はてなキーワード: マッサージとは
微熱が続いて1ヶ月。
いろんな病院に行った。
でも、原因わからず。
手足は冷たいのに身体が熱い。
検温される場所は困るなと思った。
心療内科に行った。
自律神経失調症だと言われた。
正直「そうだろうな。」と思ってた。
自粛から長梅雨、猛暑で同じような症状の人が増えているらしい。
引きこもり在宅ワークで、半分どころか10分の1くらいになっている。
買い物も3日に1度くらいで済むくらい自炊が上手になった。
今は、散歩すらしていない。完全に引きこもりに慣れた気がしてた。
引きこもりもそんなに苦じゃない気がしていた。
だけど、だめだった。
フィットネスブームに乗っかって、私もここ1年くらいパーソナルジムにお金を払い続けている。
一般的なスポーツジムで自己流で有酸素で痩せたのが嬉しくて、プロにボディメイクの方法を学びつつ年をとっても崩れない体型になりたい!って思ったのだった。
最近は食事管理も上手になってきた。フリーウェイトコーナーにおどおどしながら出入りしたりもする。
自宅にヨガマットを導入して、ジムに行けない時は自宅にあるダンベルでちょっとやった気分になる。
順調なフィットネスライフかと思いきや、暗雲が立ち込めている。
というのも、私は前腿が太くてコンプレックスで、細くしたいって思ってる。
お尻はあがってるのがいいけど、太腿大きくしたくない。
バーベルスクワットなんか絶対絶対やりたくない。方法がまずいだけだけど、つい前腿にきかせてしまう。ほんと上達しない。
まじ重いの持ちたくない。
立ちあがるときにうわー前腿にきいちゃう~っておもっちゃう。実際前腿が痛くなる。
そうなるともう立ちあがれない。
筋トレって、今自分がどこの筋肉動かしてるのか意識するのが良い っていう。
だとしたらもう前腿めちゃめちゃ育ちまくってる。むしろ私の嫌悪感が育てている。
トレーナーさんに、前腿ごつくしたくない っていったら、お尻鍛えたいなら前腿にも影響するのは仕方ないですよって言われる。
1年近く練習してそれでも前腿太いから言ってるんじゃないですか
それはそうだろうと思う きっとそうなんだと思う サボりたいやつの言い訳だ。
わかってんだけど、もういやになってきた
歩き方に気を付けて、マッサージして、筋膜リリースしたりして、ストレッチしたりして、
浮腫みとるタイツはいたりしてどうにかしたいとおもってるのに、
トレーナーさんはいいじゃないですか、前腿育てましょうよって言う
女の人で重量持てるの中々いないですから、やりましょうよって
来期申し込むかちょっとなやんでる
悲しきゴリラだな
先に言っておくがこの話は未成年者に対する性的加害の話だ。興味のない人は帰ってくれ。
ジェニーの記憶という映画を観てフラッシュバックした思いがあり、色々と考えたことをまとめたいと思う。
よかったら付き合ってくれ。
「ジェニーの記憶」を聞いたことがあるか、最近ツイッターで未成年の性の自己決定権の危うさについて見事に描いていると話題になった映画である。内容は、48歳のドキュメンタリー監督が、幼い頃に美化した大人との恋愛の記憶を当時を知る人物と話し、自分の書き残した物語を辿ることで初めて「自分が性的虐待に遭っていた」と自覚する話だ。アマゾンプライムで現在観れるのでよかったらみてくれ。
私は幼い頃に先生と呼んでいた人から性的虐待を受けたことがある。ジェニー(映画の主人公)は2人の年上の男女の先生との美しい物語を語る。その実態はおぞましい、少女に対する性的搾取であるのだが先生と生徒という彼らの立場と、そしてその加害の表現のリアリティから、自分の過去の記憶がフラッシュバックしてしまった。
話は変わるが、私は男性との性行為がとても苦手である。初めての性行為は私が20歳の時だった。
