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はてなキーワード: 中二病とは

2019-08-13

ジョージ・オーウェル1984年とは

意識高めのブコメに余念のないはてサ男女が、命と生活を優先して醜い姿のネトサポ調教を経て生まれ変わってゆく様を描く美しい国の美しいお話

読みにくいと批判されるテキストの大半は、慢性の中二病に苦しむ作者が必死に考えた世界観ディテールをしつこく説明する駄文なので飛ばし読みでOK

まだ読んでない増田諸兄にはぜひ手に取っていただきたい名作。

anond:20190812141826

どう読んでも発達障害ADD ADHD ASD)なのになんで中二病みたいなコメントが多いのか意味がわからない。

大人の発達障害対応してくれる病院に行くことを勧める。

anond:20190812141826

よくある大人中二病です。

他人と深く関わったことがないから、他人の表面的な行動が思慮の浅いものに見えてるだけだと思う。また、自分他人とは異なると強く思い込んでいるので、他人理解は進まずいつまで経っても治らない。

自分から発信することを始めると他者理解重要性に気付くんだろうけど、なるべく早く気付いた方が楽だよ。プライド高い中年とか厄介以外の何者でもないから。

2019-08-12

anond:20190812113546

それは「まともな人」史観やな

超残念ながら貴兄のように、あれを見て自分も良い大学に行っていながら気分が悪くなる人ばかりでなく(そういう人も確実に一定数いた)、「人を差別する優越感の快楽」に目覚めてしまった者も一定数おる

でなければその後、2ちゃんねるであれほどの広範な差別ブームは起きてない

正確にはマミー石田に触発されたような奴は人数の上では少数だったかも知れぬ。しかし貴兄のようにまともな人間は派手に自説を力説しない。結果的に極端な意見を大声で広めるノイジーマイノリティばかりが目立つ

ただ、やはり正確には「かっこいいもの」とは思われてなかったろうな

しろ「俺は過激本音を言えるんだぜ、どうだすごいだろ」といった

中二病的な偽悪ぶりっこポーズとして広まったと言えるかも知れぬ

2019-08-10

昨日に引き続きフーコー言葉と物、二「世界という散文」の一「四種の相似」を読んだ。

具体例が“天空の星辰”と“地上の星たる植物”とかいちいち中二病らしくて……格好良いかも?と思い始めてきた。中世人達は色々分かってないだけにロマンチック

相似するもの自体の変化を伴う4つ目の相似“共感”と、それと対になる反感と、この一対の力が世界距離感を支えているーーその感じはよくわかる。

2019-08-06

anond:20190806145039

まるで「正当な政治的煽り」があるような言い方なので感覚韓国政府寄りになってるから通じないんだろ

政治的煽り」って一体なんなんだよwwwwww

万が一「政治的に煽られた」とかいえるものがあるとしたら

感情的な?政府政治家しかないだろ 

事実韓国政府は煽られた←?とかいってるけど

日本政府はこんな恥ずかしい言葉よう使わん

感情や気分で政治ができるかwww

マスコミしか週刊誌レベル)と一体化したポピュリズム政府ならではのお言葉

 

増田やその他ネット個人煽りをいったら当事者じゃないんだから全部ヘイトだよそりゃ

そもそも知識もないのに伝聞でヘイトネットに吐き散らすやつは中二病ゴミ

国と個人マスコミを「韓国」とか「にほん」とかの属性だけで一緒くたにするやつも感情モンスター

付き合う価値なし

は~あ ウヨサヨ子供はお家にかえってくれねえかな~

一昨日までの増田平和だったわ

2019-08-05

京アニがどうこう言ってる奴らってせいぜい中二病氷菓あたり以降ロクに作品見てないだろ

京アニが昨今どれだけ駄作オワコンスタジオ扱いされてたかを知ってると死んでから騒ぎだすオタク共が笑えてくる

エログロ画像スマホの待ち受けにするのが好き

エロゲの嫁画像とかそういうのじゃない。死体画像みたいな中二病系でもない。単にそういう系のイラストが好き。ちょっとアート志向、だけど、「でもこういうエロゲあるよね」くらいの。(ここだけの話、一回抜いた。)

思春期マーブルってTシャツブランドがあるけど、ああい感覚めっちゃオシャレじゃない?まあ、そこはわかってもらえなくてもいい。

別にかに見せたいわけじゃない。ただ、ファッションを身につけるって武装なんだよな。やっぱりそれで一日のコンディションが決まるし、俺自身アイデンティティ形成する重要な柱の1つでもある。

ちょっと視界の隅に入っただけで「ゾーニングしろ」とか言われたらたまったもんじゃない。「勝手に覗くな」としか言いようがない。

2019-08-01

友達かいらないでしょ

今まで結構長く付き合ったりしていた知人とふとしたきっかから縁を切った

けど向こうは今日も楽しく知人達ネトゲを楽しんだりしていて、それをtwitter越しに見かける。

人の縁なんていつ切れるかわからないし、切れたら切れたで別に困ることはないし

だったら一人でいたほうが気楽だよなあと思う

よく「人間一人では生きていけない」とかいう人がいるけど、人間関係でいざこざが起きるくらいなら一生独り身のほうが迷惑かけようがないしそっちの方が良くない?

