はてなキーワード: miXiとは
四肢切断、いわゆる「だるま」が好きでmixiネームも「だるま 四肢切断」とかいうおっかねえ名前で、コミケでもそういう同人誌を出してた男が、マンションの隣人女性を性奴隷にする目的で帰宅時を狙って拉致、殺害、事件発覚を恐れ包丁でバラバラにしてまな板で刻んでトイレに流したという事件。
いくらオートロックにしようが防犯カメラ付きの部屋にしようが、若い女というだけで性犯罪男にロックオンされるし、ロックオンざれたらもう逃げ場がないやん……怖
そりゃまあフロアごと家で専用キーがないとエレベーターが止まらないような、芸能人が住むような家ならともかく、普通の女はそんな家賃払えないし。なんかかわいそうになってきた
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)において、現在問題となっている大量の複垢を用いて大量連投を行うユーザー(以下:複垢連投オヤジ)と闘って感じた支離滅裂な理論に関して言及していく。複垢連投オヤジに関してはanond:20180217203415の記事を見てもらえれば詳しく分かるはずである。
私は、このコトノハ〇×において、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである。
迷惑なことに、複垢連投オヤジは自分の理論は押し通すのに他人の理論には常に批判しかしない。
ここで、私に対しての批判、暴言に対して言及していくことにする。
Part.1(anond:20180718031445)の記事が非常に長く、文字数制限ではみ出すようになったので、続きをPart.2として纏めていくことにする。
括弧内がコトのタイトル、その下の2項目がこのコトの〇側の回答のコメントである。ユーザー名以外は一字一句そのまま引用した。
言うまでも無く、〇側に回答しているのは複垢連投オヤジのアカウントだけである。
コメントの文言を言い換えると「〇〇(私)は寺社を参拝し、人の不幸や自然災害の発生を祈願している。」というように言いたいものだと解釈できる。
最近は一部のSNSのアカウントを複垢連投オヤジ対策で公開範囲を制限したり運営に相談したりしているが、複垢連投オヤジはそのお参りに関する私の投稿を見て知っている。
その中に、人の不幸や自然災害を願うような内容の文章はあっただろうか?
私はそのような不謹慎なことは最初から言わないし、願うはずがないしそのような投稿も無い。
万が一そう捉えられてしまったなら具体的なソース(出典)を提示してもらいたいものである。
複垢連投オヤジは私に限らず他のユーザーにも根拠が無い出鱈目なことを言っているが、このようなことを言い、他人に認めてもらうためには明確な出典が無ければならない。
特に今回の場合、複垢連投オヤジはことあるごとに不謹慎なコトを投稿しているため、それを他人に押し付けているようにも思える。
また、「人生の先輩」と書かれているが、Part.1の「年上だから敬語使うべき」でも述べた通り、ただ年上なだけで言動は全く伴わず、投稿内容から人生経験が浅いことも一目瞭然なので、複垢連投オヤジのことを「人生の先輩」だと思って尊敬しているコトノハユーザーは全く居ないと思う。
今までの複垢連投オヤジの自称アドバイス(カウンセリング)は紛れもなく全て誹謗中傷や価値観の一方的な押し付けである。
私が数年前に実験的に作成したコトノハの副垢を複垢連投オヤジが偶然見付け、複垢連投オヤジがそれに対して批判したことに対する言及である。
この副垢は「コトノハのユーザー登録ではメール認証システムを採用した方がいいと思う」というコトに対し、出鱈目なメールアドレスで作成できるのかと言うことを立証するために実験的に作成したものだと思われる。
まず、作成し、当該コトに回答した時期がかなり前(恐らく5年以上前)というのもあり、私はこのアカウントの存在を忘れており、ログインする情報も忘れていて有効に使える副垢としても成立していない。
このアカウントは、一度だけ当該コトに回答したきり、全く動いていないため、本当に実験のために作成されたのだと言える。
