はてなキーワード: パートタイマーとは
※A丼屋とは……赤と黄色をテーマカラーとし、グラデーションの末にブラックな体質を獲得した色見本に忠実な大手飲食チェーンの仮称。安いくせにうなぎがやたら美味いが、従業員は365日不味い思いをしている。
Twitterで絶賛拡散中である。専用アカウントもでき、以前A丼屋と争った某組合的なアレも冬眠から醒めた甲本ヒロトのごとく動き回っている。いやまあぶっちゃけ楽しくて仕方がない。メシウマである。おかずに特製のタレで煮た肉が欲しいところだ。
消費者も行くなよと仰る方がいるが、個人的には従業員でない者はむしろ食べに行けよと思う。客がいなければ苦労がわからないだろう。
個人的なオススメは、からあげを提供する店舗でのからあげパーティーである。
からあげはある程度予測をして揚げてはいるが、大量に注文された場合はやむなく完全受注生産のような形を取る。なにか表現をミスったような気もするが、要は注文されてから冷凍のものを油にぶち込むということである。基本的には混雑に備えて揚げておき、注文が入れば二度揚げをすることになっている。つまるところ死ぬほどめんどくさいのだ。そして時間もかかる。
加えて、A丼屋には主力商品用の豊富なトッピングメニューがある。そしてこちら、単品で注文も可能なのだ。実は結構融通の利くメニュー構成となっている。
明太マヨ、おろしポン酢、溶けるチーズ……などなど、からあげに合いそうなものを単品で頼みまくる。するとどうなるだろう?
からあげパーティー、はっじまーるよーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
…………
うまうま。
ストで休んだ従業員は社員に出会さないようにエリア外の店舗へ行くことをオススメする。
さて、スト記念に以前書いたものの補足もしておく。
POSくらいはあるのではないかと思う。注文はファミレスで使うような平ペったい機械で取っていて、おそらくメニューのデータくらいは本社に行っているだろう。ただ食材の在庫管理は機械に手入力した上でそのデータを印刷したものを紙に書き写してファックスするという七面倒臭いものだった。あの機械を重ねてカラテチョップをかましたい欲を太鼓の達人にぶつけていた日々ももはや懐かしい。
人時計算の概念は、なるほど当たり前にあるのだな。井戸なんて人間用に作られているのだからカエルになってしまったら内側から見る摩天楼のように感じられるだろう。例え中身が白馬の王子様でも空は丸いと思ってしまうはずだ。借り物の翼では上手く飛べず真っ逆さまに墜落していったスパイダーとは仲良くなれそうです。余談だけどもやはりカエルのジェットって昭和の子供に**から息を吹き込んでもらうしかないのだろうか。なんの話だ。脱線事故を起こしても取り返しがつくのは文章くらいなものですね。
とはいえそんなところが問題なのではなく、書いた通り目標値設定の話。
当然ながら売上予測に則してシフトは組まれる。この予測が外れて入客数が少なく売上が低かった場合、「じゃあお前らの労働、30分分無しな」となる、このシステムがおかしいんじゃねえかと。そういうことが本旨であった。エリア担当社員にもよるのだろうが、この売上目標の達成は容易ではない。バラエティ番組が芸能人に簡単に100万円はくれてやらねえぞというあのノリ。は言い過ぎかもしれないが、ともかく遊び盛りの学生が小遣い稼ぎ程度の気持ちでやっていたのではダメだ。もはやスポーツである。夏場はアクエリアスを裏に常備。気前のいいパートタイマーの主婦の方々はポカリスエットの2Lペットを「みんなで飲んで!」と買ってきてくれた。全国大会を目指せるほど実力はなかったが、とても仲の良いチームであった。美人マネージャーでもいれば言うことはな……おや、何か別の(架空の)思い出と混ざってしまったようだ。とりあえずこの頃、バイトはスポーツだと思っていた。ちなみにここでは人使いの荒い偉めな社員をマネージャーと呼ぶ。青春を返せ。
時間帯が4つに分けられているとも書いた。例えば「昼」と「午後」を例に挙げる。
ある日のことだ。「昼」はものすごい混んだ。この時間帯は目標売上を達成することができた。
しかし、少ない人数であったため食器の片付けや洗浄、食材仕込みや集計が間に合わない。「午後」の時間帯に切り替わるやいなや勤務者は一人だけになってしまう。ピークは過ぎたとはいえ、「午後」であっても入客はある。そして「午後」の仕事はそのあとの夕飯時のための食材仕込みが主だ。「昼」に向けた仕込みが充分でも、入客が予想を上回ればそのぶん食材も消費される。弾切れ寸前てなところだ。
やることが多過ぎて手が回らない。部活帰りの青春高校生軍団が容赦なく押し寄せ、裏メニューの超絶大盛り商品を複数注文され一気に残り食材が枯渇することもたまにある。一人でそれを2食たいらげるカビゴンにも出会ったことがある。恐れ入りますがお客様、みそ汁キングはございません。あ、3杯分でよろしいですか。おしんこセットですか?こちらおしんこメガでございます。実話である。盛ったのはおしんこメガくらいである。ああ、またわりとどうでもいいほうに……
ともかく、そうでなくとも最低限の仕込みは済ませなければならないし、営業報告書も仕上げなければならないし、大量に下げられた食器も洗わなければ商品の提供に差し支える。やむなく上がる人に延長を頼み、店舗を万全な状態に整えるのだが、するとどうだろう。「午後」の時間の売上目標に達しないわけだ。「お前ふざけんなよ」と。
先の記事に書いた通り、店長も社員も常駐しない。現場にいるアルバイトだけで勤務延長などの判断はするわけだが、理由を説明しても数字だけを見られ、取り合ってくれない。挙句「そういうことされるとワンオペの時間が長くなるだけだからな」とまで言われるのだ。強く出れない心優しきアルバイト達は、30分~1時間程度のサービス残業など日常茶飯事だった。
店側が売上予測ミスって出た損失をバイトの給料削って埋めてるんです連中は。あ、一文で済んだ。
蛇足にすね毛を生やしてその毛を光らせてみるなんてのはレポートの文字数を埋める学生のような滑稽さで御座いますね。猿のように前かがみで手を翳しましよう。せーの、反省!!
