はてなキーワード: いかがわしいとは
「出会った」どころか、実際にはもっと人に言えないような出会い方だった。
私は、童貞だった旦那と、出会ったその日にセックスをしたのだ。
10年か、もしかするともうちょっと前かも知れない。私はまだ学生だった。当時、2ちゃんには過激な恋愛板というのがあって、恋愛話というか、エロ話があちこちで盛り上がっていた。といっても、多分女性は少数派で、たまにいる女性は妙にもてはやされた。
女という証拠が出せるだけでちやほやされるのがデフォルトで、私もたまに貧相な乳を自撮りしたりして、その画像を出して「女神」とかちやほやされたりしていた。今から思うとバカの極みだったと思う。
で、そんな中に、「童貞とエッチしたい人のスレ」みたいなのがあった。タイトル正確に覚えてないけど、「童貞くんとエッチしたいなー」とかなんとか、そんな感じだったと思う。そこには、自称女性と、そこに群がる男性という感じのひどい光景が展開されていた。
その頃、画像を出してちやほやされるのも飽きていた私は、そんな中、なんとなく感じが良さそうな男性の書き込みに、いたずら半分でメールを出してみた。すごい勢いで食いついてくるのかと思いきや、その人は案外冷静で、もしよかったら童貞卒業させてくれると嬉しい、けど会ってみて嫌だったらやめてもいい、みたいな感じだった。
会ってみる気になった。実は、出会い系どころか、ネット経由で人に会うこと自体初めてだった。
待ち合わせは渋谷で、ハチ公前は分かりづらいので109の前だった。根は非コミュな私は、いつ引き返そうかいつ引き返そうか迷いながら待ち合わせに向かっていた。どんなキモいのがいるか、もしかすると複数人に襲われちゃうかも知れない、みたいなことまで想像していた。実際私も、経験なんてそれ程なかった。正直心臓バクバクだったと思う。
待ち合わせの人は、意外な程普通そうな人だった。スマートで、一見すると普通にモテそうな眼鏡男子。後から聞いてみると、大岡山にある某有名理系大学に通っていて、女性との出会いは小学校以来無かったらしい。
そんなに気が向いていたわけじゃないんだけど、ちょこちょこ話をする内に、この人とならセックスしてもまあいいかな、という気分になった。今でもあるのかどうか分からないけれど、渋谷のセラヴィというラブホ。一緒にシャワーを浴びたり、洗いっこしたり。貧相なおっぱいを押し付けたりとか、普段はやらないようなことも、妙に浮足だっていた私もやってしまった。
シャワーの時点では超興奮していた彼は、ベッドにいくと緊張のあまりか脱力してしまって、わざわざシックスナインのようなことをしなくてはいけなかった。私のお尻をなでると彼はいきなり準備OKになって、彼の初体験は私が上になる騎乗位だった。
正直、リードすること自体が新鮮だったので、この時はかなり興奮したし、そこそこ気持ちよかった。彼にはもっと夢のような時間だったらしい。お昼寝も挟まないで何回かするのも、実は初めての経験だった。
で、この後も続くのかな、なんなら付き合ってもまあいいかな、と思っていたのだけど、彼は童貞力を発揮してしまって、その後メールは全く来なかった。後から聞いたところによると、なんと声をかければもう一度会えるのかさっぱり分からなかったらしい。自然消滅みたいな形になった。
何年か経った。
金融の会社に就職した私は、ある時IT会社の提案を受けた。提案メンバーの一人が彼だった。お互い一目で相手が誰か分かったけれど、必死に隠し通した。当たり前だ、「2ちゃんで会って、その日の内に童貞をもらいました」なんて説明できるもんか。提案が終わった後、名刺で渡した会社のメアドと、変えていなかった私の携帯アドレスの両方に、「良かったら会えませんか?」というメールが来た。
食事をしながら言ってきた彼の言葉は、「あの時よりは、経験積んだかも」だった。これも後から知ったことだが、これは単なるハッタリであって、彼の経験人数は一人のままだった。今でも一人のままだ。
結婚式では、「二人の出会いは、たまたま仕事で提案をしに行ったとき」ということになった。けど実際は2ちゃんの、ひどく薄暗い、いかがわしい場所で出会った。
もう2ちゃんもなくなって、今は5ちゃんになって、多分あの頃のいかがわしい空気ももうないんだと思う。ふっと思い出したので書いてみた。長文ごめんなさい。
【危険すぎる】子供の無断「LINE LIVE」に潜む危険性とその対抗策
いわゆる動画SNSというヤツでユーチューバーに憧れる構ってちゃんがユーザーに媚びへつらうアレだ。
Facebookでも17Liveとかいうアプリが盛んに広告を出している。