複垢連投オヤジは「お前も複垢やってるんだから俺の複垢を批判するなよ。」的なことを言っているけど、本当に比較対象になるのだろうか?他の人は私の副垢に対して迷惑し、苦情を訴えているのだろうか…。
そういうことはなく、複垢連投オヤジが自分の事を棚に上げて人のことを言っているだけであり、批判されているのは複垢連投オヤジの方である。
まず、多くのWebサイトにおいて、防衛目的や便宜上、副垢を作成したり匿名機能を利用したりしてメインとは別に密かに活動する人は多く居るが、露骨に荒らしや自作自演行為の為に利用している人は批判されている。
自作自演の多くはいずれはバレて叩かれ、晒されている。
「私も副垢を作成していたことがあったが、これは飽くまで実験の為であり、連投、荒らし行為の為ではない。」
結論はこれであり、複垢連投オヤジはこれを分かっていない。
あと、せっかく副垢を持っているなら有効活用するようにと煽られているが、そのような連投や自作自演の為の副垢利用は悪だと思っているため、行おうと全く思わない。
なぜ、幾千と作成して荒らし行為を働いている複垢と、実験のために一時的に作成して動いていない複垢を平気で同じものだと比較し、他のユーザーが納得できるように思うのか理解できない。
複垢連投オヤジはもうすぐ40歳なのにまともに考えることができないのだろうか…。
複垢連投オヤジが政令指定都市の幸福度ランキングで自分の居住地である浜松市が1位で、私の居住地の京都市より上位だということに対して様々な持論を述べていることに対する言及である。
まず言いたいが、そもそも1人や2人など極少数人の存在がそこまで幸福度に影響を与えるのだろうか?
私達コトノハユーザーは、一般人であり、有名人でもなんでもない。一般人でも、FacebookやTwitter、Instagramのような大手SNSで有名でフォロワー数が増えれば世間一般で有名になり、影響力が大きくなることも十分有り得るだろう。しかしながら、コトノハは小規模で世間一般的には無名なSNSであり、一時期はmixi発祥で少しは有名になったけど、今は複垢連投オヤジや他のなりすましユーザーの存在で多くの人が去ってしまった。こんなSNSのどこに影響力があるのだろうか?
複垢連投オヤジは常にコトノハだけを見ていて、自分の世界が非常に狭いことをいつも知らされてきているが改めて実感させられた。
コトノハユーザーは誰も、施策を行っている政治家や、影響力の大きい有名人ではないのにこのようなことを軽々しく言うのは止めて欲しい。
コトノハオールスターズも他のユーザーもコトノハだけの世界であって、世間一般には何も有名でないから。
コトノハオールスターズが凄いと思っている人なんて、コトノハ内にすら誰も居ないから。
そもそも、幾ら以前公開していたアカウントや個人情報をコトノハにおいて晒されても、幾千の複垢で上げられても全く無意味であり、今のところ実害はない。
そもそも、私のリアルの知人、他のSNSでのフォロワー等はコトノハになんて来ないからだ。
ほとんどのコトノハユーザーから見ると複垢連投オヤジのこの行為は無意味でくだらないことであるが、これだけ続けられるということは、複垢連投オヤジの今の人生に関してコトノハが占める割合が非常に高いのだろう。本当に気持ち悪いものである。
複垢連投オヤジが以下のコトにおいて回答し、「黙れカス」や「死ねカス」などと言った暴言コメントしたことに関する言及である。
「他のWebサイトの話題を持ち込むこと、並びに宣伝行為は一切禁止します。」
私は他のWebサイトで投稿した内容を、複垢連投オヤジにコトノハに無断転載されることに非常に迷惑している。また、記事の存在を紹介してくれるのは場合によってはSEO対策等の良い面もあり、一概に悪いと言えないと思っているが、複垢連投オヤジの場合は無断転載し、レビューも必ず一方的な批判でしかなく「嫌がらせ」という意図がはっきりと見え透いているので非常に迷惑な話である。上記はその被害を受けているSNSのプロフィールに記載した注意書きであり、これも複垢連投オヤジ、只一人の為に記載したものである。
