はてなキーワード: ターゲットとは
いや、ほぼ同じでしょなに言ってんの。
https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/4908
ある言葉が本来の意味よりも狭い意味を示したり、逆に広い意味を示すことになることがあり、これを「シネクドキ」(堤喩)といいます
「お茶」というと「茶」のことですが、普通「お茶、飲みにいかない?」というと、「お茶」という下位カテゴリーでなく、ジュース、コーヒーなどを含んだ上位カテゴリーである「飲み物」(さらには、ケーキなどの「軽食」)を指すと考えられます。
富士見Lが富士見Fから派生したというのは形式上の話に過ぎない(富士見F作家で書いてる人間は初期から数えるほどしかいない)し、コバルトは少女小説。富士見Lの作家も女性向け出身者が多い。
「それ以外のライト文芸レーベルは基本、一般文芸の中のキャラ性の強いところを集めて出したもの。」を多少修正するなら、「一般文芸の中のキャラ性の強いところと少女小説の一般寄りな部分を集めた」とでも言えばいいか。
いずれにしても、ライト文芸とラノベの間には、ターゲット層にしても内容面にしてもかなり明確に線が引けるというのが一般的な認識のはずだろう。
これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーション・キャンペーン。
[B! 上川陽子] 上川陽子「うまずして何が女性か」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」内部文書入手
共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に
「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったのがいかにも日本的な乗せられ方だ。
これは欧米でミスインフォメーション・キャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。
ミスインフォメーション・キャンペーンとは、世論や有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させ、選挙の完全性を損なう可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディア、マスメディア、口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュースを作成したり共有したり、事実を操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。
その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたり、選挙制度に対する国民の信頼を低下させたりすることだ。
このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に永続的な影響を及ぼす可能性がある。
今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。
それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。
上川氏が女性の役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道は「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。
ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。
今回のメディアの場合、不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的な正義に訴えたわけだ。
上川氏の潜在的な差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。
出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。
子育て環境の制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からのプレッシャーとして理解するひともいるだろう。
女性の出産の役割に自己実現の価値を見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。
つまり、上川叩きの味方を増やす効果があって、上川氏からすれば、保守からも批判されうるし、フェミからも批判されうるという状況に置かれてしまったことになる。
今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定のターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。
