はてなキーワード: らするとは
私はどちらかと言うと友人側の人間だ。奇しくも年齢も32歳。
件のAさんや、30歳友達側腐女子さん達との違いは、友達が居なくなり、一人になったことだ。
20代からフリーランスで在宅で働いており、腐女子である自分の周りは
リア友も勿論いるが、同じ時間を共有している分ネットの友人達との方が遊ぶ回数も多く
朝から晩まで、お馴染みのメンツとの作業通話(という名の雑談)。
月に1回以上は同人イベントに参加し、その前後数日は上京してきた友人と遊ぶという
そして、30歳に差し掛かった頃、周りにちらほらと結婚する友人が出てきた。
彼女らも同じような生活をしていたが、家族が出来たことで以前ほど通話部屋やTwitterに常駐することはなくなった。
少し寂しいが、イベントで会うことは出来るし、そんなもんだろうと思った。
みんなはいつも通りそこに居て、楽しく遊んでていた。
正確には、結婚した友人達とはまだうっすらと付き合いが残っているが、それ以外のネットの友人達とはほぼ交流がない。
決定的な何かがあったわけではない。
結婚を機に会社員の配偶者に生活時間を合わせた結果、24時間いつでもネットに上がれるわけではなくなった。
通話部屋に入る時間が減り(深夜帯が一番活発だが、0時前後で寝てしまうので出会えない)
久しぶりに訪れたその部屋からは誰もいなくなっていた。
スカイプからもくりに移ったらしいが、私のアカウントが招待されることはなかった。
「入れて」と言えば、招待はしてくれるかもしれない。
しかし、それを言うことはないと思う。
昼夜問わずゲームや噂話、好きな作品の話でお互いの沼を披露し、Twitterには常駐がデフォルト。
面白い投稿があったら通話部屋にアドレスを貼り付け、盛り上がる。
ネット中心の生活をしている時は気づかなかったが、学生の遊び方だ。
同じ時間を共有できない分、近況報告などをしても友人達はあまり興味はなさそうだった。
アニメや漫画の話をしても、同じ濃度とテンションで作品に触れていない自分には相槌を打つくらいしか出来ない。
グッズ購入や課金も、生活を共にしている相手がいると、あまり活発にする気は起きない。
同人誌も、置き場所のことを考えるとどうしても買う頻度は減ってしまう。
一度あの生活から離れると、同じテンションには戻れなくなってしまった。
それを2年続けた結果、誰とも会話せずに、9時~18時で洋ドラを見ながら仕事をする日々だ。
コロナ禍でイベント予定も飛び、上京してくる友人もおらず、いよいよ彼女達と会う機会はなくなってしまった。
生活優先にした分、私だけ歳を取ったのだろうか。
服装なんかはどうでも良い。
趣味に突き進むAさんや30歳幼馴染さんを思うと、少し羨ましい気すらする。
頑張れば、あの日々に戻れるのだろうか。
自分の記事がホッテントリに入ったときも嬉しいけど、ファースト(〜3rd)ブクマした記事がホッテントリで伸びてるのを見たときも嬉しい。
なんなら後者の方が嬉しいような気すらする。記事を書いた人に報いることができた気がするし、自分の目は間違ってなかったと思えるし、ブックマークした他の人たちに楽しみを供給できた感じもする。
増田がホッテントリに入ったときは自分の承認欲求が多少満たされるくらいで、利他の喜びは少ない気がする。ブックマーカーに楽しみを供給…っていうのは一応そうなんだけど、大抵のブックマーカーはカスみたいなコメントを向けてくるだけだから怒りで喜びが相殺されてしまう。
昨今おけパやら感想屋(某今話題の人ではない方)やら同人女のクソデカ感情についてよく目にするようになった気がする。
私も字書きだ。そして神字書きではない。常に上を見て羨ましい、少し妬ましいと思う立場にいる。作品がめちゃくちゃ大好きな人だっているし、私と一番仲良くして欲しいと思うフォロワーもいる。
だから、内容にめちゃくちゃ共感出来るかと思って見たけど実際は「あんまり何も思わなかった」だった。
感想屋については、一人の女への接待作品しか上がらなくなった界隈に同情するし素直に嫌すぎた。絶対嫌だしそれを変えれる力が私に無いことにもストレス抱えそう。無理。
でも、界隈ってなんかそんなもんだよな、とも思う。