まず、私に限らず著作権表記や無断転載禁止等の表記、利用規約を提示している人は非常に多いが、このような表記に関して他人が文句を言う筋合いはない。それはその作者、投稿者が自分の作品や投稿を守るために設定したルールであるため、利用者や閲覧者は守らなければならないものである。非営利ならばともかく、企業等が営利的に利用すると場合によっては裁判沙汰になる場合もある。管理がしっかりと行き届いたサイトならば、転載が確認される記事の削除を申し出ることも出来、削除対象となっている。また、無断転載が多いアフィリエイトが「アフィカス」として嫌悪される理由のひとつでもある。
複垢連投オヤジは以前から自分のルールが全て正しいと思っているのでこんなことを平気で言えるのだろう。
それだから散々文句言われても大量の複垢と大量の連投を続けることが出来るのだろうが…。
この部分を叩き直さなければ複垢連投オヤジはまともに社会生活を送ることは出来ないのだと思う。
友達限定公開にしているFacebook、最近はほとんど動いていないTwitter、時々匿名機能で質問しているYahoo!知恵袋などは全て、複垢連投オヤジ一人の嫌がらせ目的の無断転載が理由で、私以外にも迷惑が掛かっている部分があるということを理解してもらいたい。
複垢連投オヤジは時々他のWebサイトにコメントに来て、コトノハを広めようとしているが、これは荒らしとして通報を行っている。これは、質問の趣旨に合っていないことや無関係なURLの記載と宣伝が理由である。
非常に迷惑なのでやめてもらいたい。
そもそも今のコトノハが素晴らしいと思っている人間は複垢連投オヤジ、只一人であり、多くの人は詰まらないと思っており、複垢連投オヤジに非常に迷惑している。何度も言うが、ここまでコトノハを広めたがるのは複垢連投オヤジにとってコトノハが全てなのか?それくらい世界観が狭いとしか言えない。
とにかく、今のコトノハは悪意の塊で下劣だとしか思えない。広められるのは迷惑である。管理人には一度閉鎖して立て直すことをお願いしたい。
「〇〇の△△を見ているとストレスが溜まる」
複垢連投オヤジが私(○○)が参加している他のSNS(△△)に関して上記のコト(上段)とコメント(下段)で感想を投稿したことに関して。勿論、感想は人ぞれぞれなので批判する人、受け付けない人が居ることも承知の上であるが、複垢連投オヤジだけに関しては言っておきたいことがあるので触れておく。
△△(SNS)においてひとつの話題に関して更新が遅いことに対する文句だと取れる。企業ならば契約の上作成しているならば納期があり、講義の論文やレポートならば提出期限があるが、このSNSは多趣味の内の一趣味としてやっていることであり、期限など最初から決まっていない。そもそも、個人が運営するブログ等の場合、個人の体調や生活観による。
複垢連投オヤジは以前から他人のことを全く気にせず自分勝手なことを投稿していて、今回も同じである。そもそも、投稿や更新をしつこく急かす行為は失礼に当たり、厳しい管理人ならばコミュニティを一発強制退会にさせられても可笑しくない行為である。私も浪人生で今と比べ物にならないくらい時間があった頃、恥ずかしながらGREEのゲームのコミュニティで更新を急かして強制退会にさせられたことがある。その方は社会人でリアルが忙しく、その合間を縫って更新を行っていたとのことで、その旨を告げられて少しして強制退会させられたのだ。その頃ド暇だった私は共感できなかったが今ならわかる。複垢連投オヤジは工場勤務以外の時間や休憩時間はネット上に四六時中張り付いてコトノハをしているのだろうが、他人はそうではない。それをよくわかってほしい。
全知全能な人は居ない。このSNSは旅行やある趣味に関するものなので、実際に訪れてからわかること、後から調べてわかることも多い。実際に行く場所は事前に決めた場所のみならず、現地で知った場所、臨機応変に様々な場所に訪れることになるので、「事前から熟知していて訪れる」という例の方が少ない。また、しっかり下調べして訪れたつもりでも、実際は現地で知り得ることの方が多いことがある。
また、最近では全て知っているのではなく、旅先で得た情報や散策等により探求していくのも大きな楽しみとなっている。