「出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆の感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。
それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信のスタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。
共同通信としては、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についても少しは考えてもらいたい。
「出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別な配慮を必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。
これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味の偏見が強化されるってことでもある。
社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者の感情や意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分の発言を自己検閲し、無意識のうちに自らの意見を抑制するようになる。
「兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現が大衆を戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。
これに対して、いやいやむしろ、偏見解消は積極的にキャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。
しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分の偏見を解消できるわけでもないし、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及・概念の進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。
ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼の傲慢だからだ。
「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。
「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。
私から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっともサヨクのムカつくところなんだよ。
かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦のブルース」のなかにこんな歌詞がある。
息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない
だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れたわ
安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、中島みゆきの世情は、この10年後の70年代の世界がうたわれたもの。ひとつ前の安保世代の情熱が新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたかも守旧派とさして変わらない頑固さで何か進歩的なるものを訴えている、という皮肉な構図になる。
今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現のタブー視が蔓延し、出産に自己実現を見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的な差別意識が助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
この文脈で「レイオフ」という言葉を使うのはおかしい。「レイオフ」というのは基本的には会社側に非がある場合に使われます。業績悪化による整理解雇などが「レイオフ」です。従業員のパフォーマンスが悪いから切りたいというのは「レイオフ」とは言わないですね。
ではなんと言えば良いのか。「ファイアー!!!」ですね。「彼はファイヤーされた」などのように言います。いくらat will employmentであるアメリカと言えどそんなに簡単に解雇できるわけではないですね。いきなり解雇して訴えられても困りますから。訴えられても大丈夫なように解雇をしていくというのがアメリカ企業のやり方です。これこれこういう理由で会社はこんなに頑張って尽くしたけど改善が見られなかった、だから会社はこの人を手放すしか無かったのだ、という体にしたいわけです。