「お前が仕事できれば問題ないんだ」と言われればそこで押し黙ってしまう人が多いのだが、いやでもやっぱり働いた分を不当に削られているよね、我々。と、思うわけである。
ちなみに近隣でお祭などのイベントがあり平常時より多くの入客が見込まれる場合でも人数を増やしてはくれない。売上ばかり伸びて使い潰さてる感は否めない。まあさすがにそういうときの残業くらいは社員によっては認めてくれたりするのだけど。
そして与えられている業務は適当だろうか。小型店舗でも20万程度になる売上金を毎朝アルバイトが銀行に入金に行くのもけっこうゾッとするものがある。
10連勤20連勤も珍しくない。ある年の8月は休日が3日しかなかった。ちなみに「休ませて」と言わなければ何連勤でも可能である。言っても休ませてもらえない人もいるようだが…… 末端の社員などはバイト以上に使い勝手の良い駒で、足りない店舗を縦横無尽に飛び回り、複数店舗のバイトに電話をかけヘルプを頼み、時にはヘルプ先へ車で送迎、店舗ではバイトと同じ仕事をしながらブラック精神の染み付いた上司に怒られつつ必死に働く姿を見るとチュッパチャップスにVAN HOTEN COCOAを添えてそっと枕元に置きたい気持になる。取り合わせについては不問とする。ちなみにからあげパーティーをやると最初にムンクの絵みたいになるのはこの方々。ファイトマネーでガッチリ!と言う人もいるが精神的摩耗によりコスパは良いとは言えない。
A丼屋で働くためのコツがあるとすれば、会社から自分の身を守るように働くことだろう。ワンオペや入金の際にはボディガードを雇い、混雑しそうな時には適度に人祓いをお願いする。安全に生きよう。
ちなみについ最近知ったのだが、うちの店長はアルバイトだった。
それでは、スト参加者の健闘を祈る。
年収の高低だけじゃないと思うけどな。
性別には差がある。生理だったり、寿命だったり、おごってもらえたり、おごる方だったり。
男女の年収格差を是正しようという話は、背の高いヤツと低い奴がいるのは差別だから、低い奴の身長を伸ばしましょうみたいな話に聞こえる。
違う性別なんだから、年収が違うのは当たり前だし。ライフスタイルが違うのも当たり前。そもそも、年収の差は幸せの差なのか?
言い方を変えれば、男性は自分の子供を生む事はできないし、女性は男性に子供を産ませることはできない。そう望んでもな。望まなくてもな。
なんで、性別が違って、ライフスタイルが違うものの年収を無理やり同じにしなければならないんだ?
女性であることを理由に差別を受けている人がいるなら、それはその人達を救済すればいいことであって、女性全体の問題じゃない。
最近っていうか前から男性と女性の平均年収に倍以上差があるとかいう記事あるけど、
あれって、女性は出産後パートタイマーになるから収入が低くなるって当たり前のことにわざと触れてないよね。
あたかも、同じ仕事をしてるのに女のほうが収入が低いと思わせるミスリードでしょ。
男性でも女性でもアルバイト、パートタイマーは収入は低いし、正社員の年収は高い。
アルバイト同士、正社員同士、同じ役職同士で男女を比べたら、収入差は8、9割程度に収まるんじゃないの?