複垢連投オヤジはこれを全く分かっていない。羅列連投で幾度となく自分の無知を晒しているのに人には厳しいのは困ったものである。
ちなみに、複垢連投オヤジは個人店よりもチェーン店の料理が好きという自分のコトで、「旅先でも味が安定していて比較的安いチェーン店に入ることが多い」とコメントしているので、やはり事前に知っている場所しか訪れないということも窺える。本店を訪れるならばまだしも、旅先で地元でいつも利用している全国チェーン店を利用するメリットは全く感じない。複垢連投オヤジは、やはり旅の醍醐味である冒険、探検をわかっていない。私は一人旅、街歩きではこの冒険や探検に重きを置くので、当然以前から知っていて訪れたくて訪れる場所もあるが、当日の成り行きや発見で訪れる場所も多くある。
それで何が問題なんだろうか。
いいや間違いなく問題があるのだ。
空気が淀んでいくんだ。
何故ならネットには自浄作用が全くと言っていいほどないからだ。
葛飾北斎は生涯で何十回と引っ越しを繰り返したというがそれは何故か、それは彼に掃除の才能がなかったからだろう。
そしてインターネットという空間もまた掃除をする才能がまったくないのだ。
出来るのは粛清だけだ。
空間に沈殿した意思が集まって出来た巨大な何か同士がぶつかりあって自分達以外を排除しようとしあう行為の果てにあるのは破滅だけだ。
新陳代謝を諦めて老朽化することを受け入れるだけになったコミュニティに未来はない。
そして実際に、未来が生まれえないままただひたすら同じことだけを繰り返すようになり、それに付き合いきれなくなった人間から順に朽ち果てていくのである。
そして今もそうした衰退は進んでいる。
濁りきったエネルギーが渦を巻いて自分達以外の全てを弾き出そうと動き出している。
実際、Twitterは明らかに変化を拒絶するようになっている。
最初期と違い変化を受け入れる余裕を失いきっている。
そしてそれぞれが接点を失い始めている。
だが新天地がどこにもない。
気づけば次々と新天地が生まれていた時代のインターネットは何処に行ったのか。
この世界にはもう新しいサービスが生まれないんじゃなかろうか。
いいや試しに手を動かしてみよう「インターネット サービス」でグーグル先生に相談だ。
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検索結果
ハローワークインターネットサービス
厚生労働省が運営する、就職支援・雇用促進のためのサイト。求人の検索や雇用保険のお手続き、求人のお申込み手続きや雇用保険・助成金、ハローワークの情報などのサービスを提供しています。
求人情報基本条件入力 · 障害のある方のための求人情報 · 求人情報検索のしかた
ハローワークインターネットサービス - 求人情報基本条件入力
https://www.hellowork.go.jp/servicef/130020.do?action=initDisp&screenId...
条件を指定して検索する. 検索条件を選択して【検索】ボタンを押してください。 希望する就業場所の都道府県リンクを選択して検索もできます。 詳細条件を含めて検索条件をクリアする場合、【検索条件のクリア】ボタンを押してください。
クソッ!俺を舐めやがって!
今だと、ピンサロあたりはふらっと予約もなしに行ってみたりするけどヘルス、ソープは店のウェブサイト見て女の子の情報やシステムを吟味して、店に電話やメールで予約。
前世紀だと、そもそもお店のウェブサイト自体がないのも多いだろうし、いわゆる風俗雑誌やスポーツ新聞、あるいは盛り場にある無料案内所みたいなところで吟味してたの?ヘルスはともかくソープだと総額とか分からなくてきつくない?
一時間前の確認電話なんかも携帯持ってない人も多いだろうし、今みたく携帯が普及してから導入されたシステム?
あと、店を介さず直接女の子へ連絡する姫予約とかどうだったの?
今なら Twitter や Line 10年くらい前は mixi のメッセージやE-mailだったけど、ポケベルの頃は「8ガツ8ニチ18ジカラ2ジカン」とか送ってたの?
