はてなキーワード: ジブリとは
ゼルダに脳をアップグレードされたのかハックされたのか分からんが、
映画館でかなりその脳が動いた。
特に前半じっくり描かれている状況描写と知らない土地という設定はゲーム的で脳が勝手に探索はじめるし、
最近のゼルダ自体がジブリオマージュ多めなので親和性も高いとは思うけど、
もう一回おかわりしよう
公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有な経験を与えてくれたことに感謝します。
これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕の経験であり、その後のジブリアニメが国民的アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます。
ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメであると評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。
ゲド戦記とアリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。
「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。
この作品が制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針が話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。
私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。
行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか、情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきます。ストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます。
◆面白い?
「カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中「最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。
◆この作品を見るべきか否か?
文字通り宮崎駿の集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本のアニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれる作品になるでしょう。
◆良かった点
・文字通り集大成なので過去の宮崎アニメの要素が全て入っている
風立ちぬ→トトロ→千と千尋→ハウル→ポニョ→コナン→カリオストロ→ラピュタ
と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます。二番煎じではありません。
本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民的記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。
そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります。
主人公のモデルは少年時代の宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女を主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります。
何より宮崎駿がインタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。
コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去の作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。
「既存のストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。
「千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくりと自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています。
・泣ける
「火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師の主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。
◆悪かった点
・なんか説教くさそう
説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代の宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。
君たちはどう生きるかのレスポンスを摂取している
感想で、一般人の「おもしろかったー」みたいなものが、あまり観測できない
あ、これ楽しめないやつだ、って感じ
映画から楽しさをもらったというよりも、映画をトリガーに自分の知識が確認できた楽しさとでも言おうか
そういうのが感想で前面に出されてたやつで、楽しかったものが記憶にない
もちろん
私個人も「おっふ、これは○○でござるな」みたいな楽しさを持つことはある
漫画で過去作のキャラが絡んで来たときとか、電車の中でニマニマしてて
でもそれは、作品を推す力にはならない
君たちはどう生きるかの、映画そのものについての感想が読んでみたいんだけど
ふ〜ん、なるほど?→うんうん…→パヤオ〜!!成長したな〜!!→え…?ん…?→まてまておいおい→あーあーあー→後半宮崎駿とジブリの悪いところ全部出てる💢
前半のまま自己の内面を見つめて母と義母との葛藤を描く映画作ればよかったのになんで途中で方向転換しちゃうの〜〜!?!?
塔のエピソードとかあんなん後付けバレバレだっちゅーの!!なんで最初そんなに真面目に自己の内面について考えてたのに後半になるにつれ主人公をストーリーを進めるだけのコマにしちゃうの!?
最後とか僕母親を性的対象として見てます、みたいな内容になったけどいいの?!?こんな女の子に抱きつかれたい、みたいなロリコン(ジジイ目線)とマザコン(主人公目線)が悪魔合体した最悪の展開になってたけどいいの!?!?
いやわかってる!!前半から後半への急展開は原因はコンテ進めながら同時進行でアニメも作っちゃうからだよね!!いつものやつだよね!!知ってる!!そういうとこやぞ!!!
宮崎駿は絵コンテを進めないし、期限はあるのに制作も滞るし、尻叩きするために鈴木敏夫のいらんテコ入れもまじってしっちゃかめっちゃかになって、後半につれて話の展開が雑になり、最終大団円風に終わる でも細かい部分を見るとわからないことだらけだし、とりあえず終わらせないとという焦りが作品から滲み出ている
ハウルや千と千尋と全く同じパターンである なんにも!!成長!!してないのである!!
なんにもというのは嘘、前半の少年の内面への向き合い方は今までの宮崎駿作品に観たことないぐらい自分の弱さを言葉少なにアニメーションで描いていて素晴らしかった なのになんで…なんで…
そして何より一番腹立ったのは過去のジブリ作品の焼き増しをめちゃくちゃやってたとこ!!!ジブリのパロディとして落ちるなよ!!昨今の国内外のジブリブームをみてウケるぞと勘繰って鈴木かどっかがテコ入れしたんだろうけど、「ジブリっぽさ」を表層でなぞるなよ!しかもジブリ本人がよ!!!
高尚ぶって「おまえたちはどう生きるか」って説教垂れてんじゃねーよ!!これがお前らの生き様かよ!!!おまえは!!!どう!!!生きたんだよ!!!