本当は、女性は出産後に育児の関係でどうしてもパートを選びがちになることを問題にしないといけない。
子供を育てる役目を女性が負う分、旦那がその分だけ稼ぐっていう図式が今の日本にはある。それをぶっ壊す必要があることは認める。
産むのは女しかできないけど、育てるのは両方ができるからそれは男女半々にしなきゃならない。
女は産んですぐバリバリ働いて、男は子育てに集中したりPTAで地域に貢献したりするのが不自然じゃない社会。
そういう女が稼ぐ家と男か稼ぐ家の割合が半々になって、はじめて男女半々の収入になる。
ってところまでイメージさせないと、ただ、女の収入が男の半分だーってギャーギャー言っても当たり前じゃんって思われるだけで何にも伝わらない。
これだ→http://lab.guestplace.net/kakusa-16.html
かつて経験したなんともいえない引っ掛かりに似ているかもしれない。
当時私は結婚して数年、マイホームの夢を叶えるべく節約に励んでいた20代後半のパートタイマーだった。
ある日、近所に新しくファミレスがオープンしたので夫と行ってみると
ステーキとご飯のセットで¥2000位。
というのが率直な印象だった。
「うん、高いよ」
「そーお?安くておいしいよーー笑笑」
「安くて美味しいメニューあるの?教えて」
「オムライス。¥890。ふわっとして美味しーの」
「…あ、、そう、オムライス…」
そこで私は黙ってしまった。
そんな個人的な経験から、ファミレスでオムライスを食べる発想は私にはなく、
どうせならあと¥300追加すれば、吉祥寺でもっと気の利いたランチが食べられる。
私にとっては、やっぱりファミレスの¥890のオムライスは高いのだ。
私は話を切り上げた。
理由はよくわからないが
独身で実家暮らしで、バイトを辞めても目先の生活には困らないのだろう。
これと「相続制度が残された妻子の問題である」ということとは違う。
少し噛み砕いて言うなら、「相続制度は残された妻子の問題でもある」ということ。
というか生活できないなら生活保護を活用するべきであって一部に生活できない人がいるから全員に遺産相続認めようってのは変な話
繰り返しになるが、俺が言ったのは、相続制度を即時廃止した場合の不都合。
しかし、今すぐ相続制度を廃止すると専業主婦やらパートタイマーの主婦やらそれらの子供やらとても一部とは言えないような人数がある日突然家から何から取り上げられて路頭に迷うことになる。
これに現状の生活保護制度で対応すること自体がそもそも不可能だし、仮に可能だとしてもいきなり生活困窮者を大量発生させるようなやり方は社会的損失が大きすぎる。
似たような立場で似たような闇を抱えてたから他人事と思えんわ。でも正社員になる事でそれが晴れるわけでもないと思う。
パートじゃ処遇に満足出来なくてもっと責任のある仕事がしたくて小さい子供抱えてるのにパート辞めて正社員採用してもらったけど、
働いて働いて夜中も土日も働いて、やがて家事も育児も疎かになり、仕事の処理能力も落ちて進捗遅れ・ミスも目立ち、
そんな事で会社から評価されるわけもなくプロジェクト一段落したら椅子を外され、今じゃサビ残の量だけが取り柄の独身社員の下で働いてる、
醜いなんてもんじゃない、どす黒いもの腹の中いっぱいに抱えてのどから飛び出しそうな人間もここにいます。ああ醜い。
正社員になったら全てが解決すると思ってたよ。でも違った。仕事も家事も育児も中途半端を極めただけだった。
フルタイムでバリバリ仕事こなしてる子育て中のお母さん、貴女は立派だ。ものすごく憧れたけど、凡人の私にゃ無理だった。
妻が技術書を持って帰ってきた。
妻はウェブエンジニア、とは名ばかりのなんちゃってエンジニアである。
素人の俺が見てもわかるほどのナメた姿勢で、先進的な技術を学ぼうともしないし、仕事を受けるのも積極的だはないようだ。
学生の頃はむしろしっかり者に見えていたから、その変化に最初は戸惑った。
俺が彼女に遅れること一年、社会人になり、仕事の感覚を身につけていくと、彼女の仕事に対する姿勢が気になりだした。
そんな彼女に、俺はこの先生きのこるには〜といったことを何度も言った。
生業としてその職業を選び、携わる以上、情報収集から訓練まで常日頃からことなうべきだと。
でも、その度、喧嘩になった。
妻は、本当は仕事は続けたくない、でも、稼ぐ必要があるからと言った。
話がそこに至るに及び、養えるほど稼ぎのない俺は沈黙した。
遅れて社会に出た俺は去年ようやく彼女の年収を超えた程度。養うにはまだかかる。
なんとかという人が書いた本の訳本らしい。
アサラーと呼ばれる歳に差し掛かった彼女の小さな変化だと思った。
俺は嬉しくなった。いよいよやる気になったんだと思った。
でも違った。聞いたところ、彼女は上司に読むよう指示されたのだった。
経緯を聞いてすぐに不安になった。その上司の考え方が危険過ぎた。
その上司曰く、仕事は実戦であり、家での学習が訓練であるという。だから、闘いの準備は家でして来いと。
建前ではあるが、仕事のトレーニングは仕事の中でこそ行なわれるべきだろう。
なにも手取り足取り教えるというものでもないはずだ。定期的にチェックし、アドバイスを与えるだけでいい。
次に、仕事に対する動機付けが人によって異なることを無視している。
妻は稼ぐために働いている。動機はパートタイマーと大差なく、世界を変えたいとか、社会を良くしたいとまでは考えていない。彼女は春と秋の旅行を楽しみにしている。
そして、一番驚いたのは指示内容だ。
曰く、
“この本を読み、学べ(ここまではいい)。それに従い、働け。
本の内容や、私の指示を無視しても構わない。
ただし、上司である私の指示に従わない以上、上司として責任は取らない。“
これはチームをまとめながら、仕事をする人間の言うことだろうか? 俺はこの上司を否定する。
妻の上司は、自らの価値観を強いているに過ぎない。期待しているのは自分のような人間、または自分のように働く機械なのだ。
妻の姿勢に問題がないとは言わないが、前のめりでないだけでやることはやってるはずだ(なんだかんだで少しずつでも昇給してるし)。