男性嫌悪の兆しのあった自分ではあったが、それは実際にきちんとまじめに付き合ったことがないからではないかと思い、また、未だ男性との性的な付き合いをしたことがない自分を恥じる気持ちもあり、とある男性と付き合い始めた。
何度か性交渉をした。彼の家に泊まっては求められれば拒まずに行為に及んだ。けれど一度も気持ちよくなれない、というか気持ちが悪いような違和感が常に勝ってしまっていた。行為の間、私は私の他人だった。
どうしてこんなことをしているのかもよくわからず、
自分の性器に挿入された相手の性器が前後し、相手が果てるふさわしい振る舞いをするだけの、ある種の義務的行為だった。
その後何度か男性と関係を持ったが、どれだけその人の人格を愛し、尊敬していようとも行為の最中に私の中に私が混ざることはなく、常にどこか遠くから俯瞰してその行為を眺め、終わるのを待つだけの時間を過ごしていた。
自分で言うのもなんだが私はかなり性欲が強い方で、自慰も毎日のようにする。気持ちいいことは好きだ。
けれど、相手の男性がいる、愛のある性行為が本当に苦手だったのだ。気持ちが悪かった。そしてその理由がわからなかった。
回数を重ねるごとに自分は欠陥品なのではないかと不安に思ったり、相手との性行為への消極性から責められたりもした。だから、私は誰かと性行為を楽しめる人間ではないのだと思っていた。
そうしてタイトルをそろそろ回収する。
自分がセックスで気持ちよくなれない原因は、性行為の相手が男性だからなのではないかと思い女性とセックスしてみた。相手は知人の性に奔放なバイセクシュアルの女性だ。私は正直に、男性との性行為が苦手だから、同性とは性行為を楽しめるのか知りたい、と言ってお願いした。
友人とホテルに行き、性行為に及び、結果、私はセックスは「たのしい」ものだと知ることができた。
そして同時に今までセックスに気持ち悪さを抱いていた理由の心当たりを見つけた。
夫婦で経営されていた塾に通っていた私はその人、旦那さんの先生と2人で部屋にいた。
基本的に奥さん先生の授業を受けていたのだが、その日は彼女が他の生徒の面倒を隣の部屋で見ていて、私は自分の授業が始まるまで旦那先生とお話をしていた。通路を挟んだお互いの声が聞こえるほどの距離の部屋だった。
旦那先生は整体の資格も持っていて、その日は待ち時間に整体をしてもらっていた。全身をマッサージしてもらい、その手がいつのまにか、自分の股間に伸びていることに私は気づいていた。そしてジーンズのパンツ越しに性器を刺激された。「気持ちいい?」と聞かれた。わたしはこれが性的な行為だと知っていた。本能的に気持ちよくなっちゃいけない!と脳が危険信号を出した。実際に何も気持ちがよくなかった。私は「なんでもないよ?」と何も知らないふりをして答えた。「気持ちよくないなんて君は変だよ」と、その男言った。
また別の日、それから数年経った後の話だが今度は奥さん先生が私の目の前にいるなか、突然後ろにいた旦那先生に肩を叩かれ、突然キスをされた。気持ちが悪かった。
声を出すことも、払いのけることも、ましてや彼女にこれを伝えることなんて出来なかった。
お世話になった大好きな奥さん先生を、私は裏切ってしまった、と思った。
そうしていつの間にか私の中で「なんでもないこと」と蓋をしたこの出来事は、
異性との性行為に対する罪悪感という形で表出していたのだ。
素直に刺激に気持ちよくなれなかったのも、行為に没頭できなかったのも、異性との性行為は大切な人への「裏切り行為」であり、罪悪感と深く関連付けられた「気持ちよくなっちゃいけない」行為になっていたからだったのだろう。
そしてそのことに、自分の無意識がかけた理性の蓋に、女の子とエッチして、素直に気持ちよくなって、純粋にセックスを楽しめたことから気づくことができた。
なんだ、なんだ、私のせいじゃなかったんだ!
気持ちよくなれないのも、責められてきたのも、全部自分が欠陥品だからではなく、過去の出来事が私を無意識に縛っていたからだったんだ!