ちなみに「君たちはどう生きるか」の小説は未読、過去のジブリは金ローで流し見(ハウル・ぽにょ・風立ちは映画館で観た)、宮崎駿の生い立ちも知らんしインタビュー等全く見てない。
他の人の考察も見ていない。この考察が正しいかどうかは分からない。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
→主人公=宮崎アニメを見て育ってきた(もしくはこれから見る)この映画の観客である我々だと思う。
なので主人公の原風景や心内風景と我々が宮崎アニメで見覚えのある風景を重ねることで主人公=我々を強調する意味がある。
■謎展開
そのたび
→アオサギは主人公が感じている自分の中の嫌いな部分。だから主人公は出会ってすぐ敵対したし、主人公を心理世界に誘った。
自分に誘われて冒険してるんだから主体的と言える。キリコもヒミも自分が作り出した像なので主体的と言えるのではなかろうか。
→「父が好きな人」というのが正に動機を説明していて、主人公は自分の中にある夏子への複雑な気持ちと対峙するために夏子を助けに行く。
複雑な自分の心境に触れることには痛みが伴うので禁忌となっている。
→夏子は主人公を守るためにわざと厳しく接して追い出そうとしている。
厳しくされた事によって主人公は夏子を夏子母さんだと認められるようになり、心の禁忌領域が晴れて夏子も救われた。
→異世界に来たくて来たわけじゃないって劇中で言ってた気がする(記憶曖昧)。呼ばれたんだと思う。
→映画の演出のことは全く分からんが、着替えシーンによってリアリティ出すことで、その後火事の中に飛び込んでいく視界が歪んでるシーンの非現実感が増している気がする(小並感)。
アオサギが主人公自身であることから弓矢にも意味があると思われるがその辺はまだ言語化できてない。
■ヴィランの不在
→アオサギは主人公自身なので主人公を心内世界に誘うし主人公の助けにもなるし主人公と和解する。
で、なにか代償が起きるかというと「なにも起きない」。えーーーーー!?じゃあなんで「触るな」って言ったの?
→これは根拠のない妄想だが、ばあや人形を触って倒れちゃうと、現実世界のばあやになんか悪影響でも出るんじゃないだろうか。知らんけど。
さっき主人公=我々と書いたが、大叔父は宮崎駿を表していると思う。
彼はこれまでの自身の監督作品を通して我々に「積み木」を伝えたかったようだ。
たぶん、「(ジブリ作品を通して)観客それぞれが自分にとって価値ある大事なものを見つけてそれを自分で組み立てろ。」と言いたいんだろう。
即ち「君たちはどう生きるか」と言っている。
インコは何を表しているのか。物語の力を信じないリアリストなのかな?とは思うが、禁忌を口実にヒミを使って何を取引しようとしていたか分からない。なんか大叔父と会話してたかもしれんけど忘れた。
全く何の比喩なのか分からない。インコとペリカンが分かってないということは映画の中の結構な部分が分かってないことになりそうだ。悲しい。
分からない
そんなこんなでまだ分かってないことが多い。記憶から抜け落ちてるとこもありそう。このあと他の人の考察読んで分かったことがあったら追記するかも。
みたいな話されても正直困るんだよね。
そんなの皆もう知ってるんだから。
ガンダムみたいに出来なかったんだからエヴァみたいにちゃんと店仕舞しろよ。
本当にいつ死ぬかも分からない状態でなんでそんなテンパって転がりまわってるお祖父ちゃんの醜態を見なきゃあかんのや。
タバコの話とかもだけど、あとあとも使う要素は目立つようにして何度も入れてきてると思う。
砂糖が貴重だ―って話の直後にシベリアおやつに出てくるのとか、前妻の子供として軽んじられたりはしてないんだなって分かる。
自傷行為は流石に意味不明すぎるて。何なんだこのメンヘラとなって一気に気持ちが離れたわ。
君たちはどう生きるかバードことアオサギの正体を出し渋るのも、作品世界の軸足を異世界に持って行き過ぎないためにナイス判断だったかなと。
羽が手に入る流れは流石に都合が良すぎるね。
ババァの持ち込みもゲームオーバーポイント運で回避しすぎやろと。
助けてるの分かるのに辞めろ―とかマジでなんなん?