優秀なプレーヤーが優れたマネージャーになるとは限らないと言うが、これがその典型なのではないかと想像する。
協働者として敬い、彼らの仕事に対する動機付けを理解し、その上に教育があるべきだ。そしてその上に実地がある(もちろん理想は、だけれど)。
妻の上司は、それらを否定し、読む本すらも強要し、紋切り型のエンジニアを作ろうとしている。
それを騙しすかしするための小狡さも、フォローするためのマインドシップももっていない。
かつて、その上司のチームにいた女性が、方針についていけなくて退職したと聞いた。
上司は、その女性の姿勢やスキルが足りてなかったと言っていたらしいが、実際は違うだろう。
その女性は、自分の人生を選択し、上司の機械になることを拒否したにすぎない。
妻には、姿勢について改善すべき点はあるが、それは自主的に行われるべきだと思う。言いはするが強いるものではない。
彼女は彼女の人生の中で、職業を選び、働く理由があってそこにいる。仕事は人生の一部だ。
彼女の会社が潰れそうでも、堪えて働くのか、さっさと辞めるのかは本人の選択だ。
俺は妻に、転職先を調べておくべきだと言った。
チーム運営で最も悩む点は、多様な人間の背景と目的を可能な限り成果に向けしめ、ミッションを達成することだと思うが、彼女の上司は機械化することで悩みをないことにしている。そんなところにいるべきではないと。
まだ小さい自分の子どもにじっくり大事に愛情をそそぎたいのは母親自身なんだよ。その気持ちを大切にしないといけないってこと。まだ子どもを産んでいない人や、一部の母性本能の欠落した母親にはその気持ちわからないかもしれないけど、まだまだ小さい1歳2歳の子を、自分たちの生活のために仕方が無く保育園に預けるのって、精神的にかなりきついよ(また、一度預けてしまうとそれに慣れてしまう自分も悲しい)。
妻に子供が生まれたら、お前10年間強制的に育休だからな、キャリア?学歴?知るかそんなもん、10年後に努力で何とかしろ、そう言われたらどう思うのか。そういう想像力が根本的に欠落してるんだと思う。
周りに向上心のない人が多くて、子育ての後に勉強する人とかまったく想像がつかないのかもしれないけれど、いまでもやる人はやってるよ。ただ今だと30で子ども産んで40であまり子どもに手がかからなくなって、それから勉強するから遅すぎる。雇用側だって40何歳の人を0から管理職まで育てようって思わないよ。せっかく能力があるのにパートタイマーで終わらせてしまう。
「キャリア?学歴?知るかそんなもん」みたいな感じで、勉強したくない人はいつの時代も単純作業で低収入の職にしか就けないのは、今も昔もかわらないでしょ。
「新しい提案」とか言ってるけど、結局昔ながらの専業主婦モデル(それも「女に学歴はいらん」の時代の)を提唱しているに過ぎない
昔ながらの専業主婦は、子育ての後は空白だったんだよ。一度専業主婦やっちゃった後は、社会の側からみると、誰でも能無しオバさん扱いになってしまう。それに本人の問題として、メインが専業主婦だから子どもが巣立った後に社会的なつながりがうすくなってしまってアイデンティティを喪失してしまう人も多い(いつまでたっても子離れできない親もいる)。
新しい提案は、子育てと専門・高等教育の順番を入れ替えることで、少子化問題を解決し、なおかつ女性の社会進出、アイデンティティの確保を目指すのが目的なんだけどな。男のために女が我慢しろっていうのとは全く逆で、むしろ、女がのびのびと生きやすい生き方を探る試みなんだよ。
ここ、まったく逆だよ。デザイナーは見栄えを創ることによって情報を浮かび上がらせる。デザインすることによって、そこに誰も見出していなかった価値が立ち現われてくる。
プロ(フェッショナル)のデザイナーはこの辺を感覚でやるから、素人の作った「情報整理して見やすくしました」とかのヘボヘボのデザインとはまったく違う。
もともとある情報を整理してキレイにするだけなら、別にデザイナーじゃなくて市の職員にだってできるし、アルバイトの女の子にだってできる。
元増田はどっかでそういうやりとりを見たのかな? とりとめのないコメントなのですが、ひとつ。。。
嬰児殺害だったり児童虐待だったりのネタのブコメを見たりすると「父親不在であることが問題であるような」「父親は?」みたいなコメントがついたりして
「あれー女性の罪の話なのになぜ男性わるいことに」とか「母親が子供に拘束されてる間、旦那は仕事に拘束されてんだけど、そういう観点はなしですかー」みたいな感じでもにょる。
でさ、例えば「男性が女性を殴るのはNGだけど、女性が男性を殴るのはアリ」とか「女性からラブレター送るのはアリだけど、男性から送るとストーカーで実名報道」とか
そういったジェンダーバイアスって普通にあるじゃない? そういう事なんじゃないかな。
女性が男性を攻撃するのはアリだけど、男性が女性を攻撃するのはナシなのよ。まぁ昔からこれはそう。
ただこれは『女性が弱かった時代』に成立してた話なのよね。 今は女性も普通に働けるし、(不況になってからこっち、男性の自殺率があがる一方だけど)「女性の雇用を推進しべし」って声は止まってないよね? あと専業主婦や旦那の稼ぎに(つまり配偶者控除に)依存したパートタイマー女性が、女性の平均賃金を下げてるのを無視して今でも「女性の平均賃金は低いままだ」みたいな主張を続けたりしてる。
過去、フェミニストそういう主張を繰り広げてきた歴史があって、女性の観点では『男には、これくらい言っちゃっていい』みたいなハードルが低いんだと思うよ。 そういったジェンダーバイアスが作られてきた歴史がある。 大きな歴史が。
こういった女性優遇のジェンダーバイアスって別に日本だけの話じゃなくてアメリカにもある。
今年の「Newsweek 0歳からの教育 2013年版」にもそういう話が載ってて「あー、まぁそうかな」と思った。
教師観点でも女子生徒の暴力にはあんまり厳しくないんだって。 だから女生徒の方がのびのびとした学校生活をおくることができる。 男子を持つ親はその辺への配慮も必要だなー(私は父親なのです)
で、障害者と健常者の間だけど、そういった「ハードルの低さ」みたいなものが無いんじゃない?