※さっきから「界隈」って言葉を多用してるけど、私の中の「界隈」の定義は「一定数の人が同じCPを好きで集まり互いを認知し、何となく大なり小なり身内感を醸し出している集団」のていで話している。噛み砕いて言えばフォロワーのフォロワーはフォロワーみたいな状態で、TL上で個別にリプしなくても会話が成立したり話題が通ったりするような感じ。
私も狭い界隈の中での圧倒的供給の偏りとか界隈の作風同調圧力(例1:このCPの受けは可愛くないとダメ、みたいなのを神絵師がクソデカ大声で呟き、その神絵師に嫌われたくない中堅が作風を寄せてかわいい受けが蔓延した、など)を浴びたし、その中で私の作風が逆だったせいで居づらくなりその界隈から手を引いたこともある。
そもそも文字書きの人権の無さを痛感したこともあった。全体の作品数に対して何となくどれくらいの規模でそのCPが賑わってるのかは分かる。支部とTL見れば分かる。それが、絵と文じゃ反応が雲泥の差だったり。本当にこの人の作品は正直神絵師(笑)とか言われてる人より描写も解釈も公式に準じてる上できちんと"二次創作"してるなって思う作品だったとしても、文字ってだけで絵の10分の1しか評価されてないのを見た時にわたしはそのCPを書くのをやめた。素敵な作品に感想を送るだけにした。
前置きが長くて申し訳ない。つまり言いたいのはまあまあ嫌だなって思うことがあっても、感想屋やおけパのように絶望したことは無かったって事だ。
ただ、ずっと同人を続けていてずっと薄暗い感情を抱き続けている事がある。それを今日は書こうと思った。この時点でお気付きかもしれないけど、この匿名で書くのも初めてだし字書きとはいえ文才も読解能力も共感力も乏しい。この後もウダウダ書くと思うから先に謝ります。ごめんな。
ただ、哀れな女がいるんだな、と見世物気分で見て欲しい。本当に、私がするのは"難癖"の話なんで。
まず、私はジャンルが変われば垢を作り直すタイプで、多分この5年くらいで6〜7くらい垢を乗り換えてきた。理由は単純。自CPがABだとしてその関係性と真逆みたいな別ジャンルのCDにハマるような女なので、申し訳ないからだ。
そして、垢を作り変えるたびその度に思ってきた薄暗い感情。
フォロワーって、難しいなと思う。
私は貴方が大好きだからフォローしてる。人柄や呟きでフォローしてたり、作風でフォローしてたり、ぶっちゃけ「界隈」の付き合いでフォローしてたり。フォローしてる理由は様々だ。
じゃあそのフォロワー、私は貴方が好きだけど、貴方は私の事をどう思ってるの?と思ってしまう。垢移動の時、フォローしていいのか?とめちゃくちゃ悩む。
人柄とか呟きで私がフォローされてるならいい。多分その人は私がジャンル変わったとして変わらず、もしくは少し疎遠になったとしても偶に話してくれるだろう。
有難いことに焼きマシュマロを頂いた事もなく、対人関係であんまりこじれた事もない。感想だって何度か表でも匿名でも貰った。フォロワーから直接貰った事もある。オフで100刷っても大体捌ける。フォロワーに手に取ってもらえる。有難い。
通話した。一緒に泊まった事もある。お酒を飲んだ事もアフターもしたし、一緒にスペース出したり合同本やらアンソロやらにもお声がけ頂いたりした。色んなフォロワーと色んなことをした。
でも私は、貴方が、貴方達が、どれくらい「私」の事を好きなのか、全く分からない。
これが本当に難しい。
本当は私とはいつか終わりが来る関係なんだろう。楽しいのは今だけだろう。私は貴方が大好きなのに。
私が「本当に仲良くなれた」「次の垢でもフォローしに行ける」基準は、これがまた最悪なことにLINEを交換したら、だ。
何だその基準ってなるだろう。私も思う。でもそんな大事な個人情報教えてくれて、私も教えれてってなったら、多分私のことが好きだって確信できる。少なくとも信頼を得てるんだろうなって。
だから、フォロワーA(仲良い)とフォロワーB(仲良い)がLINE交換してるのをTLのスクショとか見るとああ………私とは交換してないのに………ってなる。最悪。私が。
別にLINEなんて必要ない。Twitterで交流は充分。会う時待ち合わせにいるかな?くらいだけど、最悪DMでも出来る。必要性がないもので私は貴方からの好意を、信頼を測りたい、と思ってる。
あの子とは出来て、なんで私とはしてくれないの?