つうかあのダクソみたいな世界がどうなってるかって本当視聴者的にどうでもいいんで。
インコに自分からくわれに行くのまじでイライラするわ。でも説明不足すぎてどこに移動したら良いのか分からねーんだよなあのシーン。PRGでボタン連打して行き先聞きそびれたときみてーな。
ジブリ飯だからってジャムつけすぎだよ。妹の子供だからもてなしてますってシーンなんだろうけど、ジャムの食い方が汚すぎてちょっとね。トースト重ねまくっときゃいいだろそこは。
石積み直して1日持たせるシーンがパっと見だとむしろ寿命縮めてるようにしか見えないんだよね。
つうか身内勝手に連れ込んで黄泉平坂出産させようとする塔なんて継ぎたくなるわけねーだろばーか。
んでさ、結局なんの話がしたかったの?
若い頃の母親にあったけど「まあ死ぬのはしゃーないやろ!」で終わらせられて主人公モヤモヤしたままじゃん
つうかあの塔の扉って別の時空に繋がってるはずっぽいんだが、それがどうして「1年ぐらいしたら平気な顔して帰ってきて~~」で同じ世界の過去に繋がってるんだ?作品の都合すぎひん?各並行世界に塔が一本しか刺さってないはずでは?
後半はもう全てが滅茶苦茶で何やってるのか意味不明すぎるし、なにより話のオチが分からん。
「死んだ人間を生き返らせようと思うな」ってこと?
宮崎駿を墓から掘り起こして復活の儀式をしないでくださいってこと?
うーん。
50点やな。
まあ話のつながりは分かるのでな。
トトロいたもん!本当にいたもん!
ムカつくカスも多いけど、まあ良いやつも多いです。
働け。
はぁ?
く だ ら ね
作画が凄いだけなんですよ結局は―。
「そういう部分もある」では駄目。
これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎでしかないと思っていい。
作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。
たとえば戦争映画でわざわざ「日本とアメリカが戦争をしています。日本は最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品外から情報を補わせることで作品のテンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。
まずは作品のラストから遡っていき重要な用語を現実に当てはめて整理していく。
13個目の積み木→宮崎駿の長編監督作品(ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか
血を継ぐものへの継承→宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)
インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)
インコ→ジブリのアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)
下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ(自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)
ワラワラ→未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)
ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)
これがマジで難しい。
アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗の成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。
そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。
たとえば自傷行為で心配されているのは宮崎駿が引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり。
ことあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。
主人公は最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。
塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。
また、新しい母親のことを最初は他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。
結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。
これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか。
ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女を主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語や世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。
歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人のヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである。
こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑))
宮崎駿の目から見たジブリの物語を描いてますよって感じなのでは。
「君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。
ジブリと関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。
でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質とかいてパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。
しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟にとある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ=鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲の場合は柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。
アオサギを適当な人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊いー(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう。
作画スゲーだけで終わらせるのも吉。
ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルそのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。
マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。
やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね。
マクガフィンが母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。
メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。
遺作になるだろうからまぁ…みたいな消極的擁護多いけど、アニメって線画動画彩色背景撮影etcみたいな『画面を作る』だけでもいったい何人必要なんだろう?と思うとなんだかなあと自分も思った
おおむね同意見だけど、鳥たちは広く業界人というよりは明確にジブリスタッフに限定されていると思う。ラストでジブリタワー崩壊と共に野に放たれるのを考えても。
ワラワラはジブリスタッフとして定着できず去っていった人たち。
ペリカンは新人(ワラワラ)を潰してきた駿本人を含めたジブリの老害たち。
インコはジブリの若いスタッフたちで、インコ大王はゴローだろう。
ゴローはアニメ監督の才能はからっきしだけど、なんだかんだ作品や美術館を作りきるリーダーとしての資質は認めてるのかなとか思った。
https://anond.hatelabo.jp/20230715085021
クッソ詰まんねえ評論で草。
君たちはどう生きるか、本作だけじゃなく全ての創作に言えることだけど、やっぱり、確り真剣に鑑賞することは大事と思う。
安易な消費を許さない気骨を感じた次第で、作家論的な枠組みに矮小化して言語化し満足する態度などぼくは絶対取りたくないなと思ったかんじです。これは礼儀の問題というか、あの映画において客と作り手は決して対等な立場にないからこそ、そう思うのかもしれません
「君たちはどう生きるか」を「スタジオジブリの現状を描いた映画」的に解釈すると、あまりにも見落としが多すぎることになると考えます。本作で描かれるものはもっとずっと広いので、ジブリの一部の状況の変奏という観点では捉えられないところが多いと感じますね
ツイッターではなく別の場所だけど、ヒミの振る舞うジャムの量が多すぎるって書き込み見て吃驚した。戦時中だから砂糖がなくて甘いものが貴重品って序盤に確り描いていたよ...