そう気づいて、一気に心が楽になった。
気持ちいいことは好きなのに気持ちよくなれなくて、ずっとどうしてどうしてと困惑するしかなかったことの理由を見つけることで私は踊り出したいほどの納得と嬉しさに包まれた。
原因がわかったからと言って全ての問題が解決したわけでもなく、私は未だこの問題と向き合っている最中ではあるが、この原因を知れたことが自分にとって大きな救いにはなったのだ。
性的虐待をした、あの男を私は許さない。絶対に許さないが、きっと私はこの先もこの出来事を、毎年挨拶に伺う奥さん先生にはずっと言えないのだろう。
けれど、少しだけ前に進めた、それだけの話。
とりとめのない話に付き合ってくれてありがとう。
オーストラリアで働いている風俗嬢のトゲがバズっていたので書きたくなった。
プレイ内容とかじゃなく、どういう条件で、どういう人が働いているのか、とかそういう話。
できるだけ会話しようとしたし、人種の見分けもつくほうだと思ってるけど、n=1の経験談です悪しからず
件の。私が使ったのはブロッセルと言われる箱物風俗。サイトを見ると場の紹介があり、出勤があり、
なお見知らぬ土地でタクシー運転手にそういうお店に連れて行ってもらいたい場合「ブロッセル」or「レッドライトディストリクト」というとだいたい通じる。
安い店はアジア人が多い。そういうところは中国系が経営しているそうだ。
白人がいる店はバーなどを併設していることが多い気がする。白人は地元民。
中国人系の店で1.5-2万円くらい
基本は豪華なスパ銭施設で、一時間に一度程度ショータイムと称して女性がステージ上などに(裸で)出てきて踊ったりし、
驚くのは、サウナと女性用エステとかが並列で運営されてて、旦那はサウナへ、奥さんはエステへとかがあるらしいということ。
日本・白人(ロシアというか旧ソ連圏スラブ系)・中国本土・東南アジア系の順で料金が高い。
各ランク内でも格差が結構ある。容姿的に厳選されている感じがある。
面白いのは、容姿の劣る東南アジア系女性は男性の相手をする嬢としてでなく、サウナ内で色々世話をする人として雇われているっぽい
サウナと呼ばれるスパ銭的施設の休憩室でくつろいでいると「女性いる?」と(男性職員に)声をかけられる。
なお呼ばないでも特に問題はない。大浴場にゆっくり入れた上仮眠室というところで寝れるので翌日朝早く移動するときなど普通にホテルとしても利用したことがある。
2万円しないくらいだった気がする
ドアの前に値段とかが書いてあり、男性は部屋を回ってドアを開け、中の嬢と交渉する。
地元の人の他、台湾人とか。面白いのが障害者対応って銘打っている人がちらほらいたこと。
2万円しないくらいだった気がする
多分地元の人。プロとして長年やってる人が多いイメージだった。たぶん、このへんは日本と一緒でしょう。
3万円くらいだったかな
台湾とかと違うのが、ここは完全に売春する前提の施設であること。
また、施設の中に女性は基本おらず、風呂は風呂で入れるのは澳門と違う。
入店したタイミングで客がついていない女性を全員待合室に呼んで、その中から選ぶ形式。
ジャワ系7・インド系2・マレー系1って感じ。マレー系がいるお店は少ないらしい。まぁ、イスラム教徒の国だし、地元ではやらないってことなのかな。
フィリピン系がいる店もあるとは聞いてる。
年齢層がかなり幅広かった記憶。
1万円くらいだったと思う。確か、料金格差はない。
ひな壇みたいなのに座っている嬢の中から指名する形式。値段に上下があり、バッチとかで確認できる。
地元の人。もっとライトな風俗がたくさんある中でなので、ここにいる人はみなプロ
人によって違うが最高3万くらいだったような。
サロンと呼ばれている。一見ただの民家だったりマンションの一室がそういう店になっている。
客は何時ごろに呼び鈴を押すと電話し、部屋に入れてもらって、その後中で出勤している嬢を並べてもらって、選んで行為に及ぶ。
年齢層も若く、価格が安いので正直かなり闇を感じる。
上に寄って値段が違うみたい、それ以上に店によって違うが、、
安い嬢は3-4千円から。
FKKと呼ばれている。
男女ともに全裸で過ごすスパ施設の中で個人同士で交渉して買う形式。
澳門との違いは、女性も常に施設内をうろついており、女性同士で会話してる最中や、食事中のタイミングでは誘っても後でねと言われたりすること。
ほぼ買わずに裸の女を眺めながらのんびりしているおじいさんとかもいる(そしてそういうおじいさんに嬢は結構優しい。)
他、特定のビルの部屋に嬢が待機していて、男がそれを訪ね歩く方式の風俗もある。イギリスや香港と似た感じ、
年齢層は多分20代-30代。それより歳が行くと、もっと闇風俗っぽいところへ行くのかと、、、
一回8000円くらいがミニマムだが、なんだかんだその2倍3倍かかることも多い
多くの男は退場までに飯を食ったりしながら2-3人と遊ぶ。
飾り窓と呼ばれている。ガラスの扉の内側に下着姿の嬢待機しており、誘うような動きをしている。
男は扉を開けて、交渉する。扉にブラインドがかかっているのが仕事中の合図。
観光名所となっており、はとバスツアーみたいなおじいさんおばあさんの集団がガイドに率いられながら飾り窓の前を歩いていく光景はかなりシュール