障害者観点で「障害者の犯罪を健常者になすりつけて良い」「これくらい言っちゃっていい」みたいなハードルの低さはないんじゃないかな。どうかな。
あと言うまでもないかもだけど、育児はまぁ大変だよ(もちろん楽しいことも沢山)
おかしな主張をする女性が多いのは歴史的な経緯もあってしかたがないと思う(若い女性と話すとフェミニズムの影響がだいぶ下がってきてるような気もするが)
1995年の経済界の賀詞交換会でダイエー会長中内氏(当時)がTBSの有村かおりアナ(当時)のインタビューに応えてこう言った。「これからはコンピュータとパートタイマーがいればよい、能力のない社員は切り捨てる。」
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aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災16周年 http://p.tl/I2KU
イトーヨーカドー様におかれましては、
ダイエー様の轍を踏まないよう、
より一層のご多幸とご発展をお祈り申し上げます。
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(当時とは時代が違うし、
発言の真意とその実行手段も異なるだろうから、
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当時、
私も視聴していた。
「うわぁ、すごいこと言うなぁ。」と思ったので記憶している。
悲しいことに、
自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学の文系学部に入った春、僕は貧乏人たちと出会った。
奨学金の存在自体は知っていた。優秀な学生や困窮の極みにある優秀な学生が実質無料で高等教育が受けられるなんて、日本はなんて良い国なんだろうと思っていた。さすがは先進国だ。福祉が違う。おかげでどこかの学生みたいにバイトなんかしなくてもいいし、一心に勉学に打ち込める。うち程度の大学にはあまり縁のない話だが(まあしかしその程度でも援助に値する将来性のある人材はいるものだ)ともかくもすばらしい。大学全入時代とは、つまりみんなが好きに好きな分野を学べる、そういう幸福な時代なのだと勘違いしていた。国がお金を「くれる」ものと。
例えば目の前に一人の先輩がいる。彼をA先輩と呼ぼう。A先輩はまるで平凡なナリと面の童貞で、平凡な成績で、おそらく家庭環境も平凡なのだと推測される。父がサラリーマンで、母が主婦兼パートタイマーで、かつ子ども自身は地方公務員を志向しているような、僕の感覚すれば極めて平均的でありふれた家族。一億総中流の名残。
意味がわからない。彼の成績はなるほど悪くはないが、抜群ではないし、っていうか講義サボってるし、飲み会で聞いた生い立ちには生活保護の「せ」の字も出て来なかった。
その上バイトもしているという。
意味がわからない。あんた、奨学金受けてるんだろ? すると彼は不思議そうな顔でこう答えた。
聞けば、大学四年間で支援され他数百万を、後日弁済しないといけないという。する義務があるという。血の気が引いた。
地方公務員の給料というのがいかほどは知らないが、少なくとも完全に返済するのに何年もかかる額であることはわかる。自分の生活を切り詰めないと、ひねり出せないような負担だ。バカなのかと思った。なんでわざわざ借金しに大学に通ってるんだ? なんで高校卒業したら即就職しなかったんだ? そんないい大学でもないだろ? そんないい将来が望めるような就職予備校じゃねえだろ? マゾなのか?