ヒミは眞人のお母さん(実母)なので、息子に好きなものを一杯食べさせてあげたいっていう気持ちの現れのシーンだと思いますよ>ジャムたっぷりのパン
今作は千と千尋以上にメタファーの連続だから、メタファー込みで読み解く必要がある
例えば以下の様なメタファーがあると俺は思ってる
これでもまだ一部だけど
青鷺⇒鈴木敏夫
真人⇒宮崎駿の分身、少年時代の駿/未来を生きていく若者達の象徴
・俗世に背を向けて内的世界に耽溺し少女に母性を求め続けた表現者としての宮崎駿の自己否定
・この先の未来を形作っていく若者達へ向けた「俺(たち)の真似をするな、自分自身の道を切り拓け」っていう警句
・「鈴木さんは嘘つきです」
の3本にまとまっている
ちなみに石の塔っていうのはユング心理学的には深い意味があって、今作ともめちゃくちゃリンクしてると考える
石の塔のユング心理学的な意味については以下URLがわかりやすい
http://www.j-phyco.com/category2/entry54.html
駄作とは思わなかったけど、色んな世代の人が共感できるようにはできていないと思った。
人生経験を積んでいるほど、その機能を体験することができない。
一番奇妙なジブリ作品。過去のジブリ作品のオマージュが散りばめられているばかりか、なぜか他のアニメ監督作品ともどこか繋がっているような…。細田守や今敏作品が頭をよぎる。(細田守の「星を追う子ども」との共通点は無視できないレベルな気が。あとは作画が明らかにジブリを離れている瞬間があるのが大きいかも。)
この映画は物語を追うものではない。誰かに感情移入して楽しむようにできていない。最後までその不思議な感覚が残る。でも、目の前で鑑賞していた小さい子どもが、終わった瞬間に「おもしろかった…!」と呟いた。もしかすると、真に子ども向けの映画なのでは?
そう考えると、今回の「異界」はある種の「生まれ直し」なのだ。正しく「異世界転生」している。転生先で出会いと別れ、困難と戦い、そして選択を行う。これらは子どもにとって、これから人生で起こることを予期させる。映画を通して「君たちはどう生きるか」シミュレータが機能するよう設計されているのではないか?(なお自分は十分に歳を取っているので、このシミュは動作不良を起こす。)
そして勝手な想像だが、あの老人は宮崎駿の分身である。とすると、宮崎駿は誰にも世界を渡せなかった、世界を手渡すことを失敗した。異世界の崩壊は、ジブリのイマジネーション世界の崩壊を意味する。しかし老人はそれを事前に、自ら選んでいる。老人は次世代のために「汚れていない石」を必死で探し当てた。しかしそれは第三者に破壊されるのだ。
きっと今度こそ、これが最後の作品ということなんだろう。ジブリのエッセンスは拡散し、勝手に引き継ぐ人間がその破片を受け取る。映画が始まる前の予告編の、やけにジブリライクな作画や、作中の他作品への無意識的な連結はそれを印象付ける。
「おもしろかった?」と聞かれたら「奇妙だった!」と答えるし、「もうちょっと詳しく」と聞かれたら「自分が子どもだったら最高だったかも!」と答える。そういう映画。
君たちはどう生きるかを見てきた。すごく悲しくて寂しい、でも幸福な映画だったと思う。
宮崎駿と同じようなおたくの子(あるいはジブリを見て育った子供だった大人でも)は是非見るべき。
ようするに宮崎駿が作った異世界(アニメの世界)から何か少しでも持って帰って、自分たちで生きていってほしいという宮崎駿の遺言・お別れのメッセージ。
ジブリ公式のTwitterが流れてきて、(カヘッカヘッとかいうやつ)気になってみに行った
冒頭あたり 主人公のキャラデザ良い、火事のところの走るところの作画が良すぎる、ゲタ脱ぐところの表現が流石
疎開から 家豪邸すぎ、背景めちゃ良い、老婆たち7人の小人みたい、隠れてたもう1人いる?おじいさんが別のとこにいただけかな、母の妹腹触らせるのちょっとひく
森の館気になる、アオサギなにのメタファー?、冒険はじまりそう→思ってたよりなかなか始まらない
おばあヒロインなの?ついてくるのわろ
あっちの世界の描写良い、背景や家の中流石ジブリ、海や木の感じ最高
学…死す…みたいな文、考察しがいありそう
わらわらはこだまみたい、かわいさ狙いすぎ感ある
ヒミ、あいみょん棒すぎ声高すぎびみょう…
鳥たちとか産屋とかメタファー多すぎ、大叔父全てがメタファーすぎ
世界の背景雰囲気は最高だけど…バタバタして結局戻って来れてよかったね急すぎエンド…米津の曲は合ってるけどあんま印象に残らない
まとめ
主人公と背景や作画のジブリ感を味わえたのはよかった、ストーリーは無いようなもの、いろんな考察や感想をみるために映画をみたんだとおもう
いや~面白かった!