もっと別の形式の風俗があるらしく、地元の嬢はそっちで働くとか聞いた
年齢層はかなり広い。
8000円前後から。事前交渉しないとどんどんもられていくので注意
SOHO地域に密集しているのが有名。香港やドイツと違い本当に扉の前までいかないとそういう場所だとわからない。
違う点は本当に短時間で低料金ということ。ものの5分で部屋を出ることもある。
3-4千円から。
所謂立ちんぼ。
大通りなどにそれらしい格好で立っている。こちらから声をかけてもいいし目を合わせれば声をかけてくる。
なお半分ぐらいは男。うまく化粧してて所見だとよくわからないこともあるよ
3-4千円から。
先日10年経ったが、いくつかの後悔が折に触れて思い出されるためここに書いて供養したいと思う。
家族の形や関係性は多様だと思うので、一個人の感想だと思って読んで欲しい。
先によかったことを書いておくと、母親はホスピスなどに入らず死ぬ前日まで自力で風呂に入り、自分の布団で寝て、そして自宅で息を引き取ったので幸せだったと思う。
自分は家族全員で最期の看取りができて本当に良かったと思っている。
うちは3兄妹の5人家族と雑種の犬が1匹で自分が長男。当時高校生~大学生。スマホはまだ持っていない時代。
自分は闘病期間中に大学生になったこともあり、長期休暇には病院への送迎や入院中の見舞いなど介助をする時間がたくさんとれた。
海を見にドライブに行ったり、浮腫んだ足をオイルでマッサージしたり、手をつないで病院を歩いたり、寝る前に話をしたり、たくさんの時間を過ごせた。
生前母親も見舞いに来た友人らにそのことを話していたらしく、四十九日で来訪した母の友人からそのことを聞いて泣いた。
ここからが本題。
この10年でよく思い出す後悔は2つ。
母親からの最後のメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だった。
スーパーでの買い物帰りに母親からのメールを受信し、コンビニに立ち寄った。その日は母親の好きな手巻き寿司のツナがなく、三角おにぎりのツナしかなかったため自分はおにぎりを買って帰らなかった。
帰宅しそのことを告げると残念そうな顔をしたが、柔らかく煮たうどんを作ったら美味しそうに食べていた。
その翌々日、母親は亡くなった。
自分に最後に来たメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だったこと、
それを叶えてあげられなかったことがのどに刺さった小骨のように引っ掛かっている。
だから私は今でも墓参りに行くときは手巻き寿司のツナを買っていく。
当時階段を上るにも、介助をしたうえで手すりを使ってゆっくりとしか上れない程になっていた母親に対し、
次の予定があった私はノロノロと車に乗り込む母親につい大きな声を出してしまった。
やっと乗り込んだ母親が椅子に座ることも確認せず、スライドドアを叩きつけるように閉めた。
大した予定でもなかったのに、どうして優しくできなかったんだろう。
乱暴に支えた母親の腰周りの感触、スライドドアの重みがまだ手に沁みついている。
母親が死んだらもっと楽しく美しいことばかり思い出すと思っていた。
しかし実際は、もっと若いころの話を聞いておけばよかったとか、色んな料理を作ってあげればよかったとか、
目的のないドライブに行ったり、犬をなでさせてあげたり、新しい歯ブラシをおろしてあげたりすればよかったとか、
そんな自分を責めるようなことばかりこの10年思ってきた。これじゃ母親もうかばれないだろうと思う。
幸せだったと死んでいった母親に、自分は今こんなに幸せなんだと子を紹介する。
このお盆を節目にしたいと思う。
なんとか消化しようと思ったのだが、話せる友人も特にいないのでここに記す。
本番は規約で禁止されているためなかったが、それでも大変に満たされた時間だった。
私はというと、自己肯定感はほぼ無し、
しかし承認欲求と性欲だけは人一倍あるというどうしようもない女だ。
そんな女がこのサービスを利用したらどうなるか?答えは明白である。
信じられないほどハマった。
まずい。これは本当にまずい。
正直今までそういうのにハマっちゃう人たちってわからんわ…こわ…とか思ってました。申し訳ございませんでした。
普段会話のキャッチボールどころか、1人で投げっぱなしボウリングばかりしている私が、楽しく話せている。
そして何よりめちゃくちゃに褒めてくださる。
息をするように褒めのジャブが打たれまくるのである。
褒められ慣れていない私はただただその幸せを受け止め浴びることしかできず、すぐにノックアウトした。
さすがプロ…すごい。
これが諭吉の力。すごい。
このホテルまでの道のりで既にホクホクだったが、彼らの神髄はこんなものではなかった。
部屋に入ると、まずカウンセリングがある。
カウンセリングでは、マッサージして欲しい部分、して欲しくない部分、したいプレイ、NGプレイなどをヒアリングしてもらう。
してもらうのだが
びっくりするくらい喋ってしまった。
ギアスでも使われたのかと思った。
これからしてほしいプレイを自ら言うとか、正直めちゃくちゃ恥ずかしい。
非常に!恥ずかしいんだけれども!