自分を動画サイトでブランディングしたいというのはまぁ、いい。
彼女らは人気者になりたい一新でお客さんの要求になんでも答えるということをするらしい。
そうするとそこには俺のようなヲッサンが群がっていかがわしい要求をするそうだ。
服を1枚脱いでとか、下着姿になって、だとか言うのだろう。
記事では親がしっかり子供をコントロールできていないのが問題だと書かれている。
そりゃあ、人気者になれるのであればなんでもするだろう。
しかも彼ら(親)は自分の娘が不特定多数のヲッサンに好奇の視線を集めているなんて夢にも思っていない。
やりたいやつはやればいい。
どっちでもいいが、子供にスマホを持たせている親は一度見直したほうがいいだろう。
いつどこで自分の娘がゆーちゅーばーに目覚めているか分からない。
勘違いされないようにあらかじめ書いておくが、漫画村は最悪な海賊版サイトだしユーザーも最低だと考えている。
漫画のダウンロードはわかりやすいので批判しやすいが、実はアドブロックなど使って無意識のうちに同じようなことをしている人が多いのではないか?アドブロックユーザーも実は漫画村ユーザー同様のクズなのではないか?
なぜにここでアドブロックを引き合いに出したかというと、それは私がWeb屋であるためだ。アドブロックを使うことについて一度くらいは考えてみて欲しい。
Webという世界の多くは広告の収入によって成り立っている、GoogleだってYoutubeだってTwitter、FaceBookだって広告がなければ存在することができないだろう。あらゆるサービスは一見無料で使えているように思えるが、実際は広告を見ることと引き換えにサービスを使えていることが多い。
あなたがWebサイトにアクセスすると、サイト運営者はAWSなどのサービスにお金を支払わなければならない、一度あたりのアクセスではほぼ0に近い数値かもしれないが、ネットサーフィンを続けれていれば数日で漫画1冊分くらいのコストを支払わせていることもあるだろう。
そのため、アドブロックユーザーというのは運営会社に損害を与えているだけの存在ということになる。(一部例外もあるが)
アドブロックユーザーはあらゆる理由をつけて自己を正当化しているようだ。例えば広告だらけのサイトがあるせいだからとか、通信容量をとられるとか、いかがわしい広告がでるからとか...
それはそういう傾向のサイトを見ているからそうなのであって、嫌なら閲覧しなければいいし、ましてや他の健全な大多数のサイトからしたら関係ないことである。
漫画のダウンロードもアドブロックの使用も別に違法ではない。そのため良い悪いは個人の判断ということになってしまう。最終的に「モラル」の問題になってしまうと思うのだが、さてあなたはどう判断するだろうか?
女性専用車両は法だ憲法だ運用会社の約款だ、どのレベルの制約か知らんけど、まあ少なくとも法律では無くてブッチしたところでそれだけでは即たとえば条例により5万円以下の罰金が科せられますとかそういうもんでは少なくともないだろう。たぶん。
ホームでは目印のとこで並びましょうみたいな「みんなで協力して社会を回してゆくルールの呼びかけ」みたいなマナーとか社会規範とか、を、鉄道各社等が呼びかけている、みたいな実態なんじゃなかろうか。調べてないけど。優先席とかさ、法的な根拠は? 優先されるべき人員の定義は条例とか鉄道会社を利用する際の規約かなんかの第2条あたりにかいてあんの? といったら、そうじゃないみたいに、女性専用車両は、他と変わらんハコにシールをぺたっと貼って、みなさーんココは女性専用車両にしましょうねえ、という呼びかけをされている、くらいのもんにすぎない。
従って、思うところあってブッチする男性がいたところで彼の持つ権利の行使を禁じることはできないはずだ。女性専用車両を女性専用車両足らしめているのは利用者の協力だけにすぎないのだから。彼はおまわりさんにしょっぴかれはしない。周りの人にできるのはその非協力者に協力をお願いすることだけである。たぶん。一回駅員がむりやり下車させて裁判でもすればハッキリするんだろうけど。
で、このルールの危うさというのはなんとなく隠されていて、それがまたルールを強化しているんだろう。「女性専用車両の運用にご協力ください」とはいわず「女性専用車両です」と言うみたいに。
そこらへんも踏まえて反・女性専用車両派の男性というののパフォーマンスがあるんじゃないかな。
世の中、アンチ女性専用車両を公言しにくいのは、被害者女性←→加害者男性みたいなレッテルの構図を元にした制度ゆえに、加害者側が被害者側の感情を軽視しているがゆえの廃止論みたいに取られがちなのがあるだろう。つまり痴漢がいちばん悪い(当たり前)。