これが悪名高いPIPですね。PIPはPerformance Improvement Planの略で「パフォーマンス向上計画」ということですね。この人はパフォーマンスが低いから向上させようというプログラムです。表向きは前向きな名前ですが基本的にここに入れられたらおしまいです。普通の人は無給休暇を取得し転職先を探します。PIPはクビにする最終段階にあります。その前からfocusだのdevelopment planだの色々な名前で緩衝期間が設けられパフォーマンスが厳しく監視されるようになりそれでも改善しない場合にPIPに突っ込まれるわけですね。よくあるのが処理できない量のタスクを課し「この人はこれを達成できなかった」という事実を作り出すことです。この事実があれば解雇しやすいし訴えられても会社も言い分ができるわけですね。
さて、どの会社にもパフォーマンスが低い人は一定度いるわけです。アメリカの会社では毎年下位の何%は切り捨てていこうという目標があったりします。これをURAなどと呼びます。URAはUnregretted Attritionの略で「後悔しない離職」とでも訳しましょうか。要するに「後悔しないクビ」ということです。「こいつを切っても会社としては後悔しない」という人を見つけてどんどんクビにしていくことが奨励されています。URAのターゲットに入ってしまった場合、あなたは終わりです。PIPされて消されることでしょう。この数字を満たすためだけにクビにされる人もいます。
URAを満たすためだけに行われる採用をhire to fireと良います。クビにするために採用するということですね。Hire to fireされた人は可哀想ですがPIPするために採用されたということですね。
キー局決算で見えた「TVerによる驚きの配信収入」 50億円規模の事業が3割も4割も伸びている | テレビ | 東洋経済オンライン
[B! TV] キー局決算で見えた「TVerによる驚きの配信収入」
配信収入に関するコラムがホッテントリに入っていたので覗いたところ、Tverの収入に関する疑問、懸念が諸々ブコメに集まっていたので、自分のわかる範囲でテレビ放送に関する収入、また配信に関する収入について解説する。
正直タイトルに挙げた疑問にバシッと答えを出すのは難しいが、そもそもテレビ放送の収入や「スポンサー」について色々誤解している人も多そうなので一助となれば幸いである。
一般的にスポンサーと聞いて思い浮かべるのはどういうものだろう。
好きな球団やゲーミングチーム、有名選手、また好きなアイドルをCMに起用した企業など・・・推し活のイメージだと推しを起用してお金をくれる会社!みたいなイメージが強いかもしれない。ただテレビの場合はその対象が番組となるため、お金がそのまま番組に還元されるという考えで番組への投資や制作費の提供のように捉えているひともいるだろう。そのため、タイトルに挙げたような疑問が出てくるのだと思う。
まずお伝えしたいのはスポンサーが払っているのは制作費ではない。
番組の途中で広告や提供クレジットを表示する広告枠に対する対価である。件のコラムで書かれていた「減少する放送収入」はこれに該当する。厳密にいうとこの放送収入のうち「タイム収入」と呼ばれるものがみなさんが一般的に想像するテレビ番組のスポンサーである。「スポット収入」と呼ばれるものもあり、詳細は割愛するが、実はタイム収入とスポット収入の規模はそこまで差がない。いわゆる「この番組は~」とアナウンスされるスポンサーだけが放送収入を支えているわけではない点だけ覚えてもらえると幸いである。
レギュラ―番組におけるタイム収入のセールスの流れとしては、改編期に編成が番組表(テレビ欄)を作成すると営業が大体この番組であればこれくらい視聴率が取れるだろうと想定し、それを基にどれくらいのひとにCMを見てもらえるかというアピールをしてスポンサーを集める。
手越とベッキーが並んでいた頃のイッテQ全盛期にはスポンサーになりたい企業が列をなしているという記事も出ていたが、イッテQが面白いから出資したいのではなく、イッテQを沢山見る人がいるから高い金を払ってでもCMを流したいのである。
無論、スポンサーの意向が強い番組や、一社提供のような特殊なケースもあるが、一般的にはスポンサーは広告枠に対価を払っているだけで全体の収入から各番組の制作に使える予算を割り振るのも、改編期に番組を存続するか終了するか決めるのも、スポンサーではなくテレビ欄を考える編成と呼ばれる部署である。お金をもらってくる部署とお金を配分する部署が異なるのはよくあることで、そういう意味ではテレビ局も普通の企業といえるだろう。
期待された視聴率を出す必要があるので、スポンサーの多い番組では予算も増え、人気タレントを出したり、お金のかかるロケができる。スポンサーと制作費は確かに関係しているが、直結しているわけではない。
もしそうであればVIVANTのスポンサーは同じ時間帯の番組に比べて相当な金額を払わされていることになってしまうだろう。
まず前提として、ここで触れるのは件の記事で取り上げていた「Tverにおける配信広告収入」のみとする。配信事業という括りでは他にも色々あるのだが説明するのが面倒なうえに、配信事業は各局の開示具合が異なるのであまり具体的な話ができないためである。