…と、恥ずかしい思いをしつつ、ある程度こちらの要望を伝えたところで代金を支払う。
いや…良………
所詮マッサージとは名ばかりの、雰囲気だけのただの踏み台なんだろ?とか思っていたが普通に良かった。
そして徐々に中心部へ迫ってくる指先に嫌でも期待と熱が高まっていくが、この間にも褒め殺しジャブがめちゃくちゃ飛んでくる。
理性が飛ぶ…やめてくれ…
と最中は思っていたが、これは理性を飛ばしていた方が後々もっと楽しかったように思う。
何より、セラピストさんに触れて悦んで貰い、(当然表面上のリップサービスなのだろうが)褒めジャブを浴びせてもらえるというのは、私を脳内麻薬ドバドバのスーパートリップ状態にするには十分すぎる要素だった。
こんな精神状態で、学生時代から妄想し続けてきた両手拘束目隠しで玩具責めにあう、というのを想像してみてほしい。
…無理だ。
堕ちるなと言うほうが無理だ。
自分の意思に関係なく責め続けられるというのは、想像を絶する快楽だった。
今よがり狂ってるのは本当に私か?と一瞬俯瞰してしまったくらい。
結局あれは何分啼かされたんだろうか。
喉は死ぬわ酸欠で頭も足もフラフラするわで、最高の気分だった。
相手も仕事とはいえ、こんなに性癖をさらけ出しても褒め、肯定し受け止めてくれるというのは、これは錯覚おこしても仕方ないなあ…。
めちゃくちゃに褒めて貰えるので、嘘でも
健全な心、精神をお持ちの方は正しく受け止め、割り切って満足に到れるのだろうと思うが、日々渇望している私にとっては正に麻薬だった。
お金を払っているので、心の内ではどう思われていようが、目に見える形でこちらを傷つけてくることは無いであろうという安心感。
これは間違いなくまずい。
日々あんなに努力しても得られなかったものたちが、お金の力でこんなにも簡単に手に入ってしまう。
こうして人は何かに依存していくのか、と他人事のように感じている。
自覚があるだけまだマシと思っているが、依存している人間というのは「あ〜、自分依存してるな〜。」と思いながらも離れられないものなんだなあ…と、ぼんやり考えている。
あくまで、あちらは仕事としてお金を貰っているからあそこまでしてくれるのであって、私そのものを肯定しているわけではない。
そこを完全に見失ってしまった時が、私の真の終わりの時だろうと思う。
投稿する前に音声読み上げで朗読してもらい、引っ掛かりを徹底的に修正する癖をつけたほうが良いか。
基本男女の類型で出来てるので、そっちを軸に評価すればよいのだろうけど。
あと仕掛けとして、剣も魔法も使えない人がこっぴどい扱いを受けて、マッサージをやらされた挙げ句陵辱される方が振り切ってて良くないかな。
自分は陵辱基本的に嫌いだけど、この内容ではジャンルとしては半端な感じ。
この弱いってところが何にも活かされてない。
ちなみに昔からこの接続語を多用する人は上手ではないと言われています。
状況説明と心象風景を混ぜてはいけない。あえてやるなら「視界が悪くなるのは怖かったが、木陰で休みたい"という気持ちが"優先された」といった、状況の一部として説明すべき。
あと助動詞に気を払えば「視界が悪くなるのは怖い(現在形:形容詞止め)、だけど(逆接)木陰で休みたかった(過去形)」でもいいし。
ふと、一般に女性が男性(の身なり)を評価するときによく登場するとされる「清潔感のある人」というフレーズは、ある意味ではパートナー選択において非常に優れた選別基準なのではないかと思った。
男性における「清潔感」という語については、顔の良さを範疇に含めるべきか否かなどいろんな意見があるとは思うが、今回は顔の良さは清潔感には含まず、ざっくり以下のような定義をする。詳しい清潔感の定義に踏み込みたいわけではないので、私の主観的な印象が中心となるがご容赦いただきたい。
頭髪について
・形状の整ったカットがされている
・毛先の痛みが少ない
・伸び放題ではなく、整えられる長さ
・寝癖などは整えられ毛先の無駄な遊びが少ない