昔mixiを使った感想としては「こんなに野暮ったい人ばかりのSNSは見たことない」ってことですね…車や二輪を検索するとヤンキーが出てくる、在日に対するヘイトスピーチ、語彙レベルの低さ、日常風景は当然のごとく……正直「mixiは底辺」と言われる所以のメインはそこかと……
サービスとかとても良くて、SNSの王道いいとこどりの良い環境のはずなのに、あまりにも使う人のお里が知れている……「ヤンキーくらい良いじゃん、存在は違法じゃないし」みたいな意見もあるけど、それは間違いだ
自分は5ちゃんねるが好きで、よく使ってましたが、マナー良かった記憶があります。オタク、年齢層高いし、上流だから、かしら。常識だけは守ってほしいな。
Mastodonを代表とするOStatus・Activity Pubプロトコル※1を採用するが2018/07/13現在の日本のインターネット上で最もリベラリズムとして先進的なSNSであるというと驚くユーザもまだまだ多いのではないか?と思う。
OStatus・Activity PubプロトコルはSNSサービスの民主的な分散化ばかり注目されるが、OStatus・Activity Pubプロトコルの本質は「ユーザ自身が取得する情報を選択する」ことにある。
1つの組織による管理された中央集権の従来型SNSでは、ユーザが得られる情報は検閲されるリスクがあり、真の意味でユーザが情報の取捨選択をするのが難しかった。
そこでSNSサービスのオープンソース化と分散化によって、ユーザによるより自由な情報の取捨選択を実現したのがOStatus・Activity Pubプロトコル周辺の動きである。
特にTwitterをリスペクトしたGNU social、GNU socialをリスペクトしたMastodonは、Twitterで問題視されてきた「見たくない情報への対策」へ対して、より効果的なアプローチを提供した。
日本人はmixiに端を発する様々なSNSを約15年間使い続けて「交友関係を結ぶ・結ばないに関わらずインターネット上であってもコミュニティへ所属すると人間関係の摩擦が起きる」ことや「氾濫する情報を処理しきれない」ことに気付いた。
それはTwitterでブロックやミュートなどの行動へ現れ、情報の取捨選択を始めるものの、それらは零れ落ちてしまう多くの必要な情報との引き換えであった。
OStatus・Activity Pubプロトコルはオープンソースとして個人が自由にSNSインスタンスを立ち上げ、個人自身と属性の近いユーザと共にSNSを活用することにした(例えそれが1人であっても良い)。
前提条件として親しいユーザ属性を選択することによってフィルタリングコストの最小化を目指したのである。
ただこれは誰もが想像付くように、特定のSNSインスタンスへ所属する母数は中央集権の従来型SNSと比較して激減してしまい零れ落ちてしまう必要な情報を得られにくくなってしまう。
そこでOStatus・Activity Pubプロトコルは相互に接続し「インスタンス連合」を形成することによって、絶対的な母数の少なさを補うこととした。
このようにしてOStatus・Activity Pubプロトコルのコンセプトは完成した。以下にMastodonを例にして3種類存在するタイムラインについて解説する。
ユーザ自身の投稿とフォロー/リモートフォロー※2したユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、ユーザ自身の投稿とユーザ自身の興味によって形成されるタイムライン。
ユーザ自身の取捨選択によって見たいものが見れて見たくないものを見なくて済むタイムラインである。
現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、ユーザ自身の投稿と現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿によって形成されるタイムライン。
親しいユーザ属性同士で形成されているインスタンスであればフィルタリングの必要性を最小化できるタイムラインである。
現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿と、現在ログインしている全ユーザのフォロー/リモートフォローしたユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿と、現在ログインしているインスタンスの全ユーザの興味によって形成されるタイムラインである。
現在ログインしているインスタンス以外のユーザの投稿が表示されるためフィルタリングの必要性はローカルタイムラインより高くなるが、表示される投稿は現在ログインしているインスタンスの全ユーザの興味の対象であるため趣味趣向に合わなすぎる投稿が表示される可能性はそこまで高くない。
昨今の日本のリベラリズムではセーフスピーチばかりが持て囃され、あまつさえそれを他者に強要し、リベラリズムの「個人などが自由に判断し決定する事が可能であり自己決定権を持つ」というコンセプトとは逆行する、自身がセーフの判断をするのではなく、他者がスピーチを遮るブロックスピーチ的な言説が目立ちすぎる。