もう一人、A先輩と似たような境遇の童貞が存在する。彼をB先輩と呼ぼう。バカのBだ。B先輩がA先輩と違う点は、大学院を志望している点だった。しかも、うちの大学の院。専攻は民俗学。
バカなのだろうか。バカ決定でいいと思う。
私立文系の院が絞首台への階段であることは今時分、三歳のガキでも知っている。僕ですら知っている。信じがたいことに彼は院で更に奨学金、もういい借金と呼ぼうこれは借金だ、大学院で借金を上積みしようとしている。っていうか2012年現在、彼は現在完了形で借金した。学部時代の借金と連結すると、総額で一千万に達する。
今のところ彼が富豪の隠し子で将来的に大いなる遺産が転がり込んできて紳士に成り上がるという予定は聞かない。今儲かるベンチャーの社長の出身のモードが民俗学博士号にあるという事実も聞かない。もしかしたら、その博士号がいずれ投資の倍額で売却できる日が来るかもしれない。
B先輩はA先輩や僕と違い、学問的なポテンシャルやアンビションに恵まれていた。
朝、大学図書館が開くとともに分厚い専門書を抱えて閉館時間まで篭りきりでノートをとるような人。専門外からするとフィールドワークとかしなくていいの?などと心配してしまうが、ある程度は優秀な学生ではあると思う。ある程度までは。
残念ながら、飛び抜けて優秀かといえばそうではない。彼以上の人材は世の中にゴロゴロしていて、たとえばそういう人達は国立大の院などへ籍を置いているはずだ。その差を埋めるほどに処世に長けているかといえば、大人しすぎて不器用な人なので、どうだろうか。
彼自身も漠然とした不安は度々口にしている。「このままでは先は暗い」「不安だ」。バカか。だったら、さっさとスーツ着て説明会行って訳知り顔で頷きながらメモ帳にこまめにネコの落書きを描きつつ質問タイムになったら何も考えてなくても元気よく手をあげろ。
けれど、僕はB先輩がそんなはしたない真似をできる人間ではないことを知っている。それだから、一千万の借金をひっかぶったわけだ。彼が引っ込み思案だという、それだけの理由で。まるでクソみたいに素晴らしい世界だとは思わないか。
こうした個別のケース経験から僕が学んだのは「『中流世帯』の家庭の子供もフツーに奨学金を得ている」「彼らは特に優秀なわけでも、学問的に意欲が高いわけでもない」という事実だった。一人暮らし先に引っ越す前夜、僕は父親から「お前の入る大学なんて、遊ぶかバイトするためにしか学校に通わない役立たずどもしかいない」と失望気味に脅かされたが、彼の認識は誤っていた。彼らは借金をするために大学に通っていたのだ。
ショックだった。僕はそれまで「大学に進学するには『普通の家庭』の収入で十分」と思っていたから。だって、そうじゃないと日本人の半分も大学なんかいかないでしょ? そうじゃないと誰もこんな大学入らないでしょ?
B先輩のように「学問しかない」人間ならまだ理解できる。人生を賭けるとまではいかなくても、わずかでも学問に興味を抱く人間ならば平等に機会を与えられるべきだと思う。でもほとんどの三流大学生に学習意欲などはない。彼らはただ高校時代や中学時代とおなじように「大卒」の資格を得るためだけに出席カードに名前を書いている。
わからない。そこまでして「大卒」の資格を得たいものなのか? 何百万もの借金に見合うような肩書きなのか? 半世紀前ならいざしらず、就職市場は冷えきっている現在では数年で借金を完済できるような職などまず望めない。学生時代にかけられた呪いと向こう十年二十年はつきあっていかなくてはならない。「大卒」資格と引換えに。
僕の地元の友人は、高卒で地元企業に就職した。彼は家に相応の金を入れつつ、こつこつと貯金をためながら現在の彼女との結婚のために準備しているという。
彼は兄を憎んでいる。彼の兄はやはり地方の無名私立大学に入学して、穀潰し生活の六年目に突入しており、その学費の一部は友人の「上納金」から出ている。長男にまだ一定の優越権が認められている田舎の話だ。
友人はそれなりに頭は良かった。勉強好きではなかったが、努力家だった。もし将来を見据えて本腰をいれて勉強に励めば、僕なんかよりランクが上の大学だって夢じゃなかったはずだ。だが彼は「うちにはお金がないから」という理由から進学を断念して、高校で僕と道を違えた。僕は彼の家の貧乏を哀れんだ。彼が「特別なケース」だと錯覚した。でもそうじゃなかったんだ。友人の進学を阻んだのは「お家は長男のために」という冷徹な田舎の力学であって、「経済的理由」は二次的な障壁に過ぎなかった。今うちの大学は、彼の家とそこまで経済事情の違わない別の地方の子供たちで溢れている。彼らには友人と違って、憎むべき「兄」が存在しない。自分を恨むしかない。惨めな私立にしか入れなかった自分の頭を。
就活生の狂気じみたテンションは、そんな後ろ暗さを払拭したいところから生まれたのかもしれない。そのチャンスを逃したら、借金は一気に人生を破滅させる獣へと変わるのだ。意識が高くないと、やってはいけないのだろう。
経済的価値においてはすでにひっくり返っている気がしないでもない「大卒」の肩書きを、それでも「行っといた方がベター」という空気のために、手に入れなければならない。「大卒」は「高卒」よりも選択肢の幅が広がるし、立派な生活が保証されるという。本当だろうか。東大京大早慶以外の大学でもその神話は有効なのだろうか? 明日潰れるともしれない中小ブラック営業職で十八時間労働を強いられる「大卒」は定時であがれる僕の友人より幸せなのだろうか。二十年後三十年後の給料に差はでるかもしれない。だが二十年後三十年後に前者はまだ生存していられるのだろうか。