ネット広告といえばサイトにしつこく出てくる不快なバナー広告、恥ずかしいぐらい検索履歴が反映されたバナー広告、またYoutubeを再生しようとすると流れる怪しい商品の広告など、日々のネットサーフィンで吸い上げられた年齢性別嗜好から選ばれた広告がアドサーバーから出力される。「Tverではスポンサー以外のCMが沢山流れるからスポンサーが損をする」という疑問がこの記事の始まりだが、このようなネット広告へのイメージから出てきた疑問だろう。
当然Tverでもアドサーバーを介して表示されるCMは多い。ただ全てではない、というのがポイントである。
実はTverの広告は、各局を通してある程度番組を絞り込んで出稿することができる。これは特に秘密の話でもなく、「テレビ局の名前 営業サイト」で調べると、ここまで書いたことは大体書いてあるし、その一角にはデジタル広告のメニューも存在する。フジテレビの営業サイトにもフジテレビドラマのみを対象にしたメニューが紹介されている。企業にとっては単なる属性だけでなく、ターゲットに即した番組でCMを打てるのは大きなメリットとなる。
テレビのタイムCMのように同じ番組を見れば万人が100%同じCMが見るとは限らないが、Tverで同じドラマを属性の異なる人が見た場合でも、同じCMが流れることがあるということだ。
今までテレビ番組の広告枠しか売ってこなかった各局の営業マンが手探りで始めたがゆえに、テレビ営業の風習が残った結果、一般的なネット広告とは異なる形態になったのかもしれない。
またコンテンツの性質上、動画サイトに比べて平均視聴時間や完全再生率も高いこともウリであり、各局がセールスをかけた結果、記事で触れられているような急速な成長を見せているということだ。
コラムにもある通り、放送収入に比べれば配信広告収入はまだまだ対抗できる規模ではないが、再生回数やUU数のような新たな基準が生まれたことで、これまでの視聴率では決して評価されなかった番組が評価されつつあるのは確かである。
ここまで読んだ方であれば、既にこの懸念に対する認識が多少変わっているのではないだろうか。「スポンサー」の定義はもちろん、Tverで流れるCMが必ずしもYoutubeと同じ仕組みで流れているわけではないということも理解いただけたと思う。
ただTver中心にテレビを見ている方はタイムスポンサーの名前を一切見ないこともあるわけで、出稿金額の規模に対して損しているのではという懸念が残るかもしれない。
落陽といえどテレビCMにも強みはあり、集中して出稿するだけで幅広い世代になんとなく名前を覚えてもらうことができるのはその一つである。近年だと川口春奈の顔を見たら思い出してほしいと言わんがばかりのNidecのCM、ベテラン選手だと企業名以外は何も頭に入ってこない日清紡の犬CMがまさしくそれである。先日もカーポートマルゼンのCMでタイヤを転がしている兄ちゃんが実は社長になっていたというツイートがバズっていたが、実店舗が5つしかない専門店が共通の話題となって盛り上がるのはテレビCMならではの現象であり、東京ブギウギのメロディを思い出そうとすると暑苦しいトータス松本の顔とクリアアサヒしか出てこなくて困ってしまうのも同様である。またリアルタイムでの視聴が予想される国際試合などのスポーツ中継で気合の入ったロングCMを流すのも、同時に万人に見せることによって話題に上ることを狙ったものだ。
(おそらくここで「自分は昔からテレビを持っていないから例に挙げられた話がさっぱりわからない」といったコメントが出ることが予想されるが、この記事はタイトルのような懸念を持つ、テレビにある程度関心がある人を前提で書いているので悪しからず)
先ほど挙げたような企業名ゴリ推しCMは電車の車内広告でも見かけることが多い、時代の変化に伴い他のチャネルとの組み合わせの一つとしてテレビに出稿しているスポンサーもいるということだ。
若い世代が一人暮らしを始めるときに意気揚々と「これで一人でチャンネルを独占できるぜ!!」とテレビを購入することがほとんど無くなっていることも、学校や職場で当たり前のようにドラマやバラエティの話題が上ることがなくなっていることも紛れもない事実である。それでもなお、テレビCMには認知拡大に強く、放送収入が未だに大きな規模を保っていることも事実なのである。
タイトルの懸念に対してYESやNOで答えることは難しいが、現時点ではそこまで深刻なものではない、というのが自分が出せる回答となる。これは自分の個人的な視聴体験なのだが、テレ朝系(ABC)の「DAIGOも台所」をTverで見ていたとき、DAIGOがイメージキャラクターを努めるクックパーと番組にキッチンを提供している企業のCMばかりが流れてきた時期があった。やろうと思えばこれくらい振り切った出稿もできる。当たり前だがスポンサー企業もテレビ局もお互い計算しながら広告を買ったり売ったりしているのだ。
この記事を書こうと思ったキッカケは「Tverスポンサー以外のCMが流れるから、最近は広告カットツールを使って見ている。代わりにスポンサーの広告を後で見に行っている」というブコメを見たからだ。