最悪な難癖だ。だから私は基本的に私から言い出さない。LINE交換は相手から言われたらするようにしてる。でも、言ってもらえた時、その時は本当に嬉しい。
仲良くしてもらってる。私も話しかけるし、作品に感想も送る。話しかけて貰えるし、感想も貰える。
でもずっとどこか寂しい。終わりが来ないのをずっと待ってる。私が今のジャンルに飽きないことを、飽きたとしても次も貴方と同じCPにハマれる事を。
自分が成し遂げたいことやりたいことが強すぎて結婚したくない27歳OLです。
増田くらいのバランス感覚が本当は丁度いいんだと思う。生命の責任を取る覚悟があって、自己実現をしたいとういう人間特有の感情ももって。っていう。
わたしも恋愛やセックスは好き。でも結婚や出産はする気がない。
3年前に親がガンになったとき、花嫁すがたと孫の顔を見せて、速く安心させてあげたいという気持ちで、少し婚活をした。
でも、「なんで限りあるわたしの時間と健康をそんなことのために浪費しないといけないの」という醜い感情と、「こんなことを感じてしまうわたしは頭がおかしいんだ。お母さんは時間と健康を犠牲にしてわたしを産んでくれたのに」という恐怖の気持ちで、めちゃくちゃになった。
結婚であったり恋が女のすべてだと思ってる友人が多くて、彼女らは口を開けば彼氏や旦那、アプリで知り合った男の愚痴。もしくはマウント。わたしは浮いてしまったし、彼女たちと会うのが億劫になって、どんどん疎遠になってしまった。
彼女らはそんな私を見て「増田はほんとすごいよね」って言うけど、全然うれしくない。というか馬鹿にされてるような気すらする。本当にすごいと思ってる?ならなぜあなたたちも目指さない?いや彼女らは悪くない…。
親不孝したいわけじゃない、すごいって言われたいわけじゃない。ただ自分に素直に生きたいだけ。
はやくマトリックスの世界になって人は生まれるのではなく栽培されるようになればいいのになあ。
隙自語でごめんなさいでした。
たぶん結構限界なんだと思う。体なのかメンタルなのかは詳しくないからわからない。ただ、たぶん結構ギリギリのところなんだろうなというのは実感としてある。些細なことでイラついたり悲しくなったりするし、視界がぐらぐらすることもある。起きた瞬間から疲れていたり、思うようなスピードで歩いたりできないこともある。自分ではどうしていいのか分からないから、「助けて」って言うべきなんだと思う。ストレスがたまっているのかもしれないから、一緒にごはんでも食べて発散の手伝いをしてほしいとか、話を聞いてほしいとか。だけど、そうしてみようかなと思うと、「言うほどしんどいのか?」という気持ちが出てきて何も言えなくなる。「他にもっとしんどいだろう人はいる。例えば○○さんとか。あの人たちはしんどいなんて言ってない」とか思う。そういう話になると、だいたい「人と比べなくてもいい。自分がしんどいなら堂々としんどがればいい」みたいな展開になるし、それも頭ではまあ理解している。だけど、言えない。たぶん、かまってちゃんだと思われたくないんだと思う。あと、そんなに言うほど大変な生活してないじゃんって思われるのがこわいんだとも思う。
だけど自分が疲れているのはまさにその生活のことなんだというのも同時に分かっている。仕事から帰って毎日毎日雑な夕食を流し込んで洗濯をして、自由に自分の思うままに使える時間は睡眠時間を割かないと捻出できない。だけどそうすると翌日の仕事に支障をきたす。寝ないとやっていけない体質だから。そうやって自由な時間を削ってまで眠っているけれど、それでも正直足りなくて仕事中は眠くて仕方がない。休日はその分寝だめしてやろうとか思うんだけど、平日の習慣で早朝に目が覚める。そしてそこから二度寝ができない。仕事中はあんなに眠いのに。ネットで調べてみたかんじでは不眠症の一種なのかもしれないと思っている。そして休日は平日にできなかった買い物や細かい掃除、翌週のための準備なんかをしていたらあっという間に終わる。もちろん平日に比べたら自由な時間はあるけれど。