ネタバレはなるべく回避してたが、昨夜ははてブのタイトルでキャストバレ食らい、増田にも感想が出てきたのでSNSは避けるようにしてた。
とうじ5時に起きたが、飯食ったあと寝てしまい、起きたら10時。歳取ったせいか睡眠をコントロールできない。徹夜なんてもうできんな。
客席はかなり埋まっていて、年配の方も多い。
斜め前の席の長身爺の頭が画面に被っているうえ、メトロノームのごとく揺れるねが気になってしょうがない。尻の下に本を敷くが、その分椅子が沈むので意味がないように思う。
予告編のゴジラ、くれしんなども面白そうなのが揃っていてよい。
原作(漫画の)は貰って読んだが、面白くなかったのですぐ売ってしまった。そういう意味では不安もあったが、風立ちぬも堀辰雄そのままじゃなかったし、ファンタジーと言う話も聞いてたのである程度は楽観していた。
妊娠でうん?なったが、ヤったのか父!亡妻の妹孕ませるのは業が深いすぎる…
車で登校は悪手だろ父。案の定喧嘩になるが、いじめって感じでもなく、こっちも手を出してるから不快な感じはあんまり…
やりやがった!マヒトさんもしかしてやべーやつなのでは…免罪しなかったのは偉いが
寄付じゃねーよ糞親父!
音立ててキスすんな!
ちょくちょく母親の死のトラウマ描写があるが、ファンタジーではないっぽい…いやファンタジーだこれ!
水の波紋とか、草むらに入ったら意外と深いみたいな、こういう細かいこだわりがなんか嬉しい。
ワイはインテリなので、暗い森見たときグスタフマーラーの死の森じゃん!ヒトラーが好きだったやつ!って分かったけど、後で調べたら全然違った。石が浮いてるやつも元ネタあると思うけどわからん…マグリットではないと思う
奴隷が回すやつじゃん!
夏子さんのあれ、すずめの親子喧嘩思い出した
血を継いだ者にしか引き継げないってアレじゃん!なんか自虐ネタみたいな面白さがあった
パッパが塔に突撃するとこすき
現実に戻ったら焼死するとこ、ママンのエキセントリックさが全面に出ちゃってるけど、戻らないとマヒトも生まれないんだよな…
ママンが過去に行方不明になって戻ってきてたのも含めて、すずめの後ろ戸っぽさがある
夏子にもウンコつけるのにこだわりを感じる
エンドロール、青で手書きなのがいい。米津っぽいなと思ったら食いしん坊だった。
インコ大王、ポッと出の悪役とおもっら交渉でも紳士的だし、部下帰らせて自分が突撃するし
積木でちょっと株下げるけどちゃっかり生き残ってるし
で、パンフ買おうとしたらまだ発売してないらしい
そこまで徹底しなくても、とは思うけど、そこまで拘らないとこうはできんやな
今回はジブリのお家のお話と日本アニメーターに君たちはどう生きる?って言ってる話で
ジブリセルフオマージュかつ各アニメーターにちょいちょい作画(作風)をやりたいようにさせるだからな
表明的な話は親を亡くして継母に拒否感持ってる主人公がイマジナリーの世界に逃げ込んで
今まで以上に描きたいシーンと幻想感を優先してまとまりを投げ捨てた
できるだけシャットアウトしてるつもりだけどちらほら入ってきてて戦々恐々としてる
声優が豪華とか主題歌が米津とかは別にいいけど岡田斗司夫が喜びそう(考察系
で冒険活劇じゃないとか
でもまあ具体的にじゃあどんなもんなのかまでは入ってないからまだギリギリセーフ
それにしても当たり前とはいえ出演してる有名な人たちはコンプラしっかりしてるんだなといつも立派だなと思う
全然ばらしたりしないもんね
長くやれてる人は当たり前だけどそこらへんコンプラしっかりしてる