃんのそれまでの人生なんて知らないわけだから。生まれつき一途です、名前の通りの人間ですって顔してれば嘘もバレないわけ。
「イチズ・イーです」「変わった名前ね、どんな意味なの?」「ぼくの故郷の言葉で、一度夢中になったら脇目も振らずそれしか見ないっていう意味です」……いい会話じゃない?一途な男子、女子はみんな大好きでしょ。
異国の特殊教育機関への参加が認められるくらい実績と才能のある、見た目も悪くない少年(これはぼくじゃなくていーちゃんの話ね。念のため)がじっと自分の目を見てそんなこと言うわけ。どんな女子もイチコロでしょ。
そんで特にいい感じになった女の子にだけ「ぼくの本当の名前はイー・チャンっていうんだ。君にだけ教えてあげる」っていくとすると、内気で一途なキャラの演出としては悪くないと思わない?
だから「他人に本名を教えたことが一度しかない」んじゃないかな。
それまでの少年時代は本当に誰も名前を聞いてくれないぼっちだったのかもしれないけど過去の話はどうでもいい。未来を見よう。
ともかく「アイアム・イチズ・イー」はアメリカ在住時代にあちこちで言っていたけど、「イー・チャン」という本名まで打ち明けたのは本当に仲良くなった女の子だけ。
その相手は玖渚友や想影真心だったかもしれないし、もしかしたら実妹の井伊遥奈だったかもしれない。
ウィキペディアによるといーちゃんは長いこと彼女が実の妹だって知らなかったみたいだし、その頃に教えたとしたら本人の認識は「他人に教えた」で間違いはないよな。少なくとも嘘とは言えない。
閑話休題。
「イチズ・イー・チャン」の総和は「2+17+13+2+2or0+17+36+46=133or135」と出ました!
そういえばさ、いーちゃんはこの問いへの答えを言う直前に「詰まされた」って考えてるんだよね。
でも、この三つの質問と回答から唯一無二の答えを導き出せるような内容ではとてもないんだよ。
それはこれまで熱心に考察を重ねてきたファンほどよく分かっているだろう。
けれど確実に答えを知っているはずのいーちゃんは「詰まされた」……逃げ場はないって敗北を認めた。
ぼくだったらこの状況、だいぶ焦るね。
たった三問ぽっちで当てられるとは思わないから余裕ぶっこいてたけど、相手の女の子は自分の想像を遥かに越える頭脳で答えにたどり着いた。
負けを認めるのは構わない、けれど子荻ちゃんに自分の名前を呼ばせるわけには絶対にいかない。
なぜかって?なぜだか知らないけど、《ぼく》の本名を呼んだ女の子は、みんな死ぬか死んだにも等しい状態になってしまうんだ。
後に想影真心が生きて登場したことにより覆された法則ではあるが、この時点のいーちゃんは本心からそう思い込んでいる可能性がある。
髪が綺麗で胸の大きい女子、敵とはいっても死なすのはあまりにも惜しいでしょ。少なくともぼくはそう思う。
だから絶対に真実にたどり着けないように、答えをごまかしたんじゃないかなあ?
「ルールが曖昧だったので133とも135とも言える。じゃあ間をとって134でも間違いじゃないだろ」
……とでも理論武装してさ。
でもまぁ、そんな悪足掻きすらも子荻ちゃんには読まれていたかもしれないね。顔に出てたのかも。
一人称小説って、視点人物が気付いてないことはどうあがいても地の文には書けないもんだからなあ。
まあでもやむを得ない事情があるとはいえ、答えを平気でごまかすような奴とするクイズなんて楽しめるわけないよね。批難轟轟に決まってる。
もしかして都合が悪いこと(たとえば他人に簡単には明かしたくない本名とか)問い詰められるたびにこうやってクイズ形式にして煙に巻こうとしてたんじゃないの?そんなだからいーちゃんはクイズ嫌いになるんだよ。出題者も回答者も勝敗に関わらず答えを聞いて楽しめるようじゃなきゃ、お互いに楽しい時間は過ごせないでしょ。
(クイズ嫌いっていうのはクビツリハイスクール127頁上段の地の文からそう解釈したよ)
あまりにもいーちゃんが誤魔化してる前提で話を進めすぎてるとは思うけど普段の行いが悪いから仕方ない。
「ぼくは詐欺師だって自分から申告したし子荻ちゃんもぼくをそう呼んだ。
詐欺師だと分かっている人間の言動を真に受ける方が悪い」……なんて口八丁で言い逃れようとするのかも。
おっと、忘れるところだった。二つ目の質問についての検証がまだだったね。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」だったか。
「イチズ・イー・チャン」のローマ字表記というと「Ichizu Yi Qing」もしくは「Itizu Yi Qing」ってところかな。
「Yi」「Qing」は「一」「青」の中国語での発音をローマ字で表現したもの。いわゆるピンインってやつ。
指定は「ローマ字表記」だからね。「ヘボン式」とか言われたわけじゃあないもんね。じゃあ当然答えとしてはありうるよね。
一途は日本語から取ってるのでとりあえず日本語のローマ字表記で。
この表記だと母音が5、子音が7。もしくは母音が5、子音が6ということになる。
対していーちゃんの答えは「母音が八、子音が七」……足りない。少なくとも三文字は確実に足りてない。
だって軽い気持ちで書き始めたのにもう六千文字越えちゃってるんだぞ!?今更後に引けるわけないだろ!!
ぼくの個人的な経験からくる妄想なんかも増えてくと思うけど、まあ最初から与太話って言ってあるから問題ないでしょ。うん。きっと大丈夫。