はてなキーワード: 程普とは
「出会った」どころか、実際にはもっと人に言えないような出会い方だった。
私は、童貞だった旦那と、出会ったその日にセックスをしたのだ。
10年か、もしかするともうちょっと前かも知れない。私はまだ学生だった。当時、2ちゃんには過激な恋愛板というのがあって、恋愛話というか、エロ話があちこちで盛り上がっていた。といっても、多分女性は少数派で、たまにいる女性は妙にもてはやされた。
女という証拠が出せるだけでちやほやされるのがデフォルトで、私もたまに貧相な乳を自撮りしたりして、その画像を出して「女神」とかちやほやされたりしていた。今から思うとバカの極みだったと思う。
で、そんな中に、「童貞とエッチしたい人のスレ」みたいなのがあった。タイトル正確に覚えてないけど、「童貞くんとエッチしたいなー」とかなんとか、そんな感じだったと思う。そこには、自称女性と、そこに群がる男性という感じのひどい光景が展開されていた。
その頃、画像を出してちやほやされるのも飽きていた私は、そんな中、なんとなく感じが良さそうな男性の書き込みに、いたずら半分でメールを出してみた。すごい勢いで食いついてくるのかと思いきや、その人は案外冷静で、もしよかったら童貞卒業させてくれると嬉しい、けど会ってみて嫌だったらやめてもいい、みたいな感じだった。
会ってみる気になった。実は、出会い系どころか、ネット経由で人に会うこと自体初めてだった。
待ち合わせは渋谷で、ハチ公前は分かりづらいので109の前だった。根は非コミュな私は、いつ引き返そうかいつ引き返そうか迷いながら待ち合わせに向かっていた。どんなキモいのがいるか、もしかすると複数人に襲われちゃうかも知れない、みたいなことまで想像していた。実際私も、経験なんてそれ程なかった。正直心臓バクバクだったと思う。
待ち合わせの人は、意外な程普通そうな人だった。スマートで、一見すると普通にモテそうな眼鏡男子。後から聞いてみると、大岡山にある某有名理系大学に通っていて、女性との出会いは小学校以来無かったらしい。
そんなに気が向いていたわけじゃないんだけど、ちょこちょこ話をする内に、この人とならセックスしてもまあいいかな、という気分になった。今でもあるのかどうか分からないけれど、渋谷のセラヴィというラブホ。一緒にシャワーを浴びたり、洗いっこしたり。貧相なおっぱいを押し付けたりとか、普段はやらないようなことも、妙に浮足だっていた私もやってしまった。
シャワーの時点では超興奮していた彼は、ベッドにいくと緊張のあまりか脱力してしまって、わざわざシックスナインのようなことをしなくてはいけなかった。私のお尻をなでると彼はいきなり準備OKになって、彼の初体験は私が上になる騎乗位だった。
正直、リードすること自体が新鮮だったので、この時はかなり興奮したし、そこそこ気持ちよかった。彼にはもっと夢のような時間だったらしい。お昼寝も挟まないで何回かするのも、実は初めての経験だった。
で、この後も続くのかな、なんなら付き合ってもまあいいかな、と思っていたのだけど、彼は童貞力を発揮してしまって、その後メールは全く来なかった。後から聞いたところによると、なんと声をかければもう一度会えるのかさっぱり分からなかったらしい。自然消滅みたいな形になった。
何年か経った。
金融の会社に就職した私は、ある時IT会社の提案を受けた。提案メンバーの一人が彼だった。お互い一目で相手が誰か分かったけれど、必死に隠し通した。当たり前だ、「2ちゃんで会って、その日の内に童貞をもらいました」なんて説明できるもんか。提案が終わった後、名刺で渡した会社のメアドと、変えていなかった私の携帯アドレスの両方に、「良かったら会えませんか?」というメールが来た。
食事をしながら言ってきた彼の言葉は、「あの時よりは、経験積んだかも」だった。これも後から知ったことだが、これは単なるハッタリであって、彼の経験人数は一人のままだった。今でも一人のままだ。
結婚式では、「二人の出会いは、たまたま仕事で提案をしに行ったとき」ということになった。けど実際は2ちゃんの、ひどく薄暗い、いかがわしい場所で出会った。
もう2ちゃんもなくなって、今は5ちゃんになって、多分あの頃のいかがわしい空気ももうないんだと思う。ふっと思い出したので書いてみた。長文ごめんなさい。
この本を書いた先生の所に行きたい、とかならあれだけど、その程度の気持ちで行くなら偏差値で選ぶ以下のどうしようもない基準だと思うし。
あなたの言う「その程度の気持ち」で大学を選んじゃうような人間だから、
この人の話が直接聞いてみたい。この人のもとで学んでみたい。
って若さで突っ走って、腹一杯学問に勤しむのも私はアリだと思うのだけれど。
その結果、大人になって職業を決める時に直接役立たなくても、
それはそれでアリだって思う。
私の好きな先生も「文学なんて所詮趣味だ。」って言ってったっけ。
私にとっての大学の4年間の意義だったのかもしれない。
偏差値を全く基準にしてないなんてことはあり得ない
そういう考え方なんだね。その考え方は一理あるし、多くの人にとっては正しいよ。
でも、結果、行きたい大学に偏差値が足りないからって諦めてしまわない人もいるんじゃないかな。
周りにそんな人いないような境遇で育ったんだね。
その辺りも私とかなり違うところなのかな。
10年ちょっと前だとまだインターネットもそれ程普及してないからそんな言葉自体無かったんじゃん?
あったとしても誰もが知るような言葉でなかった。
ただ、偏差値で選ぶのは今以上に当たり前だったと思うけどね。
それこそ、このネット社会がなければ、一人の教授について調べることすらとても難しい。
というか、そんな情報学校の近くに住んでたり、大学に通ってたりする人が近くに居ない限りない得ることは殆ど不可能だった。
自分のやりたいこと、って言ったって高校生のレベルで東大の先生と京大の先生でやってることが違うかどうかなんて分からんでしょ。
この本を書いた先生の所に行きたい、とかならあれだけど、その程度の気持ちで行くなら偏差値で選ぶ以下のどうしようもない基準だと思うし。
「学びたい分野に秀でてる」とかで選んだから、
これは偏差値の高い学校へ行けなかった人の言い訳にしか聞こえない。
自分のやりたい分野を考えて、次に自分の行ける学校を偏差値レベルで調べてるはずだ。
偏差値を全く基準にしてないなんてことはあり得ないし、あなたが何の分野かしらないけど