Mastodonはインスタンス毎にルールがあり、例えばその特定のMastodonインスタンスが(法令の範囲内で)差別や倫理に関わる投稿ですら許容するというフリースピーチルールを掲げていれば、それはそのMastodonインスタンス内では正義であり、他のMastodonインスタンスのルールと逆行していようが他のインスタンスのルールを変えられる権利はない。
そのルールが気に食わなければユーザが単独でブロックするか、所属するMastodonインスタンスが連合を解除するという権利を行使できるだけなのだ。
国粋主義的な投稿だろうが、暴力革命の必要性を考慮する投稿だろうが、下劣なセクハラ投稿であろうが、非ジェンダーな投稿であろうが、性的マイノリティをキモいと言う投稿だろうが個々のMastodonインスタンスによって正義にもなれば悪にもなる自由裁量権があるSNSこそリベラルと言って良いはずだ。
そしてそれが出来るのがアーリアダプター達に現在注目されているMastodonを含むOStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSなのだ。
※1 OStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSはMastodonだけでなく、GNU socialやHubzilla、Pleroma、Misskeyなどよりもっと多くのSNSが存在する。別のSNSであってもOStatus・Activity Pubプロトコルを採用していれば相互接続できる。
※2 フォローとは現在ログインしているインスタンスに登録しているユーザをフォローすること。リモートフォローとは現在ログインしているインスタンス以外に登録しているユーザをフォローすること。
当時はYahoo!ジオシティーズが全盛で、自分もやってみたかったのがきっかけだった。
幸いにして父のPCには Photoshop 5.5 があり、マウスで描いた絵を投稿したり、日記を書いたりした。あとは当時流行っていた RPGツクール 2003 で簡単なゲームを作ったりしていた。絵は下手だったしゲームは何度もエターナったが、それでも本当に楽しかった。やるたびに世界が広がっていくような実感があった。
当時の自分はあまり版権モノに頓着しておらず、二次創作文化にはあまり触れることがなかった。
ただ、描く習慣はつけたかったので、日記では鉛筆の落書きをアップし、カラーの絵は毎月必ず更新されるトップ絵という形で描くようにしていた。今考えると大したペースではないが、年に必ず12枚は本気のカラー絵を投稿する習慣があったのは良かったと思っている。
しかし3年が経って高校生になり、いよいよ絵に注力したいと思った僕は、漫画研究部に入った。思ったよりもちゃんと描いてるサークルで、僕は安心した。ここなら楽しく創作できそうだ、と思った。
しかし漫研に入った最初の夏に、僕は3年続いたイラストサイトをいきなり閉鎖した。
高1の期末試験が終わり、明日から夏休みが始まろうという日だった。
部誌に描くマンガのネタに悩みながら、自分は帰り道ゲオで漫画を買い、長い道草を食った後に最寄り駅についた。
最寄り駅と言ってもそれなりに家までは歩くので、母親との都合があう日は車で迎えに来てもらって買い物しながら帰るということが多かった。その日もそんなつもりで家に電話をした。
母が電話に出た。電話口の母親は、力のない声で「今日は歩いて帰ってきて」…と言ってきた。具合でも悪いのか、聞いてもよく分からなかった。僕はそのまま歩いて帰った。
家のドアを開けると、同じく早く帰ってきてたらしい妹の泣く声が聞こえた。また母親と喧嘩でもしたのかと思ってリビングに上がると、母親がなぜか正座をして迎えてきた。なんだなんだと思っていたときだった。
援助交際だった。いわく相手が未成年であることは知らずに行為に及んだようだが、相手方の少女が家族にバレたらしく、その相手だった父が捕まった。僕の高1の夏休みはこうして始まったのだった。
いきなりのことで不安なことはいろいろあったが、まず気になっていたのは、こういう事件がどのくらいニュースとして広まるものなのか分からない、というものだった。
もし地方局レベルでもTVで流れてしまった場合、あっという間にいろんな人にバレるだろう。大げさな話、名前を変えて隠れて生きなければいけないんじゃないか?とか当時は本当に心配してた。今思うと無知だったとも思う。
結局、幸いにして(?)、事件そのものは地方紙の三面に小さく載った程度だった。父の名前は出ていたが、何気なく新聞を見ていて気づく確率はそんなに大きくないだろうと安心した(母はそれでもダメージを受けているようだった)。
父も一ヶ月拘置所に入る程度で済み、一旦家族はもとに戻った。8月の後半だった。7月のトップ絵は更新できなかった。
イラストサイトの方では、自分の個人情報はそれほど晒していなかった。住んでる地域ぐらいなら日記を見てれば分かるだろうが、管理人の本名と紐付けること、ましてやそれが地方紙の三面に報道された事件の容疑者の息子だと知ることなど、到底できそうには思えなかった(もし当時Twitterがあったらどうなっていたか分からない)。
にもかかわらず、報道に怯えている間、インターネットで自分を晒しているということが次第に怖くなっていった。隠れて生きなければならないかもしれないのに、どうして自分のサイトを運営などできようか?