X、インスタ、Tiktok、Youtube、ニコ動・・・あまりにもそこらじゅうに動画があふれているおかげで忘れているが、動画の視聴は無料でも、動画の再生自体には費用が発生している。情シスやエンジニア関連の話題で頻繁に盛り上がるはてな村の皆さんには説明するまでもないが、サーバーなり運用なり作業や費用が発生しているところをプラットフォーム側が整えているから、基本的に利用者が金を払わずに見れているだけである。それはTverも同じであり、扱うCMが増えるほど、コンテンツが増えるほど、サービス維持にお金がかかり、テレビ局はTverから広告収入をもらう一方で、インフラ費用をお支払いしている。電波という圧倒的な存在により、テレビと線を繋げれば、電気代だけで見られる(某公共放送以外)テレビのTverの大きな違いである。レコーダーで録画した番組を再生する際にCMをスキップするのと同じノリでやっているのかもしれないが、性質が全く異なる。
広告カットツールを使って見るということは、Tver上である程度番組を絞って出稿した企業にとっては機会損失となり、広告imp数の実績にもならず、再生回数やUU数に反映されない可能性もあるので番組の評価にもつながらない、コンテンツの再生に関わる費用だけは発生するのでテレビ局も損をする。得するのはCMを飛ばして少しいいことをした気分になっているあなただけである。
「君、つかまるよ」とまでは言えないが、番組とタイムスポンサーへの気遣いのつもりであっても、あなたがしていることは違法視聴であり、損害を与えていますよということだけは、あなたが応援しているテレビ番組のためにもハッキリお伝えしておきたい次第である。
レスバウォチしてない人は知らんかもだが、その昔とあるツイッターでアイドルのファンからアンチに反転した人が暴れまわって、皆からフルボッコにされたあとに「反論するにしてもファンネルかよ普通?(みたいなつぶやき)」をしたのがきっかけ。
内容としては「ずっとアンチしてた奴よりも先にちょっと苦言を呈しただけのファンを標的にするのはちょっと違わないですか?」という意味でしかないし、「FANNERAU」の「A」が抜けただけのツイートなんだけど、元ファンがちょっとアンチ言動しただけで次々フルボッコにされる様子のインパクトもあって「ファンネル」って言葉は皆の印象に残ったわけ。
このときはアイドル本人が直接「コイツを狙え!」って指示をしたわけじゃなくて、ファンとアンチのリンチ合戦の中でたまたま一人の元ファンが誤字っただけ。
そこからしばらくは反転アンチへの集団リンチのことを「ファンネル」って言う風潮があったんだけど、いつからか「著名人が特定の相手にターゲットマークをつけた直後に取り巻きが襲いかかる」っていうガンダムのファンネルみたいな動きに対してしか使われなくなった。
これおれもきた。
「最近はそういうこともあるのかな」がずっと頭にあるのと、相手の高圧的な態度にやられてまんまと引っかかった。10年くらい前に身分証、キャッシュカードすべてが入った財布を紛失したことがあるからそれが心当たりになってしまった。
非通知で世田谷警察署?から「香川県警があなたをマネーロンダリングの被疑者として捜査している」からはじまり、
楽天銀行は個人で複数口座をひらける、あなた名義の楽天銀行口座が大規模なマネロン事件につかわれていた、主犯の○○は知っているか、これから電話を香川県警に転送するから待て、(電話転送)、香川県警だがあなたは被疑者だどうするの?(高圧的)、「ちょっと待って、そんなのある?」と笑って答えたら「なに笑ってんですか?あなたは被疑者なんですよ?香川までくるか?ふざけてるんじゃないよ」と怒られこれマジなヤツ?とわりとビビる、「怒って悪かったけど、真面目な事件だから真面目にやりなさい」とたしなめられて面倒なことになったら困るから信じるしかなかった、「香川に来るのは大変だろうからいまはオンラインで調書がとれるライン電話で取り調べができる」と言われ信じてしまう、ライン電話に誘導される(いまもそのラインアカウントは残ってる「捜査本部02」とかいうやつアカウント画像は警視庁の金のアレ)、カメラオンにする(リモートワーク中だったからできてしまった)、そっちもカメラオンにしてくれない?といったらオンになりスーツ姿の男とカメラ越しに警察手帳を見せられた(ガッチリ作り込まれていてその人の証明写真と名前も書いてあってちゃんと見えてますか?読み上げてくださいと読み上げさせられて本物にしか見えなかった)、いくつか質問された、こちらの住所は昔の住所を把握されていたが現住所は聞かれなかった、「調べるから持っている口座の銀行名をぜんぶおしえて」といわれ教えた、口座番号までは聞かれてない、「以上で終わります。ご協力ありがとうございました」と終わった
その後、何も連絡が来てないので振り込みなどはしてない。
もし外れた可能性があるとしたら、いまいる会社が誰でも知ってる大企業で答えた年収も大きかったので相手が明らかに驚いていて「こいつはアホじゃないから相手にしないほうがいいかも」と思われたのかもしれない。
それぐらいしか思いつかないくらい、真っ直ぐ信じ込んで捜査協力してしまった。。。
みんな気をつけて。
あれは知ってないと恐怖心もあって回避できない。。。
野菜と現金の違いは、客観的に見た時に量のものさしが曖昧なことかな