潮目が変われば「うるせえ隣の車両は死ぬほどぎゅうぎゅう詰めなんだよ」みたいなのを後押しに、女性専用車両であることを無視する男性が一気に増える、ことも、ありえなくはないと思う。そしてそういう流れが起きた時に、止めることは難しいんでないか。
個人的に女性専用車両、なんかなあと思うのは、そういうやり方が「異性を誘惑するからポニーテール禁止」の校則だとか、イスラム教の学校は全部男女別学(いかがわしいから!)とかと同根のものを感じで、こう、痴漢前提のハードってそれはよお、という感じ。
理想を言えば痴漢防止策を十分に取った上でのまんをじしての女性専用車両の廃止だろう。現状、女性専用車両っての作ろうか、と判断された時からそっちのそもそもが改善された印象は無い。そっちが改善されないことには廃止への動きも鈍くならざるをえない。
「ラッシュ時は使えないけど割安の定期券」で企業にオフピークを促す、監視カメラの増設、鉄道警察の取り調べ体制の変革など、やれることはあるはずだ。
はやくそっちをやってくれ。
この機能が追加されて良かった!って言ってる人全然見かけないんだけど、クラスタが違うのかな。
フィーリングで申し訳ないけど、あるアカウントがRTしてるツイートといいねしてるツイートだと、後者のほうが尖ってるというか、クセがあるというか、はっきり言うとキモい傾向がある。
RTを読むだけだった頃には「不思議ちゃんだけどいい子」だと思ってた相互フォローの子たちが、怪しいネットワークビジネスアカウントとか、はすみとしこ高須上念みたいなネトウヨアカウントとか、はちま刃ネットギークきっことか、藤沢数希イケハヤみたいなマウンティング系メルマガ売りアカウントとか、いかがわしいスピリチュアルアカウントとか、放射能に効くらしい高額健康グッズの宣伝アカウントとか、ガンガンフォローしていいねしまくってるのが見えてしまうのはキツい。
フォローはずせればいいんだけど趣味でつながってて人間関係もできちゃってるしなあ。ミュートしちゃってリプライ見えなくなってもそれはそれで困るし。オフ会なんて行かなきゃよかったよ。
あ? 私小説? どうせ、実生活で体験の幅が狭い作家が、どうでもいい身辺雑記を延々と書いた文学のことだろ? くっだらねぇ。
というふうに自分は思っていた。
で、私小説をいくつか読んでみた。
食わず嫌いの先入見は、まちがいだった。
なにが面白いか。
私小説は、主人公が馬鹿で、下衆で、これでもか、これでもかというほどに生活がどんどん下降していくさまが、ある種爽快なほど露悪的に書いてあること、
そしてこれが事実であるかもしれないという期待を読者に抱かせながら、虚実入り混ぜて物語が展開されること、
ではないかと思う。
主人公が失業して貧困に陥ったり、男女関係で泥沼にはまったり、酔っ払って人に迷惑をかけ、誰からも相手にされなくなっていくごとに、読んでいる側としては、変なカタルシスを感じてしまうというか。
で、ネット上で有名になって、お金も欲しいという人は、もっと私小説的な文章を発表してけばいいと思う。
ネット上で炎上してきた(している)話題は、当事者を主人公にして、私小説仕立てにしてみると、もっと面白くなりそうなものばかりだ。
ネット上の有名人が、ネット以外でブレイクすることを妨げているのは、彼ら(彼女ら)が、小賢しいことだ。
小賢しいとは、自分の失敗や品性の低さを指摘されると、取り繕ったり、反論したりして、自分を分相応以上に賢く見せようとするということだ。
こうすることにより、彼ら(彼女ら)は、いっそう小者に見えてしまう。
コンテンツとして自分の価値を最大化したければ、大正、昭和の私小説作家のように、あるいは現代の西村賢太のように、卑小さを卑小さのままに、破綻を破綻のままに描き出し、そのことから生じる業を生きるほうが、じつは戦略としては賢いかもしれないのだ。
サッパリ自著は売れないながらも、昨年の彼の税務署への申告額は、小説関連の収入と、作家の肩書あっての各種アルバイトで、それでもx千x百万円になっていた。汚ねえ身なりをしているからと云って、そう容易く浮浪者を見る目で眺めて欲しくはないのである
これをフィクションと受け取るかどうかは、読者次第だろう。
炎上芸人は炎上芸人のままで終わる必要はない。もっとコンテンツとしてのポテンシャルがある。金銭的に報われる可能性がある。自分の人生をコンテンツとし続けることの業を生き続けるだけの覚悟があれば。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000984/card3212.html