そう。そんなんだから「しんどい」って言えない。めちゃくちゃにハードな生活を送っているわけではないから。毎日残業はしているけれど終電とかで帰らないといけないほどではないから。ちなみに掃除とか洗濯とか日々のタスクをそんなに重く考えなければいいという考えもあるだろう。それも分かっている。だけど、タスクを残してしまうことのほうがストレスだし、そのタスクのおかげで毎日つつがなく過ごせているのも分かっている。だからしんどいって言えるレベルじゃない。だけど、一週間くらい何もない休みにならないかなあとかは毎日考えてる。あ、ちなみにコロナで在宅勤務だったとか自宅待機だったとかの反動じゃないよ。ふつうに毎日出勤だったから。
先輩1が「~~積極的な善意は必要ないとわかるときが来るよ」と先輩2へ言っていたわけだが…
先頭が聞こえなかったものの、この言葉、明らかに私のことが念頭にあるよなぁ。私が彼らの前を通るときにわざと言ったような気すらしている。当てつけか。
『言われるようなことをするお前が悪いんだろう。自業自得だ。自己責任だ』
『お前が人の善意を無駄に踏みにじるからこうなる。原因はお前にある』
と言われたらそれはそうかもしれない。たぶん私は先輩1を傷つけたことがある。具体的に何をしたのか、たぶん最後の"崩壊のきっかけ"はごく些細なことだったと思う。けれども実際に崩壊するのは"日々の積み重ねたもの"であり、それは一度崩れるとたぶん元には戻らない。
先輩1は私に最大限の善意を尽くしていた。そこに後輩(=私)は甘えに甘え、後輩は次第に態度が悪化していった。そして最後は手のひらを返したように裏切って逆に切りかかるようなことすらしてきたのだから、飼い犬に手を噛まれた気分になるのも当然か。
悪いのは全部私。
悪いのは全部、全部私。
全部、全部私。
言われたくないならするな。言われるようなことをするほうが悪い。
…ぁぁぁぁぁあああああそうなのかそうなのかああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁなんでそんなこと言えるんですかあああぁぁぁおたくら神かなんかですかああああああぁぁぁぁぁぁ…
…まあしゃあないのか。傷つけたのは確かだし。
崩壊に至る頃の私の心情は聞いてもらえないのか。聞いてもらえるわけないか…
先輩の判断が絶対的に正しい、のか。生きてる年数が違うし、結婚して子どもがいる人の社会性の広さと深さは格別か。
あああ…
もういきていけない
(24日の分6本追加。ふむ。完全に役目を終えたようだ)
(23日までの分を追加。燃料再投下されるも、トラバの応酬がいくつかある以外はそれほど盛り上がらず。そろそろ観測終了か)
(23日18時までの分11本を追加。1本が人気エントリ入りで、増田力の違いに嫉妬。ついでに、その他に1本追加)
日 | URL | タイトル | 主観による寸評・分類 |
---|---|---|---|
06-21 | anond:20200622173315 | ■簡単なアプリなら5日ぐらいあれば0から作れるんだが、 | 良いと思う。頑張って! |
06-20 | anond:20200620110958 | ■男が女になったりするアプリ | なんか発想が凄い。 |
06-12 | anond:20200612074236 | ■意図のわからない増田シリーズ 「利用規約増田」 | 確かに、この作業中もめちゃくちゃ遭遇した。 |
06-08 | anond:20200608080229 | ■アプリのレビュー欄で改善要望を出してくる人に緊急連絡です | あー。そうだねー。 |
NPCにも負けるのが嫌ということは、必ずしも対人間での優劣がつくのが嫌なのではなく、自分が負ける状態になること、失敗することが嫌ということかもしれないね。自分を大切に思っているとも言える。
ただ毎日は敗北の連続だと思うんだよな。今日天気が悪いけど、雨が降ったら行こうと思っていた買い物に行きたくなくなったり、料理を作ろうと思っていたけど作るのが面倒になって宅配を頼んだらする。でもそれはそれでいいのではないかと。
敗北を受け入れる。そうすると自分への期待値が下がっていく。無理をせずにちょっとした敗北を受け入れることができるようになる。
ほら、どうだろう、気持ちが楽になってはこないか?それどころか、少しの敗北が気持ちよくなってはこないだろうか。期待をされるべき自分、その輪郭が曖昧になり、敗北の気分の中に呑まれていく。その心地よさ。徐々に自分という、過去に期待をした、されていた存在が崩れていく、退廃の美学。その快楽に気づいていくのです。
アァ、ギモヂイィー!!