そうして僕は、父が逮捕された日にサイトを閉じた。一ヶ月後、新聞の小さな記事を見て後悔した。この程度なら続けていても良かったじゃないかって。
しかしこれは家族にぶつけてもしょうがない怒りだった。父が捕まったことは家族以外には内緒だったので、結局誰にもこれを相談することはできなかった。
サイトを閉じた後に一人Skypeで心配して声を掛けてくる人がいたのは嬉しかった。サイトのバックアップを取らずにジオシティーズのアカウントを消したのでそのまま復活させることはできなかった。しょうがなくブログという形で活動を再開していたが、その時にはもう色んな気力が萎えていた。
貧困の本質とはモノやお金がないことではなく、先行きが見えないことだと言われることがある。僕の実家は別に貧乏でもなかったが、それでも先行きがずーっと見えなかった。
三年間続けてきたコミュニティとの縁を何も言わずに切ってしまった。下手でも続けていた絵を投稿する習慣が途切れた。漫研にいたので絵そのものは続けていたが、よほど張り合いがなかった。インターネットで活動する場所がなくなり、やることがあまりなくなっていった。
pixiv に登録したり、mixi でかつてのサイト仲間とマイミクになったり、なんとかやり直そうとしていたが、そもそもあの時サイトを消すことなんて無かったんじゃないか、という気持ちがずーっと消えなかった。そんなこんなの間に受験が来て進学した。
大学入学前後の時期、僕は人生で一番絵を描いていた。とにかく遅れを取り戻したかった。が、二ヶ月もするとすべてが辛くなってしまった。入学後に始めたTwitterアカウントはどんどん病んでいき、またインターネットをやめた。
もうおしまいだと思った。
創作自体はしているが、もう誰も知らない、ずっと細々としたものになっていた。
あの時サイトをやめていなければ、自分はそのまま楽しく創作を続けていたのだろうか。
きっと順調に進んでいたとしても何らかの挫折はあっただろう。
創作にはそもそも挫折はつきものだし、反応がなくてやめてしまうケースなど珍しくはないと思う。
しかし、それはまだ「正しい挫折」じゃないか、とつい思ってしまうのだ。
幸福な人生とは、つらいことがない人生ではなく、つらい出来事があってもそれにちゃんと意味のある人生のことだ。それが努力の結果の挫折なら、それはちゃんと存在意義のあるつらさだ。自分が一番不幸だとは考えないが、自分の不幸が一番無意味だと考えてしまうのはいかんともしがたい。
自分の当時の苦しみにはまったく何の意味もなかった。そもそも創作とは何の関係もない出来事をきっかけに、まったくの非合理な思い違いから、ただ間違ったつらさだけが残った。どうせ理想がかなわない人生になるとしても、せめて後者の意味では幸福でいたかった。つらいことがあるにしても、存在意義のある苦痛だけを背負って生きたかった。
元森ガールが語る“あの頃”
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/where-is-morigirl?utm_term=.dx3RXZQZ5#.gxvKn9k9a
森ガール誕生は、約10年前の2006年にさかのぼる。当時、国内最大SNSだったmixiのコミュニティで管理人のchocoさんが自身のコーディネートをアップした際、「森にいそうだね」と言われたことが起源である。
このコミュニティは徐々に広がり、2009年には約35000人の会員数を誇る巨大コミュニティに。それと同じくして、ファッション誌で取り上げられるようになった。
「たしかに森は辞めましたが、飽きてはいないんですよ。普通に可愛いと思いますし、いまでもお店に服は見に行きます。けれど買わない」