肌について
・ひげがきちんと剃られている、またはお洒落
・ニキビが少ない
・唇が荒れていない
・爪が短く整えられている
・極度の乾燥または脂性が見られない
・目の下のクマなどが極端でない
においについて
・定期的な入浴
衣服について
・着衣に着崩しがない、または遊び程度
・衣服のほつれ、ヨレ、シミなどが目立たない
・靴の汚れや履き潰した跡が目立たない
体型について
・極端な肥満体型でない
・極端な痩せ型でない
・猫背や側湾症が目立たない
・肩の左右の高さの差異が目立たない
例えば体毛や仕草など、並べようと思えばまだあるだろうが、この程度で今回「清潔感」がある面では一定の効果のある選別基準であるように思った理由を述べるには十分なので、ここで一旦ストップとしたい。
本題に入るが、これらの「清潔感」を構成する要素を眺めていると、自分に対するケアをきちんと行っているか否か、というのが透けて見えてくるのではないか、と私は考えた。つまり、自分自身のことを大切にできているかを大まかに捉える指標が「清潔感」なのではないか、ということである。
無論、これらが満たされている背景には様々あって、セルフケアの重要性を理解して自身の習慣として実行しているパターンもあれば、一定の裕福さの家庭に育って躾の一環として身につける人もあると思う。
逆に、満たさない理由にも様々あって、経済的な理由もあれば、趣味や別のことに投資したい場合、ケアの方法を知らない場合などもあるだろう。
ただ、どのような理由があるにせよ「清潔感」を実現する過程で自分を労り大事にするということをある程度達成できているように思う。
自分を大切にする、自分を好きだと思えるように努力する、自分を愛する、といった自己受容ができていないことから思い悩んだり、不適切な行動(身体的・精神的自傷や暴力など)に至るケースも少なくはない。
清潔感がある程度自己受容を表現しているという仮定の下で、パートナー選択においては清潔感実現を通して自分を愛せる人を選ぶのは平和で円満な関係性のためには合理的だし、男性においても清潔感を心がけることで自分を大事にし、心身の健康を得られるのではないかと思った。
いつもはサボってしまう肌のケアをした後にふっと思ったことを書き連ねただけなので、恐れながら本文に登場する考え方にはエビデンスは無い。それでも、私はある程度これは正しいのでは、と思うし、今回は男性という視点で書いたが男女問わずこうした側面はあると思う。
自分のためだけに食べたい物自分で料理するとか、マッサージに行くとか、なんでもいいのだけれど、忙しくて蔑ろにされがちな自分にもお金、時間、手間、心を割いてあげて、自分を大事にする暮らしを心がけたいですね。
荷物が重たかった。せめて荷物持ちだけでもと頼み込んだ手前、音を上げるわけにはいかなかった。しかし、重い。起伏のある山や視界の悪い森などでなく、平坦で見通しのよい広野を歩いているのが救いだ。
前を進む勇者さんがこちらを見てくれた。気を遣ってくれているんだろう。大丈夫です、と元気よく返事するつもりが、声が出なかった。荷物が重い。目的地の説明は受けている。けれど、この世界の地理がわからないことに加え、僕に合わせて歩くスピードを落としているため予定通りの道程とはいっていないだろう。そんなことを考えるとますます情けなくなってくる。
スマートフォンで遊びたい。クーラーの温度を18度にしてダラけたい。シャワー浴びたい。そんな、ほんの少し前の当たり前を思い出して荷物の重さを忘れようとする。けれど、五分ともたず、荷物の重さで足を進めるのが辛くなってくる。あのすこし先にある、背の高い植物のところまで歩いたら水を飲もう。水を飲んだら、また、歩こう。また、クーラーのことを思い出そう。
そうして歩き続けた。繰り返しの最中、幾度も勇者さんがこちらを心配そうに見てくれた。僕も三回に一回ぐらいは声を返すことができた、大丈夫ですと。日を遮るような影が無いので、腰を下ろしての休憩はお預けだったのが辛かった。