「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と言い残して主人公は東京を出て茨城に行き、知人のつてを頼って旅館に逗留するが、そもそも宿代を持ってきていない。知人が何とか融通してくれるだろうと最初から当て込みながら、居座る。
知人は当然のことながら激昂し、旅館からは宿代をつけにしたまま追い出される。
有り金がないまま次々と宿を変えながら茨城をさまよう話なのだが、最初はちゃんとした旅館だったのに、しだいに宿のグレードが下がっていって、最後はドヤ街の宿のような木賃宿で弟の送金を待ちながら、身につけたものをどんどん質に入れて裸になっていくところが笑える。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card49655.html
馬鹿で不細工で貧乏であることに強い劣等感を持っている主人公の中学時代を描いた作品。恥ずかしい過去を思い出して悶絶するときのシーンはとくに秀逸。
「あツ、あツ」と、私は奇妙な叫び声を発して下腹を抑へた。両手の十本の指を宙に拡げて机の前で暴れ騒いだ。
「何を気狂ひの真似をなさるんです。えイ、そんな気狂ひの真似する人わたし大嫌ひ」
私淑していた葛西善藏の気狂いっぷりを書いた『足相撲』もあわせて読みたい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card1337.html
ミハイル・バフチンがカーニバル文学と読んだドストエフスキーの作品のように、これ以上ないほど気まずく不謹慎な破綻の場面を職人的な巧みさで書ききるようになった著者の近年の作品はすべて必読。
普通はしないような胸、太もも、脚、フェチズムを感じる部位の強調
無垢な子どもが見て「可愛い素敵な絵だ」と解釈しているのを何度か見たことがある
喩えるなら電マのようなものだ
電マを見てエロ文脈を読み取ってしまう人と、そうではない純粋な人が居る
エロに精通したヲタなどが見ると「いかがわしい絵」だが、発注担当者からすると「可愛らしい絵」の時がある
この際、エロに精通した側からは「担当者はいかがわしいやつだ」となってマイナス評価になってしまう
発注担当者はそこらへんのボーダーラインを理解する必要があるが、エロに精通していないと境界線が分からないのでどうしようもない
(そういうコンサルでも居れば良いのかもしれないが。エロコンサルが)
ガイドラインでもあればいいんだろうか(誰か作って)
___
「一部を強調」って言っても色々あって、いい意味でセクシーな絵ってのも存在すると思う
ただ、少し表現が変わるだけで「セクシー」が「いかがわしい」になるんだけど
(境界というのは、ここまで描いちゃうと皆からエロいと思われてしまいそうという、経験則みたいなもの)
もちろん分かる人も大勢居るからそういう人は上手くやるんだけど
パンチラなんかも難しい
そういえばジブリって凄いよね
ロリコンから見ればいかがわしく、普通の人から見れば可愛らしいというギリギリのラインを攻めてると思う
万人に愛されるバランス感
なんなんだあの騒音。本当に公害だと思うんだけど近所はなぜ放置するんだ?
うるさいのは老人の特権? いや、分かるよ。老人の声がうるさいのはしょうがないのかもしれない。それは認める。けどさ、ここただの静かな住宅街だから。公民館じゃないんだわここ。公民館の近くでうるさいのは分かるけど、道路で大きな声で雑談がうるさいのはおかしくないか。それが老人の特権? じゃあ痴呆老人が住宅街で騒ぐのは痴呆老人の特権? 違うだろ。痴呆老人がしかるべき場所(施設とか)で騒ぐなら、みんなそういう場所だって分かってるからまあ許されるけど、住宅街だったらブチ切れるでしょ。そういうこと。公民館で騒ぐのは全然問題ないよ。公民館そういう場所だから。周りに住む人も暇してる老人が騒ぐって分かってるはず。だからいいよ。けどここあんたらが年取るまで静かな住宅街。もう少しお行儀よくできない? って言った最近引っ越してきた若い奥さんのまわりを数人で嫌みいってて嫌がらせしたの見てたからね。隣のお家の奥さんよ。夜がお盛んでの叫声上げてるのってほんとに公害じゃないの? 熱帯夜に窓開けると決まって奥さんのいかがわしい声が聞こえてくるのってほんとに公害じゃないの? なんで窓全開にしてやるの?家なら大人のおもちゃで遊ぶの? なんでホテルに行けないの?