後者にすると曖昧になるし、1mmの曖昧さがあるだけでぜんぜん違うよ。
某いただき女子ちゃんも、金の計算が苦手な、金勘定が下手な人をターゲットにしろ、ってマニュアルで謳ってたしな
10万貢いで、また10万貢いで・・・ってやってるうちに、きちんと勘定できる奴は「今までの金額を合計して100万使った。なのに結婚できていない騙されてるかも?」って思うことができるが
「今までだいたい20~200万円くらい使ったんじゃないか?なのに結婚できていない騙されてるかも?」こう考えるやつは、「騙されるかも」の基準が曖昧なので、ズルズル関係を続けていける。←説明は省くが、反転アンチ化を防ぐことにも繫がる。
「1000円やったのに!返せ!」「1000円分の野菜やったのに!返せ!」って言われるのとでは、後者のほうが言い逃れできる余地がある。
最低賃金の障害者雇用で働いている俺レベルの層を想定してくれないかね。
年収400〜600万とかカースト的には十分上位層じゃん?400万も1000万も人間的には変わらないだろ。
下方と言うからには人間的に劣った層をターゲットにしてくれよ。
俺なんて年収150万だぞ?結婚するから育児やれとか言われたら両手あげて賛同するわ。
でも結局お前らは俺みたいな障害者なんて全く考慮していないんだろうな。
ほんと、くだらない内容で揚げ足の取り合いして馬鹿なんじゃないのか。
黒羽の長谷川は真面目だから、この形式の中で、荒川河川敷でそういう風に何回も強く言っていたら、志村消防署の警防課のもぐらが、警察官の中のどれかなといって長谷川または長谷川
みたいな奴を指定してその形状にするしかないからそうなるだけだろ。
長谷川というもぐらは、増田にも社会にも滅多に出て来ないし住所も知れていない。 延岡にもたまにいるが、 板橋区はどこにいるか分かったもんじゃない。 特徴は、語尾に ~しな、となる。
ターゲットは自分に都合のいいものを狙っているので、 平成30年6月のように、細川真作を狙って取り調べをして、細川がカンカンに怒って帰ってくる。
多分釣りなんだろうだけど、何が間違っているかマジレスしてみる。
自分が欲しい条件をそのまま相手に伝えても得られるわけでない。
例えば男女を逆にしても、子供が欲しいが仕事が忙しい年収2000万円の男がお見合いをして
を条件として出したら、かなり怖い感じがする。
これは、子供を産めなかったり、家事や育児が行き届かないと、離婚されそうな雰囲気があるから。そしてその場合は無職で歳を重ねた状態で放り出されるから。
もちろん、結果として専業主婦になって子育て・育児に専念する女性はいるけど、夫婦として一生添い遂げる信頼があるのが前提。
「運よく子供が生まれたら、お金は私が稼ぐので、あなたに育休取得と時短勤務をお願いしたい」というと絶対に誰もうんって言わない
これは相手に半ばキャリアを捨てるように要求しているので、うんと言われないのは、あなたが信頼されていないから。
まずは、あなたが結婚相手として信頼される(キャリアを捨てて年収が増える見込みが無くなっても離婚しない・モラハラしないと思われる)必要があるだろう。
「夫に育休取得と時短勤務を取得させる」のは手段であってゴールではない。
そして、育休取得も時短勤務も夫のキャリアとのトレードオフがあるので、代替手段が取れるのであればそれも検討すべき。
では、ゴールは何なのか?
それは、あなたが「仕事が好きで仕事を続けたい、キャリアを積みたい」であるだろう。
そして、その実現のためには
など、さまざまな方法がある。
もちろん、夫の育休取得や時短勤務も選択肢の一つだけど、それを条件として突きつけるのではなく、まずは「仕事が好きで仕事を続けたい、キャリアを積みたい」ことを伝えてわかってもらった上で「妻のキャリアアップをサポートしたい」と思って育休や時短を選択してくれるような人を選ぶべきではないかな。
相手の年収が自分より低ければ育休や時短を要求できるという考えは間違っている。
もちろん、夫婦で話し合った結果として「年収が少ない方が育休や時短を取得した方が得だ」という考えはあると思う。
信頼がなければ、仕事やキャリアは離婚へのリスクヘッジになるので、元増田の要求は「キャリアを捨てる選択」の押し付け合いにしかならない。そして、結婚前の段階で不利な条件の押し付け合いをしてくるような人と結婚したい人はいない。
元増田を読むと
相手が38歳以下 → 低年収からしか相手にされない → 育休取得と時短勤務を押し付ける
というロジックになっているのだけど、相手の年収が高ければ(大黒柱になってくれるのであれば)、育休取得も時短勤務も要求しないように見える。
であれば「38歳以下」という条件を緩和して(そのかわり「おじさんくさくない見た目」とかの条件がつくかもしれないけど)、年収が高い人をターゲットにした方が良さそうな気がする。
ショットガンを持ち走りまわって、逃走音が聞こえたらそちらへ向かう
ウサギの逃走速度はこちらより遅いので、左右を見ながら姿を探せば動く姿が視認できるはず
スプリント&ロードがあると距離をあまり離されずリロードできるので、群を複数倒すチャンスが上がる
自動走行にしておくと回収しながら走れるので、次ターゲットを追いやすくてよい