ようやく木々が生茂る森の入り口までたどり着いた。視界が悪くなるのは怖かったが、木陰で休みたかった。そう、ホッとした僕の気持ちを察したかのように、その森の入り口から黒いコウモリのような生き物が飛んでき、僕らの目の前でホバリングを始めた。僕が知っているコウモリにしては目が大きく羽が小さい。もしかするとキャラクター商品になっていたら可愛いと思うのかもしれないけれど、大きな口が怖かった。あのとき、腕を噛まれたことを思い出す。怖い。勇者さんの後ろに隠れるように身を縮める。怖さを紛らわすために、彼のマントを掴んでしまっている。失礼だし、動けなくて迷惑なのはわかっているが、怖かった。
勇者さんが僕を見て、マントを離すよう手振りをする。ごめんなさい、と謝りながら、それでも恐怖で身がすくんで中々離せなかった。そうウジウジしていると、黒いコウモリが威嚇するかのように、刃のように鋭い牙を鳴らす。僕はますます怖くなり目の端が湿ってきた。勇者さんが僕の頭を小突いた。僕は彼のマントを掴む左手を、右手で必死に剥がした。
勇者さんは腰に据えた剣を抜き、そのコウモリを一目。そこから先は、怖くて目をつぶっていたが、目をあけていてもわからなかっただろう、あっという間に退治してしまった。
それから、僕が落ち着くのをまって森を進んだ。けれど、そこから今夜の寝床を見つけ、実際に日が落ちるまでの間、都合6回も先ほどのコウモリや、水色の先がとんがったおまんじゅうのような生き物と出会った。そのたびに、僕は同じように怖がり、同じように勇者さんが退治した。
日が落ちる前に、いい寝床を見つけられた。川の近くで水がある。汗を流せるのが嬉しい。今までのような生き物に襲われることを考えると、気が気ではない。けれど、勇者さんが透明な瓶に入った水をあたりに撒くのを見て、ホッとした。あの水は聖水といって、人以外の生き物を寄せつけなくする効果があるらしい。実際、今までこの聖水を撒いてから何かに襲われたことはない。なら日中も撒いて欲しいのだが、勇者という立場上そうもいかないらしい。
勇者さんは聖水を撒いたあとも、テントを貼ったり、火を焚いたりと色々と作業をされていた。僕も何か手伝えることはないかと尋ねると、彼は優しく夕餉ができるまで横になっているといいと返してくれた。申し訳なく、そうもいきませんよと水汲みを申し出た。しかし、聖水を撒いた外であることに気づき、僕は涙目になりながら川と寝床を自分と彼の水筒と、体を拭いたりするためのバケツの三往復ほどした。明日の朝にもこれをしないといけないことを思うと、もっと近くに寝床を作ってもらうか、川までの道のりも聖水を撒いてもらえばよかった。
水を慎重に使いながら体をふく。勇者さんと会う直前にコウモリに噛まれた左腕の傷の治りをみる。勇者さんの使う医療は薬や漢方ではない僕の知らない技術なので不安だったが、膿んだりしている様子はなく数日中には綺麗になるだろう。
日が落ちて、夜になった。
僕は怖くなかった。勇者さんが目の前に居てくれるからだ。もちろん、日中も目の前に居るのだけど、彼の後ろ姿を見ているのと、彼と目を合わせているのとでは、安心感が違った。焚き火に木をくべる勇者さんを見ていると、不安な気持ちがなくなっていく。僕は、この時間が好きだった。
彼もこの時間を特別なものにおもってくれているのか、日中と違い雄弁になる。勇者としての今までの話、勇者として任命されるまでの少年時代の話。僕はあの重い荷物をもって歩いたことも、奇妙な生き物に怯えて涙していたことも忘れて、話に相槌をうち、会話と食事を楽しんだ。食事の内容は質素なものであったけど、美味しかった。僕は、感謝の気持ちを伝えた。突然現れた何もできない自分を旅の共にしてくれていること、いつも守ってもらってばかりなこと、何もできないことの謝罪。勇者さんは余計な世辞を入れることなく聞いてくれた。その優しさも嬉しかった。