飲み会の席で、A先輩の伯父さんが最近自殺したという話を朗らかにされた。
「そうなんだよ、死ねば奨学金帳消しになるんだよ、死ねばさあ〜」
なぜ彼は笑っていたのだろう。
大学を卒業して言語学校に留学してそれから社会人になったので、社会人経験はあなたよりずっと少ないです。そしてまた26歳の時に結婚して子供を産んだばかりなので会社も辞め(させられ)て今は無職です。フリーターは社会人経験に含まれないんでしょうか、ちょっと驚いています。2人ともパートタイマーで暮らしている友人(海外だけど)もいるからなのか、自分の中の常識が覆された感じです。
あなたはすごく頑張ってると思います。で、ちょっとした提案なんですが、外国語をやってみては如何でしょうか。何故かと言うと、日本破綻の可能性を知っているからです。確かに、この前破綻してしまった某国より日本の負債額は多いんですよね。可能性はとても大きいと私も思っています。英語と北京語辺りができるとどこに行っても不便なく動けると思います。私はどちらも使えますし、他にも(詳細はちょっと書けないんですけど…)。
大学受験をお考えのようですが、学部学科はある程度絞り込んでから動いてくださいね。「難しそうだ」と思う学校を狙っていらっしゃるのであれば、先に関連のある学科のある「手の届く」大学に入って、3年生になる前に転入試験を受けるという手段もありますから、ぜひ試験の難易度だけで大学を決めないでください。国立大学は編入試験どれくらいあるのかな…?私は私学の言語畑でずっと生活していたので詳細はわかりません。ごめんなさいね。私が2年生の時上智の編入試験を受けた人はけっこういたらしいんですが、私は実家の仕事を手伝わなくてはならなかったので受けませんでした。教員や友人にもかなり勧められたけど、通学時間がねえ…。
これ、すごく気にかかりました。私の夫は高卒です。ほとんど人生に重なり合う点があんまりありません(笑)。でも、同じカテゴリにいる人相手では知らなかったことを教えてもらうこともあります。一緒にいることに、そういった分類やラベルがどうかかわるか考えてみてください。むしろ、人格云々の方が重視されるはずと思います。…もちろん、普段過ごす「舞台」がどんなところなのかによって出会う人の質に変化があるのは当然です。それは友人についても同じことですね。ただ、どんな舞台に行っても「信頼関係を築いてから」恋人になり、「その信頼関係を磨いてから」結ばれてください…一度お別れを経験なさっているので実感はあると思いますが、納得のいく人生を!
都民?
都知事選の顔ぶれをみるとなんかもう終わった感つよいよ。
82歳に未来の心配とかしてもらいたくねえけど、ご時世がら冒険すんのも怖いんだよね。
谷山雄二朗(たにやま・ゆうじろう、38歳) 無所属 インターナショナル・デジタル・パートタイマー[1]
古川圭吾(ふるかわ・けいご、41歳) 無所属 訪問介護会社役員[2]
石原慎太郎(いしはら・しんたろう、78歳) 無所属 東京都知事
東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお、53歳) 無所属 前宮崎県知事
小池晃(こいけ・あきら、50歳) 無所属(日本共産党推薦) 前参議院議員
姫治けんじ(ひめじ・けんじ、59歳) 平和党核兵器廃絶平和運動 建物管理業
若いの一応調べてみる。情報なさそうだけど。
つか、やっぱりなんの情報もねえ。
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/kokuji/yf13.htm
こんなインデックスもない情報でどうやって選べっていうんだよ。
これらの問題を解決する為に、児童相談所や年金基金や民生委員に、強制調査権を付与する法改正をするという話が出ているようである。
家族の絆が崩壊している状態が問題なのであって、その原因は、現行民法や年金制度といった、社会制度の方向性が間違っているという点にある。
国民が求めている改革は、社会制度の方向性を改める事なのに、声の大きい一部の陳情者や官僚機構の求めている改革ばかりを進めるというのは、自民党の末期と同じ間違いをやらかそうとしているという事である。
児童相談所や年金基金や民生委員に強権を与えて、取り調べる権限をもたせても、問題は解決しない。それどころか、そういった施設で働く幹部管理職として、官僚の配偶者や子供といったコネ採用の人が高賃金でのさばり、問題があった時に切り捨てられる現場責任者として、パートタイマーの低賃金労働者が雇われるだけで、それらのコストは、全部税金から出る事になる。
家制度を破壊し、核家族化を進める法制度や社会制度の欠陥が、育ててもメリットが無いから育児放棄されて死亡する幼児や、行方不明になって野垂れ死にしていてくれた方が年金や公務員恩給を何十年でも不正受給できて得という所在不明老人の発生となっているのである。
人民の行動は常に実利を追い求め、制度によって誘導される。だから、正義と道理に沿う事が実利になるように、制度は常に改廃されていかなければならない。
100歳以上の高齢者に、面会をして確認せよといっても、そのとき面会した相手が、本当に100歳越えの高齢者本人かどうかを確認する方法は、どこにも無い。国民全員の指紋や網膜パターンを取って、全員のデータを照会して、ダブりを排除するという犯罪捜査をやらなければ、このやり方では、真実性を確保できない。
弱い所を補強する為に、税金を湯水の如くに使ったり、強権を与えたりするのではなく、弱い所を作らない事、税金を使わないこと、国家権力の濫用をさせない事こそが、求められている改革である。