元々仲が悪いわけではなかった、仲の良い家族ではなかったが、最初は連絡をとりあっていた。
しかし家を出て少しずつ世間のことを知るにつれ、自分の家は何かおかしかったのではないか、それが気になりはじめると家族と接することが苦痛になり、帰省しても家族とはほとんど何も会話をしなくなっていた。帰省している間の一週間が苦痛でたまらず、それからは一度も帰省はしていない。顔もみていない。
日頃耳にはいるような、酷い暴力や精神的な攻撃があったわけではない。
ご飯はたべさせてくれたし、学校にもいかせてくれたし、倫理的に何か問題があるわけじゃなかった。漫画を買うこともアニメをみることも許されていた。
父親は仕事から帰宅すれば瓶ビールを飲みながら野球を観る。嫌いなチームが勝っていると機嫌がわるくなり家族に当たった。そして母も不機嫌になり喧嘩をした。
毎日そんな漢字だったし、子供がテレビをみたいといっても、バラエティや歌番組の類は、アホらしい、馬鹿らしいといってすぐにチャンネルを変えられ、見せてはもらえなかった。自室でテレビをみることやゲームをすることは許されていた(そういうところは子供に甘かったとおもう)ので、自室にこもって姉妹と遊んでいると、「なんで居間におらんのじゃ」と不機嫌になって怒鳴り散らした。
母は母で、そんな父親を馬鹿にしていた。よく父親がいない時間に、私達子供に向けて、父親や父方の祖父母の愚痴をいっていた。その頃は母親の言うことが正しいと思い込んでいたので、ますます父親へ対する反感は強くなり、私は喋らなくなった。
真面目に話をしようとしても、勝手に話の内容を想像して先回りしてゲラゲラと笑った。そのうちそれが嫌になって母に対して真面目に話をすることをやめた。(後日親戚から聞いた話だが、どうしてあの子は帰省しても何も喋ってくれないの、と泣いていたらしい)
そんな感じだったから、父母は別々の部屋でねていたし、夫婦同じ寝室で寝るなんてドラマの中だけのことだとおもっていた。
友達の家へいくと、喧嘩をせず、まともに会話をして、子供の話も最後までちゃんときいてくれるお父さんお母さんが羨ましかった。
そんな思いは子供の頃からあったのに、家を出るまでは気づいていなかった。
中学生の頃、学校へいきたくない辛い時期があったが、そういうことは許されない考え方だったので父親から殴られた。母親からも叩かれた。
偶然平日休みだった父親は、母親が不在の内に私をビニールのロープで後ろ手に縛った。床に転がして身動きできないようにした。母親が帰ってくる前に切ってくれたが、今思えば多分いかがわしいビデオかなにかに影響されて、一度やってみたかったんじゃないだろうか。(小学生の頃、私と姉妹と一緒に寝ている部屋で父親がいかがわしいビデオをみていたことも思い出した、途中で起きて私が気づいてしまったが寝たフリをして必死に気づかないフリをした、そっち方面での父親に対する嫌な思い出はたくさんある)
縛られた話を何の気なしに友人に話したら驚かれ、そうしてはじめて、うちは普通じゃないのかもしれないと思い始めた。
そうやって考えるから嫌な思い出ばかり思い出してしまうのかもしれない。いい思い出だってたくさんあったはずだ、私が不機嫌にずっとだまって話さなかったせいで、両親は仲が悪くなってしまったんだろう、そういうこともわかっている。
ここ数年間は親から電話がかかってきても出ないようにした、毎年送っていたお中元やお歳暮も送らなくなった。ただ、ずっと実家にのこっている姉妹だけはLINEで連絡を続けていた。
しかしその姉妹も視野が非常にせまく、冗談の通じない性格で話すのがだんだんつらくなっていた。そのうち既読して放置するようになり、ある日「お前って都合のいいときだけ家族を利用している冷たい人間だよな」と怒りのLINEがきた。そう思うんだったらそれでいいよ、と返した。
ただどうしても、保証人や緊急連絡先では家族を登録しなくてはならなくなる。先日親しい友人の名前をかいておいたら、やはりここは家族でないと…と訂正をさせられた(それはそうだ)
