元々仲が悪いわけではなかった、仲の良い家族ではなかったが、最初は連絡をとりあっていた。
しかし家を出て少しずつ世間のことを知るにつれ、自分の家は何かおかしかったのではないか、それが気になりはじめると家族と接することが苦痛になり、帰省しても家族とはほとんど何も会話をしなくなっていた。帰省している間の一週間が苦痛でたまらず、それからは一度も帰省はしていない。顔もみていない。
日頃耳にはいるような、酷い暴力や精神的な攻撃があったわけではない。
ご飯はたべさせてくれたし、学校にもいかせてくれたし、倫理的に何か問題があるわけじゃなかった。漫画を買うこともアニメをみることも許されていた。
父親は仕事から帰宅すれば瓶ビールを飲みながら野球を観る。嫌いなチームが勝っていると機嫌がわるくなり家族に当たった。そして母も不機嫌になり喧嘩をした。
毎日そんな漢字だったし、子供がテレビをみたいといっても、バラエティや歌番組の類は、アホらしい、馬鹿らしいといってすぐにチャンネルを変えられ、見せてはもらえなかった。自室でテレビをみることやゲームをすることは許されていた(そういうところは子供に甘かったとおもう)ので、自室にこもって姉妹と遊んでいると、「なんで居間におらんのじゃ」と不機嫌になって怒鳴り散らした。
母は母で、そんな父親を馬鹿にしていた。よく父親がいない時間に、私達子供に向けて、父親や父方の祖父母の愚痴をいっていた。その頃は母親の言うことが正しいと思い込んでいたので、ますます父親へ対する反感は強くなり、私は喋らなくなった。
真面目に話をしようとしても、勝手に話の内容を想像して先回りしてゲラゲラと笑った。そのうちそれが嫌になって母に対して真面目に話をすることをやめた。(後日親戚から聞いた話だが、どうしてあの子は帰省しても何も喋ってくれないの、と泣いていたらしい)
そんな感じだったから、父母は別々の部屋でねていたし、夫婦同じ寝室で寝るなんてドラマの中だけのことだとおもっていた。
友達の家へいくと、喧嘩をせず、まともに会話をして、子供の話も最後までちゃんときいてくれるお父さんお母さんが羨ましかった。
そんな思いは子供の頃からあったのに、家を出るまでは気づいていなかった。
中学生の頃、学校へいきたくない辛い時期があったが、そういうことは許されない考え方だったので父親から殴られた。母親からも叩かれた。
偶然平日休みだった父親は、母親が不在の内に私をビニールのロープで後ろ手に縛った。床に転がして身動きできないようにした。母親が帰ってくる前に切ってくれたが、今思えば多分いかがわしいビデオかなにかに影響されて、一度やってみたかったんじゃないだろうか。(小学生の頃、私と姉妹と一緒に寝ている部屋で父親がいかがわしいビデオをみていたことも思い出した、途中で起きて私が気づいてしまったが寝たフリをして必死に気づかないフリをした、そっち方面での父親に対する嫌な思い出はたくさんある)
縛られた話を何の気なしに友人に話したら驚かれ、そうしてはじめて、うちは普通じゃないのかもしれないと思い始めた。
そうやって考えるから嫌な思い出ばかり思い出してしまうのかもしれない。いい思い出だってたくさんあったはずだ、私が不機嫌にずっとだまって話さなかったせいで、両親は仲が悪くなってしまったんだろう、そういうこともわかっている。
ここ数年間は親から電話がかかってきても出ないようにした、毎年送っていたお中元やお歳暮も送らなくなった。ただ、ずっと実家にのこっている姉妹だけはLINEで連絡を続けていた。
しかしその姉妹も視野が非常にせまく、冗談の通じない性格で話すのがだんだんつらくなっていた。そのうち既読して放置するようになり、ある日「お前って都合のいいときだけ家族を利用している冷たい人間だよな」と怒りのLINEがきた。そう思うんだったらそれでいいよ、と返した。
ただどうしても、保証人や緊急連絡先では家族を登録しなくてはならなくなる。先日親しい友人の名前をかいておいたら、やはりここは家族でないと…と訂正をさせられた(それはそうだ)
今は結婚を考えている相手がいて、近々そちらの御両親に挨拶しにいくつもり。
しかしそうなると、私の両親にも挨拶を…となるだろう。それをどうしたらいいか悩んでいる、彼は事情をしっているが、彼のご家族は納得されないだろう。しかし親には会いたくない、そのためにお金もかけたくない、でも世間的にちゃんと話はするべきだ、でも……と、そういうことをずっと考えていたら、突然ふと書きたくなったのでここへきた。
どうしてこんなに世の中はめんどくさいのだろう。