という話を別の知人に話すと決まって「いい年して中二病こじらせるなよ」と言われるけど、こういう考えはしたらいけないのだろうか。

統合失調症は本当に興味深い

ある似たような脳のバグり方をした結果

似たような行動をしたり、似たような結論に至ったりするっていうの

果たして自分思考自分コントロールできてるんだろうか?って考えてしまう、たぶんできてないんだろう

脳も何かに支配されているのかもしれない

 

統合失調症中二病が似てるのも興味深い

2019-07-30

anond:20190730122702

みえる・・みえるぞぉぉ。 20年前に中二病に罹っていた あなたの痛い姿が!

2019-07-25

anond:20190725164417

リーマンみたいな略語もそのうちリーパーとかになるんかなあ

なんだかすごく中二病っぽいが

2019-07-24

京アニ

当然のように存在し続けてハイクオリティアニメを作り続けてくれるもんだと思ってたからショックがでかい

ジブリときにはかんじなかったのはあっちは別に死人が出たわけでもないからかなあ

311のときとか親戚のおばちゃんががんであっという間に死んじゃったときよりもショック受けた

自分にとっては少し離れた親戚よりもよっぽど近い存在だった

音楽聞いててハルヒとか中二病の歌は別になんとも思わなかったけどユーフォニアム1期OPドリームソリスターがなぜかかなり心にきた

なんでかわからない

自分最後に見た京アニ作品からかなあ

1期見て続き気になって原作全部読んだから2きも映画も見てないし

作監目指してた動画の人の話みてなおさら悲しい

なんかドリームソリスタはすげーキラキラしてて京アニのものみたいなかんじがするんだよなあ

もう戻れない在りし日の京アニ

スタッフコメンタリーの武本監督が話してたこととか思い出しても胸がきゅーっとなる

スタジオ訪問が特典映像で残ったりしてるからもうほんとにこの同じ光景は見られないと思うと

天気の子に関しては大多数の利益に対して1人の犠牲が生まれたとしてもそれは仕方ないという、効率化しつづける世界に対しての批判とも取れる

これぞ中二病と言わずして何と呼ぶのか

2019-07-23

私はポケットナイフを入れたことがあった

さっき突然、私は中学のある時期、ポケットナイフを入れて過ごしたことがあることを思い出した。

はちゃめちゃに生きづらかったし、友達はいなかったし、成績は悪かったしオタクだった。

今だったらポケットナイフ入れてる厨房社会的にやべえって分かるけど、いやその時も分かってたけど

なぜだかそうしていた。

中二病だとしても痛すぎる。

もちろんそのナイフは使わなかった。使う気もなかったと思う。

どう言うつもりだったのかマジで思い出せない。

でもあれ、見つかってたらどうなったんだろう。

未だにはちゃめちゃに生きづらいし、

理不尽な目にあうと泣くし、ウチに帰ってから喚くけど

さすがにポケットナイフは入れてないし、ぱっと見普通の人のふりはできていると思う。

それなりにそれなりに暮らしている。

でもたまに自分ポケットナイフを入れてたことを思い出して

自分正気が信じられなくなる時がある。

早くただのイタイ思い出として消化できる日が来ますように。

2019-07-22

選挙行くとか中二病かよw

どんだけ現実見えてないの

2019-07-20

『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)

ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。

そもそも新海誠薄っぺらいじゃないか

 新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。

 だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写薄っぺらい」という批判新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?

 まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。

秒速5センチメートル』も同じ。主人公遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?

「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」

 ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……

 未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。

 意味不明自己満SF雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写書道半紙なみの薄さです。

言の葉の庭』も、ストーリー人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生いじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?

まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?

 というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリー人物描写説得力かには期待したらダメリアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島から家出をして「東京」フェリーでくるわけですが、家出理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。

じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。

美しい背景描写

 第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジック「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタル自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」

 で、そこから新海誠童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛高校時代したことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしか新海誠自意識過剰中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞自意識過剰中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかである童貞に対して失礼である石田衣良には猛省を促したい。

君の名は。』のカタルシス

 さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したこと無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。

 『君の名は。』には、カタルシス浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。

 少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体隕石恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命のもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである伊藤は言う。

観客は人智はるかに超えたティアマ彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である

この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を

伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

 いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである彗星隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇古典的パターンであり、「悲劇」の快楽のものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。

悲劇忘却

 要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである隕石は、人間視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇であるニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身運命翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命のものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである

 震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実震災美的昇華してしまうのが『君の名は。である。『君の名は。』は過去タイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベル震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である

 こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。

 だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。

──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます

anond:20190719193205

それは、空想世界からだよ。中二病、炸裂漫画の「ブリーチ」を見ればよかろうー。

(先日、韓国日本製品不買運動ユニクロブリーチのTshirt燃やされていて、隣国でも人気なの?って思ったわ。)

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