政治とは、税金の使い道を決める事ではなく、核家族化を進める間違えた制度や、著作権法や特許法といった時代の間尺にあわなくなった法制度を改めることである。立法府の仕事は、法律の改廃であって、税金をばら撒く事ではない。
赤字国債を発行しない為に予算を削れという前に、税金を使わなくて済むように制度の改廃をしろと命じる事が、官僚の正しい使い方である。これは、正式な命令として出さなければならないし、それが実現すると天下り先がなくなるから、退官後に市会や県会の議員になるという身の振り方も、命令権者である大臣が準備しなければならない。
産前・産後は身体的な問題から女が休まざるを得ないだろうけど、その後の育児や家事は男性が主体となって行ってもいいはず。
専業主夫となるのは厳しいかもしれない(専業主婦であることが今の時代厳しいのと同様に)けど、たとえば男性はパートタイマー、女性が大黒柱でも、何の問題もないはずなのに、どうして世の中主夫というのが増えないんだろう。
家事一切、親戚づきあい、育児もぜーんぶやってくれるなら、あとついでに親の介護も将来的にやってくれるなら、男性に家庭に入ってもらって、自分が外で働きたいと思っている女性って意外にいるんじゃないかと思うんだけど。
男性だからって将来にわたって収入が保障されているわけじゃない時代なのに、そういう考え方をするのって、なんで一般的じゃないんだろう。
女性が仕事をしたくないの?それとも男性のプライドが許さないの?あるいは女性はいまだに30過ぎたら総合職正社員でも昇給が止まる時代なの?(今まで3社転職してきて、そんな会社見たことないけど)
中学三年生の時に学校で配られた英語長文の練習問題がひどかった。
日本、アメリカ、中国などの子供たちの将来なりたい職業を比べたもので、アメリカ、中国なんかはまあ普通の職業だったと思う。
なんと日本の●パーセントの学生がパートタイマーになりたがっているのです!というような論調。
(詳しい割合は忘れたけどすごく高かった。半数どころではない)
理由は、「パートタイマーは楽だから」。
だれに取ったアンケートだよ、お前ら私たち子供を馬鹿にしたいだけだろ?と子供心に思い、先生に抗議するか悩んだけれど、
いい子だった私はやめておいた。抗議をしてどうなるのか、とも思ったし、その先生はおじいちゃん先生できっと内容なんて吟味せずに選んだ問題だろうし。
先日ちょっと、有給とは何かについて考える機会があったので、なんとなく自分の考えをまとめてみる。
ことの起こりは、事務所のアルバイトの「有給って何だ。仕事していないのに給料支払わないといけないとか、意味ワカンネ」という発言に対し、とっさに気の利いた反論ができず、苦汁を嘗めた事なんだが…。
この時、さくっときれいな反論ができなかった自分は相当社蓄脳っぽくなっててやばかったと思う。
あと、パートタイマーの人がそんな経営者みたいな考え方・しゃべり方をするのを目の当たりにして、気が動転した。
まあひょっとすると、ウチのアルバイト形態の人には一切有給の適用がないので(本当はそれも違法だが)、ねたみ心から出た発言というのもあったのかもしれない。
で、有給に対する私の考え。
労働者が法定どおりの勤務をずうっとずーっと続けていると、それこそ休みの日は文字通り休む日になってしまい、遊びに行くとか、趣味にふけるとか、そういうことが難しくなると思う。
それこそ、生きるために働くのか、働くために生きるのかわからなくなると思う。
だから、最低限、本当に自分のために使える時間を人生の中で確保できるように、労働基準法がギリギリラインを引いて守ってくれているのだと思う。それこそ、最低限の文化的な生活とか、幸福追求権とか、そんなレベルの最低限の法律とつながる話だと考えている。
正社員の多くはそうだと思うんだけど、月○○万みたいな感じの雇用契約を結んでいて、経営者はわかりやすい人件費コストとして、月給+交通費+社会保険料を脳内で積み上げているはず。
二代目以降の、自分で銀行まで納付用紙持って行った事のないアホな経営者は、社会保険料の事をよくわかっていなかったりするかもだけど。
実際、年に何回の労働保険料を経営者に見せたりすると、「何だよ、高ェな。畜生」みたいな顔をする。最初からある程度見込めたコストだというのに。不愉快顔される覚えはない。
社会保険(今や社会保険や厚生年金は、被扶養者がいる世帯にのみ旨みのある制度で、それ以外の多くの労働者はアオリばっかりのクソ制度だが)と同様、有給だって義務なのだから、経営者は従業員を雇い入れるときに有給も人件費コストとして見積もっておくべきだ。
“従業員のみんなが働いている時、誰か一人がいきなり「有給使って休みます」というのに首を縦に振らないといけない制度”みたいな認識がそもそも誤りなのだ。
たとえば、月給25万で雇うなら、雇用契約を結ぶ時点で、「一日換算で8,333円、半年後に10日分83,333円のコストとして…」という風に、包括的に人件費と費用対効果をみて人を採用すれば、頭の冷静な経営者なら、有給という単語を聞くたびにそんな苦虫を噛み潰した顔にならずに済むし、労働者側も遠慮が要らなくなる。例えば、貸倒引当金みたいに、従業員一人雇い入れるたびにそういうのを計上しないといけない仕組みにすれば、経営者の意識も少し変わると思うんだけど(取り崩し方がちょっと特殊になりそうだが)。
薄っぺらな結論で申し訳ないんだけど、人件費を見通せない(あるいは見通すのが面倒くさい)バカな経営者が、夏休みの宿題を大量に残した小学生的不愉快な気持ちを従業員に八つ当たり的に押し付けているせいで、有給を取れない社風を作っていると思うんだけど。
この考え、どうかな。