今は結婚を考えている相手がいて、近々そちらの御両親に挨拶しにいくつもり。
しかしそうなると、私の両親にも挨拶を…となるだろう。それをどうしたらいいか悩んでいる、彼は事情をしっているが、彼のご家族は納得されないだろう。しかし親には会いたくない、そのためにお金もかけたくない、でも世間的にちゃんと話はするべきだ、でも……と、そういうことをずっと考えていたら、突然ふと書きたくなったのでここへきた。
どうしてこんなに世の中はめんどくさいのだろう。
ジェンダーロールから解放されましょう言ってる奴が男性社会の上澄みすすってたら、
そりゃいかがわしいに決まってるだろう
うなぎ保護とか言ってるくせにお前こっそり蒲焼き食ってるじゃねえか的な
そして個人的にはこれを「それとこれとは別問題」で片付けられないと考える
どうもエマ擁護派は単純に個人の好みの問題だけに矮小化するきらいがあるが、それだけじゃない
こいつだって今のシステムに取り入っていい思いしてるのであって、立派な当事者のひとりなんだよ
おまけにその変革を訴えてるくせに、自分はそのために一歩も動かずビタ一文出さねえということだ
だったらいったいどこの誰が、こいつの言うこと聞いて動かなきゃいけないんだ?
アホらしいにもほどがある
以前増田に「新興宗教がいかがわしいのは個人崇拝の色が残っているから」的な投稿がありました。
自分も同じ考えで、歴史の浅い宗教だと、とにかく教祖や何代目かが言うことは絶対になりがちです。
これの何が問題かというと、外から見た場合、向こうがどういう基準で動くかわからない、
なんせ上にいるやつの気分次第だから、これが実に厄介なわけです。
こういうことを考えるのは、そもそも自分が人間不信気味だからかもしれませんが、
人間のそれも感情に依存するシステムというのは、それだけでクソの極みだと思うのです。
名君というのは、どうにでも悪用できるシステムをうまく運用しただけで、
名君がいたからといって、システムまでいいということにはなりません。
そいつの息子がアホということも割とあるし、気まぐれで重税だの処刑だのやられちゃかなわん。
例えば自分は、同じ人の権利を抑えようとする勢力でも、今の日本でポリコレうるさい人に比べれば、
キリスト教保守とかイスラームとかの人らの方がまだマシだと思っています。
なぜかというと、少なくとも彼らには聖典というバックボーンがあって、
いざとなればそれをあたれば門外漢でも彼らの考えが少しは理解できるし、
もし言ってることと書いてることが食い違うようなら「お前それは違うだろ」と指摘もできる。
生物を作ったのは神で、進化論を否定しているから、ポケモンもダメということになる。
その結果は受け入れられないけど、そこに至る理屈はわからんでもない、となるわけです。
もちろん神学論争があるように、解釈を巡る争いがないわけがないのですが、
少なくともブラックボックスをブラックボックスのままブン回してくるよりはマシなわけです。
逆に言うと、ジャパニーズポリコレフリークの皆様のいかがわしさがどこにあるかというと、
とにかくそのバックボーンがふにゃふにゃであるという点に尽きます。
まず宗教がない。よその受け売りでしかない。元が感情で動いてるから理屈が毎回変わる。
って書くとあらぬ誤解を生みそうな現代日本ではあるけど、自分は子供がいかがわしい理由ではない方向で好きだ
自分は月に数回漫画を買うために外出を余儀なくされるのだが、その道すがらすれ違う子供すれ違う子供皆が愛おしくてたまらないと感じる
高校生の頃友達に保育士志望のイケメンがいたが、当時の自分が「ガキとかうるさいし汚いし嫌いだ!!」って彼に力説して嫌われた記憶があるので、少なくともその後どこかの時点で考えが変わったのだと思う
多分子供達から見たら自分は不審者そのものだと思うけど、「俺の愛情よ子供達に伝われっ!!!」って願いを込めた視線を向けることだけはどうか許してほしいな
親御さんが心配するだろうし、常識に考慮して話しかけたりはしないけど、遠目にそっと見守る感じで観てしまう