そういう考えもあるのかも知れないが、この記事の原文を書いているのは黒人ね。
別に基本的なベースはいいと思うんだよ。不当に殺されるのは許せないっていうのも解る。だけど、それに呼応したという体で略奪や放火を繰り返す非黒人を含む輩を擁護する必要があるの?という普通の疑問に答える気が無くて、「そんな事聞いてくるなんて人間じゃないのかと思っちゃうよ」とか言い出す訳でしょ。それに心情的に賛同しちゃって翻訳しちゃう海外在住日本人アーティスト様とかが現れちゃうし。リベラルなアーティスト様だとそういわないといけないと思っちゃうんだろうね…という感じすらする。
https://anond.hatelabo.jp/20200605021641
わたしはこの記事の一行目に挙げられている作品のひとつ、アプリゲーム「ダンキラ!!!-Boys,be DANCING!-」のプレイヤーをしている。タイムリーな記事だと感じたので、ダンキラサ終が決定して自分が経験したことを記録として残しておく。
ダンキラはいま現在サービス終了へのロードマップの真っただ中にある。オフライン版が実装予定なので、比較的円満な部類に入るのだろうが、「ならよかった」とは簡単には思えないのが本音だ。後述するが、新規ガチャは実装されるものの、なぜか有償ダイヤ(ガチャをするときに使用するアイテム)は購入窓口は閉まっている、という奇妙な状況も未だ続いている。結局のところ、プレイヤーが納得するしないに関わらず終わるときは終わる。なんとなく事情は透けて見えるものの、はっきりとしたことはきっと永遠にわからない。親とアプリゲーは生きているうちに大事にするに限る。という言葉に尽きるのだろうけれど。
2019年5月21日にKONAMIよりリリースされた3Dモデルリズムゲームで、いわゆるデレステみたいな感じ。キャラクターがダンスバトルをする中高生で、楽曲がヒップホップやバレエ、ジャズやインド歌謡曲など多岐にわたる点が特色だ。白泉社とコラボしており、泉ジュン子らベテラン作家による短期集中コミカライズが行なわれた(単行本全3巻発売中)。現在は月刊LaLaにて番外編を連載中、だった。
5月20日18時、定例メンテナンス明けのアナウンスにおいて、ダンキラはサービス終了が告知された。8月5日をもってオフライン版へと移行するとのことだった。
売上的にも遅かれ早かれ……という印象だったが、いくつか違和感が残る告知だった。それは以下のような点である。
② 課金……有償ダイヤの即日販売終了、にも関わらずガチャは続行
③ コンテンツ……新規楽曲、新規ガチャ、新規ウェアの予定が八月まで緻密に組まれている
④ そのほか……アニバーサリー関連グッズのアニメイト特設予約販売が何の気もなしに始まる、LaLa連載版番外編が6月号時点での次号予告では続きそうだった(が内容を急きょ変更し7月号で打ち切り)
何はさておき、課金窓口を閉めるのはおかしい。サ終するならするで、八月までパァーーーッとプレイヤーにガチャを回させて儲ければいいのに(そしてプレイヤーもそれを望んでいる)それをしないのだ。にもかかわらず新規コンテンツの追加は八月までこれまで通り行うのだという。お陰でプレイヤー一同はみみっちい無課金プレイを強いられている。一周年を祝うおめでたいアニバーサリーガチャなのに、ある重課金者は泣く泣くミッション石をかき集め、ある廃課金者はカドスト見たさに副垢でリセマラを繰り返す。なんなんだ?これは。
というか、コンテンツ、まだまだいっぱいあるじゃんと思う。ウェアの3Dモデルはもう作ってるんだろうし、キラートリック(必殺技モーション)も結構作ってあるっぽいし、10~12章のフルボイス本編もおそらく収録済。向こう一年のキャラクターのバースデーボイスもたぶん収録済で、でもそれをなぜかゲーム内で売るんじゃなくてツイッターで動画公開するんだなあ、これが。その辺のコンテンツを全部売りつくして、半年くらい地味~に復刻イベントでジワ稼ぎして、それからサ終でいいじゃない。なんでそんなに急に死ぬのか。
