ふと、一般に女性が男性(の身なり)を評価するときによく登場するとされる「清潔感のある人」というフレーズは、ある意味ではパートナー選択において非常に優れた選別基準なのではないかと思った。
男性における「清潔感」という語については、顔の良さを範疇に含めるべきか否かなどいろんな意見があるとは思うが、今回は顔の良さは清潔感には含まず、ざっくり以下のような定義をする。詳しい清潔感の定義に踏み込みたいわけではないので、私の主観的な印象が中心となるがご容赦いただきたい。
頭髪について
・形状の整ったカットがされている
・毛先の痛みが少ない
・伸び放題ではなく、整えられる長さ
・寝癖などは整えられ毛先の無駄な遊びが少ない
肌について
・ひげがきちんと剃られている、またはお洒落
・ニキビが少ない
・唇が荒れていない
・爪が短く整えられている
・極度の乾燥または脂性が見られない
・目の下のクマなどが極端でない
においについて
・定期的な入浴
衣服について
・着衣に着崩しがない、または遊び程度
・衣服のほつれ、ヨレ、シミなどが目立たない
・靴の汚れや履き潰した跡が目立たない
体型について
・極端な肥満体型でない
・極端な痩せ型でない
・猫背や側湾症が目立たない
・肩の左右の高さの差異が目立たない
例えば体毛や仕草など、並べようと思えばまだあるだろうが、この程度で今回「清潔感」がある面では一定の効果のある選別基準であるように思った理由を述べるには十分なので、ここで一旦ストップとしたい。
本題に入るが、これらの「清潔感」を構成する要素を眺めていると、自分に対するケアをきちんと行っているか否か、というのが透けて見えてくるのではないか、と私は考えた。つまり、自分自身のことを大切にできているかを大まかに捉える指標が「清潔感」なのではないか、ということである。
無論、これらが満たされている背景には様々あって、セルフケアの重要性を理解して自身の習慣として実行しているパターンもあれば、一定の裕福さの家庭に育って躾の一環として身につける人もあると思う。
逆に、満たさない理由にも様々あって、経済的な理由もあれば、趣味や別のことに投資したい場合、ケアの方法を知らない場合などもあるだろう。
ただ、どのような理由があるにせよ「清潔感」を実現する過程で自分を労り大事にするということをある程度達成できているように思う。
自分を大切にする、自分を好きだと思えるように努力する、自分を愛する、といった自己受容ができていないことから思い悩んだり、不適切な行動(身体的・精神的自傷や暴力など)に至るケースも少なくはない。
清潔感がある程度自己受容を表現しているという仮定の下で、パートナー選択においては清潔感実現を通して自分を愛せる人を選ぶのは平和で円満な関係性のためには合理的だし、男性においても清潔感を心がけることで自分を大事にし、心身の健康を得られるのではないかと思った。
いつもはサボってしまう肌のケアをした後にふっと思ったことを書き連ねただけなので、恐れながら本文に登場する考え方にはエビデンスは無い。それでも、私はある程度これは正しいのでは、と思うし、今回は男性という視点で書いたが男女問わずこうした側面はあると思う。
自分のためだけに食べたい物自分で料理するとか、マッサージに行くとか、なんでもいいのだけれど、忙しくて蔑ろにされがちな自分にもお金、時間、手間、心を割いてあげて、自分を大事にする暮らしを心がけたいですね。
なんで「清潔」な人じゃなくて、「清潔感」のある人 なんだろうとずっと疑問に思っていたけど、 つまり、「清潔感」を支える文化的背景を持った人が好き という意味だったんだね...
『“お気持ち”という個人の主観的感覚』の、 『感』だぞ?
横だけどそこ突っかかる必要あるか?「好みのタイプ」がお気持ちじゃなかったこと今まであったかよ
忘れて建前論やってそうにみえたのでな
「清潔感を持てるような文化的背景のある人が好き」のどこが建前論なんだよ
そういう信者ならそれでいい