お喋りが終わったあと、テントにはいり、横になる。広いテントではないので、じっとしても彼の体に触れてしまう。汗を流したといえ、いわゆるボディソープやシャンプーをしたわけでもないので、彼の体臭がする。きっと、僕の匂いにも気付いているだろう。こうやって二人で寝るのは初めてではないが、その申し訳なさにまたすこし惨めな気持ちになってしまった。それを振り払うように、僕は彼にできることが何かないか考えた。
彼だって疲れているだろうから、せめて足を揉んであげるのはどうだろうか。そう提案した。彼はあまりそういったマッサージを知らないらしかったが、物は試しにと許諾してくれた。彼の足元に移動する。そのときも、狭いテントの中なので、体が触れ合ってしまう。彼の足を触るのだから、その程度なんでもないのだけれど。足の裏や、太ももを揉むと彼は少し息をもらしながら、くすぐったそうにしていた。僕もマッサージの経験があるわけじゃないので、上手にできているとも思えなかった。けれど、彼の足を引っ張り続けていることを思うと、この程度のことでもいいから彼に何かをしたかった。
足だけじゃなく肩もしてくれないか、と勇者さんは言った。僕はお願いされるなんてことがとても嬉しくて、もちろんですと答えて肩も揉んだ。彼がうつ伏せで横になり、そこに上からのって肩を揉む。さっきまで、少し腕や足が触れただけで申し訳ない気持ちになっていたのに、いつのまにか体が触れ合うことが当たり前になっていた。力を込めるために彼の腰を挟むようにおいている足に力を入れて、肩や背中をもむ。
少し汗ばんできてしまった。せっかく汗を流したのにと少し後悔した。きっと彼もこうやって汗をかくほどにマッサージをされたら不快だろう。なので、勇者さんそろそろ終わりにしましょうかと声をかけた。
ところが、彼は無言で仰向けになった。腰を足ではさんで乗っている僕の臀部に当たるものがある。僕にも付いているから、それが何を意味しているのかはわかる。けれど、彼が何を欲しているのかはわからなかった。僕なんかがと思ったからだ。汗臭い。男の臭いだ。下履きの中で苦しそうに隆起するそれがかわいそうに思え、腰を少し浮かしてもらい、外へ。暑い。勇者さんの荒くなった呼吸と、僕の呼吸、それと二人のそれが放つ熱がテントの中をめぐる。そう、気づくと僕も硬くなっていた。汗が張り付く服がもどかしく、上も下も脱ぎ捨てた。彼も上を脱ぎ、僕が脱がした下のそれと重ねた。ああ、僕は今彼に求められているのだ。僕も彼を求めているのだ。そう思うだけで、もう胸がいっぱいだった。どうしたいんだろうと考える余裕もなく、彼の体に触れていて。どこに触れていないかわからないぐらいたくさん触れた。手だけじゃなく、足で、腹で、胸で、首で、顔で、触れた。奇妙なことに体の前で触れているのに、背中でも触れているような気がする。そのぐらい、僕は一生懸命に彼の体を弄っていた。彼もだ。僕の右腕を噛むように顔を押し付けてくる。痛かった。嬉しかった。二人を比べるように合わせると、彼のより遥かに小さいそれが情けなかった。けれど、情けないと思う以上に、僕は嬉しかった。そんな情けなさを飲み込むような大海が二人の中にうねっていたからだ。僕は自分の情けなさをすこし、許せたような気がした。
テントの外に出て、組んであったバケツの水で体を拭こうと思った。けれど、もうバケツは空だった。夕餉の前に体をふいたり、その後お喋りをしながら飲んで空になったことをすっかり忘れていた。
僕は、水を汲みに行こうと思い、バケツをもって川へ向かった。聖水を撒いていない道は怖く、また僕は目の端を湿らせた。ビクビクと怯えながら急いで水を汲みテントの前に戻った。
起こして付いてきてもらえばよかった。そう後悔しながら、体を拭く。右腕が痛かった、アザになっていた。夜明けまであとどれぐらいあるのだろう。昼まで寝ていたいが、もちろんそうもいかない。
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