印象としては、「サ終自体はいずれするつもりではあったが、なんらかの外部的要因でその時期を早めざるを得なかった」「なんらかの事情で課金窓口継続が困難になった」といったところか。ダンキラの母体はKONAMIであり、KONAMIと言えば今回の新型コロナウイルスによってコナミスポーツジムが大打撃を受けている。そのしわ寄せがゲーム部門にもやってきたのではないかとなんとなく推測する。全ては推測だ。そして真実は永遠に明らかになることはない。ただこれだけは確かだ。ダンキラの世界は今閉じようとしてる。
オフライン版で個人的に悲しいのは、コンテンツの新規追加が見込めないことだけではない。
たとえば、ログインボイスがないこと。当番(艦これで言う遠征みたいな、放置クエスト)もないこと。オフライン版は時が止まっており、そこには時間は流れない。
たとえば、課金ができないこと。現実でいくら稼いでも、それが推しの新しい声や顔や衣装に生まれ変わることは決してない。
現実の世界で嫌なことがあっても、ダンキラにログインすればそれを忘れられた。ダンキラのホーム画面を開けばキャラクターが話しかけてくれた。ほとんど毎日顔を見て声を聴いて、推しというか家族に近いものだったような気さえする。オフライン版であろうとオンライン版であろうとそれが画面の向こうの存在であることに変わりはない、けれど、コンテンツが終了してしまえば、きっといずれ、わたしは彼らに魂を感じられなくなるだろう。
あーあ、と思う。バレンタインランキングイベントに推しの生誕ガチャ。楽しかったなあ。合わせてそれなりの額を課金したけど、こんなことならもっとじゃぶじゃぶ課金すればよかった。恒常☆5はいま3凸で、4凸にならないとカドストの後編が読めない。ずっと課金し続けていればいつか読めると思っていたけれど、こんなことならもっとじゃぶじゃぶ課金すればよかった(二度目)。いまやっているイベント、スコアアタックのランキングなんだけど、現在の課金の封鎖された状態で過去の課金額を競う悲しいイベントと化している。ガチャなんて所詮ギャンブルだけど、課金要素有キャラクターゲームにおける課金とは現実の通貨によってキャラクターの世界に介入することであり、少なくともそれは、わたしにとっては愛に近いなにかだった。でもそれができないんだっていうね。
ホーム画面を開くたびに余命数か月の家族に面会している気分になってしまって(自分にとっては紛れもない事実だ)、最近は会うのもつらい。そんな自分を薄情に感じる。
こんなにハマるつもりなんてなかったし、ダンキラ以外にも面白いゲームなんて山ほどある。ブルゾンちえみじゃないけれど男は三十五億いるしスッパリ辞めりゃいいのだ。でもわたしと推しのおもしろユカイな華の紅鶴学園生活は、この世でただひとつわたしのiPadの中にしかないんだよなあ……
夫が全然同意できないことばかり言ってきて、意見すると不機嫌になるのでこっちもいらいらする。
夫「何でホストクラブを優先的に検査するんだ?他に検査受けたい人がいるのに?」
ホストクラブに感染者がいることが発覚して、周りに感染している確率が高いからじゃないの?他に検査受けたい人がいる、というのはどこを見たらわかるの?なんで黙るの?
何の資料見たの?なんで黙るの?
夫「感染者が増えていないように見えるように発表を調整している」
じゃああなたは実際の感染者数知ってるの?政府が隠蔽体質だというのは否定しないけど、なんで事実のようにそういうこと言うの?
夫「有名人の死因が発表されないのが不思議だ、何か隠そうとしている、コロナなのかもしれない」
遺族が発表したくないということもあるんじゃないの?なんでそこに政府の思惑が絡んでいると思うの?そういうこともあるかもしれないけど、なんでそこにしか行きつかないの?
愛玩動物に関する原罪への意識、それは知と体験を深めれば深めるほど消えていく類のものだと俺は思ってる。
自然っていうのは、都会の人間が思うほど生易しくはない。殺し合い込みのシビアな生存競争だし、それから離脱できるのならするべきだ。
我々は猫に毎日餌をやる。その重さに比べれば、愛玩存在であることなど、いかにも軽い。やつらも別にそんなことは気にしやしない。
名前の件も大体そんな感じ。彼らには人間がイメージするような「名前」という概念はないのだから(事物の一般化が不可能なため)、その可愛い響きの言葉は「その音がしたら近づけばいいらしい」ぐらいの話だ。
猫も我々も、相互に互いを利用し、利用しあえぼよかろう。それで幸福なのだし、我々は自然に対して利己的である己を祝福するべきだ。